超・神秘・映画

2018年8月12日 (日)

ウィリス・H・オブライエン『黒い蠍』 ('57、ワーナー)

 大きな黒いサソリが暴れる映画に、『黒い蠍』とタイトルをつける人は天才じゃないだろうか。そういう短絡思考の愚直さが、この映画をなんとも憎めない、可愛らしいものにしている。
 話をすっきりさせるためにハッキリ名指しで言いますが、嘘にまつわる映画だから『ライアー・ゲーム』。これじゃダメなんですよ。全然ダメです。わかりますか。この違い。
 同じじゃん!

 【あらすじ】
 メキシコで火山が噴火した!地元じゃたいへんな騒ぎになるが、そんな激甚災害発生のさなかに、さらに巨大な危機が襲いかかる。巨大サソリの襲撃だ!

 以上これですべてを語り尽してしまった。この映画、一時間半以上あるのに内容はこれだけ。本当にこれだけしかない。驚くべきコスパの良さではないでしょうか。
 大河ドラマもスピンオフも結構ですけどさ、一本の映画を本当に面白くするのは、シンプルで力強いワンアイディアだと思うよ。ちまちました話にはもう飽き飽きだ。やっぱひと言で説明できないと。

 そりゃあね。これ1950年代のアメリカ映画でさ、巨大アリが暴れまわる傑作映画『放射能X』の国民的大ヒットを受けて製作されたムシムシ大行進映画の一本ですからさ、いちおう出涸らし茶みたいな人間ドラマはありますよ。火山の調査に行った博士が、牧場主の娘のくせ馬に乗るのがど下手(ホントすぐ落馬する)のグラマーちゃんと恋に落ちる、もうどうしようもない話が添え物でついてきます。
 随所に挿入されるこいつらのラブラブトークが本当頭が悪すぎて、観てると知能がグングン下がってしまって心底どうしようもなくなるけど、まぁ、いいじゃないか!気が利いてるつもりで空振りばかりしているハリウッド脚本術って、本当クソだよね。いや最高じゃん。

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 あと、サソリの顔だよ。造形悪くて不細工すぎてもはやシュールアートの領域に入ってるこの顔が、白い泡噴きながら何度もスローモーションで迫ってくる。もううんざり。
 すごいね。これこれ。この退屈さこそが映画の本質だと思うよ。

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2014年9月15日 (月)

リドリー・スコット『プロメテウス』 ('12、20世紀フォックス)

 きみはもうとっくに観てしまっているだろうから、何を書いても構わないだろ?
 僕は最近とても不自由な生活をしていて、片腕がうまく持ち上がらないんだ。パソコンの画面をONにしていても、Yahoo!ニュースしか観るものがない。潜水中の樽のなかにいるようなものさ。空気を吸うことしかできない。大渦に揉まれて。

 無駄口をやめて『プロメテウス』の話を。
 これは『エイリアン』の前日譚みたいな話で、ひさびさに一作目のリドリー・スコットが撮るとか随分盛り上がっていた映画。
 “遥かな異星で人類の起源が解き明かされる!”とか、わかっちゃいたけど、とんでもないデタラメさ。人類を創造した神らしき種族は、確かに出てくるんだけど、
 「なぜ、われわれを創ったんだ?」
 と問い詰めると、逆上してキレて暴れ出すし。アンドロイドは相変わらず悪いことしかたくらまないし。船長は異様に男気があってイオン・エンジン抱いて特攻するし。ヒロインは下着一枚で腹かっ捌いた直後に砂漠の平原全力ダッシュをキメるし。
 はっきり言って、観たいものが全部詰まっている。
 リドリーの生涯最高の出来だと思う。


 だって映画愛ってこういうことですよ。むちゃくちゃですもん、この話。子供でも頭おかしいってわかる。宇宙船が縦に倒れてくるとこなんか本当凄いですよ。大爆笑もんですよ。ドリフのコントを大予算でやってるんだもん。キレイごとばかり抜かす『アバター』よかよっぽど夢の映像ですよ。
 なにが凄いって、コレ、『エイリアン』のエピソードに繋がりそうで繋がらないんですよ。前宣伝と全然違うじゃん。書いてるうちに脚本家がテンション上がり過ぎちゃったんだろーね。
 「敵の星に乗り込んで、皆殺しだ!」って、ワクワクする夢のある幕切れになってる。アメリカ人ってのは何世紀経とうが変わらない人種だね。いまどきスティーブン・スティルス出してくるセンスも相変わらずだしね。
 そのくせ、「宇宙、超おっかねーよ!!!」というスタンリー・キューブリック主義を全編に貫いているところは素直に好感が持てます。

 「宇宙、超怖ぇーーーよ!!!
 だって、空気が全然ないんだぜーーー!!!」

 
 この発言にうなづいた奴だけ、観に来い。そういう映画です。

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2013年9月21日 (土)

『盲坊主対空飛ぶギロチン』 (’77、ドラゴンフィルム)

 (SKYPE経由のYさんとの会話。)

 「盲坊主ってわかる?座頭市のことなんだけど。」
 『・・・ひでぇね。』
 「座頭市のくせに、中国人って設定なんだよ。5年前に日本の海賊に攫われて行方不明になった男。そいつが故郷の鳳凰村に帰ってくると、すっかり盲の按摩姿になってるの。変わり過ぎ。
 そんな変人が兄の仇やら義理の姉やらと擦った揉んだの末、空飛ぶギロチンと対決するんだ。』
 『あんた、その映画の存在、どこで知ったわけ?』
 「ドラゴン系の雑誌やムックに情報だけは載ってたんですよ。でも、確かに、現物が国内発売されるとは予想してなかったなぁー。遭遇したらもう観るしかない。そういうことになるじゃないですか。」
 『ふーーーん。で、結局面白かったんだ?』
 「微妙。
 画質も音声も最悪だし。そもそも、市のコスプレして無理やり白目剥こうとしてる(でも結構黒目がちな)男、そもそも勝新太郎じゃないですし。」
 『・・・へ?!』
 「日本のそっくりさんが主演。クレジット表記は“勝新太郎(そっくりショー)”。」
 『えっ?ソレってありなの?』
 「中国のディズニーランド方式ですよ。昔、台湾版のドラえもん単行本とか見たことない?手描きで模写が酷くて、オリジナルと化しているという。」
 『フツウ知らねぇよね、そういうの。普通に生きてるとね。』
 「あ、そう。
 話は30分のTV番組レベルだし、でもアクションシーンは割りとちゃんと演出してるし。飽きずに観終えることができました。ジャンル映画の残り滓の底力を感じる。お馴染み、空飛ぶギロチンもちゃんと出てきて活躍するし。鳩を落としたりとか。」
 『空飛ぶギロチン、お馴染みじゃないよね。明らかに。』
 
「そう?
 赤い中国帽の内側に刃物がザクザク仕込んであるキテレツ兵器なんだけど。投げつけて、スポッと相手に被せて、首を捥ぐっていう。内気な鎖鎌みたいなもんですよ。」
 『見たことないね。
 俺は武侠派の出身だけど、そんな武器使うやつ、まず見たことない。』
 「でも、一番びっくりしたのは、このDVD、売れ残りが中古屋に流出してきたのを拾ったんだけど、シュリンクかかってて未開封だったの。
 開けたら、ケースの内側に真樹日佐夫先生の小型ブロマイドが二枚も混入してあったんだよねー。思わずびびった。」
 『Oh、マキ!!×クザ!!』
 「普通なら絶対出せない筈のこういう映画のDVDがポロッと出てくるところに、未だ衰えを知らない、マキ先生の底知れぬ黒いフォースをビシビシ感じるよねー。
 素晴らしい。」

 (こういう会話が明け方5時まで続くのであった。以下略。)

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2013年9月11日 (水)

『蠅の王』 ('90、M.G.M.)

 いま観ると、フツーにいじめの話だなぁー。

 素朴な感想で申し訳ないが、「人間の内面に潜む闇」とかさ、キレイ事はもういいでしょう。2013年ですし。ゴールディングの原作小説、1954年ですよ。
 ガキってのは 放っとくとそこらに小便するし、セミ喰うし、女教師のパンティーの一枚も盗むような生き物ですよ。最低。でもそれが表沙汰にしにくいけど真実。

 それでも、この原作の「秩序のタガが外れた人間集団が何をしでかすか?」という一大テーマの発見は、本当に賞賛に値するものだったと思う。
 マンガでは『漂流教室』から『悪霊』『ドラゴンヘッド』に到るまで、映画では『食人族』『世界残酷物語』やら『ゾンビ』やら『ニューヨーク1997』『マッドマックス』まで、その発見の延長線上には巨大なマーケットが広がっている。
 オレは優れたヤマ師と見たね、ゴールディング。敬称“サー”がつくヤマ師。大英帝国にはいっぱいいますよね、そういう人。

 '90年の映画版は、そういう有名な原作の二度目の映画化で、割と忠実に原作の雰囲気を再現してくれてる気がします。(ごめん、中学の頃、集英社文庫版読んだっきりなんだ。勘弁してくんろ。)
 それでも、救難信号代わりの烽火に気づかず沖を無情に通り過ぎていく汽船が、映画ではヘリコプターになってたりとか、あと、たしか原作は実はSFで、第三次世界大戦の渦中に子供たちを疎開させる輸送船が遭難という設定だったのだが、今回の映画はそのへんまるっきり無視・・・だとか、細かい違いはあるにはあるが。
 まー、おおむね、こんな話ですよ。間違ってない。無責任に断言。
 さぁ、TSUTAYAで借りてきて、読んだ気になろう!

 ひとつ不満を。
 獣性も暴力も、野蛮への退行も描かれている『蠅の王』だが、無人島での少年たちの性生活はどうなっていたのか。実はあんまり描写がないんだ。
 絶対何かなんかあったと思うんだけど、それを正直にルポしていたら、ゴールディングはノーベル賞作家になれてなかっただろうし。ま、しょうがないさね。
 その欠落箇所を網羅した『蠅の王(完全版)』を次の冬コミに出品してくれるサークルを大募集します!がんばれ!時間はもうないぞ!

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2013年8月31日 (土)

テレンス・マリック『地獄の逃避行』 ('73、ワーナー)

 マリックさんが超魔術を駆使して、かのチャールズ・スタークウェザー事件を実写映画化。ちなみにマリックさんは百年に一本しか映画を撮らないので業界では幻の映画監督として恐れられています。で、これがそんな男のデビュー作。うひょー。
 今回ネタになってるスタークウェザーってのは、名前こそなんか80年代アニメっぽいですけど(『光子力原潜スタークウェザー』主題歌ア×フィー)、アメリカ殺人史に残る連続射殺魔さんのことですね。知ってんだろうけど。悪い人だよ。すごい悪い。憧れちゃダメよ。

【あらすじ】

 清掃局に勤めるキットは、とにかく人を撃つのが平気な男。朝鮮戦争に行ってそうなった。
 この特技を活かそうと、常に極限まで自分を追い詰める選択肢ばかりをチョイスする習慣を身につけることを決意。安寧なんか全部敵だ。コマンドーを見ろ。プレデターを見ろよ。奴らは毎日危険と向き合って生活してるんだぜ。
 危険だけがオレを輝かせるビジネスだ。
 手始めに道端でバトンを廻して遊んでいた15歳の女子中学生をナンパし処女をいただく。わお、リスキー。しかもその女がシシー・スペイセクだっていうんだから豪快だ。

 「カノジョがキャリー。」

 もう、これは職場でも学校でもモテモテの超人気ですよ。男子限定だけど。
 「エ、マジ?マジやってんの、あの女と?!」「スゲエ、よくできるなー!」
 「なんか勇気をもらっちゃいました!」

 こういう会話が飛び交う。しかもキットはジェームス・ディーンみたいな男の子として近所でも定評のある二枚目。この時点で凡人の理解をまったく越えている。
 カノジョの父親が交際に猛烈に反対してくると、面倒臭いのであっさり銃で射殺。おやじの職業は看板描きなんだけど、演じてるのがペキンパー『ガルシアの首』でお馴染み悔しい顔させたら世界一のウォーレン・オーツ。ホール&オーツの片割れですね期待通り今回も飛び切り無念そうに死んでくれます。
 そのまま奪ったおやじの車で逃亡。キャリーはなんかショックなんだかボケッとしているので、「一緒に来る?」と誘ったら附いてきた。変な女だなぁー。

 逃走資金なんか全然ないので、近所の河ッぺりに小屋をつくり、畑のメロンを盗み食いしたりニワトリをパクってきたりして、ガキ大将みたく隠れ住んでいたら賞金稼ぎ3人組に見つかっちまった。しかし、そこは従軍経験者。かねてより準備済みのブービートラップを駆使して返り討ちに。
 最後、逃げる男を迷わず背中から射殺。キャリーが質問する。
 「それ・・・なんか、ちょっと反則っぽくないですか?」
 「そこがいいんだよ、全然わかってねぇなぁー!」

 キットは'71年アカデミー賞5部門制覇した『フレンチ・コネクション』にかぶれていた。時空を飛び越えポパイ刑事に憧れていたのだった。やれやれ。

 でも、そろそろ此処もやばくなってきたんで、清掃局時代の知り合いの家に相談に行く。友人もやはり清掃局から足を洗いブタ飼いに転職していた。なかなか凄いチョイスだ。一生モテとは無縁だろう。さすがオレ様のダチ公と勝手に大絶賛。
 だがあろうことか、やつは裏切り通報しようとしやがった。チクショウ。射殺。
 偶然その現場へ訪ねて来た知人らしき男女ふたりも、地下の蔵に閉じ込めると二三発盲撃ちにして片付ける。行きがけの駄賃だ。とにかく銃弾を惜しみなくバラ撒く男を、中3の女はボケッと見ている。
 愛ってそういうもんなのかなー、とか思いながら。父親が死んでも泣かないんだこの女。

 キットは金持ちの家を襲ってキャディラックを奪い、州境目指して荒野へ出発。ちなみに此処はテキサス州。あぁ、やっぱりね。
 道なき乾き切った平原を突っ走る。途中で、だんだん逃亡に飽きてきた女(キャリー)と険悪なムードになるが、そこはそれ、セックス三昧でネゴシエーション。
 でも、さすがにアメリカは広い。キャデラック1台じゃ走りきれない。
 何日も走って、「いい加減お風呂入りたぁーい」とかブータレられ、逃亡もロマンもだんだんアホらしくなってきた頃、汽車が見えた。貨物列車はラクダの隊商のように揺らめく地平を通り過ぎていくのだった。乗りてぇなぁー。でも近づいてみると、只直線の鉄路が引かれているばかり。地平線まで停車駅の姿なんか見えず。汽車はさすがに丘蒸気じゃないし、超スピード出してるから、ホーボーみたくタダ乗りなんて出来ない。
 あぁ、もうグッドオールドデイズじゃないんだね。
 そういう諦観と郷愁がアメリカンニューシネマの時代にはしつこく漂っている。疲れと諦めの心地よい空気。夜更けにラジオから流れ出したナット・キング・コールに合わせてふたりが踊る場面は、なんかそんな感じだ。逃亡不可。あとは捕まるだけ。

 ここ数日碌な食べ物を口にしていない、と愚痴る女にキットが言う。

 「街に着いたら、ビフテキ食わせてやるよ・・・だからさ・・・」
 「あたし、ビフテキ嫌い。」

 ※註・ビフテキというのは戸田奈津子先生の名訳。うむ時代。

 荒野で油田を掘っていたおやじを襲撃したら、警察のヘリに見つかった。ハイウェイパトロールがサイレン鳴らして飛んでくる。拳銃の名手のキット、格好よく警官を次々と射殺。
 「逃げるぞ!車に乗れ!」
 「イヤよ、あたし、行かない・・・」

 ここでのキット役、マーティン・シーンのガッカリ顔は生涯最大の名演技。
 「わかった!一年後、サンフランシスコの港が見える丘公園の桟橋のたもとに来い!必ず迎えに行く!」
 「そんなややこしい名前の場所、覚えられないわ!」

 しらけてキャディラックに単身乗り込むキット。
 不細工にふられた。
 不細工にふられた。
 もう、ダメだ、オレ。

 砂塵を撒き散らし追撃するパトカーと派手なカーチェイスを繰り広げるも、胸にポッカリ空いた穴を塞ぐ手段はないのだった。キットは自首するかたちで投降。護送の警官やら兵隊に大人気となるが、落ち着いた先は誰もいない特別収監房だった。つまらん。

 キットは特に反省することもなく、半年後、電気椅子で処刑された。
 未成年ということで、反省文百回書くことで保釈となったキャリーは、女子高に通うことを許されたが、その高校にはトラボルタとブタの血が待ち受けていたのだった。ちゃんちゃん。

【解説】
 
 マリックさんといえば、マジックアワー。
 マジックアワーとはハッピーアワーによく似た習慣で、野外で映画を撮影するのにもっとも適した時間帯、夜明け直前か日没直後のことを指す。光線の具合がいいそうだ。
 しかし、そんな時間帯にしか事件が起こらないというのは明らかにウソなので、マリックさんが本当は何を言いたかったのか、オレはいまひとつ理解できないでいる。
 だから、なんだ。

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2013年7月31日 (水)

ダン・オバノン『バタリアン』 ('84、HEMDALE FILM Co.)

 『ウォーキング・デッド』原作版の4巻が出ているのだけど、まずは反則ゾンビ物の原点『バタリアン』から話を始めよう。これはジャンルの分水嶺に位置する重要な作品なのだけれど、リニア・クイグリーの墓地ヌードであるとか、オバンバの手術台ヌードであるとか、もっぱら裸絡みでしか語られない不憫な作品だ。

 「どう観ても真面目につくっていないのがバレバレ!!」

 ・・・という誰でも解る事実が決定的にまずかったのかも知れない。
 子供でもわかる不謹慎さ。あと、80年代ならではの致命的な安さを感じさせるサントラ(クランプス参加)や、パッとしない役者陣にも責任も一端は求められるだろう。
 今日でも誰もがロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が後世の数多いホラー映画に与えた影響について過剰に評価し褒め称えている。だが、その正当な続編を名乗る正統派ゴミ映画『バタリアン』の映画史的意義を真剣に問う者はいない。ま、そりゃバカだからね。
 だが、しかし。
 それでも、オバノンの一発ギャグみたいなアイディアの閃きは、重なる悪条件を見事に乗り越え、世界ゾンビ映画史を決定的に塗り変えてしまったのだった。私見ではあるが今日くだらないゾンビ映画が山と氾濫する状況が生まれたのは、ロメロの所為ではなく、すべてオバノンの責任である。
 悪いのは全部オバノン。ゆえにグレイト。
 
 まず、この映画は一般的に見地からみて、全速力で走るゾンビの元祖だ。
 (え、ウンベルト・レンツィ『ナイトメア・シティ』?あれは80年だって?ひとつ聞く。誰が観るんだそんなオタク映画?金曜ロードショーで水野晴郎が解説できるのか、ソレを?)
 蘇った最初の死体が社長目掛けて全裸で全力疾走してくるツカミは、あまりといえばあまりに最高にくだらなくて、カラダ張ってる感じがして大好きな名場面なのだが、そのうちゾンビたちは洒落にならないくらい高速で、100人規模の集団マラソンを開始。ダーーーッと波のように犠牲者に襲い掛かり喰らい尽くす。これは怖い。絶対に逃げられない感じがする。
 だから、比較的近年の『28日後・・・』もリメイク『ドーン・オブ・ザ・デッド』も、ロメロではなく、『バタリアン』に直接の影響を受けているものとして考えるべきだ。ロメロ無罪。
 予告編を見る限りブラピ主演のゾンビ大作『ワールド・ウォー・Z』にしてみても、所詮は規模のでかい『バタリアン』に過ぎない。街路に溢れた人間山脈が崩壊するさまとか、まさに名ゼリフ、「もっと救急車を寄越してくれ!」が似合いそう。
 
 さて、さらに言えば、これは喋るゾンビの元祖である。
 オバノン版の生ける死者は、割りと気軽に口を利く。まぁ、トークの大半は「脳みそをくれ!」という心底熱い青春メッセージを伝えるに留まっているワケだが。無駄口叩くぐらいは余裕っぱち。ギャグも飛ばす。「もっと警官隊を寄越してくれ!」
 だが、それでも手術台に半身を固定されたオバンバが泣きながら語る死者の苦しみ、絶え間ない激痛と飢えの思想はインパクト絶大で、そりゃ人間襲うよな、脳みそ喰うよなと変に納得させてくれる。
 蘇った死者が口を利く。
 このへんは迂遠に直接にたぶん、黒沢清『回路』に影響を与えているのである。
 かのドラキュラ伯爵を始め、喋る死人というのは映画史に事欠かないが、死んでいることの状況説明を細かくやった人はあんまりいない。だいたいが死者は現世への執着を語り、生前の恨みつらみの言及に終始して、本当に重要なことを語り損ねるようだ。
 死んでいることの不思議さ、生きていない状態の意味。
 オバノンはかなりくだらない方向で死者の蘇りに動機を与えた。これは賞賛されていい。ロメロは死者が人間を喰う現象を敢えて説明しようとはしないだろうから。
 (ロメロ的に言えば、“あれは、ああいう生き物なのだ。死者だけどね(笑)”)
 
 第三に、これは『博士の異常な愛情』から脈々と続く、爆弾一発ですべてが台無しになるガッカリな映画の系譜に連なる作品である。人類皆殺し映画といってもいい。
 「あぁ、コレって・・・」と思って観ていると、ほらやっぱりアレだ。ヴェラ・リンだ。「また逢う日まで」だ。「あの素晴らしい愛をもう一度」だ。(ちょっと違う。)
 事の善し悪しはともかくとして、『渚にて』でも『続・猿の惑星』でもなんでもいいが、「全員死にました」という結末は反則に近いハッピーエンドなのである。“彼と彼女が結ばれて末永く幸せに暮らしました”的な、ありふれたハッピーエンドより正味の幸福度数は高いのかも知れない。本当のところは水木先生にでも聞かないとわからないけれど。
 いずれにせよ、こういう皮肉極まる反則、真面目な映画制作者は決してやってはいけない。面白い映画をつくろうとするすべての努力がオジャンになる危険性が高い。

 あと、爆弾一発に関連して『バタリアン』は、これまた50年代のモンスター映画から、『ピラニア』『殺人魚フライング・キラー』、フランク・ダラボン『ミスト』に到るまで、果てしなく受け継がれている伝統芸能の如きおハコ、「軍がなにやら怪しい実験を繰り返していて、罪もない一般大衆がその巻き添えとなる」パターンというのが挙げられる。
 これもまた不毛なジャンルだ。
 異次元の壁を越えようとしたり、先史時代の生物を蘇らせたり、スターゲートを開いたり。軍人というのはよほど暇なのか遊んでばかりいるようだ。これで国家から金が出ているというのだから実に結構な話だ。
 もっとも90年代に入り、アメリカ経済も破綻。レニー・ハーリンの『ディープ・ブルー』なんか、政府の助成金を打ち切られそうな科学者が四苦八苦しながら水中ショーを展開する、夏休みに品川水族館に行った子供の絵日記みたいな話になっていた。

 以上ダラダラ書き連ねた話など全部忘れて貰って構わないが、最後にひとつ。
 『バタリアン』は日本語吹き替えの方が面白いんじゃないかと思う。かつてTVで観た同世代の諸君は同意してくれるんじゃないかな。
 まったく深みを欠いた、表面的で軽すぎる内容は、ホントTVによく似合ってると思うよ。

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2013年7月 7日 (日)

ジョージ・A・ロメロ『サバイバル・オブ・ザ・デッド』 ('09、プレシディオ)

 「父ちゃん、ゾンビが馬刺しを食べたよ!」
 ですべてを解決しようとする無茶な映画。
 混乱気味の脚本はロメロ先生本人が手掛けているワケだが、どうやら「人肉を喰わないゾンビ」という画期的な新概念を主軸にストーリーを組み立てたかった様子で、そのぶっ飛んだ発想にどうも凡庸な俗人はついていけず。(「そりゃ普通に人間じゃん!」という言ってはならない身も蓋もない突っ込みあり。)ゆえに評判いまひとつ、ロメロもガックシという残念な事態になって終わったようだが。
 甘い。
 お前ら、全員甘い。吊るし首。
 批評自体は辛いが、考えてる内容が甘いんだよハッキシ言って。結論がなんだかわからない?それこそがロメロ先生独自の視点で捉えた現実ってもんじゃないですか。この映画における議論の混乱は現実をそっくり反映してるんですよ。一本の正論がすべてを総括する時代なんてもうないんだよ。多段階選択方式じゃないですか。いつも常に。なんだって。
 そう思いながら観ると、やっぱり面白い、いつも通りの定番ロメロ映画でしたよ。何の不満があるんですか。え?「なんで島に着いたら西部劇なんだ!」って?
 ロメロは携帯が嫌いなんだよ。
 「携帯持ってるやつは全員ゾンビに喰われちまえ!」って心の底から思ってるに違いないんですよ。だから携帯通じない離島が舞台なの。そんだけ。(ネットは可とするらしい。)
 前作『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』はロメロの自伝でしたけど、今回はロメロのエッセイ。随筆です。お題は現代社会について。現代が嫌いだから、敢えてオールドハリウッド調の西部劇出してくるの。いつもの分かり易い皮肉ですよ。嫌味。シェー。
 
 確かにこの映画は混乱しているが、その混乱はなんだか愛すべきものに思われるのであります。

 
【あらすじ】

 首都圏でのゾンビ発生事態から逃げ出し、田舎は安全なんじゃないかと超甘い考えで街道を爆走する兵隊たち。女兵士なんて登場すると同時にオナったりして、露骨に緩んで退屈している。
 と、そこへネット経由で怪しいおやじの出ているCMが。

 「この島へ来ればゾンビもいない!安全!ハッピー!最高!もうギンギン!
 桟橋まで来てワタシを探してみてください、ヨロシク!!!」


 ブルワーカー、ビリー・ブートキャンプの昔から怪しいおやじの出ているCMは誰が信用するんだコレって胡散臭い空気を漂わせておりますが、不思議とみんな買っちまうんだ。これが。
 百戦錬磨の筈の彼らもコロリ騙されやって来ました港町。美空ひばりのゾンビが『悲しい酒』を絶叫する歓迎ムードの中、前門のゾンビ、後門に地雷原が出現!こりゃたまらんわい、とフェリー逃げ出すと、航海すること5時間で問題の島に着いた。ホントにあったんだジュラシック・アイランド。
 襲い掛かる恐竜の群れを退治しながら、アトラクションの出口を探す兵隊たちを馬に乗った美少女ゾンビが襲う!ってまぁ、全速ダッシュで集団中央を突破されただけですが。さすがアメリカはススんでる、馬を駆るゾンビなんてJ・R・Aにもいませんよ。
 とそこへ、さきほどのゾンビと同じ顔の女の子が現れて、

 「バァーーーッ!!!
 実は、あたしら、双子でしたーーー!!!」

 
 って禁じ手には、正直どうリアクションすればいいのだろうか。教えてロメロ叔父。
 その後事態は加速度的にグダグダになって行き、最終的に主人公以外の連中はなんらかの事情があってバタバタ死んでしまい、「あー、たまに休みが取れても島なんか観光するもんじゃねーな、死ぬほど不便だし」と観客も同様疲れ切ったところで終了。
 
【解説】

 撮影をSuicaに任せたところに、ジョージの現代批判精神を感じる。確かにSuicaは便利だが、なにもカメラまでワンタッチでなくてよさそうなもんだ。でも限度額までチャージできます。最高。
 

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2013年5月14日 (火)

『グラインドハウス予告編集Vol.1』 ('13、HIGH BURN VIDEO)

 世の中には知らなくていい映画というのが山とあるのであって、例えば大量に予告編を詰め込んだこのDVDを観れば、きみにもそれが伝わる筈だ。

 例えば3人の赤タイツ姿のスーパーマン達がトランポリンを駆使してぴょんぴょん飛び回りながら敵を倒す、という人間の忍耐の限界を越えて愉快な映画。
 笑いながらアクションする彼らのバカ丸出しの姿を実際に観て貰えれば、私の疲労感も多少お分かりいただけるのではないか。馬鹿げたトリック撮影で天井を得意げに歩いたり、にせカンフーを披露したり、敵が安いゴールドフィンガーっぽいのもがっかりポイント。見事だ。絶対観たくない。
 あるいは、クリストファー・リーが「徹子の部屋」よろしく、われわれに直接語りかけてくるスペシャル映像も収録されている。なにをって、怖いことをだ。決まってるじゃないか!アホタレ!
 そういう間抜けな諸君を救済するために、本ディスクは豪華日本語字幕を特別収録!!まさに画期的な仕様である。これほど訳しがいのない内容はない。
 編集者の無駄に深い愛情を感じる。

 あたしはかつて「SOMETHING WEIRD」が出した予告編集で、動くモール・ピープルやら世界に挑戦したカタツムリやらを実際に観て感激したことを憶えている。考えてみればあれもVHSだったのだな。
 時間はいつの間にか経ってしまうってことだ。
 これらは本当に心の底から碌でもないが、われわれの血肉の重要な一部だ。

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2013年5月 7日 (火)

ロバート・アルドリッチ『ロンゲスト・ヤード』 ('74、パラマウント)

 スポーツ大嫌いだからスポーツは観ない。ゆえにスポーツ映画も観ない。
 そもそも正々堂々勝負ってのが嫌だ。チームプレイも嫌いだ。オリンピックなんか勝手に日本国民を代表して世界に臨んでくれちゃってるあたりが、当然大嫌いだ。
 こういうひねくれた人間が感動するスポーツものこそ、まさに本物ではなかろうか。血がグランドに数メートル噴きあがる『アストロ球団』とかみたいにさ。頼むよ。面白いの観せてくれよ。

 さて、『ロンゲスト・ヤード』は、世界で一番男気のある映画監督アルドリッチが、男臭さで定評あるバート・レイノルズ(ハゲ)を主演に迎えて放つ囚人アクション大作である。
 
 塀の中の囚人がどうやってアクションするのか?
 
 わかりやすいのは『大脱走』やら『アルカトラズからの脱出』みたく、ズバリ脱獄をテーマにしてみることだが、いささか新味に乏しい。脱走映画の結論がいつも「無事逃げのびた」か「結局捕まりました」しかないのも苦しい。“閉鎖空間からの脱出”という意味では『CUBE』なんかも同じ括りだが、あれも面白くなかったでしょ?見え見えだよね。
 やはりブレッソンの『抵抗』に勝つのは難しい。って私、『抵抗』観てないんだけど。ごめん。知った口をききました。

 だったら、「囚人になにかやらせりゃいいじゃん!」

 そうだ。
 『特攻大作戦』(大傑作)で囚人を空輸してナチスを襲わせたアルドリッチ、今回は囚人に塀の中でフットボールをやらせて看守どもに大逆襲!という映画を思いつきました!
 看守チーム対囚人チーム。
 これは面白い。平気でどついたり、蹴ったりできる。首の骨を折ったりも。要は、手加減なしの堂々たる殺し合いである。なんて立派なテーマだ。
 合法的殺人ゲームというジャンルなら、『ローラーボール』だって『デスレース2000年』だって仲間である。『バトル・ロワイヤル』だって。って、『バト・ロワ』観てないんだけど。まぁ、どうでもいいじゃん。
 どう考えても無茶だが、『ロンゲスト・ヤード』には、ルール遵守の世間が逆立ちしてもおっつけない反逆の美学がある。画太郎先生の『地獄甲子園』みたいなもんだ。ただし外道高校対外道高校の。最悪の潰し合い。だが勝負事の本質とはこういうもんだろう。
 でも、そんな最悪のシチュエーションから絶望や裏切りばかりでなく、野太い笑いやら男臭い友情やらを堂々と汲み出してくるあたり、さすがはアルドリッチという感じがする。
 ここに出てくる男達は皆あっけらかんとして明るいのだ。殺人狂のハゲも含めて。もちろん、ジョーズ以前のリチャード・キールも含めて。本当に不思議だ。

 スポーツ嫌いのきみも、冒頭のバート・レイノルズの傍若無人すぎる行動だけでも見てやって欲しい。女をどついて張り飛ばす。かっぱらった車で警察とカーチェイス(しかも勝つ)。飲んでた酒のグラスを後部座席に放り投げて、カントリーのかかるバーで昼間っから大酒飲み直し。あげく逮捕。
 男たるもの、かくありたい。最高。

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2013年5月 6日 (月)

ジョン・カーペンター『要塞警察』 ('76、CKK Productions)

(DVD特典のインタビューより抜粋) 

 「ところで、監督は作曲家としても素晴らしい才能をお持ちです!」
 「金がないんで、今回もまた俺がシンセ一台で演奏したんだよ。金があったらモリコーネにでも頼んでるって・・・そりゃないな!」

 (会場の一部爆笑)
 
 「ハハハ。それにしても、『要塞警察』のテーマはクールでやたらとキマってますが、どこから発想されたんですか?」
 「あぁ、あれ、ツェッペリンのパクリ。
 
ほら、「移民の歌」ってあるじゃん?あのリフのテンポを遅くして、キー変えて・・・」

 (場内騒然。監督は無視して一服)

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