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2012年12月 3日 (月)

池田敏春『湯殿山麓呪い村』 ('84、角川映画)

 すべてのバーターが負のベクトルを描く。素晴らしい映画だと思う。
 もともと解りにくい因果が三世代に渡って勝手気侭に折り重なり(しかもその内ひとつは江戸時代)、復讐の経緯も殺人動機も、「なんかスッキリしねぇなァー」と思って油断していると、登場人物がとにかくドンドン死んでいく。
 それも、小学生の子供が首吊り自殺したり、売春婦が壁にアタマをぶつけて死んだり。『オーメン』シリーズかというくらい、次々理不尽な死を遂げるのだ。
 社長は脳に独鈷杵を撃ち込まれて即死。和尚は井戸に放り込まれ刺叉で腹を串刺しに。横浜で浮浪者が服毒状態で凍死すれば、未亡人は日本家屋に火を放ち無理心中未遂で焼死。回想篇では、戦時中疎開先の村での強制レイプ飼育で屈辱の自死を選んだ母娘。江戸時代では生きたまま土中葬にされ、苦悶のままミイラ化する男。(その愛人はやはり首吊り。)時代・性別・年齢・職業の貴賎を飛び越えてとにかく死にまくり。
 陰惨な死体行列の連鎖にいい加減うんざりしてきた頃に、絶妙なタイミングで女子中学生がカレシと交通事故死。オーバーラップして主人公で探偵役の永島敏行が無実の罪を着せられ、雪深い東北の山中で遭難。凍死してしまう。なんだ、これは。登場人物が全員死んでしまったぞ。
 なるほど、確かに呪われている。
 これはもう呪いの仕業としか言いようがない。

 この映画に関する一般的な感想は「感情移入できない」「暗い映画」「意味不明」とのことらしいのだが(一応リサーチしました)、そういう人は描かれる出来事はすべて他人事で、実際におのれが呪われた人生を送っているという自覚がないのだろう。
 あなたの人生もやっぱり巨大な負の傾斜の上にあり、日々滑り落ちて行く。
 何をやっても、無駄である。
 何をやっても、ダメである。

 そういうグローバルかつ公正な認識に立てば、これは実に娯楽映画らしい純粋な娯楽映画だ。役者達のなりきりっぷりもいい。池田敏春の演出は過剰に演技に入り込みすぎで、観ていて楽しい舞台演劇的で濃密な空間を作り出している。自然体の演技なんて薬にしたくもない!そんなあなたにお勧めだ。
 美術も無駄に頑張っており、特に眼窩にうじ虫を集らせたミイラの仕上がりはお見事!スタッフに誰か『サンゲリア』の好きな奴がいたんだろうなぁー。あれに倣って、撮影用のうじ虫は勿論本物を使用!でも、一匹も殺してません!
 それにしても永島瑛子はなぜ、ああも貧乳の胸をはだけたがるのだろうか。文芸映画でもアクションでも毎回必ず脱いでいるのだが、この映画でもやはり脱いでいた。誰も要求なんかしてないのに。これも一種の呪いと考えていいだろう。
 この映画での彼女が『ナイト・トーキョー・デイ』での菊地凛子に酷似していることも、同じく何かの呪いだ。

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