テーブルの隅の音楽

2017年1月14日 (土)

戸川純+Vampillia『わたしが鳴こうホトトギス』 ('16、VirginBabylonRecords)

 妻が化石を掘りに行ってなかなか帰ってこない。その隙にこの文章を書いている私は何者だろう。不甲斐ない夫ではないのか。一体こんなことって。深夜にわれわれ夫婦に何が起こっているのか。事態は既によくわからないのだった。

 戸川純に関して思い出す幾つかのことは、断片的な映像の記憶だ。例えばそれは、『夜ヒット』で観た、機械の腕をつけている「レーダーマン」の有名なステージだったり、たけしに徹底的ないじめを受けている(マジ蹴られたりしてた)『刑事ヨロシク』の清掃員姿だったりもする。
 あと、あの、ウォシュレットのCMね。あれを初めて見たころ、こんなに普及するなんて思いもしなかった。
 世間は意外とケツを洗うことに熱心であった。
 それが歴史というものだろう。

 歌手活動35周年記念として出た『わたしが鳴こうホトトギス』は、新曲1曲に旧作のリメイク9曲をプラスしたアルバムだ。
 戸川名義での新曲は12年振りだというから、まぁ全編新曲で揃えるのは最初から無理に決まってたのだろうが、それにしてもこの新曲は出来がよい。これをメインにするのを決めてから、全体の選曲をしたのだろうな。キャリアの中でも代表的な、押し出しのいいナンバーをずらり並べておいて、最終的に新曲ですべて持っていくという。ある種作戦勝ちみたいな。そりゃ「赤い戦車」で始められると、ねぇー。
 それでもね、『Men’s Junan』とか声色変化の際立ったやつだと、現在の戸川さんの声が大山のぶ代に聴こえる瞬間があったりしてヒヤリとしたりはするんだけど。でさ、次のドラえもんは戸川さんにお願いできないかな~、とか。これがまた意外と似合うし、黒いテイストも出てきて、現在の甘すぎて気持ち悪いお菓子みたいなカラーを完璧に払拭できるのに。その方が余程F氏の真実に近いってのにね。でも、本人に話したら、本気でキレられて100%断られるだろうなー。その場面がもう浮かびますもん。こりゃ妄想ですね。
 スターの存在意義って妄想の対象ですもん。
 これはね(と話を戻す)、声色が変化してるってのは、時間が経過しているってことの証しなんですよ。歌ってる人も聴いてきたわれわれも、気がつけばいつの間にか随分遠いところまで旅して来てる。もちろん中味は結局、ぜんぜん変わってないんだよ。でも、いろいろと、ホラ、そこに纏わるアレやらコレがね。劣化もしてます。風化してます。機敏じゃない。全盛期のスタイルをいつまでも演じ切るにはやはり無理がある。誰だってそう。
 ところがね。そういう無理が、タイトルチューンの新曲には奇跡的にないんですよ。獲れたての果実みたいにみずみずしい。嘘くさい表現けど、本当。
 ゲルニカの時代からして、レトロだ懐古だ、後ろ向き過ぎだとか、さまざま勝手に言われ捲りましたけど、歌ってる純ちゃん自身の資質からして、もともとそういう人だったんだね。三つ子の魂百まで。変わらない。本人がニュートラルに才能を出力すると、必然的にこういう結果に辿り着くという。
 
 人は変わらないが、時間だけは経過する。
 そういうことを考えながら、私は深夜妻の帰りを待った。バケツいっぱいに掘り出した化石を持って、彼女が笑いながら帰ってくるのを。

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2013年11月25日 (月)

相対性理論『ハイファイ新書』 ('09、みらいレコーズ)

 (Yさんとスカイプでの会話。Webアニメはわれわれ二名体制でずっと作業しているので自然に無駄話が多くなる。)

 「・・・いまさらですが、相対性理論のセカンドって凄くない?(フォトショで絵を切り抜いている。)」
 「あんた、時代に遅いよね。明らかにね。」
 「オレ、全然知らんかったんだよねー。なんか、大人気バンドらしいね。こんな地味なのに。
 で、知ったきっかけは、『WORLD HAPPINESS』って、夢の島だか新島だかでやってるフェスのコンピを買ったときだったんだけどさ。2009年度版。」
 「新島は、明らかに嘘だね。」
 「ま、このフェスがまだやってるのか、そもそもなんでまた開催地が夢の島なんだか知らんが、きっとエコでロハスな理由があるのだろう。かつてそんなイベントに相対性が出てたワケだ。
 ちなみにコンピ収録内容はですね、業界のNHKに出れる立ち位置の連中というか、YMO絡みとかスチャダラとかロートルメインで他にも色々と混ざってまして、なかなかでした。」
 「随分グレイな感想だよね。」
 「で、本題。ここに収録されてた“テレ東”が強力に引っかかったんですよ。」

 「・・・長いね。毎度、説明までの前振りが。」

 (聞いていない。)
 「 ・・・んで、まぁ、騙されてるのかなぁーとか半信半疑の気持で、『ハイファイ新書』中古で買ってみましたよ。
 そしたら、いやー、なんかもう全編微妙な感じが印象に残った。だじゃれ多いし。」

 「俺はきっかけ、ポリスだね。御存知の通り、昔っからポリス大好きだから。」
 「水野晴郎と同じく?」
 「それはアメリカンポリスだよね。明らかに違うよね。
 ある日ふと、どっかにポリス系列の音を出してる連中はいないかと思ってサーチしてって、出てきたのが“地獄先生”だったんだよね。」
 「“地獄先生”(笑)。」
 「あのギターリフって、完璧にポリスの世界じゃん?どの曲のパクリとかじゃなくって、もう一歩進んで血肉になってる感じがする。ま、正直たまげたんだよね。」
 「しかし、Yさんが日本の女ボーカルものを推奨するのって珍しくないですか?全員嫌いでしょ、日本の女?」
 「そうね。歌謡曲以外は。ロック寄りだとちょっとね。全員SHOW-YAで、シナロケだよねー。顔こわいじゃん。そういう女は昔たくさん周りに居たし。」
 「さすが武侠派。」
 
「で、どんなバンドだと思って調べてみたら、まだ若い連中がやってたんだよね。そこで二度びっくり。」
 「あ、若いんだ。意外。」
 「若かったんだよね。実は。音聴くと結構年期入ってるかと思うじゃん。意外や若いの。

(つづく)

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2013年8月14日 (水)

ポール・マッカートニー&ウィングス『レッド・ローズ・スピードウェイ』 ('73、東芝EMI)

 マッカートニー容疑者が何度目かの来日を果たすそうで、でも東京公演はたったの3日間限定なもんで、岡村ちゃん(推定無罪)がチケット取れるのか非常にヤキモキしていた。

 容疑者といえば、今度のツアーでこそ、ウィングス時代の地味でうけそうもない曲を延々死ぬほどやるのではないか、やれやれやってくれ、と絶望的な期待感があったのだが、発表されてるツアーセットを見る限り、そういうことは全然なさそうで残念だ。
 この期に及んで「ヘイ・ジュート」を聴きたいやつ、一緒に歌いたがるようなバカは、本当に死ねばいいと思う。
 なぜ『レッド・ローズ・スピードウェイ』のB面メドレーを再現してくれないのか。散々『アビイ・ロード』のメドレーはやっているのに。本秀康がマンガで発言していたけど、本当にその通りだ。「♪Oh、レイジー・ダイナマイト」を今こそ合唱すべきである。歌って非常に虚しいが。いいじゃない。

 ・・・と偉そうな口ばかり叩いていると、いっぱしのマッカートニー通と思われかねないので、あらかじめ予防線を張っておく。私はまったく詳しくない。

 今回採り上げる『レッド・ローズ・スピードウェイ』を購入したのは2005年で、かのロシア盤が流行した頃だった。『RAM』は既に愛聴していたので、当時の映像が詰まったTVスペシャル「JAMES PAUL McCARTNEY」が観たくて買ったのだ。その特典DVDが付いたCD二枚組編集の「レットローズ」は全体にダルで、大人の感覚に満ちた奇妙な作品だった。
 既にニール・イネスのソロ『Taking Off』やなんかを聴いていたので、あぁ、あの心底寂しいレイジーなポップ感はここらあたりから来ていたのかと納得したのだが、いまひとつ気持ちが入っていかなかった。

 それがどこで変わったのか。
 一例として、かの大ヒット「マイ・ラブ」の聴こえ方の変遷というのがある。
 中学の頃(『ウィングス・グレイテスト・ヒッツ』で)初めて聴いたときは、ご多分に漏れず、あんなストリングス大量盛りの甘ったるい曲大嫌い、とバカにしくさっていたくせに、これが不思議と年々よくなってくる。あの、まったり感が堪らなくなる。
 きっかけはベスト盤『ウィングスパン』が出たあたりだったか、だって、なんでかギターソロだけ転調してるぜ、意味わからんぜ※註と、この曲独自の異常さに気もそぞろ。
 妙なロック感覚。絶対アタマおかしいって、アレ。
※註・この表現は不正確である。コード進行は転調なし、Aメロのまま。リードギターのみがキーを違えて弾いている・・・そうだ。実はよくわからん。こんな説明でいいのか、D?

 それを糸口に聴き直してみると、『レッド・ローズ・スピードウェイ』の持つ本質的にねじくれた構造が見えてきて、なんか夜中に興奮させられた。
 意味はまったくないのだが、このアルバムは前々作『RAM』から繋がるトリロジーの完結篇にあたる作品である。「RAM ON」リプライズの最後に出てくるフレーズが、一曲目の意味不明な名曲「ビッグ・バーント・ベッド」の冒頭に繰り返されていることでもお分かりの通りで、ともかくスターズ・オン45並みに強引に連鎖しているのだ。
 あと、これまたどうでもいい名曲「リトル・ラム・ドラゴンフライ」とかみたく、本当に『RAM』のアウトテイクだったりするものが収録されていたりとかするし。

 人によっては“ウィングスの最高傑作”と評価する、ヤバ過ぎな名盤『ワイルド・ライフ』を折り目として、『RAM』と『レッド・ローズ・スピードウェイ』は無理やり奇妙な相似形をとらされている。
 
 そして、そのことに深い意味はない。
 マッカートニー容疑者の無意識が勝手に噴出しているだけだ。でも、そのこと自体が凄く貴重なドキュメントと化してしまっている。
 大物だから。
 ちょっと前例のないような大物が、個人的動機でコソコソつくってしまった、いびつな被造物。あきらかに、人を驚かすという商売目的が露骨に感じられる『サージャント・ペパーズ』よかよっぽど芸術的価値は高いと思うのだ。無意識なだけに。

 だって、全然意味わかんないんだもん。最高だよ。

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2013年7月23日 (火)

スティーヴ・ライヒ『MUSIC FOR 18 MUSICIANS』 ('97、Nonesuch)

 かの有名な『18人の音楽家のための音楽』、その再演盤である。

 18人とは誰か?そこが問題だ。アース・ウィンド・アンド・ファイアーは10人以上いる。でも18人はいない。フェラ・クティとその仲間は、アフリカ70人、エジプト80人というくらいにたくさんいたが、18人ではない。そして、ビートルズとストーンズとキンクスを足しても、まだ18人にはならないのだ。なんて偉大なんだ。

 ところでライヒの曲は、よく久石譲がパクってたから聴いたことあると思うよ。『ソナチネ』のサントラとか。現代社会はなんて欺瞞に満ちた社会なんであろうか。俺は嘆いてしまうよ。

 ところで、進撃の巨人といえば、中畑清である。
 あるいは小山内薫だ。

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2013年6月16日 (日)

『XTC 少年忍者快楽伝』 ('11、エンターブレイン)

(ナレーション) 
 「無限に広がる大宇宙。
 そこには未知の生命体も前人未到のホールインワンも隠されているに違いない。宇宙はまさに人類に残された最後のフロンティアなのである。
 これは人類初の試みとして、5年間の調査飛行に翔び立った宇宙船U.S.S.ダイナマイト号の驚異に満ちた物語である・・・!」

 『ヒューストンより、D!ヒューストンより、D!』

 木星と火星の間付近の、適当な宇宙空間。
 緊急無線電波が稲妻の如く真空を引き裂き、冴えない銀色のスペースシップに到達した。

 「・・・のぁ?」

 Dはのろのろと網棚から身を起こす。相変わらず銀の宇宙服に身を固めているが、ヘルメットの上に小粋なおしゃれハットを乗せ、薔薇の花を横咥えにしていた。

 「誰だァー、おめえは・・・おまわりさんかァー?!」

 『貴様いったい何にラリってるんだ、何に?!』

 地球からの音声は苛立たしげに舌打ちする。
 『ひさびさに呼び出してみれば意味不明のコスプレしやがって、このファッキン・ジャパニーズ・ロッカーかぶれが!!!
 貴様がのんびり惰眠を貪っているあいだに、地球では大変な騒ぎになってるんだぞ!!!』


 「Dより、ヒューストン。
 昨夜喰った、たくあんでトリップ。ナチュラルハイとはこれかと実感。
 
・・・で、どーしたの?」


 『ヒューストンよりDへ。XTCの新作が発売されました』

 「えええーーーッッ?!
 そんな・・・そんなバカな・・・なにをいまさら・・・」


 『そう云いながら動揺を隠せないご様子。そんなあなたに新作ジャケの画像をドン!』

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 「ひええぇーーー?!なんじゃこりゃ?」

 『どうだ?紛うことなきXTC待望の新作であろうが?
 毎回意表を突いたイメージ刷新を打ち出してきた彼らだったが、2000年の「アップル・ビーナスVol.2」以来、なんと13年振りの新作だからな!
 それにしても、アルバムタイトルが“少年忍者快楽伝”とは、またしてもアンディ、やってくれるよな!』

 「・・・Dよりヒューストンへ。それにしてもメンバーの顔、変わりすぎていないか?」

 『うん、今回またも大幅なメンバーチェンジがあったようだな!』

 「メンバー変わりすぎだよ!
 そもそも、これ、浜村編集長のエンターブレインから出てるってことは、実はひょっとしてマンガ本だったりしないか?」

 『ご明察。さすがですね。
 お前、ふざけた格好してる割りに、まだまだ知能は衰えてないようだな!
 今回またしてもXTCは、ジャンルの垣根を易々と乗り越えて、ロック・ポップスの未踏領域を開拓ってワケなんだ!』

 「ふーーーん。
 ・・・って、明らかにジャンル飛び越えすぎだろーが!!!
 大体、この本、どういう内容なんだよ?納得のいく説明をしろ!」


 『あい、あい。
 アンディーくんは少年忍者。殿暗殺の命を帯びて、目指すターゲットに近づきますと、逆にワナにかかって超恥ずかしいことに。でも宿敵・コリンの守はすっかりアンディーくんがお気に召したご様子。
 そこから始まる、組んづ解れつ。XX(チョメチョメ)の嵐!」

 「B・Lやないかい!!!
 思いっきし、只のB・Lやないかい!!!」


 『これまでにもXTCは新作が出るたびファンの間に大激論を捲き起こしてきたワケですよ。“これはアリか?”“アリじゃないのか?!”ってな具合に。
 「ママー」におけるトラッド回帰路線とか、「ビッグエキスプレス」における60年代サイケサウンドの投入だとか。名作「スカイラーキング」では雇ったトッド・ラングレンを一方的に強制解雇とか、人的トラブルにしたって尋常じゃなかったんですよ。メンバーチェンジはアルバムごとの習慣みたいなもんでしたし。
 そのたんびに、ボクらも必死に口角泡飛ばして真剣に議論を戦わせてきたんですよ。“これはアリか?”“アリじゃないのか?!”って・・・』

 「今回はナシ!積極的にナシの方向で!
 だいたい、ジャケに印刷されてる“ぷよこ”って超適当な名前、なんだよ?」


 『新しく入ったキーボードの人だと思います。デイブ・グレゴリーの後任みたいな位置づけでしょ』

 「・・・で・・・?
 それで、ヒューストン、お前的にはどうだったっつーんだよ、今回のアルバムの感想は・・・?」


 『がんばってスクリーントーン貼り捲くりとか、C.G.加工で城の写真を背景にしてみたりとか、新たな試みに色々取り組んではいるんですけど・・・。
 かつての名作「ブラックシー」や「イングリッシュ・セツルメント」には比べるべくも無いかな、と・・・』

 「Dよりヒューストン。
 ・・・当たり前だ。」

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2013年2月18日 (月)

Variou『GIVE THE PEOPLE WHAT WE WANT:Songs of the Kinks』 ('01、SUB POP)

 かの米国サブポップ・レーベルが出したキンクスのカバー集でございます。

 キンクスというのは本当に面白いバンドで、前向きなことは一切歌わない。やたらキャッチーなメロディーに載せて、人のやる気を削ぐような倦怠感に満ちたメッセージばかりを送り続けてウン十年。
 こういうカバー集ってのは、演者のタマを揃えるより重要なのが、選曲の妙というやつでして、一番有名な「ユー・リアリー・ガット・ミー」はやらない。「オールディ・アンド・オールオブザナイト」もやらない。「セット・ミー・フリー」だって。「ローラ」は既にレインコーツが演ってるし。そのへんの愚劣な思考を徹底的に貫いた結果、勝負あったね。傑作になりました。

 なにが驚異的だって、全編を貫くセカンド『カインダ・キンクス』への異様な高評価。一体なに考えてんだろ。普通に考えて、A-2に「翌日最初の飛行機で郷里へトンズラ(「ガッタ・ゲッタ・ファースト・プレーン・ホーム)」※(注釈)は演奏しませんよ。あ、コレ、ツアーが苦痛なんで逃げ出したいってテーマの曲。カッコいいよね、その、あの、完全に人よりまず先に逃げ出そうって基本姿勢が。
※(注釈)完全な記憶違い。本当はサード「KINK KONTROVERSY」収録曲。面倒臭いので修正しない。
 続けて、トラッドの腐臭漂うおやじ色濃い「ナシング・イン・ディス・ワールド・キャン・ストップ・ミー・ウォーリン・バウト・ザット・ガール」、あの娘が心配で夜もオチオチ眠れまへんのんや、が来ます。異常です。これもセカンド。二十歳そこそこの前途ある若者が書いたとはまったく思えぬジジむさい、内向的なナンバー。それをさらにジジ臭く、本物のジジイがカバー。救いなし。こりゃ一体どういうトリビュートなんだ。
 ま、意味わかるんだけど。

 ラストを飾る名曲「アイ・ゴー・トゥ・スリープ」、もう寝るわ、もセカンド制作時期の重要な曲。グッときますよ。クリッシー・ハインドもこれにはクリをガッチリ摑まれたー、言うてましたわ。クリッシーだけに。うまいことを言う。

 あと、デイブ・デイビスさんに対する異様な高評価も見逃せないとこっすねー。「ディス・マン・ヒー・ウィープス・トゥナイト」、こいつ今夜泣きよりまっせ、です。見事な後ろ向きさ加減。
 それに、なんと、デイブ畢生の傑作曲「ストレンジャーズ」のカバーもボーナス!収録。不仲で有名な兄・レイとの兄弟関係を熱く歌った、ここで泣け!みたいな名曲ですが、普通これは演らんとです。佐門豊作ですたい。
 泣き繋がりでいえば、世界史に残る後ろ向き過ぎる超名曲「ウォータールー・サンセット」のカバーはチャンといい出来でして、あぁ、普通にトリビュートになっとる、なっとる、と一安心。限界越えの「サニーアフタヌーン」がやば過ぎるから。これ歌ってる人、バカでしょ。
 
 個人的には「カム・ダンシング」の高速パンクカバーが最高。
 オレ、異様に「カム・ダンシング」好きですから。前世は「カム・ダンシング」だったんじゃないですかきっと。小難しい話はいいから、踊りに来なよ。あたり前田のクラッカーですよ。

 それにしても、「セッション・マン」のボーカルの人、物真似似すぎ。やばい。だいたい、なんでそんな究極の意味なし、バカげた曲をチョイスして演奏するんだ。
 ま、意味わかるんだけど。

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2012年11月 3日 (土)

ザ・モノクロームセット『ストレンジ・ブティック』 ('80、Water)

 モノクロームセットなんて、単なるカッコつけの為の音楽と貶める必要などまったくないのだ。本当は。
 例えば80年代ラウレンティスの『フラッシュ・ゴードン』、主人公のTシャツの胸には、赤い流れるようなレタリングで“FLASH!”と染め抜いてある。俺T(ティー)である。
 公開当時ダサい・バカ・ハゲと散々罵倒された映画だが、この貴重なセンスは今や裏返って、逆にカッコいいのではないのか?だいたい、そんな大うつけ者をSFX大作映画の主役に据える度胸があるか。現在のハリウッドに?(この映画には他にもいろいろと脚本や美術に本物の幼児が関わっている疑惑が散見され、悪の帝王が“噴火”と書かれたボタンを押すと、実際に地球上で火山が噴火するなど、常人のイマジネーションを軽く凌駕する場面が目白押しだ。)
 想像力の枯渇した連中が社会を占拠し、いまやすべてはジリ貧である。
 フレンチ、インド、エンリオ・モリコーネなど自分が格好いいと思うものを全部ギターポップに盛り込もうとしたモノクローム・セットは、カッコよさを極めると大馬鹿になる、というこの世の摂理を見せつけてくれたバンドとして重要である。まったく何を考えてつくってやがるんだ、一体何なんだこの曲、などなど創作者の手の裡をまったく明かさない手法は、ジーン・ウルフなんかにも共通する魅力だと思う。
 
 あ、ところでこのファースト『ストレンジ・ブティック』は、権利関係だなんだで、中々単品でCD化されてなかったので、見たら買っとくといいよ。

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2012年10月20日 (土)

フランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インベンション『アンクル・ミート』 ('68、RykoDisc)

 嘗て遥かな昔、そう、八十年代の終わり。音楽業界の趨勢はアナログのLPレコードを捨てデジタルへと傾きつつあった。それが大いなる没落の始まりとも知らずに。世間はバブル経済の跳梁に沸いていたし、200万枚を越えるミリオンセラーがチャートを複雑怪奇に彩った。
 われわれは夢の終わりに立っていた。
 そこはやがてハリウッドとお台場が奇跡の逢瀬を遂げる場所。「虹の彼方に」とジュディー・ガーランドは歌ったが、その場所に待っていたのが青島刑事だったのでは、正直洒落にならない。苦い現実のお茶に喉を潤し、多くの人々が逃げ惑う。遂に予測されていた巨大怪獣の襲撃が始まったのである。チーマーたちが路地を走る。コギャルが、ガングロが泣き喚く。崩れ落ちるビル。倒壊する最先端オブジェ。怪獣の名は日本経済という。
 
 『アンクル・ミート』はそんな場面に鳴り響く音楽だ。
 此処には先天的に不幸な人に対する呪いと愉悦が籠められている。CD化にあたり、余分な会話パートがインサートされて聞きにくい代物に化けてしまったが、その本質は驚くほど明快かつ奇怪なものだ。およそ信じがたい偶然によってパッチングされ、結び合わされた駄目な感じの人造人間。クローム鋼の骨格は単純だが、致命的に歪んでしまっている。

 いまは夜のど真ん中で
 あんたのダディーも、マミーも眠ってる
 いまは夜のど真ん中
 ダディーもマミーも眠るのさ
 
 眠り続ける
 マミーもダディーも夢の中
 眠り続ける
 流しの下の、ジャーの中
              (“Sleeping in the Jar)

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2012年7月 2日 (月)

10CC「二度目の最後の晩餐」 ('75、Mercury)

 「なに、二度目・・・?最後の晩餐じゃないじゃん!」
 浅い諸君の得意げに突っ込む顔が見えるようだ。
 愚かも、愚か。英語題をよく見て欲しい。“The Second Sitting of the Last Supper”、最後の晩餐二度目の着席、なのである。
 過去二千年間、最後の晩餐は続いているのだ。これは、そういう恐ろしい認識に立った歌だ。
 われわれはいい加減待ちくたびれた。状況を変えるには奇跡が必要だ。精霊の再度の訪れ。席を温めテーブルを用意して待っているのに、あなたはまだ現れない。
 そういう重苦しいテーマを、落ち着きの悪いロックに載せて歌い飛ばしてしまうこと。
 なに、不謹慎?よく考えてみろ。
 ここまでの事の経緯を紐解けば、途轍もなくバカげた状況ではないか?再び最後の晩餐に参加することを希望して待ち続けているのだ。誰もが。聖書に書かれているのは間違いない。間違いないです。

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2012年6月20日 (水)

『ニューヨーク1997』オリジナルサウンドトラック ('00、SILVERSCREEN)

 無条件に最高。カッコよすぎ。
 ジョン・カーペンターの音楽が安くてクールで最高なのは当然なのだが、映画と切り離して考えられないところは確かにある。というか積極的に、ここは絶対考えたくないよな!
 従って音楽だけ聴いても駄目で、やはりまずはバッチリ本編を観ていただきたい。カッコいいあの場面、この場面。そこにビシッと締まりを入れる安いシンセサウンドの波状攻撃。これを体感して欲しい。
 そういう意味での真骨頂は、やはり『ニューヨーク1997』。これ絶対。
 もちろん、『ダークスター』の単なる思いつきのようなプクプク音、重低音が低予算映画を完璧にレベルアップさせる『要塞警察』、忘れ難い『ハロウィン』のテーマ、『ザ・フォッグ』の纏まりの無い本格ホラーサウンド、余韻という言葉がヘビーな爆音となって観客を押し潰す『遊星からの物体X』・・・・・・。
 どれも本当に素晴らしい。それはもう、知ってる子は皆んな知ってる。
 (そして、これらの映画はどれも必見の娯楽作であり、名作揃いなのである。)
 演奏陣だけ豪華仕様になった近作『ゴースト・オブ・マーズ』(アンスラックスにバケットヘッド!)ですら、作曲カーペンターというだけでやはり安くなってしまう。これは本当に凄いことだ。猫も杓子も無駄な重厚さを狙う昨今の嘆かわしいサントラ事情を鑑みれば、予算カツカツでやってるカーペンターの音楽の方が皮肉にも輝いて見えるのは、まァいたしかたないところか。

 『ニューヨーク1997』のサントラの素晴らしさは、聴いてる人が無条件にスネーク・プリスキンになれるところだ。
 これは男なら絶対なりたい職業第一位。永遠に。
 という訳で、この夏の必須アイテムに指定。

 今年こそ流行るよ、スネーク。
 
“スネーク男子”という言葉が、巷を席巻すると見たね、俺は。
 (ま、確かに男×男で暑苦しいんだけどね。省エネ指向でいいじゃない?)

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