ダン・オバノン『バタリアン』 ('84、HEMDALE FILM Co.)
『ウォーキング・デッド』原作版の4巻が出ているのだけど、まずは反則ゾンビ物の原点『バタリアン』から話を始めよう。これはジャンルの分水嶺に位置する重要な作品なのだけれど、リニア・クイグリーの墓地ヌードであるとか、オバンバの手術台ヌードであるとか、もっぱら裸絡みでしか語られない不憫な作品だ。
「どう観ても真面目につくっていないのがバレバレ!!」
・・・という誰でも解る事実が決定的にまずかったのかも知れない。
子供でもわかる不謹慎さ。あと、80年代ならではの致命的な安さを感じさせるサントラ(クランプス参加)や、パッとしない役者陣にも責任も一端は求められるだろう。
今日でも誰もがロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が後世の数多いホラー映画に与えた影響について過剰に評価し褒め称えている。だが、その正当な続編を名乗る正統派ゴミ映画『バタリアン』の映画史的意義を真剣に問う者はいない。ま、そりゃバカだからね。
だが、しかし。
それでも、オバノンの一発ギャグみたいなアイディアの閃きは、重なる悪条件を見事に乗り越え、世界ゾンビ映画史を決定的に塗り変えてしまったのだった。私見ではあるが今日くだらないゾンビ映画が山と氾濫する状況が生まれたのは、ロメロの所為ではなく、すべてオバノンの責任である。
悪いのは全部オバノン。ゆえにグレイト。
まず、この映画は一般的に見地からみて、全速力で走るゾンビの元祖だ。
(え、ウンベルト・レンツィ『ナイトメア・シティ』?あれは80年だって?ひとつ聞く。誰が観るんだそんなオタク映画?金曜ロードショーで水野晴郎が解説できるのか、ソレを?)
蘇った最初の死体が社長目掛けて全裸で全力疾走してくるツカミは、あまりといえばあまりに最高にくだらなくて、カラダ張ってる感じがして大好きな名場面なのだが、そのうちゾンビたちは洒落にならないくらい高速で、100人規模の集団マラソンを開始。ダーーーッと波のように犠牲者に襲い掛かり喰らい尽くす。これは怖い。絶対に逃げられない感じがする。
だから、比較的近年の『28日後・・・』もリメイク『ドーン・オブ・ザ・デッド』も、ロメロではなく、『バタリアン』に直接の影響を受けているものとして考えるべきだ。ロメロ無罪。
予告編を見る限りブラピ主演のゾンビ大作『ワールド・ウォー・Z』にしてみても、所詮は規模のでかい『バタリアン』に過ぎない。街路に溢れた人間山脈が崩壊するさまとか、まさに名ゼリフ、「もっと救急車を寄越してくれ!」が似合いそう。
さて、さらに言えば、これは喋るゾンビの元祖である。
オバノン版の生ける死者は、割りと気軽に口を利く。まぁ、トークの大半は「脳みそをくれ!」という心底熱い青春メッセージを伝えるに留まっているワケだが。無駄口叩くぐらいは余裕っぱち。ギャグも飛ばす。「もっと警官隊を寄越してくれ!」
だが、それでも手術台に半身を固定されたオバンバが泣きながら語る死者の苦しみ、絶え間ない激痛と飢えの思想はインパクト絶大で、そりゃ人間襲うよな、脳みそ喰うよなと変に納得させてくれる。
蘇った死者が口を利く。
このへんは迂遠に直接にたぶん、黒沢清『回路』に影響を与えているのである。
かのドラキュラ伯爵を始め、喋る死人というのは映画史に事欠かないが、死んでいることの状況説明を細かくやった人はあんまりいない。だいたいが死者は現世への執着を語り、生前の恨みつらみの言及に終始して、本当に重要なことを語り損ねるようだ。
死んでいることの不思議さ、生きていない状態の意味。
オバノンはかなりくだらない方向で死者の蘇りに動機を与えた。これは賞賛されていい。ロメロは死者が人間を喰う現象を敢えて説明しようとはしないだろうから。
(ロメロ的に言えば、“あれは、ああいう生き物なのだ。死者だけどね(笑)”)
第三に、これは『博士の異常な愛情』から脈々と続く、爆弾一発ですべてが台無しになるガッカリな映画の系譜に連なる作品である。人類皆殺し映画といってもいい。
「あぁ、コレって・・・」と思って観ていると、ほらやっぱりアレだ。ヴェラ・リンだ。「また逢う日まで」だ。「あの素晴らしい愛をもう一度」だ。(ちょっと違う。)
事の善し悪しはともかくとして、『渚にて』でも『続・猿の惑星』でもなんでもいいが、「全員死にました」という結末は反則に近いハッピーエンドなのである。“彼と彼女が結ばれて末永く幸せに暮らしました”的な、ありふれたハッピーエンドより正味の幸福度数は高いのかも知れない。本当のところは水木先生にでも聞かないとわからないけれど。
いずれにせよ、こういう皮肉極まる反則、真面目な映画制作者は決してやってはいけない。面白い映画をつくろうとするすべての努力がオジャンになる危険性が高い。
あと、爆弾一発に関連して『バタリアン』は、これまた50年代のモンスター映画から、『ピラニア』『殺人魚フライング・キラー』、フランク・ダラボン『ミスト』に到るまで、果てしなく受け継がれている伝統芸能の如きおハコ、「軍がなにやら怪しい実験を繰り返していて、罪もない一般大衆がその巻き添えとなる」パターンというのが挙げられる。
これもまた不毛なジャンルだ。
異次元の壁を越えようとしたり、先史時代の生物を蘇らせたり、スターゲートを開いたり。軍人というのはよほど暇なのか遊んでばかりいるようだ。これで国家から金が出ているというのだから実に結構な話だ。
もっとも90年代に入り、アメリカ経済も破綻。レニー・ハーリンの『ディープ・ブルー』なんか、政府の助成金を打ち切られそうな科学者が四苦八苦しながら水中ショーを展開する、夏休みに品川水族館に行った子供の絵日記みたいな話になっていた。
以上ダラダラ書き連ねた話など全部忘れて貰って構わないが、最後にひとつ。
『バタリアン』は日本語吹き替えの方が面白いんじゃないかと思う。かつてTVで観た同世代の諸君は同意してくれるんじゃないかな。
まったく深みを欠いた、表面的で軽すぎる内容は、ホントTVによく似合ってると思うよ。
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