スタニスワフ・レム『エデン』 ('59、早川書房・海外SFノベルズ)
最近のガキは給食で嫌いなものを残したってオッケー。
これじゃ日本は永久にダメだろう、と確信する瞬間である。権力が公認か。そりゃなしだよな。
掃除時間まで独り残されて結局喰わずにバックレた(思い返すとそれって実は単なるクリームシチューなのであった)人間からしてみれば、お優しいというか、おせっかいというか、昨今の自殺率が上昇する原因は、元を糾せばこういう中途半端な人間性への配慮に起因するものと見て間違いないだろう。
要は、女のロジックなんだよ。
腐った女のロジックなんだよ。低能どもが。
以上の文章とはまったく関係ないが、東京にオリンピックを招致することは俺が絶対許さんからそう思え。猪瀬。クリステル。理由はうざいから。俺は決死の覚悟で抵抗する。それでも本当にやってきてしまったら?そしたら徒競争に出てやるよ。棒倒しでもいいや。国際無差別級棒倒しに参戦だ。チュニジアには絶対負けん。
さて、そんな給食を積極的に食べようとしない現代のちびっ子達に対し、俺はレムの『エデン』を強制投与したいと考えている。国家で公式に決定しぜひ実施していただきたい。今すぐ為し得る最善の策だ。
安心したまえ。これは非常に面白い小説である。
ページを捲る間を惜しんで没頭できるタイプの本だ。裸もオッパイも出てこない(登場人物はおっさんばかりそれに宇宙人数名)が、きみが間違いなく興奮することは保証しよう。
濡れ場も萌えキャラもなくたって、幾らでも面白い小説は書けるのだ。
とある未知の惑星に遭難したロケットが不時着する。惑星には文明を築き上げた生物が住んでおり、到着した6人の乗組員と接触を持とうとする。
その結果コミニュケーションできたり、できなかったり。相手の文明の産物を理解できたり、できなかったり。
そうしたぎこちないプロセスの連続がこの小説である。
最終的に選択の岐路に立たされた地球人は、異質な文明に対してこれ以上干渉しようという方向性を一切捨て去り、惑星エデンを撤収する。
結論として接触の試みが失敗に終わるのに、なんでこの小説はこんなに面白いのか。
例えば、レムが「SFの最高峰」として挙げるウェルズ『宇宙戦争』と細部を対比させてみれば、この作品実は裏『宇宙戦争』というか、人類を火星人の立場に置き換えたパロディーみたいな構造になっていることがわかる。
真に知的なレムは、宇宙人による地球船の包囲を、特にその鉄道的な輸送機関により砲台(的なもの)を設置し人類に攻撃を加えるまでの具体的過程を、露骨にパロディーとわかるように小説内に配置し、気づいた読者をニンマリさせてくれる。
あの小説に出てくる火星人は異質で悪意に満ち、コミニュケーションなど絶対不可能な怪物として設定されていたが、地球人だって他の星の生命からすればどっこいどっこいの存在かもよ。そういう話だ。
救いがないって?
真実に救いなどあるものか、馬鹿者。
小説は、必ずしも誰かを慰撫するものでなくていいし、誰かを下世話に楽しませる必要もない。楽しみとは、読む者が勝手に見つけてくればいい性質のものである。
小説に課せられた使命はただひとつ。人間を描くものでもなければ、歴史を描くものでも、社会構造をまるごと描破するものでもなくていい。
小説とは、常に真理を描くものなのだ。
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