杉元怜一・加藤伸吉『国民クイズ』 ('93、講談社)
このマンガ、作画を例えば能條 純一が手掛けていたら世間の評価はどうなっていただろうか。
一見ギャグマンガのようにもとれる微妙な絵柄の『国民クイズ』は、実のところ、結構まともな革命・ユートピア論的な構造を持つ社会派マンガなのである。
クイズ番組が国政の頂点に君臨する世界。
発想の元ネタはたぶん、ディック『偶然世界(旧邦題・太陽クイズ)』あたりなんだろうが、国家を挙げて鬼ごっこしたり、かくれんぼしたり、影絵、しりとり、中学生殺人ゲーム、佐藤さんを皆殺しにしたり、最近では随分と実験的かつ意欲的な試みが色々と繰り広げられているものの、この作品が連載されていた頃には明らかに早かった。講談社・週刊モーニングつながりで云えば、『沈黙の艦隊』がまだ連載中だった時代である。しかめっ面した大学生が、面白がって「朝まで生テレビ」を観ていたような時代だ。
誰もがまだ、ちょっとだけ本気だったのだ。政治や金に。
クイズが司法・行政・立法はおろか日本国憲法にすら優先する、『国民クイズ』の世界は、だからひとまずギャグに仮装する必要があった。バブル崩壊から間もない日本が、まだまだ金を持っていたことも大きい。
連日連夜4時間に渡り生放送される『国民クイズ』は、優勝者のどんな望みもかなえる。その為には軍事力も行使する。エッフェル塔を秋田の観光名所にしたりもできる。国民は熱狂し、出場権を争う。
可笑しいのは、誰も巨大でネガティヴな望みを持たないことだ。
にっぽんじんをみな殺しにしてください。
と、いったような。
そのとき、体制は自衛のために牙を向き、国民クイズ政権は崩壊する筈であった。佐渡島共和国大統領は、何も手の込んだ特攻回答者を送り込む必要などない。破滅的で致命的な願望を誰かが口にするだけでよかったのだ。
だが、それは起こらない。
バブル期の日本人はそんなに呑気だったのか?極端な破滅願望を容易く口にするのは、二千年代に生きるわれわれが一様に未来への希望を失くし日々を窮々と送っている現実の証なのか?
そうではあるまい。
百人の人間が集まれば、必ず何名かは核ミサイルの発射ボタンを押す。それが人間というものの本質である。
だから、私はこのマンガを多分にユートピア願望を含んだものと申し上げたいのだ。作者はフィクションの構造が孕んだ大きな嘘を知りながら、敢えて暗い側面には頬かむりをしているように見受けられる。
これをユートピア的思考と呼ばずして、なんと呼ぶ?
そう、ある意味、国民クイズが君臨する世界とは、真にトマス=モアが思い描いた理想郷のひとつの表象であるだろう。
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