フォルカー・シュレンドルフ『ブリキの太鼓』 ('79、アルゴス・フィルム)
大人と子供。戦争と平和。二項対立を並べて投げっぱなしにする『ブリキの太鼓』は、結局何を物語ろうとしていたのか。
ストーリーだけをなぞれば、三島の『金閣寺』みたいな自己と世界との和解を描いているように見える。三歳で自主的に成長を止めた主人公。永遠に三歳児のまま。かれが最終的に再び、成長することを選択するまでのドラマだ。
通常の時間の流れの中を生きる周囲の人々は、ヒットラー政権の台頭に巻き込まれ、ゲートルを巻いて集会に駆けつけたり、郵便局をめぐる民族主義紛争に右往左往しバタバタと射殺され、やがて独ソ戦の敗北から流入してきたソ連兵にお母さんがレイプされて大騒ぎ。だいたい、碌なことにならない。
そんな世界と、主人公は無惨なまでに関係ない。そもそも幼児だし。
ナチスに包囲され、大量の死傷者が出て、お父さんの片割れ(主人公にはふたりの父親がいる。金持ちのおっさんと若いイケメンと)があえなく銃弾に散っても、誰も本気で子供なんか相手にしない。忙しいのだ。現在、戦争中なのだ。
主人公がなぜ、敢えて世界と再び係わり合いを持とうと決心するのか。物語はその点を明確にしないまま、遠方へ去っていく汽車の姿を映し続けて幕を閉じるが、私の解釈を述べておく。
こびと女とセックスしちゃったからだよ、きっと。
この映画は、野良に座るおばあさんのスカートの下に匿われた放火犯が実はおじいさんだった、という衝撃的な幕開けをし、いろいろあって、再び野良に座るおばあさんの姿を映して終わる。今度は股の下には誰も居ない。
人生とは、ひとつの子宮から次の子宮へのあてどない旅である。
ドイツ人って、面白いなぁー。
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