教会。懺悔部屋。
漆黒の闇の中にかすかな燭光が射している。無造作に置かれたバイブルの表紙を飾る金文字が見える。
しかし、切格子を隔てた向う側に蟠る暗黒は別の生き物のようだ。
「また、酷い本を読んでしまいました。」
突き出たお腹の上に両掌を組んで、怪奇探偵スズキくんは言った。
「告白なさい。主は、たいていのことは大目に見てくれますよ。」
クックックッ、と低い忍び笑いが漏れる。
「ま、大目玉を喰らうこともありますがね。」
「はい。」
今回のスズキくんは割りと本気で後悔しているようだ。ムー帝国を含めた万事に精通し、鬼面人を驚かすにも程がある怪奇一筋峻道の人スズキくんをして、かくもしおらしい態度にさせたのは一体何か。
「まず申し上げておかなくてはならないのは、ボクはこんな本、趣味でもなければ好きでもないということです。
それこそ、神に誓って」
適当に十字を切った。さらに空中に髑髏マークを描く。
「絶対、です。」
「ふむ。中立を維持するという訳ですね。」
格子の向う側に座る人物は興味深げに頷く。
「早い話、エロが典型じゃないですか。若い頃はそりゃ、過激なもの・過剰なもの、酷いものを求めますよ。でも露出度アップを繰り返して内蔵壁に到れば、人間誰だって気づきますよ。こりゃ求めていたものとなんか違う、変だって。
重要なのは、水着のグラビアアイドルから内視鏡による膣内拡大写真までの振れ幅を獲得することではないでしょうか。
うんこのアップでもいいですよ。どんな絶世の美女がひり出そうが、うんこはうんこです。それに意味づけするのは人間の側の行為なのです。」
「そ、そんなに、うんこに思い入れが・・・」
「神父様、人間は何かに執着する生き物なのですよ。」
スズキくんの笑顔は連載開始以来最大級のドス黒さだった。「詳しくは、あすこにいきものがかりが居ますから、訊いてやってつかぁさい。」
教会の隅には、首から「いきものがかり・神がかり」という札を下げた男女三人組が床に座り込んで何やら楽器をジャカジャカ奏でている。
「あの人たちも、うんこマニアか。」神父は嘆息する。「なんてことだ。」
「唐沢俊一が攻撃を受けていることは、時流に疎い神父さんも御存知ですね?検証本がバカ売れしたのは数年前、現在も何かやっているようです。個人的意見としては、そんな枝葉末節を叩くより、他に叩くべき権威はゴマンとあるように思うのですが。まぁ、ブームなんだから仕方がない。流行に意味なんかないです。そういうところとは極力無縁にいきたいですね。
ま、お陰でソルボンヌK子が鹿野景子である事実に、今頃になって気づきまして、ちょっとしたセンスオブワンダー難波弘之を味わいましたけどね。」
ペロッと舌を出した。
「それはそれとして、この好美の復刻本はいただけないですね。
あれほど、他人のマンガに欄外で突っ込む行為はレイプに等しいと言っているのに、まだ分からんのか、この、鬼畜外道のバカ者めらが!!!」
突如鬼の形相になった。まるで狂人だ。
「そういうたぐいを初めて目にしたのは、江口寿史『なんとかなるデショ!』に載ってた同人誌マンガだか素人マンガだかに突っ込む回だったと思います。
あれも相当不快でしたけど、所詮商業誌で発表される余地のない駄作でしたしね。あの本編まで江口が製作しているんだったら大したもんだと思いますが、真相どうなんですかね。詳しい人が居たら教えてください。
ともかく、他人の作品に勝手にペンを入れておいて、偉そうに何かコメントする輩は全員縛り首にすべきです。位置付けとしては映画の副音声解説みたいなもんですが、あれはOFF出来る。同じ理由でボクはニコ動もニコニコできないくらい大嫌いなんですが、あれだって一発でコメ無しにはなる。
マンガは印刷された媒体がすべてなんです。いっかい書き込まれちゃったらそれでおしまい。
そういう無法な行為は絶対に許されるべきではないんだ。」
スズキくんは噴き出る汗を拭い、傍らに置いた水をゴクリと飲んだ。
「聖水、おかわり!」
すかさず黒子が駆け寄って水を注いで去る。
「話が大幅に逸れました。そういう劣悪な環境を我慢して、読みましたよ。復刻本。好美先生の『奇形児』。4ページを一個の頁に落とし込んだりする無茶な編集をしてやがるものでテイストが攫み辛くて苦労しましたけど。
原本見たことないし、内容からして一般での復刻はありえない話ですし。さて。」
一拍置いた。
「・・・この先の話、聞きたいですか・・・?」
「むむ・・・。」
部屋の中に暗闇が一層濃密さを増して蟠ってきたようだ。
遠くで、いきものがかりが立てる悲鳴に似た音楽(ノイズ)がエフェクト音のように聞こえる。
どんないいこと歌っていても、可聴範囲外から見るとバカみたいだ。
【あらすじ】
ヒロコ・グレースは女子中学生。
この設定だけで危険な匂いがプンプンするのは、おそらくあなたの考え過ぎだ。好美先生にそんな気はない。いつもの適当な好美節をブチかますだけのこと。演歌一筋の歌手みたいなもんだ。
そんなヒロコに妹が出来るという。
まぁ、いい歳こいて父親と母親が依然まぐわい続けてた動かぬ証拠みたいなもんであるが、世間的にはめでたい。小躍りして喜んでいるヒロコの幸せに、不吉な影が射す。
母親は出産に伴なうストレス軽減の為に、常時睡眠薬を使用しているというのだ。
現代社会における薬害の代表例として語られるサリドマイド事件。
このマンガがそこに直接的なヒントを得て発想されているのは明らかであり、その無自覚かつ自由過ぎる態度が危険視され、今日も一般発売はまず不可能と目されているところではあるのだが、ハテ、このつまらない作品にそんな壮大な意図があっただろうか。
実のところ、好美先生は相手が流行歌手だろうが、一流弁護士だろうが、カッパだろうが、うろこ少女だろうが、どれもひとしなみ不謹慎な態度で取り扱っている。それを封じることは作家性を全否定することだろう。
(作品がつまらなかったからといって作家に責任を取らせようとするのは、間違った態度である。読んでしまったお前が悪い。)
実際面倒なので、今回の記事作成にあたり具体的な病名はスルーしようかと思ったが、ちょっと調べてみたら、2008年我が国でもサリドマイドの販売は再度許認可されているではないか。知らなかった。意外と世間一般の認識もそんなもんじゃないのか。事態は進む。一方的にタブー視することは、それに触れようとしないことだ。
さて、ヒロコの不安は見事的中し、赤ちゃんは予定日になってもなかなか産まれて来ない。医者も首を捻る始末。
その代わり、奇怪な現象が起こる。
ヒロコの手足がぐんぐん縮み出したのだ。
最初は片腕づつ。
遂には、両足まで。
頭を抱える両親(と読者)。
やがて四肢の萎縮が日常生活に支障を来たすレベルに達したヒロコは、学校の傍らに行なっていたモデル業も廃業、引きこもり生活へ。
なにしろ、痒い頭を自分で掻くことすらままならないのである。(この描写はやけにリアルだ。)友達に逢うことすら出来ない。こんな自分を見せたくない。
ヒロコの心境に連動して読者の気持もぐんぐん鬱方面へ雪崩落ちていく一方で、病院に籠もり続けている母親の状態に変化が。
胎内での赤ん坊の成長が異常に早い。
体重がぐんぐん増える。
急激にせり出したお腹をかかえて苦しむ母。このままでは母体が危険だ。
急遽帝王切開を行い、赤ちゃんを取り出すことになった病院では、医師がレントゲン写真を見ながら首を傾げている。
「おっかしいなー・・・絶対こんな筈ないんだけどなー・・・」
「先生、どうかしたんですか?」
いかにも聞いて欲しそうな医師のリアクションに看護婦が仕方なく反応。
医者は嬉しげに、
「いや、なに、つまらないことなんだけどねー。
この赤ん坊・・・なんか普通と違うみたいなんだよねー。」
「はァ。
アタマがみっつぐらいあるとか・・・?」
「なんで、そーゆー不謹慎なこと云うかなー。しかも、極かるーく。80年代コピーライター並みのライト感覚でさ。
きみね、立場をもっとわきまえなさい。立場を。
ん・・・ま、いいや。
どのみち、いま産まれてくれないと母子ともども危険。ボクも非常に困る。
ということで、摘出準備。」
「ハイ。」
その頃、縮み続けていたヒロコの手足は遂に完全に消滅。戦場へ行ったジョニーというか、乱歩「芋虫」というか、いわゆるダルマ状態になってしまった。
あまりの異常事態に、わずかに残っていた正気もフェイド・アウト。哀れヒロコは発狂。凶悪な三白眼を剥き出しに、よだれを垂れ流しながら、
「腕をくれ~~~」
「足をくれ~~~」
と、うわごとのように呻きながら、自宅から這いずり出していってしまう。好美先生の作品に詳しい方なら御存知の通り、変身したヒロインが自宅から彷徨い出してこそ好美マンガである。行き着く先は当然、墓地だ。
死者の手足を頂こうというロウファイ極まる作戦に出たヒロコであったが、その前に墓地管理人のじじいに捕まる。
安ウィスキーで泥酔しているじじいは、ヒロコを見るや爆笑。碌でもない知恵を授ける。
「ヒック・・・お嬢ちゃん、手足が欲しいんだね。ウィック。
そりゃ売ってやらんこともないがね、ゲフ。おあしをいただかないとね。ゲポゲポ。」
「おあし・・・?」
平成生まれのヒロコには昭和の古語は分からない。意外と身近に存在するジェネレーションギャップに苛立ちながら、じじい、薄い札入れを懐から取り出して見せる。
「これ。マニー。マニー。わかる?」
「あぁ、お金ね。わかったわ、直ぐ持ってくる。」
発狂と同時に善悪の観念も消え失せているから、躊躇はない。金などあるところからいただけばよい。この身体ならなんとか忍び込めるんじゃないの。
真夜中の墓地を出て、銀行へ転がるように直行するヒロコ。慣れてしまえば意外と早く移動することが出来るようだ。
そういえば、風太郎『甲賀忍法帖』、今のあたしみたいなキャラが出てなかったっけ。
「地虫十兵衛。」
あぁ、そうそう、そんな名前だったわ。十兵衛は槍を体内に飲み込んでいて、それを吐き出して敵を倒すんだったな。一撃必殺かっこいいじゃん。パクろかな。
意外に軽快に夜道を転がるヒロコを、驚いた白タクのにいちゃんがひょいと跳ねた。
一方、こちら産院では。
取り散らかった病室。血塗れで倒れている看護婦。頭を割られた医者。
転倒したカテーテルの間を縫って、産褥の激痛に歯を喰いしばりながら母親が叫ぶ。
「あぁ・・・お前は・・・!!」
「お前って子は・・・!!」
「うー、がるるるるる、るるる・・・!!」
病室の壁に映し出された異形のシルエットが咆哮する。
赤ん坊は確かに産まれた。
あまりに長すぎる手と足を持って。それは幼児のものではない、明らかにもっと成長した人間の手足だ。
呪われた子供の誕生、恐るべき真相に気づいた母親は絶叫するしかなかった。
「そ・・・そ、そんなバナナーーーッッッ!!!」
・・・ヒロコが目覚めると、温かい光が部屋を照らしている。
壁際に盛られたフルーツ。並ぶ鏡台と化粧臭い匂い。これは、どこかの楽屋のようだ。
腕を組んでこっちを見ている三角眼鏡の女。その視線には優しさの欠片も感じられない。
三下らしき、白いスーツに黒いワイシャツ、タータンチェックのど派手なネクタイを結んだ男が媚び諂うように、自分を抱き上げ、女に翳して見せた。
「どうです、アネキ。こいつは凄い拾い物でしょう?」
「ふふん。確かにね。どうしたの?」
「あっしの手下の若いのが、今夜道路で跳ねたんでさ。さいわい、当たり所が良かったみたいで別段怪我もしちゃいない。しかし、さすがに始末に困って、思案の末この店へ持ち込んできたって訳です。」
「ふーーーん。」
ヒロコの頤に手を当てて、容貌を眺め回す女。さすがに副業でモデルをやってるだけあって、マスクはなかなか悪くない。ま、発狂してますけど。
「・・・使えるわ。準備して。」
さてさて、それから何があったのか。
次にヒロコが目覚めると、眩しいスポットライトがあたっている。今週のスポットライト。来週はサーチライトなのか。
「・・・レディ~ス・ア~ンド・ジェントルメ~ン!」
ドラムロールと共に響き渡る朗々たる張り声。
「さてさて、ここにお目に掛けますは、世にも珍しき不幸の一番星。生まれついての片輪だよ!女給さんは話の種に、学生さんは勉強の教材に観てってちょうだい。
この子の父さん、ある日山で、鍬にてマムシの胴体真っ二つ。呪い呪われ因果が巡り巡って、生れ落ちたが、哀れ、この子でござい。当年とって16歳。容姿端麗、頭脳明晰。だけど、望んで得れぬものがある。
この世はまこと奇異なもの。奇妙なえにしの風車。
さぁさぁ、お代は観てのお帰りだよ!!」
白と黒とでピエロメイクを施されたヒロコは、とあるキャバレーの軒先に晒し者にされているのであった。
ヒロコを見つめて、笑う者がある。
ふいに泣き出す者がある。
たちまち、あたりは黒山の人だかりになったというのだから、げに恐ろしきは暇人なり。暇人・ゼア・リズ・ノー・ヘブン。是非もないことじゃの。
「おいっ、こいつ目を開いたぞ!」
「生きてる!生きてるんだ!」
「まッ!やっぱり、お人形じゃなかったのね!」
「なんでまた、こんな姿に・・・」
「おい!カメラ持って来い!カメラ!・・・いや、携帯だ!写メだ!写メだ!」
あまりの仕打ちに涙ぐむヒロコの脇に、大きな立て看板がある。
『この子の手足を探してください。お店の中にあります。』
そんな訳ねーだろ、と口々に呟きつつ、それでも湧き上げる興味は抑えきれず、ぞろぞろキャバレーのエントランスを潜っていく野次馬たち。
商売は大成功。好奇の輩は後から後から群れをなし、店内は大入り満員の大盛況。
「さすが、アネキ!すげぇ行列ですぜ!」
「フフフ・・・そんな筈はないと知りつつも、探せと云われりゃ探してしまう。
人間っておかしな生き物よね・・・」
二階の窓から店の前の狂騒を眺めながら、ワイングラスを廻す三角眼鏡の女マネージャー。真っ赤にデコレーションされた部屋に流れるのは、フルトベングラー指揮のワグナーだ。
「だいぶせこい出し物だったけど、暫くはこれで稼げそう・・・」
キエエエーーーッ!!!
おかしな絶叫が夜空にこだまし、パンパンと乾いた銃の発射音が聞こえた。
「・・・なに?!」
「たいへんだ、アネキ!怪獣がこっちへやって来る!!」
窓から表を覗いた三下が、蒼ざめた顔で振り返る。額は噴き出た汗で濡れている。
繁華街の毒々しいネオンの光を受けて、都市上空に浮かんだ異様な人体がゆらゆらと長く伸びすぎた手足を操り、街路を行進して来る。
まるで巨大な女郎蜘蛛だ。
胴体も頭部も風船のようにブヨブヨと大きく膨らんでいるが、その体形はまさしく生まれたばかりの嬰児のものに違いない。気味悪い暗緑色の血管を皮膚に浮かび上がらせたピンク色の肌は、破水時そのままに濡れて、粘つく液体を幾筋も幾筋も真下の地面や建物に滴ろ落としていく。
臭い。
異様な臭気が周辺一帯に垂れ込め、人々は悲鳴を上げて逃げ惑っている。
その口が開くと、呼気がブォーッと漏れ出し、割れ鐘のような声が街路に轟いた。
「カエス・・・」
「カエス・・・」
「コノ手足・・・」
「カエス・・・」
「バ・・・バケモノだ!こっちに来る!」
悲鳴を上げて仰け反る三下の頬に熱い往復ビンタを見舞うと、女マネージャーは窓の外をジッと注視した。
怪物が進むにつれ崩壊するビルディング。街路のあちこちで火の手が上がっている。
眼鏡の奥の吊りあがった眼が、ニッと細められる。
「ナルホド、こいつは呆れた怪物だわ。事の次第はよく判らないけど、どうやら店の前の片輪となにか因縁がありそうね・・・」
女はふいに上空を振り仰いだ。
「ネビュラ基地!変身は・・・?」
スモッグにまみれた都会の空を突き抜け、遥か真空の宇宙を越えた月軌道の内側付近に、三角錐をみっつ、ブッ違いに組み合わせたような異様な宇宙基地が浮かんでいる。
その基地の住民達は金属プレートの仮面を被り、明らかに地球の住民ではないようだ。
『ヨカロウ。50秒間ノ変身ヲ許可スル。』
「ありがとう!」
宇宙の彼方から放射される放射線を浴びた女の身体がみるみる巨大化していく。
一瞬後、夜の新宿の街に巨人と化したキャバレーの熟年経営者が立ちはだかっていた。当然着衣がつられて巨大化する訳がないので、ヘア丸出しの全裸の姿。
「ウヒョー!!こりゃたまりまセブン大放送・・・!!」
逃げ惑う人ごみの中で、即刻鼻血ブーになり出血多量で運ばれる熟女マニア多数。
「ヘアッ!!」
巨大熟女はダジャレのような掛け声と共に、干し葡萄色にどす黒く変色した乳首の先端から母乳を噴射した。
ビチャビチャと白濁液を浴びせ掛けられ、本能を刺激されたのかたちまち大人しくなる怪獣。その足元では、零れ落ちた乳の海の中で溺死寸前の中年サラリーマンが恍惚の境地に陥っている。
「ヒェッヒェッ・・・もう、死んでもいい・・・」
変態は放って置いて先を急ぐが、赤子怪獣を見つめて何事か得心した巨大熟女、
「ムン・・・!」
そのムレムレの股間より、温かい黄褐色の液体がバチャバチャと地面に降り注いだ。
あちこちで上がっていた火の手が、たちまち鎮まっていく。
残り時間が少ない。
熟女の手が円月輪のように光ながら動くと、触手のように長く伸びた赤子怪獣の手足がバシバシと切断された。
鮮血を吹きながら地面に転がる手足。
胴体も支えを失い、グラリと揺れながら大地に叩きつけられ、やがて動かなくなった。
得心するように、深く頷いた熟女、
「デアッッッ・・・!!」
両手を宙に突き上げると、掛け声一声、宇宙の彼方へ飛び去って行った。
「・・・なんか、いい夢見たよな・・・」
あっけにとられ、空を見上げたままの不夜城の人々は気づかなかった。
落下した怪獣の身体に押し潰され、キャバレー前に吊るされていた片輪の少女が無惨に死亡したことを。
その菩提を弔うかのように、傍らに巨大化した手足が添えられていたことを・・・。
【解説】
「・・・酷ぇな、こりゃ。」
神父は聖職者にあるまじき言葉遣いでコメントを吐いた。
「でしょ・・・?多少膨らましてはありますが、おおむねこんな話なんですよ。
ここから、われわれはどんな教訓を受け取ればいいんですかね?」
語り終えたスズキくんは、また聖水をラッパ飲みしている。
「酷いものを観たがる心理は、現代社会に生きるわれわれを人間とは別種の生き物に作り変えてしまうのかも知れないね。
だからってどうなる訳でもない。日常は続いていくんだが。
せいぜい、そこに開いている深淵に足を取られないように用心する他ないということか・・・」
教会の心地良い暗闇の中では、いきものがかりがまだ演奏を続けている。祈りを求める老婆の歯の無い口がモゴモゴと動き続け、声にならない讃美歌を唱えている。
万物を照らす光は、建物の中へは完全には侵入しきれない様子で、そこは表の世界とは違う、抽象と具象がごた混ぜになった奇妙な空間だ。
人は何故、祈りなどするのか。
何に向かって祈るのか。
その答えは様々あろうけれども、とりあえず、この水はうまい。そして、ちょっと小腹が減ったな、とスズキくんは思うのだった。
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