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2012年9月

2012年9月24日 (月)

国北瑠璃『誰にも秘密よ、エンジェル!』 ('91、一水社)

 「聞きたくてウズウズしてるくせに、ちょっと他人には尋ね辛い、SEXのすべてについて教えましょう!」ーウッディ・アレン

 この不器用なSMマンガが語っているのは、煎じ詰めればそういった内容であり、描き手の技術的未成熟さ・ぎこちなさがゆえに、結果として真実の側へ一歩踏み込んだ表現がなされている。
 われわれは何に欲情し何を忌避するか。道端に吐き掛けられたゲロ。だが、その中に倒れこんで動かないのが若い裸女だったら?幼女だったら?熟女では?髭の紳士だったとしたらどうだ?
 しかし実のところ、対象はまるで重要ではないのだ。
 巨乳マニアを自負する人達がいる。貧乳に拘る人がいる。対極的に見えて、これらは同じコインの別々の側面を語っているに過ぎない。
 特定部位への固執。ミノが好きか、ハツが好きか。だが焼き肉屋のテーブルで饗されれば、人はどちらも喰うのである。本当に腹が減っているならば。自然にそうしないのは余程のひねくれ者だけだろう。

 重要なのは、人はなぜ焼き肉屋に入ろうなどと決意するのか。その一点である。
 そもそも、焼き肉屋とはラーメン屋ではないのだ。「たまには焼き肉でも・・・」ということか。あるいは、今日は焼き肉でなくてはならない絶対的な理由があるのか。
 人を焼き肉屋へと駆り立てるものとは何か。
 ソフォクレスですら語らなかった恐るべき真実が、このマンガには超適当にだらだらと記述されている。それを紐解くのはすべての学究の徒に託された使命である。

【あらすじ】

 本書は三篇の物語によって構成されている。
 しかし登場人物の設定、年齢、性行為のバリエーションとも被る箇所が多く見受けられ、実は同じ物語を執拗に反復しているのだと理解しても差し支えがない。
 国北にとって何より切実に語りたかったモチーフとは、「彼氏のいる女が・彼の友達に強制的に犯され・欲情し・彼の友達に惹かれていく」という三角関係の縺れそのものである。腐ったドリカム編成。だが現実の社会でまま起こっていることだ。
 しかし、こんな単純過ぎるテーマで単行本一冊まるまる持つのか?
 持つのである。
 国北はこの微妙に倒錯的なオブセッションに憑かれ、鼓舞され、悩み苦しみ、そして明らかに発情している。先ほど私は「対象はまるで重要ではない」と述べた。人は妄執に突き動かされる魂の乗り物である。きみの欲望の矛先が向かうのは、環境によって、外在的に内在的に齎された偶発要因に過ぎない。
 先に言っとく。
 欲望に選択の余地などあるものか。それが欲望だ。

    ※     ※    ※

第1話、「キッコーシバリでロマンスをッ」 

 狐の面をつけた少年は「狐さん」と呼ばれている。年齢は大学生くらい。働いてる節はまったくないのに都会のマンション悠々一人暮らし。

 物語は、そのマンションから一歩も出ない。(正確には一歩出ようするが、止められる。他所のお宅に迷惑が掛かるといけないから。)
 さらに恐ろしいことを申せば、背景として窓やドアから当然見えるだろう外界の描写がまったくない。これは注目すべきところだ。ディッシュ「リスの檻」か。
 注意深く観察するなら、こうした空間の断絶は作者により明確に意図されたものである。
 勿論意図的に省いたというより、“描けなかった”“描写する能力がなかった”が正解だろうが、物語の本質に関係ないものは一切描かなくてよい。余分なディテールは邪魔なだけだ。
 例えばこの作者が谷口ジロー並みの描写力と執拗さを持っていたとしたら、この物語に何か欠かせざるエッセンスが付け加えられていただろうか?
 否。断じて、否。物語は見えるがままにしか存在しない。世界には見える範囲の奥行きしか与えられていない。それはとても重要なことだ。

 「狐さん」は、親友「エンちゃん」の彼女である「肉子ちゃん」に惚れている。

 これが人間関係の基本図式。それ以外には何もない。

 この三名は閉じ込められた狭い空間の中にひしめいている。「狐さん」「エンちゃん」を緊縛し、蝋燭を垂らし鞭で打つ。カレシを奴隷として貶めることによって「肉子ちゃん」の歓心を買おうとするのだが、この迂遠な告白は「肉子ちゃん」には受け入れがたい。
 かくて、レザーの拘束具で胴を締め付け、乳房を持ち上げた女王様が股間にディルドーを屹立させて登場する。彼女は一種のクリームヒルデの復讐として「狐さん」を先ほどのカレシ同様に荒縄で縛り、熱蝋を浴びせかけディルドーをしゃぶらせる。純粋に屈辱を与える行為として行なわれているそれらに反応し、次第に興奮し固くなり始める「狐さん」のペニス。
 状況が収拾つかなくなり始めたところで、「エンちゃん」が自ら拘束から抜け出し、サングラスをかけたS男として物語をリードし始める。(ここで語られる物語とは性行為そのものであり、他の意味を含まない。)逆の懲罰として、「肉子ちゃん」は縛り上げられ、鞭で叩かれフェラチオを強制される。張り型を使った衆人環視でのオナニー。遂には1ℓのグリセンリン液浣腸を打ち込まれ、我慢できずに「狐さん」の目の前で排泄してしまう。
 お湯で腸洗浄をし、きちんとアフターケアする「エンちゃん」。
 
 「さァ~て、それじゃ次はきれいになったアナルを、「狐さん」に犯してもらうかァ!!」
 
 「エッ・・・?!」

 股間を限界まで膨らませ、それでも表面上体裁を取り繕おうとする「狐さん」。
 その耳元に唇を寄せ囁く「エンちゃん」。

 「いいよ、ヤッちゃって。
 好きなんでしょ、肉子のこと。」

 
「あ・・・悪魔か、おまえはッ!!」


 かくて「狐さん」のペニスは「肉子ちゃん」の腹腔に挿入され、肉体的に繋がることによって心理的な距離は消滅し、両者に共犯関係が成立する。そこへ、結果としてフィクサー役を務めた「エンちゃん」が乱入し場面は一応3Pとして展開するが、作者の眼目は憧れの「肉子ちゃん」と偶然ヤレて嬉しい「狐さん」の心理状態の追跡だ。
 3Pの本質とは、2Pの連鎖。コンボである。
 これがこのマンガの結論なのかも知れない。特定の誰かをひたすら求める気持。他人に対する欲望はまったく際限がない。見方を変えれば、「肉子ちゃん」にとって終わらない三角関係はひとつの理想。あちらに惹かれ、こちらに抱かれ。果てしなき欲望。
 終幕は後日談、再び「狐さん」の元を訪れた「肉子ちゃん」たちがスポーツバッグから浣腸器を持ち出したところでお終いとなるが、そのコマに被せて以下の文字が“The  End”の如く記載されている。 

 “UNLIMITED.”


第2話、「笑わない夕べ」 


 吾妻ひでおの純文学シリーズを思わせる掌編である。
 真夜中、浴衣一枚の下は裸で、男の部屋を訪れる少女。背景は土蔵のような、旧い旅館のような。状況説明は一切ないし、ついでに言えば、アングルで断ち切られているのでここに出てくる男には顔がない。
 
 「見て・・・」

 格子窓から差し込む月光の下に、全裸の身体を転がす少女。

 「だァめ。女の子がそんなことをしちゃいけないよ。」

 優しく浴衣を着せてやると、自分の寝ている布団の反対の隅に寝かせる男。わざと背中を向け、このまま眠るように諭す。
 彼女の内心の声。

 (なんだか、私、責められてばかりよ。)
 
 ここで背景に描き込まれているのは、縄で拘束された少女の両手だ。

 (あなたが、私を嫌っている理由・・・たぶん、私は知っているのだけれど・・・。)

 少女は自ら剥き出した乳房を、股間を眠る男の背中に擦りつけ、呻く。

 「ねぇ、お願いよ。
 して!
 したくてたまらないの・・・!」


 「・・・だめだよ!」
 押し殺した男の声には、まだ少年の響きがある。

 「前にもしてくれたこと、あったよね?
 こんなこと、なんでもないことだって言ってくれたじゃない?
 うそつきね。」


 (・・・本当は、そんなに嫌がっていないこと、知ってるわ・・・。)

 遂に布団から起き上がり、やがて激しく闘魚のように肉体を絡めあう男と女。
 行為の後、少女は荒い息を吐き続ける男の耳元に囁く。

 「ねぇ・・・わたし、ねぇ・・・」
 「・・・ん?」
 「もう、いやだな・・・」

 
「・・・なにが?」

 「ううん、わかんない。なんでもないわ・・・。」


 以下ナレーション。
 
 (私があなたの思いを知っているように、あなたは、きっと私の言葉の意味を知っている。
 それだけでもう、いいの。いいの。
 いいんです。)


 この物語は何だろう?

 誰それが誰それを好きで、誰それは実は誰それとつきあっている。驚くほど不毛。絶対にプラスに転ぶことはない、碌でもない相関図。
 しかしそれこそが快感を生み出す源泉であり、主人公が常に拘泥され続けているもの。
 じゃあ、単純に「終わらない三角関係って最高よ!」と言い切れるかというと、そんな自信は全然ない。っていうか、世の中的に見てかなりまずいでしょ。その考え。100%突っ込まれるわ。自身でも積極的に肯定する気には到底なれない。
 ここでの登場人物達は全員、親も友人も近所の人とも切り離された孤児の様な存在であり、お互いの肉体交渉によってのみ辛うじて自己確認し合っている。芽生える快感と憎しみの感情だけが真実。従ってそれは近親憎悪に極めて近い性質を持つ。
 かなり特殊な人びとに見えて、実はわれわれのよく知っている人たち。
 ここに展開するのは、そういう寄る辺なき孤児たちのロマンなのだ。
 自由恋愛の喜びとは、概してとても不自由なものであり、時に苦痛を伴なう。そういうことかも知れない。

 誰か、お願い。あたしを止めて。

 こうして壊れてしまった人々をわれわれは知っているし、不安定さと無縁の生活を送っているくせに容易に崩れ落ちてしまう脆さをせっせと蓄えている者たちもいる。日常は常に崩壊の一歩手前にあるので、人はそれを隠そうとする。
 いつもと同じ電車に乗る。いつもと同じ顔と出会う。

 
第3話、「闇に抱かれて(前編・後編)」 

 本書で一番の長さを誇る短めの長編(ノヴェレット)であり、これまで述べてきたモチーフがすべて結実する渾身の力作。従って、話の解決しなさ加減も天下一品。終始、うだうだします。
 でも、安心して。これ、SMマンガだから。
 やってる行為は本当えげつないし、そこに躊躇はないから。

 舞台は日本家屋の一軒家。美緒子ちゃんは古典的セーラー服の女子高校生だが、なんでかカレシしゅうちゃんの家に居候中。なう。
 事情はさっぱり解らないが、この家にはしゅうちゃんの友達・文夫も棲んでいて、三人は同居生活を送っている。これで揉めない訳がない。絶好のロケーション。
 
 物語はいきなり、学校から帰った美緒子ちゃんがハードにオナっている場面から始まる。

 おまえが好きなの好きなの
 全部入れて ここに入れて
 ハァハァ荒い息を耳元できかせて
 私のことを好きって言って
 ぎゅっと抱き締めていて 顔を見せて
 おまえのそういう顔が好きなの


 キプリングの叙情詩より数倍人の心をうつ見事なフレーズの連続。こういう直裁的かつ下世話な独り言をブツブツ繰り返しながら、指を入れたり出したり、つねったり抓んだりで今日も美緒子ちゃんはイッてしまわれるのでありました。
 最近すっかりオナニーづいてる美緒子ちゃんでしたが、その原因はあいつにあるのでした。
 ある日、突然あたしを犯したあいつ。
 たった一回っきりの出来事だけど、信じられないくらい、すごくよかったあいつ。
 あいつは、あいつは、大変装・・・!


 あの体験を思い起こすたび、美緒子ちゃんの繊細な指先は股間に伸びて、くちゅくちゅと音を立てるまで花びらいじりを止められない(おぉ、ヴィクトリア調の表現だ)のでありました。
 さてさて、オナられた後の美緒子ちゃんは疲れて眠ってしまわれます。
 いつの間に辺りは暗くなりまして、すっかり夜。この家の持ち主、しゅうちゃんがお仕事から帰って参りまして、だらしなく寝ている美緒子ちゃんを見つけて怒ります。

 「おまえ、なにやってんだよ?
 寝るんなら、自分の部屋行って寝ろよ。」


 「ねぇ、しゅうちゃん。あたし、やっぱりあの子と一緒に住むのイヤよ。」

 脈絡なく突如シリアスかつハードな話題を振り始める美緒子ちゃん。
 アタマん中には、あいつのアレのことしか入ってないんだから、しょうがありません。毎度のことなので無視して、カップヌードルを取り出しお湯を入れとうとするしゅうちゃん。
 (※本編とたいして関係ない注釈=コマ奥に描かれたしゅうちゃんの持つカップには、わざわざ“カップヌードル”と最小クラスのフォントで写植が打たれている。乗り物図鑑に“しょうぼうじどうしゃ”と名前が書かれているのと同じ理屈。作者が下書きの消しゴムがけを忘れていたのを編集が律儀に拾った結果か。それとも、そこに何か深遠な意味でもあるのか。・・・ないな絶対。)
 
 「じゃ、出てけよ。
 ここは、オレの家であって、おまえの家なんかじゃないんだからな!」

 「それ、お湯、入ってないもん。」


 慌ててポットを見直し、ゲーとなるしゅうちゃん。

 「あたしがいなくなったら、誰が家事やるの?困るの、しゅうちゃんだよ。」

 身体を寄せ、核心に入る美緒子ちゃんは、しゅうちゃんの留守中に文夫にレイプされた件をカミングアウト。喋りながら、どんどん発情していきます。
 しゅうちゃんは、冷静極まりない人ですから、この女が語りながら、告白することで性感を得ている事実を知っています。セーターを捲り上げ豊満な乳房を剥き出しにすると、せっせと責めに入るしゅうちゃん。

 「いーじゃん、おまえ誰とでもやりまくってる女だろ?
 よかったじゃん、やってもらえてさァ!!」

 「あああんっ、昔のことだよ~・・・今はしないもん、そんなこと・・・」


 「こぉの、インラン!」

 「あぁ、もっと、言って・・・」

 ぴちぴちのジーンズを脱がし、濃い陰毛を鷲摑みに性器を責め出すしゅうちゃん。潤い出した花弁へ素早く挿入。全開で狂い出した美緒子ちゃんは、喘ぎながら、でも目ざとく襖の向こうに蠢く気配を捉えます。

 「ちょっと・・・!文夫、そこにいるんでしょう・・・?」

 「あ・・・ごめん・・・」


 バイトから帰ってきた文夫は、律儀に謝ります。

 


(つづく)

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2012年9月23日 (日)

ウンベル、小細工を弄する

 表示不良で読めなくなっていた過去記事「サイキッド謎丸」を再掲載しました。
 別にしなくてもいいんだけど、なんか嫌じゃん。そんだけのことよ。

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河合一慶『サイキッド謎丸①』 ('89、てんとう虫コミックス)

 「勉強ダメ!スポーツ、ダメ!
 だから、オレが目立つには、超能力しかないのだ!!」


 あまりに堂々としたこの世の敗者宣言から、不思議なマンガの幕が開く。明るそうに振舞っているが、主人公の敗北者意識は物凄く根深い。
 「諸君には充分な時間がある。」
 「たかが小学生時点での勝ち負けなど、まったく意味が無い。」
 「ちょっと先を見渡せば将来など如何ようにもなるものだ。当然大逆転だっていくらでも可能だ。」
 ・・・などと金八のように常識的な言葉を投げかけても、クソの役にも立たないだろう。

 お前は、敗者だ。
 そこから逃れるには、超能力や心霊、UFOしかないのだ。


 私は、これを“ムーな意識”と呼んでいる。(略して、ム意識だ。)
 小学校時代に種が蒔かれ、中学で感染。以後年を経るごとに致死性の病いとなっていく。
 われわれは常日頃こうした衝動に慣れ親しんできた。誰でもクラスに何名かは、ム意識を共有する仲間があったことだろう。実際ム意識の持ち主でなくても、超常現象・オカルトの世界は子供たちの傍らに常に存在したし、TPOに応じカルトな豆知識を授けてくれた筈だ。

 しかし、常識は反論する。例えば、赤点のテストを突きつけるゴリラ似の教師の姿を借りて。

 「ありもしない超能力にたよるのも、いいかげんにしろ!
 この世に超能力などはないのだ!
 このテストがいい証拠じゃないか!!」


 比類ない正論である。この世に超能力など存在しない。これは、紛れもない事実だ。確かに存在するのは、実在しないものに頼ろうとする怯懦心である。

 すべての卑怯者の王、サイキッド謎丸。
 
かれは、いったい如何なる人物であろうか。

 まず、記憶しておくべき事実は、かれはMr.マリックの友人であるということ。
 
 Mr.マリック。
 これまた微妙すぎる人物を持ち出してきたものだが、諸君が一定の年齢より上の世代なら、終日無駄にテレビを観て過ごすのが苦痛でないなら、脳裡に微かに閃くものがあるだろう。かのマリック氏とは、単なる手品とサイキックの境界線を意図的に曖昧にすることにより、瞬間視聴者の興味を引くことに成功し、一時代を画したタレントさんである。
 (主たる特徴として、口髭・色黒・パーマの効いた頭髪。外見的にはテキヤのおっさんに非常に酷似している。)
 『サイキッド謎丸』は、マリック氏の胡散臭い芸風とマンガとのクロスオーヴァーを実現するばかりか、氏自らがキーキャラクターとして作中に出演。

 「きてます・・・!!
 きてます・・・!!ハンドパワーよりも、すごいパワーを感じる!!」


 と、期待通りのセリフでキメてくれる。まさに、マニア垂涎。でも、なんのマニア。
 さっぱり有り難味のない特殊能力の持ち主として、「コロコロ・コミック」では既に高橋名人、毛利名人をスターの座に押し上げることに成功しているが、これらはいわば自社ブランドからのヒット商品。
 一世を風靡した有名人を招聘して来るスタイルなら、もちろん少年雑誌創成期からの王道であって、ここでのマリック氏の立ち位置は『巨人の星』における川上監督、『アステカイザー』における猪木に擬えることが出来る。大山倍達とか。しかし、明らかに同列扱いするには小粒過ぎるが。まぁ、いいじゃないの。
 (それにしても、マンガに出てくる有名人とは、どうしてああも全員薄らバカに見えるのであろうか?そこに私はマンガの素晴らしさを感じるよ。なんか。本当に。)

 そして、謎丸は、心霊界の事情にも詳しい。

 友人の家に代々取り憑いた悪霊が、庭の片隅にある埋もれた祠の供養という瑣末事でさっさと退散する第二話からもそれは明らかだが、ここでのプロットは極めて中岡俊哉的であり、『くらやみクラブ』を読んでいるような錯覚に陥る。別に『地獄先生ぬーべー』だっていいのだが、類型的な日本の怪談マンガにまた新たな読まなくていい1頁が加えられたような印象だ。

 「怪奇マンガの真髄を舐めてはいけない。
 われわれは、完全に本気で、死ぬほど怖ろしい目に遭いたいのだ。
 ふざけるな。」

 
 そう叫びたくなる極めつけは、第四話「霊界超体験」。
 当時流行の、キョンシーと霊幻道士の要素をフィーチャーしたこの他愛も無い作品において、呪詛の発生原因は、「ゴルフ場造成により鉄砲水が発生、濁流に呑まれ亡くなった子供の霊魂」である。父親は、植木職人となり、ゴルフ場を建設した悪徳不動産屋の社長宅に、怨みの霊魂の封じ込められた岩を運び入れる。
 そんなまわりくどい真似をせず、恨みがあるならさっさと殺しに行けばよかろうに。
 子供の霊は近所を通る車を事故らせたり、謎丸の友人のデブに憑依してみたり、脈絡のない行動を取るうち、実に適当過ぎる、単なる思いつきのような方法で強制的に成仏させられてしまう。
 不動産会社の社長は、小学生から「人を思いやる気持を持つことです!」とお説教されて、お咎めなし。なんだそりゃ。
 年末年始にやってるさだまさしの番組のように、意味がないじゃないか。ふざけるな。

 いい加減私がこのマンガに1mmも好意的でないことがバレてると思うので、あとは適当に終わらせるが、もう一点。ダメ押し。

 謎丸は、額にチャクラの刻印を持つ、唯一の小学生である。

 ある朝起きると、謎丸の額に星型のあざが浮かび上がっている。
 それを見た謎丸の祖父が、「う~ん、こりゃ、チャクラかも知れんぞや!」と叫ぶ。
 え?

 「インドではチャクラと呼ばれ、悟りを開いた者だけに現れる究極のしるし!
 いわば、宇宙エネルギーの吸収口みたいなものでな!
 シャカの額にもあったと言われとる!」


 それが、なぜ一介の小学生の額に?
 そもそも、チャクラの説明が根本的に違ってる気がするが、それよか、突然出現した正体不明のあざが何かの伏線になるかと思いきや、何の説明も無いままフェイドアウトしてしまう展開に唖然とした。
 謎丸の家のスプーンやおたまが全部、くねくね曲がっただけだ。あとはスルー。
 チャクラ、瞬間芸扱いか。
 
 なぜ、そこをもっと掘り下げないのか。真のオカルティストではないのか。その疑問の答えは単純だろう。
 作者はそもそもそんなもの、本気で信じてもいないし、たいした興味もないからだ。
 手品とサイキック能力の境界を曖昧にする行為とは、他人を上手に騙くらかす詐術の一種である。職人芸、タレントの持ちネタとしては正解かも知れないが、そんな嘘は子供ほど簡単に見破ってしまうものだ。
 作者が本気になっていないマンガが熱狂を生み出すことはない。
 このマンガが、わずか2巻でゲームセットを迎え、短命に留まったのは、しごく当然のことと言えるだろう。

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2012年9月19日 (水)

シルヴァン・ショメ/ニコラ・ド=クレシー『レオン・ラ・カム』 ('12、エンターブレイン)

 ぼくの名前はウンベルケナシ。フランス語のマンガにはちょっと詳しいんだ。もっとも、フランス語は読めないんだけどね。そういう奴は沢山いるよね。駄目だね。ハッキリ言って。必修語学で1年やってるんだけど。赤点、追試で切り抜けた。

 最近の海外マンガの異常な出版状況は、なおも続いていて、とうとう『レオン』まで出ちゃった。これが日本語で読めるとはね。隔世の感がある。長生きはするもんだ。まさかそんな日が来るとは思わなかった。いや、ホント。

 実は持ってるんだよ、原書。例によって。
 カステルマンだったか、ユマノイド・ザソシエだったか忘れちゃったけど、最初の版だと思うよ。
 ド=クレシーの絵はその当時から際立ってうまくて、最初の単行本『Foligato』を見て、いっぺんに気に入っちゃった。
 あれは異様に気合いの入った作品で、デザインセンスは今と殆ど変わらないんだけど、細部の描き込みが尋常じゃなかった。その過剰すぎる感じが凄くて、『天空のビバンドム』の第一巻、『ムッシュー・フルーツ』とどんどん気楽な感じになっていくのを、ちょっと物足りなく思ったりしたものさ。
 相変わらずうまいはうまいんだけど。キャラクターの異常な造形は一貫してるし。
 でも、過剰な部分はどんどん削ぎ落とされて、マンガとして読みやすくなっていった。H.R,ギーガーが横山光輝の影響を受けたみたいなもんですよ。
 この比喩、なんとなくわかるでしょ。

 その辺のゴタゴタが落ち着いてきて、ようやく『レオン』が出るのかな。なんかスコンと抜けた感じで。
 台詞が多くて、観てるだけ派の外国マンガ好きにはよくわからなかったんだけど、なんかあっけらかんとした日常的な平明さの中に凄いダークなテイストが盛り込まれてるのは、さすがに察しがつきました。
 ジェジェの彼女、腰から下がないし。レオン、ハエ喰うし。
 当時は勿論シルヴァン・ショメの名前なんて誰も知らないんだけど、ここでの主役はやっぱりショメのストーリーなんだろう。
 いい感じの話ですよ。駄目な人の寓話みたいな。最低の人間揃いの金持ち一家なんて設定は、川島のりかず先生の傑作『悪魔の花は血の匂い』を思い起こさせるしね。
 (川島先生の原作で、クレシーが描けばもっとヒットしたんじゃないの?)
 主人公レオンは100歳の老人で、同族経営の化粧品会社の伝説的創業者であり、骨の髄までアカである。常に麻薬入りの葉巻をプカプカさせていて、ラリリッぱなしのハイテンションで事件を解決!
 『金田一老人の事件簿』みたいな話ですよ。つまり。
 嘘ですけど。

 かつて映画『ベルヴィル・ランデブー』が話題になったときに、背景やらパースの切り方がどう見てもド=クレシーの絵なのに、スタッフクレジットのどこにも名前が載ってなくてめちゃめちゃ疑問だったんだけど、この本の訳者あとがきに、
 
 「ショメが無許可でド=クレシーの絵柄を援用したもんで、ふたりは仲違い。
 いまや食堂で会っても口も利かないくらい、険悪な雰囲気。」


 とハッキリ書かれてあったので、非常に納得。

 しょーがねーな、ショメ。
 なんでそういうことするのかな、ショメ。
 高畑勲と対談してんじゃねーぞ、ショメ。

 てめー!この、ショメショメ!!

 その辺の事情を改めて噛み締めるだけでも、この本は価値があると思います。
 買え。
 そして、読むがいいさ。いい時代になったもんだと実感したまえ。

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2012年9月16日 (日)

スタンリー・キューブリック『スパルタカス』 ('60、UNIVERSAL)

 スパルタカスの彼女が微妙にババア臭いが納得いかない。
 
 純情可憐な清純派でなくていいから、もう少し若い娘に演じさせて欲しかった。
 なにせ奴隷役である。これはおいしい。もったいない。

 こういう場面がある。
 同じく奴隷のスパルタカスは見習い剣闘士、真剣相手のハードな特訓が終わると、太っ腹な主人(ピーター・ユスチノフ)が女をサービスしてくれる。イイ店だ。
 スパはヒロインに視線レベルで惚れ抜いている中学生みたいな奴なのだが、今宵遂に意中の彼女が俺の部屋に!股間を無限に熱くし、しかと抱き締め、ハテふと気配に気づいて天井の格子戸を見上げると、下卑た笑顔の主人と剣闘教官が覗いてやがるではないか!

 「いけェ!ニイチャン!」
 「GO!GO!内臓はみ出るまで、いけ!」


 断固性交拒否を表明したスパに対する嫌がらせとして、主人は隣室へ愛しの彼女を追いやり、飢えた野獣系剣闘士に思い切り犯させる。石壁を噛んで悔し涙に暮れるスパルタカス。マジで叛乱を決意・・・・。

 どうです、いいでしょ?
 完璧だと思う。娯楽のツボをわかってらっしゃる。
 ただし、この脚本、演じる女優に客が惚れれば惚れただけ破壊力を発揮する。それなくしては、只のコントだ。じゃあ、誰ならよかったのか?
 難しい。
 でも、あのババアじゃない。これだけは確かだ。

 そういう意味でいくと、カーク・ダグラスもなんだか庶民の共感を呼ばない顔であり、本来あの顔は悪役でこそ栄えるのではないかしら、と思うのである。この意見に賛同する人は多い筈だ。

 赤狩られ名人ダルトン・トランボの脚本はよく練れているし、キューちゃんの演出も手際がいい。
 そうすると、露わになって来るのは、スタイルありきのオールドハリウッド調が既にこの時点で飽和状態に達しとっくに決壊が始まっていたのだ、という事実である。
 スターシステム、くそくらえ。
 
 ところで諸君、現代日本がどのチャンネルを廻しても同じような人達しか映さない、閉鎖的なスターシステムに陥っていることにお気づきだろうか。
 
 もう一度、言う。
 スターシステム、くそくらえ。

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2012年9月15日 (土)

杉浦茂『猿飛佐助-おもしろブック版-』 ('12、青林工藝舎)

 2012年ベストテン級の傑作が登場である。
 いや、ベストワンかも知れないな。これ以上、杉浦先生の本が出なければ。

 杉浦茂こそは神である。嘗て誰かがそう言った。
 諸君はこの言葉の意味をよく噛み締めた上で、その虫けら級の人生をまっとうして行って頂きたい。少なくとも、私はそうするつもりだ。

 尋常でない多幸感。
 出発もしない、到着もしない物語の先行き。
 愉快なキャラクターと突飛な言動。不可解な変身に拳闘試合。かえる。コバルト爆弾。どじらくん。
 ここにはたぶん、マンガ表現の為しうる最良のものが詰まっている。

  「なんだ、全然たいしたことないじゃん!」

 もし現物を手に入れて、きみがそう言うとしたら、それはそれで正しいのだ。
 杉浦茂がたいしたものでなければ、マンガというジャンル自体が、全然徹頭徹尾まったくをもって、たいしたものではまるでない。
 これは、そういう究極の二者択一を迫る危険な書物だ。

 例えば世界の喉仏に突き刺さった魚の小骨のようなものだ。
 頭上に前触れもなく出現し、超音速で落下してくるダモクレスの剣だ。(ダモクレスが誰だか知らんが。)きみはかわし切れるか。
 あるいは、各駅しか止まらない駅で、急行電車を見送っている人。
 ・・・そんな侘しい気持ちで生涯を終える覚悟はお有りだろうか?

 だから、悪いことは言わない。お読みなさい。

 個人的には、かつて文春文庫『ギャグマンガ傑作選』で抄録されていた、大好きなくだりが、纏まった単行本で読めるのがなにより嬉しいことである。
 猿飛たちを追ってきた役人が、彼らの潜伏していた長屋の大家に尋ねる。
 
 「おまえがおおやか。
 やつらは、どこへいくといっていたか?」

 「なんでも、フランスのパリとかへ・・・」

 「うーーーむ、ふざけやがって!!」


 彼らは青筋を立てて真剣に怒るのだ。

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2012年9月 8日 (土)

F.W.ムルナウ『吸血鬼ノスフェラートゥ恐怖の交響曲』 ('24、紀伊国屋書店)

 「もう、不吉極まりないっしょ!
 ノスフェラ感、半端なくバリバリっしょ!!」


 おやじが一気に捲し立てるので、聞いているスズキくんは、ちょっと唸った。

 「はァ・・・?」

 「世界で最も影響力のある吸血鬼映画といえば、もちろんムルナウ先生(通称・ムルちゃん)の『吸血鬼ノスフェラトゥ』でキ・マ・リ!!
 だって、一番最初につくったから!
 注射だってなんだって、最初にやっちまえば問題なし!あとから続く奴らは全員パクリ、といって過言ではないでしょ!」

 「まァ、その理屈、なんか合ってますけど・・・。
 タイムマシンでもなんでも、二番煎じの謗りを怖れず、勇気を持って再登場させたやつが一番偉いんじゃないか?
 ・・・って屁理屈を述べたのは、野田昌宏先生でしたっけ?」

 おやじは、アールグレーの紅茶をダラダラ、床に零しながら、勝手に述懐する。

 「私は、これでノスフェラなら3本持ってることになるな。いわばノスフェラ長者だ。
  あ、待て。ヘルツォークのリメイク版も持ってたわ。
 ・・・って、どんだけ、呪われとるねん!

 最初はVHSのテープ。中古。東北新社だったと思う。初めて買うサイレント映画のソフトで、なんか暗黒な感じがした。微妙に漂うけしからなさ。本物やなー、っつう感じ。
 DVDではアイヴィシーの『吸血鬼ツインパック』で一回。これは伴奏音楽がシンセ一台で異様に安かったなー。HMVの閉店間際の叩き売り連発で買ったんじゃなかったか。カップリングはドライヤーの『吸血鬼』でさ、ある意味豪華二本立て。ゴジラVSゴジラ、みたいなね。
 今回の紀伊国屋版は、丁寧にレストアされてて、画質も向上。染色については賛否あると思うけど、お陰様で細部のディテールが捉え易くなってる。いいんじゃないの。
 お陰でわかったが、吸血鬼が滅びる場面の背景、ドイツの街並みの書割が異様にしょぼいのが衝撃的でしたー。あれ、ボール紙じゃん!」

 「紅茶、零すのやめて。」

 「『ノスフェラ』はね、ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』の無届け映画化作品なんだ。実は。遺族が映画化権を渡さなかったもんで、勝手にパクってキャラの名前だけ変えましたーっていう。中国のディズニーランドみたいなもんです。昔はそういうデタラメがいろいろ出来たの。
 お陰で、怒り狂ったストーカーの未亡人にフィルム燃やされたりしたそうな。
 グヒ豆知識。」

 「やめなさいって。」

 「なに・・・?きみ、コレがどんな話か知らない?そりゃいかんな!怪奇界の常識っしょ!
 ふふん、知らずば言って聞かせやしょう!!」

 「零すのやめろっつてんだろうが!!
 この人間のクズ野郎めが・・・!!」


 ぽかり。ぽかり。

【あらすじ】

 1800年代ドイツ。
 カルパッチョ発祥の地として有名なカルパチア山脈の奥深く、中国人のハゲじじいが引きこもり気味に生活していた。
 齢数千年とも謂われ、周辺住民は恐れおののいて近づかない。

 「吸血鬼は血を吸うワケだけど、あのクソじじい、チチまで吸うらしいわよ・・・!」
 「やだー!キモーーーイ!!最低!!」


 散々である。
 ブレーメンの不動産屋に勤める若手ジョナサン・ハーカーは、異常な髪形の上司に命じられ、じじいに土地を買わせる商談をしに、遥々カルパチアまで出張に行くことに。

 「きみ、知ってると思うが、あのへん出るから。」
 「え、何がです?」
 「人狼とか吸血鬼とか。魔性の生き物の棲み家として名高い地方なんだよ!」
 「うわぁーーー!!不ッ吉ゥ~~~!!
 
ゴイスーーー!!ゴイス---!!」

 興奮で鼻から血を噴き出しながら、馬に跨り、街道を駆けること数週間。遂にこの世の果てではないかと思われるくらい鄙びた、ど田舎過ぎる僻地の村へ辿り着いた青年。
 宿をとり、ベーコンの脂身ばかりの食事を平らげて寝床に入ると、ふと枕元に置いてある一冊の古びた小冊子が眼に留まった。

 「なに、なに・・・ジャガーバックス版『戦慄!吸血鬼と妖怪のすべて』?!
 こいつは、ナイスな差し入れだぜ!!」

 さっそく読み出すと、まずは軽くびびらせることが書いてある。

 『吸血鬼は、正真正銘、札付きのワル!
 いわば校内一のツッパリ代表選手権!
 シンナー、トルエンなんでもこい!
 オレ様にかかれば、イチコロだぃ!!』


 ジョナサン、溜息をつき、表紙に印刷された“喧嘩上等”と刺繍のあるマントでメンチ切るヨーロッパ貴族の写真を眺め、
 「本当かなァ・・・?」

 『吸血鬼は決して死なない!だって既に死んでいるから!
 したがって、けっこう歳を喰っています。見た目はかんぺきジジイに見える。なんだ、こいつ、ちょろいじゃん。
 でも、ご用心!!
 あなどってかかると、火傷するゼ!!』


 次の頁には、半分に断ち割られたドラキュラ伯爵の肖像画が掲載されており、“なんでも溶かすドラキュラ胃”とか“常人の三倍の血液を送り出すドラキュラ心臓”とか図解が書いてある。

 「それって単に血圧が異常に高いってことなんでは・・・?!」

 そんなことを考えながら、まんじりともせず夜を明かしたのであった。

   ※     ※     ※

 「あんた、相変わらず、嘘ばっかり書いてますけど。」
 スズキくんは呆れ顔で問いかける。
 「本当は、ここ、吸血鬼の出自が映画に初めて登場した重要な箇所ですよねー?いわば、ローカルな民間伝承が世界的な伝説へと飛躍を遂げる一大ブレイクスルーだ。
 実際には、なんて書いてあったんですか?その呪われた書には・・・?」

 「“吸血鬼は、悪魔の精液から生まれた。そして、墓で遊んでいる。”」
 おやじは、ニコリともしない。
 「本家とウンベル、どっちがよりデタラメだと思うね?」

   ※     ※     ※

 翌朝。
 澄み渡る空、高原の爽やかな空気。牛の声。
 乳搾り娘の明るい歌声で目覚めたジョナサンは、元気凛々目玉焼きとソーセージを平らげると、勇んで伯爵の城を目指し出発した。
 今日中にカルパチ峠を越えてしまわねばならぬ。
 雇った馬車は、車軸を軋ませ、濁石を蹴り飛ばし軽快に突っ走る。軒に吊るした鈴の鳴り音がチリンチリン、可憐なアクセントを響かせる。他に行き会う車もない。遠くの牧場へ草刈に行く農夫が大鎌担いであくせく歩いているばかりだ。

 「のどかだなァ・・・こんなところに、恐ろしい妖怪が棲んでいるなんて、ボクには到底信じられませんよ。」
 ジョナサンが呑気にのたまうと、ムッツリ黙って鞭をくれていた御者、
 「旦那、気づきませんかい?」

 指差したのは、道路の向こう側の森だ。
 鬱蒼と生い茂る古木が明るい陽射しを隠し、まるで様相が違ってしまっている。

 「この道の反対側は、まるで人の住むところじゃござんせん。あたしら土地の者は、曾祖父の代から決してこちらが側に足を踏み入れぬよう謂い聞かされて育ちました。」

 「・・・なにか呼び名でもあるのかい?」

 「ハァ、通称・“悪魔の肥溜”と・・・。」

 「うわぁ、そりゃ間違いなく臭ぇよ!!たまんねぇよ!!」


 前方に屹立する荒れた崖がぐんぐん高さを増して行き、明るく暢気な道はやがてすっぽり影に覆いつくされた。心なし陽射しも翳ったようで、道端の草もねじくれ陰気な毛羽立ちを覗かせるようになった。カラフルな色合いは滅多に見られなくなり、鈍い、人の心を沈ませる重々しい濁色が風景を支配した。高度も徐々に増しているのだろう、その分の肌寒さが次第に意識され出した。
 高い崖に留まったカラスが、カァと啼いた。

 「旦那・・・」

 御者はふいに馬を停めた。
 
 「・・ん?」

 「お迎えでゴンス。」

 見れば、道路の彼方の灰色に煙る森の切れ目から黒塗りの馬車が姿を現し、コマ撮り撮影でもしたかのような異様に不自然な動きでグイグイ近づいて来る。
 面頬を当てた馬の顔も真っ黒なら、それに連なるゴンドラも隅まで真っ黒い。御者は、長いタール塗りのように鈍く光るマントを頭からスッポリ被り、仮面までつけているという念の入れようである。 

   ※     ※     ※

 「この場面、本当にコマ落としで撮影されているんですよ。カクカクした動きで、それでも猛スピードで馬車がやって来る。不自然でコミカル。シュワンクマイエルの作品みたい。」

 「まぁ、間接的にせよ影響あるだろ。そりゃ。
 あんまり動きがぎこちないんで、最初観たときは、フィルムの調子が悪いのかと思ったよ!」

 「大林監督の映画みたいですよね。」

 おやじは軽く舌打ちして、
 「この場面とか、あと船の中でノスフェラートゥがフィルム逆回転で棺からグワーーーッと起き上がってくるショットとか。この世のものならざる動きを演出するため、ムルナウと撮影監督が必死に考えた原始的なSFXだったんだろうな。
 人間でない存在が普通に動く訳がない。じゃあ、どんな動きだ?」

 「しかし当時の観客は、これでビビッてたんすかねー?」

 「そりゃわからんが、なにか感じるものはあったろ。マックス・シュレックの演技もそうだけど、全体に奥ゆかしい恐怖表現というのが一貫して施されていて、製作者の真摯な姿勢が窺われる。単なる見世物ではなくて、真剣に超常現象をフィルムに焼き付けようという、愚直な生真面目さがあるんだよ。プロデューサーは度外れたオカルト好きだったらしいし、全員本気だったと見て間違いないだろ。
 演技を越えた本気汁が出まくってるんだよ!」

 「AVか!あんた、どんだけ『ビデオ・ザ・ワールド』に感化されてんすか?!」

 「神秘体験という点では似通ったもんだろ。って佐藤師匠も言ってました。」

 「言ってねぇよ!」

 と、佐藤師匠が言った。パープル・へイズが周囲に立ち籠めている。

   ※     ※     ※

 馬車は、吸血鬼が差し向けたお迎えだった。城に招かれたジョナサンは、遂に吸血鬼その人と対面する。異様に弱りきったじじい。夜中はハイテンションでネトゲに興じ、昼間は意識をなくして棺桶で眠る。典型的な引き籠もりだ。

 「正直、絡みづらいよなァー・・・」
 とか思いながら、用意された食卓でパンを切っていたジョナサン。誤って自分の指を傷つけてしまう。
 滴る鮮血にビクンと反応するじじい。

 「おお!!こりゃ、いかん!!バイキンでも入ったら大変だ。」
 
 とかなんとか、適当な台詞をばら撒きながら、素早く傍らに跪き指先をチュウチュウ吸う。
 じじいの大胆さに、処女でもないのに顔を赤らめるジョナサン。
 
 ・・・でも、こういうのって、嫌いじゃないかも。

 かくして、誰も知らない僻地の山奥に、性別の問題・人類と非人類の障壁を乗り越えた年の差カップルが誕生した!
 かくて幸せな日々が過ぎ行くかに見えたが、ある日風貌に似合わず多情なじじいは、ジョナサンの着けていたペンダントに収められた写真の人物にひと目惚れ。それは、あの異常な髪形の上司だった。恋に狂ったじじい、馬車に棺桶を積んで速攻で城を出て行ってしまう。
 泣きながらシーツを引き裂き、後を追うジョナサン。
 道中、船員不足で帆船が転覆しかけてドッタンバッタン、風邪で宿屋で寝込んで三回休み、色んなドタバタを盛り込んでブレーメンの街にエイズの危機、迫る・・・!!

   ※     ※     ※

 「・・・これじゃ妻の立場、ありませんね。」

 スズキくんが呆れて呟いた。

 「あぁ・・・」
 おやじは、最早どうでもよくなって、髪の毛をガリガリ引っ掻きながら返答する。

 「恐ろしい吸血鬼に身を投げ出して、街を救うのがうら若い美女だから一般受けしたんだよ。あれが異常な髪形の上司(パツンパツンの吊りパン着用)だったら、どんだけ大惨事だったことか。
 ある意味、吸血鬼よりも恐ろしいことだよ。」

 「そうか。古典に学べ、ってことですね?」

 チ、チッと舌打ちしたおやじ、
 「ウチの記事は、そういう啓蒙的姿勢は一切排除してんだよ。なめんなよ!
 おまいら、古い映画なんか観るんじゃねぇよ!“セブンが人間に擬態してる”とか、したり顔でほざくなよ!
 最終的に言いたいことは、おまいら全員、氏め!!氏め!!ってことですよ。そんだけ。」


 「はァ・・・」

 スズキくんは複雑な表情になり、店を出るとバイクに乗った。
 今日は出玉解放日。

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2012年9月 2日 (日)

諸星大二郎『西遊妖猿伝・西域篇④』 ('12、講談社)

 へい、まいど馬鹿馬鹿しい西遊記のお笑いで。
 
 前回の話・・・?
 悪い、忘れた。
 だけど、問題ないよ。大唐篇の真ん中辺りでも、こういうことはよくあった。気がつくと、玄武門の変が平定されてたりしてねー。
 ともかく、西へ向かうんだ。それさえ押さえてりゃいい。
 
 今回の敵は、サソリ女です。
 仮面ライダー1号かってくらい、ベタなネーミングですが、これってアレでしょ。C.G.やらワイヤーやらで戦う、昨今のハリウッド女闘美アクションに対する諸星先生流の回答でしょ。
 『チャーリーズ・エンジェル』でも『バイオハザード』でもなんでもいいよ。
 とにかく、アクションをやりたいんだ。もはや『アクション』連載じゃないけど。
 ・・・ってことでしょ?
 サソリ女の攻撃はとにかく下品。基本、軟体。人間の関節の構造を極力無視。
 足技。大開脚。大股開き。つま先の刃物で敵兵を斬り倒す。
 結果、アングルがケツ舐めで股間背後突き出しポーズを捉えたりとか、とても業界でも広く尊敬と支持を集める巨匠の作品とは思えない。えらいことになってる。
 偉いです。ハッキリいって。

 描きたくて、描いてる。茶目っ気。
 サソリ女のコスチュームと殺し方が『殺し屋1』そのものなのも、なんか凄いです。

 『西遊妖猿伝』は、本来カッチリ話を纏める能力に長けた諸星先生が、ここぞとばかりに無駄口のようなギャグを入れたり、アクション場面を無理やり投入したりのドタバタを楽しむものであります。
 いつの間にか、そうなってた。

 それでも、やはり『暗黒神話』最高とかおっしゃる諸君。
 そのうち無支奇が再登場すれば、またそっちへ話のベクトルがいきますから、それまで黙って観てらっしゃい。

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