チャールズ・エリック・メイン『海が消えた時』 ('58、ハヤカワSFシリーズ)
1)まったくもって酷く救いがたい話だ。
その理由は、主人公がとことん愚かで救いがたい人物だからに他ならない。かれはべつに世界が終末を迎えなくても、確実に破滅していた筈である。
2)もっとも、われわれは揃いも揃って全員、愚かで救いがたい。
格別かれを責めるにあたらないだろう。
3)「・・・“くるみ割り作戦”は6月7日に行われた。3発の水素爆弾が南太平洋のカルーイキ群島海域で投下され爆発した。第一弾は高度約5千フィートあたりで炸裂したが、第二弾は平均海面上、そして第三弾は、こいつが一番大きくて・・・」
「三発目の最大の爆弾は英米共同設計になる、これまで一度もテストされていなかった怪物的な新兵器であった。それは海中2マイルの深みに投下され、巨大な火の玉と化して数億トンに及ぶ膨大な海水を蒸発させた。圧力波は太平洋両岸の地震計を打ち震わせ、いまもひっきりなしに地震が起こり続けている。爆発後四時間以内には、津波と揺れの影響で実験水域の周辺ではいくつかの島々が消滅した。」
「そいつはかつて人間の手で引き起こされた最大級の爆発だった!」
「キノコ雲の頂点は高度5万フィート---いや、おそらくもっと高いところまで達しただろう。放射性降下物は今もまだ、あちこちで降り続いている。六ヶ月経ったいまもね。」(中上守訳)
4)かくて史上最大級の爆弾が作り出した史上最大規模の巨大な地割れのなかに海水がどんどん吸い込まれ始め、やがて海が消え失せていく!
洋上には前代未聞のでかすぎる大渦巻が出現、船舶は軒並み航行不能に・・・。
5)「地殻とマントル層のあいだに隙間があることは、よく知られている事実だが・・・」 と、この作者は怪しい科学知識を基に書いている。「地球体積の約800分の1を占める膨大な海水はこの空隙に潜り込んで完全に消え失せてしまったのだ。私自身俄かには信じがたい気持だが本当だ。頼むから信じて欲しい。」
6)さて、小学生以上の大人ならみんなすぐ解ると思うが、海が無くなるとどうなるか?
ピンポーン、雨が降らなくなる。
日照りだ。酷暑だ。水不足だ。
かくて文明社会は物凄い速さで崩壊していく。水は完全に配給制となり、各国政府は軒並み秩序維持を名目に戒厳令を発令。飢饉、飢餓、暴動、無政府状態。犯罪が横行し水を商うマフィアが暗躍する。干上がったドーバー海峡を渡ってきた難民が沿岸を警備する英国軍に撃ち殺されるといった事件が毎日繰り返される。
7)そのころ、各国首脳は極秘計画を進めていた。
8)地上に残された僅かな水がいちばん集まっている場所はどこか。世界最高レベルの科学者が電卓叩いて弾き出した結論は北極と南極であった。その場所でなら水は凍りつき固体となって貯蔵される。決して減らない貯水源だ。
やった。これじゃん。
かくて両極地帯には要人やその家族を収容する秘密基地が建設され、ヘリコプターでこっそり人間を運び込んでいく。生き延びることができる数には限界がある。それに値するのは権力者であり政府にコネを持つ者だろう。大衆に真相を知らせることは即ちに計画の崩壊を招くのだ。
目眩ましが必要だ。
9)ロンドン。国に接収され一元化された報道機関に働く主人公は、ゲッペルス的な宣伝大臣の指示のもと、「地下から海水を汲み上げるパイプライン」の実現について嘘記事を書き続ける。世界の破滅を知りながら、この男それしかしない。
市街地は既に安全でないので軍兵に守られた高級ホテルに籠城。ワインを飲みジャズを聴き、妻と子供が一足お先に北極に行ってしまったのをいいことに浮気放題し放題。
最初、宣伝部のカワイコちゃんにモーションかけられたときには妻の岩みたいに冷徹な顔を思い出してグッと堪えたのに、気がつくと秘書課の女とねんごろになっていた。なぜだ。世界の崩壊はモラルの崩壊とイコールなのか。
10)そんなバカげたことを考えながら、今日も懲りずに腰を振っていたら、大衆を欺くという良心の呵責に耐えかねた同僚が自殺したというニュースが届く。
11)「まぁ、あいつなら」
と、かれは考える。「いかにも、そういうことになるだろうな。」
それ以上深い考察は無いのだった。
12)そうこうするうち、ホテル内飲み屋での情報として主人公の耳に入ってくるのは、妻が実はさる政府高官と浮気していたのではないかという疑惑。そんなダーティな裏事情無くして一介の新聞記者に過ぎなかった自分が北極基地入りを約束される身分になり得ただろうか。
さもありなん、とは思いながらかれは酒を飲み続けるのだった。
二名とも既に極地入りしてることだし。氷点下でじっとりねんごろになっているのかも。でもオレだってあいつを責められる立場には全然ないもんねー。ぐびぐび。
13)水洗便所も流せない悪化した衛生状態により、ヨーロッパ全域では再びコレラ、黒死病がいたるところに蔓延し猛威を揮っていた。
14)ロンドン市街地では病気に加え火災が発生。消防車が呼べない特殊事情のせいでどんどん燃え広がりやがてイーストエンドは壊滅。
ここでクエスチョン。
鎮火のために軍がとった、水をいっさい使わない思い切りよすぎる作戦行動とは・・・?
15)世界がどんだけ瀕死になろうが他人事だよお構いなし。とことん間抜けな主人公、ホテル籠城生活にうんざりして昔の女を抱きに市街へ出発。手土産代わりにウィスキーぶらさげて。まったく、とんだドンファン野郎。
「ホント、どこの政府要人サマだよ?!」
最底辺貧民窟ドヤ街の最低クラス売春婦に堕ちぶれた彼女にようやく出会ったら、いきなり思い切りグーで殴られた。イテテテテ。
「へっ、酒壜いっぽんぶら提げて来りゃ、喜んで股ぐら開くとでも思ったのかい?!」
「おあいにくさま、あんた相場ってのをまるで知らないね!!!」
せせら笑う女。
「それじゃ高すぎるってもんだよ!
いまのあたしは、チーカマ一個ですべて投げ出す女だよ!!!」
そこへ女の仲間が棍棒片手に襲撃してきたので、隠し持っていたワルサーPPKであっさり射殺。さすがにチーカマ女を撃ち殺すのは気が咎めたので足だけ撃って引き上げた。
本日もまた反省の色無し。
16)かくて物語が進行するにつれ、主人公はどんどん最低の人間に堕していく。
17)「油田の火事はどうやって消すか知ってるかい?」
TV画面の中ではヘルメットを被った作業員のおっさんが笑顔で喋っている。
「ダイナマイトを仕掛けて吹っ飛ばすのさ!」
ハイ、クエスチョンの正解、軍隊の考えた消火方法は「爆薬で思い切り吹っ飛ばす」でした・・・!!!
17)ウェストミンスター寺院周辺では軍による爆破作戦が続いている。よせばいいのに、秘書課の女とヘリコプターの乗り現場視察という名の物見遊山に出掛ける主人公。この時点で死亡フラグ10本は立ってる。
案の定、ヘリは爆破作業に捲き込まれて大破。到るところに爆煙が渦巻く無政府状態のロンドン市街に放り出されてしまう。女は墜落の衝撃で頭蓋陥没、意識不明。全身ズタボロで膝から骨も飛び出してる危険な状態。
「うわーーーっ、助けてッ、おまわりさん!」
しかし、通りすがりの警官は瀕死の女をレイプしようと襲ってきた。水も貴重だがやれる女だって貴重。地球資源は大切に。結果したたか殴られ、頼みのワルサーも取り上げられて、路肩に惨めに蹲る主人公であった。
満身創痍で白目を剥いてる女相手に数回放出すると警官は黒煙の彼方に立ち去っていった。
あとには秘書課の女の屍骸だけが残った。
18)それでも、うつろな目つきでなんとか政府機関の籠城するエリアに辿り着こうとする主人公、往生際が限りなく悪い。実は、急速に悪化する混乱状態を受けて都市部からの撤退計画が既に決まっているのだ。うかうかしてはいられない。
そこらで食糧を漁り、浮浪者の隠していた豆の缶詰を強奪したり、じいさんを蹴り殺したり、限度を越えた弱い者いじめを繰り返しながら、目指すは鉄条網の向こうの軍用空港。そこに北極へ飛ぶ最後のジェット機が待っているのだ。
しかし辿り着いてみると、自分達も見捨てられるのだとようやく気づいた軍隊が叛旗を翻し飛行機を包囲。既に政府のイヌ連中と激しい銃撃戦を繰り広げているではないか。こりゃいかん。けんかはやめて。私のために争わないで。
「おいおい、モマイら~!イイ作戦を教えてけつかるドォ~」
言葉巧みに軍隊側に取り入る主人公。狙うのは最終的に同士討ち。自分の直属上司を呼び出してあれこれ無駄な説明弁明をし交渉を長引かせている間に、軍の狙撃兵部隊は相手を狙い放題のポイントまでこっそり移動。景気よく銃火の花が咲く。
たちまち眉間から2メートルぐらい血飛沫を立てて倒れる上司。気勢を削がれた政府側、三々五々に散らばって逃げ出す。わらわら追って駆け出す軍隊チーム。い・ま・だ。
アイドリングを続けていたジェット機に走り込むと、座席に座るパイロットを問答無用で射殺。自分もわき腹を撃たれたが、なぁにこれしき、死ぬものか。
実はオレ、ジェット機も操縦できるし。
血とか腸とかだらだら床に溢しながら、離陸の加速に必死に耐える主人公。オレは死なんぞ。北極基地には妻と息子が待っているのだ。いまこそ分かった。完璧わかった。守るべきもの、それは温かい家庭だったのだ。
帰れるところがあるんだ。
こんなに嬉しいことはない。
機は最高速度で北を目指し飛び続けた。背後でイギリスが、大ブリテン島が燻る煙を上げて燃え続けていた。
19)数時間後。北極基地は、通信に応答が無いまま接近する国籍不明のジェット戦闘機を無条件に敵と判断、ミサイルで撃墜した。ジ・エンド。
20)有り難味ゼロ。教訓ゼロの結末。
21)さて、本作で消えていく海とは人間社会の倫理・規範の象徴であり、それが消え失せることにより起こる獣性への退行(具体描写はないが人肉食の復活が報告される)が大きなテーマとして扱われている。
こりゃバラードだ。まったくもってJ.G.バラードだ。設定だけ取れば、『燃える世界』そのものではないか。あっちは原因不明で雨が降らなくなった世界が舞台だったが、さてはバラちゃん、パクったのか。
だが読後感はまったく異なるものだ。
主人公をインテリに置き換え、白痴や謎めいた美女やら配して哲学的な美しさに満ちた風景描写を織り交ぜて華麗に展開するバラード世界と比べると、『海が消えた時』はいかにも底が浅く下世話で共感しにくい。登場人物も全員そろいも揃って最低のゲス野郎ばかり。これはもう、バラードとメインの品位、知能指数の格差としか思えない。
したがってこの作品から導き出される無理やりな教訓は、以下のようなものとなる。
22)浮気を繰り返すと世界が破滅する。
もしくは、怒られる。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント