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2013年2月

2013年2月25日 (月)

杉元怜一・加藤伸吉『国民クイズ』 ('93、講談社)

 このマンガ、作画を例えば能條 純一が手掛けていたら世間の評価はどうなっていただろうか。
 一見ギャグマンガのようにもとれる微妙な絵柄の『国民クイズ』は、実のところ、結構まともな革命・ユートピア論的な構造を持つ社会派マンガなのである。

 クイズ番組が国政の頂点に君臨する世界。

 発想の元ネタはたぶん、ディック『偶然世界(旧邦題・太陽クイズ)』あたりなんだろうが、国家を挙げて鬼ごっこしたり、かくれんぼしたり、影絵、しりとり、中学生殺人ゲーム、佐藤さんを皆殺しにしたり、最近では随分と実験的かつ意欲的な試みが色々と繰り広げられているものの、この作品が連載されていた頃には明らかに早かった。講談社・週刊モーニングつながりで云えば、『沈黙の艦隊』がまだ連載中だった時代である。しかめっ面した大学生が、面白がって「朝まで生テレビ」を観ていたような時代だ。
 誰もがまだ、ちょっとだけ本気だったのだ。政治や金に。

 クイズが司法・行政・立法はおろか日本国憲法にすら優先する、『国民クイズ』の世界は、だからひとまずギャグに仮装する必要があった。バブル崩壊から間もない日本が、まだまだ金を持っていたことも大きい。
 連日連夜4時間に渡り生放送される『国民クイズ』は、優勝者のどんな望みもかなえる。その為には軍事力も行使する。エッフェル塔を秋田の観光名所にしたりもできる。国民は熱狂し、出場権を争う。

 可笑しいのは、誰も巨大でネガティヴな望みを持たないことだ。
 にっぽんじんをみな殺しにしてください。
 と、いったような。

 そのとき、体制は自衛のために牙を向き、国民クイズ政権は崩壊する筈であった。佐渡島共和国大統領は、何も手の込んだ特攻回答者を送り込む必要などない。破滅的で致命的な願望を誰かが口にするだけでよかったのだ。
 だが、それは起こらない。
 バブル期の日本人はそんなに呑気だったのか?極端な破滅願望を容易く口にするのは、二千年代に生きるわれわれが一様に未来への希望を失くし日々を窮々と送っている現実の証なのか?
 
 そうではあるまい。
 百人の人間が集まれば、必ず何名かは核ミサイルの発射ボタンを押す。それが人間というものの本質である。
 だから、私はこのマンガを多分にユートピア願望を含んだものと申し上げたいのだ。作者はフィクションの構造が孕んだ大きな嘘を知りながら、敢えて暗い側面には頬かむりをしているように見受けられる。
 これをユートピア的思考と呼ばずして、なんと呼ぶ?

 そう、ある意味、国民クイズが君臨する世界とは、真にトマス=モアが思い描いた理想郷のひとつの表象であるだろう。

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2013年2月23日 (土)

武富健治『惨殺半島赤目村』 ('13、アース・スター・エンターテイメント)

 題名を聞いただけで思わずワクワクする。主婦だって夕餉の支度を忘れてしまい家庭内争議の火種になる。そういう種類のマンガである。
 なんたって“惨殺半島”って、陰惨な響きがいい。いいです。
 あなたの期待にたがわず、陸の孤島、不気味な伝承を持つ閉鎖的な村には、嫌味で精神を病んだ連中ばかりが続々登場し連続殺人劇の幕が開く。

 ・・・のでありますが、第一巻の時点ではまだ誰も死なない。残念でしたー。
 正確には、過去に鉄砲水で瞬殺された村の若旦那の描写があります。

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 非常にいい感じの死にざまですね。今後に期待します。

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2013年2月18日 (月)

Variou『GIVE THE PEOPLE WHAT WE WANT:Songs of the Kinks』 ('01、SUB POP)

 かの米国サブポップ・レーベルが出したキンクスのカバー集でございます。

 キンクスというのは本当に面白いバンドで、前向きなことは一切歌わない。やたらキャッチーなメロディーに載せて、人のやる気を削ぐような倦怠感に満ちたメッセージばかりを送り続けてウン十年。
 こういうカバー集ってのは、演者のタマを揃えるより重要なのが、選曲の妙というやつでして、一番有名な「ユー・リアリー・ガット・ミー」はやらない。「オールディ・アンド・オールオブザナイト」もやらない。「セット・ミー・フリー」だって。「ローラ」は既にレインコーツが演ってるし。そのへんの愚劣な思考を徹底的に貫いた結果、勝負あったね。傑作になりました。

 なにが驚異的だって、全編を貫くセカンド『カインダ・キンクス』への異様な高評価。一体なに考えてんだろ。普通に考えて、A-2に「翌日最初の飛行機で郷里へトンズラ(「ガッタ・ゲッタ・ファースト・プレーン・ホーム)」※(注釈)は演奏しませんよ。あ、コレ、ツアーが苦痛なんで逃げ出したいってテーマの曲。カッコいいよね、その、あの、完全に人よりまず先に逃げ出そうって基本姿勢が。
※(注釈)完全な記憶違い。本当はサード「KINK KONTROVERSY」収録曲。面倒臭いので修正しない。
 続けて、トラッドの腐臭漂うおやじ色濃い「ナシング・イン・ディス・ワールド・キャン・ストップ・ミー・ウォーリン・バウト・ザット・ガール」、あの娘が心配で夜もオチオチ眠れまへんのんや、が来ます。異常です。これもセカンド。二十歳そこそこの前途ある若者が書いたとはまったく思えぬジジむさい、内向的なナンバー。それをさらにジジ臭く、本物のジジイがカバー。救いなし。こりゃ一体どういうトリビュートなんだ。
 ま、意味わかるんだけど。

 ラストを飾る名曲「アイ・ゴー・トゥ・スリープ」、もう寝るわ、もセカンド制作時期の重要な曲。グッときますよ。クリッシー・ハインドもこれにはクリをガッチリ摑まれたー、言うてましたわ。クリッシーだけに。うまいことを言う。

 あと、デイブ・デイビスさんに対する異様な高評価も見逃せないとこっすねー。「ディス・マン・ヒー・ウィープス・トゥナイト」、こいつ今夜泣きよりまっせ、です。見事な後ろ向きさ加減。
 それに、なんと、デイブ畢生の傑作曲「ストレンジャーズ」のカバーもボーナス!収録。不仲で有名な兄・レイとの兄弟関係を熱く歌った、ここで泣け!みたいな名曲ですが、普通これは演らんとです。佐門豊作ですたい。
 泣き繋がりでいえば、世界史に残る後ろ向き過ぎる超名曲「ウォータールー・サンセット」のカバーはチャンといい出来でして、あぁ、普通にトリビュートになっとる、なっとる、と一安心。限界越えの「サニーアフタヌーン」がやば過ぎるから。これ歌ってる人、バカでしょ。
 
 個人的には「カム・ダンシング」の高速パンクカバーが最高。
 オレ、異様に「カム・ダンシング」好きですから。前世は「カム・ダンシング」だったんじゃないですかきっと。小難しい話はいいから、踊りに来なよ。あたり前田のクラッカーですよ。

 それにしても、「セッション・マン」のボーカルの人、物真似似すぎ。やばい。だいたい、なんでそんな究極の意味なし、バカげた曲をチョイスして演奏するんだ。
 ま、意味わかるんだけど。

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2013年2月17日 (日)

速度の問題

 2月16日、佐藤哲也師匠のライブを観に町田へ。

 首都圏在住は結構長いけど、小田急ってのは、碌すっぽ乗ったことがなかった。たまたまか。私が単にズボラなだけなのだろうか。
 横浜線方向から来た、別のお客さんに終電の時間など聞くと、
 「小田急、ほとんど使ってないんです・・・」
 という衝撃的な発言が飛び出してきた。ミッシングリンクか。小田急って一体なんなんだ。

 各停だと、新宿から50分以上かかって町田へ辿り着く。沿線全体に結構、若い子が多くて、明るい雰囲気。東横なんかとも共通するけど、もっと庶民寄り。
 知ってる人は知ってのとおり、実は町田は異様に栄えているのだった。カップルが仰山。土曜の夜だから当然だが。タワレコなんかもあるのね。
 海の匂いがしないが、小規模な横浜みたいな感じか。ふふん。

 タブラ・シタール・サーランギのアンサンブルは、予想以上に華やいだ感じでよかった。シタールの女性が可愛い喉を披露して佐藤師匠がリズムを刻む長尺ナンバーなんか、フェアポート・コンベンション「船乗りの話」なんかを連想させるポップさで、普段インドなんか見向きもしないお前やお前やオマエにぜひ聴いてみて欲しいところだった。
 このヤロ。論より証拠だ、来い。
 ありゃ、絶対サンディー・デニーだって。

 で、三名編成、及び最後のアンコール(北インド宮廷音楽でアンコールナンバー登場!というのは、物凄いレアさ)まで含め、全編なんでこうポップに聴こえたんだろうと分析するに、こりゃ速度の問題ではないかと。
 後半になるほど、異様に速かったんですよ。
 最後のアンコールでの、シタールのイントロなんて、クラプトンの「レイラ」かってぐらいの速度になってた。ツボに入ったオレ大笑い。失礼すぎ。
 ロックっぽさって、要は、速度の問題じゃないのか。
 

 そんなことを思いながら、終電間際の豊田行きに乗り換えたのだった。

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2013年2月11日 (月)

服部ミツカ『実録・女流獣姦エロ漫画家!?』 ('08、一水社いずみコミックス)

 「・・・あー、もう、全然やる気がせんわ!」

 古本屋のおやじは伏せていた顔を持ち上げ、ぼやいた。

 「この『神秘の探求』ってのはね、もともと、無料で好き勝手書けるというんで始めたブログなんだが※註1、ときおり心底面倒臭いの。放っとくと記事がどんどん長大化するし、スキャナーの調子悪いし。『鬼面帝国』の単行本、行方不明になるし。」

 ※註1・当ブログは某薬局の全面スポンサードにより運営されている。が、掲載されるネタは一部例外を除きすべてウンベル個人の収拾物であり、勿論ギャラは出ない。万事が“好きでやってる”としか形容できない微妙な状況である。

 縁側の柱に背中を凭れて、のんびり飼い猫と遊んでいたスズキくんが声を掛ける。
 おだやかな二月の晴れの日だ。

 「自宅で単行本一冊行方不明、とかって、そんなこと、本当にあるんですか?」

 「あるから困っとるのだ。」

 おやじは胸を張る。

 「自慢じゃないが、次から次へと増える収集品をきちん、きちんと管理できてるなんて思うなよ!
 探すの面倒だからもう一度買おうかとズボラな悩みに捉われることなど、しょっちゅうだ!」


 猫の背中を撫でながら、スズキくん、

 「それは、あんたが中年の独り者で、小金持ってるから出てくる発想でしょう。
 ボクだったら、探しますよ!探すしかないんですよ!こちとら、失業保険貰って職探ししてる身なんですからね!」

 「ホウ、怪奇探偵は廃業かね・・・?」

 「いまの世の中、怪奇だけじゃ喰えないでしょーが!!」

 スズキくんは怒りと共にシビアな現実を叩きつけた。

 「あんたが悠長に二週間掛けて自宅で行方不明の本の捜索をやってるあいだに、こっちは職安かよって、職安かよって、また職安かよって、ジョリーズでパスタランチ食べて、また職安かよって・・・」

 「しっかり、喰うものは喰っとるじゃないか。」
 おやじは呆れて呟いた。
 「これが現代日本の貧乏というものか。」

 「貧乏、貧乏、言うなッ・・・!!
 フリスキーモンプチ、喰わすぞ!!」


 カッと目を見開いたスズキくんは、数秒間静止。ふと我に返り、着席した。まだ息が荒い。

 「ハァ・・・ハァ・・・フハァ・・・。
 ・・・あんた、他人をキレさせる天才だな・・・。」

 「唯一の特技です。」

 おやじは肩を聳やかした。「よく生きてるよな自分、と感心しきり。本日モ反省ノ色ナシ!」 

 すかさず、ドーーーンと書籍を懐中から取り出した。眉毛が限界まで吊り上がり、顔面が倍以上のサイズに膨らみ破裂寸前。

 「そんな哀れな失業者に贈る、本日のお題はコチラ!!いつかやろうと企画していた、構想十年、獣姦ネタで勝負・・・!!」

 「エーーーーッ?!」

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 おやじ、急に真顔に返り、付け加えた。

 「当然、18禁じゃ。よいこは見ちゃ駄目じゃぞい。」

 「なァーーーにが、“駄目じゃぞい”だ。そんな年寄り、見たことないわ!!!」

 スズキくん、ひとしきり怒りをぶちまけると、ふと真顔に戻り、

 「・・・しかし、なんでまた、今さら、獣姦なんですか?
 確かに数年前、獣姦専門マンガのアンソロジーが一部業界でかなり話題になりましたし、男優さんの代わりに動物が出演する牧歌的AVもコンスタントにシリーズを重ねてましたけど。
 最近、どうなんですかね?」

 「ぐぐぐ。
 さすが情報は適確だな、元・怪奇探偵。」

 「元、言うな!!」

 「きみの指摘どおり、ブームの牽引を担っていた一水社の例のシリーズ最新刊『獣 for Essential10』は、2010年5月28日に発売され、その後は途切れている。2004年から年1~2冊程度のペースで刊行されてきたロングランシリーズだが、此処に来てあまりにニッチ過ぎる性格の特殊ムックに、なんか出版社側でも乗り気じゃなくなったような感じだな。
 ま、売れなきゃ、当然本は出せないからね。ブームはとっくに沈静化してるようだな。」

 「“獣姦の灯を絶やすな!”とかいいませんよ、ボクは。」

 「ちなみにバックナンバーはAmazonか楽天をハシゴすれば、全冊新刊でコンプリートできるようですよ。お早めに!」

 「・・・誰に薦めてるんですか?誰に?!」

 「さて、そんな一時期は過熱気味だった獣姦も、すっかりブームも終わったようだし、このブログでも安心して扱えるってワケだ。
 流行りモノってなんか、恥ずかしいじゃない?」

 「流行りモノでなくても充分恥ずかしいわ!!!」

 おやじは頭を掻いた。
 
 「・・・たしかに・・・」

 しかし、急に表情を変えて、吠え出した。

 「だがな、実際読みもしないでマンガの何がわかるってんだよ?!
 手にとって、読んでみて、それで初めて語れるってもんでしょーが!
 まったく知らなかった未知のジャンルでも、実は抜けて抜けてしょうがないかも知れないじゃないか?!
 
あるいは、思わぬ感動が隠されているとか・・・」

 「エ、抜きたいんですか?」

 「むむ、真面目な話、マンガ単体で抜けるのは二十代ぐらいまでって気はするんだけどね。類型的表現に陥り易いし。最初の感動は持続しないよね。
 おやじ化が進むと、生産力自体に問題が生じるから、どんどん高濃度なエロじゃないと反応しなくなる傾向もあるし。困ったことに。
 でも、どうせエロ漫画を読むんなら、常に抜く気で読め!!!って気はするんだよな。」

 「大きなお世話ですよ!
 ちっとも話が前に進まないから、強引に仕切りますよ!
 現象学的に見て、獣姦マンガの本質とはなんですか・・・?」

 「・・・そんなもん、現象学的に見るなよ!
 でも、まァいいや。正解を教えてやろう。 
 ドォォォーーーーン!!!

 “獣姦マンガの本質とは、オナニーマンガである”!!
 これ、正解!!!」


 「ええーーー?」

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 「・・・まんこ、しっかり描かれてますが・・・」
 
 「なァに、気のせいだ。
 それよか、ホレ、このコマ見りゃァ一目瞭然でしょーが?
 コミニュケーションが成立しない相手とのセックスは、常に変種のオナニーに過ぎないんだよ!
 相手が犬だろーが、猫だろうが、熊だろうが、猿だろうが、オオアリクイだろーが(※吾妻ひでお)、セミだろーが(※日野日出志)同じこと!
 異種族間恋愛なんて一種キチガイの妄想に過ぎないのは、きみも同意するだろ?」

 「はァ・・・」

 (このために“絶対連れて来い!”と、おやじに念押しされたのか・・・)
 と、スズキくんは膝の上で愛猫を撫でながら苦い顔をする。

 「でも、意思が通じているような、いないような。気が変わると、プイと何処かへ行ってしまう。気まぐれ過ぎるところが猫族全般に漲る魅力だとボクは思うんですが・・・」

 「そこには、つまり、明確な一線、距離が存在するよね?」
 おやじは、久々に理屈っぽい一面を全開に出来て、ニコニコ顔だ。
 「性交の本質は、融合と離散のプロセスである。双方の距離の消失を着地目標とし、融合しようとする運動であり、当然ながら失敗する。失敗を運命付けられているとも云える。」

 
おやじ、何かに取り憑かれた表情で喋り続ける。

 「距離を埋めるものが、言葉だ。精神による代償物だ。融合とは決して突起物が凹面に嵌り込むことばかりではない。なにかを分かり合うこと。相互に共有、共感すること。
 オナニーとセックスを分かつものがあるとしたら、それはコミニュケーションの存在ではないだろうか・・・?」

 「ちょっと話に飛躍が過ぎますけど、まァ、おおむね理解は出来ます。
 一見セックスに見えるものが、“お互いの身体を使ったオナニー”に過ぎないケースがあるとかいう、話を拡げて言うとそういう感じですかね・・・。
 あー、もう、なんか、渡辺淳一が日本橋の料亭でしそうな話で嫌になる(笑)」

 「・・・(笑)。
 今回取り上げてるこの本の作者によると、“元々SMモノとか触手モノとか好きだったから、編集部から依頼が来て、獣姦モノを描くことになったのは抵抗なかった”つー話なんだけどね。
 最近のエロ全般、妙にジャンルの細分化が進んだ弊害からか、本質的には同じでも別種の括りとして存在しているものが多数見受けられますな!」
 
 「オナニーに、触手を使うか、ゾウアザラシの舌を使うかの差異に過ぎない。
 ・・・ってだけの話ですか。一応、納得しときます(笑)。
 なんか、この件、早々結論が出ちゃったんでおしまいにしますか。あんまり続けても発展性のない話になりそうだ。

 あと、何か言い残したこと、ありますか・・・?」

 「この本は作者の最初の単行本だったらしく、ごく普通の熟女・幼女モノも数本、それから巻末にはそれより初期に描かれたらしき暗黒耽美系の短編も一本入ってるんだ。
 この最後のヤツは、手加減なしの凶悪さでね、
 大陰唇を日本刀で斬り取り人面犬のペニスの根元に捲く、
 というK点越えの鬼畜描写が素晴らしかったですよ。サービス満点。最悪の趣味だね。」

 「獣姦、まだしもノーマル、ですね。」 

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2013年2月10日 (日)

『80年代悪趣味ビデオ学入門』 ('13、洋泉社)

 かつて同じ洋泉社から『悪趣味洋画劇場』が出たときは、熱かった。これは時代の差である。
 誰もが知る映画の外側には膨大な未踏領域が広がっており、そこに実は映画の秘密があるのではないかと人は記憶をほじくり返し、墓を暴くのに熱中したものである。
 『映画秘宝』も『マンガ地獄変』も、詰まるところはこうした精神の産物だった。葬り去られた映画。マンガ。そこには確かにお宝だってあったし、そうでないものもあった。
 いずれにせよ、未知のものが確かにそこにあって、われわれは単純にワクワクした。昔の話だ。

 現在、誰も知らない(当然未DVD化の)VHSビデオばかりのレビューを集めた本書のあとがきで、田野辺尚人は冷徹に宣言する。

 「この特集は死体の山だ。
 はっきりしておくが、『昔はよかった』なんて少しも思っていない。消えてなくなってしまったものを記録しただけ。
 残酷だけれど、それが結論だ。」


 たぶん、夢はもう終わったのだ。
 それでもわれわれは生きていかなくてはならないし、こうした不憫な映画は依然として重要だ。のんきに“サイテー!!”とか、言ってられなくなったってだけの話だ。

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