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2013年4月29日 (月)

R,A.ラファティ『第四の館』 ('69、国書刊行会)

 たとえば、ゴリラのパンチを“ゴリゴリパンチ”と呼んでみる、としてだ。

 それで何かを説明していることになるだろうか。置き換えるということは、対象を持ち上げることだったり引き下げることだったりするが、本質に迫っている場合だって勿論ある。
 理解しやすいように輪郭をなぞって別のものに変換する。アナロジーからは予期せぬ笑いが生まれる事だってあるし、実際よりも迫力が増すケースも、あるいはうっかり現実より可愛く見えちゃったりする場合もあるかもしれない。
 でもきみが面白がって感心したり、笑ったりしているあいだに、ゴリラのパンチはきみの顎を撃ち砕く。どう言い変えようが、ゴリラのパンチはゴリラのパンチ。そりゃもう強力ですから。本質は変化しない。見誤るのはいつも観念を弄ぶ人間の方なのだ。
 哀れ、ゴリゴリパンチごときで、きみは一生奥歯でものを噛めない身体に。

 ラファティの小説はおおよそこのように作用する。彼の書くものはすべてゴリゴリパンチだ。洒落や冗談では済まされない認識の変革。独自すぎる視点で人類の霊的進化を扱ったこの本とて同じこと。“第四の館”とは意識の階梯、進化のブレイクポイントである。人間は人間以上の存在になれるかもしれない。なれないかもしれない。その為に何をなすべきか。
 神の前に立つことだ。みずから望んで、あまねく世界の苦痛と歓喜とを飲み干して絶対者との合一(霊的結婚)を果たすことだ。
 だが、しかし、

 “どう考えても「天」というか、「神」というか、 とにかく得体の知れない力ってのは堅気じゃあない。”
  (根本敬『因果鉄道の夜』)
 
 というわけで、とっても困った事態になるのであった。
(つづく)

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