F.W.ムルナウ『吸血鬼ノスフェラートゥ恐怖の交響曲』 ('24、紀伊国屋書店)
「もう、不吉極まりないっしょ!
ノスフェラ感、半端なくバリバリっしょ!!」
おやじが一気に捲し立てるので、聞いているスズキくんは、ちょっと唸った。
「はァ・・・?」
「世界で最も影響力のある吸血鬼映画といえば、もちろんムルナウ先生(通称・ムルちゃん)の『吸血鬼ノスフェラトゥ』でキ・マ・リ!!
だって、一番最初につくったから!
注射だってなんだって、最初にやっちまえば問題なし!あとから続く奴らは全員パクリ、といって過言ではないでしょ!」
「まァ、その理屈、なんか合ってますけど・・・。
タイムマシンでもなんでも、二番煎じの謗りを怖れず、勇気を持って再登場させたやつが一番偉いんじゃないか?
・・・って屁理屈を述べたのは、野田昌宏先生でしたっけ?」
おやじは、アールグレーの紅茶をダラダラ、床に零しながら、勝手に述懐する。
「私は、これでノスフェラなら3本持ってることになるな。いわばノスフェラ長者だ。
あ、待て。ヘルツォークのリメイク版も持ってたわ。
・・・って、どんだけ、呪われとるねん!
最初はVHSのテープ。中古。東北新社だったと思う。初めて買うサイレント映画のソフトで、なんか暗黒な感じがした。微妙に漂うけしからなさ。本物やなー、っつう感じ。
DVDではアイヴィシーの『吸血鬼ツインパック』で一回。これは伴奏音楽がシンセ一台で異様に安かったなー。HMVの閉店間際の叩き売り連発で買ったんじゃなかったか。カップリングはドライヤーの『吸血鬼』でさ、ある意味豪華二本立て。ゴジラVSゴジラ、みたいなね。
今回の紀伊国屋版は、丁寧にレストアされてて、画質も向上。染色については賛否あると思うけど、お陰様で細部のディテールが捉え易くなってる。いいんじゃないの。
お陰でわかったが、吸血鬼が滅びる場面の背景、ドイツの街並みの書割が異様にしょぼいのが衝撃的でしたー。あれ、ボール紙じゃん!」
「紅茶、零すのやめて。」
「『ノスフェラ』はね、ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』の無届け映画化作品なんだ。実は。遺族が映画化権を渡さなかったもんで、勝手にパクってキャラの名前だけ変えましたーっていう。中国のディズニーランドみたいなもんです。昔はそういうデタラメがいろいろ出来たの。
お陰で、怒り狂ったストーカーの未亡人にフィルム燃やされたりしたそうな。
グヒ豆知識。」
「やめなさいって。」
「なに・・・?きみ、コレがどんな話か知らない?そりゃいかんな!怪奇界の常識っしょ!
ふふん、知らずば言って聞かせやしょう!!」
「零すのやめろっつてんだろうが!!
この人間のクズ野郎めが・・・!!」
ぽかり。ぽかり。
【あらすじ】
1800年代ドイツ。
カルパッチョ発祥の地として有名なカルパチア山脈の奥深く、中国人のハゲじじいが引きこもり気味に生活していた。
齢数千年とも謂われ、周辺住民は恐れおののいて近づかない。
「吸血鬼は血を吸うワケだけど、あのクソじじい、チチまで吸うらしいわよ・・・!」
「やだー!キモーーーイ!!最低!!」
散々である。
ブレーメンの不動産屋に勤める若手ジョナサン・ハーカーは、異常な髪形の上司に命じられ、じじいに土地を買わせる商談をしに、遥々カルパチアまで出張に行くことに。
「きみ、知ってると思うが、あのへん出るから。」
「え、何がです?」
「人狼とか吸血鬼とか。魔性の生き物の棲み家として名高い地方なんだよ!」
「うわぁーーー!!不ッ吉ゥ~~~!!
ゴイスーーー!!ゴイス---!!」
興奮で鼻から血を噴き出しながら、馬に跨り、街道を駆けること数週間。遂にこの世の果てではないかと思われるくらい鄙びた、ど田舎過ぎる僻地の村へ辿り着いた青年。
宿をとり、ベーコンの脂身ばかりの食事を平らげて寝床に入ると、ふと枕元に置いてある一冊の古びた小冊子が眼に留まった。
「なに、なに・・・ジャガーバックス版『戦慄!吸血鬼と妖怪のすべて』?!
こいつは、ナイスな差し入れだぜ!!」
さっそく読み出すと、まずは軽くびびらせることが書いてある。
『吸血鬼は、正真正銘、札付きのワル!
いわば校内一のツッパリ代表選手権!
シンナー、トルエンなんでもこい!
オレ様にかかれば、イチコロだぃ!!』
ジョナサン、溜息をつき、表紙に印刷された“喧嘩上等”と刺繍のあるマントでメンチ切るヨーロッパ貴族の写真を眺め、
「本当かなァ・・・?」
『吸血鬼は決して死なない!だって既に死んでいるから!
したがって、けっこう歳を喰っています。見た目はかんぺきジジイに見える。なんだ、こいつ、ちょろいじゃん。
でも、ご用心!!
あなどってかかると、火傷するゼ!!』
次の頁には、半分に断ち割られたドラキュラ伯爵の肖像画が掲載されており、“なんでも溶かすドラキュラ胃”とか“常人の三倍の血液を送り出すドラキュラ心臓”とか図解が書いてある。
「それって単に血圧が異常に高いってことなんでは・・・?!」
そんなことを考えながら、まんじりともせず夜を明かしたのであった。
※ ※ ※
「あんた、相変わらず、嘘ばっかり書いてますけど。」
スズキくんは呆れ顔で問いかける。
「本当は、ここ、吸血鬼の出自が映画に初めて登場した重要な箇所ですよねー?いわば、ローカルな民間伝承が世界的な伝説へと飛躍を遂げる一大ブレイクスルーだ。
実際には、なんて書いてあったんですか?その呪われた書には・・・?」
「“吸血鬼は、悪魔の精液から生まれた。そして、墓で遊んでいる。”」
おやじは、ニコリともしない。
「本家とウンベル、どっちがよりデタラメだと思うね?」
※ ※ ※
翌朝。
澄み渡る空、高原の爽やかな空気。牛の声。
乳搾り娘の明るい歌声で目覚めたジョナサンは、元気凛々目玉焼きとソーセージを平らげると、勇んで伯爵の城を目指し出発した。
今日中にカルパチ峠を越えてしまわねばならぬ。
雇った馬車は、車軸を軋ませ、濁石を蹴り飛ばし軽快に突っ走る。軒に吊るした鈴の鳴り音がチリンチリン、可憐なアクセントを響かせる。他に行き会う車もない。遠くの牧場へ草刈に行く農夫が大鎌担いであくせく歩いているばかりだ。
「のどかだなァ・・・こんなところに、恐ろしい妖怪が棲んでいるなんて、ボクには到底信じられませんよ。」
ジョナサンが呑気にのたまうと、ムッツリ黙って鞭をくれていた御者、
「旦那、気づきませんかい?」
指差したのは、道路の向こう側の森だ。
鬱蒼と生い茂る古木が明るい陽射しを隠し、まるで様相が違ってしまっている。
「この道の反対側は、まるで人の住むところじゃござんせん。あたしら土地の者は、曾祖父の代から決してこちらが側に足を踏み入れぬよう謂い聞かされて育ちました。」
「・・・なにか呼び名でもあるのかい?」
「ハァ、通称・“悪魔の肥溜”と・・・。」
「うわぁ、そりゃ間違いなく臭ぇよ!!たまんねぇよ!!」
前方に屹立する荒れた崖がぐんぐん高さを増して行き、明るく暢気な道はやがてすっぽり影に覆いつくされた。心なし陽射しも翳ったようで、道端の草もねじくれ陰気な毛羽立ちを覗かせるようになった。カラフルな色合いは滅多に見られなくなり、鈍い、人の心を沈ませる重々しい濁色が風景を支配した。高度も徐々に増しているのだろう、その分の肌寒さが次第に意識され出した。
高い崖に留まったカラスが、カァと啼いた。
「旦那・・・」
御者はふいに馬を停めた。
「・・ん?」
「お迎えでゴンス。」
見れば、道路の彼方の灰色に煙る森の切れ目から黒塗りの馬車が姿を現し、コマ撮り撮影でもしたかのような異様に不自然な動きでグイグイ近づいて来る。
面頬を当てた馬の顔も真っ黒なら、それに連なるゴンドラも隅まで真っ黒い。御者は、長いタール塗りのように鈍く光るマントを頭からスッポリ被り、仮面までつけているという念の入れようである。
※ ※ ※
「この場面、本当にコマ落としで撮影されているんですよ。カクカクした動きで、それでも猛スピードで馬車がやって来る。不自然でコミカル。シュワンクマイエルの作品みたい。」
「まぁ、間接的にせよ影響あるだろ。そりゃ。
あんまり動きがぎこちないんで、最初観たときは、フィルムの調子が悪いのかと思ったよ!」
「大林監督の映画みたいですよね。」
おやじは軽く舌打ちして、
「この場面とか、あと船の中でノスフェラートゥがフィルム逆回転で棺からグワーーーッと起き上がってくるショットとか。この世のものならざる動きを演出するため、ムルナウと撮影監督が必死に考えた原始的なSFXだったんだろうな。
人間でない存在が普通に動く訳がない。じゃあ、どんな動きだ?」
「しかし当時の観客は、これでビビッてたんすかねー?」
「そりゃわからんが、なにか感じるものはあったろ。マックス・シュレックの演技もそうだけど、全体に奥ゆかしい恐怖表現というのが一貫して施されていて、製作者の真摯な姿勢が窺われる。単なる見世物ではなくて、真剣に超常現象をフィルムに焼き付けようという、愚直な生真面目さがあるんだよ。プロデューサーは度外れたオカルト好きだったらしいし、全員本気だったと見て間違いないだろ。
演技を越えた本気汁が出まくってるんだよ!」
「AVか!あんた、どんだけ『ビデオ・ザ・ワールド』に感化されてんすか?!」
「神秘体験という点では似通ったもんだろ。って佐藤師匠も言ってました。」
「言ってねぇよ!」
と、佐藤師匠が言った。パープル・へイズが周囲に立ち籠めている。
※ ※ ※
馬車は、吸血鬼が差し向けたお迎えだった。城に招かれたジョナサンは、遂に吸血鬼その人と対面する。異様に弱りきったじじい。夜中はハイテンションでネトゲに興じ、昼間は意識をなくして棺桶で眠る。典型的な引き籠もりだ。
「正直、絡みづらいよなァー・・・」
とか思いながら、用意された食卓でパンを切っていたジョナサン。誤って自分の指を傷つけてしまう。
滴る鮮血にビクンと反応するじじい。
「おお!!こりゃ、いかん!!バイキンでも入ったら大変だ。」
とかなんとか、適当な台詞をばら撒きながら、素早く傍らに跪き指先をチュウチュウ吸う。
じじいの大胆さに、処女でもないのに顔を赤らめるジョナサン。
・・・でも、こういうのって、嫌いじゃないかも。
かくして、誰も知らない僻地の山奥に、性別の問題・人類と非人類の障壁を乗り越えた年の差カップルが誕生した!
かくて幸せな日々が過ぎ行くかに見えたが、ある日風貌に似合わず多情なじじいは、ジョナサンの着けていたペンダントに収められた写真の人物にひと目惚れ。それは、あの異常な髪形の上司だった。恋に狂ったじじい、馬車に棺桶を積んで速攻で城を出て行ってしまう。
泣きながらシーツを引き裂き、後を追うジョナサン。
道中、船員不足で帆船が転覆しかけてドッタンバッタン、風邪で宿屋で寝込んで三回休み、色んなドタバタを盛り込んでブレーメンの街にエイズの危機、迫る・・・!!
※ ※ ※
「・・・これじゃ妻の立場、ありませんね。」
スズキくんが呆れて呟いた。
「あぁ・・・」
おやじは、最早どうでもよくなって、髪の毛をガリガリ引っ掻きながら返答する。
「恐ろしい吸血鬼に身を投げ出して、街を救うのがうら若い美女だから一般受けしたんだよ。あれが異常な髪形の上司(パツンパツンの吊りパン着用)だったら、どんだけ大惨事だったことか。
ある意味、吸血鬼よりも恐ろしいことだよ。」
「そうか。古典に学べ、ってことですね?」
チ、チッと舌打ちしたおやじ、
「ウチの記事は、そういう啓蒙的姿勢は一切排除してんだよ。なめんなよ!
おまいら、古い映画なんか観るんじゃねぇよ!“セブンが人間に擬態してる”とか、したり顔でほざくなよ!
最終的に言いたいことは、おまいら全員、氏め!!氏め!!ってことですよ。そんだけ。」
「はァ・・・」
スズキくんは複雑な表情になり、店を出るとバイクに乗った。
今日は出玉解放日。
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