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2013年7月

2013年7月31日 (水)

ダン・オバノン『バタリアン』 ('84、HEMDALE FILM Co.)

 『ウォーキング・デッド』原作版の4巻が出ているのだけど、まずは反則ゾンビ物の原点『バタリアン』から話を始めよう。これはジャンルの分水嶺に位置する重要な作品なのだけれど、リニア・クイグリーの墓地ヌードであるとか、オバンバの手術台ヌードであるとか、もっぱら裸絡みでしか語られない不憫な作品だ。

 「どう観ても真面目につくっていないのがバレバレ!!」

 ・・・という誰でも解る事実が決定的にまずかったのかも知れない。
 子供でもわかる不謹慎さ。あと、80年代ならではの致命的な安さを感じさせるサントラ(クランプス参加)や、パッとしない役者陣にも責任も一端は求められるだろう。
 今日でも誰もがロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が後世の数多いホラー映画に与えた影響について過剰に評価し褒め称えている。だが、その正当な続編を名乗る正統派ゴミ映画『バタリアン』の映画史的意義を真剣に問う者はいない。ま、そりゃバカだからね。
 だが、しかし。
 それでも、オバノンの一発ギャグみたいなアイディアの閃きは、重なる悪条件を見事に乗り越え、世界ゾンビ映画史を決定的に塗り変えてしまったのだった。私見ではあるが今日くだらないゾンビ映画が山と氾濫する状況が生まれたのは、ロメロの所為ではなく、すべてオバノンの責任である。
 悪いのは全部オバノン。ゆえにグレイト。
 
 まず、この映画は一般的に見地からみて、全速力で走るゾンビの元祖だ。
 (え、ウンベルト・レンツィ『ナイトメア・シティ』?あれは80年だって?ひとつ聞く。誰が観るんだそんなオタク映画?金曜ロードショーで水野晴郎が解説できるのか、ソレを?)
 蘇った最初の死体が社長目掛けて全裸で全力疾走してくるツカミは、あまりといえばあまりに最高にくだらなくて、カラダ張ってる感じがして大好きな名場面なのだが、そのうちゾンビたちは洒落にならないくらい高速で、100人規模の集団マラソンを開始。ダーーーッと波のように犠牲者に襲い掛かり喰らい尽くす。これは怖い。絶対に逃げられない感じがする。
 だから、比較的近年の『28日後・・・』もリメイク『ドーン・オブ・ザ・デッド』も、ロメロではなく、『バタリアン』に直接の影響を受けているものとして考えるべきだ。ロメロ無罪。
 予告編を見る限りブラピ主演のゾンビ大作『ワールド・ウォー・Z』にしてみても、所詮は規模のでかい『バタリアン』に過ぎない。街路に溢れた人間山脈が崩壊するさまとか、まさに名ゼリフ、「もっと救急車を寄越してくれ!」が似合いそう。
 
 さて、さらに言えば、これは喋るゾンビの元祖である。
 オバノン版の生ける死者は、割りと気軽に口を利く。まぁ、トークの大半は「脳みそをくれ!」という心底熱い青春メッセージを伝えるに留まっているワケだが。無駄口叩くぐらいは余裕っぱち。ギャグも飛ばす。「もっと警官隊を寄越してくれ!」
 だが、それでも手術台に半身を固定されたオバンバが泣きながら語る死者の苦しみ、絶え間ない激痛と飢えの思想はインパクト絶大で、そりゃ人間襲うよな、脳みそ喰うよなと変に納得させてくれる。
 蘇った死者が口を利く。
 このへんは迂遠に直接にたぶん、黒沢清『回路』に影響を与えているのである。
 かのドラキュラ伯爵を始め、喋る死人というのは映画史に事欠かないが、死んでいることの状況説明を細かくやった人はあんまりいない。だいたいが死者は現世への執着を語り、生前の恨みつらみの言及に終始して、本当に重要なことを語り損ねるようだ。
 死んでいることの不思議さ、生きていない状態の意味。
 オバノンはかなりくだらない方向で死者の蘇りに動機を与えた。これは賞賛されていい。ロメロは死者が人間を喰う現象を敢えて説明しようとはしないだろうから。
 (ロメロ的に言えば、“あれは、ああいう生き物なのだ。死者だけどね(笑)”)
 
 第三に、これは『博士の異常な愛情』から脈々と続く、爆弾一発ですべてが台無しになるガッカリな映画の系譜に連なる作品である。人類皆殺し映画といってもいい。
 「あぁ、コレって・・・」と思って観ていると、ほらやっぱりアレだ。ヴェラ・リンだ。「また逢う日まで」だ。「あの素晴らしい愛をもう一度」だ。(ちょっと違う。)
 事の善し悪しはともかくとして、『渚にて』でも『続・猿の惑星』でもなんでもいいが、「全員死にました」という結末は反則に近いハッピーエンドなのである。“彼と彼女が結ばれて末永く幸せに暮らしました”的な、ありふれたハッピーエンドより正味の幸福度数は高いのかも知れない。本当のところは水木先生にでも聞かないとわからないけれど。
 いずれにせよ、こういう皮肉極まる反則、真面目な映画制作者は決してやってはいけない。面白い映画をつくろうとするすべての努力がオジャンになる危険性が高い。

 あと、爆弾一発に関連して『バタリアン』は、これまた50年代のモンスター映画から、『ピラニア』『殺人魚フライング・キラー』、フランク・ダラボン『ミスト』に到るまで、果てしなく受け継がれている伝統芸能の如きおハコ、「軍がなにやら怪しい実験を繰り返していて、罪もない一般大衆がその巻き添えとなる」パターンというのが挙げられる。
 これもまた不毛なジャンルだ。
 異次元の壁を越えようとしたり、先史時代の生物を蘇らせたり、スターゲートを開いたり。軍人というのはよほど暇なのか遊んでばかりいるようだ。これで国家から金が出ているというのだから実に結構な話だ。
 もっとも90年代に入り、アメリカ経済も破綻。レニー・ハーリンの『ディープ・ブルー』なんか、政府の助成金を打ち切られそうな科学者が四苦八苦しながら水中ショーを展開する、夏休みに品川水族館に行った子供の絵日記みたいな話になっていた。

 以上ダラダラ書き連ねた話など全部忘れて貰って構わないが、最後にひとつ。
 『バタリアン』は日本語吹き替えの方が面白いんじゃないかと思う。かつてTVで観た同世代の諸君は同意してくれるんじゃないかな。
 まったく深みを欠いた、表面的で軽すぎる内容は、ホントTVによく似合ってると思うよ。

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2013年7月27日 (土)

竹内義和『大映テレビの研究』 ('86、大阪書籍)

 「お前は、バカだ!」
 
中条静夫は草笛光子の肩を摑んで叫ぶ。
 「バカな、踊りの師匠だ!」
 
 これが大映テレビというものである。何かが過剰であり、決定的に間違っている。そして間違っていることに対する納得のいく説明はいっさい無い。
 確信犯的なしらばっくれが許された時代、テレビにはさまざまなデタラメが氾濫していた。前人未到のジャングルへ巨大蛇を捕獲しに旅立つ隊長の雄姿もあったし、毎週たけし城では飽く無き攻防戦が繰り広げられてられていた。
 アニメだって狂っていて、宇宙中の人間を皆殺しにしたりしていた。
 あの時代を懐かしく思うが、別に戻りたいとも思わない。

 竹内義和のこの本は、コラムやらブログやら掲示板やら、メディアに関し何か突っ込みを入れたい希望の人々にとって一種マイルストーン的な意味合いを持っていた。プロアマ問わずこれがなければアレはなかった、といった風な言い方がいろいろ出来そうだ。ま、面倒だから放ったらかしにするが。
 いかにもナンシー関が手掛けてそうな本書の挿絵が実は江口寿史だったってのは、すっかり忘れていたが重要かも知れない。メモれ。次に行くぞ。

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2013年7月23日 (火)

スティーヴ・ライヒ『MUSIC FOR 18 MUSICIANS』 ('97、Nonesuch)

 かの有名な『18人の音楽家のための音楽』、その再演盤である。

 18人とは誰か?そこが問題だ。アース・ウィンド・アンド・ファイアーは10人以上いる。でも18人はいない。フェラ・クティとその仲間は、アフリカ70人、エジプト80人というくらいにたくさんいたが、18人ではない。そして、ビートルズとストーンズとキンクスを足しても、まだ18人にはならないのだ。なんて偉大なんだ。

 ところでライヒの曲は、よく久石譲がパクってたから聴いたことあると思うよ。『ソナチネ』のサントラとか。現代社会はなんて欺瞞に満ちた社会なんであろうか。俺は嘆いてしまうよ。

 ところで、進撃の巨人といえば、中畑清である。
 あるいは小山内薫だ。

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2013年7月21日 (日)

牛帝『同人王』 ('13太田出版)

 5年くらい前の話だ。

 O先生という友人がPC用のコミック作成ソフトを買った。ペンタブレットも併せて。もともとGペンやら背景写真集やら持っていて、高校時代からずっと鉛筆描きのノートで私小説っぽいマンガを何冊も制作したりしてきた実績のある先生は、“萌え”文化の素晴らしさについて語り、『侵略!イカ娘』の可愛さに言及し、「遂に自分の時代が来たのだと思う」と言い切った。
 (先生のそれまでのマンガ購読歴は、高橋留美子に始まり、『美味しんぼ』全巻、浦沢直樹に到る小学館ビッグ色濃厚なものだった。)
 音楽もつくる先生は、ボーカロイドのソフトを購入。マンガと同時進行で、自作の楽曲を果敢に売り込む作業にも熱中するようになった。ニコニコなどにアップし、楽曲の背景には自分でつくったアニメーション。コンテストにも出して、確か結構いいところまでいったんじゃなかったかな。

 その頃から以降、O先生との接触はまったくなくなってしまったので、この話の結末はわからない。
 なんか知らん、今回のこの本はそんな先生にこそ読んで欲しい内容だと思った。

 『同人王』は、ヘタレなマンガ家志望が一度は考える「アニパロのエロ同人誌を作成して大金持ちに」を本当に実践してしまおうとするストーリーである。
 その為のノウハウが紹介され、簡単なお絵描き講座まである。
 物語は現代版『まんが道』と考えて間違いではないが、志はおそらく推定一億倍くらい低い。どう転んでもNHK朝ドラにはならないだろう。だいたい主人公、登場場面90%以上の確率で全裸だし。
 でも、この本は面白かった。
 絶望的に低い志がリアルだ。そこに共感できる。 

 エロパロで儲けるドリームの起源は相当古くて、私が最初にそういうマーケットの存在を知ったのは大塚英志の二冊目の評論集じゃなかったかしら。「ビックリマンの構造が源氏物語に通低」って、どう考えても無駄な発見の載ってるあれだ。
 日本中が「セイラームーン」や「聖闘士星矢」のエロパロでヌキまくっていたあの時代。街を歩けばどこもかしこもイカ臭かったあの頃。アズ・タイム・ゴーズ・バイ。
 2013年景気はますます底冷えし、選挙じゃ再び自公が過半数を取ったって速報が流れている。

 青少年の自殺率が上昇したってのも昨今の傾向だ。中高年の自殺率はストップがかかったが、若い子は逆にガンガン死んでいく。
 「死ぬな」なんて、誰にでも言える。

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2013年7月16日 (火)

石川賢『爆末伝②』 ('95、リイド社)

 爆~・末~・伝~!
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 読めば覿面、歴史の点数が悪くなること必至な巨匠ケン・イシカワによる熱筆大河幕末ロマンだ!それにしても、なんと的確に内容を要約したタイトルなんであろうか。これだけでもう、素晴らしすぎる。おなかいっぱい。
 故・山田風太郎はエッセイの中で、時代小説執筆の基本作法として「小説としてどんな大掛かりな嘘を持ち出して来てもいいが、歴史的事実だけは変えてはならない」と述べている。たいへん立派な心掛けであり誰しも感銘を受けるだろう。大物はやはりかくあるべし。
 
 だが、石川賢の場合はこうだ。

 「登場人物が熱くなり暴走すれば、もちろん、歴史の流れも大爆走!!」
 
 爆走が制御不能なレベルを軽く越え、史実を歪め過ぎた過激なフライング行為に突入するところに『爆末伝』の真の値打ちは存在しているのである。これは断言できる。

 あからさまなオーバーテクノロジー。
 意図した史実取り違え。(そう、本作品における勝海舟はより狂っている。)
 伏線が伏線として機能しない。(例えば・・・大村益次郎を持ち出してきた理由はなんだ?)
 「イギリスにあんな伯爵存在しないだろw」といった某ネット掲示板レベルの微細な突っ込み。

 ちいせぇ。ちいせぇ。
 なにかを貶めて語る(あるいは手放しに称揚する)ことで自らの値打ちを吊り上げようとする輩でこの国は窒息寸前だ。そんなの、ホントどうでもいいんだよ。
 最後まで走り抜くこと。理性で暴走を制御するのではなく、どこまでも果てしなく風呂敷を拡げ続け、畳むのをうっかり失念すること。これが重要だ。
 今こそ諸君の内なる石川賢を解き放て。
 正義はわれわれにあり、彼らの側には微塵もないことは改めて言うまでもあるまい。


【あらすじ】

 リイド社版のオリジナル『爆末伝』は三巻で構成されている。

 破天荒すぎる行状を繰り返す、幕末志士レベルなど軽く超越した真の意味での自由人・馬並平九郎(全身が物騒な大口径銃器の塊り)を主人公に、デタラメな海上戦、いかさまな空中戦を繰り広げる第一巻もいいが、英国軍が中国から持ってきた最終兵器(空中を浮遊し毒ガスを噴き出す巨大ロボ)の争奪戦が延々続けられる第三巻もいい。
 だが、最もケンちゃんの真価が発揮され、ムチャクチャながらも意外な構成力と突出したカタルシス創出能力を見せつけてくれるのは、やはり第二巻ではなかろうか。ここでのB(バード)-12攻略戦は、テンションの高さと嘘のはじけ具合が気持ちいいくらい見事キマった、ケンちゃん史上にもちょっと特筆すべきクオリティーを有している。
 
 
そもそも、B(バード)-12とは何ものか?

 よくぞ聞いてくだされた。
 これぞイギリス軍が世界に誇る巨大空中戦艦、飛行要塞であり、これまた時代をフライングしまくった大量殺戮兵器なのである。一見B-29みたいな大型飛行機に見えるのだが、実はツェッペリン飛行船のような内部構造になっているらしい。

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 ビル何階建てぶんに匹敵する太くてでかすぎる翼は、帆布のような素材で表面を張られており、ハニカム構造で桁材が積み重ね上げられている。
 いざ接近戦となったときに、「爆発するぞ!」と英国軍が火器の使用を避ける描写があることからして、その内部にヘリウムなど引火しやすい気体が大量に詰められているのは間違いないようだ。
 で、背面に取り付けられた巨大プロペラでもって大空を驀進する、と。
 なんつーか、離陸とか着陸とか具体的な手順はあんまり深く考えられていない、いちど飛んだら飛びっ放し、というダイナミックすぎるにも程があるオリジナルメカなのである。

 えー、分かり易く説明すれば、ま、あの、ギガントってあるじゃないですか。『未来少年コナン』の。巨人飛行機。
 あれです、アレ。あれの仲間と思って間違いなし。

 では、実際に物語の細部を見てみよう。ゲッターゴー!

 時は爆末、鳥羽伏見の戦い以後。既に大政奉還は完了。
 官軍と旧幕府軍との内戦が激化するなか、なおも将軍家に変わらぬ忠誠を誓う某藩のため、横浜からのガトリング砲輸送を請け負った荒野の素浪人・馬並平九郎とその一党は、軍需で私腹を肥やす悪徳武器商人(ガイジン)を血祭りにあげ、奪取した黒船でもって駿河湾を目指す。
 追撃してきた官軍の戦艦を撃破し、敵の飛行部隊(操るは網タイツの女忍者)も軽ぁーるく捕獲に成功。無敵の強さでもって大井川を北上し、いよいよ陸戦へ。両岸に網を張り待ち受ける官軍に対し果敢な囮作戦に出た平九郎は、自らガトリング砲塔つき三輪戦車(同じ作者の『神州纐纈城』なんかにも出てくるアレ。でかい。本記事・表紙キャプを参照)を駆り、敵陣を蹂躙しながら逃走を続ける。
 その間に、こっそり大破した黒船内部に隠れていた輸送部隊の本体は、ちゃっかりガトリング砲その他大量破壊兵器もろもろを積んだまま河を遡り某藩へ。このへん、『マッドマックス2』とかぶる作戦。
 「ワタシタチの船、これくらいの砲撃では沈みまセ~ン!」とインチキ外人の船長が言う。
 
 そのころ、官軍の背後にいた真の黒幕イギリス政府軍は、捗々しくない戦況に切歯扼腕していた。
 女王陛下の最高指揮官、ロビンズ伯爵(29歳美形)は長い髪の毛を引きちぎりながら、忌々しげに咆える。

 「カツカイシュ-!それに、ウマナミヘイクロウ!!
 あいつらが生きている限り、この国の植民地化はたやすくない!」
 
「今のうちに殺せ!
 絶対、生かしておくな!

 虫けらどもを出来るだけ早く叩き潰すんだ!!!」


 テンパった目線で艦橋から叫んだ。

 「B(バード)-12、発進!!!」

 一方、マックスは、もとい平九郎は、相棒(バディ)の某藩凄腕剣士・田村新八郎他3名を引き連れて官軍と真っ向勝負。荒くれ馬の両サイドにロケット砲を装備した宿敵・伊藤梅乱を見事正面撃破し突っ走る。
 (梅乱は、新八に乗馬のむこうずねを斬られ転倒。二門のロケット砲が暴発して大爆発。普通なら即死は免れないところだが、特異体質により死なない。ソースはたぶんアレだ、風太郎『甲賀忍法帖』に出てくる不死身の忍者。)

 「どんな相手でも来やがれ!
 地獄を見せてやるぜ!!!」


 勝利の雄たけびを上げて突っ走る三輪戦車の上空、不吉な影が横切る。
 B-12がその巨体を揺るがせて戦場にその姿を現したのだ。常識をあっさり蹴飛ばした余りのでかさに息を呑む平九郎一党。そりゃ当然のリアクション。
 全身ずたぼろになりながらまだ死んでいない梅乱は、舞い降りた英国側の機動飛行部隊に回収され、B-12へ。
 巨人機に寄り添う蚊トンボのようなこの個人用飛行機は、第一巻から出ている通称「竜飛鳥」と呼ばれるもので、早い話、エンジン付ハングライダーでおますなー。但しダイナミックプロですんで、そのエンジンは当然ロケットエンジンでやんす。ぼふっ。

 母船に帰還した梅乱は、恐竜帝国で任務に失敗した幹部のように、ロビンズ伯爵に激しく叱責される。
 が、東洋の黄色い猿どもに対する圧倒的勝利を確信している伯爵は、帝王ゴールに比べればまだ心に余裕があるようで、即座に首を斬り飛ばしたりはしなかった。よかった。
 伯爵は、平九郎の三輪戦車が街道沿いの宿場町に差し掛かっているとの報告を受け、無差別爆弾投下を指示。
 
 「上海でもインドシナでも、幾ら殺してもウジ虫のようにわいてきおるわ!」
 「無知な、貴様ら虫ケラは、神の創ったこの世界にふさわしくない無用の生物だ!」


 問題発言の域を軽く飛び越えたアジテートをかます伯爵。素敵。

 「私が神に代わって天罰を与えてやろう。
 ソドムとゴモラをこの地に再現しようか?ふはははは・・・!!!」


 「あなたの目的は、平九郎たちの抹殺ではないのか?」
 『地獄の黙示録』としか思えない絨毯爆撃に、違和感を覚える梅乱。「宿場町を灰にする必要は・・・」

 「いいんだよ、梅乱!
 将軍だろうと、農民だろうと、女子供だろうと、とにかく嫌いなんだよ!
 東洋にはびこったウジども、全般がね!!!」


 「ワロス」といった満面不気味な笑みを浮かべる伯爵に、思わず怖気立つ梅乱。
 狂人か。
 本物だ、こいつ。

 その間続々と地上に投下される爆弾の雨をかいくぐり、三輪戦車は全速力で宿場町へ突っ込んだ。
 「空襲警報、発令~!空襲警報、発令~!」
 時代考証をぶっ潰す豪快な叫びを上げる平九郎に、平日昼間ののどかな町は騒然。よくよく眺むれば、立派な建物も数多い。なかなかの規模、家並を誇る美しい町だ。
 絶叫と共に走り過ぎた物騒な大八車のあとから、バコン、バコンと屋根瓦をすっ飛ばし閃光と爆煙が追ってくる。
 ひときわ大きな炎が上がった。
 大工は屋根で喪心し、おかみさんは抱いたやや子を取り落とす。狂ったように叩かれる半鐘。早くもどこかで火の手が走り、黒煙がもうもうと空に立ち上る。

 「くそッ!!!」
 激しく揺れる砲塔の脇で唇を噛み締める平九郎。
 「奴らは行く所すべて焦土に変える気だ!楽しんでやがるんだ。虐殺を楽しんでやがる!」

 「こっちの大砲で撃ち落とせないのか?!」
 
背後の惨状を窺いながら、新八が声を荒げる。
 「連中もしっかり計算ずくだよ!ガトリング砲の届かないギリギリの高度を維持して飛んでるんだ!」
 ふいに家並が途切れて、一面緑したたる野良畑に突っ込んだ。畦を切り裂き街道に戻る。宿場町の外れは地形が大きく傾斜し、登りだった。
 
 「丘っつーか、こりゃ山じゃんよ!」
 跳ね出したハンドルを太い両腕で抑え込みながら、新八が怒鳴る。「おぃーい、釜炊きチーム、大丈夫か?!」

 機関部で、一心不乱に燃え盛る炉に汗だくで石炭をくべ続ける、ふんどし一丁の男二名が振り返りざま、
 「へい!しかし、こりゃ骨ですぜ!!」

 「とにかく動いてくれりゃそれでいい!ご苦労だがよろしく頼む」
 続いて新八は頭上を振り仰ぎ、
 「おい、馬並・・・!次はどっちへ行けばいいんだ?!」

 「もうじき登りが途切れる。そしたら、あとは・・・」

 車輪が空を切った。

 「落・ち・る、だ・け・だーーー!!!」

 斜面の向こう側は、急峻に切り立った崖の連続だった。
 ここまで辿ってきた街道はまるで登山道のように様子を変えて折れ曲がり、眼下に広がる広大な森林地帯へと吸い込まれ消えている。
 一寸先、目の前は谷底だ。
 加速がつき過ぎて止まれない三輪戦車は、ダイナミックに速度を増し、転げるように走っていく。その姿は既に崖を落下していくようにしか見えぬ。

 「非常用ブレーキ!!早く!!」

 平九郎が怒鳴った直後、車輪は道路を大きく外れ、草木がまばらに茂る瓦礫の傾斜を滑落した。後部を守る五人目の搭乗員が、手にした四つ手鉤付ロープを構える。
 ザザーーーッ。
 生い茂る大木の陰に突っ込んだ。
 その向こうは、広大な空間が悠々と口を開けていた。

 「標的、見失いました!崖下に墜落、森に落ちた模様!」
 B-12の操舵室では、下界を遠眼鏡で見張っていた監視要員が大声で報告する。機関部の超巨大蒸気エンジンが立てる轟音が五月蠅いまでに響いてくる。
 ロビンズ伯爵、白皙の額に脂汗を浮かべて、

 「なんだと!!!
 高度下げろ、この下の森を残らず焼き払え!
 爆弾は幾ら使っても構わんぞ!」


 チャイム代わりにベルが連打された。
 『各員注意せよ!本艦は、これより急速降下する!各自、安全確保!』
 船内至る所に配置された伝声管が鳴る。昇降舵が倒され、巨大な船体が重々しく前傾していく。
 英国海軍兵の精鋭で構成される乗組員たちは、てんでに手近な手摺りにしがみ付いて振り落とされまいと力を込める。
 急速で森が近づく。

 艦橋で目を凝らす梅乱。
 「・・・!!」

 非常ブレーキの縄で宙吊りになって、崖からぶら下がり揺れている三輪戦車。
 不敵な笑みを浮かべてこっちを睨んでいる馬並平九郎とその一党。

 「しまった!!やつらは・・・」

 梅乱が傍らの伝声管に飛びつくより、先に平九郎が叫んだ。

 「非常ブレーキ、解除!!」

 綱を切った三輪戦車は落下し、その真下の短く切り出した尾根を走る。堪らぬ荷重で岩棚を崩落させながら猛然と煙を噴き上げて、こっちへ全速で突っ込んで来る。

 「か、釜が吹っ飛ぶーーー!!」
 悲痛な叫びを上げる釜炊き兵に、平九郎、目もくれず、
 「どうせ、吹っ飛ぶんだ!ハデに行こうぜーーーッ!!」
 
 「敵は左舷だ!砲塔、斉射しろ!!」

 いち早く気づいた海兵たちが、B-12側面に発射口の開いた24ポンド砲を撃ちまくる。吹き飛ぶ土石の雨霰れ。それより速く。
 黒い影が空中に躍り上がった。

 「あ、あ、あ、あああぁーーーッッ!!!」

 その場の全員が息を呑んだ。
 三輪戦車は虚空をB-12に向かって飛んでいた。

 「ダメだ、距離が足りねぇーーー!!」
 目測で絶望の呻きを漏らす平九郎。泣き叫ぶ兵たち。
 「お、落ちるーーー!!」

 瞬間、三輪戦車の蒸気釜が大爆発。グワッと加速した戦車は空中に跳ね上がり、B-12の舷側を飛び越え、巨大な翼の上層に落下。
 伯爵、梅乱とも口をあんぐり空けて見守るばかり。

 「非常ブレーキ!!急げ!!」

 たちまち張られた帆布を凹ませて滑り出した三輪戦車から、幾本もの鉤付ロープが飛び出した。何本かが桁材に絡まり、からくも車体を繋ぎ止めようとする。
 が、止まらない。
 大半は厚いキャンバス地を切り裂いて滑ってくる。
 後部から翼の外へ押し出されようとする戦車。万事休すか・・・?!

 「ウォォリャァーーーーーーッッ!!!」

 異様な雄叫びと共に、戦車の動きが止まった。
 「・・・へ?!」
 
 とっさに操縦席から飛び降りた新八、非常用ロープを素手で摑んで踏ん張り、戦車を止めたのだ。無茶すぎ。堅く結んだ指先から黒い煙が出ている。
 思わず太い笑みを漏らす平九郎。
 「早く脱出しろォーーー!!長くは持たねぇーーー!!」
 新八の叫びは悲痛だった。

 「奴らは左翼の根本付近、動力タンク横に宙吊りとなり、ぶら下がっております!!」
 伯爵に報告する海兵。
 「く、くそッ、舐めた真似を・・・!
 この機に近づいて無事に生きて帰れると思っているのか!!」

 
 「少し冷静になった方がいいよ、あんた」
 馬並の無茶さ加減に慣れている梅乱、忠告する。「あれは、ホント無茶苦茶する男なんだよ。正味な話が」

 「うるさい!!特務兵を出せ、ハエどもを叩き潰してくれる!!」

 ・・・・・・

【解説】

 ハイ、細かい記述はここまで。
 この後さらに重ねて無茶な展開が連続し、奇跡の十連コンボを達成するさまは実際読んで確認してみていただきたい。文庫版も出てますから。

 さて、このくだりを長々と書き写したのは、石川賢の持つ本質的無茶さ加減と正統派アクションとの融合がうまく為されていることを証明するためだったのだが、ご理解いただけただろうか。

 例えば、ロープで戦車を樹にぶら下げることは絶対不可能である。
 もし、それを可能にするものがあるとしたら、それこそマンガだ、その場だけの勢い、細かい物理法則など忘れさせるくらいの物語の加速度、熱量にこそ他ならないのではないのか?
 石川賢を支持する者が多少熱くなり過ぎ気味に語り、それ以外の者が冷めた視線を送るのは裏側にそういう根本事情があるものと思われる。

 正気で考えればバカバカしいのである。
 それを、こんなにも一生懸命に、常人の能力を遥かに超えた熱量でもって全開でぶち込んでくる描き手が、この世にどれだけいるだろうか?
 そして、そのバカバカしさってのは、マンガの本質そのものじゃなかったか?

 
 この作品は全体に密度が濃く、円熟した技巧の積み重ねによって格好いいアクション・切れのよすぎる名ゼリフ・ナンセンスな笑いとがノンストッパブルに押し寄せる、ケンちゃん満漢全席と化している。
 万人にお勧めする由縁である。

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2013年7月15日 (月)

『長靴をはいた猫』 ('69、東映動画)

【あらすじ】
 
 ペロは長靴をはいた猫。
 エサになる筈のネズミを「いっさい食べない!」と、公衆の面前でさして深い考えもなく気まぐれに大胆発言しやがったので、ネコ社会を追われ逃亡の身に。
 じゃあ、普段何を食ってるかというとハムやチーズ、たくわん、ぶどう酒。人間と大差なし。結構グルメ。勿論、入手経路は常に窃盗か詐欺。ってどのみち犯罪者じゃん。
 さてさて、ネズミ捕りは人間と暮らすネコにとっては日常のお勤め。他さして働かないあいつら風情にしてみれば正統かつ立派な労働行為であるからして、ペロの罪状は実は堂々たる就労拒否にあたるのだ。今後の飼い主との外交折衝に致命的な齟齬を来たす可能性が大。事態を重く見たネコ行政当局は凄腕の殺し屋3名を派遣し、密かに反乱分子の抹殺を謀る。
 が、こいつら、凄い弱い。弱すぎ。原因は構成メンバー。三名のうち二名が鬼太郎のおやじ水森亜土。真剣に相手を殺そうと思うなら決してやってはいけない人選だ。
 ということで。今日も今日とて、気弱な男の子をダシにして、王家に取り入りうまい汁を吸わんとするあの悪逆千万な非道ネコを誰か止める者はおらんのだろうか?! 

【解説】

 こんな有名物件にいちいち、あらすじ紹介やら面倒な解説の必要はないのだが。

 夏。海。波濤。三角マーク。

 
今年も来ました、東映まんが祭りの季節到来。同意見の者は多数いるようで、去年は確か、年度ごとのマンガ祭りをフルサイズで体験できるDVDボックスという、高齢化社会に素晴らしく厳しい商品も出廻っていた気がする。自宅でまんが祭り。誰が喜ぶというのか。びっくりしたニャ。
 それにしましても、一度も真剣に考えたことがなかったけど、『長靴』とは実はブーツのことなのである。キャット・オン・ブーツ。ナンシー・シナトラか。これはどんなセクシーな雌猫ちゃんがお出でになるのかと思ったら、石川進のおやじ臭い声で喋るおっさんだったという。だが、こうした意外性が結果的に作品の伝説度を上げることに貢献していると思う。
 宇野誠一郎のアッパー過ぎるアドレナリン全開の楽曲における歌唱も素晴らしく、一休さんとの掛け合いも実にキマっている。就労拒否して歌って踊って浮かれるおっさん。ある意味ロックンローラー。ミック・ジャガーを彷彿とさせる。
 ならば、カラバ侯爵あらため百姓の子倅れピエールはキース、という役回りになるワケだが、それにしてはあいつ、剣技うますぎ。隠れて特訓の噂アリ。そんなのキースじゃないやい。やたら高いところに登っては墜落するデスウイッシュな姿勢だけは、共通する無謀なサムシングを感じさせるけど。
 他、お姫様役に榊原ルミ。魔王に扮するのが刑事コロンボ。

 大塚康生先生がハンマー一個の無駄なハイテンションで城を完全崩壊させるクライマックスの素晴らしさは、いまさら語るまでもあるまい。

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2013年7月 8日 (月)

ジェームス・ハーバート『霧』 ('75、サンケイ出版)

 名前は偏差値高そうなくせに、内容は心底くだらない英国お下劣ホラーの巨匠ジェームズ・ハーバート。本書『霧』は、人間を発狂させる霧が地中から湧き出して人がどんどん死ぬ、彼の代表作である。決して親戚に威張れる内容ではない。
 間違っても再刊などされないと思うが、古本では微妙なプレミア感をつけて結構出まわっているので少し前に入手し、それから随分時間も経ったことだし、いい加減読むかと頁を捲ってみたところ、これが物凄いことになっていた。

 細かい説明をする前に先に断っておく。
 ハーバートは間違いなくホモだと思われる。

 衝撃のデビュー作『鼠』(人喰いネズミが大繁殖しロンドンを襲う!)でも最初の犠牲者は孤独なホモのおやじであったが、『霧』においても、酷い目にあうのはまたしても片腕のホモ教師であり、彼が片腕を失った経緯も物凄くくだらない。
 ここで同じ英国のホモ仲間、否ホラー仲間のクライヴ・バーカーを、例えば代表作『血の本』劈頭付近に位置する「豚の血のブルース」やら「丘に町が」を思い起こしてみてくれたまえ。(知らない方に念のため警告しておくが、これらは本当に凄い傑作である。ちなみに『血の本』は第1巻目が一番テンション高く、後に行くほど尻すぼみになる、通称『寄生獣』方式を独自に採用している。)
 バーカーにおいても最も差別的で酷い死に方をするのは常にホモであり、「外道だから当然でしョ」的な大胆な割り切りかたで処理されていた。これらの短編でのホモの死にざまは本当に残虐非道であり、豚に喰われたり、東欧の村で巨人に踏まれたり、なにか根本的に恨みでもあるのかというくらい、バカげた報われない死に方だった。

 ホモの自虐傾向は、世界的に有名である。
 ゆえにハーバートもホモ。

 しかし、この洞察力に富む大胆な仮説を実証する根拠が微塵も手元に存在しないことを、私は諸君と共に悲しみたいと思うのだ。
 誰か真相知ってたら、教えてください。


 話が不穏当に逸れたが、私の手にした『霧』のすごい箇所は、正体不明の霧によって発狂した男子高校生たちが集団で片腕ホモ教師を殺戮する場面から幕を開けるのである。
 あー、長い前フリだった。
 以下引用する。
 (翻訳は『ドクター・フー/ダレク族の逆襲!』でお馴染み、関口幸男。)

 『数人の生徒が自分のパンツとランニングを脱ぎ捨て、すでに勃起しているペニスをこすりはじめた。小柄な生徒のひとりが教師の上に飛び乗ると、彼を女と間違えているように、はいろうとした。だが、小柄な生徒は他の連中に殴られ蹴られ、床に引きずり落とされた。
 「ハトたちのことは心配ないよ、ハーブ。そのうち戻ってくるさ」
 ハリーはカウンターに身を乗り出し、同情しているような顔つきをしてみせた。ハトなんてもんをここまで心配するなんて、まったく奇特なやつがいるもんだ。放って置いたら幾らでも増えるのに。
 彼にはまったく理解できなかった。』

 あれ?
 ホモの集団レイプ事件が、唐突に鳩の話に変わっている。ロンドンの新沼謙治か。しかし誰だこいつ。こんなやつ、いままで居たっけ。
 さすがにこりゃ絶対変だと思い、目次を念入りに確認しページ数をよくよく見直したらようやく真相がわかりました。

 私が手にした『霧』は、64ページまで進むと、次に再び49ページとなり、再度64ページまで進むと、次はいきなり81ページに直結しているのだった。
 
 物凄い落丁である。

 その間にホモの片腕教師は(おそらく)虐殺され、ロンドンで鳩を飼うのが好きなじじいのエピソードが勝手に始まっていたのだった。うわ。こりゃ酷い。
 版元のサンケイ出版はとっくに扶桑社に変わってるし、購入した時の古本屋のレシートなんてとっくに無いし。こりゃまいった。

 そこで、現在私の頭を悩ませているのは、絶対書かれている内容が下品でくだらないことは目に見えている小説に対し、その失われた数十ページのみに対して、またしても幾ばくかのお金を注ぎ込むのか、ということだ。

 そうしてしまいそうな自分について、正直どうかと思う。

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2013年7月 7日 (日)

ジョージ・A・ロメロ『サバイバル・オブ・ザ・デッド』 ('09、プレシディオ)

 「父ちゃん、ゾンビが馬刺しを食べたよ!」
 ですべてを解決しようとする無茶な映画。
 混乱気味の脚本はロメロ先生本人が手掛けているワケだが、どうやら「人肉を喰わないゾンビ」という画期的な新概念を主軸にストーリーを組み立てたかった様子で、そのぶっ飛んだ発想にどうも凡庸な俗人はついていけず。(「そりゃ普通に人間じゃん!」という言ってはならない身も蓋もない突っ込みあり。)ゆえに評判いまひとつ、ロメロもガックシという残念な事態になって終わったようだが。
 甘い。
 お前ら、全員甘い。吊るし首。
 批評自体は辛いが、考えてる内容が甘いんだよハッキシ言って。結論がなんだかわからない?それこそがロメロ先生独自の視点で捉えた現実ってもんじゃないですか。この映画における議論の混乱は現実をそっくり反映してるんですよ。一本の正論がすべてを総括する時代なんてもうないんだよ。多段階選択方式じゃないですか。いつも常に。なんだって。
 そう思いながら観ると、やっぱり面白い、いつも通りの定番ロメロ映画でしたよ。何の不満があるんですか。え?「なんで島に着いたら西部劇なんだ!」って?
 ロメロは携帯が嫌いなんだよ。
 「携帯持ってるやつは全員ゾンビに喰われちまえ!」って心の底から思ってるに違いないんですよ。だから携帯通じない離島が舞台なの。そんだけ。(ネットは可とするらしい。)
 前作『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』はロメロの自伝でしたけど、今回はロメロのエッセイ。随筆です。お題は現代社会について。現代が嫌いだから、敢えてオールドハリウッド調の西部劇出してくるの。いつもの分かり易い皮肉ですよ。嫌味。シェー。
 
 確かにこの映画は混乱しているが、その混乱はなんだか愛すべきものに思われるのであります。

 
【あらすじ】

 首都圏でのゾンビ発生事態から逃げ出し、田舎は安全なんじゃないかと超甘い考えで街道を爆走する兵隊たち。女兵士なんて登場すると同時にオナったりして、露骨に緩んで退屈している。
 と、そこへネット経由で怪しいおやじの出ているCMが。

 「この島へ来ればゾンビもいない!安全!ハッピー!最高!もうギンギン!
 桟橋まで来てワタシを探してみてください、ヨロシク!!!」


 ブルワーカー、ビリー・ブートキャンプの昔から怪しいおやじの出ているCMは誰が信用するんだコレって胡散臭い空気を漂わせておりますが、不思議とみんな買っちまうんだ。これが。
 百戦錬磨の筈の彼らもコロリ騙されやって来ました港町。美空ひばりのゾンビが『悲しい酒』を絶叫する歓迎ムードの中、前門のゾンビ、後門に地雷原が出現!こりゃたまらんわい、とフェリー逃げ出すと、航海すること5時間で問題の島に着いた。ホントにあったんだジュラシック・アイランド。
 襲い掛かる恐竜の群れを退治しながら、アトラクションの出口を探す兵隊たちを馬に乗った美少女ゾンビが襲う!ってまぁ、全速ダッシュで集団中央を突破されただけですが。さすがアメリカはススんでる、馬を駆るゾンビなんてJ・R・Aにもいませんよ。
 とそこへ、さきほどのゾンビと同じ顔の女の子が現れて、

 「バァーーーッ!!!
 実は、あたしら、双子でしたーーー!!!」

 
 って禁じ手には、正直どうリアクションすればいいのだろうか。教えてロメロ叔父。
 その後事態は加速度的にグダグダになって行き、最終的に主人公以外の連中はなんらかの事情があってバタバタ死んでしまい、「あー、たまに休みが取れても島なんか観光するもんじゃねーな、死ぬほど不便だし」と観客も同様疲れ切ったところで終了。
 
【解説】

 撮影をSuicaに任せたところに、ジョージの現代批判精神を感じる。確かにSuicaは便利だが、なにもカメラまでワンタッチでなくてよさそうなもんだ。でも限度額までチャージできます。最高。
 

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2013年7月 6日 (土)

栗原亨『新・廃墟の歩き方』 ('13、二見書房)

 わたしたちは不穏当なものが好きだ。特に常識の裏をかかれ見慣れた風景が一変するような神秘体験にはコロリとやられる。誰もが奇跡に飢えているのだ。
 廃墟とは、家の死体である。
 かつて人が住んでいた建物が時間の経過と共に誰も住まなくなり廃墟となる。そこにあるのは見慣れたものが異質な存在に変わっていくプロセスとその結果である。
 よく知っている筈の柱や壁がなにか違って見える。なんだろう。黴がびっしり繁茂しているのだ。畳が腐って床が抜けている。丸木を掛け渡したテラスが崩壊し丈高い雑草が茎を伸ばしている。あるいは戦時中掘られた防空壕が農閑期に仕舞われたらしい鋤や鍬と一緒に朽ち果てようとしている。廃業した病院。豪邸。戦前の集合住宅。潰れた遊園地・テーマパーク。刑務所や学校跡。
 著者はこれらの場所が物理的に危険だと述べている。
 きちんと装備をしていかないで不用意に立ち入れば事故や怪我のもとになる。陰鬱で湿った場所だ。紹介されている物件の大半は見るからに凄い心霊スポットなのだけど、オカルト方面を一切信じない著者は、廃墟が法律上国や個人の所有物であり場合によっては家宅物不法侵入にとられる可能性があることの重要性を警告している。
 なるほど、あてにならない霊の気配より、山奥の人気のない廃墟の奥で遭遇した浮浪者の生活痕の方がリアルにこわい。

 多くの美しい写真で構成されている本書に関しては、黒澤清映画のロケ地マップだと誤解して読んでみるのも一興かと思われる。全国にこんなにあるのか、清映画物件。
 明映画は・・・電柱を引っこ抜かないと無理だね。

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2013年7月 3日 (水)

スタニスワフ・レム『エデン』 ('59、早川書房・海外SFノベルズ)

 最近のガキは給食で嫌いなものを残したってオッケー。

 これじゃ日本は永久にダメだろう、と確信する瞬間である。権力が公認か。そりゃなしだよな。
 掃除時間まで独り残されて結局喰わずにバックレた(思い返すとそれって実は単なるクリームシチューなのであった)人間からしてみれば、お優しいというか、おせっかいというか、昨今の自殺率が上昇する原因は、元を糾せばこういう中途半端な人間性への配慮に起因するものと見て間違いないだろう。
 要は、女のロジックなんだよ。
 腐った女のロジックなんだよ。低能どもが。


 以上の文章とはまったく関係ないが、東京にオリンピックを招致することは俺が絶対許さんからそう思え。猪瀬。クリステル。理由はうざいから。俺は決死の覚悟で抵抗する。それでも本当にやってきてしまったら?そしたら徒競争に出てやるよ。棒倒しでもいいや。国際無差別級棒倒しに参戦だ。チュニジアには絶対負けん。

 さて、そんな給食を積極的に食べようとしない現代のちびっ子達に対し、俺はレムの『エデン』を強制投与したいと考えている。国家で公式に決定しぜひ実施していただきたい。今すぐ為し得る最善の策だ。
 安心したまえ。これは非常に面白い小説である。
 ページを捲る間を惜しんで没頭できるタイプの本だ。裸もオッパイも出てこない(登場人物はおっさんばかりそれに宇宙人数名)が、きみが間違いなく興奮することは保証しよう。
 濡れ場も萌えキャラもなくたって、幾らでも面白い小説は書けるのだ。

 とある未知の惑星に遭難したロケットが不時着する。惑星には文明を築き上げた生物が住んでおり、到着した6人の乗組員と接触を持とうとする。
 その結果コミニュケーションできたり、できなかったり。相手の文明の産物を理解できたり、できなかったり。
 そうしたぎこちないプロセスの連続がこの小説である。
 最終的に選択の岐路に立たされた地球人は、異質な文明に対してこれ以上干渉しようという方向性を一切捨て去り、惑星エデンを撤収する。

 結論として接触の試みが失敗に終わるのに、なんでこの小説はこんなに面白いのか。

 例えば、レムが「SFの最高峰」として挙げるウェルズ『宇宙戦争』と細部を対比させてみれば、この作品実は裏『宇宙戦争』というか、人類を火星人の立場に置き換えたパロディーみたいな構造になっていることがわかる。
 真に知的なレムは、宇宙人による地球船の包囲を、特にその鉄道的な輸送機関により砲台(的なもの)を設置し人類に攻撃を加えるまでの具体的過程を、露骨にパロディーとわかるように小説内に配置し、気づいた読者をニンマリさせてくれる。
 あの小説に出てくる火星人は異質で悪意に満ち、コミニュケーションなど絶対不可能な怪物として設定されていたが、地球人だって他の星の生命からすればどっこいどっこいの存在かもよ。そういう話だ。

 救いがないって?
 真実に救いなどあるものか、馬鹿者。
 小説は、必ずしも誰かを慰撫するものでなくていいし、誰かを下世話に楽しませる必要もない。楽しみとは、読む者が勝手に見つけてくればいい性質のものである。

 小説に課せられた使命はただひとつ。人間を描くものでもなければ、歴史を描くものでも、社会構造をまるごと描破するものでもなくていい。
 小説とは、常に真理を描くものなのだ。

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