映画の神秘世界

2012年12月24日 (月)

『人類SOS!』 ('63、TRASH MOUNTAIN VIDEO)

 人類は未知の何かに脅かされている。考察を深める為に映画を観るのは有効な手段である。あるいは、単なる暇潰しか。でも同じことだ。
 三連休、たいした外出もせずに自宅で映画を観まくった。リストアップしてみよう。

 ①松井良彦『どこいくの?』
 人類はゲイの危機に晒されている。育ての親の工場長(おっさん)によるセクハラ。嫌気がさして飛び出したが、バイクで撥ねた彼女がニューハーフだった。取調べの刑事までチンコをしゃぶってくれと迫る。悪循環が止まらない。死ぬしかない。

 ②ラルフ・バクシ『クール・ワールド』
 アニメキャラとセックスしたら死刑!ラルフ爆死の危険な妄想炸裂!マンガで出してるきみ!萌え系抱き枕を持ってるきみ!爆死が殺しに行くぞ!要注意だ!

 ③ヴィンセント・プライス『地球最後の男』
 ロケーションが最高。ミュータントの新人類が単なるビート族にしか見えないあたり、時代である。町外れのゴミ焼き場で死体をガンガン焼きまくる。火葬場はやはり家から離れているに越したことはない。
 
 ④『人類SOS!』
 今回いろいろ書いているすべてのテーマが内包された超問題作!これ一本で六本分くらいのおいしさ!『SOS』といってもピンクレディーではないのだ。波止場に飛行機が墜落する。電車が停止位置で止まれずに駅舎に激突する。すべて運転手が盲だったから!なんて当然すぎる結果なんだ!院長が突然窓から落ちて死ぬシークエンスが大好き。

 ⑤『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』
 実写じゃなくちゃいけない。呪われてなくちゃいけない。で、実話じゃなくては。なんかないか。よりリアルな実話怪談を求める観客のニーズに応えたこの映画、説明があんまり下手くそなのが却って本物っぽい、という人の盲点を突いてヒットしたのである。魔女裁判で処刑されたババア。水から青白い手が出て少女が攫われた。内臓くり抜きの猟奇死体5名。変質者による十代少年少女の大量虐殺。三名の大学生が行方不明。脈絡なさ過ぎ。載せすぎのケーキみたいだ。

 ⑥『28日後・・・』
 やっぱりゾンビが全力で走ってはいけない。まして、ここでのゾンビの呼び名は“患者さん”である。あんな元気な病人があるものか。主人公が病院で覚醒すると、廊下に車椅子が転がっている。そこが『人類SOS!』へのオマージュになっている。さらなる続編『28年後・・・』の完成を待っているぞ。

 ⑦黒沢清『回路』

 ひたすら泣ける映画である。やはり波止場に飛行機が墜落する。そこが『人類SOS!』へのオマージュだ。きみたちは、間違っちゃいない。
 
 ・・・さすがに疲れた。
 だが、まだまだ未見のDVDは山と積まれている。いい加減同じ映画を何度も観るくせは辞めたらどうだ、と自分を叱咤してみる。そしたら全部レンタルで済むだろうに。

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2011年12月27日 (火)

フランク・ダラボン『ミスト』 ('09、Weinstein co.LLLC,)

 ダラボンの映画は一本しか知らないが、『サ・フライⅡ~二世誕生』は傑作だった。
 ハエ男が恋に仕事にヒーローとして活躍し、最終的には蝿が直るという驚愕の結末を迎えるに到っては、ダラボンの根本的な性格の悪さを賞賛する他ないだろう。
 そして、さらにもう一段用意された意地悪すぎるオチ、「所長がポチの身代わりに檻で飼われる」には、いっぽん取られた心境。
 あれは当然ながら映画『フリークス』のパロディーだと思うんだが、そういう意味では、完璧である。完成度が高い。見事に嫌な気分にさせられる。
 お陰サマで、『フライⅢ』は、哀れ、命脈を絶たれたのであった。
 
 そんな男のひさびさの新作が、ゴリラ顔のホラー作家スティーヴン・キングの数少ない傑作のひとつ、「霧」の映画化とあっては、やはり観ておく必要があるだろう。
 
 「霧」は・・・発表当時は新しかったのだが、『バタリアン』がやって以降有名になってしまった、お馴染みの手口で描かれる、異次元からの侵略の物語だ。
 政府の謎の計画が、怪物を呼び寄せる。
 事態はあくまで一般市民の視点から描かれ、異変を分析する科学者や勇敢な軍人やなんかは(もちろん、美人秘書やなんかも)一切登場しない。従って、事件の科学的背景なんかまったく語られないし、俯瞰的な状況すら噂話程度にしかわからない。
 登場するのは、その辺にいる普通のおっちゃんやバァさん、バイトの若者たちなんかである。
 主な舞台は近所の大型スーパー。
 怪物に追われここに籠城するうち、主人公達は内部分裂とリンチによりどんどん追い詰められていく。
 リアルっちゃあ、リアルだが、なんか手抜き臭くも感じる。
 50年代にさんざん使われたサイエンスフィクションのいまどき風味な再利用。スクラッチ・アンド・ビルドということだ。この世に捨てるもの、なし。

 性格の悪いダラボンは、単にそれには終わらせず、終盤大ネタをかましてくる。

(※以下150%ネタばれ記述あり!!まだ観てない方は、近所のTSUTAYAに内臓出しながら全力ダッシュ!!) 

 先に言っときますが、あたしはこの映画のオチ自体はアリだと考える。
 論理的に辻褄が合っている。
 敵役にあたる霧の中の怪物たちが、無制限に反則を繰り返すデタラメな存在である以上、対峙する人間の側にはリアルな縛りを設定せざるを得ない。
 英雄行為はいっさい認めない。
 人間側に都合のいい救済は与えられない。


 暴力と迷妄の渦巻くスーパーマーケットを脱出し、あてどなく霧の中へワゴンで逃げ出した主人公グループ。
 老人2名、若い女、典型的なおっさんの主人公。それに、幼い息子。
 途中、主人公の家に立ち寄るが、既に妻は霧の中の昆虫生物の犠牲になり、とっくに死亡していることが確認される。(希望を奪うため、蜘蛛の糸に巻かれた屍骸をしっかり見せつける。)
 車を飛ばすうち、遭遇する異世界の巨大な生物。原作では最大の見せ場だが、人知を越えた目的すら測り知れない壮麗極まる威容は、見る者を圧倒する。
 大破した旅行バス。クラッシュしている車の群れ。
 死体。死体。生ある者はすべて死に絶え、沈黙と静寂だけが支配している。

 遂にガソリンが尽きて、霧の中で停止するワゴン。補給の方法はない。車外に出たら、一瞬で怪生物の餌食になってしまうのだ。

 黙りこくる全員の中で、津川雅彦似の老人がポツリと言う。
 「・・・わしらは、充分よくやったよ・・・。」
 老女が相槌を打つ。
 「そうね・・・充分、よくやったわ・・・。」

 沈黙。
 苦い表情のまま拳銃を取り出す主人公。
 「弾丸は4発しかない。われわれは、5人だ。」
 主人公の腕をそっと押さえる、助手席の若い女。
 「・・・心配するな。俺は、自分でなんとかする。」
 再び、沈黙。

 ここで、タケちゃんの『ソナチネ』そっくりのカット。
 車内で閃く拳銃の発射音。4発。
 号泣して、車外へ走り出す主人公。死ぬ気で、霧の中の怪物に声も限りと絶叫する。

 「カモン・・・!!カモン・・・!!」

 その悲痛な叫び声に答えるように霧の中から現れたのは、なんと米軍の戦車とトラックだった。
 呆然と見守る主人公を置き去りに、次々と通り過ぎていく救援部隊。ヘリも飛んでいる。火炎放射器が炎を噴き上げ、路上に残る異生物の残滓を焼き払っていく。
 いつの間に、晴れていく霧。
 主人公は呆然とし、表情をなくして路上に膝折り、固まっている。
 不審そうに近づくガスマスクの兵士ふたり。終幕。

 ・・・さて、事ここに到る重要な伏線は2箇所。
 
 オープニング、霧の発生時点で登場する主婦が居て、家に残した幼い子供が心配だから無理やりにでも帰る、と言い張る。当然、みんな反対する訳だか、彼女は無謀にも単身飛び出して行ってしまう。
 この女が子供連れで、救援トラックの荷台に乗っているのがハッキリ映し出される。
 主人公はその直前、自らの手で幼い息子を射殺している訳だから、この演出は見事な明暗のつけかた、というか究極にタチの悪い嫌味である。
 
 もうひとつの伏線は、脱出前夜、息子が「パパにお願い」する場面だ。
 高まる異様な緊迫感に寝つかれない主人公に、息子が寝床で話しかけてくる。

 「パパ。お願いがあるんだけど・・・。」
 「ん?」
 「どんなことがあっても、怪物にボクを殺させないで。お願い。」
 
 主人公の答えは当然決まっている。

 「あぁ・・・もちろんだとも。
 絶対、お前を殺させたりはしないよ!!」


 周到すぎる計算で、主人公は追い込まれていくのである。
 この映画に於いては、必然の成り行きとして、父親が息子を自ら射殺する。そして、自分は結局死ぬことが出来ない。

 同様の嫌味な演出としては、美人のパートの女の子が美貌を見せつけるおいしいラブシーンを演じた直後、昆虫の毒針に刺され、顔が倍以上に醜く膨らんで死ぬ、というのがあったが、総じてダラボン、嫌なやつ。

 私としてはこの映画の方向性に賛同するものであるが、最大の問題点は子供殺して以降、ズーーーーーーッと延々流れ続けるケルトの賛美歌みたいな曲である。

 これが、もう、最低!最悪!!
 

  変な余韻なしであっさり終わってくれりゃいいものを、もう、引っ張る。引っ張る。長すぎ。
 ダラボン、脚本家として優秀なのは解ったからさ、あの音楽だけはなんとかしてくれ。頼む。
 ピーター・ジャクソンの『ロード・オブ・ザ・リング』にもあんな演出、あったよな。

 映画のエンディングで、ケルトとかアイリッシュ流すのは、法律で禁止することを提言するものである。
 エンヤ、だめ!ゼッタイ!

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2011年12月16日 (金)

トビー・フーパー『悪魔のいけにえ2』 ('86、CanonFilms)

 昼飯がわりに、一杯のかけそばを啜りながら、古本好きの好青年スズキくんは食い下がった。

 「えー、感想ですかァ?
 ありえなくないですか、『悪魔のいけにえ2』?!」


 古本屋のおやじは満面に笑みを浮かべて安いカレーうどんを食っている。
 場面は昼食時間、彼らの働く軍需工場は束の間の休憩中。NC旋盤もドリルピッチャーもなりを潜め、のどかなモーツァルトなど流している。
 食堂は、社会の最底辺であえぐ工員労働者で寿司詰めだ。

 「一作目は、ボク、感心したんですよ。うまく嫌な感じを盛り込んで、疾走しまくる。性格の悪いジェットコースター・ムービーみたいなテイストで。さすが、伝説になるだけあるわなー、と。」

 おやじは、鼻を鳴らしている。

 「で、実は2作目があると聞いて、いったい、どうやって続編をつくるつもりなんだろう、と思いまして。
 だって、ある意味、一作目でネタは全部出ちゃって、しかも完全に燃焼しきっちゃってるじゃないですか。だいたい、あの全編漲るテンションを維持できるのかが最大の疑問符でして。
 そこで、期待して観たら、出てきたのは、コメディータッチのセルフ・パロディーだった(笑)!!
 エッ・・・?ガックシ!!バンザァーイ・・・なしヨ!!って心境ですよ!」

 一気呵成に喋ったスズキくん、コップの水を飲んだ。空気とお肌の乾燥する季節。
 おやじは、不気味に含み笑いを続けている。

 「ふっ、ふっ、ふっ。浅い。
 浅いなぁー。浅すぎ。浅野
内匠頭とはお前のことか。はげ。ちょんまげ。
 いいえ、あれはズラ。」


 「ムッ、まともに相手する気ないな!」

 「年喰ってくるとな、まともに説明するのがバカバカしくなるんだよ。

 どうせ、バカにはわかんねぇんだからな!!」

 意外と喧嘩っぱやいスズキくん、既に拳を握り固めている。
 
 「いいかね、低脳くん。
 この記事を書く前に、他所様のサイトをチラ見したら、キミみたいな単純バカが『いけにえ2』をクズ映画よばわりしていやがったんだがね。
 徹頭徹尾くだらない『いけにえ2』の素晴らしさが解らない奴が、元祖『いけにえ』の何処を見て、一丁前に偉そうな口をきいているのか。
 ひとつ、おじさんに教えてごらん。
 教えてごらんよ!」

 「・・・フランクリンの屍骸、ギャグ扱い。」

 むすッ、としたスズキくんが答える。「あれ、有りなんですか・・・?」

 「あり!

 大有りです!最高じゃないか!」


 おやじは胸を張って返事をした。

 「・・・それなら、もう、ボクから聞きたいことはないです。」

 スズキくんは食堂の机のしたから、チェインソーを取り出した。
 紐を思い切り引くと、エンジンが掛かり、鋸がリズミカルに回転し始めた。

 「あなたという存在をこの世から抹消するまでだ。
 ・・・最後に何か、言い残したことはないですか・・・?」


 「レザーフェイスが地元のFM局でな、ストレッチをレイプし損ねる場面。あすこで、お前はどんな風に感じた?
   
 ・・・笑ったか?笑ったろ?
 
 それがすべての答えだ!!!」


 突如、ふところから太い黒のチェインソーを取り出したおやじ、振り降ろされたスズキくんの黄色いチェインソーをガッキと受け止める。
 反動で逸れた刃が、ガギギギギとテーブルを削り取り、さらに食卓に載せられた食器類をバビビと粉砕。ひぇっ、と立ち上がった間抜けなデブのはらわたに食い込んだ。
 
 「ぐえええええ!!!」

 腸を巻き取り、肉を抉り取る鋭利な切っ先に、死のダンスを踊るデブ。愉快、痛快。
 迸る鮮血を浴びたスズキくんの顔は、直ぐに悪鬼の形相に。

 「あ~~、とうとう、やっちまったー!
 

 こういう残念な感じ。この感じが『いけにえ2』の真価なんだよ!
 この残念さがわからない奴に、『いけにえ』を語る資格などないわ!
 逆に、いけにえにしてやる!むしろ!!」

 「なにを、この、トンチキ野郎!返り討ちにしてやるぜ!」

 昼食時間。
 依然、何食わぬ顔でモーツァルトが鳴り響いているのが、物凄い間抜けだ。
  

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2011年12月13日 (火)

『ある日、どこかで』 ('80、Universal)

(※事前にご注意。以下の文章は完璧にネタばれである。) 

 正直申し上げるが、たいした映画ではないのだ。
 
 リチャード・マティスンの原作はどう贔屓目に見ても、ジャック・フィニィーの換骨奪胎だし(ならば大甘だが「愛の手紙」の方が良いような気がする。映画向きではないが)、監督に到っては、きみ、『燃える昆虫軍団』の男だよ。ヤノット・シュワルツ。代表作『ジョーズ2』ですよ。どっちも傑作ですけども。

 それにしてもこの映画を好きな連中が多いのには驚いた。どいつも、よう泣きやがる。たぶん、同世代の連中だな。お前ら、アホの集まりか。中学のとき観た映画が最高、なんて堂々と宣言するなんて、人間として恥ずかしくないのか?
 ・・・ないか。そうか。

 と、毒づいてばかりいても仕方ないので、少し分析めいたことを述べることにする。
 この映画を好きな連中は畢竟、主演の美男美女に騙されているのである。
 クリストファー・リーブ。
 スーパーマンだね。こりゃ、ちょっと文句ないよね。二枚目、しかもいい奴。
 ジェーン・シーモア。
 『バミューダの謎』で海亀と一緒に泳いでた女だよね。残念だが、可愛いね。認めます。
 で、テーマは、時を越えた果たされぬ恋愛、と来る。
 こりゃ、完璧だ。
 まいった。
 観客は自動的に彼らの味方につく。

 この映画のプロットはお粗末な欠陥品であり、微塵も説得力がない。
 タイムトラベルの方法も、60年前のファッションに身をつつんでひたすら自己暗示を続ける、非常に危険な方法。そりゃ、この映画全体がリーブの妄想って解釈も飛び出すわな。
 ネタを割るけど、なぜ、コインを見た途端現代に引き戻され、1912年に二度と戻れないのか、根本的にわからない。
 コケの一念?ならば、なんでもう一度時間の壁を越えられないんだ?
 
 答えは簡単。

 作者が、時間旅行という反則技を、自分に都合のいい道具としてしか使っていないから。
 この二名は、引き離されるべくして離されるんです。それで泣け、と言われても困る。
 虚構の中に非現実を持ち込むとき、一番慎重に警戒すべきところを、あまりに無自覚にやってしまっている。詰めが甘い。甘すぎる。藤子Fに土下座しろ。

 ・・・って、まぁ、甘口もたまにいいじゃないですか。
 白昼夢みたいな、美男美女の恋愛をボケーーーッと眺めるのも、あんたにはいい薬ですよ。

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2011年12月 3日 (土)

『この子の七つのお祝いに』 ('82、松竹-角川春樹事務所)

 「この世に、酷いこと、つらいことがなかったら、善いことにどんな意味があるというの?
 幸福もないわ。」

 (ストルガツキー兄弟『願望機』)

 日本映画が誇る“負の球体”、岸田今日子の魅力が爆裂する傑作である。今日子様は妄執に憑かれた狂気の母親を演じ、軽くひとさらいを一発こなして他人の娘を拉致、監禁。キラーマシンに仕立て上げる殺しの英才教育を施す。
 そう考えると、これは実は「レディーウェポン」シリーズと同じ構造を持っていることになるのだが、あちらが殺人に到る経緯を極めてライトに、ビジネスライクに描いているのと比べ、今日子様は重低音の呪い節。呪詛の連続合奏。恐怖のつるべうち。
 人を殺す行為の重さを考えるなら、どちらが正統かつ真剣だか、きみにもわかるだろう。
 増村保造。
 やつは、本気で人を殺す気なんだ。

 今日子様は、娘が七つになった年の元旦。娘に晴れ着を着せると、手首と頚動脈を掻き切って自殺。素晴らし過ぎる展開に拍手喝采だ。
 そこから一挙に映画は現代に飛んで、室田日出男の刑事、毎度お茶目な杉浦直樹、豪快すぎる名古屋章(オレにとって「AKIRA」といえば、名古屋章である)、ラブホテル経営者で二郎さんまで顔を出す。楽しい。楽し過ぎる。
 岩下志麻の固すぎる演技は、たぶん増村の要求を素直に反映しすぎた結果なんだろう。 
 この人に気違い役をやらせると、妙に光るのは、『悪霊島』に於けるシャム双生児のミイラをかき抱いてのオナニーシーンであなたもご記憶かと思うが、今回も会津の伝統工具をフル活用しての多彩な連続殺人に挑戦。一種のツールボックス・マーダーであるが、申すまでもなく、毛唐のライトなスラッシャーとは比較にならない、抜けが悪く末代まで後を引くような、嫌な感触に溢れた殺人劇を見せてくれる。

 お正月映画に最適。さすが、松竹。

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2011年11月12日 (土)

『宇宙水爆戦』 ('55、ユニヴァーサル)

 あまり実際的でない方法で、地球人科学者を星間戦争に協力させようとする宇宙人。数々の奇跡を見せたり、正体不明のデバイスを匿名で送りつけたり、効率の悪いこと夥しい。
 われわれは、こういう困った人たちをどのように扱うべきなのだろうか。

 a.徹底的に無視する。
 b.とことん忌み、嫌う。


 そういう常識的な反応を敢えてせずに、この映画の主人公達は宇宙人の秘密計画にボケーッと乗せられて、破滅間際のどこかの星に拉致されてしまう。実に夢のある展開だ。
 
 その惑星では、脳がふたつに割れた昆虫顔のミュータントを奴隷に使っていて、つまりこれぞかの有名なメタルーナ・ミュータントなのであるが、こいつが主人公達の周りをうろうろする。いや、本当、襲って来こない。うろうろするだけ。デザインは最高なのに、行動は最低。誰だ、演出家。
 他にも、三角形のTVスクリーンがついた惑星間電話とか簡素すぎて素敵なUFOとか、デザインセンスは一流なのに、使い方が三流以下の場面が続出するのには辟易した。頭悪いんじゃないのか。いい加減にしろ。

 という訳で、即座に「金返せ」と叫びたくなる筈が、最後まで楽しく観れてしまうのは、ヒロイン、フェイス・ドマーグのおっぱいの魅力である。川に飛び込んでズブ濡れになる場面もあるぞ。わかってるじゃないか、監督。
 私は慌てて、どこかに仕舞い込んである『水爆と深海の怪物』のDVDを探しにかかった。買ったもののまだ観ていなかったのだ。抜かった。
 この映画で、なんと彼女はハリーハウゼンの操る大蛸と共演している。大ダコ。おぉ、いいもんがあるじゃないか。

 それにしても、水爆、水爆とうるさい女優である。もしやスイカップとはこれか?

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2011年11月 6日 (日)

大林宣彦『転校生』 ('82、A.T.G.、N.TV)

 恥ずかしいもの。
 世間の晒し者。
 それは、諸君が生きる上で必要とするもの。


 いささか奇抜な連想ゲームではあるのだが、佐藤師匠に薦められて先週聴き込んでいたパフュームのベスト盤(恐れ多くも佐藤氏手づからの編集)で、あたしが気に入った「マカロニ」のプロモクリップをYOUTUBEで検索してみたところ、8mm風の手持ちキャメラで懐かしい原宿から渋谷、東横沿いに代官山、多摩川へという風景が撮影されており(あたしは東横沿線にに十数年住んでいた)、あぁ、でも8mmで思い入れの有る町を撮るスタイルといえば、やっぱりこれが元祖かつ決定版でしょう、ということで大林宣彦『転校生』を久々に観たくなったのであります。

 いまさら『転校生』を傑作呼ばわりしても、誰も文句は云わないと思うが、それにしても不思議なバランスで成立している映画だ。
 そもそも一夫の家の玄関に貼り出してある『駅馬車』のポスター。あれはなんだ。
 白黒の現実から映画が始まり、カラーのファンタジーが展開して、再び白黒の現実に戻る。この構成は周知の通り、『オズの魔法使い』であるし、一美の兄は月刊スターログを購読している(あの表紙は「現代SFスター名鑑」特集の号である、と同じ愛読者ならスラスラ答えられるだろう)。
 しかし、いったい、いつの話なんだ、これは?

 この点、あたしは、無意識に間違いを犯していた。
 初めて(「A TELEVISION」のテロップが出る)TVで初見のとき、ノスタルジックな演出に乗せられてこの話がそれほど遠くない過去に尾道であった出来事のように錯覚したのだが、本当は違う。

 これは、幸福な記憶についての物語である。
 それゆえ、過去について語っても、現在性を喪わない。

 
 この映画における時間軸は、いわゆる時計刻みでの正確さを持ち合わせていない。
 すべては主観においてのみ捉えられ、時間経過は意味を為さなくなる。
 幸福とは、時間を永久に停止させる装置だ。
 人外魔境出身のあたしですら、そういう基本的な事実を知っているのだから、もう少し恵まれた人生を送っている筈の諸君がそれを知らん訳はないだろう。
 この宇宙は、なにもニュートンやアインシュタインの物理法則のみに従って動いている訳ではないのだ。

 さて、それでは冒頭に出てくるナレーション、「あっ、尾道だ」「懐かしいなぁー」は誰のモノローグであろうか。
 監督自身の呟きでも良いのだし、それが成長し商業映画の監督にまで出世した一夫自身の感慨であっても一向に不都合は無い。ここに作者と登場人物は融合し、一緒にカメラを廻しているという奇妙な関係性が成立する。
 だからこの映画は一種のプライヴェート・フィルムだ。
 それを劇場でかけようというのだから、そりゃ無理が生じる。こっぱずかしい。
 「しかし、そういうことを敢えてやる、というのにも意味があるんじゃないでしょうか?」
 どうも、大林宣彦はそう言っているように思われる。

 私も、そう思う。

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2011年10月25日 (火)

白石晃士『口裂け女』 ('06、角川映画)

 「・・・あたしを、切れ・・・!」
 

 と、派遣社員のOLが言った。

 「・・・なんでやねん。」と上司は呟き、また仕事に戻った。

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2011年10月17日 (月)

レニー・ハーリン『ロングキス・グッドナイト』 ('96、カロルコ)

 各国首脳は否定しているが、メガフォースの存在は明らかだ。同様に、『ロングキス・グッドナイト』が傑作であることも。

 レニー・ハーリンの映画はかつてやたらと地上波でオンエアーされていたので、そこのあなたもご覧になっている筈だが、はて、ご記憶かな?
 一番有名な『ダイ・ハード2』を思い出して貰えれば幸いだが、誰が見たって無理がある豪快過ぎるアクションを、ゴリゴリと極太バイブのように押し込んでくる、男らしいにも程があるバカ映画監督である。ビールに目がなくて、胸毛の濃いタイプの。今では絶滅危惧種だろう。
 彼の映画は、知的欲求には一切応えてくれない。ヴァーホーベンのように捻りが利いているわけではない。しかし、その愚直な魂の咆哮は、われわれの脳の眠れる半球に極めて効果的に作用するようだ。
 すなわち------「もっとバカを観せてくれ!」

 そのバカが一種突き抜けて、感動を呼ぶレベルに到達したのが『ロングキス・グッドナイト』である。
 一介の家庭の主婦が(おっと、彼女は学校の先生もやってたな!)実はC.I.A.の凄腕エージェントだった、という間抜け極まりないシナリオをレニー・ハーリンは胸を張って堂々と演出する。
 襲い来る危機また危機!水車に括りつけて拷問!氷上に銃弾を連射して高所落下!機銃掃射で吹っ飛ぶおっさん!出てくるヘリは全部墜落!
 でも、それは単純にジェットコースター・ムービーの派手派手な楽しさとも違っていて、なんていうか、とっても身体を張ってる感じのするものなのだ。
 いじらしい、というか。健気というか。

 クライマックス、銃弾に倒れたジーナ・デイビスに対し、幼い娘が「なに死んでんのよ!」「立ってよ、ママ!!」とキレまくり、叱咤激励する場面は、意外なところで松本大洋『ZERO』とまったく同種の通低構造を持っている。
 だから、続けてサミュエル・ジャクソンが、
 「コン畜生!俺はまだ死んでねーぞ、マザファカ!!」
 と、絶叫しながら、トレーラーのドアを蹴破って突撃してくる、ムチャクチャ過ぎる展開は間違いなく観客に理解を越えたサムシングを届けてくれるだろう。
 これを称して、感動と呼ぶ。

 まさか、レニー・ハーリンの映画でそんな基本を教わるとは思わなかったが、観客を100%のせることが出来たら、その映画は間違いなく成功なのである。
 ヒッチコックを間違って解釈したようなシナリオも、キャメロン『トゥルー・ライズ』への目配せも、なんかやたら五月蝿いオールディーズ曲の濫用も、この際すべてチャラだ。
  
 心の底から感動できる、薄っぺらい映画。
 そういう映画が一番尊いのだ。各国首脳は否定しているが。

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2011年10月11日 (火)

『蛇女の脅怖』 ('66、ハマーフィルム)

 シリーズ「変な顔の女がお前を襲う!」その①。
 観ても、サッパリいいことない不憫な映画を大特集。さぁ、みんなで、嫌な気分になろう!

【あらすじ】

 突然、兄が変死した!
 
「ラッキー、こいつは遺産を貰い受けるチャンスだぜ!」ということで欲深な弟は、現職の公務員(近衛兵)を辞して、コーンウォールの田舎の村へやって来る。妻は、家一軒ロハで提供されるというだけで、既にウハウハだ。ロンドンの住宅事情は、千葉に一軒家を持つよりも厳しいローン地獄なのだ。
 だが、鉄路を乗り継ぎ、馬車に揺られて辿り着いた村は、外来者を極端に嫌う、心の狭い人間ばかりのしみったれた貧乏臭いところだった。なにせ、同じ飲み屋に入ってくると、それまで談笑していた連中が全員出て行ってしまう(!)。幾らなんでも、極端過ぎはしまいか。
 「最近、変死体が続々見つかってるもんですからね・・・」
 飲み屋のおやじは、済まなそうに弁解する。「みんな、すっかり、臆病になっちまって」
 
 「そういえば・・・」
 弟は、ようやく思い当たる。
 「俺の兄の死因は、なんだろう?」

 人夫として近所の酔っ払いのジジイを雇い、真夜中に死体を掘り返す弟。さすがに外聞が悪いので、こんな真似をしてはみたが、天知る、神知る、悪を知る。降り出したどしゃ降りの雨にドロドロ、グシャグシャの悲惨な状態に。
 「おー、神よ!ごめんなさい!」
 そのとき雷鳴が閃き、どす黒いコント顔に変貌した兄の顔が棺の隙間から覗く。
 「ギャッ!!」
 思わず死体に土をかけ出すジジイ。こいつ、確実に何か知ってる。
 シャベルを放り出し、墓地の片隅で急に震えながら蹲ったおっさんに、懐中の小瓶からコニャックを振る舞い、苦心して秘密を聞き出そうとする弟。
 ジジイ、震えながら、
 「あ・・・ありゃ、コブラの毒だ。毒にやられたんだ」
 「なんで、こんな場所にコブラがいるんだ?」

 そこで思い当たったのが、隣の家に住む神学博士のフランクリン。あいつ、アジアの宗教が専門だと云っていたが、なにか関連がありはしないか。っていうか、絶対あやしいだろ。
 そこで、シルクハットで正装し杖まで持って隣家の玄関をノックする奇策に出た。これならよもや追い返せまい。作戦は見事図に当たり、フランクリン博士の娘に紹介される。
 「ほほう。美しいお嬢さんですなー。メチャメチャいけてますよ。ロンドン社交界でも、これほどの美女はなかなかお目にかかれまい」
 本場の社交界もたいしたことないようだ。
 「アンナ、一曲演奏してあげなさい」
 簡単に気を良くした博士の音頭で、娘、シタール独奏。
 あきらかにタンブーラのドローンが加わっているが、そんな専門的な突っ込みは佐藤師匠以外しないのであった。パチパチ。盛況のうちに独演は終わった。

 「ところで、変死体の件ですが・・・」
 座も暖まったことだし、別スレを立てて事件の真相に迫ろうとする弟に対し、博士は突如テンション全開でブチ切れる。
 「出て行け!!
 二度とわしの家の敷居は跨ぐなよッ!!」


 ほうほうの態で逃げ出した弟のもとに、深夜、あの墓堀りを手伝ったジジイが駆け込んでくる。
 「だ、旦那・・・やられた、あの女は蛇女だ!!」
 ジジイの顔はどす黒く変色して、呼吸困難に。
 すぐ医者に見せなければ。
 主人公は隣家へ走り、フランクリン博士のドアを叩いた。
 
 「ドクター!夜分すいません!うちで急患が出たんですよ!すぐ来てください!」
 「なんだ、きみは。失礼な。
 私は、ドクターといっても、宗教学が専門なんだぞ」
 
 「でも、ボクよりは確実に頭いいでしょう。さぁ、来てください!」

 強引すぎる理屈で、危篤の患者を診る破目になったドクター・フランクリンの運命や如何に?!
 奇絶!怪絶!また、壮絶!


【解説】

 「あれ、肝心の蛇女が出る前にあらすじ紹介が終わってしまったゾ?」とお嘆きの貴方に、グッドニュース!
 ャーーーン!! 
 実は蛇女の正体は、博士の娘!!

 
 ・・・って、知ってました?
 あ、そう。
 このメイク、当時としては画期的によく出来ていて、後世に多大な影響を与えたと思うんだけど、首から下は若い娘のまんまなんだよねー。
 やれます。
 確実に、やれます。

 やってどうする、という気は確かにするのだけれど、それはやってから考えればいいじゃナイか?!

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