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2024年12月

2024年12月 1日 (日)

エリック・フランク・ラッセル『特務指令<ワスプ>』 (1957年) (1968年伊藤哲訳、ハヤカワ・SF・シリーズ3197)

「これ紛れない傑作。読む価値あり。地味だけど」

 古本屋のおやじは、コーヒーをテーブルに置いて、懐から縦長のポケット版ソフトカバーを取り出した。
 西日暮里の喫茶店。
 暇を持て余す怪奇探偵スズキくんは、向かいの席で深々シートにしゃがみ込み、ひっそりタバコを燻らせている。
「それ、ボクにお奨めしてるってことでいいんですか。突然呼び出して、慌ただしい年の暮れ、ボクだってあながち無為徒食じゃないんですよ!」

「あぁ。“怪奇な事件が巷に・・・”ってんだろ?(笑)今回強力に押す気ゼロだが、でも、読んだら確実に面白い。普通にエンタメを持ってきました。部分的にジャック・ヴァンスに似たノリはあるけど、ヴァンスほどの特異性、異境趣味エキセントリック展開はない。割と平坦でノーマル。というか割と決定的なこと言うけど、これべつにSFじゃなくていいの。普通の英国冒険小説でいいんだよ。括りは」
「え?ハヤカワ・SF・シリーズなのに?」
「うん、そう。これは、文庫化復刊もされないで埋もれてしまった、ロストSFシリーズの一冊だ。中味は単純な宇宙エスピオナージ物。あるある系。筋立ては別段混み入ってないよ。地球とシリウス帝国の恒星間戦争が背景になっていて、主人公は単身で潜入工作員としてシリウス傘下の惑星へ、武器や大量の贋札と一緒に降下する。やつらを内部から叩くのだ!」

「なんで贋札と一緒に?(笑)経済がらみの一種の国際謀略戦、スパイ物の亜種みたいなもんですか?」
 まったく興味の湧かないスズキくんは、あくび混じりに適当に返事をする。

「うんうん内容理解が合ってる合ってる。珍しい。で、このシリウス星人というのは、異星人というか、要は地球からの移住民族なんだが、見た目地球人とそっくりなのは当然として、主な特徴、ともかく超軍国主義国家のバリバリで、そろって皮膚が紫色で、しかも全員ガニ股なんだ(笑)」
「それって、まさか、ガミラス星人じゃないスか(笑)」
「そうそう、これを“『宇宙戦艦ヤマト』の原点発見!”とか騒ぐほど私も若くないが、案外本当にそうかも知れないよ(笑)民族主義とか人種差別とか、差別意識丸出しでもまだ特異視されてなかった時代だから。色眼鏡過ぎる他国人、第三国人像だよね」
「そんな中に潜入するとなると、まさか・・・」
「そう、主人公は登場シーンの殆どすべてをガニ股で通します!!!(笑)」
「ガニ股スパイ物。ホンのちょっとだけ、興味が湧いてきました」
「この差別思想は、後にノーマン・スピンラッドが『鉄の夢』で揶揄することになるけど、要はナチの戯画なんだ。笑いを前面に出すことなく、タチの悪いジョークを連発する。英国人の根性悪さがいい感じに物語を加速させてるよね・・・ゲホゲホ」

 おやじは息せき切って喋りすぎ、慌てて自分の前のコーヒーを啜った。
「大丈夫ですか?死ぬんじゃないですか。お迎えがきましたか」
「ゼイゼイ。・・・大丈夫だ。読みたい本があるうちは人間は決して死なないもんだ」
「カッコよすぎ。何年やってもファンつかないけど立派です」

「で、主人公は確かに徒手徒拳で、惑星全体を統括するゲシュタポみたいな秘密警察とバトルを繰り広げるんだけど、戦法が異様に地味なの。具体的なテロ方法はまずステッカー貼り大作戦だ!
「は?ステッカー?茨城のヤンキーですか?」
「政府転覆を狙う秘密組織・シリウス解放党(架空)を名乗り、宣伝のステッカーをそこら辺に貼りまくる。地下アイドルか80年代のパンクバンドのノリだね。なにその活動。政府は尻尾を掴もうって躍起になるけど、そもそもこの組織、実体がまったく無い架空のもの。党員は一人もいない(笑)」
「なるほど。派手なミリタリーSFとは一線画す、地味でベタな活動戦略ですね。そんな地味な男が本当に政権にとってどれほど脅威なんですか?」
「ガン無視でいいのに、無視しないの!ま、無視してたらこの話即終了だけど。国や軍の暴力圧政が酷ければ酷い程デマは拡散される。主人公の地味なテロ行為により、政権は動揺し、まんまと乗せられて惑星全域挙げてのテロリスト狩りに乗り出す。ま、そこは本線ではなく、あくまで側面支援。個人の活動の影響は実際にはかなり小さくて、地球軍宇宙艦隊がシリウス軍を撃破して進行して来る。政局としては勿論そっちがデカくて、主人公のは微々たる草の根活動の一環に過ぎないのが真相なんだけど。ま、サラリーマンがんばります。

 総合的に見て、この小説内では事態がいささか主人公の都合のいいよう進みすぎるのだが、そこは『鉄の夢』が採用した超ご都合主義だね。運良く生き残る奴が物語の主役。それがエンタメの基本型だから。つまり逆ストルガツキー兄弟『収容所惑星』ってことだよ。わかるだろ?!」
「・・・その譬え、一ミリも理解できてませんが・・・」

「・・・まァいいや。人類には絶え間ない啓蒙が必要だ」
 古本屋のおやじは溜息をついた。
「ともかく、本書はハリー・ハリスンが1960年以降連発する冒険SFに共通するような、従来の通俗宇宙冒険活劇を逆手に引っ繰り返す、リアリティと現実感覚の皮肉な投入なんだ。ハリスンファン全員読め。『死の惑星』『殺意の惑星』『ステンレススチールラット』被ってるぞ。つまりは宇宙ハードボイルドってことなんだが、重要な一点が違う」
「それ、なんですか?」
「ズバリ言うわよ。お色気皆無。この本真にハードボイルド過ぎて、女性は一名も出てきません!ヌードもブラウスを押し上げる豊満な乳房も無し。それなしに、この俺を最後まで読ませるのだから大したものだ」
「はぁ嘆かわしい。あんたは書籍にいつも何を期待してるんですか。どこの店ですか。ボルヘスだってお色気秘書は出ませんよ?!」

「だから、ダメなんだ!!!暴坩屁巣(ボルヘス)!この悪魔野郎!!!」
 おやじはテーブルを叩いて立ち上がる。
 さして混み合っていない喫茶店中の客が、一斉に不審な目を向けた。
「ジャスト外道。したり顔の腐れジジイめが。常にスカして叡智の権化ばかり気取りやがって。カスが。死ね死ね、死んでしまえ!!!」
「・・・いや、1986年6月14日, スイス ジュネーヴにて既に亡くなってますが。キン玉袋に豊富な精子の溜まったおやじの下半身事情は無視して、話を進めてください」

「流石だ怪奇探偵、見事な脱線捌きである」
 おやじ、居住まいを正し、
「わしの記事が自然と長くなる理由がようやく判明。無駄が多いのだね、要するに。海より深く反省し今後は精進して参ります、ということで本筋に戻すが、この本、一匹狼テロリストが世界を相手にする英雄譚です。宇宙版『ジャッカルの日』というかな。その割に派手要素なくて地味一本槍だが」、
「『ジャッカル』最近リバイバルですよね。見ました。カッコいいじゃないですか?」
「こっちの暗殺方法は大体だまし討ち。身分を偽って相手を信用させ、隙を見て路地裏とかで射殺しちゃう(笑)ナチの武官とか将軍とか。手口がはなはだ卑怯。痛快度ゼロだけど、ま、ひとりだからな。この男の働く最も派手な犯罪テロ行為は、港に停泊中の大型フェリーに時限爆弾仕掛けて沈める、ってもんなんだけど。しかも四隻」

 スズキくん、さすがに怒色露わにし、
「げげ。そりゃ単なる大量殺人じゃないですか。一番許せんやつじゃないですか」

「だろ。地獄絵図だよ鬼畜の所業だよ。ところが、その肝心の死体散らばる阿鼻叫喚の場面は出てこないだ。“いっぱい死んぬだろう”くらいのアッサリ感で主人公は遠隔地へ逃亡していってしまう。一切の深み無し。かれ自身も官警に執拗に追われ切羽詰まってるからね。戦時下とはそういうものだ」
「戦争小説のいちばんヤバい真実。戦争中ならどれだけ殺してもノット・ギルティ」
「マイク・ハマーじゃないが、ナチ野郎はどんだけ殺してもいい(笑)古いな。あ、いやでもマイク・ミニョーラの『ヘルボーイ』も同じ考えだったぞ」
「あれは、インディ・ジョーンズのノリでしょ。深い意味ないでしょ」

「殺しはよくないです」

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