« ラリイ・ニーヴン『中性子星』 ('80、ハヤカワ文庫SF) | トップページ | 『闇の国々』 ('11、小学館・集英社プロダクション) »

2012年1月 9日 (月)

白石晃士『バチアタリ暴力人間』 ('10、イメージリングス)

 「あぁ、インディーズ映画って、こういうのだったよなぁー!」
 
 と、来しかたを振り返って私なんぞは思うのである。
 明らかに、ここには“なんでもあり”が売りだった、かつての時代が共鳴している。
 やばい映画。
 やばい音楽、
 それらは一過性のブームを通り過ぎ、消費され、記憶の彼方に消え去ってしまった。
 やばいものをつくっていた人達は、本当にやばい人だったから、手配されたり、死亡したりで、今のクリーンな世の中では、なかなか表面に浮上してくることがなくなった。
 
 『バチアタリ暴力人間』は、そんな時代に敢えて物凄いダメな人達を再配置し、野蛮さを取り返そうとする試みである。

 いい歳こいたボンクラ、笠井。山本。
 彼らをわれわれは昔から知っていたし、地元でも上京してからも周囲に必ず居た。
 間抜けな音楽が好きで、間抜けな格好で、将来はビッグになりたくて、仕事に就いてもすぐ辞めて。お陰でいつもアパート暮らし。
 彼女もいたけど、いつも愛想を尽かされ、逃げちまった。
 だんだん彼らを見かけなくなっていったとしたら、それは、きみの年収が増えたからだよ。
 
マンションも買ったし、ね。

 暴力人間とは、実は、欲望のままに正直に生きている、極々まっとうな人達のことであって、スーツ着てネクタイ締めてるわれわれこそが、社会権力をバックにつけた立派なヤクザ者なのである。
 せめて、その自覚は持とうじゃないか。

 こういう映画を撮ると、どうしても先達と比較されてしまうのは仕方のないところで、ラストの卓袱台のひっくり返し方がどーだ、こーだ、言われてしまうのは避けられないところだけど、まぁ、いいじゃないの。細けぇことは。
 
 それにしても、みんな、ホント、ヤンキー好きだよなぁー。
 その点は、ちょっと、呆れる。

|

« ラリイ・ニーヴン『中性子星』 ('80、ハヤカワ文庫SF) | トップページ | 『闇の国々』 ('11、小学館・集英社プロダクション) »

超・神秘・映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 白石晃士『バチアタリ暴力人間』 ('10、イメージリングス):

« ラリイ・ニーヴン『中性子星』 ('80、ハヤカワ文庫SF) | トップページ | 『闇の国々』 ('11、小学館・集英社プロダクション) »