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2012年2月

2012年2月27日 (月)

『パルス-回路-』 ('06、Dimension Films)

 幽霊が人類を侵略する。

 
ご存知の通り、黒沢清の『回路』は、単純かつ大胆、つまりは相当にバカげたアイディアを驚くほど真剣に考え抜いた末につくられた、傑作である。
 観る人の胸を打つのは、この映画作家のあまりの真摯な姿勢だろう。涙ぐましいまでに献身的な態度で、幽霊について、死後の存在について生真面目に思考の研鑽を積んでいる。
 「死は、永遠の孤独だった。」
 
死者がそう語りかけるとき、世界は既に崩壊の途上にある。インターネットは実は本筋に関係がない。それは映画の単なる導入部に過ぎず、こういっては何だが、実は回路の役割を果たすものならなんでもよかったのだ。つまりは、死者を現実に解き放つ為の装置だ。
 『回路』では、死者は人を襲って来ない。直接攻撃することはしない。そんなことをしても、死人の仲間を増やすだけだから。なんて論理的なんだ。
 
幽霊が現世を侵略する方法は、だから一見して迂遠なものとならざる得ない。そして、それが実は一番怖ろしい。
 死者は自分の姿を人間に見せつけ、人を「生きてもいない」「死んでもいない」永遠に宙吊りの状態に置き去りにする。具体的には、壁に出来た黒いしみ(あるいは空中を舞う塵芥)に変えてしまう。
 それだけで現実は発狂し崩壊していく。
 それにしても、あぁ、なんておそろしい考えなんだろうか。生きることも出来ず、かといって死ぬことも出来ない。最大の恐怖はそれが永遠に続くことだ。
 故に、事の真相に気づいた人々は自ら進んで自殺し、死者の仲間入りを果たそうとする。そうすれば少なくとも「死者」という存在には成り変れる。単なる壁の黒いしみになるなんて耐えられない。
 まして、それが永久に続くだなんて。

 ウェス・クレイブンは、この原作の最も表面的な要素だけを抜き出して、無線LANや携帯回線を使って地上に侵攻しようとする死者の集団の映画をつくってしまった。
 これが黒沢清と真逆の姿勢であることは言うまでもあるまい。ここでの死者は牙を剥き、ウギャーーーと人間に襲い掛かってくるのだ。失笑モノである。こんなんで世界が滅びるなら、苦労はしないよ。
 
電波的なゾンビ映画。携帯圏外まで逃げたら助かった。なめとるのか。

 だから、物言わぬ植物が動き出し人間を追い詰める『人類S.O.S.』と『回路』は、静か過ぎる人類終末のヴィジョンという点で相関関係を持っているのだ。おそらくディレクターズ・カット版の『ゾンビ』も。
 『復活の日』など永遠に来ない。
 われわれは、渚に立ち、北半球からの放射能の到来に怯えているだけだ。

 世界の終わりは心底おそろしいものであるべきだ。
 少なくとも、私はそう希望する。

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2012年2月26日 (日)

中尾明『黒の放射線』 (SFベストセラーズ、鶴書房)

 知ってる人は知ってる、ジャリ向け侵略SF。昭和40年代に書かれたものを、悪名高い鶴書房が悪名高い福島正実と組んでリプリントで出した本で、昭和50年代前半の発行と思われる。
 でもね。この本、実は奥付をひっくり返しても発行年月日が載ってないんですよ。困ったもんですよ鶴書房。勘弁してくださいよ。ま、その後あえなく倒産しちゃう訳ですけど。実際貸しがあった作家さん多かったみたいですよ。印税払いがどうこうで筒井康隆が酷い悪口言ってたのを読んだ記憶があるな。現在も稼ぎ頭の、かの『時をかける少女』も本当のところ、ここが初刊だった筈。そりゃ作家にしてみりゃ大変な事態でしょうけど。でも作品的には、豊田有恒『時間砲計画』の方が面白かった気がするなー。でもまともに読んだ記憶が皆無なので、果たして、時間砲計画とはどんな計画だったのやら。一切不明です。

【あらすじ】

 宇宙から降り注ぐ謎の放射線を浴びて、クラスメイトの顔に大きな黒あざが!あざを苦にした彼女は家出して新興宗教団体に加盟してしまう。衝撃を受けるヒロイン松田ナオミの周囲であざを持つ者は増え続け、引きこもるやつ。無理くりドーランを厚塗りして惚けるやつ。下町の中学に端を発した事件はいつしか全国に飛び火し社会現象になっていく。
 そんなある日、一緒にお風呂に入ったら、大好きなお母さんの背中にも憎い、黒いあいつが現れた!お背中流しながら、しとど号泣するナオミ。慰める母。親ひとり子ひとり(父親は炭鉱事故で死亡)、昭和ちょっといい話。
 その後黒あざのできる人は、年齢性別を問わず加速度的に世界中で増え続け、実は黒人の陰謀ではないかとか凄過ぎるデマゴーグが飛び出したりして、ロサンジェルスでは真剣な人種間暴動に発展。(黒あざが出来ても、黒人の場合、外観にまったく影響しないという真剣にやばい理屈。)
 ところで、中学生ナオミが真剣に交際を希望している、近所の大学病院医師・堀江信一は(賢明なる読者諸君に於かれては、この名前が大西洋ひとりぼっち氏のもじりであることにお気づきだろう)、黒あざを引き起こす放射線がカダル星座四番惑星から発射されており、異星生物による侵略の可能性があることを発見する。
 なんでまた、一介の青年医師がそんな天文学的発見ができたのか?
 冒頭に出てきた新興宗教団体のボスは実は密かに宇宙人と交信しており、そのナマ情報がナオミの家出した親友から伝わって、唯一大人キャラ(二十代後半)の信一は、この情報をさも己れの手柄のように堂々と世間に公表できたって訳なのである。露骨に酷い話だが、ナオミは彼のリアル嫁になる気満々なので大して気にしていない。信一さん、一躍マスコミの寵児になるし。ウフフ
 そうこうするうち、放射線はレベルアップ!黒あざの出来た人間は第二の放射線の影響を受け、意識を失くしてロボットのように操られてしまう!交通を麻痺させ、雪崩をうって街路という街路を埋め尽くし海へ、レミングの群れみたく行進していく人々。え、こんなに居たんか黒あざ患者。殆ど街中がそうじゃないか。なにせ、ケツにほくろが一個出来ても宇宙からの遠隔操作は可能だという理屈だから、実に都合のいい病気だ黒あざ病。
 ナオミの母も、ちょっと目を離した隙に行進に加わり、どこかへ行ってしまった。そして行進が常に向かう先は海!カダル第四惑星から飛来した謎の生物は海中に潜み、人間を溶かして喰っちゃうのだ!それを証拠に、見よ、海中に没した人々は二度とは帰らず、着ていた衣服の断片のみ、ユラユラ水面を漂っているばかりではないか!アァ、超残酷の世界!
 母を亡くしたナオミは思い余って信一のもとへ。大事にするよ、と肉棒を突きつける青年医師。貞操の危機と人類存亡の危機が同時にやって来て、最終的に残るのはどっちだ・・・?

【解説】

 地球は宇宙人の畜産場で、例の宗教教祖はその管理人。
 人類家畜テーマの先駆として語られる、ウィンダム『海竜めざめる』の中学生向けバリエーション。ラッセル『超生物ヴァイトン』ってのもありました。
 しかしこの小説、場面だけは最近の空疎なC.G.を使いまくるハリウッド映画みたいに派手派手なのに、いまひとつ面白くない。アクションの転がし方が解ってない。

 ・教団地下の秘密基地で、全裸で宇宙人と交信する教祖のおやじ!
 ・それを物陰から覗き見る主人公。
 ・感極まったおやじは、全裸のまま海中に潜む異生物の体内へダイブ!
 ・もういいや。お咎めなく、主人公は脱出。


 ・・・とかね。凄いことになってるのに、転がし方が下手くそな典型。
 主人公が厳重に警備されている筈の場所にまんまと潜入できて、しかもノーペナルティーで逃走できてしまうのが、物凄く不自然。教祖のおっさんでなくても、「ここの警備はどうなっとるんだ?」って叫び出しますよ。

 ・遂に捕らえられた教祖のおやじ。病院に連れ込まれ、自白剤(!)を飲まされて宇宙人の秘密をゲロってしまう!
 ・意識が回復したおやじ、勝手に騒ぎ出し、信一の持っていたメスを手に取り暴れるも、足が不自由(※そういう設定)な為ベッドから転げ落ち、メスを胸に突き立てて絶命!
 ・死んでしまったんで、仕方なく解剖してみると、脳も心臓も正体不明の青いグニャグニャした物質に作り変えられていました。


 なんだろう、このダメな感じ。
 物凄く盛り上がる要素がてんこ盛りなのに、全体として異様に地味。おやじがゲロるのが地球人のつくったクスリの作用なのもどうかと思うし、それを阻止できない宇宙人の科学力もたいしたことねぇや、と思えてしまう。
 あまつさえ、教祖は勝手に事故死!単なる医療事故じゃん!
 最後にその体内が既に人間ではなくなっている、なんて素敵なサプライズを用意してあるのに、これじゃ結果が台無し。

 ・海中に潜む敵を探索しに、海上保安庁の調査船で沖へ出た信一とナオミ。
 ・異星人は波を自在に操り、高波を起こして船を沈没させようとする。
 ・無抵抗のまま、調査船は深海へ引き摺り込まれ、信一たちは偶然甲板を離陸しようとしていたヘリコプターに乗り込んで、助かる。


 アクションの流れはこれでいいとして、問題は繋ぎかた。描写が薄いので、なんで都合よく甲板にヘリがいるのか。なんで他に誰も乗ろうとしないのか。いちいち疑問に感じてしまう。
 1カットでいいから、船長や操舵手を登場させてリアクションを取らせないと、船が一隻飲み込まれた事態の重みが出ない。

 あと、兄弟揃って異星人の餌食になる、超絶に間抜けなアメリカ人科学者とか、凄い突っ込みどころは他にも満載なので、あとは諸君、よしなにやっといて。

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2012年2月24日 (金)

『女獄門帖・引き裂かれた尼僧』 ('77、東映京都)

 ジャパニーズ・バッド・テイスト。
 全編を観終わり、惨劇の一部始終を目撃しても、それでも諸君は問うに違いない。これはいったいどういう種類の映画だったのか。豊富なエロ・グロ・猟奇に彩られた一種の覗き趣味を満足させる為のシロモノか。あるいは、(ありえないとは思うが)無垢な少女の成長を描いたビルドゥングス・ロマンか。しかも、血塗れの。

 私に言えることは、牧口雄二はすべての答えを用意していたのだ。

 映画とは、畢竟、娯楽でありそれ以外ではありえない。人は愉しみを求めてスクリーンに向かうが、提供されるのが快楽ばかりとは限らない。ならば、その思想を推し進めて観客を強制的に地獄絵図の中に配置してしまうこと。そこに溺れさせ、そこに悶えさせること。
 地獄は、いま、この地上にある。
 
お前の見つめるスクリーンのその中に。ロビーは三途の河原だ。映画の中の人物が躍動し咆哮するとき、それを観るあなたは、哀れな亡者に成り変る。これは、そういう装置だ。

【あらすじ】

 足抜け女郎おみのは、手引きしたチンピラ小林稔侍を殺され、単身尼寺を目指し孤独のランナウェイ。直ぐに追っ手が掛かり、佐藤蛾次郎がノンストップでコントを繰り広げながら背後から迫ってくる。
 (蛾次郎の役名は、なんと、蛾次郎。ゴメスの名はゴメス理論だ。)
 途中、親切な薬売りに助けられたり、猟師二人組に犯されまくったりしながら、なんとか山中にある寺に辿り着く。
 だが、そこはこの世の地獄であった。
 現世の男全般に激しくも深い恨みを持つ庵主と尼僧達が、迷い込む男という男を惨殺しまくっていたのだ。
 始末された男は、白塗りの志賀勝が調理し、その晩の食卓に提供。寺の庭に咲くケシの花を嗅ぎながら、ひたすらレズの肉欲に耽る院主たち。「ホラ見えるだろ、真っ赤な夕陽が!」
 こんな寺、やだ。逃げ出そうとしたおみのも、追ってきた憎い猟師二人組を鉈で返り討ちにし、ついつい殺しの快楽に目覚めてしまう。ついでに麻薬・百合方面にも。人間だもの。
 かくして異常かつ幸福な日々が続くかと思われたが、そこへ現れたのが、あの優しい薬売り。彼は実は十手持ち。この寺の秘密を代官所に頼まれ内偵していたのだ。
 真実を告げ、おみのを逃がそうと図るも、失敗。一枚上手の院主に逆襲され、首なし死体となって発見される。
 半狂乱で心臓バクバクのおみのが駆け寄った水甕の底には、十手を咥えたちょんまげ姿の生首が。こいつはレア。泣きながら復讐を誓うおみの。
 さてさて、そこからは狂気のつるべ打ち。いつの間に地下に捕らわれとなっていた佐藤蛾次郎を解放し、戦力につけたおみのは、猫を吊るし首、蛇をシチュー鍋に放り込み、レズ尼二名を同士討ちで谷底に葬り去る。しかし、狂ったように加持祈祷を繰り返すおばさんを始末しようとした蛾次郎は、凄い腕力でぼってりした乳房に押し付けられ、母乳を強制的に飲まされ溺死。
 一方おみのは遂にボスキャラの院主と直接対決し、怨みの一撃を嘗て抱かれた胸に深く打ち込むも、寺に火を放たれ、猛火の最中先代のミイラが万歳ポーズで立ち上がる。
 吃驚したところを、お手伝いさんに来ていた聾唖者の少女にひと突きにされたおみの、無念のまま息絶える。
 悪業三昧の寺は焼け落ちて、関係者は全員死亡。勝手に初潮を迎えた少女は、雪景色のなかに独り消えて行くのだった。幕。

【解説】

 真に驚くべきは、いつもは嘘ばかり並べている私のストーリー紹介が、今回に限って割りと原作に忠実だというところだ。いや、本当にこういう話なの。信じて。
 寺男の志賀勝は人肉を削いで鍋で煮てるし、女優陣は十歳の少女を除き全員乳房を露出するし、尼なら当然レズだし、生首も出るし、おおよそ映画を製作する上で必要とされることは全部やっている。まさに力作だ。これで文句を言う奴は、よっぽどの人でなしだろう。
 しかし、この話、なんか『薔薇の名前』に似てる気が。いや、たぶん、気のせいではあるまい。
 最後に寺が燃える話は、全部、『金閣寺』か『薔薇の名前』である。これはもう間違いない。
 
但し製作年代は、『女獄門帖』の方が先。(ま、『金閣寺』のことは忘れて。)
 ということで、同じウンベル仲間であるウンベルト・エーコの明白な盗作疑惑を指摘したうえで、今回の記事は終わりと致したい。え。記号論。ポストモダン?
 
 おありがとうございました。

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2012年2月12日 (日)

杉戸光史『人喰い女の館①②』 ('84?、ひばり書房)

 主人公は、杉戸光子。
 これだけで『主人公は僕だった!』を120%越える衝撃。読むしかない。そんな切迫感に捉われる読者は数多いに違いない。(そう、希望する。)
 しかも、無意味に二巻立ての構成だ。
 元来スカスカでアバウト過ぎるストーリー展開と実りの無い内容がチャームポイントの杉戸先生、そんなに物語るべきネタがあるのか。大丈夫なのか。私は何を心配している。
 この作品は貸本時代の復刻で、旧タイトルは『鬼』。従って実際の制作年月日は結構古く、たぶん70年代。原本が手元にないので詳細不明。
 しかし発表当時から時代の先端とは真逆に位置していた筈の杉戸マンガにとっては、そんな事実など小さい、小さい。それよか、こんなどうでもいいタイトルを版形・題名も変えて、何度も繰り返し世に問い続けるひばり書房の一貫した出版姿勢には、完全に脱帽。敬意を表するものである。
 ・・・いったい、何を考えていたのであろうか?

【あらすじ】

 江戸時代。

 いきなり壮大な幕開きにクラクラするが、いつもならセリフのニ三言で語って済ませる部分をわざわざ数ページ費やして描写してみせているに過ぎない。
 だが、逆もまた真実。普段の杉戸先生が「あ~、ここ、もっと膨らませられるのに惜しいなぁ~」と誰も喜ばない欲求を抱え込んでいた箇所が一層ボリュームアップして展開されているとも言える。
 ファンにはまさに垂涎。必携。だが、この人のファンは一体誰だろう。

 月夜。
 ススキの生い茂る野原に、突如夜叉・般若スタイルの鬼が出現。
 湯灌着らしき白い着物に、まっくろい蓬髪。
 異様に伸びきった二本の角。鬼女だ。
 鬼は、前置き一切無し(=ガチ)の唐突な展開に驚くうっかり八兵衛風の旅人を襲って、殺害。
 喉笛を掻き切る
と、腕だけ毟りとって喰う。
 
 タイトルページ、どーーーん。
 『人喰い女の館 作・構成・画 杉戸光史』


 いきなりシャウトから入る展開。突如として最高潮に。杉戸先生がやって来るヤァヤァヤァ。 

第一章

 決してやってはいけない双子トリックを爆音全開でかっ飛ばす杉戸ミステリーの最高峰『血の蛇殺人事件~獄門狂介登場』、あれも細かい章立てがなされていたが、どうも杉戸先生、やる気のあるときは横溝正史を気取る癖があるようである。

 「その日、わたしが鬼火村を訪れたとき、空には灰色の雲が重く垂れ込め、いまにも泣き出しそうな空模様でございました。」

 泣き出したいのは、こっちだよ。
 (ちなみに、こんな語り、最初だけ。最初だけね。あとはいつも通り、グダグダの展開になりますから、気にしないで。)
 地平線までススキの穂が揺れる、ど田舎の野っぱらに、スーーーッと乗り合いバスが来て、格好よく主人公杉戸光子が登場。
 黒髪ロングにハンチング。三度の飯よりマンガを描くのが好きな女子中学生。光史と名前が被っているのを気にしている。

 「みんなに奥さんだって思われたら、どうしよう~
 画面外で目一杯ヤニ下がる光史。自作自演。
 正気の読者なら、ここでページを破り捨てたい衝動に駆られるだろうが、あいにくそういうまともな手合いは、「神秘の探求」など読みはしないのだった。光史、セーフ。

 バス停まで迎えに来てくれた従兄弟の中三佐藤哲也(『吸血紅こうもり』でこうもりの屍骸に向かって全裸で立ちション、紅こうもりの首領に怒られた男)と、その妹の中一石井明美(兄妹で姓が違うのは決して記述されない複雑な事情による)と共に、地元の神社に奉られている秘宝「鬼の面」を鑑賞する光子。

 (まるで本物の人間の皮をはり付けたようだわ・・・。)
 

 なんでまた、そんな『悪魔のいけにえ』チックな、不吉極まるシロモノが表立って堂々と公開されているのか。神社側の意図はまったく読めないが、そういえばこの神社、社務所の人も神主も一切姿を見せないのだった。無駄な背景的人物を徹底的に省いて話を進める、光史のソリッドかつ強引な姿勢にちょっと感動(嘘)。

 と、そこへ神社裏の茂みを破ってまろび出て来る黒い人影。
 それは、野良を着た近所の単なるおばはんだった!

 「ひ、ひぃッッ・・・助けて!!鬼が・・・鬼が、あたしを襲う!!」

 そのまま叫びながら全速力で、石畳の社殿から駆け出していくおばはん。
 あっけにとられる主人公達。

 「・・・・・・あれ、なに?」
 「さァ・・・確かに近所の人だけど。ね、お兄ちゃん?」
 「♪マジック・ウーマン~、シー・ハザ・ルック、ソー・ナイス~」

 「は・・・?!」
 顔を見合わせる光子と明美。キラキラ光る十代。

 「♪いつも魅せられて~、だけど焦らされて~」

 「まァ。完全な内輪受けだわ。これは日本が誇るインド音楽家、佐藤哲也さんのデビューシングル、名曲“マジック・ウーマン”じゃないの。」
 物知りの光子が解説すると、深く頷く明美。
 「そうよ!決して、“ブラック・マジック”ではないのね!」

 エアギター片手に神社で熱唱し続ける佐藤哲也を、ふたりの若い娘はひたすら見つめているしかなかった。
 
第二章

 翌日。
 カラリと晴れ上がった季節感不明の田舎の村に、スケッチブック片手にひとり戸外を彷徨う杉戸光子の姿があった。

 「フゥ・・・いいお天気ね。こうしてみると、この村に遊びに来てよかった気がする。
 昨日は思わぬ暴走展開もあったけど、気を引き締めてかからないと直ぐに終わる紹介記事も永久に終わらなくなってしまう。けんのん、けんのん。」

 「おーーーぃ、光子さぁーーーん!!」 

 遠くから手を振り近づく、従兄弟の石井明美。

 「いいところがあるの。ちょっと行ってみない?」
 「え・・・?」
 「ススキ沼っていうの。
 
ススキがいっぱい生えていて、景色がとってもきれいよ!」

 「ススキ=不吉=鬼の出現」。オープニングの惨劇を既にご覧いただいた読者諸賢には、ドゥールーズ=ガタリ張りの恐怖の方程式が既に算出済みだろうが、展開読めすぎる先行きに、光子はさらに余分な伏線を追加オーダー。

 「いいわ。でも、沼が終わったら、昨日の神社へ行きましょう。あの鬼の面をもっと調べてみたいの。」
 「エエッ、鬼面神社へ・・・?」

 鬼の面が飾ってあるから、鬼面神社。はねにコンマで、はね駒(こんま)。
 馬鹿げた会話を繰り広げる二名が沼に辿り着くと、暗く澱んだ水面にプカプカ浮いているのは、昨日鬼の恐怖を訴えながら神社を飛び出して行った野良着姿のおばはんであった。

 「ああッッ!!し、死んでる・・・・・・!!」

 恐怖に駆られ、ススキの中を全開でダッシュし出すふたり。まずい。ひばり書房的には死亡フラグがロックオンだ。
 案の定光子は、突然足元に開いた空間に足を掬われ、そのまま漆黒の闇の中に転落してしまった。

 「光子さァァァーーーん!!」
 穴の淵から暗闇に向かって呼びかける明美。
 「言い忘れたけど、この辺りは地下水脈の複雑な流れの影響で、あちこちに穴ぼこがあるのよーーー!!
 いま、助けを呼びに行ってくるからねーーーッ!!」


 ・・・先に言え。
 
第三章

 地下世界に転落した光子が目覚めると、闇に潜んでいた鬼が襲ってきた。迷路のような鍾乳洞の中を追いかけっこする鬼と光子。まさに、リアル鬼ごっこ。
 ここで、またしても都合よく足を踏み外した光子、地下を走る激流に飲み込まれて意識を失ってしまう。そう、同じ手を何度も執拗にリピートするのが杉戸先生の特徴。トランス系恐怖作家の面目躍如。
 
 「チッ・・・逃したか。」
 悔しがる鬼。
 冒頭の江戸時代のエピソードで見せた通り、白い着物に二本の角。
 「仕方がない。館に帰るとするか。」

 一方地下から湧き出る川のたもとで、気を失って倒れていた光子。
 ようやく意識を取り戻すと、すっかり夜だ。周囲の景色は見慣れない山の中だし、途方に暮れてトボトボ歩くこと暫し。
 山腹に抱かれて影のように聳える不気味な館に辿り着いた。

 「ああッ!!これはもしかして・・・・・・!!」

 窓から館を覗き、恐怖の予感に震える杉戸光子。
 ご丁寧に、衣紋掛けに吊るされた白い着物。さきほど、鬼が身に着けていたものに非常に良く似ている。

 しかし、気の利かない杉戸先生がそんなに早く解答をあたえてくれる筈がない。
 光子は、館に雇われているらしきスキンヘッドのせむし男(※二重に差別的)に見つかって、こっぴどく脅しつけられ、ホウホウの態で村まで逃げ帰るのだった。
  この時点では、館、単に出てきただけ。

第四章

 さらに翌日。
 夜中に鬼ごっこと水泳を同時にやらかした光子は、さすがに精も根も尽き果てて、昼間まで熟睡していたが、その夢の中では、またも鬼との不条理なデスレースが繰り広げられているのであった。

 「ウィッ、ヒッヒッ、ヒッ!!
 今度こそ、お前を喰ってやるよ・・・!!」

 「キャアアーーーッ!!」


 所詮、夢オチという展開に平気で数ページを使うのは、本気で勘弁してくれ杉戸先生。
 読者の忍耐も尽きかけた頃、ようやく夢から目覚めた光子は、枕元に心配そうに付き添っていた佐藤哲也くん(中三)と、昨夜目撃した鬼の正体についてディスカッション。

 「人間の顔が、鬼みたいになる筈ないだろ?
 きみが見たのはただの錯覚。でなけりゃ誰かが鬼の面でも被っていたんじゃないのカナ・・・?!」
 「鬼の面・・・お面にしては、やけにリアルだったわ!」
 
 そのまま、面、面と呟きながら、寝床を離れ歩き出す光子。あきらかに、やばい人。そのまま戸外へ出て行ってしまう。
 呆れて見守る佐藤くん。腕組みして嘆息、心機一転タブラを叩き出した。

 一方、面は面を呼ぶのことわざ通り、謎の答えを求めて彷徨う光子は、鬼面神社に辿り着く。相変わらず人の気配はない。作者の先を急ぎたがる心情からすれば、通行人の一人を描写するのさえ惜しいのだろう。(単なる手抜きとも謂う。)
 ようやく念願だった鬼の面をしげしげと観察することが出来た光子。
 鬼の面は、昨夜暗がりから襲ってきた鬼の顔にそっくり。

 (やはり、何者かがこの鬼の面を盗み出して被っていたのだろうか?でも、一体、何のために・・・?)

 推理小説的な謎を与えておいて、非推理小説的な解決を与えることは、人を深く失望させる。決してやってはいけないと、『光の王』の解説に書いてある。
 それを知ってか知らずか(知らんだろう)、依然悩み続ける光子の眼前に、あのスキンヘッドのせむし男が再び現れた!

 「グゥエッ、ヘッ、ヘッ!!
 お嬢さん、昨夜はよくも舐めた真似をしてくれたね!
 ・・・ありがとう!」


 毛のない頭でお辞儀した。

 「ついては、あんたにぜひとも見て欲しいものがあるんだ。
 館まで、ご同行願えませんかな・・・?」


 「エエエッッ!!」

 「嫌がっても、連れて行くよ。たとえ腕ずくでも、な・・・!!」

 カッ、と見開いたせむし男の双眸には、悪魔的な炎が燃えている。
 これは最後、と光子が観念したその瞬間、空中を滑るように飛んできたインドの太鼓がせむし男の禿げ上がった頭頂部にガツンと激突した。

 「待ちな!!」
 
逆光を突いて現れた人影が吠えるように叫んだ。

 「その娘に指一本でも触れてみな、俺のタンプーラが黙っちゃいないぜ!!」

 確かにその言葉通り、神社の森周辺の空間に既に異様なドローン音が満ちている。今にもシタールの弦が全解放で鳴り響きそうだ。
 目に見えて狼狽を呈したせむし男、くるりと背を向けるとスタコラ逃げ出した。

 「フン、口ほどにもない。」

 現れた佐藤哲也は落ちた太鼓を拾うと、白い歯を見せて笑った。

 「ケガはないかい、光っちゃん?」
  
 「エエ・・・でも、驚いた。あなた、意外とやるのね!」

 「インド音楽は、本来戦闘的な音楽なんだ。
 瞑想だ、伝統だ、と適当なお題目を並べ立てているのは、その本質的な闘争的性格を周囲から上手くカムフラージュするためのものなのさ!
 達人の域に達したインド音楽家なら、人を殺すのに数秒もあれば充分だ。」


 「まァ・・・知らなかったわ。まさにセガールみたいな人間兵器なのね!」

 「それよか、奴の言っていたことだけど。きみに見せたいものって一体何だろう?」

 「さぁ・・・?」

第五章

 見せたいものがあるなら、こっちから乗り込んでやるまでだ。少年ジャンプの影響大な短絡思考に陥った若者二名は、敵の居城、謎の館へ白昼堂々潜入することに成功。
 盛大なうたた寝を繰り広げるせむし男の、隙だらけの監視の目をかいくぐり、屋敷中を隈なく見て歩くも、成果ゼロ。なんだこりゃ。普通に、他人の家じゃん。
 家宅不法侵入という不吉な言葉にようやく思い当たった迂闊なふたりは、ソロリソロリと脱出しようとして、地下へ続く無気味な落とし戸が目に留まる。

 「哲也くん、これは、もしかして・・・」

 「もしかしてパートⅡ。パートⅠの存在はこの際、不問に処す!
 ・・・ついて来い!!」

 地下室の床を埋め尽くす、無数の甕。また甕。アラビアンナイトか、麹工場か。寡黙に働く大勢の麹職人の姿が今にも瞼の裏に浮かび上がるようだ。
 しかし、その甕の蓋を上げると。

 「きゃああああーッ!!」

 「うむむッ!!こ、コレは・・・!!
 
・・・連中、やりたがったなッッッ!!」


 甕の首まで溢れかえっていたのは、大量の人骨。磨き上げられたように光るしゃれこうべ。ぶっ違いに挿された大腿骨。衣服の名残らしき布の切れ端と、干乾びた皮膚の残骸にへばりつく頭髪の残り。その数、百万体。

 「・・・これぞ動かぬ証拠というやつ。この館の住人は、本物の大量殺人鬼だ。」
  
第六章

 「現代は、携帯の時代である。」
 と、杉戸先生は書いている。
 「猫も杓子も携帯電話、取り憑かれたようにちいさい液晶画面とにらめっこ。ゲームも出来るし動画も観れる。インターネットでショッピングなんかも出来ちゃう。
 便利、便利を追求すると只でさえ卑小な人間の存在がますます小さく感じられる気がするが、まぁ、いいじゃないの。
 ボクと、メアド交換、しない・・・?」

 杉戸光子は軽く首を横に振ると、110番で警官隊の派遣を要請した。たちまち頑強なトラックに揺られて米国海兵隊並みの体躯を誇る、我が国トップクラスの警視庁突撃隊員数名が現地に到着。見上げると、空にはヘリコプター数機まで飛んでいる。
 執拗に鳴るサイレンと回転する赤いランプに辟易しながら、光子は屋敷周辺の警備を固める指示を出すと、エリート突撃隊員とスクラムを組んで固く施錠されていた正面玄関をこじ開けにかかった。

 (なに、先ほど光子と哲也はどうやって侵入したかって?開いていた裏窓からこっそり入ったのだ。とんだご都合主義だが、本編に記載されている歴然とした事実だ。)

 渾身の苦闘の末、玄関の重い樫材で組まれた扉が開いたとき、そこに立っていたのは、先程までは姿形も無かった、世にも胡散臭い奇怪な一家だった!
 
 「まァ・・・!!なんザマスの!?
 他人様の家の玄関を勝手にこじ開けるなんて・・・。」


 きついパーマにトニー谷型の三角眼鏡。これぞ教育ママゴンといった風情の中年婦人が口を尖らせてまくし立てる。

 「ホント!!とことん下品な人達!!いますぐ地獄に落ちればいいのよ!!」

 娘は光子と同年齢くらいだろうか、赤のワンピースにお下げ髪。髪の毛をひっつめ過ぎて、両目が吊り上がっている。耳障りな声には、金属的な響きすらあるようだ。

 まァまァ、我が国が誇る低知能層の代表格である官憲の手先諸君に、そんなストレートな言質を浴びせても到底理解はして貰えまいよ。
 この場は、知的エリートたる一流弁護士のこのワシ、熊ン蜂剛蔵が代表して皆さんのお話を聞こうじゃないの・・・?」


 葉巻を咥えた、赤ら顔にどでかいタラコ唇がトレードマークのおやじが野太い声で言った。

 「・・・あ、あの」
 気勢を削がれた光子が、遠慮深げに切り出した。

 「・・・おたくら、だれ・・・?」

 「この状況を見て解らんとは、エジソン並みの発明王だね、お嬢さん。勿論、われわれはこの館の持ち主一家であーーーる!!究極超人あーーーる!!」

 「えええっ!!!」

 正直『究極超人あーーーる』の作者が誰であったか、即答できるほど余裕がなかった光子は、非常に焦った。内心の焦りはたちまち顔に出て、ボタボタと玉の汗が滴った。

 (とりいかずよし・・・いいえ、そんなバカな。あさりよしとお・・・って、そんな路線だった気がするわ。でも、あさりは徳間書店の作家の筈・・・。ええい、平仮名よ、ともかく平仮名の人だったわ!!)

 「ほんまりう・・・!!」

 一番答えてはいけない方向に、解答してしまった。

 いかにも成金そうな、悪趣味なスーツを着たおやじは両手を交差させて大きな×マークをつくった。その指に金無垢の太い指輪が光っている。

 「ブーーーッ!!!
 顔も悪いがアタマも悪い。いいことずくめだネ、お嬢さん!!
 正解は、ゆうき・・・みつぐ先生でしたーーー!!
 ハイ、残念!!」


 瞬間床が開いて、警視庁突撃隊員ともども地下へ落とされる光子。
 そのとき、思わず叫んでいた。

 「料理、バンザァァァーーーイ!!!」

 「・・・それは、滝田栄だ!!!」

 
独り地上に残された哲也の心底がっかりな突っ込みが、井戸のように窪んだ陥穽の中に響き渡った。

第七章

 地下の川まで落とされ、濡れ鼠になって這い上がった警官隊と光子は、哲也と再び合流すると、館の主人を名乗るあやしい家族の説明に耳を傾ける。
 商用で永らく留守にしていたが、此の程ようやくこの地に戻ってきた。ついては娘は地元の学校に通うことでもあるし、ひとつ仲良くしてやって欲しい。うんぬんかんぬん。
 それでも当然疑惑を払えない光子と哲也は、あるじの許可を得て、警官隊を連れ地下室を捜索するが、大量の人骨の入っていた筈の壷は見事にからっぽ。あっけにとられるふたり。

 「どういうこと・・・?!
 ここは確かに鬼の棲み家だった筈よ!!」


 実のところ、誰もが存在をコロッと忘れていた、あのスキンヘッドのせむし男がコント紛いの大騒動が起こっている隙に、きれいに片付けてしまっただけなのだが、もともと根が単純バカ揃いだったため、あろうことか見事に子供騙しのトリックが成立してしまった。
 無駄足を踏むは、水に落とされるは、散々な目に遭った警視庁突撃隊員たちは、光子と哲也を徹底的にどつきまわし、桜田門へ帰っていった。ほくそ笑むあやしい家族。

 「いかなる手段を使っても、アレの存在を守らなくては、な・・・」

 去り行く人々を窓辺から眺めながら、自称弁護士の父親がタラコ唇で呟く。
 娘は、憎々しげに去り行く光子たちを見つめ、拳を握り締めて叫んだ。

 「そうよ・・・!
 さもなくば、我が家の存在はなくなるわ・・・!」

 
第八章

 この地方一帯に、墓地荒らしが多発しているとの情報をキャッチした光子。情報源である従兄弟の石井明美は、さらなるミスリードを誘発するような新規ディテールを追加する。

 「鬼は死んだ人間しか食べられないの!だから、死体を狙うのよ!」

 初耳である。鬼の食人行為にそんなバイアスがかけられているとは、我がシステム部もつと知らなかった。永井豪先生もさぞかし驚愕であろう。 
 そんな不確かな情報を頼りに、さっそく墓場に二十四時間監視体制を敷く光子。何のことは無い、食い物持参で墓地裏に籠城し、哲也と交代で用を足すだけのロウファイさ。特に意味はないのだが、双眼鏡を用意した。監視といえば、やはりこれだろう。
 その効果は、すぐに現れた。
 白昼堂々、鬼が現れ、墓地をほじくり返し始めたのだ。しかし、すぐには気づかない光子。双眼鏡越しにえらい遠方に蠢く小さな鬼の姿をようやく捉えたとき、彼女は藪の中に小用に行っている哲也に向かって、大声でまくし立てた。

 「キャア!!鬼よ!!鬼よ!!
 早く来て、哲也さん・・・!!」


 だが、先に気づいたのは、遠方にいる筈の鬼だった。ギロリ目を剥くと、すぐ背後に潜んでいた光子の腕を掴んだ。
 彼女は、望遠鏡を逆さまに覗いていたのだ。

 「おのれ、にっくき小娘!今度は逃がさないよ!」
 
 あまりの古典的ボケに怒り心頭の鬼は、全開のテンションで光子に襲い掛かり、その右腕をあっさりねじ切ってしまった。

 「ぎょえええええーーー!!!」

 絶望的な悲鳴をあげる光子。噴き出す血潮がボタボタ地面に垂れている。
 目の前で、断ち切った腕をむしゃむしゃ頬張る鬼。

 「モグモグ・・・ムシャムシャ・・・。ごくり、ごくり。
 ホラ、こうして人体から取り外したパーツは、もはや死んでいますから、平気で喰うことが出来るワケです。」


 要らん解説までしてくれる。意外と親切。
 ヒロインが陵辱されるより過酷な仕打ちに泣き叫んでいる頃、哲也は放尿後チャックにシャツの裾を挟んでしまい、悪戦苦闘していた。

 「テテテテ・・・クソ、締まらねぇ・・・!!」

第九章

 哲也が社会の窓全開で駆けつけると、既に鬼はスティック状の肉を齧りながらいずこかへ立ち去った後だった。独り、腕をもがれた光子が地面に転がり、泣き叫んでいる。
 ブチューーーッ、といきなりな接吻をかます哲也。
 
 一瞬、動きの止まる光子。
 「・・・・・・は??」

 「完璧な美など、この地球上には存在しない。だが、片腕をもがれたきみは、本当に素晴らしい。まさに、ボクのストライクゾーン・・・!」

 「キャーーーッ!!変態よーーーッ!!
 離せ、バカ!!」

 突如発情した哲也を振りほどこうと暴れる光子。貴重な血液がどんどん失われて顔色がみるみる蒼ざめていく。生命の危機だ。そんな状況など一切無視、出会って5秒で合体シリーズを試みる哲也は、熱心なAV実践主義者なのだった・・・。

 ・・・それ以前にこの場面、今更なんだが既に放送できない領域に足を踏み出し過ぎてはいまいか。そもそも女主人公が身体欠損。あまつさえその被害者を強制レイプしようとするヒーロー役の男。しかも、よく考えてみりゃ両者とも中学生。ありゃま。不謹慎極まりないではないか。誰に抗議されても抗弁できない。面白いと思ってやりました。だからお前はダメなんだ。大体現時点から全体を俯瞰して見れば、この話何パーセントが原作に忠実なんだ。誰も読まないと思ってデタラメ書くんじゃないよ。でも俺は好きだぜ、杉戸光史。だって本人なんだもん。え。

第十章(完結篇)

 鬼の正体は、あやしい家族の長女であり、頭骨が角のように伸びる奇病に取り憑かれ発狂。夜な夜な人肉を漁っていたものナリ。
 
 「・・・あたしはむしろ、被害者よ!

 すべては生まれながらに生えていた、この二本の角が悪いんだわ!
 人間の屍肉を食べると病気が治ると吹き込んだ、あのヤブ医者・・・それを真に受けて、地下室に閉じ込め、赤ん坊の頃から朝に夕に死体の肉を食べさせ続けたお父さま・・・。
 その命令を聞いて、墓場から死体を盗み続けたじいや(※スキンヘッドのせむし男)・・・。

 みんな、あいつら!!
 みぃんな、あいつらが悪いんだ!!」


 かくて、警官隊が再び駆けつけたときには、あやしい家族は全員撲殺され、地下室に転がる哀れな骸と化していた。死人に口なし。
 しかし、さんざん他人はおろか肉親までも手にかけておいて、ここまで見事に責任転嫁できるとは、むしろあっぱれ。図太い根性。これは一流政治家の素養があると、鬼は人材不足に泣く現政権与党の打診を受け、花の都東京へ。その後消費税を上げたとか上げないとか。
 一方、無事にすべての謎が解けたので、鬼火村の人々は笑い合い、もとの平和な暮らしに戻って行きました。
 
 丁度その頃、村外れの墓地では、新しく出来た墓の前に線香を手向ける哲也の姿があった。

 「光子さん・・・きみは本当に幸せだったのかい・・・?
 結局、この話は、何がどうなったっていうんだろうか・・・・・・?」


 春近い光漲る大空は、広漠たる山河を抱いて無限に拡がっていくようであった。


        (完)

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2012年2月11日 (土)

ローリング・ストーンズ「昨日の出来事」 ('67、London)

 ロックレコードについてくる訳詩というものは、大体が超適当過ぎる翻訳がなされているもので、元々たいした予算もかけらぬからだろうけれど、視点を変えてみれば演奏内容のカッコよさと比べてあまりに独自の世界を追求していることが、まま、ある。

 そもそも歌の内容やアーチストのプロフィールをちゃんと理解した上で翻訳している人の方が稀で、大抵はコストの安そうな翻訳事務所の方、レコード会社のスタッフ、バイト、身内などなど台所事情による超適当過ぎる人選がなされ、ガチガチの直訳や、てにをはの狂った文章、とてつもない主語の選択、乱れ撃つ英語直接表記、“Yeah!”の連打等々、あきらかに常識的に考えておかしい表現が大手を振って闊歩しているものだ。

 フィールドは異なるが、これってアレに似ている。
 エロ漫画雑誌に載る読者投稿イラスト。そういうレベル。
 とてつもなくヘンなのに気づいて面白がって読んでいると、次第にアタマが痛くなってくるのも同じだ。
 三峯徹。そんなんですよ。

 事情は超大御所でも変わらぬようで、今朝方自分たちのレーベルのチンケな自主制作盤のジャケットを描きながら、ストーンズの『ビトゥイーン・ザ・バトンズ』を聴いていて、筆安め(インクの乾き待ちとも云う)に訳詩を眺めてたら、凄い表現の箇所にブチあたってしまった。
 曲はアルバムラストを飾る、これまたいい加減な仕上がりのボードヴィル調ナンバー「昨日の出来事」。
 (私が今回使用しているのは、2005年にABKOが権利を買って再発したときのバージョンである。既にお持ちの方は資産を確認してみてください。)
 問題の箇所は、曲の中盤、折り返し地点で、間奏に入る前にボソッと入る語り。

 Beg Your Perdon.
 (オナラしてご免よ)


 え。
 瞬間、背筋が凍りついた。オレハ、ナニヲキイテイタノダロウ。
 早速曲をアタマからリピートし、内容を再度確認してみる。果たしてここで突然オナラが登場する必然性はあるのか。あったら、すごい。
 適当に訳してみることにする。曲は、ミック・ジャガーとあきらかに若い(!)キース・リチャーズさんとの掛け合いで進行する漫才形式。

  (ミック)
   昨日、僕に起こったことは、
    ゾクゾクすること、
   ワクワクすること、
   簡単に話せることじゃないのさ、昨日の出来事


 ♪ (キース)
   奴には事の良し悪しがわからなかった、
   誰かに云ってみりゃよかったのに、
   そいつが違法な物質かどうか、
   結局、確信とれなかったんだよ、あ~ぁ~!
 

 ♪ (ミック)
   明らかにおかしい、ってあなたは言うけど
   あんたの口ぶりの方がよっぽどヘンだぜ
   とにかく、そいつは僕を打ちのめしたんだ、
   ゾクゾクすること、
   ワクワクすること、昨日の出来事


 ♪ (キース)  
   奴には行方がわからない、
   そもそも、そんなの気にしない、
   その物質のもたらす効果も結果も、意味も
   誰に聞いてもすべては闇の中だよ、あ~ぁ~!


   オナラしてご免よ。

 ・・・う。
 なんだ、これは。台無し。真面目に訳してバカをみた。

 越谷“Mick”正義の顔を立てて、わざとドラッグソングになるように訳してみたが、実のところ登場する「Somethig」の意味は実のところなんでもいい。
 砂糖でもセックスでも、ディズニー年間パスポートだっていいのだ。
 翻訳が創作だといわれるのは、元々多義的な解釈が可能な構造の緩い言語に、ガチでベタな日本語を強引に被せようとして、無理するからである。
 だが、苦し紛れ、大いに結構。
 真摯な翻訳家のみなさんの、どう見ても無駄な努力を私はたいへん尊敬している。
 
 そういう意味で、この曲の途中に「オナラ」を出した人(困ったことに、翻訳者のクレジットすら無い)。
 伊藤典夫先生に、土下座して泣いて、謝れ。

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2012年2月 8日 (水)

レイ・ブラドベリー『火星人記録』 ('56、元々社)

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 かの有名なブラッドベリーの『火星年代記』、最初の翻訳のバージョンがこれである。
 知ってる人はみんな知ってる。悪訳として名高い、元々社の最新科学小説全集の一冊。
 だが、果たして本当にそうなのか。福島正実が流布したデマゴーグである可能性は?我が国の誇る翻訳SFファン第一世代の人々が、極めて善良でだまされやすい人種であったことはその後の歴史が証明している。
 論より証拠、さっそく読んでみよう。

 「家々の扉は閉ざされ、窓の外には錠がおり、窓ガラスは霜で曇り、どの屋根にもつららがさがって、子供たちは斜面でスキーをやり、主婦たちは凍った街路を毛皮にくるまって巨きな熊のようにどたりどたりと歩いている。ほんのひとときはオハイオの冬であった。(斎藤静江・訳)」

 主婦がどたりどたり。正直、微妙。

 「ロケット・サマーだ。その言葉は、明け放しの吹きとおしの家々の中にいる人びとの口から口へ伝わった。ロケット・サマーだ。(同上)」

 ロケット様。三名様。そこだけ英語使われてもなぁー。

 なんか、世間の言うのは意外と正しいような気がしてきた。
 だが、まぁいい。
 この本、\105で投げ売りされてたんだから!その事実に、心ある諸君は号泣だ。あんたも、じじいになったってことだ。
 そういう方には無用のおせっかいだろうが、呆けてしまって話を忘れたお年寄り、ラノベ以外の活字が一切読めない若造、SFを捨てたDくんのために、以下簡単に、『火星年代記』のストーリーをおさらいしておこう。
 こいつは試験に、出るゾ!


【あらすじ】

 火星には古くから火星人が住んでいて、地球人が探検にやって来ると、親切なふりして殺しまくっていた。
 どうやって殺すかというと、昆虫(毒蜂)を発射する銃とかだ。はなはだ効率が悪い。
 これだけで滅亡するには充分な頭の悪さだったが、火星人の家は水晶で出来ていやがった。なんか眩しいし、夜は寒いし、床は滑るし。お陰様で、火星人の頭にはこぶが絶えなかったという。

 そんないい加減な奴らに退治されてしまう地球人も地球人だと思うが、ともかく、苦労して真空の海を漕ぎ渡り火星に着くや否や、歓迎と見せかけ、プスリ。
 
物陰に潜んで、ザクリ。
 という訳で長らく火星は人類未踏の惑星だったが、悪事はいつまでも続かないもの。
 あるとき、到着した探検隊がインフルエンザを持ち込むと、たちまち会社全体に蔓延、遂には企業倒産に結びつく深刻な経営危機に陥った。
 律儀に予防接種を受けていた人達も、残念だが、惑星間を飛び越えた香港B型に対しては勝ち目はなく、可哀相に全員が死滅。
 火星は、死の星になってしまった。

 誰もいなくなった空き家には、地球から浮浪者がやって来て、入居。どう見ても不法占拠だが、そもそも地球の法律が火星に適用されるのだろうか?
 暇な連中が無駄な議論に花を咲かせている間に、地球では超大国間の抗争が激化。各国の軍隊が衝突。
 見上げた地球の表面で、何発もの核弾頭のキノコ雲が輝いた。

 「あれまー。地球は死の星になっちまったゾイ。」
 それを見ていた薄汚いおやじが言った。
 「帰るところがなくなっちまっただよ。」

 「いまの俺たちには、入居する家があるから、もう浮浪者じゃねーーーゾ!!」
 
リーダー格の浮浪者が華々しく宣言した。
 「さらにいえば、地球も無くなったんだから、もう地球人ですらねぇ!!
 俺たちこそが、火星人だ・・・!!」


 すると、物陰に潜んでいた火星人の生き残りがハリセン片手に飛び出してきて、思い切りどついて叫んだ。

 「・・・んなワケ、ねーだろー!!!」

 ♪パオ、パオ、パァァーン。

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2012年2月 7日 (火)

フォルカー・シュレンドルフ『ブリキの太鼓』 ('79、アルゴス・フィルム)

 大人と子供。戦争と平和。二項対立を並べて投げっぱなしにする『ブリキの太鼓』は、結局何を物語ろうとしていたのか。

 ストーリーだけをなぞれば、三島の『金閣寺』みたいな自己と世界との和解を描いているように見える。三歳で自主的に成長を止めた主人公。永遠に三歳児のまま。かれが最終的に再び、成長することを選択するまでのドラマだ。
 通常の時間の流れの中を生きる周囲の人々は、ヒットラー政権の台頭に巻き込まれ、ゲートルを巻いて集会に駆けつけたり、郵便局をめぐる民族主義紛争に右往左往しバタバタと射殺され、やがて独ソ戦の敗北から流入してきたソ連兵にお母さんがレイプされて大騒ぎ。だいたい、碌なことにならない。
 そんな世界と、主人公は無惨なまでに関係ない。そもそも幼児だし。
 ナチスに包囲され、大量の死傷者が出て、お父さんの片割れ(主人公にはふたりの父親がいる。金持ちのおっさんと若いイケメンと)があえなく銃弾に散っても、誰も本気で子供なんか相手にしない。忙しいのだ。現在、戦争中なのだ。
 主人公がなぜ、敢えて世界と再び係わり合いを持とうと決心するのか。物語はその点を明確にしないまま、遠方へ去っていく汽車の姿を映し続けて幕を閉じるが、私の解釈を述べておく。

 こびと女とセックスしちゃったからだよ、きっと。

 この映画は、野良に座るおばあさんのスカートの下に匿われた放火犯が実はおじいさんだった、という衝撃的な幕開けをし、いろいろあって、再び野良に座るおばあさんの姿を映して終わる。今度は股の下には誰も居ない。
 人生とは、ひとつの子宮から次の子宮へのあてどない旅である。
 
ドイツ人って、面白いなぁー。

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2012年2月 1日 (水)

ぜんきよし『あほ拳ジャッキー④』 ('85、小学館コロコロコミックス)

 真の無意味さ、あほらしさへと到達する道は、長く険しい。
 
たいていは挫折し、途中で考え込んでしまう。オレは何をやっとるのだ。しっかりせねば。
 おのれの創ったフィールドで自由に遊んでいられるうちはいい。その外側には恐るべき虚無の荒野が広がっている。虚無に触れると全ての意味は崩壊するのであるが、アホにはそれが見えない。理解できない。無意味が醸し出す領域は、それもまた、ひとつの立派な独立した世界ではあって、外界を無意味に侵蝕しようとする。
 虚無に意味などない。だが、同時に、虚無は無意味ですらないのだ。
 絶対的な死。停滞。永遠の孤独。それが虚無の正体だ。
 意味は対抗するため、集合離散を繰り返し規範を形作る。国家。政治。宗教。あるいは家族一族。恋人。虚無との果てしなき闘争がわれわれの歴史であるなら、無意味とはこれにも敢えて背を向けるもの。
 たった独り、徒手徒拳で屹立するエベレストに挑むが如き無謀な行為。意味の側からの止む事の無い嘲弄を浴びながら。いったい何の罰ゲームなのか。
 だが、私の知る限り、世界の屋根に届きうる山はこの山しかない。すべての意味の暗雲を突き抜けて、宇宙の高みへ。
 構えろ、あほ拳。たとえ、ギャグをしょっちゅうハズしても。
 お前の狙いは狂っていない。


【解説】

 ジャッキーは、小学生。
 チョロQのような圧縮された肉団子体型でニ頭身。極太の眉毛につぶらな瞳。後ろ髪のみを伸ばした昔のロン毛は、なんだか木人相手に修行していたあいつに似ている。
 かよっているのは、少林寺小学校。
 
なぜか師匠も一緒に登校する。老人なのに。師匠の名は、フェイフェイ。あほ拳のマスターだ。
 
飲めば飲むほど強くなる。あの拳法を教えていたのと同じ人だ。ゆえに、鼻の頭が赤い。

 物語は、かれらが毎回あほらしい敵と遭遇し、相手を上回るあほらしさでこれを撃破する迄の過程を描く。極めて単純な繰り返しである。
 ちなみに、女性キャラはいっさい登場しない。
 
エッチ方面への目配せはゼロだ。これは、真のあほを追求するには生殖衝動など邪魔なだけ、というストイックな信念なのか。単に作者が描き忘れたのか。第一次性徴など完全無視。ホモマンガと見紛うハードコアっぷりである。

 (例)
 学校は自習時間
 →焼き芋の匂いにつられ、巨大なネズミ取りに引っかかるジャッキー
 →ネズミ取りはロケット炎を吐いて裏山へ強制連行
 →それは、百年に一度あほの血を吸うためによみがえる、あほ魔神の罠だった!
 →生贄にされかかるジャッキーを、川口浩探検隊のコスプレをした師匠の老人一行が救う!
 →あほ拳バトル開始!魔神の正体はおカマっぽい宿敵ブルース・ソー!(リーではないと但し書きがある。親切ですネ。)
 →超合金チックなロボに化身したブルースとジャッキーの小競り合いは、最終的に全裸のブルースが山の彼方へぶっ飛ばされるという、意外性のまったくないオチがつく・・・。

 キャラクター同士の徹頭徹尾馬鹿げた潰し合いという構造は、山上たつひこを嚆矢とし『マカロニほうれん荘』が抽象レベルで完成させた、70~80年代ギャグマンガの黄金律だ。
 しかし、ぜんきよしのスタンスは、笑いの文脈としてこれらを継承しながらも、幼児性の肯定的展開として鳥山明『Dr.スランプ』の強力な影響を受けている。あれほどデザイン性が高くないので、パッと見わかり辛いが。(下手ともいう。)
 従って背景の山には顔が描き込まれているし(4巻116ページ)、ブタの銀行員は服を着てポップコーンを焼いている(同88ページ)。大人も子供も全員豆タンクのような小太り体形なのは、キャラクターの寸法を決めるベースが全部スッパマンだから。
 
 短躯のおとなはバカにしやすい。
 目線の高さが子供と均一になるので、同じ画面に入れる苦労が省ける。
 ここで重要なことは、それでもこのマンガにおいてジャッキーを襲う宿敵の大半は立派な大人達に他ならない、ということだ。
 大のおとなが屁をかまし、妖怪食っとるケのコスプレをして給食室に潜んでいるのだ。こりゃ笑うしかないではないか。 

 ミニ四駆が実車のパロディーであるように、SDガンダムが等身の高いロボを子供の体形に置き換えたものであるように、立派なもの、格好いいものをお子様体形化することは、なめ猫の無理やりかつ動物虐待なコスプレと同じく、80年代文化が産み出した文化的発明である。
 わたしは常々この風潮を酷く不快なものに感じてきていたが、そのルーツを求めれば、あぁそうか、鳥山のスッパマンか。
 今日は、積年の宿便が一度に解消されたような心境である。
 
 諸君も、同じ気持ちでお帰りください。

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