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2011年12月

2011年12月31日 (土)

伊藤潤二『ギョ』 ('02、小学館)

 「今年もいろいろ、世話になったな。」

 290円均一の料理が並ぶ、豪勢な飲み屋の一角。さすがに暮れの最も押し迫ったこの日、昼間っから酒を飲むバカはそうそう居ない。
 改まっておやじに切り出され、古本好きの好青年スズキくんは頭を掻いた。

 「いやー、たいしたお構いも出来ませんで。
 それに、こうして年末最後のお買物で、掘り出し物もありましたし・・・。」

 スズキくんは、手に持った本を拡げて見せた。

 「華倫変『デッド・トリック(下)』!!
 去年の即買いは『高速回線は光うさぎの夢を見るか?』だったし、きみは年末、かならず華倫変を買う誓いでも立てているのか?」

 「いや、いや。単なる偶然ですけれども。
 ご存知の通り、華倫変は既に心不全で亡くなっておりまして、これが最後の作品辺りになる筈です。ボクの記憶では、確か死亡のニュースを聞いたのが、この作品の(上)が出た頃だった記憶があるのです。
 ですから、今日、(下)巻を見たときには、心臓と膵臓の間に新しい臓器が見つかったぐらいの衝撃を受けまして・・・。」

 おやじは、つまらなそうに酒を飲んだ。

 「フン・・・。既に単行本一冊分の原稿は出来上がっておったのだろうさ!
 それとも、なにか、死者が動いて原稿を寄越すとでも云うのかね・・・?
 そりゃきみ・・・まさに『ギョ』の世界そのものじゃないかね・・・?!」


 スズキくんが手を打った。蝶ネクタイを取り出す。

 「ハァーーーイ、よいこの皆さん。
 本日のお題は伊藤潤二先生、2000年代の傑作『ギョ』。名作『うずまき』に続き、「ビッグ・コミック・スピリッツ」に掲載された作品です。

 沖縄のリゾート地で、海から上がってそこらを歩行して歩く不審な魚が発見される。
 奇妙なことに、魚は既に死んでおり、立派に腐っていた。死体がなぜ動くのか?屍骸にガッチリ結び付いた奇妙な運動機械が、発生する腐敗ガスを動力源にして、意思を持っているかの如く、動き廻っていやがったのだ!
 これ一匹かと思いきや、漁船の網には大量の歩行魚類が掛かる。大型魚、イカ、サメ。連中は続々上陸してきて町中がパニックに!こりゃ、たまらん!」

 「まったくもって、奇想だな。」
 おやじがポツリと述懐する。「屍骸に寄生する特殊な細菌がいて、猛烈なガスを発生させる。このとき、強力な臭気を放つ。このガスを利用して機械仕掛けの足を動かし、敵を奇襲するのだという。旧日本軍の残した大バカ兵器だ。」

 「機械は勝手に増殖するらしく、奇怪な魚類の数は増すばかり。被害はやがて本土に飛び火し、九州、山口、四国、東海沿岸とドンドン混乱地域が北上していく。
 遂に首都圏上陸となった頃、外気に触れて急速に腐敗の進んだ魚類の屍骸は、溶けて流れて水になる。やれやれ、これで一安心と思ったら、足台機械は自ら意志を持つかのように、人間を捕獲し始めるのだった!」

 
「この作品をジャンル分けするとしたら、人類終末テーマに分類せざるを得ないだろう。
 物凄くバカげた世界の終わり方だがな!
 しかし、それなら、核兵器の使用がこの世を灰燼に変えるのはバカげてはいないのか?
 地球を何度も壊して、なお、お釣りがくる程、大量のエネルギーを人類が既に所持しているのは、完璧にバカげた状況ではないのだろうか・・・?」


 「潤二先生のいつもの作品の如く、主人公は男女二名。潔癖症(腐臭嫌い)の女と同棲中なばかりに、さんざんな目に遭う主人公は、なんでか細菌に対し耐性がある・・・(笑)。」

 おやじがピンと指を弾いた。
 「こりゃ、キミ、あれだよ。『トリフィドの日』の主人公が偶然流星雨を見ないで済んだから、盲目にならなかったのと同じ理窟だよ!
 ある、ある!そういう偶然って本当にありますって!」

 「対して、女の扱いはホント酷いですよ。ヒロインとは到底思えない。全裸の腐乱死体で、全身ガスで浮腫んで膨らんで、始終放屁を繰り返す。最悪。
 機械を動かす動力源は腸内に発生する腐敗ガスですから、この機械、死体の口と肛門にチューブを突っ込んで、これを採集する仕掛けになっている。」

 「このチューブが異様に太い、洗濯機の排水パイプみたいな奴でな!
 いや、こりゃ、アナルセックスのメタファーだろう、と言われても抗弁できまいって。」

 「普通に生身の間は、伊藤先生の描き得るマックス美女の造形なんですから、いやいや、陰惨な感じはより強調される訳ですよね。ひでぇ話だよなー。
 機械に合体した人間の姿は、なんだか、あれです。『漂流教室』に出てくる未来人のようにしか、見えません!」

 「仲間を襲って喰っちゃうあたりも、そっくりだよね。円陣組んじゃったりもするし。
 意図的にオマージュを捧げていると見て、絶対間違いないだろ。そもそも潤二先生、楳図賞出身の作家さんなことだし。里帰りってことで。」

 「嫌な里帰りだなー(笑)」
 歩行機械はそっから来てるとしても、途中でバカ博士が作り出す新種の飛行機械に到っては・・・。」

 「あぁ、あれ、フランスの匂いがするねー(笑)。ヴェルヌの初版の挿絵とかにあるでしょ。最初は縦長の気球というか飛行船プラス海老蟹メカなんだけど、機械人の仲間から排撃され、気球部分を撃ち抜かれると・・・。」

 「シャキン、と翼が生えて、宙に舞い上がって消えていく(笑)。
 こりゃ、もう、お前はジェットスクランダーか、という感じで、伊藤先生、こりゃもう完全にギャグの感覚で描いてるでしょう。本人がたぶん、一番受けてる名場面ですよ。マンガそのもので。
 そういうとこ、ホント憎めないんだよなぁー。」

 「しかし、きみ、このとき博士のメカは、攫った寵愛する美人助手をガッチリぶら下げて飛行している訳だが、そんな緊迫する場面に、美人助手のミニスカの中央に太いパイプがにょっきり生えている描写を見落としてはならない。
 美人助手は飛行中もしっかり、常時アナルを犯され続けているのだ。上のお口じゃ強制イラマチオもな!
 ゲヒヒヒヒ!!
 こりゃ、もう、たまんねーーーでガス!!!」


 「最低ですね(断言)。
 しかし、残念ですが、今回のあなたの指摘は実はマンガそのまんま。誇張なしの真実であるので、ボクも突っ込む余地がありません。品性の下劣さを指摘するのみに留めます。
 総じてこの作品、通常のセックスに飽きた中年夫婦が初めて使った大人のオモチャ的なアブノーマル感に溢れていますしね。
 うーーーん、やっぱり、道具っていいなぁー(笑)!!」

 「そうそう、ドラえもん”夜のひみつ道具”大全集ということだよ!」

 「例えば・・・?」

 「どこでもドアーーー!!!」

 「そのまんま、かい!!」

 「いや、これがねー、実にスグレモノ。ホントどこでも開きやがるんですよー。
 わかる?
 ♪あんなとこ、いいな、開いたらいいな、ってねー・・・・・・。」

 二名が下らない猥談にのめり込んでいる頃、彼方の寺では坊主の読経が始まり、鐘が何本か衝き鳴らされると、唐突に新しい年が明けた。
 何の感動もなかった。

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2011年12月30日 (金)

筒井康隆『七瀬ふたたび』 ('72、新潮社)

 年末につき蔵書を整理していたら、筒井康隆全集の17巻が出てきたので、ちょっと読んでみた。

 巻頭、嵐の夜、崖下を走るローカル電車で、超能力者・七瀬は他二名の超能力者が同じ電車に乗り合わせているのに気づく。

 ない、ない。
 どんな確率なんだ、それは。


 続く第二話。
 七瀬の勤めたキャバレーのバーテンは念動力を使う黒人で、客は透視能力者。

 ない、ない。
 さらにないよ、それ。
 世の中にどんだけ超能力使う奴、おるねん。


 無茶をやって、平気で知らばっくれる。これぞ大物の証拠かも知れない。

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2011年12月28日 (水)

ディーン・クーンツ『ファントム』 ('98、MILAMAX)

 最終的に見どころのない映画。
 かなり派手なことが起こるのだが、面白いことにならない。
 現代に撮られた50年代の怪獣映画。ならば視覚効果は頑張っている方だろう。お色気も人物の掘り下げも皆無なのは、ヘイズコードがまだ幅を利かせているから。きっと、そうに違いない。
 それでも、ちょいと面白いのは、以下の場面である。

【シーン抜粋】

 美人姉妹がアメ車転がして実家に帰って来ると、町中に人の気配が無い。
 ありふれた山間の田舎町なのに、犬猫の姿さえない。
 不安になって家に駆け込むと、家政婦が血を流して死んでいる。鍋はかけっ放しだ。顔を見合わせる姉妹。
 慌てて保安官事務所に駆け込むと、保安官が目を剥いて死んでいる。床に散乱する薬莢。なにかと闘ったのか。それにしても、ひどい死に様だ。

 ほかの家はどうか。
 近所の、老夫婦がやっているパン屋に行ってみる姉妹。準備中だったらしく鍵の掛かっている表口を避け、裏のお勝手口から侵入。
 パンを捏ねていたらしく、延ばし棒の両端を掴んだ手首が、千切れて落ちている。
 思わず顔を見合わせる姉妹。
 と、絶妙なタイミングで大きなパン焼きオーブンのタイマーが鳴る。チン。
 瞬間、緊迫する空気。姉はエイリアンを前にしたシガニー・ウィーヴァーのように、自分にブツブツ言い聞かせはじめる。「落ち着け・・・落ち着け・・・なんでもない・・・なんでもない・・・パンが焼けただけよ・・・パンが焼けただけなんだわ・・・」
 そろそろとオーブンの扉を開けに掛かる姉。
 固唾を飲み、見守る妹。(あたしら、なにやってんだろ・・?)
 開けると、普通にパンケーキが幾つも並んでいた。よかった。
 途端に。
 スロットマシンの大当たりのように、オーブン上段からゴロゴロ落っこちてくる、老夫婦の生首!
 
無念そうな表情で、グッと口を引き結んでいる。悲鳴をあげる姉妹。こける。

 生首の扱いが、なんだか、ぞんざいなところが素晴らしい。市川昆に影響を受けているみたいだ。

 この映画に出てくるモンスターは、人間以上の知能を持ち、犬やら蛾に擬態したり、吸収した者の姿に成り変って暴れたり、しまいに触手を生やしたり、派手なアクションやりたい放題なのであるが、最終的にどんな奴だったのか、何をしたかったのかさっぱり解らなかった。

 クーンツ。ダメな奴だなぁー、クーンツ。
 だいたい名前からしてダメっぽいぞ。クーンツ。

 無理やり上下巻にする必要などないから、もう少し内容を整理して来なさい。

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2011年12月27日 (火)

フランク・ダラボン『ミスト』 ('09、Weinstein co.LLLC,)

 ダラボンの映画は一本しか知らないが、『サ・フライⅡ~二世誕生』は傑作だった。
 ハエ男が恋に仕事にヒーローとして活躍し、最終的には蝿が直るという驚愕の結末を迎えるに到っては、ダラボンの根本的な性格の悪さを賞賛する他ないだろう。
 そして、さらにもう一段用意された意地悪すぎるオチ、「所長がポチの身代わりに檻で飼われる」には、いっぽん取られた心境。
 あれは当然ながら映画『フリークス』のパロディーだと思うんだが、そういう意味では、完璧である。完成度が高い。見事に嫌な気分にさせられる。
 お陰サマで、『フライⅢ』は、哀れ、命脈を絶たれたのであった。
 
 そんな男のひさびさの新作が、ゴリラ顔のホラー作家スティーヴン・キングの数少ない傑作のひとつ、「霧」の映画化とあっては、やはり観ておく必要があるだろう。
 
 「霧」は・・・発表当時は新しかったのだが、『バタリアン』がやって以降有名になってしまった、お馴染みの手口で描かれる、異次元からの侵略の物語だ。
 政府の謎の計画が、怪物を呼び寄せる。
 事態はあくまで一般市民の視点から描かれ、異変を分析する科学者や勇敢な軍人やなんかは(もちろん、美人秘書やなんかも)一切登場しない。従って、事件の科学的背景なんかまったく語られないし、俯瞰的な状況すら噂話程度にしかわからない。
 登場するのは、その辺にいる普通のおっちゃんやバァさん、バイトの若者たちなんかである。
 主な舞台は近所の大型スーパー。
 怪物に追われここに籠城するうち、主人公達は内部分裂とリンチによりどんどん追い詰められていく。
 リアルっちゃあ、リアルだが、なんか手抜き臭くも感じる。
 50年代にさんざん使われたサイエンスフィクションのいまどき風味な再利用。スクラッチ・アンド・ビルドということだ。この世に捨てるもの、なし。

 性格の悪いダラボンは、単にそれには終わらせず、終盤大ネタをかましてくる。

(※以下150%ネタばれ記述あり!!まだ観てない方は、近所のTSUTAYAに内臓出しながら全力ダッシュ!!) 

 先に言っときますが、あたしはこの映画のオチ自体はアリだと考える。
 論理的に辻褄が合っている。
 敵役にあたる霧の中の怪物たちが、無制限に反則を繰り返すデタラメな存在である以上、対峙する人間の側にはリアルな縛りを設定せざるを得ない。
 英雄行為はいっさい認めない。
 人間側に都合のいい救済は与えられない。


 暴力と迷妄の渦巻くスーパーマーケットを脱出し、あてどなく霧の中へワゴンで逃げ出した主人公グループ。
 老人2名、若い女、典型的なおっさんの主人公。それに、幼い息子。
 途中、主人公の家に立ち寄るが、既に妻は霧の中の昆虫生物の犠牲になり、とっくに死亡していることが確認される。(希望を奪うため、蜘蛛の糸に巻かれた屍骸をしっかり見せつける。)
 車を飛ばすうち、遭遇する異世界の巨大な生物。原作では最大の見せ場だが、人知を越えた目的すら測り知れない壮麗極まる威容は、見る者を圧倒する。
 大破した旅行バス。クラッシュしている車の群れ。
 死体。死体。生ある者はすべて死に絶え、沈黙と静寂だけが支配している。

 遂にガソリンが尽きて、霧の中で停止するワゴン。補給の方法はない。車外に出たら、一瞬で怪生物の餌食になってしまうのだ。

 黙りこくる全員の中で、津川雅彦似の老人がポツリと言う。
 「・・・わしらは、充分よくやったよ・・・。」
 老女が相槌を打つ。
 「そうね・・・充分、よくやったわ・・・。」

 沈黙。
 苦い表情のまま拳銃を取り出す主人公。
 「弾丸は4発しかない。われわれは、5人だ。」
 主人公の腕をそっと押さえる、助手席の若い女。
 「・・・心配するな。俺は、自分でなんとかする。」
 再び、沈黙。

 ここで、タケちゃんの『ソナチネ』そっくりのカット。
 車内で閃く拳銃の発射音。4発。
 号泣して、車外へ走り出す主人公。死ぬ気で、霧の中の怪物に声も限りと絶叫する。

 「カモン・・・!!カモン・・・!!」

 その悲痛な叫び声に答えるように霧の中から現れたのは、なんと米軍の戦車とトラックだった。
 呆然と見守る主人公を置き去りに、次々と通り過ぎていく救援部隊。ヘリも飛んでいる。火炎放射器が炎を噴き上げ、路上に残る異生物の残滓を焼き払っていく。
 いつの間に、晴れていく霧。
 主人公は呆然とし、表情をなくして路上に膝折り、固まっている。
 不審そうに近づくガスマスクの兵士ふたり。終幕。

 ・・・さて、事ここに到る重要な伏線は2箇所。
 
 オープニング、霧の発生時点で登場する主婦が居て、家に残した幼い子供が心配だから無理やりにでも帰る、と言い張る。当然、みんな反対する訳だか、彼女は無謀にも単身飛び出して行ってしまう。
 この女が子供連れで、救援トラックの荷台に乗っているのがハッキリ映し出される。
 主人公はその直前、自らの手で幼い息子を射殺している訳だから、この演出は見事な明暗のつけかた、というか究極にタチの悪い嫌味である。
 
 もうひとつの伏線は、脱出前夜、息子が「パパにお願い」する場面だ。
 高まる異様な緊迫感に寝つかれない主人公に、息子が寝床で話しかけてくる。

 「パパ。お願いがあるんだけど・・・。」
 「ん?」
 「どんなことがあっても、怪物にボクを殺させないで。お願い。」
 
 主人公の答えは当然決まっている。

 「あぁ・・・もちろんだとも。
 絶対、お前を殺させたりはしないよ!!」


 周到すぎる計算で、主人公は追い込まれていくのである。
 この映画に於いては、必然の成り行きとして、父親が息子を自ら射殺する。そして、自分は結局死ぬことが出来ない。

 同様の嫌味な演出としては、美人のパートの女の子が美貌を見せつけるおいしいラブシーンを演じた直後、昆虫の毒針に刺され、顔が倍以上に醜く膨らんで死ぬ、というのがあったが、総じてダラボン、嫌なやつ。

 私としてはこの映画の方向性に賛同するものであるが、最大の問題点は子供殺して以降、ズーーーーーーッと延々流れ続けるケルトの賛美歌みたいな曲である。

 これが、もう、最低!最悪!!
 

  変な余韻なしであっさり終わってくれりゃいいものを、もう、引っ張る。引っ張る。長すぎ。
 ダラボン、脚本家として優秀なのは解ったからさ、あの音楽だけはなんとかしてくれ。頼む。
 ピーター・ジャクソンの『ロード・オブ・ザ・リング』にもあんな演出、あったよな。

 映画のエンディングで、ケルトとかアイリッシュ流すのは、法律で禁止することを提言するものである。
 エンヤ、だめ!ゼッタイ!

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2011年12月24日 (土)

ラリー・コーエン『ザ・スタッフ』 ('85、NEW WORLD PICTURES)

 お金も無い。スターもいない。見せ場のひとつもつくれない。
 ラリー・コーエンの映画は、そんなものばかりだが、なぜだか最後まで観れてしまう。
 実に不思議だ。
 いつも監督・脚本を兼ねるコーエンの作家性の為せる技か。明らかに、どの作品もつまらないのだが。不思議と腹が立たない。

 突然変異の赤ちゃんが、出産されるや医者と看護婦を食い殺して逃亡する『悪魔の赤ちゃん』。
 ニューヨークの摩天楼に翼手竜の巣があった!『空の大怪獣Q』。
 処女懐妊で生まれた男は悪魔の手先か?『ディーモン悪魔の受精卵』。


 ・・・そして、この映画も、また。

【あらすじ】

 とろろが世界を征服する、史上初のとろろ侵略映画!
 
キャストもスタッフも理不尽な痒みに耐え、消費したとろろ芋の総量三千トン!史上空前のスケールで贈る、おかず・ぶっかけ系超大作!


 地中から湧き出してきたとろろ状の物体を、地元の観光名産として売り出したところ、大ヒット!全米で話題に!貧乏な採掘会社は一躍、上場企業へとのし上がる!
 そんな地方発のアメリカンドリームを面白く思わない連中がいた。おかずマフィアの存在である。
 マフィアは、元FBIの産業スパイを雇い、とろろ製造の秘密を探り出そうとする。既存の商品と何が違っているのか?明らかに中毒性があるようだが、そんな危険なものがなぜ認可され、全米で売られているのか?
 販売許可を出した米国食糧審査局の人間は、しかし、全員海外に飛ばされるか死亡するかしていた。あやしい。あやしすぎるぜ。

 産業スパイ・モーは、僅かな手掛かりをもとに、唯一存命している引退役人に会いに行くが、相手は目の前で大量のとろろを吐き出して絶命してしまった。しかも、死亡した役人の体内から出たとろろが動いている!床を這って逃げようとする!
 あまりの事態に驚愕していると、役人の飼っていた黒犬がやって来て、とろろを全部食ってしまった!
 しまった、せっかくの証拠が。臍を噛むモー。

 仕方がないので、角度を変えてとろろの宣伝を一手に引き受けている広告代理店へ。
 担当者が割と美人だったので、喜ぶモー。食事に誘うと、乗ってきたが、極度の貧乳のくせにマリリン・モンローが『七年目の浮気』で着ていた前開きドレスを着て来やがった。
 許せん。ぐやじい。
 彼女の情報で、今朝方とろろが並ぶスーパーで破壊行為を行い、しょっぴかれた少年の存在をキャッチ。事情を聞くため、自宅謹慎を喰らっている少年の実家へ行くと、とろろ狂いの家族一同が猛烈な攻撃を仕掛けてきた!
 さっそく華麗なる産業スパイテクニックで応戦するモー。そのへなちょこパンチを受けたお父さんの頭部がグシャッと破裂。お母さんは、廻し蹴りで胴体まっぷたつ。お兄さんに到っては、階段から足を滑らして勝手に自滅。弱い。弱すぎ。
 ところが、潰れた人体の内部からとろろが這い出し、次々と合体。巨大とろろアメーバと化して、家一軒飲み込んで襲い掛かる!
 ・・・が、間一髪、車で逃げた。

 こうなったら、製造元へ直接乗り込んで決着をつけてやるぜ!
 全米を襲うとろろ危機に、少年と貧乳を連れて立ち上がるモーだったが、飛行機で到着してみると、製造元の町は裳抜けのから。独り残っていたコンビニのおやじに聞くと、全員、裏山にある採掘会社で、住み込みで働いているという。いまどき、珍しい。
 敢えて正面から突撃し、宣伝部長の貧乳の顔とコネを利用して工場内部を見せて貰うと、製造ラインとは名ばかりで、パッケージをつくる包装部門と、とろろで満載の巨大な貯蔵タンクがあるだけ。
 いったい、とろろは何処から来るんだろ?
 輸送に使われているらしきタンクローリーを尾行していくと、山中の温泉場へ。とろろが地中から湧き出してくる!そこら一帯が、とろろ沼だ!こいつら、これを瓶詰めにして売っているだけなんだ!
 余りの手抜き工程に、怒りすら覚えるモー。くそー、おいしい稼ぎをしやがって!

 こうなりゃ軍隊を呼ぶしかない!
 モーは、いまだに共産主義勢力の脅威と自主的に闘い続けている近所の軍事マニアを呼びにいく。日本じゃサバゲーやってる程度の連中だが、さすがアメリカ、銃器もジープもフル装備!まさに、気違いにナントカだ!イェイ!
 勇躍、工場を占拠し、とろろ貯蔵槽を破壊することに成功したが、あふれ出た大量のとろろが工場施設や逃げ惑う人々を飲み込んで迫ってくる!
 この人類最大の危機に対し、突如、貧乳がご飯を炊き出した。彼女は実はかつて石原軍団に在籍していたキャリアの持ち主だったのだ。政治信条や立場の違いを乗り越えて、見事に一致団結する生き残り達。美しい。

 かくて、地球滅亡の危機は、満腹感と「お茶、お茶」の声と共に、見事回避されたのだった。

【解説】

 知能ゼロメートル地帯で撮られる映画には、なんとなく有り難味がある。
 貴重である、レアである、カルトであるといった説明可能なコレクタブル要素は一切含んでいないが、微妙なゆるい輝きを放ってしまうようだ。
 
 ダイヤの原石だって、研磨しなけりゃ只の石ころじゃないか。
 だが、それを磨いて精錬するだけが映画の進化の方法ではないのでは?必要なのは、未分化の存在を噛み砕かずにそのまま受け止める、一種野蛮な先祖帰りではないのか。
 ・・・って、昔、誰かが云っておりました。(たぶん、根本敬だ。)

 その通りだと思います。

 
特撮に故デヴィット・アレンの名前があるのが、いい感じ。安い仕事だが。それもまた、よし。

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2011年12月19日 (月)

高崎隆『オレってピヨリタン⑥』 ('97、秋田書店)

 ピヨリタンとは一体何者か?

 その問いに答える為に、まず表紙を眺めてみよう。まぁ、気長に。
 オレンジの水着かスポーツウェア一枚の女の子が大描きされていて、読者目線でウィンクしている。ポニーテールに結んだ髪は、緑色だ。目と鼻のパーツは配置を大きく崩れており、すなわち、このマンガが腐ったアニメ絵で構成されていることを物語っている。描き慣れた線ではない。人体バランスも悪い。完成度は高くない。
 (ということは、完成度の高いアニメ絵というのも存在する訳だ。好みはともかく。)
 しかし、重要なポイントであるが、彼女の乳頭は薄いウェアを突き上げて、くっきり浮き出している。
 
 エロだ。
 はっきり分かる、記号としてのエロ。中学生なら、鼻血ブー。

 秋田書店は『ふたりと五人』の昔から、少年雑誌というお座敷に下品なストリップを持ち込むことで有名な伝統があるように思う。
 その土着的な感性に直接お世話になった記憶はないのだけれど、例えば小学館が推進する、上条淳士の匂いのする小じゃれた流暢な線で描かれるマンガに対してまったく琴線に触れるものがない私からすると、秋田にはやはり何かがある。下品なサムシングが。下世話な下心が。
 直接、少年のリビドーに訴えかける、ダメな感じの何かが。

 さて、あらためて少年誌全般の周知のお約束として申し上げるが、たといジャンル分けでエロマンガと分類されても、直接の性行為は御法度。パコパコやり出した途端、作家はお払い箱になる。従って、寸止めが基本。つらい。
 (この法則を逆手にとったやはり秋田のマンガに、『すんどめッ!』ってのがありましたな。でも、あれは青年マンガ誌。) 
 エロマンガなのに交接できないとは、大人向けのマンガを読み慣れている人間からすると、随分不思議な法則に見えるだろうが、ま、読者の中には純真な小学生だっていますから。きっと。教育的配慮。建てまえ。
 (ガキなんか当然、全員、クソガキに決まってるんだが、親はなんでか絶対そんな風に思わないでしょ。少なくとも、女親に限っては。考えてみれば、よっぽどその方が不思議だ。)

 その不自然なリビドーの放水路として、『まいっちんぐマチコ先生』や『いけない!ルナ先生』などがジャンルの重要な分水嶺として誕生した経緯は、読者諸君もとっくに御存知の通りであるが、ここではもう少し、どうでもいい作品を積極的に取り上げて論考を進めたいのだ。
 そこにエロスの地下水脈が埋もれている気がするからだ。
 かくて、さほど深い考えも無く、私が適当に手に取ったのが、たまたまこのマンガだったということになる。
 諸君、運の悪い偶然に震えたまえ。

 ・・・それにしても、これは一体どういうマンガなのだろうか。

 「生まれたときから女をピヨらせる不思議なタッチの持ち主」池田順が、周囲の女子にタッチしまくるお話。
 それが、『オレってピヨリタン』の全てだ。
 なんという志の低さであろうか。奇跡の誕生を感じる。

 え?ピヨらせる、って何かって?
 
 昔のマンガでよくあるじゃないですか。「トムとジェリー」ぐらいの古典の時代から。
 ジェリーの落としたフライパンで頭部を強打されたトムさんの頭の周辺に、ピヨ~ピヨ~って星が回りますよね?
 あれです、あれ。
 主人公にタッチされた女の子は、意識朦朧となり、不思議な心地良さに包まれてグニャグニャ~ってなっちゃうの。
 ピヨピヨ~って、星を廻す代わりに、ひよこを飛ばして、ね。

 ま、一種の超能力なんですかね。
 「Oh!透明人間」が、何故透明なのか合理的に説明できないのと同じく、このマンガの主人公は、不条理ながらも、生まれついての特殊能力を持ち合わせちゃってる訳です。ご都合主義ながら。

 「これって、でも、代々木忠が実践してなかった?」

 そういう無粋な突っ込みは無用に願いましょう。
 新興宗教の手口とかにも類似するものは感じますが、これは性感マッサージの類いではありません。
 性的法悦を局所的に発生させる能力。同じじゃん!

 ま、それはともかく。
 主人公が非合理なほど強力な必殺技を持ち合わせていて、居並ぶ強敵(巨乳の生徒会長とか、水泳部の女教師とか)をことごとく打ち倒し、乳やら尻を揉んで揉んで揉んで去っていく・・・って、これって、実は何かに似てないか?
 そう、一見現代では絶滅したかに思われている、古典的な少年漫画の勝負のスタイル。例えば『赤胴鈴の助』だね。
 真空斬り。
 いや、かめはめ波だっていいや。

 実のところ、『ドラゴンボール』だって、なんだって、古典的な勝負の串団子構造という点では、往年のマンガと大差ないのであるが、これはもう、少年というものは常に勝負を求める生き物だから、しょうがないのだ。あきらめろ。
 勝負に勝つ為には、過酷な修業にも耐える。これも、同じ。
 
 だが、あるまじき点は、立派な志皆無の筈のピヨリタンですら、なんと修業してしまうことである。
 「よりよく高速でタッチし、堅いガードをかいくぐって、女の身体をピヨらせるために」!
 親戚の仙人に弟子入りしてしまうのだ!

 
 だいたい、親戚に仙人がいる家系もどうかしていると思うが、それ以前に、この行為、完全に犯罪ですから!
 確実に重要な法律に触れている。それも複数。未成年とはいえ、毎日学校でこうした犯罪行為を繰り返していたら、100%無事には済まないだろう。ピヨらせてエクスタシーに導けば主人公の勝利は保証されるだろうが、勝ってどうする?目撃者の記憶が消せるほど、超能力が豊富にある訳でもなさそうだ。
 だいたい、エクスタシー体験後の女性が何を言い出すか。これが、実は一番おそろしい。
 だから、ピヨリタンのいる世界は、この現実とちょっと異なる世界でなくてはならない。
 
 少年マンガの作者は、主人公の存在をまず全面肯定し、反証をぶつけ、ストーリーを盛り上げる。与えられた障害が大きければ大きいほど、主人公の特訓は過酷さを増し、最終的に得られる勝利の快感は絶大なものとなる。
 これが少年マンガの王道というものだ。

 では、主人公がれっきとした犯罪者である場合、その存在を肯定するためには、どういう救済手段が考えられるだろうか?
 困ったことに、ピヨリタンの立場は誰が見たって、性犯罪者なのだ。しかも主目的がタッチに限定され、積極的にそれ以上の深化はしない(=深入りしない)のだから、ある意味一番タチが悪い。
 主人公が、愉快犯。痴漢。
 こんなに世間一般の共感を呼べない設定も珍しい。(だが、お気づきだろう、ライトエロジャンルには、この手の作品がゴロゴロしている。)

 この状況を解決する唯一の方法、それは幼児性の導入。
 主人公の未成熟さを全面肯定すること。


 主人公は無条件で、可愛いのだ。だから、ピヨらせた相手にも愛される。笑って(もしくは怒って)、でも、不思議と許される。二枚目では同性の反感を買うだけだろうから、その存在は二枚目半以下が本当は望ましい。
 それでも、彼は中学二年生。それなりに身長もあるし、顔だって決してまずくない。平均的な、別にクソ面白くもねぇ普通の顔をしている。
 従って、ギャグ的なシーンで、主人公の身長は縮まなくてならない。等身を詰めたお馴染みの二頭身キャラ。いまだにださいアニメなんかで頻繁に使われてる手法だ。
 ちなみに、あたしゃ、あれが大嫌い。最低。最悪。誰が許可してお前は縮まってるんだ。国際オリンピック委員会に提訴したくなる。
 
 さて、このへんで纏めに入ろう。

 すべての願望充足ジャンルの作品に共通するのは、主人公が無条件に自己肯定を達成してしまっていることだ。この、「無条件に」が、社会規範の外側への逸脱も含んでいるのは、既に述べたとおり。
 欲望は、まず全面的に肯定されなくてはならない。それなくしては、池田順などというクソつまらない名前の主人公など成立しない。
 かくて、主人公は無制限に不毛な性のデスマッチを繰り返し、女体描写を積み重ねていく権限を与えられる。
 だが、積みあがるオッパイの山。地平線まで続く尻の行列も、結果として不毛の荒野。何のドラマも齎してくれない。そりゃそうだろう、倫理上の都合により直接的な性行為は排除されてしまっているのだ、妊娠もしなけりゃ、下手すりゃ生理描写すら存在しない。耐え難い臭いもない。安全地帯そのもの。
 それでも強引にドラマを求めようとするなら、主客の転倒が起こらざる得ない。
 よりよくピヨるということは、より強くなるということだ。
 手段が目的に。
 目的が手段に。

 かくて、逆立ちした状態(主人公が無敵)から始まったマンガは、単なる類型的な少年マンガと化す。見えない獲物を追いかけ始める。
 それを積極的に否定する必要もないが、われわれはいささかお馴染みのパターンを繰り返しすぎた。
 そういう反省はあって然るべきだと思う。

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2011年12月17日 (土)

スーザン・ピット「アスパラガス」 ('79、AmericanFilmInsttitutes.)

 スーザン・ピット?※1あらすじだって?
 何を考えてるんだ、お前は。というか、俺に何を喋らせたいんだね?例えば、

 夜こっそり女の部屋を覗き見すると、ケツからアスパラガスを出す女。
 女は窓から野生の畑を見る。彩りあざやかな庭。
 生えているアスパラガスを素足で弄び、やがて跨る女。
 

 こういう調子か。

 ここでのスーザン・ピットのイマジネーションは、なるほど、性的なものと結び付いている。具体的には野菜。ちょいとネットを検索して貰えれば、野菜オナニーの動画は腐るほどある。きみが食傷しそうなほど。だが、私が話題にしたいのは、ディルドー代わりのアスパラガスについてではない。
 メタファー。暗喩。
 そいつは、芸術の範疇に属する問題なんだ。

 外出。劇場。
 舞台裏に廻った女は、かばんに詰め込んだ花や昆虫、蛇を書き割りの空間に解き放つ。感嘆し、息を呑む観客。
 帰宅。
 顔のない女は、唯一ある唇にアスパラガスを含んでしゃぶる。



※1 アメリカの女性インディーズアニメ作家・画家。「アスパラガス」は彼女のデビュー作で、N.Y.ではリンチの長編『イレイザーヘッド』の併映だったという。 

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2011年12月16日 (金)

トビー・フーパー『悪魔のいけにえ2』 ('86、CanonFilms)

 昼飯がわりに、一杯のかけそばを啜りながら、古本好きの好青年スズキくんは食い下がった。

 「えー、感想ですかァ?
 ありえなくないですか、『悪魔のいけにえ2』?!」


 古本屋のおやじは満面に笑みを浮かべて安いカレーうどんを食っている。
 場面は昼食時間、彼らの働く軍需工場は束の間の休憩中。NC旋盤もドリルピッチャーもなりを潜め、のどかなモーツァルトなど流している。
 食堂は、社会の最底辺であえぐ工員労働者で寿司詰めだ。

 「一作目は、ボク、感心したんですよ。うまく嫌な感じを盛り込んで、疾走しまくる。性格の悪いジェットコースター・ムービーみたいなテイストで。さすが、伝説になるだけあるわなー、と。」

 おやじは、鼻を鳴らしている。

 「で、実は2作目があると聞いて、いったい、どうやって続編をつくるつもりなんだろう、と思いまして。
 だって、ある意味、一作目でネタは全部出ちゃって、しかも完全に燃焼しきっちゃってるじゃないですか。だいたい、あの全編漲るテンションを維持できるのかが最大の疑問符でして。
 そこで、期待して観たら、出てきたのは、コメディータッチのセルフ・パロディーだった(笑)!!
 エッ・・・?ガックシ!!バンザァーイ・・・なしヨ!!って心境ですよ!」

 一気呵成に喋ったスズキくん、コップの水を飲んだ。空気とお肌の乾燥する季節。
 おやじは、不気味に含み笑いを続けている。

 「ふっ、ふっ、ふっ。浅い。
 浅いなぁー。浅すぎ。浅野
内匠頭とはお前のことか。はげ。ちょんまげ。
 いいえ、あれはズラ。」


 「ムッ、まともに相手する気ないな!」

 「年喰ってくるとな、まともに説明するのがバカバカしくなるんだよ。

 どうせ、バカにはわかんねぇんだからな!!」

 意外と喧嘩っぱやいスズキくん、既に拳を握り固めている。
 
 「いいかね、低脳くん。
 この記事を書く前に、他所様のサイトをチラ見したら、キミみたいな単純バカが『いけにえ2』をクズ映画よばわりしていやがったんだがね。
 徹頭徹尾くだらない『いけにえ2』の素晴らしさが解らない奴が、元祖『いけにえ』の何処を見て、一丁前に偉そうな口をきいているのか。
 ひとつ、おじさんに教えてごらん。
 教えてごらんよ!」

 「・・・フランクリンの屍骸、ギャグ扱い。」

 むすッ、としたスズキくんが答える。「あれ、有りなんですか・・・?」

 「あり!

 大有りです!最高じゃないか!」


 おやじは胸を張って返事をした。

 「・・・それなら、もう、ボクから聞きたいことはないです。」

 スズキくんは食堂の机のしたから、チェインソーを取り出した。
 紐を思い切り引くと、エンジンが掛かり、鋸がリズミカルに回転し始めた。

 「あなたという存在をこの世から抹消するまでだ。
 ・・・最後に何か、言い残したことはないですか・・・?」


 「レザーフェイスが地元のFM局でな、ストレッチをレイプし損ねる場面。あすこで、お前はどんな風に感じた?
   
 ・・・笑ったか?笑ったろ?
 
 それがすべての答えだ!!!」


 突如、ふところから太い黒のチェインソーを取り出したおやじ、振り降ろされたスズキくんの黄色いチェインソーをガッキと受け止める。
 反動で逸れた刃が、ガギギギギとテーブルを削り取り、さらに食卓に載せられた食器類をバビビと粉砕。ひぇっ、と立ち上がった間抜けなデブのはらわたに食い込んだ。
 
 「ぐえええええ!!!」

 腸を巻き取り、肉を抉り取る鋭利な切っ先に、死のダンスを踊るデブ。愉快、痛快。
 迸る鮮血を浴びたスズキくんの顔は、直ぐに悪鬼の形相に。

 「あ~~、とうとう、やっちまったー!
 

 こういう残念な感じ。この感じが『いけにえ2』の真価なんだよ!
 この残念さがわからない奴に、『いけにえ』を語る資格などないわ!
 逆に、いけにえにしてやる!むしろ!!」

 「なにを、この、トンチキ野郎!返り討ちにしてやるぜ!」

 昼食時間。
 依然、何食わぬ顔でモーツァルトが鳴り響いているのが、物凄い間抜けだ。
  

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2011年12月13日 (火)

『ある日、どこかで』 ('80、Universal)

(※事前にご注意。以下の文章は完璧にネタばれである。) 

 正直申し上げるが、たいした映画ではないのだ。
 
 リチャード・マティスンの原作はどう贔屓目に見ても、ジャック・フィニィーの換骨奪胎だし(ならば大甘だが「愛の手紙」の方が良いような気がする。映画向きではないが)、監督に到っては、きみ、『燃える昆虫軍団』の男だよ。ヤノット・シュワルツ。代表作『ジョーズ2』ですよ。どっちも傑作ですけども。

 それにしてもこの映画を好きな連中が多いのには驚いた。どいつも、よう泣きやがる。たぶん、同世代の連中だな。お前ら、アホの集まりか。中学のとき観た映画が最高、なんて堂々と宣言するなんて、人間として恥ずかしくないのか?
 ・・・ないか。そうか。

 と、毒づいてばかりいても仕方ないので、少し分析めいたことを述べることにする。
 この映画を好きな連中は畢竟、主演の美男美女に騙されているのである。
 クリストファー・リーブ。
 スーパーマンだね。こりゃ、ちょっと文句ないよね。二枚目、しかもいい奴。
 ジェーン・シーモア。
 『バミューダの謎』で海亀と一緒に泳いでた女だよね。残念だが、可愛いね。認めます。
 で、テーマは、時を越えた果たされぬ恋愛、と来る。
 こりゃ、完璧だ。
 まいった。
 観客は自動的に彼らの味方につく。

 この映画のプロットはお粗末な欠陥品であり、微塵も説得力がない。
 タイムトラベルの方法も、60年前のファッションに身をつつんでひたすら自己暗示を続ける、非常に危険な方法。そりゃ、この映画全体がリーブの妄想って解釈も飛び出すわな。
 ネタを割るけど、なぜ、コインを見た途端現代に引き戻され、1912年に二度と戻れないのか、根本的にわからない。
 コケの一念?ならば、なんでもう一度時間の壁を越えられないんだ?
 
 答えは簡単。

 作者が、時間旅行という反則技を、自分に都合のいい道具としてしか使っていないから。
 この二名は、引き離されるべくして離されるんです。それで泣け、と言われても困る。
 虚構の中に非現実を持ち込むとき、一番慎重に警戒すべきところを、あまりに無自覚にやってしまっている。詰めが甘い。甘すぎる。藤子Fに土下座しろ。

 ・・・って、まぁ、甘口もたまにいいじゃないですか。
 白昼夢みたいな、美男美女の恋愛をボケーーーッと眺めるのも、あんたにはいい薬ですよ。

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2011年12月11日 (日)

金平守人『エロ漫の星(下)』 ('11、少年画報社)

 素直に感動できる、よいマンガではないかと思う。文部省推薦にしたいぐらいだ。

 人は何かを信じる。何かを信じて生きていく。その何かが、エロ漫画であってもよいのではないか。
 ならば、ひとつ、エロ漫の星を目指そうではないか。
 なに、くだらない?
 確かに。
 だが、おおむね、人が本気で信じているものは、驚くほどくだらないものばかりだ。

 このマンガは上下巻に分かれていて、上巻はテクニック編だというから、もともと“エロ漫版「サルまん」があってもいいじゃないか”的な企画でスタートしたものだと思うが、本家に同じく、実はマンガとして一番面白いのは、解説部分ではなくて、ストーリーが具体的に立ち上がっていく過程である。
 言い換えれば、作者の本気汁が出始めてからだ。
 それは、信仰の告白である。
 
 具体的にきみを救ってくれたものはなにか。過酷な競争社会の中で、先に進むのをためらうとき、落ち込み心が壊れそうになったとき、きみは何に救われたのだったか。
 今となってはさっぱり思い出せない遠い昔に、電線を見上げ、星に祈ったことはなかったか。
 人はどんな手段を使っても、生き延びていく。
 その何かがエロ漫であったとしても、誰にそれが笑えるだろうか。


 私がしたいのは、二次元とかリア充とか、そういった話ではない。
 それは瑣末の議論だ。本質はそこではない。
 そこに読者がいるかぎり、マンガは続いていくだろう。その事実に私は恐怖し、安堵する。
 なんて時代に生まれちまったんだ。

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2011年12月 7日 (水)

『アライバル・侵略者』 ('96、LIVE Film&Mediaworks)

 地球温暖化は宇宙人の侵略計画の一環だった!

 そんな男子中学生なら全員納得の大胆なアイディアを、捻りを加えず、ストレートに映画化!
 結果として、「アメリカ人って、やっぱりバカばっかりか?」「なぜ、自分は棚上げで一切反省しないのか?」と世界的に妥当な評価を獲得した傑作がこれだ!

 『プラトーン』でお馴染みチャーリー・シーン(以下チャリ坊)が、ダメな中年男を熱演。電波の研究者という知的なのか判断に迷うような役柄で登場するが、われわれがふと気がつくと、いつものミリタリージャケットに戻っているのだった。

 そういう意味では、なんとなく憎めない仕上がり。

【あらすじ】

 NASAに勤めるチャリ坊が、郊外の天文台でアンテナをくるくる廻していると、宇宙からの怪電波をキャッチ!
 こいつは事件だぜ!
 同僚研究者をせき立てて記録を録り始めたら、途端に電波はフェイドアウト。
 こいつは、怪しからん事態だぜ!
 最近、美人の彼女も出来て下半身事情も休まる暇の無いチャリ坊だったが、宇宙は一回の射精より重要だろう。わずかにDAT録音できた謎の信号を上司に提出し、さらなる徹底した調査を願い出た途端・・・・・・。

 チャリ坊は、即クビ!
 天文台はFBIを名乗る男たちに捜索を受け、あらゆる記録は没収される。
 しかも、イカす美人の彼女はロスへ御栄転が決定。


 こいつは、何かある。
 背後で蠢く、超国家規模のどす黒い陰謀の影を感じるぜ!
  完全に人間を信じる気を失くしたチャリ坊は、ケーブルテレビの作業員を装い、近所のBSアンテナを勝手に接続しまくり、インディーズ精神溢れる巨大パラボラアンテナを作り上げる。(もちろん、無届け。)
 スイッチひとつで、連結されたアンテナが自在に動き、怪電波の発せられた星を捉えるのだ。その間、テレビをご覧の皆さんがどうなっているのかは不明。普通に考えて抗議殺到だろう。
 こいつで、やつらの秘密を暴いてやるぜ!
 
 かくして、近所のご好意に一方的に甘えた身勝手な調査を続けること数週間。遂にあの怪電波が再び発せられるのをゲット!
 今度こそ記録に残して、世間をアッと言わせてやるんだぜ!
 鼻息は荒かったが、テープを回し始めた途端、電波に混じるやけにご陽気なチカーノ・ミュージック!
 「えッ・・・?!
 
メキシコ人だ!メキシコ人が乱入してきやがった!!」
 
そして、数十秒で電波はまた途絶えた。

 (・・・んー、なんだか、さっぱりわからねぇー。)
 今度はチャリ坊、もう少し、慎重に事態を考えてみた。
 
 謎の星からの送られてくる電波 → 同じ波長帯を持つ、地上波のラジオ放送の存在 → 両者、実は交信している?!

 驚愕の結論に思い至ったチャリ坊、なけなしのお小遣いを叩いて、メキシコへ向かう飛行機に乗った。
 しかし機内でスチュワーデスは、冷たかった。膝にコーラをこぼしやがった。ちくしょう。グヤジイ。
 でも、大人だろ?グッと我慢なんだぜ!
 週刊プレイボーイの袋とじグラビアを破いて覗いているうち、窓の向こうにメキシコの緑の大地が見え始めた。

 「あぁ、お探しの放送局・・・?
 それなら、昨夜の火事で、マルヤケーーーノ!!全焼しました!ビバ!」
 
 現地に着いても御難続きのチャリ坊、いきなり問題の放送局は既にこの世のものではなかった。火事現場に立ち尽くし、確かにきな臭い匂いを嗅いだ。
 こりゃ、名実共に迷宮入りなんだぜ!
 絶望に駆られ、ホテルでおばちゃんをナンパするチャリ坊。ロスへ行ってしまった彼女は音信不通だし、ここらで旅の垢でも落とさなきゃやっとられまへん。
 おばちゃんは実は地球環境を調べている学者だった。どうりでメガネ。萌え~。
 即、ベッドイン。

 
 「いきなりでかい話して悪いけど、地球全体の温度が上昇している話、知ってる?」
 
 「え?・・・地球全体っすか?マジすか学園?」
 
チャリ坊は、腰を動かし続けている。
 
 おばちゃん、冷静に喋り続ける。
 「ここ数年、ありえないレベルで大気中に二酸化炭素の排出量が増えているの。森林が伐採され減少し、都市や工場が増えて、地球環境に急激な大変動が起こっているわ。
 わたしは、これを地球温暖化現象と名づけました。特許出願中よ。」

 「地球・・・温暖化・・・。なんか、いいっすね!」

 「あ・・・!イイ!で、二酸化炭素が増えた原因だけどね。どうもこの一帯にある工場プラント群が関係しているらしい。」

 「ふふん、もう我慢できねぇだろ?自分でクリをつねって、イってみろよ?!」

 「ああ・・・!!このまま異変が進行すると、南極・北極の氷が溶けて海水面が上昇。呼吸可能な酸素は減少。あと数年で人類が生存できないレベルになってしまうわ!!」

 「地球が大変なのは解ったけどな、あんた自身、今たいへんなことになってるんじゃないのかい?」

 「アーーーッ!!アーーーッ・・・!!
 「イクーーーッ!!
ヤルクーーーツク!!」


 性描写はフィニッシュまで書かないときれいに完結しないようだ。
 事を終えてご満悦のチャリ坊、ところがどっこい、謎の刺客が放った黒い蠍に股間を刺されて、おばちゃん、あの世に逝っちまい。
 もう、イヤだ。いい加減にしろ。完全ブチキレて、チャック全開で刺客を追うチャリ坊。完璧にやつあたりモード。
 あやしいおっさんを追うチャリ坊、メキシコ名物「死者の日」のパレードと正面衝突。髑髏、ドクロ、どくろ。画面に散乱する骸骨、3千体。
 その混乱の中、刺客はふいに関節を折りたたんで、逆に返すと、人類ではありえない超高層ジャンプで向かいの屋根に飛び上がる。

 「おい!そりゃ、明らかに反則なんだぜ!」
 「#$%&???」

 不思議なものでも見るように、チャリ坊を見つめる非人類の体操選手。建物の裏手に悠々と消えていった。
 
 翌日。復讐の炎を胸に、おばちゃんの教えてくれた工場プラントに単身乗り込むチャリ坊。
 中心部にはV字構造の巨大なビルがある。さてはここが本拠地か。警備員のおっさんが機関銃片手に哨戒している。やけに警備が厳重だ。
 フェンス際の藪に身を潜めて、潜入の機械を窺っているうち、ウトウト。
 気がつくと、すっかり真夜中。そろそろ、なんとかするべぇと身を起こした途端、地面が大きく揺れた。
 ビル正面の地面が割れて、地中から巨大なアンテナが伸びてくる。
 さてはこいつが本当の怪電波の発信源。
 焼き討ちされた放送局はダミー、もしくは偶然同じ波長帯を使っていたので、消されたな!
 なんか、もう、全部わかっちまったんだぜ!
 こいつは宇宙からの侵略だ!

 勇んで乗り込むチャリ坊だったが、あっさり警備員のおっさんに捕まり、宇宙人の秘密基地に連行されてしまった。

 その頃、カリフォルニアのチャリ坊の家では、頼んでもいない掃除会社がやって来て、家中丸ごとキレイにしていった。ありがとう。

【解説】

 俗っぽい陰謀史観が被害妄想とブレンドされるこの作品においては、チャリ坊以外の登場人物が大半、宇宙人もしくはその手先という極端な結論を叩き出す。
 宇宙人は人間そっくりにモーフィングできる装置を持っているのだ。逆関節なのに。人工皮膚では、それ、隠せないだろ。痛そう。

 理屈を家に置いて来れば、楽しめる作品。もしくはバットで頭部を強打。名作。

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2011年12月 4日 (日)

パフューム『JPN』 ('11、徳間音工ジャパン)

 血は信じられる。恐怖は信じられる。
 ならば、パフュームはどうか。実のところ耳當りのいい適度な音楽に過ぎないのでは?過剰に放射線物質を含んだか細い雨が降るしきる街に私は出かける。すべてが濡れそぼち震えている。空に光は見えない。不自然なほどでかい人間が道幅いっぱいに拡がって歩いている。吐き気を誘う臭いがさっきから流れているように思うのは、錯覚だ。感覚器官が狂い始めているのだ。明滅するネオン。人工的な汚染が進む。
 かわいいもの。美しいもの。
 そんな胡散臭いだけの存在に何かの価値があるのか。私の知っている最高にかわいい音楽は例えばシャーマン兄弟のペンになる「トゥルーリー・スクランプシャス」だ。映画『チキチキ・バン・バン』の挿入歌。前半は姉と幼い弟、本物の子供二人が歌っていて、ま、本物だからこれが可愛いのは当然として、相乗効果というのは怖ろしいもので、ヒロインの結構いい歳のおばさんが声を張り上げて歌う後半まで可愛くなってしまう。曲がいいんですよ。ジャズの根っこが生えてはいるものの、異常に覚えやすいメロディーの親和力と普遍性。アメリカの夢は誰の夢?ってね。
 たぶん、きみがCDを買い続けている限り、J-POPの時代は終わらないだろう。
 それがいいことであれ、悪いことであれ。私は人がなぜ作品を買い続けるのかを知りたいだけなのだ。がっかりするに決まっているのに。それについて語り、議論をし、最終的に仲間達は離れていく。永久に続くものがあるとすれば、それは一条の光芒。瞬間的なきらめき。逆説的だが、本当にもう、ただそれだけ。
 
 意外と律儀な性格の私は、せめてもの罪滅ぼしに楳図かずお『闇のアルバム2』を同時に購入するのだった。

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2011年12月 3日 (土)

『この子の七つのお祝いに』 ('82、松竹-角川春樹事務所)

 「この世に、酷いこと、つらいことがなかったら、善いことにどんな意味があるというの?
 幸福もないわ。」

 (ストルガツキー兄弟『願望機』)

 日本映画が誇る“負の球体”、岸田今日子の魅力が爆裂する傑作である。今日子様は妄執に憑かれた狂気の母親を演じ、軽くひとさらいを一発こなして他人の娘を拉致、監禁。キラーマシンに仕立て上げる殺しの英才教育を施す。
 そう考えると、これは実は「レディーウェポン」シリーズと同じ構造を持っていることになるのだが、あちらが殺人に到る経緯を極めてライトに、ビジネスライクに描いているのと比べ、今日子様は重低音の呪い節。呪詛の連続合奏。恐怖のつるべうち。
 人を殺す行為の重さを考えるなら、どちらが正統かつ真剣だか、きみにもわかるだろう。
 増村保造。
 やつは、本気で人を殺す気なんだ。

 今日子様は、娘が七つになった年の元旦。娘に晴れ着を着せると、手首と頚動脈を掻き切って自殺。素晴らし過ぎる展開に拍手喝采だ。
 そこから一挙に映画は現代に飛んで、室田日出男の刑事、毎度お茶目な杉浦直樹、豪快すぎる名古屋章(オレにとって「AKIRA」といえば、名古屋章である)、ラブホテル経営者で二郎さんまで顔を出す。楽しい。楽し過ぎる。
 岩下志麻の固すぎる演技は、たぶん増村の要求を素直に反映しすぎた結果なんだろう。 
 この人に気違い役をやらせると、妙に光るのは、『悪霊島』に於けるシャム双生児のミイラをかき抱いてのオナニーシーンであなたもご記憶かと思うが、今回も会津の伝統工具をフル活用しての多彩な連続殺人に挑戦。一種のツールボックス・マーダーであるが、申すまでもなく、毛唐のライトなスラッシャーとは比較にならない、抜けが悪く末代まで後を引くような、嫌な感触に溢れた殺人劇を見せてくれる。

 お正月映画に最適。さすが、松竹。

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