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2012年11月10日 (土)

『エイリアン』 ('79、20世紀フォックス)

 ダスティー・ホフマンになれなかったよ。
 ならんでいい。
 ウンベルです。私は同じ映画を繰り返し観る。気に入るとそればかり観ている。『エイリアン』は三千回くらい観たかな。嘘だが。何回も繰り返してると細部に発見がある。たいしたことない奴が。それが個人的には非常に重要だ。
 例えば、裏切りのバレたアッシュがリプリーを闇に葬ろうとする場面。リプリーはパーカーの読んでいたエロ本を口に突っ込まれて死にそうになる。
 
続く、殴られたアッシュが牛乳を口から吐き散らし、棒で打たれると首から上がベロンと背中に垂れ下がる場面と共に素晴らしいシークエンスである。同じようなことをキャメロンが『ターミネーター2』でやってたが、あれは液体金属だからな。小汚さが足りない。C.G.なんか使わなけりゃいいのに。
 首がもげたアッシュを床に置いて悪事を白状させようとする場面で、五歳児が見ても明らかなダミーヘッドと役者さん(イアン・ホルム)の挿げ替えが行なわれている箇所だって、実に好印象。非常にバカげたものをコツコツ真面目に創り上げている。スピリットの問題として大事である。アッシュはここでも口いっぱいの牛乳を吐いてくれて、本当サイコー。真性バカ役のハリー・ディーン・スタントン(ブレット)の名演技と共に、こういう映画は脇役が大事。
 あと、あれだね。宇宙タンカー(ノストロモ号)の自爆シーン、あの光線の出方って『2001年』のパロディーだったのねー。一瞬スターゲートがハッキリ見えて編集で強制終了させられる。一発ギャグ。オプチカル合成のスタッフ単独の遊びとは思えないので、壇オバノンの指示か。
 やるな、オバノン。

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