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2012年11月

2012年11月26日 (月)

つのだじろう『蓮華伝説(上)』 ('87、大都社)

 つのだじろうの『蓮華伝説』!
 日本マンガ界に白フォース・黒フォースの区別が存在するなら、疑いなく黒フォースの筆頭格・トップガン、暗黒巨星つのだじろう先生が渾身の熱筆を奮った裏代表作!でも、先生の存在自体が既に裏モノっぽいから、つまりは代表作というワケだ!文句あっか!
 トキワ荘を燃やせ!!
 Fの首を晒せ!!ベレー帽つきで!!

 われわれには神から面白いマンガを自由に閲覧する権限が与えられている。それを行使するも善し、懐に仕舞いこんで安閑とするも善し。根性を出せば、どんなマンガだってたいてい読める。みぃーーーんな、じろうちゃん。石川次郎。但しキャスターの方。
 そういう感じだ。ベイベー。
 
【あらすじ】

 事の発端は突如襲った淫夢がきっかけだった。
 全裸で呼びかけてくる謎の美少女。浮世絵の春画。それに蓮の花。脈絡のないイメージの連鎖。なんだこりゃ。でも、きてる。なんか、きてる。くるなァー。
 異様に刺激され、いい歳こいて二晩続けて夢精したTV脚本家・夏目吾郎は、何を思ったかドップリ射出したおのれの白い液体を自宅のブランデーグラスにせっせと溜めて飼い始める。石原裕次郎もびっくりだ。既にこの時点で、気違いの殿堂入り確定。
 なぜかそうせずにいられなかったのだ。自分がわからなくなる夏目。
 謎の液体は、訪れた東大医学部に勤める友人・森安なおやにより人間の受精卵と鑑定される。
 
 「コレは単なる精子ではないゾ!卵子と結合した着床卵と同じものだ!」
 唖然とする夏目。エッ、俺のソロじゃないの?  
 「しかし、体外に出た受精卵が生きていけるなんて・・・?」
 「さらに周囲の雑菌をものともせず生育を続けるとは・・・?!」
 
軽いリアクションで手を振る森安。
 「超ありえねー!!」
 「ナイヨー!ないよ、ソレ!」


 常識を覆し通常の十倍の速さで細胞分裂を繰り返し、みるみる胎児の形態を整えていく謎の液体。徐々に蒸発していく不足分を補うため、本業も疎かに日夜突貫のズリセン行為に従事。ぶっかけ突撃を繰り返す夏目だったが、さすがに身が持たない。あと、が足りない。決定的に足りない。
 そんな破滅一直線の急傾斜下り坂な男に突如モーションをかけてくる怪しい女が登場。
 たいして売れてないテレビタレント・安原麗子である。暇な麗子は強引なドリブルで夏目の住むときわ荘(※本当に実名で登場)へ乗り込み、勝手にスタミナ料理を作り出す。感動した夏目は、料理ともども麗子自身をもご相伴に預かることに。
 うめえ。さすが本ナマは違う。
 単調に陥りがちの機械的オナニーに嫌気がさしていた夏目は、神様によくぞ男と女をつくってくださったと感謝の祈りを捧げながら、久方ぶりにときめいてドップリ放出。心地良い虚脱感に浸っていたら、体液を膣内に多量に溜め込んだ麗子が動いた。
 半目になり、トランス状態で空中を浮遊する麗子。エッ?
 天井近くまで舞い上がり、平行に移動した女は仕事机の上に載せてあったブランデーグラスに跨ると、まんこ内部の貯蔵タンクを完全に開放した。チャーリーズエンジェル・フルスロットルで溢れ出す精子やらまん汁やら。どぺどぺ。
 業務を終えた麗子は失神。その場に崩れ落ちる。
 デスクから落下し、頭頂付近に瘤をつくってガースーいびきをかいている麗子と、見事に体液の補充が為され溢れそうなブランデーグラスを見比べながら、思慮深い表情になる夏目。
 
 「うーーーむ、コイツは・・・・・・。」
 しかし、さっぱり解らなかった。

 そういう訳で(どういう訳だ?)、急遽同棲生活に突入し、仕事そっちのけで連日連夜交尾に励むふたり。愛だの理屈だのはそっちのけで、求めるのはひたすら獣欲完遂のみ。ある意味清々しいが、流石に他人には威張れない。
 スタミナ不足を感じると、近所のスペイン料理屋へ出向き、特製スパイス入りのステーキを頬張った。これが不思議な程の強精効果。筒涸れペニスもたちまちサンダーキャノン状態に。で、息急き切らせてときわ荘へ馳せ戻るや、これまたおっ始めるという割り切った算段なのだった。
射精後冷静になってみると、無意識で空中浮遊のできる女を相手にしてるのってどうなの?的な考えも浮かばないでもないのだが、なにしろグラスに体液を補充し続けなければならない。なぜそうするのか、その結果はどうなるのか。いっさい見当がつかない。もはや悪魔に魅入られたとしか表現しようがない。有名な性現象、トリコ仕掛けの明け暮れである。
 そんな彼らを監視している存在があった。
 隣の部屋のババアである。
 連日連夜の荒行に死の危険を察知した麗子が突如逃亡、行方を晦ます事件が発生すると、就寝中の夏目のベッドへ潜り込み勝手に代行運転サービスを完遂。これまた空中浮遊を行なうと、ブランデーグラスを満たしたのだった。
 朝起きて、グラスが満たされているのを見つけ、首を捻る夏目。おのれの股間に絡みつく白い陰毛。

 「うーーーむ、コイツは・・・・・・。」
 しかし、さっぱり解らなかった。
 麗子はその後、捨てられた犬のように戻ってきて、また以前の暮らしが始まった。

 友人・森安なおやは、最近さっぱり消息のない夏目の身を案じ、学術書を大量に抱えてときわ荘をアポなし訪問。正体不明の胎児は人工培養のクローンではないのか、と無用な心配をぶちまける。
 数分前に麗子内部に射出したばかりの夏目は、頭をボケーーーッとさせて聞いていたが、激昂した森安がブランデーグラスに手を掛けようとすると、さすがに顔色を失った。
 それより早く、台所から包丁を持ち出した麗子が白目を剥いて突進。

 「ガッ・・・!グハッ・・・」

 森安なおや、腹を刺され死亡。七曲署の刑事よりあっけない。
 何かに憑かれたように行動した麗子は、やがて正気づき自分の犯した罪の重さに慌てる。

 「うわッ・・・?なに、コレ?!・・・まじ?まじ?」

 「うーーーむ、コイツは・・・・・・。」
 夏目がまたも思考循環に陥ろうとするより先にドアが開き、隣の部屋のババアが登場。

 「アーーーラ、これは大変ね。お手伝いしましょ

 ビニールシートを被せ、異常に手際よく死体を運び去ってしまう。
 そのプロフェッショナル過ぎる手口に戦慄を禁じえない麗子と夏目。ようやく自分達が巨大なる陰謀に巻き込まれてしまっていることに気づく。

 「コレは、間違いなく何かの陰謀だ!
 手掛かりは・・・とりあえずオレ、春画の線から洗ってみるわ!」


 呑気すぎる捜査を開始。夢で見た春画を捜し求め、古書店・図書館・インターネットであしげくリサーチ。その絵が年代もバラバラ、別々の絵師の手になるものであることが解った。

 「だから・・・なに?!」

 麗子に、ど突かれ捲くる夏目。確かに。
 方向性を変えて、ババアを締め上げる決意を固め買物帰りを襲うことに。しかし。

 「グワワワーーーッッ!!!」

 空中を飛んで来たナイフが首の横を抉り、ババアは電柱脇で大量の血を噴いて死亡。
 あっけにとられる夏目。
 非情な裁きを行なったのは、女装したスペイン料理屋のマスターだった。

 「・・・あっ、マスターだ。」

 現場を離れる犯人の姿からいとも簡単に正体を見破る夏目。
 口ひげを隠さずにカツラを載せているだけの手抜きコスプレだから、そりゃすぐ判る。あのセーラー服は自前だろう。
 となると、謎を解く鍵はスペイン料理屋にあり・・・か。
 そういや、あの店のスタミナステーキ。いつも喰うと、必ず精力ビンビンになるのはなぜだ。なにか怪しいスパイスでも混ぜていないか。

 「そうだ。分析するんだ!」
 

 毎日食わされていて気づかなかったおのが舌を恥じることなく、死んだ森安のコネを使い、ステーキソースを化学分析にかけると。
 ヨーロッパ産の毒草マンドラゴラの根を多量に含んでいることが判明。毎日毒を飲まされていたことを知った夏目は「金返せ!」と思いつつも、ようやく此処に到り事件全体を覆うオカルトの影に気がついて、魔術に詳しい東大講師を訪ねることにする。

(下巻へつづく)

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2012年11月25日 (日)

R.A.ラファティ『昔には帰れない』 ('12、ハヤカワ文庫SF)

 そうそう、そうなんだよ。昔には帰れないんだよ!
 全SFファン号泣。
 小難しいこと云ってる奴も、軟弱ハリウッド調SFに慣らされ脳が溶けた奴も、SFなんか知らん顔で今日の残飯を漁るあんたも。今年のベスト。買っとかないと。一番きれいな造本のやつを。今すぐ。お近くの書店で。
 これで、ラファティ唯一のヒューゴー賞受賞作「素顔のユリーマ」がようやく(『世界SF大賞傑作選』以外でも)読めます。でもコレ、ラファティにしちゃあ普通のレベルの短編。もちろん、他人には決して真似られない内容ですけれども。いつもの感じ。おおむねラファティはこうです。
 じゃあ、なにが凄いんだって、例えば「月の裏側」。
 妻の浮気に気づく旦那の話なのに、完璧にSF。他に誰が書けるんですかコレ。普通小説以下にしかならない題材を使って、説明しようのない反復とロジックの綱渡り。凄いです。凄いです。下を漏らしそう。チェスタートン好みのネタと展開ですけど、コレを書くラファティの悲しみと滑稽味は独自のもの。なんたって現代アメリカですもの。

 伊藤・浅倉共訳で、「昔には帰れない」の表題。脳をつるはしでガツンとやられた心境でした。

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2012年11月24日 (土)

『ウォッチメン』 ('09、パラマウント・ワーナー・レジェンダリーピクチャーズ)

 アラン・ムーアの『ウォッチメン』?読んだことない奴がいるのか?本当に?
 Oh、グレイト!そいつは結構だよ!偉大なるラッパーの先駆者、悪魔のもじゃ髭、髪が耳にかかるほど長くてうざい、家庭を持ったホームレス。歩く出版社。アラン・ムーアは様々な形容詞で呼ばれてきたが、その中にこういうのがあるんだ。
 スーパーヒーローコミックスを終わらせた男。
 ほら、タイツを着た英雄どもが世界を救うってあれさ。アクションコミックスにスーパーマンが初登場して以来続いてきたアメリカの特産品だよ。知らねェの?終わらせたんだよ、ムーアが。『ウィッチメン』ただ一発で。格好いいにも程があるぜ。
 すべての推理小説に対して『虚無への供物』が占めてる立位置とまったく同じこと。万人の必読書であり、それ以下ではない。ま、腐ったテレビを毎日捻ってゼエゼエ言ってるあんたにゃ全然関係ない話だけどな!あんたのゲロが今夜もますます匂うと素敵だな!嫁に嗅がしてやりなよ、ジョニー・・・!

 で、その記念碑的作品の映画版なんだけど。ザック・スナイダーにしちゃ頑張ってる方。軽いけど。しかし結果、忠実に映像化した筈の犬の頭が割れてるシーンが、デイブ・ギボンズのアートに負けてるのってどういうこと?
 誰か弁解できる?チャカチャカ、カットを重ねてC.G.駆使したって、冒頭、摩天楼を背景にロールシャッハがコメディアンの居室に潜入する、「真夜中にすべてのスパイが動き出す、知りすぎてしまった者たちを駆り出すために」のあの有名なカット、わずかパネル一枚の興奮すらまるで再現できてないと俺は睨んでるんだが、どうだ?識者諸君、異論あるまい?
 ザックはコミック通りの絵ヅラにこだわる男。現場じゃコミックブックを切り貼りして絵コンテにしたそうだ。それって映画監督として恥ずかしくない?それ以前に、大のおとなとして?誰か突っ込んでやれよ、アメリカ映画界。無駄にスタッフばっかり多いんだからさ。
 他にもエイドリアン・ヴェイトがまるでマッチョじゃないとか、ラストにイカが出ないとか致命的な問題は多々ありますよ。
 特にイカ。イカはなんで変更したんですかね。
 
 「どうして、ノンノンはフローレンって名前にしたんですか?」
 「ねぇ、どうして?」

      (川喜多美子“ねぇ、ムーミン”のカバー)

 これと同じことだね。心に刺さりますね、なんか。
 さらにイカにこだわりますけど(※以下『ウォッチメン』のクライマックス部分をバラす。知らん奴読むな!)、イカ出現の代わりに使われるのがドクター・マンハッタンが持つ超能力爆発のコピー版だっつーんだよね。アメリカ脚本協会のお歴々は。(コピーできるのか?)
 ロンドン・香港・ベルリン・モスクワ。東西の大都市に向けた、マンハッタンによるひとり同時多発テロだっつー報道がなされる話に書き換えられてるの。世界はドクに対抗すべく一致団結し、世界戦争の危機は回避されると。
 余りに大人げない、イカによるニューヨーク大爆発描写に比べてこちらの方が遥かに合理的だろ、ずっと「9.11以降の現実」を反映してるだろ、どうだい凄いぜモテるだろ、と奴らは威張ってみせる訳なんだけど、浅い浅い。
 ドクがビン・ラディンを彷彿とさせる役回りだなんて、キャラに照らし合わせりゃ100%ない話でしょーが?神に等しい能力を手に入れたアメリカ人物理学者。彼女に逃げられ、だんだん人間存在自体に関心を失くしていってる。そういう特殊人物。
 原作の読者は全員そうしたキャラの基本設定は知ってる訳だし、あの映画の中の世界でだってそれはある程度知れ渡っちゃってる公認の事実なんじゃないのか。「ドクター・マンハッタンが人類を攻撃しました!」って言われて何人が素直に信じるんだ。正直疑問だな。記者会見で公然と非難排撃するヴェイトの作戦が、伏線としてはまァ活きてくるんだけど。腹いせとしてもレベル低すぎ。ドクにそぐわない。
 それでも、大衆は愚かだ事の本質にも気づけないって皮肉なんだって言い張るのは勝手だけど、相当舐めてないか?一般大衆を?
 確かに、イカ一杯で限界まで高まった核戦争危機が回避されました、なんてトンでもない大嘘ですけどさ。
 「お前らなんか、これで充分だ!イカ喰らえ!」
 って、世界首脳陣に全力で投げつけるアラン・ムーア先生の魂の叫びが聞こえてくるじゃない?断然俺はそっちが好きだな。きみもそうだと嬉しいんだけど?

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2012年11月17日 (土)

古賀新一「恐怖の材木少女」 ('88、ひばり書房『いなずま少女』収録)

 微妙ないい話というのは始末に困る。
 実例を挙げよう。


 「クラス会ですっかり遅くなってしまったわ。」
 宵闇迫る神社の横を制服を着た少女がひとり通りかかる。クラス会。中学生ぐらいのくせに?古賀先生お得意の、頭で拵えただけのストーリー展開は既に全開だ。
 鬱蒼と茂る木々。背の高い石燈籠。土塗りの白壁の前に来たとき、真っ黒いぐにゃぐにゃした影が映る。
 「はっ!」
 振り向くと、アルムのおんじ似のじいさんが笑いながら立っている。見事な白ひげ、茶色いちゃんちゃんこ。微妙に猫背なのが怪しい。
 「アラ、おじいさん。いまごろ、どこ行くの?」
 実の祖父らしい。
 「釣りじゃよ。」手に持った魚籠と竿を持ち上げて見せた。
 「いつもの川でしょ?あそこは危ないから、気をつけてね。」
 「わかっているよ。フフフフフ。」
 行ってしまった。
 「変ね。夜間徘徊癖かしら。こんな時間に釣りに行く必然性がまるでわからないわ。」


 おじいと別れて自宅の前まで来ると、「おいでおいで」をしている奇妙な枯れ木がある。
 「ああッ・・・!!」
 その木の洞(うろ)に巨大な目玉が見えた気がして、極度にビビり出す主人公。いきなり家に飛び込むと、巨大な鉈を持ち出し、木を伐り始める。
 発狂したような娘の行動を慌てて制止にかかる父。母親もエプロン拭いながら台所から出てきた。夕食時だというのに何をやってるんだろうかこの家族。
 「お前、この木はもう三百年もたっとる由緒ある枯れ木なのだぞ。それを伐ろうだなんて、この罰当たりめが!」
 「そうよ、おじいさんも毎日水をあげて大事に丹精してるのよ・・・!」

 三百年間。枯れ木。
 狂った両親の説得も聞かず、鉈で巨木を叩き斬る主人公。あぁ、すっきり。狂った人間を狂った論理で説得しようというのだから、暖簾に腕押し。それにしても鉈一本とは凄いきこり能力。


 すると、由緒ある巨木の呪いであろうか。みるみる枯れ木人間に変身してしまう娘。
 枯れ木人間って何?誰も見たことがない生き物なので非常に説明し難いのだが、少女と木の根のハイブリッド。ワンピース着た女の子が枯れ木な状態。
 これではなんの説明にもなっていない。
 「地面に根が張って歩きづらーーーーーい!!」


 枯れ木少女が夜の町に飛び出して、通行人を次々と嚇かしながらノロノロ歩いていくと、前方には都合よく濁流渦巻く川が。周囲はいつの間に渓谷と化している。マンガの背景って本当不思議。
 川をおじいが溺れて流されていく。
 長い人間の生涯によくあるありふれた日常的な体験だ。諸君も枯れ木人間に変身したら、素敵な溺れるおじいに出会えるかも知れないよ。ファンタジー。 


 もうオチは見当ついたと思うが、おじいは突如現れた枯れ木に抱きつき溺死を免れる。しかし激流は勢い止まらず、そのまま滝壺へドボン。
 枯れ木と一緒に滝くだり。
 じじいを助けた主人公は、失神から気づくと元の人間の姿に戻っている。善行を施した所為か。これも功徳というものか。傍らで永久に首を捻り続けるおじい。
 「わしは確かに枯れ木に摑まっていた筈だが・・・?」
 「しかし、こりゃどう見ても孫だ。」
 「どうなっとるんじゃ、わいわいわい!!!」

 

 結局誰も主人公の変身を信じてはくれず、庭に転がる(自分で切り倒した)枯れ木を眺めながらしみじみとした感慨を漏らす。静かな夕暮れ。
 「いつも大事にされていた枯れ木は、おじいさんの生命を救ってあげたいばかりに・・・」
 「きっと、そうだ。
 あのとき、わたしの身体に、枯れ木の魂が乗り移っていたのかも知れない・・・。

 美しい幕切れだ。しかし。

 枯れ木の魂。

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2012年11月13日 (火)

ジーン・ウルフ『警士の剣』 ('81、ハヤカワ文庫SF724)

 一見ファンタジーに見えるものが実はSFであって、SFとして解釈しようとするとそれは煌びやかな架空世界を舞台にした寓話だったりする。さらにタチの悪いことに、そうした非現実的なおとぎ話こそは、われわれの住む現代社会の矛盾・軋轢や歴史を反映したものに他ならないのだ。
 (例えば巨大都市ネッソスの現在位置が南米ブエノスアイレスであるらしいという情報を演繹してみたまえ。なんで主人公の旅が北に向かうほど熱帯に近づくのかわかるだろう?)
 すなわち、ここに書かれたことは実際に起こった出来事。写実性がいささか眼に余る。
 あるいは、物語はあくまで純然たる虚構であって、象徴としての独自性を保ち続けている。神秘と寓意を失っていない。だから読者の無意識に有効に働きかける。
 相互に矛盾した、以上のいずれもが真実となりうるような物語。それは複雑に組み合わせた合わせ鏡の連なりのようなものだ。反射され受け渡される鏡像はあくまで直線を走り抜こうとするのだが、その軌跡は組み合わせの数の多さにより多様に歪んで行方知れずになりかけている。
 それでも辛うじて見えるものを拾って行けば、迷宮の出口に辿り着けるかも知れない。
 かくて辿り着いた結末が別の迷宮の始まりだったとしても、われわれは作者の手腕に喝采しこそすれ、決して貶めるものではない。

 『新しい太陽の書』四部作は、やはり第三巻『警士の剣』が一番面白い。

 ここに到る経緯を知るために第一巻・ニ巻を読み、その後どうなったかを知るために第四巻を読むがいい。だが、親切かつおせっかいな私は、この第三巻のあらすじだけを書いてしまおうと思う。
 これを読んでなお本編を手にとってみたい御仁がいたら、ぜひお目にかかりたいものだ。

【あらすじ】


 地元のネッソス工業高校を中退したセヴェリアンは、着の身着のまま隣り町のスラックス校に転校して来る。さんざん鳴らした腕っ節を買われ、番長の用心棒に雇われたのだ。
 かぶき者の衣裳を着て、町のゲーセンなどに幅を効かすセヴェリアン。
 だが悪事は長いこと続かぬもの、番長のオンナに手を出してフルボッコにされ、ほうほうの体たらくで裏山に逃げ込む破目に。
 辿り着いた山奥の民家で、出された握りめしをパクついていると、野犬が襲ってきた。
 野犬の口を上下に裂いて殺し、“ネッソス校一のワル”の称号は伊達じゃないことを見事証明したが、そんなケチなプライド保持のために、一家の主婦は惨殺され亭主は犬のエサになった。さすがに責任を感じ、ひとり残された赤ん坊を背負ってさらに山奥へ逃げ込むセヴェリアン。官憲の手が廻ったのだ。非常線が張られ、レーザー槍を持った兵隊が山狩りを開始している。
 自分より強そうな相手とは決して戦わないのが信条という、正直すぎる主人公。さらに逃走を続け、人里離れた山奥にある、見捨てられたテーマパークの廃墟へと迷い込む。そこには世界番長選手権を片手で制したことがある伝説の大番長が眠っていた。大番長は肉体の若返りのために、強健な若手の肩に自分の首を移植し再起を図ろうとしている。
 あやうし!セヴェリアン!
 大番長は、連れていた年端のいかぬ赤子をライターで炙って焼き殺し、おのれの凶悪さを軽くアピール。
 抵抗虚しく展望台に追い詰められ絶体絶命の窮地に陥るが、ちょっと待った。大番長のアタマはジェット機を頭突きで落とすくらい強力だが、若手の方はそれほどでないかも。そこで隠し持っていたとんかちで後頭部を思い切り殴ると、血を噴いて悶絶。死んでしまった。
 片方のアタマが死ぬと、肉体も死ぬ。かくして世界タイトルを再び狙っていた伝説の大番長は倒されたのであった。
 しかし、山に籠もっていても碌なことがない。少なくとも婦女子にはモテない。
 
遂にこの世の真実を悟ったセヴェリアンは県警が網を張っている側とは反対の山を降って、土人の村に辿り着く。土人達は腕っ節の強いセヴェリアンを大歓迎。村一番の奴隷娘を献上する。山での窮乏生活から酒池肉林の天国へ。浮かれたところへ、村外れの空き家に住み着いたオール阪神・巨人の退治を依頼されホイホイ引き受けてしまったから、さァ大変。奇声を発する阪神はともかく、巨人はやたら凶暴で、宇宙人を味方につけている。
 バックに宇宙人。背後に暴力団が介在している方がまだマシだ。
 それでも調子に乗ってるセヴェリアン、村人を組織しにわか軍隊を創り上げると、トラウトマン大佐よろしく夜明けに奇襲をかける。幸い、宇宙人はベンツでファミレスを探して流していってしまって留守だった。
 奇声を上げてあっさり倒される阪神。遂に始まるセヴェリアン対巨人の一騎打ち。巨人はロケットパックで空中に舞い上がり、上空から襲い掛かる!
 が、身軽に避けると勢い余って池にポシャンと突っ込んでしまった。
 これが巨人の最後だった。

          (完)

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2012年11月12日 (月)

『マッドマックス』 ('79、豪州)

 いびつな映画である。決して出来がいいとは思えない。

 例えば、焼け焦げたグースの腕がボロッと出る場面。実に安っぽいショック描写だと思う。続く目を剥いたメル・ギブソンの顔の二段階モンタージュにはかなり辟易させられる。
 あるいは、マックスのカミさんがビーチに海水浴に行くと、帰り道の松林で、近所の知恵遅れに襲われる。なんで?作者は一切説明しない。その直後、執念深く付き纏う暴走族によって、嫁も赤子も惨殺(バイクで轢き逃げ)されるのだから、極端に運が悪いとしか思えない。
 最初のカーチェイスが一番テンション高くて、だんだん尻すぼみになっていく構成もいかがなものかという気がする。しかも、敵が暴走し過ぎて勝手に自滅するのだ。(マックスはアクセルを吹かす以外、特にたいしたことはしていない。)
 でも、ラストの後味悪い決着のつけ方(のこぎり)は、そこで始末されるのがどう見ても小物なところを含め、露骨なエンターティメントを拒否しているようで裏街道を感じさせるけれど。
 唾吐いたら皮ジャンに着いた、みたいな残尿感だ。全体になんか。

 だが、映画の値打ちがそれだけで決まる訳ではない。

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2012年11月11日 (日)

アラン・ムーアヘッド『恐るべき空白』 ('63、ハヤカワ文庫NV)

 オーストラリア。へんな国。アボリジニとカンガルーの故郷。
 奇妙さはどこから来るのか。地図を拡げて面積を比較してみよう。例えばヨーロッパあたりと。
 でかい。
 オーストラリア、無意味にでかい。

 そして、人口密度は低そうだ。国の大半が砂漠やら平原だから。隣の人になかなか出会えなそう。でも家の庭は広い。バカな子供が迷子になるくらいに。
 もと流刑地。クラスに何人か、先祖が海賊だったやつがいる。
 加えて、オージービーフの大味さ加減。やはり尋常でない。

 かつてこの地に赴いた探検家達は、内陸に海があるのではないかと夢想した。誰も足を踏み入れたことのない砂漠の彼方に、豊富な水を湛えたこの世の楽園があるのではないかと。
 オーストラリア大陸を縦断するルートの開拓。
 その探検を支えたのは、ひょんなことからあぶく銭を掴んだ奴らだった。
 1850年代ヴィクトリア州バララットで発見された金鉱は、世界産出量の三分の一を占めるまでに急成長し、州都メルボルンには新興の富裕層すなわち成金野郎どもが形成されるに到った。
 お陰で探検隊は空前の豪華かつ大規模なものとなったが、残念ながら現場慣れした人間がひとりもいなかった。隊の行動は支離滅裂。せっかく遥々持ってきた貴重な資材をどんどん捨てながら荷を軽くし、ひたすら先を急ぐ。なにやってんだか。
 飢え。乾き。壊血病の恐怖。果てしなく続く砂漠。草木も生えない苛烈な大地。そのくせ降ればどしゃ降り、大洪水。原住民の襲撃。
 それでも隊長以下3名は根性でオーストラリア北岸へと辿り着く。
 やったぞ、任務を果たしたぞ、と喜び勇んで4ヶ月ぶりにベースキャンプへ戻ってくると、待っている筈の守備部隊は愛想を尽かして数時間前に撤収したばかりであった。
 怒りのあまり、隊長は憤死。
 残された隊員達もひとり、またひとりと倒れていく。
 あぁ、誰かこのピンチを救う者はいないのか。

 そこに敢然と立ち向かった男がいた。マッドマックスその人である。

(次回へつづく)

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2012年11月10日 (土)

『エイリアン』 ('79、20世紀フォックス)

 ダスティー・ホフマンになれなかったよ。
 ならんでいい。
 ウンベルです。私は同じ映画を繰り返し観る。気に入るとそればかり観ている。『エイリアン』は三千回くらい観たかな。嘘だが。何回も繰り返してると細部に発見がある。たいしたことない奴が。それが個人的には非常に重要だ。
 例えば、裏切りのバレたアッシュがリプリーを闇に葬ろうとする場面。リプリーはパーカーの読んでいたエロ本を口に突っ込まれて死にそうになる。
 
続く、殴られたアッシュが牛乳を口から吐き散らし、棒で打たれると首から上がベロンと背中に垂れ下がる場面と共に素晴らしいシークエンスである。同じようなことをキャメロンが『ターミネーター2』でやってたが、あれは液体金属だからな。小汚さが足りない。C.G.なんか使わなけりゃいいのに。
 首がもげたアッシュを床に置いて悪事を白状させようとする場面で、五歳児が見ても明らかなダミーヘッドと役者さん(イアン・ホルム)の挿げ替えが行なわれている箇所だって、実に好印象。非常にバカげたものをコツコツ真面目に創り上げている。スピリットの問題として大事である。アッシュはここでも口いっぱいの牛乳を吐いてくれて、本当サイコー。真性バカ役のハリー・ディーン・スタントン(ブレット)の名演技と共に、こういう映画は脇役が大事。
 あと、あれだね。宇宙タンカー(ノストロモ号)の自爆シーン、あの光線の出方って『2001年』のパロディーだったのねー。一瞬スターゲートがハッキリ見えて編集で強制終了させられる。一発ギャグ。オプチカル合成のスタッフ単独の遊びとは思えないので、壇オバノンの指示か。
 やるな、オバノン。

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2012年11月 5日 (月)

小野耕世『世界のアニメーション作家たち』 ('06、人文書院)

 こないだ渋谷のタワレコ行ったら、タワーブックスが無くなっててさ。凹みましたよ。あすこ便利だったのに。景気の悪さを実感したな。
 そりゃ金にならねぇよ。蔵書みたく動かない本ばかり。いつも空いてましたよ。
 でも、そんな本屋でなくちゃ売れない本もあるんだよ。そこに宝がある。例えば、コレだ。

 小野耕世先生については、なんて紹介するのがいいんですかね。
 日本で最初にスタン・リーに会いに行った男、ですか。でも先生、他にも無数に“日本で最初に・・・”をお持ちだから。スタン・リーなんて、ちいせぇよ。
 あたしが最初に小野先生の名前を意識したのは、「月刊スーパーマン」だったか「スターログ」だったか、80年代初頭の雑誌媒体でしたよ。光文社の単行本「キャプテン・アメリカ」「スパイダーマン」「ファンタスティック・フォー」やなんかはもう出てるですけど、恥ずかしながら、全然知りませんでしたー。
 世代的な問題と、流通。すべて流通のせいだと思います。
 次に先生のお名前にビビったのが、杉浦茂『モヒカン族の最後』(晶文社版、旧作の完全リメイク)の単行本解説。これも、こなすこなす。例によって流通の都合で、この本を発見したのはペップ出版の一連のリイシューがあって、筑摩の全集本が出始める直前ぐらいの時点だと思うんですが、当時は記録的な杉浦飢饉でしたからね。あたしの心の中で。窮天の慈雨でしたよ。なんかわからんけど、有り難かった記憶があります。ある時期この本が心の支えでしたね。
 で・・・小野先生翻訳の『マウス』やら『ボーン』(未完)が出始めて、段々近代になっていく。いわゆるグラフィックノベルが訳される時代の到来。既に「Xメン」とか「ワイルドキャッツ」とかが一世を風靡してたんだけど。「スポーン」とかさ。「スポーン」。最悪。
 
そっち方面はまったく読んでないなー。深夜にTVアニメやってたからさわりぐらい知ってますけど、恨みがましいデビルマンみたいな感じでね。身長のある悪魔くんつーかさ。所詮おもちゃ売りたくてつくってんでしょ、みたいな。
 アメコミとか、そっちのフィギュアが最先端のお洒落なんじゃないかという完全な勘違いがその頃世間にありまして。スケボーとかエアマックスとか流行ったそんな時代。そんな訳ない。お洒落な訳ないですよ。どういう種類の勘違いが起こったんだろうか。当然、真のおしゃれイストの小野先生は勿論そのシーンの中にはいないんですよ。粋だねー。
 その頃あたしは、D.C.からリイシューされた「スピリット」とか「プラスチックマン」の豪華本全集をせっせとお小遣い貯めて買ってましたよ。「まんがの森・渋谷店」で。来てみろりん。値段は高いけど中味が異常に濃くて。だけど、間違いなくお洒落ではなかったです。ジャック・コール。天才だけど。マイク・ミニョーラが持て囃されたのもその頃。
 日本のアメコミ翻訳において画期的だったのって、『ダークナイト・リターンズ』が出て、『ウォッチメン』が訳されたときでしょ。あのへんの衝撃が今日の翻訳ラッシュの屋台骨になってる感じはありありとわかるなー。

 ・・・って、何の話でしたっけ。そうそう、小野先生。
 シュヴァンクマイエルに始まり、ルネ・ラルーやらノルンシュテイン、カレル・ゼマンにハリーハウゼンと斯界の大物ばかりが並ぶこの本にも典型的なんですが、小野先生の最大の特徴は徹底して好きなものしか取り上げないところ。
 広範囲な、専門家としての視座の獲得なんて眼中に無い。流行りものに一切目配せしない。そこは昔から一貫してる。
 評論家には二通りのタイプがあって、自分の守備範囲以外でも広角で語りたがる人と、敢えて趣味以外はやらない人。一見オールラウンダーの方が偉そうに見えるけど、実はそんなこと無いんだよ。
 何でも屋なんて怖くないから。
 本当に怖いのは、重要な一言を口に出す人だから。


 小野先生はちょっと類を見ないくらい、おっかない人です。
 熱っぽく百万語を費やして語る、なんて野暮な行為はしないで、実際にクリエイターに会いに行く。チェコでもロシアでもどこでも行ってしまう。お前は世界ふしぎ発見かというくらい、現地へすぐ飛んでいってしまう。
 そして、自分の気に入ったところを作者本人に直接伝える。自分の言葉で。ついでに連想した、他所様のお気に入りの作品なんかも。
 そこで、読み手と作家との間で、同意が生まれたり、距離が確認できたりして、そこでおしまい。読者に自分の読みの結論を押し付けることはしないの。(もちろん、作家にも。)
 ほったらかし。
 それが読者への最大限の礼儀。

 小野先生は、百の理論よりも自分の本能を信頼してますよ。観客・読み手として。でもそれを体系化したり、くどくど説明したりする必要は一切感じていない。
 面白いものなんて理屈じゃないですから。
 あたり前でしょ?という態度。
 だから、どの本もレアな情報量はやたら満載なくせに、ちっとも偉そうではない。実は凄いことだ。

 「考えるな、感じろ」って、小野先生の言葉じゃないかと時々思う。

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2012年11月 4日 (日)

イジー・バルダ「笛吹き男」 ('85、ダゲレオ出版)

 ドイツ表現主義の絵が動く!それも木彫りで!
 という、好きな人には堪らない作品。私はスチールを見たときから気に入って、先日ようやく中古のDVDを入手した。以降、毎日観ている。
 汚穢と腐敗のハールメンの街に、謎のダークヒーロー笛吹き男が現れ、美女を殺した奴らを鼠に変えて退治する・・・!という明確なアウトラインを持った物語で、まともな台詞は一切ないのだけど、非常に俗っぽくて解り易い。50分ちょっとは、あっという間だ。
 笛吹き男のビジュアルはちょっとマカロニ・ウェスタン入っていて、マントに頭巾で暗い目つき。復讐に赴くときには当然の如く、重低音のギターが鳴り響く。薄倖の美女(悪漢どもにレイプされ殺害される)は如何にもお人形さんらしい可愛らしい造形で、事件のすべてを見守る釣り船のじいさんは笠智衆そっくり。ちょっと太めだけど。
 正義はいつでも笛を吹いている。
 という意味では、『笛吹き童子』『快傑ライオン丸』や『ジャーマン+雨』の系譜に連なる正統派の笛ロマンなのかも知れないのだが、それよか何より注目したいのは木彫り。
 やっぱり木彫りである。
 本当にせっせと彫っている。登場人物ばかりでなく、背景の都市までなんと木彫りだ。これには軽く驚かされる。ジョージ・パルの「黒人少年ジャスパー」シリーズもヘッドは木彫りだったが、ここでは悪人達なんか全身木彫り。ブロック感丸出し。で、木って素材は実は非常に重いじゃないですか。倒れないようにする為だと思うんですけど、妙に下半身がでかくて頭が小さい。そういうピンヘッド体型の、異様なデザインの人形ばかりが大量にぞろぞろ出てくるんですよ。
 で、背景は歪みまくっている。
 家とか屋根とか、ぐるぐる渦を巻きまくり。凄い。機材とか照明を見ていると、なんかNHKのスタジオとそんなに変わらないんじゃないかと思えるんですけど、デザインの狂いっぷりが半端ない。カッコいいんですよ。つまりは。
 悪魔が来たりても、やっぱ笛でしょ。
 そういう意味で、学校での笛教育を見直さなくっちゃいけないよ。アルトリコーダーは誰が吹いても難しい。やっぱ、そこから始めないとね。

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2012年11月 3日 (土)

ザ・モノクロームセット『ストレンジ・ブティック』 ('80、Water)

 モノクロームセットなんて、単なるカッコつけの為の音楽と貶める必要などまったくないのだ。本当は。
 例えば80年代ラウレンティスの『フラッシュ・ゴードン』、主人公のTシャツの胸には、赤い流れるようなレタリングで“FLASH!”と染め抜いてある。俺T(ティー)である。
 公開当時ダサい・バカ・ハゲと散々罵倒された映画だが、この貴重なセンスは今や裏返って、逆にカッコいいのではないのか?だいたい、そんな大うつけ者をSFX大作映画の主役に据える度胸があるか。現在のハリウッドに?(この映画には他にもいろいろと脚本や美術に本物の幼児が関わっている疑惑が散見され、悪の帝王が“噴火”と書かれたボタンを押すと、実際に地球上で火山が噴火するなど、常人のイマジネーションを軽く凌駕する場面が目白押しだ。)
 想像力の枯渇した連中が社会を占拠し、いまやすべてはジリ貧である。
 フレンチ、インド、エンリオ・モリコーネなど自分が格好いいと思うものを全部ギターポップに盛り込もうとしたモノクローム・セットは、カッコよさを極めると大馬鹿になる、というこの世の摂理を見せつけてくれたバンドとして重要である。まったく何を考えてつくってやがるんだ、一体何なんだこの曲、などなど創作者の手の裡をまったく明かさない手法は、ジーン・ウルフなんかにも共通する魅力だと思う。
 
 あ、ところでこのファースト『ストレンジ・ブティック』は、権利関係だなんだで、中々単品でCD化されてなかったので、見たら買っとくといいよ。

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