« ウォルフガング・ペーターゼン『アウトブレイク』 ('95、ワーナー) | トップページ | 「合衆国」表敬訪問 »

2012年8月20日 (月)

メビウス/ホドロフスキー「猫の目」 (’78、ユーロマンガMoebius追悼特集号)

 メビウスとは何者であったのか。
 その問いにうまく答えられる人を見たことがないが、私の見解は到って単純だ。
 メビウスとは、メビウス線の発見者である。


 メビウス線とは、何か。
 フォルム(輪郭)とマッス(質量感)に対し独特の捉え方をする描線のことで、よく言われるメビウスにしか出せない浮遊感の表現や、誰もがパクった独自の陰影のつけかたなんかは、すべてこれに起因する。
 線一本で全部やってしまうところが凄い。

 メビウス線は、ジャストのタイミングで照射されない。

 物体の輪郭の正確な位置を手繰ろうとする、例えば写真トレースによる劇画の背景なんかを思い出して貰うとわかりやすいと思うが、一見シャ-プでリアリスティックな描線に見えて、あんな胡散臭いものはない。
 現実の風景に、明確な消失点など存在しない。
 水平線は、定規で引いた一本線ではない。すべては微妙に歪む。
 大気による屈折率など大げさに想定する必要はない、われわれの眼が歪んで腐っているってだけのことだ。

 スーパーリアリズムで描かれた絵画なんかをよく見て欲しい。
 輪郭線は一種のグラデーションである。コントラストの微妙な変化により、物体の外縁は緩やかに消滅するよう配置されている。
 光源と物体の位置関係が輪郭を規定する。
 そこには厳密な物理法則が存在しており、いわば塗り潰すドットを細かくするほど柔らかな消失点が得られることになる。これを無数に連続させれば、光源によって闇に溶け込む面が表現されるって訳だ。ホントお疲れサマ。

 以上のファインアートの技法をマンガ表現に援用する方法は、幾つかある。

(勿論、重要なのはマンガ表現の話であり、美術における散々使い尽くされ、腐れ切って蛆が湧き出した手法の件など、薬にしたくもない。)
 
 ひとつはスクリーントーンだ。
 削りまで加味すれば完璧。これは本気で難易度の高い技術で、完璧にこなせばあなたもアシスタントぐらい務まるかも知れない。残念ながら最近ではデスクトップ上でチャッチャとやってしまったりするようだが。腐れパソコンめが。でしゃばりおって。

 あるいは、細かい斜線を多用し、時にはベタを塗り、重量感を出す方法。
 「もっとリアルにしてください!」と頼まれたら、誰でもやってしまうのがコレ。
 確かに効果があがるけれど、うっとおしい。時間がかかるし、下手を打つと汚く重苦しい絵になりがち。“肉弾劇画”って言われるジャンルを思い浮かべて。楳図先生の闇とか。あんな感じ。

 他に、輪郭線を引かずに、光と影のコントラストのみで表現する手法もある。
 すぐ思い浮かぶのは、林静一やマット・ワグナーがやってた一連の作品だが、変格の少女マンガなんかにも似た表現があった気がする。
 まぁ、なんだ、現物を見て貰えば首肯されるだろうが、どいつもこいつも非常にしゃら臭い仕上がりであって、大の男が堂々と公開するようなものではない。
 アニメ絵が鼻の穴を描かないのと実は同じ。同工異曲。似た性癖。
 ミニョーラも実はこれらに似た傾向はあるが、あいつ、輪郭線だけはちゃんと引くからな。多分に達者なベタ塗りで誤魔化している傾向はあるのだが、一応キッパリとはしている。
 省略を多用するなら、小梅ちゃん程度にしておけ。

 さて、偉大なるメビウス線とは、上記のいずれにも属さない。

 一本線で引かれた輪郭とは、マンガ表現の作り出した虚構である。
 現実の物体は、そんな明確な境界線を持たない曖昧な存在だ。そこで達者な漫画家たちは、輪郭線に量感(マッス)を込めるという高等技術を披露する。
 一見単純に引かれたように見えるエルジュの絵をよく見てくれ。
 あの線は、ことごとく実は相当考えられた末に選択されたものだ。適確で実用的。しかもキャラクターにユーモアすら漂わせてしまうのだから、恐れ入る。
 あるいは、ディズニーからマッスの表現にヒントを得たに違いない初期の手塚治虫。あの流れるような輪郭線を得る為にどれだけの紙が費やされたのか。溜息が出る。知ってる人は知ってるけど、手は鈍重な道具だ。美しい線を描くには、鞭で叩いて徹底して鍛えるしかないのだ。
 だが、逆もまた真なり。
 費やした紙の枚数だけ、引かれる線は進化する。本気で1,000枚描く根性があれば、あんたもそれなりの絵を描けるようになりますよ。あとは、資質と運次第。自分の不器用さにめげない厚かましさも必要かな。

 ・・・ま、そんな余談はいいや。

 大抵の作家が“いかに美しい線を引くか”という大課題に精進している中で、メビウスは根本の発想が違った。
 メビウス線の根幹を成すのは、フリーハンドで引かれた、朴訥で一見達者とは言い難いような、素朴で人懐っこい描線である。
 究極の理想形を求めて求心的に繰り出される線ではなく、無造作に空間に配置された任意の描線。その自由度。そこに最大の魅力がある。
 なぜなら、その線は定規で引かれたものではなく、描く人間の曖昧で不確かな筋肉の蠕動を受けて不定形に震え、歪んでいるからだ。そして、それこそは、現実にわれわれが目にする世界の真の姿そのものではなかったか。

 絵とは、線とは、作家の哲学の結晶である。
 メビウスの齎したものは、われわれの世界認識の方法に根本的な刷新を強いるたぐいのものであったのだ。

|

« ウォルフガング・ペーターゼン『アウトブレイク』 ('95、ワーナー) | トップページ | 「合衆国」表敬訪問 »

マンガ!マンガ!!マンガ!!!2」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: メビウス/ホドロフスキー「猫の目」 (’78、ユーロマンガMoebius追悼特集号):

« ウォルフガング・ペーターゼン『アウトブレイク』 ('95、ワーナー) | トップページ | 「合衆国」表敬訪問 »