P.D.ジェイムズ『不自然な死体』(Unnatural Causes、1967年) <早川書房 世界ミステリシリーズ1410>
「怪奇探偵スズキくん、いま怪奇はどこにある?」
古本屋のおやじは饐えた暗闇の中に座ってしゃがれた声で問いかける。
昭和感漂う古本屋『運減堂』は、文京区本郷から台東区上野へ向かう暗闇坂の途中に、時代に取り残された遺物のように傾いで建っている二階屋である。なにせ目前は東大本郷キャンパス弥生門、嘗て樋口一葉など名立たる文人が本郷から上野を行き来した道も古式を偲ぶゆかりはまったくなく、門構えの大きい曰くありげな家もまだ辛うじてあるとはいえ、坂道沿いに繁茂してきた樹々の投げかける深い陰影など大半取り払われ、すっかり面白みの無い都心のありきたりな二車線道路の細い坂道と成り果てている。
誰も来ない店内にイスを設え、お馴染み怪奇探偵スズキくんはのんびりお茶など啜っている。
赤褐けた斜光が正面のガラス戸からうっすらと差し込み、居並ぶ本棚にぎっしり詰まった背の灼けた古書の山を照らし、カウンターに座った異様に真剣な面持ちの猿に似た老人の顔を闇に浮かび上がらせていた。
「そりゃ読者の皆さんの心の中に、依然としてあるでしょ。怪奇を求める心は不変ですよ」
「うん。先日の元首相射殺事件だって主たる国民の関心は背景に拡がる闇にある。宗教団体、無茶な献金、一家離散と自殺未遂、元自衛隊」
「いや、自衛隊は闇じゃないでしょ(笑)」
「22歳元女性自衛官が実名・顔出しで自衛隊内での「性被害」を告発・・・という記事がAERAに載ってたが。わしの小学校の幼馴染が自衛隊の医官かなにかで結構羽振りいい筈だが、あいつ出身は仏教大だぜ」
「(笑)いや、ぜんぜん、闇を感じませんが」
「まったく風情のわからん奴だ」
おやじは溜め息をつき、テーブルの煙草を取り上げ火を点けた。
スズキくんは愛想笑いを浮かべて、腕を組む。
「ただ、なんとなく言いたいこともわかる。平坦に地ならしされ無味乾燥、アメリカナイズにフラット化されたつまらん現代社会でも、人間居るところには常に闇の影が付きまとう・・・ですか。あなたと川島のりかずの持論ですね」
「百年以上生きてみて分かったんだが、人間のやることなんて、そんなに変わらんよ。権威というものが悉く矮小化され貶められる明るいSNS社会にだって闇はある。普段出て来ない内面が吐き出され易い傾向を考えれば、一層闇は深まったと言えよう」
「あんた百年以上生きてたんですか。そりゃご苦労様です」
怪奇探偵は半ば呆れた口調で言い放ち、お茶を啜る。
「その割に迂闊ですよね。隙が多い。このブログで言えば、2010年2月好美のぼる『悪魔のすむ学園』の記事をアップした時、あなた、パソコンを通じて悪魔が呼び出される設定が『女神転生』だって知らなかったでしょ?」
「うん、昨日YOUTUBE観てて気づいた。無知でした。謝罪しとく」
【ファミコン】女神転生 合体好きにはたまらない名作RPG
214,263 回視聴2022/07/20
https://www.youtube.com/watch?v=HUSr_CO6Bms
「ま、しかし、アレだな、スズキくん。ボルヘスだって『女神転生』知らないで「バベルの図書館」シリーズを編纂したんだろうしこりゃもうノーカウント、ノットギルティだよな!」
「・・・な、わけないでしょカスが!」
卑屈な笑いを浮かべるおやじを軽く一蹴し、怪奇探偵スズキくんは本題に入った。
「さてさて今回は、42歳デビュー!元看護婦にして生活苦の育児ママ、英国ミステリー界の大御所P.D.ジェイムズおばちゃんの初期傑作、『不自然な死体』を取り上げる訳ですが・・・」
「ここで注意!文筆家の最大のタブー、推理小説の評論を敢行するためには犯人もオチもすべてバラさねばならぬ、を今回も忠実に実行するからな!この本に少しでも関心があって将来読むかもと思う人は、読んでから来い!読んでから必ず来ないと、ギロチンに架けられ首を捥がれた血塗れのおやじが真夜中にきみの後ろに立つからな!ま、ただ単に立ってるだけなんだけどな!動きにくいぞ、気をつけろ!」
「はいはい。本書のあらすじはおやじに任せると嘘を書くといい加減わかったので、Amazonの商品ページから引用します」
内容(「BOOK」データベースより)
ダルグリッシュ警視が休暇でサフォークの叔母を訪ねた日、両手首を切断された男の死体が、小さなボートに乗って近くの海岸に流れついた。
遺体は付近の村に多く住む物書きの一人、推理作家のモーリス・シートンだった。
さっそく郡警察が捜査を開始したが、解剖の結果、意外な事実が判明した。死因は心臓麻痺。自然死だったのだ。
だが、はたして純粋な自然死なのか。手首切断の背景には何があるのか?ダルグリッシュは否応なく事件に巻き込まれていった…。
人間と背景の緻密な書きこみと謎解きの妙が見事に融合した、ミステリの新女王の初期の秀作。
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8D%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%AA%E6%AD%BB%E4%BD%93-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E6%96%87%E5%BA%AB-P-D-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA/dp/4150766045
「確かに面白そうな発端ですね。掴みはオッケーな感じがします」
「P.D.ジェイムズはちゃんとしてるんだよ。エンタメをわかっとる。溢れる凶悪な遺体損壊とネガティブ極まる人間描写。端的に言ってこりゃ横溝正史だな!」
「は、唐突に横溝ミステリーですか。あの宇宙飛行士Dさんも最大級のリスペクトを捧げるという(笑)」
「あいつは、いい歳こいて『怪獣男爵』のハードカバー復刊を購入してしまう本物の痴れ者だよ。お前の方がよっぽど怪獣男爵だっつーの」
「(笑)しかし、レビュアーは全員これが横溝だとは誰も気づいていない模様です。以下ランダムに引用抜粋してみましょうか」
■不自然な死体 (ハヤカワ・ミステリ文庫) 文庫 – 1989/8/1
P.D.ジェイムズ (著), 青木 久恵 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8D%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%AA%E6%AD%BB%E4%BD%93-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E6%96%87%E5%BA%AB-P-D-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA/dp/4150766045
河童の川流れ-ベスト500レビュアー
結末も不自然な構成であり、ネタバレになってしまうが、あの男を、あの女が手足のごとく使いこなすことができるだろうかとの違和感は免れない。
他のレビュアーが書いていましたが、「障害者に対するあからさまな嫌悪感が書かれていて非常に不快です。」とのご指摘は評者も同じように感じていたから同感してしまいました。
■不自然な死体 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
P.D.ジェイムズ
https://bookmeter.com/books/20419
kyoko
なんか気色悪い物語だった。好感を持てる人はダルグリッシュの叔母のジェインだけ。我がまま勝手な村の人たち、それぞれの人間性に興味を持てないまま(自分のせい)、突然の独白で事件解決。
(引用終わり)
「お前ら、本当バカだね!横溝だから人権無視なんだよ!(爆)特にkyouko!お前、小学生みたいな幼稚な感想書いてんじゃないよ!」
『只今不適切発言がありました。おやじは訂正してください』
「???」
「今のは今回から導入された違反行為判定A.Iです。当サイトの利用運営ポリシーに反する行為発言があった場合、自動的に稼働し反省を促す。度重なるルール違反が認められた際は利用者のアカウントを凍結する怖ろしい機能を有しています」
「お前が裏声で喋ってるんじゃないのか。だいたい貴様なんで後ろ向いて喋ってるんだ?」
「いいから先に行きますよ。次は好意的な発言の方です」
■不自然な死体 (1983年) (世界ミステリシリーズ)
mothra-flight
1、2作目で希薄だった探偵趣味が全面開花。両手首を切断されボートで漂う死体という最高のつかみから、自然な「不自然な死体」の解決ぶりは、その悪趣味ぶりとあいまって見事。
■不自然な死体 (ハヤカワ・ミステリ文庫) 文庫 – 1989/8/1
P.D.ジェイムズ (著), 青木 久恵 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8D%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%AA%E6%AD%BB%E4%BD%93-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E6%96%87%E5%BA%AB-P-D-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA/dp/4150766045
Nody-ベスト500レビュアー
ミステリとしても何故死体の両腕を切断したかという、後年の作品には見られない強烈なホワイダニットの面白さがある。中盤、ダルグリッシュがロンドンに赴く辺り、構成が緩むのが惜しいが、押し寄せる嵐の中、グロテスクな犯人の内面が明らかになるクライマックスは息もつかせない迫力だ。
(引用終わり)
「そうそう、遺体損壊にはちゃんとした理由があるんだよね。酷い理由が。途中両手の無い死人がタイプした手紙が届いて、容疑者一同ガクゼンとなるとか身障フル活用(笑)」
「クリスティは映画化されても、ジェイムズがされない黒い理由はその辺りにあるんですかね?」
「そうそう、ちゃんとクライマックスに大ネタでアクションを入れてくる。今回も終局に行くほどエンタメ指数が急上昇。メリハリの効いたプロの作劇術なのに。差別はおかしい」
■不自然な死体 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
P.D.ジェイムズ
https://bookmeter.com/books/20419
はもやん
【ネタバレ】これは女性でないと書けない話だなぁ。犯人の怒りもわかる気がする。なんとなく彼女のことが嫌いなダルグリッシュの「男の内心」も見透かしてて面白い。最後、ダルグリッシュ自身がデボラにフラれる理由も理由だし。
花乃雪音
タイトルはセイヤーズ『不自然な死』のオマージュとなるが、不自然な死体というには両手首が斬られた死体というだけでは大仰な表現に思えた。しかし、その後に実は自然な死であったことがわかる。最後に語られる両手首を切られた不自然な死体とした理由は凡庸だが死体を不自然と自然の間で行き来させたことでタイトルが意味をなしたように思える。
セウテス
タイトルから解る様に、セイヤーズ氏「不自然な死」へのオマージュ作品であり、本家そのままと感じる描写も後半には在る。しかし何故手首が切り取られたのか、という考察が少ない上に面白くない。圧倒的に、本家に軍配が上がると思う。どうやら、独自性を出し始めた時期に当たる作品なのだろう。また名探偵の見せ場である犯人を特定するクライマックス、こうした演出にも作者なりの批判を込めて描いたと感じる。
(引用終わり)
「おいおい、花乃雪音!お前の文章、何回読んでもなに言ってんだかサッパリわかんねーんだわ!
『最後に語られる両手首を切られた不自然な死体とした理由は凡庸だが死体を不自然と自然の間で行き来させたことでタイトルが意味をなしたように思える』
理由は凡庸?なに抜かす?そりゃ蓮見か?正体は蓮見学長だろう貴様?!お前の手首を切り落として、干して乾かして三越の贈答品の箱に詰めてメキシコ人達に送ってやろうか?!この凡庸にスカしたクズ野郎が!」
『ピーッ、ピーッ。只今不適切発言が・・・』
「うるせぇ裏声小僧。だったら、オレの発言、どこが具体的にまずいのか説明してみろ!」
『殺害予告はNGです。あと蓮見と三越は、特定出来てて完全にあかんやろ。特に三越。アホかお前は!無駄にリアル企業を敵に廻して何の得があるんだっちゅーねん!』
「わーわー、ハスミはともかく、三越さん三越さんごめんなさい。溢れる三越愛の為せるワザなんです頼むから許してちょんまげ。そしてにゃんまげ」
おやじ、平伏し連続土下座で地面に頭を擦り付け、床に穴を開けてしまった。
怪奇探偵スズキくんは嘆息し、気を取り直して言った。
「ところで、唐突に語られるセイヤーズ氏の「不自然な死」とは・・・?検索してみました」
■不自然な死 (創元推理文庫) 文庫 – 1994/11/16
ドロシー・L. セイヤーズ (著), Dorothy L. Sayers (原著), 浅羽 莢子 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8D%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%AA%E6%AD%BB-%E5%89%B5%E5%85%83%E6%8E%A8%E7%90%86%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BBL-%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%BA/dp/4488183042
殺人の疑いのある死に出会ったらどうするか。とある料理屋でピーター卿が話し合っていると、突然医者だという男が口をはさんできた。彼は以前、癌患者が思わぬ早さで死亡したおりに検視解剖を要求したが、徹底的な分析にもかかわらず殺人の痕跡はついに発見されなかったのだという。奸智に長けた殺人者を貴族探偵が追いつめる第三長編!
(引用終わり)
おやじは床の穴から泥だらけの顔を持ち上げ、
「なんか、これ、普通じゃね・・・?読んだことある感、満載なんじゃね・・・?」
「おそらく花乃雪音とセウテスは、『おまいら知らねーのかよこのカス』病の知識マウントでしょ。でも本書と確かに関連はありそう。タイトル原題. Unnatural Deathだし。暇があったら比較してみる必要がありましょうが・・・浅羽が訳してるんじゃ期待薄かな・・・」
「でも、絶対この本は横溝じゃないよな!!!もう断言しとくわ!ジェイムズの最大の長所は、英国人のくせに獄門島に勝手に出張してきているところにある」
「まだ無茶言いますか。あんまり言うとまたA.Iに怒られますよ」
「いや本当だって。P.D.ジェイムズには超有名作品『女には向かない職業』というのがあって、江口寿史かそれに似た人が文庫版カバーを描いているので、てっきりおしゃれな都会派ミステリー作品かと誤解していたら、実際読んで驚いた。ゴリゴリの昭和感溢れる因果物!」
■女には向かない職業 (ハヤカワ・ミステリ文庫) 文庫 – 1987/9/15
P.D.ジェイムズ (著), 小泉 喜美子 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%B3%E3%81%AB%E3%81%AF%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E8%81%B7%E6%A5%AD-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E6%96%87%E5%BA%AB-P-D-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA/dp/4150766010/ref=asc_df_4150766010/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=295642265223&hvpos=&hvnetw=g&hvrand=2059325656949457903&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009303&hvtargid=pla-579065870607&psc=1&th=1&psc=1
「巻頭でおっさんが無惨な死を遂げるのは『八つ墓村』だし、その遺言は、娘よ拳銃やるから『獄門島』へ行ってくれ。ケンブリッジの若者描写はまったく『悪魔の手毬唄』の大空ゆかりと取り巻き衆と瓜ふたつ!マジいや本当よ!遺体を鉤爪フック釣りするのは『蝶々殺人事件』だし、主人公は井戸に落とされ決死のサバイブ『車井戸はなぜ軋る』。あまりに酷い犯人とその動機は完璧『病院坂の首縊りの家』レベルであり、一族の因縁と無惨なシンクロニシティ。終盤を締めくくるアクションは『犬神家の一族』松子大立ち回りだ!」
「・・・えー、途方もなく熱弁奮ってるけど、本当ですか~?」
怪奇探偵スズキくんは目を三角にして疑っている。おやじは襟を正し、
「疑うなら、論より証拠。読んでみたまえ。そして実際読んでみてから私に文句を言え」
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