エロイ族の襲撃

2018年12月 7日 (金)

ウィリアム・ハワード『カリギュラ』(’80、中上守訳、富士見書房フジミブックス)

 まず挨拶代わりに、姉と寝る男カリギュラ。
 読者は、「かの悪名高いローマ皇帝カリギュラとはどのような男なのか?」という興味を持って最初のページを捲り始める。そこへ、いきなりこれ。つかみはオッケー。
 われわれは“自由な性の狼藉者”としてのカリギュラ像を求めている。なんたって名前がカリをギュラッ。もう普通に腰をグラインドしてるぐらいじゃ駄目だろう。巨根をビンビンにおっ勃てながら、腰に吊るした松の木の枝で処女のアヌスを凌辱するくらいの意味不明さが必要だ。なんで松やねん。
 
 

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2017年10月22日 (日)

美里真理『 巨乳コレクション Vol.1』(1994、黒田出版興文社)

(深夜のラジオ放送より抜粋)
 『ヘィ、ミスDJ!オイラの望みをかなえておくれ!』
「なにが〜〜〜?」
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『・・・うわ、“おくれ”だけに、オクレにいやん。
 すんません、堪忍してください。今回はごっつサービスして記事を書きますよってに。だいたいが、毎回辛気臭くてあかんよ、このブログ。ハヤカワの宣伝部かっつーの。
 ページを景気よくするためには、ハダカ!やっぱハダカが載っとらんとあかんのよ。夏目雅子風に言えば、「あかんぜよ!」(突然全開でキレる)
 人気あるページはさ、セクシーかつエロティックでお色気むんむんな若い子のハダカでてんこ盛りですよ!『FRIDAY』『文春』売れてる雑誌はみんな載せてますやん。
 ・・・え、雑誌って今売れてないの?え、『奇想天外』も?・・・ナニ、潰れた?潰れて、最近傑作選が出た?じゃ、『SFアドベンチャー』はどうなった?『SF宝石』は?アシモフマガジン特約やぞ。アシモフごっつ怒るでしかし』
 「アシモフならとっくに死んでるよ、おバカさん!」
 『誰や、おまえ?』
 「平井和正・イズ・デッド。とことん間抜けなキミを超能力でコバラサポートするために、39世紀の未来世界から電動チャリに乗りやってきた、アニメ系BLくんです!」
 『んーーー、本当かなぁー』
 「頼む、信じてください!ニューギニアの火力発電所から10万ボルトの電流に跨りやって来るよか、まだ多少は信じやすいじゃないですか。どうですか」
 『あれは、でも一応電線括りで繋がってるからなー。しかも全身電流マークだし。そう、ヒーローだって政治家だって犬だって、キミ、首尾一貫性ってのは大事だよ。勢いだけで行っても選挙は勝てないもんだよ、小池』
 「あ、時事ネタだ」
 『遠藤賢司さんが胃がんで亡くなったってのに、アホな記事を書いてちゃいけませんよ。史上最長寿のロックンローラーのわりに享年70歳とか突っ込んじゃダメなんですよ。前日ファッツ・ドミノさんが亡くなってたのが痛かった』
 「89歳。天寿を全うされたんじゃないですか。チャック・ベリーは90歳でしたけどね!」
 『長生きしてれば偉いのか。へーーー、そうか。
 そういえばD、今度おまえの誘いで観に行くライブの人、69歳なんだよなー。日本って高度高齢化社会なんだと実感するよなー』
 「それ、どんだけ高いねん。いつの間にか、ボク、Dになっとるし。ヒューストン」
 『ヒューストン了解。貴様とエロ記事で共演だけはしたくなかったが、ま、「ぼくは大人になった(佐野元春)」ってことなんだろう』
 「まさにアウト!な名盤『TIME OUT!』の一曲目ですね。佐野さんではこのアルバムが一番好きかも。本物のパブロッカー勢が多数参加した『ナポレオン・フィッシュと泳ぐ日』よりも、逆説的にパブロックの本質に接近してるんですよ。詳しくは、僕自身のブログでも取り上げておりますので、興味のある方はそちらをご参照・・・・・・」
 『おっと、リンク貼ってんじゃねーよ』
 「コード譜はこちらに・・・・・・」
 『だから、コード譜いらねぇって!
 しかし貴様、中学からずっとそんな感じで、やり続けてるんだもんな。それが全日本勝手に採譜委員会理事の現在に繋がってるってんだから、支離滅裂で実行力に乏しいオレよか、よっぽど首尾一貫、初志貫徹の見上げた男なのかも知れんなー。
 って、ま、そんなワケないけどな!』
 「Dよりヒューストン。持ち上げるのか、落とすのか態度ハッキリしてください。そもそも、僕ぐらいのレベルでコードに詳しいとか抜かしていたら、敬愛すべきコードに詳しい諸先輩方に対し、メチャメチャ失礼じゃないですか」
 『その敬虔な姿勢が胡散臭いってんだよ。本人は意外とマジメに言ってるのかも知れんが。それって詐欺師の常道・・・・・・・』

 (ヒューストン、Dに胸倉をつかまれる)
 (大いにもめる)
 (遠くからディレクターの声が響く、「ダメだダメ、いったん画像いけ。画像出して誤魔化しちまえ!」)
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 『・・・うわ』
 「なにこれ、ババアじゃん!」
 『美里 真理(みさと まり、1973年3月7日 - )は、静岡県出身の元AV女優。今回取り上げる文庫版写真集が出た時点では、御年21歳というカウントになる』
 「って、これ、どう見ても40過ぎてる熟しかたじゃないですか。どうすんですか、これ」
 『公称プロフィールがそうなってんだから仕方ないんだよ。書かれていることはすべて真実だ、と信じて生きていけ』
 「Dよりヒューストン。無理。」
 『紹介記事を適当にググってみてよ。どれも“整った容姿とジム通いで鍛えたプロポーションから一躍人気女優となり、程なくロングヘアの「ロリ系」女優からショートカットの「妖艶で淫乱」な女優へのイメージチェンジをはかり、人気を更に不動のものとした。”って書いてあるよ』
 「僕はGS出身者にも詳しいけど、ロリ系にも詳しいんですよ。断言しますが、こんなのロリじゃないですよ!」
 『いや、もともと無理ある設定でデビューしちゃったもんで、ドサクサ紛れに実年齢に近い路線にシフトし直したんじゃないの。俺は、おっぱいでかいのマル、ババァ臭いのマル、って高評価だったけどねー』
 「でも当時観てないですよ。どっからデビューしたんですか?」
 『宇宙企画。
 でも半年程度で移動してる。ま、“宇宙少女”には向かなかったってことだね』
 「なんですか、その名称?めっちゃ胡散臭いけど」
 『よくぞ聞いてくれました。ま、こんな感じだね・・・・・・』
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 「・・・・・・あの、これってどこの店ですか?」
 『錦糸町の店の看板じゃねーよ!これはだな、宇宙少女 (うちゅうしょうじょ、우주소녀 (ウジュソニョ)、WJSN、Cosmic Girls)、韓国出身10人・中国出身3人で構成された韓国の13人組女性アイドルグループだよ!』
 「なんで13人もいるんですか?あと微妙な国籍混合の比率にはなんか意味あるんですか?」
 『うるせぇな、マネージャーさんの都合なんだよ!
 実際韓国行くとCD屋なんか全然なくてさ、ダウンロード販売ばっかりみたいだな。ソウル一番の品揃えってフレコミの店舗なんか、巨大ビルの本屋の隅っこにあって、地下の角のワンコーナーでした。わかりにくいんだよ!嫁がブチキレ寸前でこわかったよ!』
 「知りません。ってことは、そこで発見したんですか、この方たち?」
 『いや、そうじゃなくて、確かにK-POPしか置いてなくって困った挙句、ルイ・アームストロングの初期盤を買って帰りましたー』
 「なんでそんなもん買ってんですか。普段絶対聴かないでしょうが。バカじゃないですか、あなた?」
 『旅に出ると、人は、わけのわからないものを買ってしまうもんなんだよ!
 
ペナントとか、絵ハガキとか。郷土民具コロボックルおこしとかな!』
 「そんな民具ねーよ!
 もー、話が逸れすぎでしょ。ここで言う“宇宙少女”ってのは、いったい何なのか、視聴者の諸先輩方にもわかるように説明しなくちゃダメでしょ?!」
 『気持ち悪い喋り方だな。林先生かよ。ま、あんなやつ、林で充分だけどな!“宇宙少女”ってのは、AVメーカー宇宙企画よりデビューした美少女系AV女優の総称である』
 「で、それってどんな人がいたんですか?」
 『オカズよしこ。』
 「絶対ウソだね!そんなアホなやついるもんか!」事後注釈・そりゃ実際いないのだが、この人名でサーチすると不敬罪な記事がヒットします。決してやらないように。あぁ、なるほど、そういう解釈あるのか。)
 『あと、秋元ともみ、かわいさとみ、小森愛などなど多数。ま、存在自体しょーもないっちゃあ、しょーもない』
 (遠い目で呟く)「秋元ともみ、可愛かったなー・・・・・・」
 『気持ち悪いから、遠い目はやめろ!きさまの甘酸っぱい青春の思い出など、どうでもよいわ。
 問題は美里さんのロリ時代ですよ。論より証拠、現物を見てもらおうじゃないか?』

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 「おい!山田くん、パンツ見えてんぞー!」
 『似てない円楽のモノマネ披露、ご苦労様。(急に超ドヤ顔になって)・・・どや、画家さん帽子に女子高生風チェックのスカート、白のシャツに微妙に太めのネクタイ結んで、ベストに清楚な笑顔で大股開き(ジャン=コクトー)。とどめはめっちゃ生地の薄ぅいパンティーで、いやん、陰毛透けちゃう〜〜〜』
 「・・・こんなロリ、やだ(泣)」
 『“大股開き”と書くとどう見てもインリンで、“大胯びらき”だと渋澤龍彦になるのか。日本語っておもしろいな!
 まー、あれですな、この顔の熟し具合を端正と捉えるか、老け顔と見るか、それによってこの人の評価は180度変わってしまうだろうな。その辺の制作サイド側の迷いが、せっかくの初写真集の表紙なのにファッションがちぐはぐ、という残念な現象に結実しているようである。
 だってコレ、年齢設定まったくわかんねーよ、女子大生?女子高生?まさか女子中学生の路線なの?』
 「うん、表層的な“若い子”って記号を集めてきて、あわよくば好意的に見逃してもらおう、って肚が見え隠れしてます」
 『実際に幾つなのかが重要なんじゃなくて、幾つとして売るのか。風俗の世界ではそこが重要なんだよ。ザッツ・ファンタジー。要は、コスプレ。すべてが、ま・ぼ・ろ・し!
 さて再び、現物を取り出しますが・・・・・・・』
 
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 「うわ〜〜〜、熟女写真集やん!」
 『ブルセラの翌年にはもう、こうなってますからね!フリーザ三段階変身の最終形態みたいなもんですよ。
 なんか悲しくなってきた。ヒューストンより、D。まだ続けるか?』
 
 「Dよりヒューストン。もう少し。公式プロフィールによれば、93年にデビューし、95年に引退となっているが、その間の変遷の歴史をもう少し細かくお願いします」 
 (以上台本読まされてる感丸出しの、棒読みで)
 『おまえはどっかの掲示板の飛び込み客か。ヤフ知恵のベストアンサーか?』
 (ニタリ)
 「(無視して画面の外に向かって)言うまでもないことですが、親愛なる読者の皆様におかれましては、この不愉快極まるクソブログにおける僕の行動・発言などはすべて、旧くからの友人であり、無礼かつ頭のちょっと不自由な禁治産者ウンベルケナシくんの、サッパリ盛り上がらず誰からも無視され続けている呪われた執筆活動の励みにでもなれば、という公共ボランティア精神に基づく考えから、台本ありーの、稽古ありーの、リハありーの、本番ありーの、つまりは完全なお芝居による演出ということをまずご理解いただきまして、今後一層の指導・鞭撻をいただければ幸いと思うのであります、パチパチロックンロール」

 『(無視して)女優としての変遷の話ね。そんなの出演作品のタイトルだけで充分だろ。まず1993年のデビュー作からイキますが』
 「微妙に漢字エロ変換を使いこなしてるところが、スーパー写真塾みたいでイカスね!」
 『で、記念すべき第一作“絶叫しちゃったの(93年2月、宇宙企画)”だが、ウェス・クレイブンへのオマージュ作品だな!(断言)』
 「えッ?・・・・・・あの、スクリームってこと?」
 『結構続いたあのシリーズもエルム街シリーズも、どっちもオレは大嫌い!ホラーをなめんなよ!この件についてはいつか別記事を書きます(嘘)。
 続く“乙女のひねり腰(同4月、宇宙企画)”は、いつの世にも大人気の大相撲をイメージ。このへん、清純派AV女優としてのセオリーに忠実だよな。ま、AVやってて清純もないもんだけどな!(笑)』
 「う〜〜ん、“腰”しか合ってないんでコメントしづらい。跳ね腰、払い腰とか柔道でもいいじゃん。他どんな作品があるんですか?」(すでに投げやり)

『“思いっきりエクスタシー(同6月、宇宙企画)”!』
 「うわ、思いっきりこの時代のネーミング精神やわ〜!『Motto!チェッカーズ』ですわ〜」

『“セーラー服を着たままで(同7月、明文社)”!』
 「脱がさへんのかい!着たままがええんかい!ま、本当に脱いでしまいますってーと、未成年じゃない安心感が画面に溢れすぎて、ドラマ部分のクソ青春芝居が心底どうでもよくなりますもんね!映研の尺かせぎだよね、アレ」
 
『“性感ビンビン娘(同8月、宇宙企画)”!』
 「いいじゃん!このタイトルには、パブロックを感じますよ。具体的には、グラハム・パーカー」
 『ニッチなとこにヒットしすぎ。これも実は“教師びんびん”のもじりですが、要はエロビデオなんて、ハダカとカラミさえあれば、タイトルなんか当然どうでもいいので、その時の流行りネタをもじって適当につけちまうんですわー。企画会議とかムダなもん省いて、やくざ上がりの恐い上司が若手に、「おい、適当につけといて」って、勝手にソープへ行っちゃう』
 「また、見てきたようなことを」
 
 『・・・・・・と、まァ、ここまでは女優としては胎動期と申しますか、お子様ランチ。若くて可愛い子扱いで、ソフトフォーカスのオープニングがくっ付いていて、スタジオのブルースクリーンの前で、気だるくフルーツいじったり、ガラスに唇寄せたり、挑発的なまなざしでアンサンを見つめてたりしてますわ。毎度おなじみ、おおきに。
 しかしですよ、なにせ、この時代のAV業界はバブル続いてますからなー、とにかくギャラがいいんで、毎月毎月何百人の新人がデビューする。札束目がけてぱっこんぱっこん。愚息もたまらず昇天、ですわ。
 そうすると、若手の供給過剰。ビジュアルや人気が一定線以上の少数を除いて、物凄い勢いでがんがん飛んでく。期待の大型新人が、三か月後には企画物に出てます。
 つい先日は着エロまがいの疑似フェラ、疑似パコをかましてた女優さんも、人気が出ませんと、ハードコアな本番行為に挑まざるを得なくなってくる。
 具体的には、いきなり浣腸、海辺の洞窟で拘束具つけて2人引きで犬歩きフェラですわー』
 「それ、菊池エリ“シスターL2”じゃないか。あんた、本当に好きなんだなー」

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 『といった過酷な業界の潮流がありまして、かくて81年創業、83年美少女もので大ヒットを飛ばした宇宙企画さんも、1989年にはより本番志向の「バズーカ」レーベルを始動、混迷の時代に入っていきます。

 ・・・・・・と、ここでニュースが入りました。“小銃等携行の陸曹が行方不明”やて!』
 「エーーーーーーッ?!」
 『大分県で演習に参加していた第16普通科連隊の男性2等陸曹(32)が、小銃と銃剣、空包20発を携行したまま行方不明。自衛隊は2,800人体制で捜索しているが、まだ見つかっていないそうです』
 「まるっきし“野性の証明”か“ランボー”やなー。・・・・・・って、この方、先刻森の中で首吊り遺体で発見されました。高倉健にはなれなんだ」
 『慎んでお悔み申し上げます』・・・・・・・。
 
『スペルマの嵐(10月、バズーカ)』
 「・・・ゲボ!なにこのタイトル・・・?」
 『バズーカ出演第一弾は過激かつアグレッシヴ!嵐が来るのはナヴァロンやドルロイだけやないんや!むせ返る栗の花の臭いに窒息しちゃいそう!敵は複数だね。ハッキリ言って。軍団相手だよ、既にこれは』
 「どこの軍団ですか?大門?石原?」
 『それ、同じだよ!』

『びしょ濡れ弁天(12月23日、バズーカ)』

 「うわ、こんな日付でリリースすんなよ!しょっ引かれんぞ!」
 『このころは国民の休日じゃないんだよ。まだ金無垢バブルの真っ只中だから。
 当時の典型的なタイトルだよね。制作の皆さんもまだまだオヤジだから。昨今のコスパいいだけの題名とは意味合いも重みが全然違う。コンビニと専門店。男優の精子の濃さ、量すら違ってると思うよ。同年「魔性の美乳」ってのも撮影してます』
 「確かに流行った、魔性の女。葉月里緒菜!」
 『極度に貧乳なのがいいんだよ。パイないのもありはありですから。そう来るか〜!?って感じでね。うまいよね。ハダカって本当面白いよなー。
 で、これにてロリ系、アイドル系の要素は完全に抜け落ちちゃって、肉弾相搏つ1994年に突入!』
 
『電撃のシビレ!(1月、セシル)』
 「沈黙シリーズみたい。よくわからんが、カッコイイことになりました(笑)」

『デカパイクィーン そしてエロスは続く(2月、クリスタル映像)』
 「で、やっぱ出演しちゃったよ、クリスタル映像(笑)」
 『きみは村西とおるの小宇宙(コスモ)を感じたことがあるか?・・・ご存知1984年創業、裏本業界からの転向組ビデオメーカーさんなわけですが、泥臭くてあんまし抜けないイメージだニャー。Dさんはどうですか?』
 「知らねーよ!でもある意味、クリスタルなら上がりでしょ」
 『当然の成り行き。出ちゃったら最後、ジ・エンド。でもこれは結構売れたんでしょーね。“デカパイクイーン2 胸がいちばん愛おしい (3月)”“デカパイクイーン3 たわわな乳房は蜜の味(5月)”と連続リリース!ほぼ月刊デカパイクイーン状態となっております』
 「僕は良識あるいちブロガーとしてイマイチですけど、キミ、好きでしょデカパイ?」
 『うん。胸はあってしかるべきです(断言)。
 ・・・そして、シリーズはさらなる進化を遂げる!』  

『デカパイボンバー(6月、クリスタル映像)』
『デカパイボンバー2 美乳をきつく抱きしめたい(7月、クリスタル映像)』
『デカパイボンバー3 君の素肌に溺れたい(10月、クリスタル映像)』
『デカパイボンバー4 お乳がアチチ(95年2月、クリスタル映像)』


 「あの、こうもデカパイ、デカパイと連呼されるとさすがに嫌気がさしてくるでしょ?」
 『いや、全然。おかわりちょうだい。しかし、お乳がアチチ!最悪ですなー(笑)
 シリーズは最終作“ラストデカパイボンバー(3月、クリスタル映像)”で一応打ち止めとなるのだがるのだが、並行して第二のライフワークとも云うべき「デザイアー」シリーズを出している。

『デザイアー 美里真理 オッパイでいかせて(94年11月、クイーン)』
『デザイアー2 危険なボイン(12月、クイーン)』
『デザイアー3 濡れたチクビに御用心(95年1月、クイーン)』


 謂わば、小林旭における“マイトガイ”と“渡り鳥”シリーズの関係みたいなもんだね。三部作だけど。内容は十年一日、ピサの斜塔を大工が建て直すみたいなもんです』
 「たとえの意味がイマイチわからんが、とにかくチチ!悟空の嫁方面で売っていこうという果敢な冒険精神は感じる」
 『“そうさ、いまこそアドベンチャー!”ってね』
 「しかし、前半のアイドル時代とのギャップ凄いですね。しかもこれって特殊な事例ってワケでもないですよね?』
 『清純派からハード系へ。その落差、強烈なギャップが客のエロごころをそそる。最初はそれにてビデオ屋の回転率をぐいぐい上げてくんだけど。でも、“清純”なんて虚像がいつまでも通用する訳がない。そもそもその虚像自体が、メディアへの短期集中型売り込み戦略、一方通行イメージトレーニング(=刷り込みと誤読)によって出来上がってるんだしね。自己申告なんだよ』
 「あぁ、S.O.D.の有名人戦略と同じ。そもそも、そんな有名タレント、知らねぇし〜(笑)」
 『YoutubeやらSNSの普及により、いまや誰でもスターで、誰もが有名人なんだろ?歴史上こんなふざけた時代は前代未聞だと思うが、まぁいいや。文句を言っても仕方ない。この超適当ブログだって、同じ流れの延長線にあるんだ。
 話が逸れたが、バブル期のAV女優は続けてくと、必ず工場大量産の時代にイキつく。決め手は発売本数。短期間に何本の本数をこなせるか。話題性としてホットな間に何本撮れて、発売できるか。これで勝負は決まるんだよ。
 この時代、女優さんにとっては、毎日が本土決戦だったんだよ!』
 「そりゃ、全員玉砕しますね(笑)」

 『この写真集、当時のAVのパケ写も載っまして、じゃコレもかの山岸伸先生の撮影だったのかー、あ、コレも?って地味に感慨深い。先生も最近のお仕事じゃ、「北海道遺産 ばんえい競馬」だの、宝塚スターの写真だの、文化人仕事がやたら目に付きますが、基本はアイドルと水着でブイブイいわしてたお方ですから。
 そういう意味でご健在で頑張ってください!』
 「どういう意味だよ!」

撮影:山岸伸。

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2016年10月15日 (土)

有森麗『花汁の舐め方』('93、マドンナメイト・ハード マドンナ社)

 これは難解な本だ。
 まず題名の読み方からして不可解である。かじゅう?はなじる?・・・え、鼻汁?
 勝手に出版社側の意図を汲むなら、「あのさ、花の蜜とかって表現あるじゃない?あれにならって、独自に命名してみたんだよねー、ラブジュース。和訳して毎回愛液、愛液じゃあさ、正直紙面が持たねぇんだよ!クリが花芯なら、溢れ出るのは花汁だろーがよ!100%果汁とかも連想させて売れ行きアップ!読者諸賢のムスコも仰角度アップだ!」
 なるほど。
 しかし、オリジナリティーを追求するあまり、読み方が別種類の体液とかぶっていることに気付けなかったのは編集会議の致命的な失策といえよう。私の頭の中では、中学時代に目撃した、青ッ洟をすするというか喰っていたジャリっ禿げのクラストメートを捉えた衝撃映像がフラッシュバックし轟沈。いや、轟チン。

 マドンナ社の刊行タイトルはこうした、いずれも「史上最強の土方センス」とでも形容すべき、昭和臭濃い品性下劣さに溢れていてかく凄まじいのであるが、その濃厚一辺倒、ハードコアすぎるアチチュードには往々にして意図せざるマヌケさが忍び込むようで感慨深い。
 宇佐美奈々の本の題名は、『巨乳なぶり』である。「嬲り」を読めない子が増えている文化状況に憂慮した結果、そこに刺身が紛れ込んでしまった。
 あるいは『館淳一の黒い巨尻』の存在をどう解釈すればいいのか。フランス書院でもお馴染みのベテランポルノ作家・館先生自身がお持ちの巨大な尻を、そこに一面びっしりと生えているであろう黒々したケツ毛のジャングルをいやがうえにも連想させるではないか。いやいや、館先生本人のことはまったく存じ上げないのですが。勝手に決めつけてる。
 しかし以下に挙げるタイトルは歴然と意味不明であり、トマソンの如く俗人の理解をきっぱりと拒む。
 早紀麻未『姦す いたぶられた密室』。

 ところで、有森麗というソープ嬢あがりのAV女優が主演するこの本(文庫版写真集)には、明確なストーリーが存在する。
 なんでって、その理由は後ほど述べるとして、まずは素晴らしすぎるその物語世界をご紹介しておこう。

【あらすじ】

第一章、店長の熱い舌先にあえぐ閉店後の下半身セクハラ
 
有森麗はウェイトレス。ウェイトレスといえばミニスカ。ミニスカでないウェイトレスなどウェイトレスではない。制服はピンクのサテン生地を大胆にカットし、激烈に安い夜のエロスを醸し出す。
 プロの職業ウェイトレスである有森は、前職・岐阜県金津園のソープランド勤務を辞め、現在はここ新宿歌舞伎町に来ている。店は無認可風俗店であるが、喫茶は喫茶だ。飲んで、かつ豪放に出せる喫茶店。なんか「オッシャレ~」で、話のわかる感じである。
 この店では、客はすべからく“店長”と呼ばれる。メイドカフェを訪れる者が“ご主人様“と呼ばれるのと同じ理屈である。(混雑時、店内は“店長”でいっぱいになる。)
 “店長”は店内で意のままに振る舞うことができる。サボって酒飲むもよし、床一面に張られた鏡を使ってウェイトレスのスカートの中味をじっくり覗き込むことができる。あるいは彼女を脚立に登らせて、キャビネット最上段に格納されている、ハウスワインのボトルを取らせることだって可能だ。
 いずれにせよ重要なのは、普段は衣服によって外気から遮断されている、彼女自身の秘密の部分を見てやることにある。かなり特殊な規律により、店内のウェイトレスは全員、パンティー着用を許されていないので、スカートの下では毛まんこがすっかりまる出しだってことだ。

 客が入ってきた。
 「コーヒーをひとつ」
 競馬新聞を片手にソファに座る。はげ上がった額に汗の玉。真っ白いフロアに白いアームチェア、テーブルまで白。室内は気の狂いそうな清潔感に溢れている。
 「おかえりなさいませ、店長。ミルクとお砂糖はいかがいたしましょうか」
 「砂糖はいらない。ミルク、濃いめで」
 「承知しましたー」
 彼女は既におしぼり片手に定位置にスタンバイしている。
 「しっかしクソ暑いねぇー。店の景気はどうなの?」
 「そうねぇー・・・ぼちぼちですよ」
 ローションを垂らし、しごき始めると店長自身は経済不況を吹っ飛ばす勢いで勃ちあがった。
 「んー。いいなぁー。絶好調。じゃ、手始めになにか淫語しゃべってみてちょ!」
 「はぁ。では、一丁失礼しまして。おまんこおまんこ、おいんごぼいんご」
 「もっと、でかい声で!」
 「いんぐりもんぐり、ふぐりのむすこ」
 「あー・・・・・・・んー、いいなぁー・・・本当素晴らしき・・・この世界・・・きみといつまでも、僕の妹ならば愛一筋に・・・」
 店長は目を閉じて恍惚の世界にジャックインしている。
 「どうですか。地上で一番気持ちいいですか?」
 「うん、地上で一番気持ちいいですよ。ときに、地上で一番速い動物はチーターだっけ?」
 「はい、チーターですね。さすがの切れ味シャープですね。
 ・・・ん~、キレテナ~イ!
 では、そろそろ、砂利まぜますよ」
 「ハイ、ワカリマシタ」
 赤くささくれた工事用砂利土が混入されると、店長の性感はいっそう高まるようだ。ロープが引かれ、やがて杭打ち工事が始まると、店長の口からは苦痛とも快感ともつかぬうめき声が流れ出すのだった。
 「うぎゃー、うげがー、もけもけぴょ!け、ぴょ!け、ぴょぴょら!ぱー」
 と、みるみるその場には官民問わぬおそるべき最新鋭技術を惜しげもなく投入し超高層建築物が建てられていったのであるが、語るに落ちるその技術的詳細は第二章に譲ることにしようではないか。ってまだ読みたいかこの文章。

 第二章、建築現場に散った恥辱の赤い花びら

 場面変わって、どこぞの建築現場に現れた有森の出で立ちは、頭に原色赤のバンダナ、白のTシャツにネックレスをジャラジャラぶら下げ、ジーンズ生地のホットパンツから太腿突き出し、スポーティヴな通行人を装っている。ロスト原宿系?みたいな。そんな言葉はないか。足元はNロゴの輝くスニーカーで、昨今はみなさん履いてる。
 「あたいは、けっこうハンパないよ!」
 そのセリフからして既に限りないハンパ感が滲み出すが、本人はやる気まんまんなのでまったく気づいていない。自己申告に潜む罠。悲劇は往々にしてこういうところに起因するものだ。
 凶悪にメンチ切って、ツバ垂らしながら歩いてくると、資材置き場の物陰から飛び出してきたのは、黒いつなぎに黒覆面を被った暴漢(それを証拠に、覆面の額に「暴力」と書いてある)。
 「おう、おみゃーさん、コッチ来いやー!!!」
 「わきゃー、なにするんぎゃー!!!」

 尾張か。尾張名古屋は恋の街、などと馬鹿げた歌を口ずさみつつ、有森を羽交い絞めにする覆面男。口は大きな毛むくじゃらの手でしっかり塞がれてピンチ。
 そして、そのまま連れ込まれていった先には、白昼に潜む暗闇が深々と口をあけているのであった。・・・って、まぁ、単に人けのない建築現場ですが。ここでじっくり脱がされ嬲られナブラチュロワ。で最終的にはレイプされるという、まことブリジャール※註1.にけしからんお話で。
 ※註1.マコトブリジャールはJRA所属の競走馬。最近調子いい。次走はエリ女だってよ。
 どう見ても建築施工中の木造民家にしか見えない、壁はまだ吹き抜けの一室で、さっそくぺろんと上衣を捲られて、乳房を剥き出しにされる有森。
 ここでご注目なのは、日付変更線の如く、白と黒とに水着の跡をくっきり浮かび上がらせた褐色の肢体ではなくて、小ぶりな乳房に屹立する、意外とピンクで固く尖った乳首でもなく、苦悶に歪んだ美しい眉間の皺でもなけりゃ、短パンジーンズの裾からはみ出す健康的に締まった太腿でもないのである。
  ポイントは、赤い花びらだ。
 われわれは目を凝らすのだが、それはなんと画面のどこにも映っていない(!)。見どころのない観光名所。「そんなバカな」と絶句するツアー客一同。なんだか詐欺の匂いがする。それでも平気で物語は進行していく。
 白昼、青空をバックに暴力的要素のない牧歌的レイプ。そんなものは童貞か、アルプスの少女ハイジの性的妄想だろうに、蹴りもパンチも飛ばなきゃ唇も切れない、そりゃもう、のんびりとした双方合意の上での性行為が繰り広げられる。(なにせ床にはタオルが敷いてある。)
 一応、ショットとして苦悶の表情はある。涙とかは・・・あれ、あったかな?・・・たぶんない(見直ししない)。要は、「内容は和姦だが、演出は強姦」という珍事の発生だ。いまだったら放送事故ですね。

 「あ・・・あんた、いったい何者よ・・・?!」
 熱い肉棒に内壁を抉られながら、息を弾ませ、有森が尋ねる。
 覆面の下の表情は窺うよしもないが、暴漢はひたすら無言で機械的に腰をつかってくる。
 「ど・・・ど、どういうことよ?!
 ・・・うッ、ぐッ・・・はァァ・・・キモチいいじゃないの・・・はびば、のん、のん」

 暴漢は重々しく口を開いた。
 「・・・ウルセエナ、静かにシロ」
 乱暴に有森を裏返すと、若々しく弾力性に富んだ尻をひっぱたき、背面から貫いた。
 「ぎゃっ!!」
 「オウ、オウ、これはタマランデス。フェルナンデス」

 抽送のピッチが上がったようだ。
 激しく肉棒に突かれながら、有森は目の前の建築資材を這う蟻を見ている。アリさん、アリさん、どこ行くの。アリさんマークの引っ越し社。アリよ、さらば。WHY、なぜに。
 「あッ、あッ、いい、いい、いいヤザワ!!」
 では悪いヤザワはあったのか。
 執拗に舐められ、たっぷり唾液を塗り込まれ、愛撫に意図せざる膣分泌液(つまりは花汁)を溢れさせ、充分潤いきった有森のアソコは、ぴっちゃらぺっちゃら、水木しげる描く妖怪が全力疾走しているが如き、湿った音をたてている。
 思い切り怒張した極太のペニスは、蘚苔色に濡れ染まった肉の内壁に幾度も没入を繰り返し、徐々に、そうジョジョに頂点へと導かれていく。これ以上は危険だ。弾けそうだ。
 暴漢は襲い来る快感に思わぬ弱音を吐いた。
 「ごほほほ、ホンマ、もう・・・カンニンどすぇぇぇぇぇーーー!!」
 「なんで京都弁?実は関西人なの・・・?
 ・・・あぁ、神様、なんで下劣な関西人ごときのチンポがこんなにイイの?!
 あぁ、イイ!イイ!イイ・・・!!
 
イー・アール・カンフー!!!!」

 さんさんと光差し込むサンルーム。睦み合うふたつの影は、設置前の羽目板にくっきり焼き付けられ、淫美なダンスを踊り続けていた。
                 (完) 

 さて、われわれはもう一度、「人間はなぜ物語を必要とするのか」という問題を考えてみなくてはなるまい。
 現代はネットの時代だ。アクセスして検索さえすれば、お好みの動画に行き着くことができる。あなたのちょっと社会的に問題のある趣味でもお構いなしだ。そこにあるのは、かつて映像メディアが展開してきたさまざまな表現形態の集積である。旧来通りのフル動画だって勿論あるが、たいていは断片だ。プロモ素材やサイト勧誘のツールとして、溢れかえるほどのおまんこを目にすることができる。
 断片化された情報は連続して摂取するに都合がいい。
 それはつまり、「ゴーイング・トゥ・カリフォルニア」を飛ばして「天国への階段」を聴く行為だ。そして、「パラノイド」でもなんでもいい、どこまで行っても「天国への階段」は続くのだ。YouTubeをうっかり検索して眠れなくなった体験は誰にもあると思うが、あれはつまり、そういう悪夢の迷宮だったのだ。ま、飽きたら寝ればいいワケですけど。一度は止まんなくなりますよね、「今夜はドント・ストップ」。
 ところで、どんな性行為にも煩雑な手続きがある。そこをスッ飛ばしていきなりハメてる局部のアップから始めりゃ、そりゃ盛り上がりますよ。全編サビですよ。で、知ってる人は知ってるんですけど、全編サビって飽きるんですよ。エロを見続けてウン十年、私の出した見解ですが、どうも人間は興奮するのに無駄な細部を必要とするらしい。
 
 ということで、この本は(予算の都合もありますが)単なる性行為のブツ切り集ではなく、ワンテーマに添って掘り下げるという、版元マドンナ社の姿勢の変化を記録したものになっているであります。「マドンナメイト・ハード」とは、そういうこった。
 それがいいのか悪いのか、そこは諸君の腹の空き具合ってことで、以下次号シクヨロ。                  

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2014年8月16日 (土)

ヨウコ・ヌオラ『カウガール・ナニの冒険』 ('14、峠の地蔵出版)

 いま本当にエロいマンガはどこにあるのか。
 われわれは真剣に議論を突き詰めなくてはならない。口角に泡を飛ばし机を叩き相手の人格を全面否定してでも勝利を掴み取るべき時だ。
 「たとえば・・・」
 きみは不敵な笑みを漏らしながらワイングラスを片手に宣言する。
 「それは、スウェーデンのジャングルにある!」
 北欧か、確かにそれは気づかなかった。見落としていた。性の開放地帯。永遠に続く白夜とオーロラ。代償ナシのフリーセックス。金曜スペシャル。喪われたリビドーが咆哮する。自由をわれらに。国境線を飛び越えてカメラもそこに行ってみようじゃないか。

 丘の上に、髭もじゃの大男が酒樽に跨り米国の雑誌を読んでいる。干し葡萄を掴み取り貪り、ジョッキでビールをがぶ飲みしながらTVを流しっ放しでポテトチップスを喰っている。
 男は言う。

 「かつて日本の裏ビデオは局部のアップ描写だけを延々と繰り返す退屈なシロモノだった。
 抜き差しされる怒張した逸物と、陰唇のはみ出したまんこのコンビネーションは確かにショッキング。だが、慣れてしまえばどうってことはない。そこに神は宿らない。ビヨン・ボルグはいねえのさ!HA-HA-HA-HA!!!」 
 ことさらに北欧出身を強調しながら、
 「

(つづく)
 

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2014年7月13日 (日)

柏原芳恵『恋愛遊戯』 ('91、大陸書房ピラミッド写真文庫)

 微妙にババ臭い女の魅力について書かねばならない。
 しかも、乳首や陰毛無しでだ。お尻やパン線※1すら存在しない。辛い。あまりにも辛すぎる。カスピ海に溶けてしまいそう。まったく性の砂漠を彷徨う旅人か、われわれは。コレはなにかの罰ゲームだとでもいうのか。密林はなお一層深く湿っているばかりだ。
 ※1 パンツの線。もしくはパンティーラインを指す学術用語。Wikiにすら存在しないが業界に知れ渡っているニッチな言葉。

 『恋愛遊戯』はまだ昭和の残り香のする1991年に出版された写真集である。同年には業界の風雲児たる樋口可南子『Water Fruit 不測の事態』が出ている。写真家と女優の知名度が陰毛をパブリックに流通させたある種のIT革命。官警と衆俗とのせめぎ合いが醸し出す、常識と露出度の狭壁を縫って、次は誰が毛を見せるのか、ふたり顔を突き合わせればお天気の話でもするように盛んな議論になっていたあの頃。
 
今回の記事を書くにあたって、「ハテ、では柏原はいつ頃脱いだのかしら?」と疑問に思い調べたら、2002年に出た大判写真集『Face』のAmazonユーザーコメントに遭遇しちょっと笑った。

「この人には「今度こそ脱ぐぞ!」と期待して何年も待たされて結局この程度の露出で毎回終わります。」

 なんと、10年以上引っ張っていたのである。そして、これからもまた永遠に。まったく無限軌道の彼方まで僕らを乗せてくスリーナイン号のごとき、想像力の極限に挑み続ける一貫した姿勢。まったく素晴らし過ぎるポジティビティではないか。
 「次は脱ぐぞ!」と期待して毎回写真集を買い続けるファン達。「全部魅せるわよ!」と蠱惑的な笑みを振り撒き続けるアイドルたち。皮肉やお世辞抜きに、その古典的な関係性には賞賛すべきサムシングがあると思う。
 ハダカは単なるハダカであり、乳首は単なる乳首に過ぎない。
 それを聖物化するのは間違いなく信仰だ。決して褒められたものでも、おおっぴらに公言できる種類のものでもないかも知れないが、そこには深い、あるいは全然深くない軽佻浮薄なスケベごころの働くワンダーランドが存在する。
 思春期の一過性の発情ならまだ大目に見れるだろうが、現在われわれが直面しているのは超高度高齢化社会という、歴史上類を見ない未曾有の事態なのである。いい歳こいて乳首を隠し続けるおばはんと、新作が出るたび鵜の目鷹の目で隠された禁断領域を覗き見しようとするおっさんども。それでもまだ見たいのか。見てどうしようというのか。激しくヌクのか。果たしてヌケるのか。そもそもそんな必要ってあるのだろうか。
 それでも、人はエベレストを目指す。
 聖と俗を分かつものが深い信仰なら、ここには疑いなくケルン大聖堂が存在する。東方三博士の聖遺物が安置されたゴシック様式美の極致が。もはや柏原の黒く縮こまった乳首は、単なる物体の意味を超越してオーパーツの域に達しているのかも知れない。
 三浦雄一郎になぜチョモランマを目指すのか尋ねたって無駄だ。三浦自身にすらまったくわかっちゃいないんだから。

 さて、今回われわれ科学特捜班チームに持ち込まれたのは、一冊の書籍。

 洋服を着ているのに下着をはみ出させた微妙な年齢の女がアジアの片隅をうろうろするという、前代未聞の希薄かつ下品な内容である。コレを見て何かを語れというのは、文豪ビクトル・ユゴーだって嫌がると思う。エマニエル夫人だってまだ“喰わず嫌いはいけない”とか、独自の哲学を語っていた。その程度で哲学と呼ぶかどうかはともかく。なんか小学校の風紀委員みたいだが。

 素肌にブルージーンズ、黒いレースのブラを堂々露出させた女はレンガ造りの異国の庁舎前に立っていて、その前ではシンガポールの騎馬警官が目を剥いている。
 女は大型のレイバンのサングラスを浜田省吾風に着用していて、左の指にはタバコを一本挟んでクールにキメている。


 誰が得するのかまったくわからない異常かつ衝撃的なショットから、この本は始まっている。まさに残虐ショット。この女は何者なのか。代表曲「ハロー・グッバイ」すらイントロしか歌えないわれわれにとって敷居が高過ぎる設定だ。
 導き出されるキーワードは(江藤乱世ではまったくなくて)エトランゼ。女は異国の旅人である。一人旅かというとそうではない。巧妙にカメラの背後に隠れているが、同道の男がいるのだ。欲望に瞳をギラつかせた、都会に生きる獰猛な野獣のような男が。その獣欲が露骨であけすけであり過ぎるほど、女はせせら笑い挑発する。この連鎖を称して「恋愛遊戯」と呼ぶ。
 かつて様々な遊戯が存在した。ブルース・リーは死亡を遊戯していたし、ふしぎを遊戯しているケースもあった。また遊戯王などそのものズバリ、個人名が遊戯であるという世間を舐めきった挑発的な態度を全開にしていた。
 ここでの遊戯はそれほど過激でアヴァンギャルドなものではなく、パッション・プレイ、男と女のラブゲームといった通りのいい、セックスへと直結する種類の恋愛ゲームのことだ。誰もが思う夢の交尾の晴れ舞台が、熱海の旅館から遥か国際的に拡大していったのが高度経済成長の垣間見た幻想の終局、バブル崩壊前後の特徴だったと云えよう。
 
 次に女が現れるのは、王宮。ロケ地・香港と大書きされているようなこの写真集において、そもそも香港に王がいたのかなんて瑣末な問題である。

 白いサマーセーターにミニスカの女は亜熱帯の樹陰を彷徨い、大げさすぎるウィンクを画面の向こうに投げるや、思い切りコケティッシュなハイキックをキメる。
 勿論食い入るように見つめる野獣のような男は(そしてわれわれは)、ぶっ飛ばされて仰け反るしかない。


 しかし何だろう、この内容の希薄さは?
 空腹のところへ蒟蒻ゼリーをたらふく詰め込んでいるような違和感。幾ら喰っても物足りない。ヘビースモーカーにとっての1mgのようでもあるし、艦船プラモの箱の中身が竹ひご細工だったみたいなガッカリ感が確かにある。
 どうやったら抜けるんだ。
 どうやったら抜けるんだ。
 どうやったら?

 そんな疑問が脳裏をかすめるとき、きみは(そして野獣のような男は)、確かに柏原の術策に嵌りつつある。

(つづく)

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2014年1月23日 (木)

松尾嘉代『陽炎(かげろう)』 ('91、大陸書房ピラミッド写真文庫)

 美しい嘉代。みだらな嘉代。ヨットで水着で笑う嘉代。だれだって嘉代が見たい。いつだって嘉代にあいたい。
 そんな病める現代嘉代マニアの願望を軽くかなえてしまう夢の文庫版写真集がこれだ!ジーンズのポケットにだって入るぞ!欲望ノンストップ、お出かけ先でも精子出しまくりだ。駅裏とか。マックのトイレとか。そんな奇特なやつ本当にいるのか知らんが、いつでも嘉代といっしょ。嘉代フォーエヴァー。

 新春恒例の初売りチェックで、文庫版プレイメイトコレクション2冊と一緒に本書をレジに運んだところ、お馴染み怪奇探偵スズキくんから、
 「なんかあったんですか?」「なんでそんなにエロエロなんですか?」「溜まっているんですか?」
 と、質問の嵐となったのも最早懐かしい話だが、あれから既に20日以上経過。新年おめでとう、ウンベルだ。遅すぎ。明らかに遅い。だが本年最初の更新だからね。これが最後でないよう、きみのヤーウェに祈られたし。
 私は文庫版ヌード写真集が大好きだ。
 ハードカバーの大判は扱いづらい。収納に困るし真剣に読む気が起きん。ハダカは気軽に見たい。ハダカはいつでも見たい。旧都庁跡でも。貨物列車基地でも。人面犬の出没スポットでだって。
 じゃ何百冊でも文庫ヌード本を持っているのかというと、全然そんな訳ではなくて、このへんが杜撰な似非コレクターとして私が疎まれる原因となっていると思うが、でも、しょうがないじゃん!そういう人間なんだから。興味あるもんしか買わないよ。
 例えば、今回のケースでも商売熱心な某ショップ店員から激写文庫全巻揃いをお勧めされたのであるが、「バラで持ってるから」と丁重にお断り申し上げた。洞口依子や青山知可子の巻はいいが、水沢アキはちょっとね。人情というものだ。勘弁してくれ。

 裸とは個人の履歴である。物語の詰まった箱である。執拗に繰り返し読むことは愛の行為だ。
 われわれはありもしない面白話をそこに聞く。書き込もうとする。


 例えば松尾嘉代の場合。
 われわれがまず目撃するのは、リゾート地でくつろぐおばはんの姿である。
 自由奔放なおばはんは時に全裸だ。無駄な肉のない磨き抜かれた裸身。入念にメイクされた色素沈着の薄い乳首。トップバストの位置は垂れ始めているし顔によった皺は明らかに隠せないが、きれいに撮られたおばはん。
 なぜ唐突に出現した彼女がヨットに乗って南の海をクルーズしているのか。その目的は明らかでない。髪を幅広のバンドで束ね、満面の笑みを湛え、ビーチウェアの下は黒系のスケスケ下着。
 水着でなく下着。ここに既に物語性の萌芽が感じられる。
 実際行ってみれば誰でも気づく。エロとは決して一方的に与えられるものではない。脳内で自ら積極的に紡ぎ出すものだ。腰を使われるより使え。意識内部での自律変換作用なくしてエロは成立し得ない。動物的な、結合した性器が生み出す快感とはまったく異なる次元の話だ。
 アレはアレでいいですけどね、それとは違うのよ。
 だから、ビーチウェアと黒下着、この不自然極まるコラボレーションこそは実に撮影者の意図した物語の導入部であって、やがてヌード→セックスへと直結するアクション展開を予感させる素晴らしいオープニングといえるだろう。

 南の海で豪華ヨットに乗っているのは、社長夫人か令嬢だ。令嬢には薹が立ち過ぎているから、するとこれは夫人だ。黒下着姿の社長夫人がきみに無防備かつ全開な笑顔を振りまいているのであるからして、これはもう決まった。決まり。
 おめでとう、きみは社長だ。

 社会的に成功し財を成した企業の社長なのだ。妻は嘉代。金に不自由なく子供たちも関係ない。現実のきみがいかした愛の放浪者でも、うらぶれニートだったとしても、全然まったく関係ない。
 人は、物語の中でのみ幸福になる。幸福な結末を迎えられる。

 社長であるきみには、特典として以下のような物語が用意されている。

 南の島(セブでもシャブでもいい)で午後のクルーズを愉しむ嘉代は、陽光の下でワインを飲む。石榴の如き、赤。決して梅酒ではなく、ましてウメッシュではなおまずい。ここは絶対ワインで。奔放かつ身体の異様に柔らかい嘉代は温かな海風に誘われ、肢体を伸びやかにくねらせる。おぉ、素敵。
 場面一転して白いコテージ。社長は当然別荘だって持っている。単なるお泊りではなくて持ち家での情事。壁にバカとマジックで書いても怒られない。溢れ出すゴージャス感が庶民ともはや違う。止まらない。
 薄いナイトガウンを纏った嘉代は、ベッドに横たわり既に半分を乳首を露出している。話が早い。早すぎる。次ページではもう裸で、乳房を持ちあげている。
 と思ったら、この女、紫のスケパンティーだけはしっかり穿いているぞ。なんのつもりだ。おのれ、これは前戯か。前戯だったのか。
 彼方に海を眺望できるベランダを控え、太陽はデッキチェアーを眩しく照らし出す。外部の明かるさに比べ、室内は暗く沈んでいる。
 ふと自分の股間に手を伸ばす嘉代。尻穴も撫でる。50を目前にヌードを披露することにした決意とはそんなものか。乳房を押さえ、微笑む嘉代は遠くを見ている。
 「まだまだ、いけるよ!チミ、最高だよ!」
 社長であるきみは禿げアタマを汗で光らせ、そういう言葉を口にするだろう。

 舞台は再び豪華ヨットのキャビンへ戻る。
 このアヴァンギャルドな時間構成はヌーヴェル・ヴァーグか、単なる編集ミスなのか。
 「あたしね・・・」
 ひざの手前で枕を抱いて、嘉代が言う。
 「・・・むかし、人を殺してるのよ・・・」
 薄い下着を突き上げて乳首が存在を激しく主張している。とっさに刑事・石橋蓮司の顔が浮かぶのを全力で打ち消してきみは、その小生意気でいなせな物体を揉みしだく。
 「ハァッ。ハァッ。
 忘れろ。ていうか、忘れちまえよ。
 俺の胸の中で忘れて眠ればいいのよさ・・・!」

 真顔で焦るきみは、若干日本語が変だ。
 前夫・小林稔侍は変死した。秘密を嗅ぎつけた名古屋章もまた。唯一無事で生き残った岡本信人は野草を喰らって発狂した。やはり、この女、魔性の者なのか。
 妖しく微笑む嘉代は漁場に最適な岩場で、最高級イカ釣り漁船のみが入港できる幻のヨットハーバーで、次々と脱ぎ無しで艶めかしいポーズを披露。きみの神経を逆撫でするような嘉代の仕打ちに、股間はますますヒートアップ。
 しかし、なにかがおかしい。狂ってる。
 プールサイド。前方のボタンをかけ損ねた姿でダイブし、オリヴィア・ニュートン・ジョン「水の中の妖精」なポーズで裸体をさらけ出す嘉代。しかし、ここで奇妙な違和感の正体が判明。嘉代の下半身を覆う、太目のおばはんパンツ。水に濡れ光る。
 社長であるきみは、思わず呟く。

 「あ・・・!!
 この写真集、ヘアヌードじゃねぇんだ!!」


 勘違いもいとおかし。
 カウントしてみますと、嘉代が正式に尻の割れ目を露出するページは、わずかワンカット。それも遠景。これは抜けん。これは堪らん。生殺し。
 「熟女の魅力の何十パーセントかは尻にあり」と日頃飲み屋で豪語する社長のきみは、
 「ヘアーは別にどうでもいいけど、ともかくもっと尻出せやーーー!」
 と、新宿高層ビル街の夜景に見下ろされながら、下品な断末魔の絶叫を上げるのでありました。胸には突き立ったナイフ。流れる、岩崎宏美「聖母たちのララバイ」。
 廻るパトカーのサイレン。パーポーパーポー。

 

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2013年2月11日 (月)

服部ミツカ『実録・女流獣姦エロ漫画家!?』 ('08、一水社いずみコミックス)

 「・・・あー、もう、全然やる気がせんわ!」

 古本屋のおやじは伏せていた顔を持ち上げ、ぼやいた。

 「この『神秘の探求』ってのはね、もともと、無料で好き勝手書けるというんで始めたブログなんだが※註1、ときおり心底面倒臭いの。放っとくと記事がどんどん長大化するし、スキャナーの調子悪いし。『鬼面帝国』の単行本、行方不明になるし。」

 ※註1・当ブログは某薬局の全面スポンサードにより運営されている。が、掲載されるネタは一部例外を除きすべてウンベル個人の収拾物であり、勿論ギャラは出ない。万事が“好きでやってる”としか形容できない微妙な状況である。

 縁側の柱に背中を凭れて、のんびり飼い猫と遊んでいたスズキくんが声を掛ける。
 おだやかな二月の晴れの日だ。

 「自宅で単行本一冊行方不明、とかって、そんなこと、本当にあるんですか?」

 「あるから困っとるのだ。」

 おやじは胸を張る。

 「自慢じゃないが、次から次へと増える収集品をきちん、きちんと管理できてるなんて思うなよ!
 探すの面倒だからもう一度買おうかとズボラな悩みに捉われることなど、しょっちゅうだ!」


 猫の背中を撫でながら、スズキくん、

 「それは、あんたが中年の独り者で、小金持ってるから出てくる発想でしょう。
 ボクだったら、探しますよ!探すしかないんですよ!こちとら、失業保険貰って職探ししてる身なんですからね!」

 「ホウ、怪奇探偵は廃業かね・・・?」

 「いまの世の中、怪奇だけじゃ喰えないでしょーが!!」

 スズキくんは怒りと共にシビアな現実を叩きつけた。

 「あんたが悠長に二週間掛けて自宅で行方不明の本の捜索をやってるあいだに、こっちは職安かよって、職安かよって、また職安かよって、ジョリーズでパスタランチ食べて、また職安かよって・・・」

 「しっかり、喰うものは喰っとるじゃないか。」
 おやじは呆れて呟いた。
 「これが現代日本の貧乏というものか。」

 「貧乏、貧乏、言うなッ・・・!!
 フリスキーモンプチ、喰わすぞ!!」


 カッと目を見開いたスズキくんは、数秒間静止。ふと我に返り、着席した。まだ息が荒い。

 「ハァ・・・ハァ・・・フハァ・・・。
 ・・・あんた、他人をキレさせる天才だな・・・。」

 「唯一の特技です。」

 おやじは肩を聳やかした。「よく生きてるよな自分、と感心しきり。本日モ反省ノ色ナシ!」 

 すかさず、ドーーーンと書籍を懐中から取り出した。眉毛が限界まで吊り上がり、顔面が倍以上のサイズに膨らみ破裂寸前。

 「そんな哀れな失業者に贈る、本日のお題はコチラ!!いつかやろうと企画していた、構想十年、獣姦ネタで勝負・・・!!」

 「エーーーーッ?!」

Img_00010020


 おやじ、急に真顔に返り、付け加えた。

 「当然、18禁じゃ。よいこは見ちゃ駄目じゃぞい。」

 「なァーーーにが、“駄目じゃぞい”だ。そんな年寄り、見たことないわ!!!」

 スズキくん、ひとしきり怒りをぶちまけると、ふと真顔に戻り、

 「・・・しかし、なんでまた、今さら、獣姦なんですか?
 確かに数年前、獣姦専門マンガのアンソロジーが一部業界でかなり話題になりましたし、男優さんの代わりに動物が出演する牧歌的AVもコンスタントにシリーズを重ねてましたけど。
 最近、どうなんですかね?」

 「ぐぐぐ。
 さすが情報は適確だな、元・怪奇探偵。」

 「元、言うな!!」

 「きみの指摘どおり、ブームの牽引を担っていた一水社の例のシリーズ最新刊『獣 for Essential10』は、2010年5月28日に発売され、その後は途切れている。2004年から年1~2冊程度のペースで刊行されてきたロングランシリーズだが、此処に来てあまりにニッチ過ぎる性格の特殊ムックに、なんか出版社側でも乗り気じゃなくなったような感じだな。
 ま、売れなきゃ、当然本は出せないからね。ブームはとっくに沈静化してるようだな。」

 「“獣姦の灯を絶やすな!”とかいいませんよ、ボクは。」

 「ちなみにバックナンバーはAmazonか楽天をハシゴすれば、全冊新刊でコンプリートできるようですよ。お早めに!」

 「・・・誰に薦めてるんですか?誰に?!」

 「さて、そんな一時期は過熱気味だった獣姦も、すっかりブームも終わったようだし、このブログでも安心して扱えるってワケだ。
 流行りモノってなんか、恥ずかしいじゃない?」

 「流行りモノでなくても充分恥ずかしいわ!!!」

 おやじは頭を掻いた。
 
 「・・・たしかに・・・」

 しかし、急に表情を変えて、吠え出した。

 「だがな、実際読みもしないでマンガの何がわかるってんだよ?!
 手にとって、読んでみて、それで初めて語れるってもんでしょーが!
 まったく知らなかった未知のジャンルでも、実は抜けて抜けてしょうがないかも知れないじゃないか?!
 
あるいは、思わぬ感動が隠されているとか・・・」

 「エ、抜きたいんですか?」

 「むむ、真面目な話、マンガ単体で抜けるのは二十代ぐらいまでって気はするんだけどね。類型的表現に陥り易いし。最初の感動は持続しないよね。
 おやじ化が進むと、生産力自体に問題が生じるから、どんどん高濃度なエロじゃないと反応しなくなる傾向もあるし。困ったことに。
 でも、どうせエロ漫画を読むんなら、常に抜く気で読め!!!って気はするんだよな。」

 「大きなお世話ですよ!
 ちっとも話が前に進まないから、強引に仕切りますよ!
 現象学的に見て、獣姦マンガの本質とはなんですか・・・?」

 「・・・そんなもん、現象学的に見るなよ!
 でも、まァいいや。正解を教えてやろう。 
 ドォォォーーーーン!!!

 “獣姦マンガの本質とは、オナニーマンガである”!!
 これ、正解!!!」


 「ええーーー?」

 Img_00020021

 「・・・まんこ、しっかり描かれてますが・・・」
 
 「なァに、気のせいだ。
 それよか、ホレ、このコマ見りゃァ一目瞭然でしょーが?
 コミニュケーションが成立しない相手とのセックスは、常に変種のオナニーに過ぎないんだよ!
 相手が犬だろーが、猫だろうが、熊だろうが、猿だろうが、オオアリクイだろーが(※吾妻ひでお)、セミだろーが(※日野日出志)同じこと!
 異種族間恋愛なんて一種キチガイの妄想に過ぎないのは、きみも同意するだろ?」

 「はァ・・・」

 (このために“絶対連れて来い!”と、おやじに念押しされたのか・・・)
 と、スズキくんは膝の上で愛猫を撫でながら苦い顔をする。

 「でも、意思が通じているような、いないような。気が変わると、プイと何処かへ行ってしまう。気まぐれ過ぎるところが猫族全般に漲る魅力だとボクは思うんですが・・・」

 「そこには、つまり、明確な一線、距離が存在するよね?」
 おやじは、久々に理屈っぽい一面を全開に出来て、ニコニコ顔だ。
 「性交の本質は、融合と離散のプロセスである。双方の距離の消失を着地目標とし、融合しようとする運動であり、当然ながら失敗する。失敗を運命付けられているとも云える。」

 
おやじ、何かに取り憑かれた表情で喋り続ける。

 「距離を埋めるものが、言葉だ。精神による代償物だ。融合とは決して突起物が凹面に嵌り込むことばかりではない。なにかを分かり合うこと。相互に共有、共感すること。
 オナニーとセックスを分かつものがあるとしたら、それはコミニュケーションの存在ではないだろうか・・・?」

 「ちょっと話に飛躍が過ぎますけど、まァ、おおむね理解は出来ます。
 一見セックスに見えるものが、“お互いの身体を使ったオナニー”に過ぎないケースがあるとかいう、話を拡げて言うとそういう感じですかね・・・。
 あー、もう、なんか、渡辺淳一が日本橋の料亭でしそうな話で嫌になる(笑)」

 「・・・(笑)。
 今回取り上げてるこの本の作者によると、“元々SMモノとか触手モノとか好きだったから、編集部から依頼が来て、獣姦モノを描くことになったのは抵抗なかった”つー話なんだけどね。
 最近のエロ全般、妙にジャンルの細分化が進んだ弊害からか、本質的には同じでも別種の括りとして存在しているものが多数見受けられますな!」
 
 「オナニーに、触手を使うか、ゾウアザラシの舌を使うかの差異に過ぎない。
 ・・・ってだけの話ですか。一応、納得しときます(笑)。
 なんか、この件、早々結論が出ちゃったんでおしまいにしますか。あんまり続けても発展性のない話になりそうだ。

 あと、何か言い残したこと、ありますか・・・?」

 「この本は作者の最初の単行本だったらしく、ごく普通の熟女・幼女モノも数本、それから巻末にはそれより初期に描かれたらしき暗黒耽美系の短編も一本入ってるんだ。
 この最後のヤツは、手加減なしの凶悪さでね、
 大陰唇を日本刀で斬り取り人面犬のペニスの根元に捲く、
 というK点越えの鬼畜描写が素晴らしかったですよ。サービス満点。最悪の趣味だね。」

 「獣姦、まだしもノーマル、ですね。」 

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2012年9月24日 (月)

国北瑠璃『誰にも秘密よ、エンジェル!』 ('91、一水社)

 「聞きたくてウズウズしてるくせに、ちょっと他人には尋ね辛い、SEXのすべてについて教えましょう!」ーウッディ・アレン

 この不器用なSMマンガが語っているのは、煎じ詰めればそういった内容であり、描き手の技術的未成熟さ・ぎこちなさがゆえに、結果として真実の側へ一歩踏み込んだ表現がなされている。
 われわれは何に欲情し何を忌避するか。道端に吐き掛けられたゲロ。だが、その中に倒れこんで動かないのが若い裸女だったら?幼女だったら?熟女では?髭の紳士だったとしたらどうだ?
 しかし実のところ、対象はまるで重要ではないのだ。
 巨乳マニアを自負する人達がいる。貧乳に拘る人がいる。対極的に見えて、これらは同じコインの別々の側面を語っているに過ぎない。
 特定部位への固執。ミノが好きか、ハツが好きか。だが焼き肉屋のテーブルで饗されれば、人はどちらも喰うのである。本当に腹が減っているならば。自然にそうしないのは余程のひねくれ者だけだろう。

 重要なのは、人はなぜ焼き肉屋に入ろうなどと決意するのか。その一点である。
 そもそも、焼き肉屋とはラーメン屋ではないのだ。「たまには焼き肉でも・・・」ということか。あるいは、今日は焼き肉でなくてはならない絶対的な理由があるのか。
 人を焼き肉屋へと駆り立てるものとは何か。
 ソフォクレスですら語らなかった恐るべき真実が、このマンガには超適当にだらだらと記述されている。それを紐解くのはすべての学究の徒に託された使命である。

【あらすじ】

 本書は三篇の物語によって構成されている。
 しかし登場人物の設定、年齢、性行為のバリエーションとも被る箇所が多く見受けられ、実は同じ物語を執拗に反復しているのだと理解しても差し支えがない。
 国北にとって何より切実に語りたかったモチーフとは、「彼氏のいる女が・彼の友達に強制的に犯され・欲情し・彼の友達に惹かれていく」という三角関係の縺れそのものである。腐ったドリカム編成。だが現実の社会でまま起こっていることだ。
 しかし、こんな単純過ぎるテーマで単行本一冊まるまる持つのか?
 持つのである。
 国北はこの微妙に倒錯的なオブセッションに憑かれ、鼓舞され、悩み苦しみ、そして明らかに発情している。先ほど私は「対象はまるで重要ではない」と述べた。人は妄執に突き動かされる魂の乗り物である。きみの欲望の矛先が向かうのは、環境によって、外在的に内在的に齎された偶発要因に過ぎない。
 先に言っとく。
 欲望に選択の余地などあるものか。それが欲望だ。

    ※     ※    ※

第1話、「キッコーシバリでロマンスをッ」 

 狐の面をつけた少年は「狐さん」と呼ばれている。年齢は大学生くらい。働いてる節はまったくないのに都会のマンション悠々一人暮らし。

 物語は、そのマンションから一歩も出ない。(正確には一歩出ようするが、止められる。他所のお宅に迷惑が掛かるといけないから。)
 さらに恐ろしいことを申せば、背景として窓やドアから当然見えるだろう外界の描写がまったくない。これは注目すべきところだ。ディッシュ「リスの檻」か。
 注意深く観察するなら、こうした空間の断絶は作者により明確に意図されたものである。
 勿論意図的に省いたというより、“描けなかった”“描写する能力がなかった”が正解だろうが、物語の本質に関係ないものは一切描かなくてよい。余分なディテールは邪魔なだけだ。
 例えばこの作者が谷口ジロー並みの描写力と執拗さを持っていたとしたら、この物語に何か欠かせざるエッセンスが付け加えられていただろうか?
 否。断じて、否。物語は見えるがままにしか存在しない。世界には見える範囲の奥行きしか与えられていない。それはとても重要なことだ。

 「狐さん」は、親友「エンちゃん」の彼女である「肉子ちゃん」に惚れている。

 これが人間関係の基本図式。それ以外には何もない。

 この三名は閉じ込められた狭い空間の中にひしめいている。「狐さん」「エンちゃん」を緊縛し、蝋燭を垂らし鞭で打つ。カレシを奴隷として貶めることによって「肉子ちゃん」の歓心を買おうとするのだが、この迂遠な告白は「肉子ちゃん」には受け入れがたい。
 かくて、レザーの拘束具で胴を締め付け、乳房を持ち上げた女王様が股間にディルドーを屹立させて登場する。彼女は一種のクリームヒルデの復讐として「狐さん」を先ほどのカレシ同様に荒縄で縛り、熱蝋を浴びせかけディルドーをしゃぶらせる。純粋に屈辱を与える行為として行なわれているそれらに反応し、次第に興奮し固くなり始める「狐さん」のペニス。
 状況が収拾つかなくなり始めたところで、「エンちゃん」が自ら拘束から抜け出し、サングラスをかけたS男として物語をリードし始める。(ここで語られる物語とは性行為そのものであり、他の意味を含まない。)逆の懲罰として、「肉子ちゃん」は縛り上げられ、鞭で叩かれフェラチオを強制される。張り型を使った衆人環視でのオナニー。遂には1ℓのグリセンリン液浣腸を打ち込まれ、我慢できずに「狐さん」の目の前で排泄してしまう。
 お湯で腸洗浄をし、きちんとアフターケアする「エンちゃん」。
 
 「さァ~て、それじゃ次はきれいになったアナルを、「狐さん」に犯してもらうかァ!!」
 
 「エッ・・・?!」

 股間を限界まで膨らませ、それでも表面上体裁を取り繕おうとする「狐さん」。
 その耳元に唇を寄せ囁く「エンちゃん」。

 「いいよ、ヤッちゃって。
 好きなんでしょ、肉子のこと。」

 
「あ・・・悪魔か、おまえはッ!!」


 かくて「狐さん」のペニスは「肉子ちゃん」の腹腔に挿入され、肉体的に繋がることによって心理的な距離は消滅し、両者に共犯関係が成立する。そこへ、結果としてフィクサー役を務めた「エンちゃん」が乱入し場面は一応3Pとして展開するが、作者の眼目は憧れの「肉子ちゃん」と偶然ヤレて嬉しい「狐さん」の心理状態の追跡だ。
 3Pの本質とは、2Pの連鎖。コンボである。
 これがこのマンガの結論なのかも知れない。特定の誰かをひたすら求める気持。他人に対する欲望はまったく際限がない。見方を変えれば、「肉子ちゃん」にとって終わらない三角関係はひとつの理想。あちらに惹かれ、こちらに抱かれ。果てしなき欲望。
 終幕は後日談、再び「狐さん」の元を訪れた「肉子ちゃん」たちがスポーツバッグから浣腸器を持ち出したところでお終いとなるが、そのコマに被せて以下の文字が“The  End”の如く記載されている。 

 “UNLIMITED.”


第2話、「笑わない夕べ」 


 吾妻ひでおの純文学シリーズを思わせる掌編である。
 真夜中、浴衣一枚の下は裸で、男の部屋を訪れる少女。背景は土蔵のような、旧い旅館のような。状況説明は一切ないし、ついでに言えば、アングルで断ち切られているのでここに出てくる男には顔がない。
 
 「見て・・・」

 格子窓から差し込む月光の下に、全裸の身体を転がす少女。

 「だァめ。女の子がそんなことをしちゃいけないよ。」

 優しく浴衣を着せてやると、自分の寝ている布団の反対の隅に寝かせる男。わざと背中を向け、このまま眠るように諭す。
 彼女の内心の声。

 (なんだか、私、責められてばかりよ。)
 
 ここで背景に描き込まれているのは、縄で拘束された少女の両手だ。

 (あなたが、私を嫌っている理由・・・たぶん、私は知っているのだけれど・・・。)

 少女は自ら剥き出した乳房を、股間を眠る男の背中に擦りつけ、呻く。

 「ねぇ、お願いよ。
 して!
 したくてたまらないの・・・!」


 「・・・だめだよ!」
 押し殺した男の声には、まだ少年の響きがある。

 「前にもしてくれたこと、あったよね?
 こんなこと、なんでもないことだって言ってくれたじゃない?
 うそつきね。」


 (・・・本当は、そんなに嫌がっていないこと、知ってるわ・・・。)

 遂に布団から起き上がり、やがて激しく闘魚のように肉体を絡めあう男と女。
 行為の後、少女は荒い息を吐き続ける男の耳元に囁く。

 「ねぇ・・・わたし、ねぇ・・・」
 「・・・ん?」
 「もう、いやだな・・・」

 
「・・・なにが?」

 「ううん、わかんない。なんでもないわ・・・。」


 以下ナレーション。
 
 (私があなたの思いを知っているように、あなたは、きっと私の言葉の意味を知っている。
 それだけでもう、いいの。いいの。
 いいんです。)


 この物語は何だろう?

 誰それが誰それを好きで、誰それは実は誰それとつきあっている。驚くほど不毛。絶対にプラスに転ぶことはない、碌でもない相関図。
 しかしそれこそが快感を生み出す源泉であり、主人公が常に拘泥され続けているもの。
 じゃあ、単純に「終わらない三角関係って最高よ!」と言い切れるかというと、そんな自信は全然ない。っていうか、世の中的に見てかなりまずいでしょ。その考え。100%突っ込まれるわ。自身でも積極的に肯定する気には到底なれない。
 ここでの登場人物達は全員、親も友人も近所の人とも切り離された孤児の様な存在であり、お互いの肉体交渉によってのみ辛うじて自己確認し合っている。芽生える快感と憎しみの感情だけが真実。従ってそれは近親憎悪に極めて近い性質を持つ。
 かなり特殊な人びとに見えて、実はわれわれのよく知っている人たち。
 ここに展開するのは、そういう寄る辺なき孤児たちのロマンなのだ。
 自由恋愛の喜びとは、概してとても不自由なものであり、時に苦痛を伴なう。そういうことかも知れない。

 誰か、お願い。あたしを止めて。

 こうして壊れてしまった人々をわれわれは知っているし、不安定さと無縁の生活を送っているくせに容易に崩れ落ちてしまう脆さをせっせと蓄えている者たちもいる。日常は常に崩壊の一歩手前にあるので、人はそれを隠そうとする。
 いつもと同じ電車に乗る。いつもと同じ顔と出会う。

 
第3話、「闇に抱かれて(前編・後編)」 

 本書で一番の長さを誇る短めの長編(ノヴェレット)であり、これまで述べてきたモチーフがすべて結実する渾身の力作。従って、話の解決しなさ加減も天下一品。終始、うだうだします。
 でも、安心して。これ、SMマンガだから。
 やってる行為は本当えげつないし、そこに躊躇はないから。

 舞台は日本家屋の一軒家。美緒子ちゃんは古典的セーラー服の女子高校生だが、なんでかカレシしゅうちゃんの家に居候中。なう。
 事情はさっぱり解らないが、この家にはしゅうちゃんの友達・文夫も棲んでいて、三人は同居生活を送っている。これで揉めない訳がない。絶好のロケーション。
 
 物語はいきなり、学校から帰った美緒子ちゃんがハードにオナっている場面から始まる。

 おまえが好きなの好きなの
 全部入れて ここに入れて
 ハァハァ荒い息を耳元できかせて
 私のことを好きって言って
 ぎゅっと抱き締めていて 顔を見せて
 おまえのそういう顔が好きなの


 キプリングの叙情詩より数倍人の心をうつ見事なフレーズの連続。こういう直裁的かつ下世話な独り言をブツブツ繰り返しながら、指を入れたり出したり、つねったり抓んだりで今日も美緒子ちゃんはイッてしまわれるのでありました。
 最近すっかりオナニーづいてる美緒子ちゃんでしたが、その原因はあいつにあるのでした。
 ある日、突然あたしを犯したあいつ。
 たった一回っきりの出来事だけど、信じられないくらい、すごくよかったあいつ。
 あいつは、あいつは、大変装・・・!


 あの体験を思い起こすたび、美緒子ちゃんの繊細な指先は股間に伸びて、くちゅくちゅと音を立てるまで花びらいじりを止められない(おぉ、ヴィクトリア調の表現だ)のでありました。
 さてさて、オナられた後の美緒子ちゃんは疲れて眠ってしまわれます。
 いつの間に辺りは暗くなりまして、すっかり夜。この家の持ち主、しゅうちゃんがお仕事から帰って参りまして、だらしなく寝ている美緒子ちゃんを見つけて怒ります。

 「おまえ、なにやってんだよ?
 寝るんなら、自分の部屋行って寝ろよ。」


 「ねぇ、しゅうちゃん。あたし、やっぱりあの子と一緒に住むのイヤよ。」

 脈絡なく突如シリアスかつハードな話題を振り始める美緒子ちゃん。
 アタマん中には、あいつのアレのことしか入ってないんだから、しょうがありません。毎度のことなので無視して、カップヌードルを取り出しお湯を入れとうとするしゅうちゃん。
 (※本編とたいして関係ない注釈=コマ奥に描かれたしゅうちゃんの持つカップには、わざわざ“カップヌードル”と最小クラスのフォントで写植が打たれている。乗り物図鑑に“しょうぼうじどうしゃ”と名前が書かれているのと同じ理屈。作者が下書きの消しゴムがけを忘れていたのを編集が律儀に拾った結果か。それとも、そこに何か深遠な意味でもあるのか。・・・ないな絶対。)
 
 「じゃ、出てけよ。
 ここは、オレの家であって、おまえの家なんかじゃないんだからな!」

 「それ、お湯、入ってないもん。」


 慌ててポットを見直し、ゲーとなるしゅうちゃん。

 「あたしがいなくなったら、誰が家事やるの?困るの、しゅうちゃんだよ。」

 身体を寄せ、核心に入る美緒子ちゃんは、しゅうちゃんの留守中に文夫にレイプされた件をカミングアウト。喋りながら、どんどん発情していきます。
 しゅうちゃんは、冷静極まりない人ですから、この女が語りながら、告白することで性感を得ている事実を知っています。セーターを捲り上げ豊満な乳房を剥き出しにすると、せっせと責めに入るしゅうちゃん。

 「いーじゃん、おまえ誰とでもやりまくってる女だろ?
 よかったじゃん、やってもらえてさァ!!」

 「あああんっ、昔のことだよ~・・・今はしないもん、そんなこと・・・」


 「こぉの、インラン!」

 「あぁ、もっと、言って・・・」

 ぴちぴちのジーンズを脱がし、濃い陰毛を鷲摑みに性器を責め出すしゅうちゃん。潤い出した花弁へ素早く挿入。全開で狂い出した美緒子ちゃんは、喘ぎながら、でも目ざとく襖の向こうに蠢く気配を捉えます。

 「ちょっと・・・!文夫、そこにいるんでしょう・・・?」

 「あ・・・ごめん・・・」


 バイトから帰ってきた文夫は、律儀に謝ります。

 


(つづく)

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2012年6月 9日 (土)

天城鷹雄『猟蝕夜』 ('88、フランス書院文庫)

 奇妙な小説。常軌を逸した人々が次々と出てくる。ポルノと考えても相当に変だ。

 例えば、ここで展開される性行為は、全部が全部、アナルセックスのみ。「なんでやねん!」と突っ込みたくなるくらい、尻穴限定で拘ったセックスばかりが連射され、前の穴は殆ど使われない。
 不良高校生が学友の母を犯すときも、姉弟が近親相姦に及ぶときも、アメリカ帰りの淫らな叔母が少年の筆おろしに一肌脱ぐ場合も、なんでか全部がアナル中心の展開。尻穴重視。ある意味、一穴主義。
 ときどき何かの間違いで前門に突っ込んでしまう場合も見受けられるが、所詮前菜アペリチェフさ!といった軽さで本筋へと回帰し、常にアナルで見事にクライマックスを迎えてエクスタシーに浸る。
 どんな年齢層だろうが、どんな社会的地位の持ち主だろうが決まってだ。(レズもアナルを責めてます。)
 なんだ、これ。初読で軽い眩暈を覚えた。

 『猟蝕夜』は、七つの短編を収めた短編集である。以下に参考までに表題をあげる。

 叔母の媚肌を猟れ
 蝕まれた隷肛
 姉と弟・狂った夜会
 人妻は禁猟に歔く
 腐蝕しはじめた貞操
 母と娘・淫色の夜
 情欲の猟蝕夜

 どれも一貫したある趣向性の感じ取れる素晴らしいタイトルばかりであるが、淫猥かつ奇怪な漢字を暴走族の団結旗並みに掲げる大時代主義は、作者がご高齢での執筆(一説に60代)からくるものらしい。
 私がこの本を初めて手に取ったのが20代そこそこで、随所に漂う老人臭さに奇妙な違和感を覚えた記憶が鮮明にあるから、まァ全般にジジイの狂った脳内妄想の垂れ流しの内容と考えて無理はないとしても、この本の魅力はその狂い加減の絶妙さが不可解なインパクトを生むレベルにまで達しているところにあるようだ。

 既に言及した通り、シチュエーションと登場人物はそれなりにバラエティーに富むよう配慮が為されており、我が国のエロ常識的に重要と思われる「レイプ」「義母」「近親相姦」「初体験」「未亡人」「土方と若妻」といったお馴染みのキーワードで括ることが可能な物語がそれこそコンビニ的編集方針によって一貫して配列されている。
 ここら辺は、大衆の下世話な欲望を汲み取るのに人一倍熱心なフランス書院編集者のいつもの仕事なんだろうが、ジジイの性欲と拘りはそれを凌駕する程強力だった。

 何に拘ったのか、って?
 ハッキリ書きますね。

 反社会性への飽くなき追求、です。
 
嘘みたいだが本当だ。こいつは性の世界のイージーライダーなのだ。
 以下実例を挙げて解説する。

【あらすじ】

 アメリカ帰りの叔母・亜矢子のマンションへ英語を教わりに通う16歳の少年・正明は、授業中暴発の危険があるので、とりあえず自宅の風呂場で一発ガス抜きしてからバイクに跨る習慣だった。これは交通法規上も安全な処置である。(但し妄想対象はもっぱら叔母。)
 しかし、敵も手ごわい。
 「ふーーーん、童貞くんかァー・・・どう、あたしのヌードが見たい?」
 口の中がカラカラに干上がって返事に詰まる少年。
 「じゃ、着替えてくるわ。」
 隣室に消える叔母。待つこと暫し、戻ってきた叔母は依然として着衣。
 「気が変わったの。裸になるのはやめとくわ。」
 ガックシへたる甥の目線の先に投げ出される夜着。
 ネグリジェの下は拘束具。胴を無理に締め上げ、隆起する豊満な乳房。明らかに反則。
 
奔放な叔母の誘惑に乗せられた正明は、のっけからスパンキング、マリファナ、アナルセックスの強烈コンボを体験。そりゃ翌日から工業高校に通うのも嫌な状態になるわなー、と思っていたら、突然叔母さんアメリカへ去って行っちゃいました。号泣。(「叔母の媚肌を猟れ」)

 いつも一人息子を苛める高校の番長は、有名大学の理事長の息子で大金持ち。裏口入学斡旋と引き換えに、性の奴隷になることを決心する未亡人母・夕子。一緒に京都へ旅行し祇園公園で軽く立ちバックをキメる。
 
事後に入ったパチンコ屋で出球残らず吸い込まれた番長、通りすがりのチンピラを凶気を孕んだ視線で睨んでボソリと、
 「あ~、喧嘩してぇなァ~」
 「やめてよ・・・それより・・・」
 ギクリとした夕子、着ていた和服(ちょっと乱れ有り)のヒップに手を導いて、
 「尻は待っているわ」
 このキメ台詞で完全にアドレナリン沸騰状態になった番長、途中の薬局でイチジク浣腸を山ほど買い込み、連込み宿へレッツゴー。毛穴全開で浣腸を買う番長に店員もお手上げ。夕子もノリノリ、契約愛人という立場を忘れて、ピシャピシャ尻を叩きながら即興で一曲披露する。(曲調は演歌風。)
 「尻よ。尻よ。京都の夜は、尻の夜。
 京都で尻を犯されて、夕子は淫らな女に堕ちていくのだわ・・・」
 
 
この後狂った物語は更に加速し、東京へ帰ると自宅で連日続く牛乳浣腸責め。成り行きで息子と強制セックス。二人目の契約愛人志願が登場し番長の関心がそちらへ移る頃には、夕子と息子はすっかり近親相姦に夢中。なんでも熱心なのはいいこと。毎週土曜日を「ソドム愛の日」と勝手に制定し、受験勉強の傍ら異常性愛のレッスンに熱心に取り組む姿が逆に微笑ましかったりするのであった。(「蝕まれた隷肛」)

 「はァ~い、ヒデ坊、いる?」
 
60年代のラリパッパ娘の感覚で京都に下宿している大学生の弟を訪ねた美貌のOL・理恵であったが、ヒデ坊は空手部の先輩・山賀に背後から肛門を責められている最中であった。
 「な・・・なにしてんのよ、アンタたち・・?!」
 「姉さん、見ないでくれ」
 「見てもいいぞ!」

 
他人の視線も気にせずに、あくまで抽送を止めない豪快過ぎる男・山賀は、素手でビールの首を飛ばす空手の猛者だ。
 一度イカせた弟くんの身体がグッタリ崩れ落ちるや否や、脱兎の勢いで飛び出して、呆然とする姉の腹に強烈な拳の一撃を見舞うと、気絶した女をその場で犯し始めた。
 「あ・・・姉さんが先輩に犯されている・・・」
 そのまんまの感想を述べるばかりで性獣過ぎる先輩の行動に為す術もない弟、事を終えた先輩が帰ると、優しく姉を介抱しながらホモセックス以外のセックスをおねだり。
 
「ぼ、ボクだって一度くらい正常なセックスがしてみたいんだよッ!!」
 
姉と弟。充分異常だ。
 
その後ガチの正常位で関係を深めた姉と弟は、山賀の実家の隣にあるラブホに敢えて移動し今度は濃厚なアナルプレイ。
 「私を犯した男が住む実家・・・。
 憎い。憎いけれど、忘れられない男・・・」

 
って、姉はすっかり空手部にゾッコン。複雑な立場の弟。俺達、なにやってんだろ。
 先輩を東京までわざわざ招待し、自分の住む豪邸の庭でコーラ瓶をアナルに突っ込みその状態で実の弟と絡む、というインパクト抜群の超絶ワザを披露、熱烈レイプをアンコール。たまらず山賀もむしゃぶりついて、連日連夜性の狂宴を繰り広げるが、佳人薄命。数年後に不慮の自動車事故で先輩は帰らぬ人となるのであった。
 そして終幕、その墓を訪ねて線香をあげる理恵の胎内には、既に弟とのガチセックスで芽生えた産んではならない禁断の子供が宿っていた。
 ここで教訓。
 「やっぱり、セックスはアナル限定にしとけばよかった・・・」
 
根性で堕胎を決意する理恵だったが、顔は半分笑っていた。(「姉と弟・狂った夜会」)

【解説】

 ここには、物語を生産性のある方向へ転がすことに対する強烈な嫌悪が感じられる。
 
アンチロマンとか気取った意味合いではなく、社会的に認められる良いこと、立派なことに対する無邪気で純然たる抵抗。そういう意味で、この小説に描かれる性行為は、どれもスレスレを通り越した反社会的行為、立派な犯罪として成立しており、そこで重要なポイントとして犯される対象が予測しない快感に興じることによって共犯者と化していく点が挙げられる。
 「人妻は禁猟に歔く」に於いて、緑地公園の一角で通りすがりの人妻を犯し、「あなたは何者なの?」と聞かれた浮浪者・石谷は堂々と宣言する。

 
「社会不適応者や。体制側の人間やない。」
 「わしは一生、孤独な反体制の炎を胸に燃やして生きるんじゃ。」


 
そんな熱い述懐を漏らす男(常時カバンにドヤで仕入れたコケシバイブ持参)に、退屈過ぎる平凡な暮らしに飽き飽きしていた主婦は附いて行こうと決心し、物語は終わる。これがある種のファンタジーでなくてなんであろうか。ノー・フューチャーにも程がある。
 何発出しても子供が出来ないアナルセックスとは、反体制の象徴。
 
結婚できない姉と弟。去り行く叔母。社会の枠組みの中では生きられない乱暴者。ヤクザ。地下の秘密SMクラブ(「母と娘・淫色の夜」)。
 正常な家庭を持つことも出来ないし、日常に染まることもない。あるのは激しい情欲と社会性全般に対する嫌悪。退屈な日常を塗りかえろ。
 この高度管理社会に何らかのルサンチマンを持つ者が、生き難い思いをしながらそれでも敢えて生きていこうと決意するプロレタリア文学の一種の変形としてこれらの作品を捉えることが出来る。

 ・・・が、実のところ、アナルが好きで好きで堪らないジジイのたわごとという気も(笑)。

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2012年4月22日 (日)

ほりほねさいぞう『ニクノアナ』 ('04、一水社)

 特殊な趣味のマンガというのは目を凝らせば書店の隅に埋もれているもので、興味本位に単行本を購入して来ては「ウゲッ!」と言ったり、「げろろ!」と呻いたりしている。

 既に別記事で書いたが、私はマンガを雑誌掲載で追わないタイプだ。面倒臭がりなのである。
 では、どうするかというと、勘で単行本を引い抜いてきて一冊まるごと読む。雑誌でよくある連載の引きというのが嫌いだし、そもそも16ページ一話こっきりでそのマンガの値打ちが正確に測れるとも思えない。伏線もわからないし、展開だって目まぐるしい。だが、不思議なことに。
 例え大河巨弾連載で巻数が何巻積み重ねられていようとも、単行本一冊分くらい読めば、だいたい何か解った気になってしまうのだから、いい加減なものである。大して、変わらんだろうに。
 自分の読書ペースに一番合っているのが、マンガの場合、単行本一冊分ぐらいだということなのだろう。キャパ、ちいさっ。
 そこで、一冊読んで、なにか拾い出してみて、さて、では記事を書こうかなーっと、毎回こういう段取りになっているわけだ。私の頭の中では。

 世のエロマンガには、実のところ、二つの種類しか存在していない。
 使えるマンガと、使えないマンガと。


 ほりほねさいぞうのマンガが後者に属することは最初から明らかであるが、アメリカ型経済の原則に反し、使えないマンガが即無価値と判定されるわけではない。
 ここがマンガの面白いところだ。ひばり書房だって、恐怖マンガとしてはまったくダメじゃないですか。でも別の意味で凄い。興味深い。面白い。
 エロマンガ界でいえば、町野変丸・町田ひらくとかの系列ですかね。町、町の連続ですけど(笑)。実用性以外の方向へ最初から転げ落ちてしまっている作家さんたち。
 偶然にせよ故意にせよ、ふとした思考のやばい部分を拡大して作品にしちゃってる感じ。詳しくはまた別に取り上げますけど、なんかね、脳内に空白地帯をうっかり見つけてしまったような怖さがあるんですよ。読んでない人にはわかりにくいでしょうが。
 でも、これからオナニーしようとしている中学生的には全然関係なくて、最低のキモキモ野郎なわけでしょ。
 意味わかんねぇし。
 そんなの、実際求めてねぇし。


 だが、世のマンガが機能だけで単純に割り切れるようだったら、とっくにマンガ産業なんか滅亡してたって思いますよ。膨大なコンテンツを後に残して。
 オナニーしたい人にはオナニーマンガを、料理したい人には料理マンガを。
 これは商売の考え方として基本で、1mmも間違ってないですけど、それが事の全てではない。そんな甘い料簡で『包丁人味平』が出来ますか。
 マンガというのはつまるところ、膨大な無駄の集積体なんだと思うよ。この世の汚穢が流れ着く場所。諸星先生的に言うなら、忌が浜ですよ。妖怪ハンター。マンガ家ってのは全部あれなんだと思う。
 余談ついでに電子書籍の問題が妙にクローズアップされる昨今の情勢だから敢えて申し上げておきますが、重要なのはアーカイブでもなければコンテンツでもない。
 一番大事なのは、まだ描かれていないマンガだけですよ。
 それを肝に銘じた上で復刻にいそしんで貰いたい。社長としては。既存の資産を食い潰すんではなくてね。お願い。

 さて、話が大分逸れた。
 ほりほね4冊目の単行本『ニクノアナ』には、巻末に作品リストが付属していて、この手のジャンルでは珍しいことだけど、'95年のデビューからこの本が出た'04年までの作品タイトルと掲載誌を辿ることが出来る。
 掲載誌・・・凄いですよ。ちょっと並べましょうか。

 【桜桃書房】
  「チェリームーンSuper!Vol.6」 「秘密の地下室Vol.2」
  「ねこ耳っこくらぶ2」
 【三和出版】
  「フラミンゴ漫画大賞作品集Vol.4」
  「アイラ・デラックスVol.22」
 【茜新社】
  「ラストチャイルド2 入院少女」
 【笠倉出版社】
  「小萌Vol.5」
 【東京三世社】
  「自虐少女Vol.10」 「コミックリトルピアス2003年1月号」
 【一水社】
  「暗黒抒情Ⅳ」
 【光彩書房】
  「知的色情Vol.3」 「Hのある風景」
  「イケナイ少年遊戯2」「manga純一 1998年6月号」
  「激しくて変Ⅲ」
   
 ・・・とね。知ってる本、ありました?あらま。
 しかし、どうです、見事に暗黒一色でしょう。書き写してて、なんかこっちも、どんよりしちゃいましたけどね。 
 これらは大半がオリジナルアンソロジー本の形態になっていて、なんでって、そりゃエロオンリーで連載転がして毎週毎月やってくのは至難の技な上に、読者様の知的レベルは最低ランクを想定しなくっちゃならない。抜けりゃOKってんだから。
 いきおいストーリー主軸ではなく、エロシーン主体の書下ろし短編が雑誌の基本となり、でも、それじゃ何の本だかわからないから、テーマアンソロジーみたいな括りを設けて売りを図る。
 エロ総合誌的な、なんでもありの編集はできないわけです。マニアの棲み分けは既に終わってしまってるんだ。
 いわば、人間の性癖の数だけジャンルが細分化され、対応ツールが存在しているのがエロ本の世界の基本構造。写真系も含めて。Dみたいなおむつ好きには、おむつ好きの専門誌が存在しているわけ。親切このうえなし。
 裏を返せば、これほど排他的な世界も、またとない。ロリはロリ、熟女は熟女。絵柄や世界観の根本が別物。なにも難しい話ではなくて、実のところ、70年代劇画にルーツを持つエロと、80年代アニメ絵によって描かれるエロの二種類しか存在しないということなんですが。
 でもそれですべてを割れないのが、ジャンルの奥の深いところ。

 先の如く掲載誌を並べていけば、ほりほねがどういう作家だかおおよそ大体はイメージできるかと思いますが、王道のノーマルな作家さんとは頭の構造がちょっと違う。
 へんです。
 それも、単純に分類しにくい方向に、へん。

 具体的にどこがどう違うのか、短編を一個紹介してみましょう。

【あらすじ】

 この世界に於いては、性器は自由にサイズを変えられるし、付けたり外したり、相手から貰って増やしたりできる。
 
 したがって、男女の区分も曖昧であり、チンコを体内に収納して女性器の如き形状に見せかけることも可能である。
 おっぱいも、念じれば膨らむ。他人でも、自分でも。意のままに。そりゃもう、部屋いっぱいになる大きさまで。意地悪して乳頭だけを異常に腫らすことだって簡単。頭より大きくだって。

 彼らの共通点は、稚く、幼いということ。
 そして、締め切られたマンションの一室で終始異常なセックスばかりしている。


 捕獲された少年が少女に先導されてマンションにやってくる。
 誘惑されついつい痴漢行為を働いたばかりに、少女の不可思議な能力によってチンコをホース状にぐるぐる伸ばされてしまったのだ。
 
登場1コマ目で、既に彼の性器はズボンから着ているコートの喉元を通って、少女の首に捲き付き、ちゅぱちゅぱと亀頭部分をおしゃぶりされている。ちなみに少女の左手は少年のコートのポケットに突っ込まれ、股間に伸びているから、睾丸周辺を執拗にいびられているのは確実だ。

 「ただいまー」

 少女は日常的な動作で扉を開けると、首にペニスを巻いたまま靴を脱いだ。

 「これ、もっと伸ばしちゃおっか?」
 「え?」
 「えーーーい、のびろ、のびろ、のびろ・・!」
 
 ずるずる伸びて数メートルの長さになり、床にとぐろを巻き出すペニス。少年は早くも悶絶し涙目に。何処までも伸ばされる快感に、びゅるっと射精。はっ。びく。びく。

 「ホラ、あんたのチンコよ。舐めてみる?」

 少女は肩にそれこそ消防士のようにペニスのホースを担いで、床に膝立ちになり発射後の余韻に喘いでいる少年に命令する。
 仕方なく自分のどろどろの先端部を口に含む少年。れろれろ。
 言うことをきかないと、伸びに伸びたチンコを元のサイズに戻して貰えないのだ。

 「じゃ、そこでズボンを脱いで。」
 「あい。」

 伸びたペニスを手綱のように引っ張られ、洗面所の方へ。角を曲がる途中で、何か異様に生暖かい感触が、見えなくなったペニスの先端付近を包み込んだ。
 慌ててお手洗いのドアを開けると、便器の上にしゃがみ込んだ下半身丸出しの若い女がまんこの中心部にチンポの先を突っ込んでいるではないか。ずぷぷ。

 「へー、可愛いの、引っ掛けたねー。」
 「いいでしょ?」

 成り行きで女と性交することになる少年。トイレの便器の上にしゃがんだ女なんて嫌だなぁー、と思うが、既に先端は膣内奥深く飲み込まれている。
 この女、よく見ると両乳首が異様にでかく膨らんでいる。どっちも腕ぐらいの太さ。うえぇ。気持ち悪。
 先方はまったく意に介さず、
 
 「長さ40~50cmにして、太くしてよ。」

 少女に細かいオーダーを出す女。応えて縮めて、太くなる陰茎。
 一見ノーマルな性描写に移行したかのように思われるかも知れないが、少年はたぶん小学生のチビ組か中一くらい。女はだいたい高校生くらい。子供をだっこする格好で対面立位とは異様極まりない。

 「いくよ。」

 あっさり言い放つ女。このへんのフラットな感じがたぶんこの作者の特性なのだ。流線による視線運動や、飛び散る汗・体液の描写は他の短編では登場するのだが、ここでは抑えられている。それはたぶん、異常行為の平明さを強調するためだ。

 「お風呂、ここ。」

 平然と隣の部屋の扉を開ける少女。少年を抱きかかえたまま女が入っていくと、その部屋には風呂桶からはみ出すレベルにまで肥大したチンコにうつ伏せに跨り、巨大すぎる両の乳首からからどろどろの母乳を噴出させているおさげの少女がいた。
 背後に廻った巨大チンコの持ち主の別の少女が、取り外した一本のペニスをディルドー代わりにケツ穴に突っ込んでほじりまくっている。

 「はひ。はひ。」
 「あ~、おかえり~!」


 風呂場を埋め尽くす巨大な肉茎を眺めて、少年が戦慄する。

 (えーーー?!なにコレ?まさか・・・チンコ?)

 母乳を垂らすおさげの少女が跨っているのは、ソファーのクッションみたいに巨大化した皺だらけのタマタマだ。
 膨張しまくった陰茎をクッションに寝かされ、

 「なに、コイツが今日のエモノ・・・?」
 「みたいよ。カワイイわよ、ホラ。」
 「コイツもきっとおっぱい似合うよ。つくろ。」

 服を捲くり上げ、胸を鷲摑みにされる少年。傍らの女が念じると、ぐぐぐんと膨らみ出す胸。たちまち乳房の形状に成長。
 少年の太くなったペニスを依然嵌め込んでいる若い女は、サディスティックな笑みを浮かべ、

 「乳首だけムチャクチャ大きくしよ。」
 「オッケー!」


 どどめ色の棒杭のように肥大する乳首。

 (あぁ~・・・)

 見つめる先に女の膣口に飲み込まれた自分の肉茎があり、ゴポゴポと音を立てながら白いあぶくを吐き出し続けている。

 (乳首大きくされて、射精している。きもちいい・・・)

 世慣れた諸君は既に御承知のとおり、世の中には自分の乳首を育てて快感の増大を追及するマニアの方々がいる。お手軽な吸引器が売られ、洗濯バサミ、ピアッシングまで含め、乳首の生み出すあらゆるファッシネーションをその道限定で極限まで高めようとあくなき努力を繰り返して、遂にはお天道様の下には決して出せない、ベロンと垂れて異様に肥大しまくった超イボ乳首を創り上げてしまう天才肌の職人たちがいる。
 (簡単に言いますと、彼等は決してプールには行けません。)
 さて、そんなマニアな乳首の快感を堪能、存分に射精し力尽きた少年は、これでやっと勘弁してもらえるかと思ったら、またも不思議な力でキンタマを巨大化され、たぬきもビックリの大型バランスボール状態となり、どくどくどく無制限に精液を放出できる珍しい身体に改造されてしまうのでありました。
 
 ・・・いい加減、コマを忠実に追いかけるのも飽きてきたので、後は適当にフォローするが、少年が異様な連続放出に陶酔している間に、傍らでは舌を肥大させて太く伸ばした女がレズりながら性器を舐め、外陰唇を尖らせペニス状に変形させた女がまんじゅうの如く膨らんだ肛門に挿入。女が女に突っ込み、少年がすっかり女化して責められ、性別の区分、受け手と送り手の立場も曖昧となり、3Pが4Pかそれ以上に連鎖、収拾がつかなくなったところへ近所の犯し屋のお兄さんたちが乱入。
 チンコを縮められ女性器の形状にされた少年は、見知らぬ男連中に犯し抜かれ、

 「あ、前穴の奥で縮んだチンコと、先端同士がごっつんこ・・・!」

 ブランニューな感覚に酔いしれ繰り返し失神、射精回数自己ベスト更新。翌日の昼ごろまで異常な性の遊戯に耽る羽目になるのであった。いと、おかし。

【解説】

 以上16ページ、あらすじも脈絡もないまま、濃厚かつ尋常でない性行為のコンボが噛み合わない最小限のモノローグの連鎖だけで押し寄せてくるので、初見では一体何が起こっているのかさっぱり解らない。
 異様なエロい事態が発生していることだけは理解できても、作動原理が人倫を軽く越えているため、読者は乗りかかった船をあっさり外され、海へドボン。「なんだこりゃ」感だけが妙に後に残る。絵柄は平均的で別に癖のあるもんじゃないんだけど。ある意味サービス過剰。
 通常のエロ漫画家がキメのひとコマ、それだけで抜ける究極のワンカットを目指してコマを進めていくものであるとすれば、ほりほねの方法論は性に纏わる様々な奇妙さを持続させる方向に全精力を傾けているように思われる。一回の射精が目的では無く、エクスタシーの持続、狂熱状態を如何に維持するかというのが最大の要なのだ。その為には性別のくびきも簡単に外してしまうし、人体だって容易に改造される。
 この本に入っているその他の短編では、腸内に食用の寄生生物を繁殖させている少年とその種付けをする少女との性交を描いたSFチックなものや、殺した同棲相手の身体から生えてきたペニス状の茸の群れに全身を侵略され精子のように肉汁を放出させながら菌糸の塊りに成り果て消えていく女の末路を描いた、伊藤潤二を髣髴とさせる微妙にホラー寄りのもの、あるいは妻の体内の寄生虫をお湯に浸して切れぬよう引っ張り出して晩飯のおかずにする変態夫婦を描いたものなど、多種多様に嫌な感じのネタをクルクル使ってみせてくれる。
 そこに描出される風景の異様さ、奇妙な何にも無さ加減は、絵柄も相俟って黒田硫黄のようでもあるし、一連のガロ系マンガを容易に連想させたりもする。
 欲望に満ち満ちている筈なのに、妙に乗り切れない感じ。感覚が共有できなければ、それも仕方ないだろ。
  
 ともかく、持続する快感の探求。そいつは変態への早道だ。
 今日はこれだけ覚えて帰ってちゃぶだい。

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