浜尾四郎『殺人鬼』 ('31、ハヤカワポケットミステリ)
「シロー、シロー!大平シロー!」
「なんですか、いきなり。」
内之浦宇宙空間観測所から久方ぶりの国産ロケット打ち上げ成功の報が齎され、同イプシロン号の便器の専用部品をつくっている都下の零細鉄工所でも、壮挙を祝うささやかな酒宴が催されていた。
と、大げさに言っても、なに、缶ビールに柿の種程度だ。
しょぼくれた年配の工員が、年若い座布団を大きくしたようにガタイのいい工員相手に真顔で語りかけている。遠くで部長が舞っている。陽気な喊声が聞こえる。
「浜尾四郎の前振りに大平サブロー・シローを使おうと思って検索したら、2012年シロー師匠が亡くなってたことがわかり大衝撃。ショックで飯も食えません。」
おやじ、気落ちした声で喋る。
「あんた、いま、コンソメ飲み終え伊勢海老に手をつけようとしてるじゃないか。おかしいぞ、なんで此処にだけ帝国ホテル級のご馳走が用意してあるんだ。」
一切説明は加えず、おやじ、
「本題に入るが、スズキくん、きみは探偵小説に造詣は深いかね?」
「ええーっ、またもいきなり。なんですか。
知らんですよ、全然。特にはまった記憶もないもんで。金田一は金田一でも、金田一少年程度の知識。あと初期の『TRICK』は欠かさず観てましたねー。どんと来い、超常現象!」
「そりゃいかんなぁー。ま、でも私も最初は結構観てたんだが(笑)。
いや、でもその、あーいうんじゃなくてね。
乱歩とか正史とかさ、もっと辛気臭くて、景気が悪くて、じめーっとヌメーっした質感で、日本の風土に強引に西洋近代論理を導入した明治以降の政府施策の無理やりさ加減が前面に押し出された格好の、矛盾に満ちた、でも魅力的なアレなんだよー。」
「なにをおっしゃってるんだか、見事に全然わかりません。
しかし、アレですね、でもね。世評の高い『ドグラ・マグラ』なんかは、現物を一度は押さえておかないと非常にマズイんじゃないかと思っとります。怪奇探偵としましては。
あれ、とても気になる。」
「そうそう、きみの守備範囲だと京極夏彦とかなんだよなー。
悪くないけど、本質的にやっぱり違う。現代の作家さんなんだよ当然だけど。本物はもっと遥かにヌメッとしております。」
このとき、構内で突け放されたラジオが大声で喋り出した。
『・・・ガーガー。ガー坊。本日は晴天ナリ。
・・・宇宙航空研究開発機構JAXAは14日、新型ロケット「イプシロン」で打ち上げた観測衛星「スプリントA」の愛称を「ひさき」と命名すると発表・・・。
これはキャプテン・翼くんのライバル、ひさきくんにちなんだもので・・・』
おやじ、軽く溜め息をついて話を続ける。
「戦前の推理作家という括りでは、浜尾四郎も同じ探偵小説の系譜に属するんだが(お馴染み『新青年』に執筆してたりするしね)、乱歩やなんかとはちょっと毛色が違う。もっとロジカルでモダーンな作風なんだよ。翻訳されたばかりのヴァン・ダインに心酔してたというが、まさにああいう現代のニューヨークを舞台に連続殺人劇が捲き起こるといった様な高踏で都会的な雰囲気なんだ。」
「あぁ、金持ってそうってことですねー。」
「うん。
一口に言って、たくわんレス。
今回採り上げる'95年に出たポケットミステリ版だと、文体は旧カナ直してあるんで読み易いし、余り古めかしさを感じることなく楽しめると思います。円タクとか日常的に走ってる世界だけどね。主人公、良家の令嬢たちを引き連れて横浜にドライブとか行くし、ホテルでディナーにステーキ食うし。」
「バブル期かよ!」
「四郎は法曹界出身で、弁護士資格持ってて、検事もやってたらしい。父は男爵で、コメディアンの古川緑波は実弟。最終的に貴族院議員にまで選出されて執筆活動が中断したところで、脳溢血で死んじゃった。享年40歳。まだ若いのにねー。」
「なんか凄く反感沸く存在。プロフィールだけだと贅沢な金持ち、イケメンを想像してしまいますけど。」
「ところが実は本人、なんか好感の持てるショボクレたおっさんだったみたいよ。乱歩と並んで、名誉ある業界3大ハゲに選ばれております。」
「3大ハゲ。あとのひとりは誰だろう?」
「森下雨村。
作家にして『新青年』編集長。画像を検索してみると、なんか、湾岸署勤務時代のいかりや長さんに似たヘアースタイルです。」
「ふうん。そうですか。」
「・・・関心薄そうだな?あんまり気にしたことなかったけど、今じゃさ、中島河太郎先生の名解説でお馴染み戦前の探偵小説界の大物たちだって、画像入りで自由に資料検索できちゃうんだぜ。インターネットも多少は役に立つじゃないか。」
「いまさら?しかもなんで上から目線?」
「そんな、ハゲおやじの代表作『殺人鬼』のあらすじをこれより大公開!
未読の人は頼むから本編を読んでからにして!
ネタばれしないで推理小説のレビュー書くなんて、(私の嫌いな)嘘とデタラメを塗り固める以外、方法がなくなるじゃないか・・・?!」
若い工員は嘆息した。
「また、それか。」
【あらすじ】
いつもの銀ブラを楽しんでいた主人公が、カフェプランタンの角で、友人である探偵と正面から激突したところで連続殺人事件の幕が開く。探偵は、これから依頼人が来ると言う。
「・・・しかも」
「きみ好みの若い美人だよ。」
主人公は数年前に妻を亡くし子供もいない中年男。四の五もなく友人に付いて行ったところ、ちょっと気は強そうだが確かに美人だ。すっかり嬉しくなって菓子をバクバク喰っていると、探偵事務所に正体不明の脅迫電話が。
『もォ~し、もォ~し・・・』
相手は性別が曖昧になるしゃがれ声で言った。
「はい、はい」
『彼女に手を出してはならない。彼女は女王蜂である。』
「・・・それ、なんか違うと思うなぁー。」
ガシャンと切れた。
とにかく得体は知れないが何らかの危険が迫っているようである。依頼を受け入れ、牛込区※註1に建つ豪壮な邸宅へと乗り込んでいく探偵たち。
※註1 牛込区は現在の新宿北東部。1947年新宿区に統合され廃止。
家族構成は、秘密を抱えた父親、父と不仲な母親、依頼人が長女で娘三姉妹、それに長男は高校生で美少年。執事がいて、他メイドが数名だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「主要登場人物にじじい、ばばぁのたぐいが存在しないのに注目して欲しい。」
おやじは目を剥いて指摘する。
「浜尾自身が急逝するワケだから暗合めいた感じがするけど、老人が殆ど出てこないの、この話。実は。
のちに過去の因縁の解明部分で、“村の故老に聞いた話だが・・・”といった断片的な出方をする程度。横溝なら絶対その場面、情景描写入れてカチッと組み立てるだろうがね。」
「都会的ってそういう意味なんですか?」
スズキは思わず聞き返す。
「土俗色を極力排除し、若く、華やいだモダーンなエッセンスを散りばめる、みたいな?」
「浜尾はヴァン・ダインに迫りたかったのだよ。」
おやじの答えは単純だった。
「そりゃヴァン・ダインに村の故老は出てこないからねぇ。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
邸内には長女に雇われた探偵以外にも、父親が雇った凄腕探偵が既に詰めていた。探偵VS探偵。かなりゴダール的状況。これは絶対負けられませんぞ。
そんな商売上の緊迫感をよそに、一家の母親がその夜毒殺される。風邪薬を飲んだ筈が中味はいつの間にか劇薬(昇汞、塩化第二水銀)に摺り替わっていたのだ。定番の殺害方法とはいえ、薬剤師が厳重に封緘した筈の中味がなぜ毒物に変わっていたのであろうか。
かなり本格派の謎の登場に小躍りする主人公たちだったが、駆けつけた警察からは「プロの探偵が二名も揃っているのになんだ!」とこっぴどく叱られた。
さっそく全員揃って反省会。
の筈が、新たな脅迫状が舞い込んできた。この家の郵便ポストに直接投函されるという、郵政制度をあるいは前島密を舐めきった杜撰な犯人の態度。几帳面に和文タイプライターで打たれた文字は、
『五月一日を警戒せよ。』
「な、なんだこりゃ?!」
思わずいきり立つ探偵。「つーか、今日なんにちだよ、おい?」
「さぁ・・・」
居並ぶメンバーは全員数字に弱かった。(弱すぎである。)結局家中の者に確認して、5月1日までまだ一週間以上あることが解りホッと胸を撫で下ろした直後、絹を引き裂く悲鳴が館中に響いた。
「キャーーーッ!!おぼっちゃんが・・・!!」
「・・・おぼっちゃんが、し、死んでる・・・!!」
現場に急行する一行。庭の泉水付近で、偶然屍骸を見つけた女中のヨネが叫んでいる。持ち出したカンテラで暗がりを照らすと。
この家の長男、まだ高校生の美少年が全裸に剥かれ、脱がされた猿股で後ろ手に括られて池にはまって死んでいるのだった。
「ぼっちゃんだけに、ボッチャン、はまって死んどるな・・・」
両親に聞かせられないような発言を無神経にかます探偵。焦燥の色が濃い。
「だいたい、犯行は五月一日じゃなかったのかよ?一体なんなんだ、あの予告状は?」
「犯人も、われわれと同じく、実は日付に弱いんでは?」
主人公はすかさず鋭い推理を披露する。
「そうだ、犯人は耄碌したくそじじい・・・?!」
「いや、だから、この話、老人が極端に出てこないんだってば。」
探偵はぼやく。頭ボリボリ。おっと、これでは金田一。路線変更して鼻毛ぬきぬき。
「だが、きみの推理も一理あるな。うん。確かにそうだ。日付に弱いやつが犯人だとすると。」
ふいに頷いて、叫んだ。
「犯人はこの中にいる・・・!!」
「エエーーーッッ!!!」
全員がパニックに陥っていると、脇から執事が寄ってきて、
「お取り込み中恐れ入ります。裏の竹林の中で、女中がひとり、縊り殺されて死んでおります。」
探偵は面倒臭そうに返した。
「いいよ、そんなの。どうだって。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「幾らなんでも酷すぎませんか、この展開?絶対、四郎に怒られますよ!」
スズキくんは意外と良識派の忠告をする。
おやじ、暢気にするめを齧ってる。
「いいんだよ、確かにちょっと膨らましてるけど、この“第二の惨劇”の場面は面白すぎなんだよ。ぼっちゃんが性的被害にあってないか、真面目に検視官が調べたりとかしてるし。被害者、後出しで増えてくし。」
「あんまりヴァン・ダインじゃありませんね?」
「この時点で『グリーン家殺人事件』を抜き去ったと見て良んじゃね?
ありゃ犯人すぐわかっちゃうし、詰まらん小説だと思うよ。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
相次ぐ殺人事件に警察は業を煮やし、怪しいと思われる人物を片っ端からしょっ引くという暴挙に出る。次女の婚約者、女中の元カレ。拘留し人権無視の苛烈な尋問を加えたが解決の糸口はサッパリ見えなかった。
その間、探偵はカラオケの歌い過ぎで喉を腫らし、結局風邪でダウン。
卑劣な犯人は予定を早めて着々と準備を重ね、15歳の三女を睡眠薬を飲ませ湯船に沈めてこの世から消し去ってしまう。
三女のあまりの長湯振りに、おかしいと様子を見に来た主人公、
「うわっ、またもハダカだ!しかも、またしても、未成年!」
興奮して鼻血が止まらなくなり、それでもお役目果たそうと、片手で鼻を押さえながら殺害現場の浴室にツッと忍び入ったが、不覚にも石鹸に足を滑らせ、後頭部を床で強く打って失神してしまった。
あとには静まり返る明るい陽光溢れる浴室。
西洋風に小洒落た白い浴槽の中では、女子中学生の手入れされていない濃い目の陰毛がそよそよと蛇口から流れ落ちるお湯の動きに舞っている。
その広重が一幅の絵にも似たロマン溢れる情景を、次に目撃したのがこの家の頑固親父(元製紙会社社長・45歳)だったからたまらない。すわ痴漢と勘違いした親父、
「テメッ!!この変態が!!
うらやましいことしやがって、この野郎!!」
失神しているところへさらに連続で鉄拳制裁をかまされ、生命の危機に陥る主人公。
(それにしても、この話、無闇やたらにハダカが多いよなぁー、これじゃ確かに土曜ワイドで映像化されるわけだよなぁー・・・
しかし、キャスティングは酒井和歌子に中島ゆたか・・・微妙だ・・・)
と、呑気なことを考えているうち、何もわからなくなってしまった。
【解説】
「いや、話はまだまだ続くんじゃけどね・・・ゴクン」
おやじはアペリチェフの筈のワインを今頃ガブ飲みしながら続ける。「頑固親父が鏡で頭を割られて息絶える、とか素晴らしい場面はあるんだけれども。あんまり長くなってもアレだから。」
スズキくんはもはや真面目に聞こうとせず、ラジオが流す台風18号の被害速報に聞き入っている。
『・・・ガー、ガー、土砂崩れ・・・河川増水・・・滋賀、福井両県で計2人が死亡し、福島、三重、兵庫各県で計4人が行方不明となった。けが人の数は・・・』
宴は延々夜を越し、台風による交通機関の乱れをものともせず、結局まだ続いているというわけなのだった。もうすぐ週明けの業務開始だ。
「一個の閉ざされた空間、館の中で連続殺人が捲き起こる。次々消されていく容疑者たち。となれば犠牲者のボディカウントが増えれば増えるほど、読者は犯人が見つけやすくなる訳だが、推理小説作家としてはこれほど腕の揮える素材はない。だから性懲りもなく挑戦してしまう愚か者が跡を絶たないわけなのじゃ。
読者としても、犯人がわかった、わかった、とかケチ臭い見栄は捨てて無心になり、作者の奔放な筆先に翻弄されてみてはいかがかな?
最初から犯人がわかったって、ちっともいいことなんかないし、1ミリも偉くなんかないんだからね!!!」
「ははぁ。」
顔を振り向けてスズキくんが冷静に言った。
「あんた、いつも当たらないクチですね。」
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