筒井康隆『霊長類 南へ』('69、講談社)、『馬の首風雲録』('67、早川書房)
(軽快な音楽流れる。)
・・・いや、「『探偵ナイトスクープ』秘書が結婚」というニュースタイトルを読みまして、へっ岡部まりが?と咄嗟に連想してしまったくらい、時代から完全に取り残されてちゃってる哀れウンベルですけども。そ、そ、まりは二代目ですね。結婚したのは三代目。って誰だっけそれ。え、本筋以外の無駄口が多い?イェー正解です。ナイトスクープの記事から過去の探偵たちの中に地獄じじいの名前を見つけて思わず検索を試みるくらい、ヒマなんですもの。いいよね、地獄じじい。一家に一匹常備したい。
ということで、いってみましょう。「神秘の探求」名物・誰が読むんだどくどく読書のコーナー!
(音楽切り替わり『ジョーズ』のテーマ)
他人に頼まれたわけじゃない。
暮らしに余裕があるでもない。
俺が読まねば誰が読む。
今日も真っ赤な緋毛氈敷いて読書の花道ひた走る。
売れてる本にゃ目も呉れず、いまさら感のネタてんこ盛り。
日本の読書は狂ってる。
ならば楽しく狂おうぜ。
読書狂人ウンベルケナシの、誰が読むんだどくどく読書?!のコーナー!!!
ということで。 本日取り上げますのは筒井康隆先生の、第一回星雲賞受賞の傑作長編『霊長類 南へ』でございまーーーす。パフパフパフ。(まばらな拍手)
南に行きすぎると、南極点に到る。これはそういう含深い重要なテーマで構築された小説なんですが、一体誰がそこを気にするというのか。実はそれがすべてなんですけど。本当。でも疑り深い人のために、まずはあらすじ紹介を。
時は冷戦最中、“鉄のカーテン”という言葉がまだ生きていた時代。中国ミサイル基地での景気いいI.C.B.M.誤射に端を発し、ホワイトハウスとクレムリンがホットライン越しに仲違い。勢いにまかせてポラリス満載で原潜艦隊出撃、爆弾を飛ばしまくったから、さぁ大変。世界は核の劫火に包まれ、パリ、ロンドン、アムステルダム、テヘラン、アンカラ、北京、ベルリン、シカゴ、ミラノ、ブエノスアイレス、コペンハーゲン、シドニー、ウラジオストック、ナイロビ、仙台など各国主要都市は一瞬で残らず無残な穴ぼこに。
え、東京は?っていうと、これは偶然助かった。直撃は免れたが、安心するのはまだ早い。当節流行の『渚にて』方式の採用により、北から刻々と迫り来る放射能を含んだ塵灰の脅威。
生き残った人類は南へ、南へと生存を賭けた大逃走を開始し、見苦しくジタバタしながら先を争うように無駄に死んでいく・・・・・・。
浅薄で深みを欠くようにわざわざ設定された登場人物たちが徹頭徹尾愚かしい行動をひたすら繰り返す。彼らのバカげた行為は切れのいい文章によって積み重なり、とにかく人間がどんどん死ぬ。もう画期的なくらい、ジャンジャン死ぬ!そりゃそうだ、だって地球滅亡なんだぜ。
人類滅亡テーマの本質とは、とにかく人がひたすら死にまくることである。
カッコも糞もあるものか。とにかく死んで死んで死んで死んで死にまくりだ!この認識こそパーフェクト。あまりにくだらない死の連鎖は逆に一種の爽快感すら呼び起こす。
よく考えてみれば、そうじゃないですか?世界の破滅は細菌兵器の暴走や軍事シミュレーションの結果だったりするけど、そんなカッコいい要素はさておいて、実際に目撃されるのは、まずはなにをさて置いて死体ゴロゴロでしょー?
世にあまたある破滅テーマSFなんて、個人の死にざまの描写においてまだまだ甘いぜ。どいつもこいつもキレイごとばかり抜かしやがってとんでもねぇ。人がジャンジャン死ぬなんて、不謹慎だが面白い。とっても面白いじゃありませんか。あぁ、そうとも。
お前ら全員死ね。ひたすら死ね。意味なく死んじまえ!
だから、地上に残った最後のゴキブリ一匹までが死に絶えるまでを大量殺戮の陶酔と勢いにまかせて活写したこの小説は、深い意味なんかない、思想やらもっともらしい理屈だのがついてこない部分こそが素晴らしいのであって、それ以外はスカスカ、絵に描いた餅のようだ。・・・でも、そこが画期的でよかったんだよね、あのころ。
ちなみに、“あのころ”ってのは、少女が時を駆け、事のついでにお湯をかけ、月曜にはトレンディドラマではなくしてドラマランドが存在し、トルコが改名する前の、ロマンポルノがまだまだ現役だった時代。人類は金属バットで両親を殴り殺し、ところ構わず逆噴射しまくっていた。核の傘の下でぬるま湯に浸かれる、実にいい時代じゃった。懐かしいわいゴホゴホゴホ。
(と、ここでアクシデント発生。PCが故障し二か月が経過する。)
・・・あ。
記憶飛んだ。何の話をしてたんだっけ?『霊長類 南へ』か。いまどき、そんな本読むなよ。筒井なんて誰もが中学ぐらいで読んで、あとは完璧忘れる。書棚の隅でほこり被って眠りまくりで、きみがお受験に合格し晴れて上京、引っ越し荷物を纏める際にでもブックオフに持ち込まれ適当に処分されてこの世の外へと消えていくトラッシュ書籍の典型でしょうが?
煎じ詰めれば、われわれは何を偉そうに消費を繰り返しておるのか?っつー話ですよ。それも、何様のつもりで、ってね。この国の文化はいつでもそうだ。私がなにを怒ってるのか既によくわかりませんけれども。わかる奴はわかる。
あ、そいでね、明確にパロディーとしてさまざまな戦争戯画のパッチワークを繰り広げる、『馬の首風雲録』が軍隊一個まるごと温泉で全滅!という画期的すぎる名場面を持っているように、『霊長類』において心に残るのは、たとえば南極観測船が人間が詰め込まれすぎて地獄絵図と化しながら出港し、東京湾の突堤にぶつかり浸水、マストの最先端にしがみついた最後の一名が髪の毛を揺らめかして海の藻屑と消えていくシークエンスにあるワケですよ。
SFってのは、絵だね(←パクリ)。
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