西野マルタ『五大湖フルバースト』 ('12、講談社シリウスKC)
無茶だ無茶だ無茶だ、と幾度も叫びながら、玄関のノブをガチャガチャ動かしてみるが、ドアは開かない。鍵が掛かっているのか。掛けたのは誰だ。そして、鍵は何処にあるのか。
開巻早々にわれわれは全員、見知らぬ場所に囚われの身である。
「なんで?」と訊いても許して貰えない。どころか、殴られる。
マンガはいつでも乱暴なものだったし、そこがもう、なんか非常に快感だった。
説明不足はいつものこと。細かいディテールを詰めるより、無茶しっ放しの展開から立ち上がってくるダイナミックな味わい。佇まい。それを掴み取れ。
この世には、拳を交わしてしか掴めない真実というものがあるのだ。
ここは全米大相撲の聖地、デトロイト。そして、デトロイトといえば絶対キッス、ではなくてオムニ社のあるところ。『ロボコップ』でお馴染みの。
そう考えてみれば、盛りを過ぎた白人横綱がカムバックの為にフルメタル化して土俵に登場しても何の不思議もないのかも知れない。明らかにその必然性はないが。
だが、読者の都合など知ったことか。
あらゆる無理を押して、なお語りたい物語があるのだ。
そういう意味で、マンガという表現は無茶のしっ放しだったし、それなくして発展もなかっただろう。
西野マルタがここで語ろうとしているのは、何種類もの飛躍を掛け合わせた、いびつなハイブリッドロマンスである。
語られる物語は、驚くほど伝統的な”少年と父親”テーマであるので、設定の異色さ、描法の独特さが一層異物感を増して迫ってくる。
大体なんで全米相撲協会なんだ。
聖地デトロイト・スモー・ガーデンってなんだ。
相撲48手に新たに加わる必殺技“デトロイト・スペシャル”って。
そして謎の存在、石化して眠る“伝説の横綱”って誰?
それを呼び起こす方法が、キリスト復活の秘儀と相撲三種の神器のアバウト過ぎる照合である理由は?
本編をお読み頂ければ解るが、これらには一切説明がない。
本当にないのだ。これが。
諸星先生の傑作短編「マンハッタンの黒船」みたいな、架空の歴史を舞台に構築された世界ではないかと思うが、実は違うかも知れない。
私が疑っているのは、作者の脳内では歴史が本当にこのように流れているのかも、という恐ろしい可能性だ。単なる妄想?確かに。
だが、元を正せば、歴史とは情報の堆積である。相撲を深く愛する者の脳内イメージとして、現実の歴史がこのように歪んで理解されていてもおかしくないのではないか。
いや、おかしいって。
ありがとう。
それでも、少年クリスと父親・五大湖関の物語は、その別れ際のせつなさ(爆弾が内蔵された頭部をできるだけ遠くに投げ捨てる!)も含めて、人の胸を打つに充分な出来栄えなのである。
それが一番の不思議だ。
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