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2012年5月 8日 (火)

伊藤潤二『富江(全)』 ('87~99、朝日ソノラマ)

 潤二先生のデビュー作にして、今日まで描き継がれ、度重なる映画化によって我が国を代表するホラーアイコンの地位すら獲得したかに見える富江。

 いまさら基本設定を説明する必要などないだろうから、さっさと話を始めるが、シリーズに属する中短編13本を一巻に纏めたこのエディションを紐解いてみると、ちょっとした発見があったりする。こういうのが楽しい。再版天国も捨てたものではない。
 旧・新書版の潤二短編集では長い年月に渡って描き継がれてきたシリーズだから、バラバラに収録されていて全体像が掴みにくいのだ。連続して読むことは、新たな読書の経験である。
 以下私の発見を列記してみる。

1) 初期の『富江』は連作長編の構想を持っていた。

 潤二先生が楳図賞を獲ったデビュー短編「富江」は、大友『ショート・ピース』『ハイウェイ・スター』を連想させるペンタッチと(※1)、エキセントリックかつ独創的だがまだまだ不安定な画面構成、それに既にこの時点で垣間見れる独自のギャグ感覚(私は画面の隅に貼られた「シャレにならないラーメン」のポスターで吹いた)などなど、多彩な要素を盛り込んだ、好事家にはたまらない逸品である。
 (※1・美少女描写に江口寿史を参照した形跡が感じられる。具体的には制服とカチューシャ。アップでの顔パーツの省略など。)
 物語的には、エンディングが次回作「富江PART2」に直結している。2作目で新たな富江が発見される場所は海岸だ。一作目の終わり、海辺に遺棄された心臓から再生しつつあった富江こそ、二作目の主役である事実が明確に提示されている。
 この時点ではまだ作者は、いったん死んでは再生する富江という存在を一本の時間軸で括って扱っていこうなどと考えていたのかも知れない。あたかも“富江サーガ”みたいに。
 しかしそれも、やがて設定が膨らんで無数の富江が誕生し物語内を縦横無尽に闊歩するようになるに及んでは、捨て去らざるを得なくなった。
 もともと富江というキャラクターの内包する性格が、
 「いい加減」「嘘つき」「決して死なない」
 
であるのだからして、初めと終わりがあるような、ちゃんと完結する物語にはまったく向かなかったのは言うまでもない。
 なにしろ、富江という生物は、増殖する以外、確たる生存の目的が何も無い。
 さらに切られた髪の毛の一本からでも再生可能(!)というのだから、増殖するのに他者の力を借りる必要すら無いのだ。単性生殖。人間というより菌やバクテリアに余程近い。
 ひたすら嫌がらせのようにどんどん数を増し、あなたを不愉快にしようと津波の如く押し寄せて来る。そういう困ったタイプの生き物だ。

2) 富江は、思った以上に沢山いるぞ。

 もう少し、細かく見てみよう。富江は何名いるのか。

 第一作に於いて登場する川上富江は、語り手・礼子の幼馴染みである。地学の実習で行った稲荷神社の裏山で不慮の事故に遭い、突然の転落死を遂げる(正確にはまだ息があるが狂った連中に殺されてしまう)。さらに奇妙なことに、引率した教師・高木(富江と肉体関係があることが台詞で語られる)に先導され、クラスの男子一同、パンイチになってノコギリ片手に遺体の解体作業に全員参加。教師はバラバラになった肉片を生徒ひとりづつに手渡し、町中に捨てるよう指示を出す。
 ここで明らかになる基本設定が、「富江は魔的な美貌の持ち主であり、それに惹かれた男は皆、彼女を殺してバラバラに切り刻みたい衝動に駆られる」というもの。
 それだけでは女生徒たちがどういう心境でこの事業に参加したのか説明不可能だが、ヒントは「同性の友人は、幼馴染みの礼子以外いなかった」という事実。先天的な嘘つきで、異性に媚びる彼女の存在が疎まれていたことだけは間違いない。嫌われ者に対するいじめ心理が嗜虐性を剥き出しにしたのか。それにしても、極端過ぎる。

 結局異常な事件の全ては、富江の魔性に帰結するしかない。
 これは連作全体に共通するモチーフだ。登場人物にどんな異常な衝動が働いても、そこには人知を越えた化け物である富江が介在している。常人の理解を絶する不可解な現象・行動が起こっても不思議はない。そもそも彼女はこの世のものでないのだから。
 潤二先生の超自然に対する信仰は、最初から一貫して深い。

 バラバラにされ確かに死んだ筈の富江だったが、驚異的な再生能力により、翌日何事もなかったかのように登校してくる。(ここで私は、唐突に、この物語が“♪死んだ筈だよ、お富さん~”に触発されたものであることに気づく。)
 巻頭では死から復活した富江は一名のように見えるが、実はそうではない。切られた肉片のそれぞれが大小で再生速度に違いは出るが、新たな富江として復活して来るのである。
 クラスの人数分切り分けられた遺体は全部で42個。最低でも一作目の時点で、物語には最低でも42人の富江が同時に存在している計算になる。

 新たな富江の到来を受けて開始される第二作「富江PART2」は、森田病院を舞台にした三尾雪子受難の物語。腎臓を悪くして入院している三尾は、臓器提供により健康を回復するが、体内に移植されたのは富江の器官だった。ギャー。腎臓は体内で異様な成長を遂げ、腹腔に原寸大の富江の頭部が出来上がる。
 今回富江の魔性に取り憑かれ惨殺死体にしてしまうのは、三尾の恋人・正。のちの『うずまき』に出てくる斎藤くんの原型キャラだ。もともと自制心の強い設定なので、業務用の大型カッターでメッタ刺しにする程度。ホッ。唇とかX字に斬れてますけど。これなら増えない。
 さらに、その遺体から臓器を摘出する許可を出すのは、父親を名乗る怪しい男。実は一作目で入れられた精神病院を脱走してきた教師・高木。これより、吸血鬼の従者(レンフィールド)役として、富江の行く先々に顔を出すことになる。高木は丸尾末広へのオマージュ色が濃いキャラで、白眼を剥いた狂気の美青年として、自分で放火した火事現場で煙草を咥えて突っ立っていたりするあたりの姿がイカす。
 直接的な続編である第三作「地下室」では、三尾雪子の体内で育った富江の頭部が完全体に成長、腎臓部分も短い頭部や手足を生やして怪物化。さらに富江の組織の影響を受けた三尾自身も変貌し、最終的に新たな富江に生まれ変わる。
 ここでの富江は、表面的には三人。だが臓器提供後に処分されたであろう遺体のその後は不明。必ず蘇ってくるだろうから、実は4人の富江を数えることが可能だ。

 第一作から三作目までをひと繋がりとすると、次の第四作「写真」から第五作「接吻」、第六作「屋敷」までが同じく一個の物語、新たな連環として考えられる。しかも最初の三作よりも各話の関連性は一層緊密で、実質は分割された長編作品と見てよい。
 これは写真部の泉沢月子さんが高校一のイケメン山崎先輩に憧れる物語だ。富江は生徒会長として忠実な手下二名を率き連れて登場。自動車まで乗り廻す。(果たして免許を持っているのかは不明。)山崎先輩は富江の魔性に魅入られ、なんとか逃亡しようとするが、最終的には無数の増殖した富江の大群に捉まり飲み込まれてしまう。

 登場する富江を数えてみよう。
 まず、教師・高木を伴い嵐の夜に屋敷を訪れる富江が第1号。高木の研究によると、「精神的な動揺が引き金となり」彼女は“分裂”という現象を引き起こす。頭部から腫瘍のように別の頭が生えてくるのだ。新たに生えた頭は刈り取り、強酸に浸けて成長を抑え実験材料にしている。酸を満たした水槽に浮いている頭部は二個。これは絵的な都合もあろうから、どこかにもっと大量にストックされている可能性がある。富江は異様にプライドが高い(「バケモノ!」と言われると直ぐキレる)ので、“分裂”は頻繁に起こっているものと推測される。
 現に泉沢月子の自宅マンションに侵入した富江は、月子に罵られ、たちまち髪の下からメキメキともう一個の頭部を生やし始める。

 「このデキモノを切り取って!今すぐ切り取ってよ!」
 

 部下に命じて切らせようとするも、間抜けな部下達はデキモノではなく、富江自身の首を切ってしまう。

 「・・・なんで、あたしの首を切るのよ!」

 切られた首はなおも口を利き罵倒し続けるが、部下は頭を掻きながら、

 「デキモノを切ろうとすると、“コッチじゃない、別の首を切るのよ!”って言うもんで・・・」

 もはや、コント状態の大騒ぎ。
 切られた首を持って部下達は(おそらく屋敷方面へ)立ち去り、首の無い胴体は切断面から異様な顔を生やして踊りながら立ち上がる。乱闘で床に染み込んだ大量の血液も生きており(この辺は『遊星からの物体X』からの連想だろう)、敷かれたビニールシートを皮膚の代用にして生き返ろうとする。
 だんだん、まともに勘定するのが面倒になってくる増えかたをしているが、最終的にはゴミ捨て場に遺棄されたビニールシートから木の芽のように28名の富江が一斉に孵化する(※2)のであるからして、この第五作目、同時に出現した個体数としてはシリーズ新記録を更新している可能性が非常に高い。
 (※2・一番沢山映っているコマを馬鹿正直に数えてみた。だから最低でも28名という勘定になる。絶対数はもっといる。)
 「だからどうした?」と言う素直な人に、この重要性を的確に伝えられないのが誠に残念である。だって明らかに面白いじゃないか。 

3) 第六作「屋敷」は非常に重要な作品だ。

 ここまで見てきてお解りの通り、富江の増殖が物語を混乱させる主たる要因となっていることは否めないが、それによる支離滅裂さが極限に達するのが第六作「屋敷」である。
 ではこれが失敗作かというと、そうではないのだ。
 毎回破天荒な設定をきれいにスマートに纏める実力のある潤二先生にしては珍しいくらい、この話は主軸が捻じ曲がっていて、実のところ何がなんだかサッパリ解らない。まだ安定しているとは言い難い当時の描線と相俟って、初読の私は大いにまごついたものだ。
 
 物語は、富江と高木がとある資産家の屋敷を乗っ取り、研究三昧の暮らしを送っているところへ泉沢月子が連れ込まれて始まる。月子は、富江の正体をカメラに収め全校にばら撒いた為に恨みを買い、拉致されて来たのだ。
 高木は富江の身体組織の秘密を解明すると称し屋敷の娘に富江の体液を注射したりして遊んでいる。当然ながら、哀れ、娘は怪物と化し二階の一室に閉じ込められている。
 月子にも実験台になって欲しいと頼む高木。

 「たしかに富江の体液や、その他あやしげな薬品をきみに注射するのだが・・・」
 

 屋敷の主人に化けている高木はニッコリ笑う。

 「しかし、何事もチャレンジじゃ!」

 なにが、だ。
 二階へ逃亡した月子を追うよう、階段下に据えられた西洋騎士の鎧人形に指示を出す富江。すると、鎧が動き出す。剣を振り上げドッチャラドッチャラ階段を登って来る。
 既にして意味が解らない展開だが、追い詰められた月子の抵抗で仮面が跳ね飛ぶと、その下にあるのは富江の手下の太地くんの顔だった。こいつ、ずっと騎士の鎧を被って出番を待っていやがったのか。

 「なぜ・・・?!
 なぜなの、太地くん・・・?」

 本当に、なんでだ。
 絶対絶命のピンチに、背後のドアのロックが解けて屋敷の娘が変異した怪物が姿を現す。
 この怪物、なんでか胴体が巨大な昆虫。蜂や蟻の腹部みたいな蛇腹構造の伸び縮みする胴回りに15、6体の富江の頭が大小問わずビッシリ生えております。身の丈も異様にデカくて、立ち上がると2メートル以上はある。
 そんな意味不明の怪獣に、太地くんはメリメリ押し潰されて死亡。勢いづいた怪物はウニョウニョ階段まで這って来て、高木を捕らえて首を締める。悲鳴を上げる富江。
 男連中全滅の場面で、なんだか解らなくなった月子が夢中で持っていたカメラのシャッターを切ると、途端物語は終わってしまった。巨大昆虫の正体、屋敷の娘の悲しげな顔をフィルムに焼き付けて。

 これだけ読むとなんだか解らず、説明不足の唐突さに失敗作呼ばわりしたくなるのであるが、潤二先生がやりたかったのは要はこういうことなのだと、後に「押切」シリーズを読んで疑問が氷解した気がした。
 脈絡なく襲う異次元からの恐怖。一種のコズミックホラーだ。

 両親が海外に赴任しているので、暗くて旧い巨大な洋館に独り住んでいる押切くんは、チビで引っ込み思案な美少年。彼の住む館は異次元空間に繋がっているらしく、原因不明の怪異が次々と襲い掛かる。親戚のお兄さんの遺体が5メートルに伸びて地中に埋まっていたり、異次元に住むもうひとりの自分が殺人狂で闘ったり、クラスメイトが謎の注射で怪物化したり、居もしない架空の文通相手にブチ殺される奴が出たり。
 異常なイメージ。
 それを羅列するだけで、充分恐怖マンガは作り出せるのではないか。物語構築に長けた潤二先生だからこそ出来る離れ業。ここでは恐怖の生まれる原因や社会的な位置付けは意図的に分断され、不可解であるが故の恐怖というものを描写すべく全力が傾けられている。傑作短編「道のない町」や「超自然転校生」も同様の思考の産物だ。

 分裂し、幾度も産まれて来る富江という存在は、それだけで物語の順当な流れを破壊してしまう存在である。
 第七作以降、連作形式を放棄し独立した短編のみのシリーズとなっていく『富江』には、おそらく潤二先生の物語作家としての方向転換が大きく作用しているのではないかと思われる。

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