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2011年12月27日 (火)

フランク・ダラボン『ミスト』 ('09、Weinstein co.LLLC,)

 ダラボンの映画は一本しか知らないが、『サ・フライⅡ~二世誕生』は傑作だった。
 ハエ男が恋に仕事にヒーローとして活躍し、最終的には蝿が直るという驚愕の結末を迎えるに到っては、ダラボンの根本的な性格の悪さを賞賛する他ないだろう。
 そして、さらにもう一段用意された意地悪すぎるオチ、「所長がポチの身代わりに檻で飼われる」には、いっぽん取られた心境。
 あれは当然ながら映画『フリークス』のパロディーだと思うんだが、そういう意味では、完璧である。完成度が高い。見事に嫌な気分にさせられる。
 お陰サマで、『フライⅢ』は、哀れ、命脈を絶たれたのであった。
 
 そんな男のひさびさの新作が、ゴリラ顔のホラー作家スティーヴン・キングの数少ない傑作のひとつ、「霧」の映画化とあっては、やはり観ておく必要があるだろう。
 
 「霧」は・・・発表当時は新しかったのだが、『バタリアン』がやって以降有名になってしまった、お馴染みの手口で描かれる、異次元からの侵略の物語だ。
 政府の謎の計画が、怪物を呼び寄せる。
 事態はあくまで一般市民の視点から描かれ、異変を分析する科学者や勇敢な軍人やなんかは(もちろん、美人秘書やなんかも)一切登場しない。従って、事件の科学的背景なんかまったく語られないし、俯瞰的な状況すら噂話程度にしかわからない。
 登場するのは、その辺にいる普通のおっちゃんやバァさん、バイトの若者たちなんかである。
 主な舞台は近所の大型スーパー。
 怪物に追われここに籠城するうち、主人公達は内部分裂とリンチによりどんどん追い詰められていく。
 リアルっちゃあ、リアルだが、なんか手抜き臭くも感じる。
 50年代にさんざん使われたサイエンスフィクションのいまどき風味な再利用。スクラッチ・アンド・ビルドということだ。この世に捨てるもの、なし。

 性格の悪いダラボンは、単にそれには終わらせず、終盤大ネタをかましてくる。

(※以下150%ネタばれ記述あり!!まだ観てない方は、近所のTSUTAYAに内臓出しながら全力ダッシュ!!) 

 先に言っときますが、あたしはこの映画のオチ自体はアリだと考える。
 論理的に辻褄が合っている。
 敵役にあたる霧の中の怪物たちが、無制限に反則を繰り返すデタラメな存在である以上、対峙する人間の側にはリアルな縛りを設定せざるを得ない。
 英雄行為はいっさい認めない。
 人間側に都合のいい救済は与えられない。


 暴力と迷妄の渦巻くスーパーマーケットを脱出し、あてどなく霧の中へワゴンで逃げ出した主人公グループ。
 老人2名、若い女、典型的なおっさんの主人公。それに、幼い息子。
 途中、主人公の家に立ち寄るが、既に妻は霧の中の昆虫生物の犠牲になり、とっくに死亡していることが確認される。(希望を奪うため、蜘蛛の糸に巻かれた屍骸をしっかり見せつける。)
 車を飛ばすうち、遭遇する異世界の巨大な生物。原作では最大の見せ場だが、人知を越えた目的すら測り知れない壮麗極まる威容は、見る者を圧倒する。
 大破した旅行バス。クラッシュしている車の群れ。
 死体。死体。生ある者はすべて死に絶え、沈黙と静寂だけが支配している。

 遂にガソリンが尽きて、霧の中で停止するワゴン。補給の方法はない。車外に出たら、一瞬で怪生物の餌食になってしまうのだ。

 黙りこくる全員の中で、津川雅彦似の老人がポツリと言う。
 「・・・わしらは、充分よくやったよ・・・。」
 老女が相槌を打つ。
 「そうね・・・充分、よくやったわ・・・。」

 沈黙。
 苦い表情のまま拳銃を取り出す主人公。
 「弾丸は4発しかない。われわれは、5人だ。」
 主人公の腕をそっと押さえる、助手席の若い女。
 「・・・心配するな。俺は、自分でなんとかする。」
 再び、沈黙。

 ここで、タケちゃんの『ソナチネ』そっくりのカット。
 車内で閃く拳銃の発射音。4発。
 号泣して、車外へ走り出す主人公。死ぬ気で、霧の中の怪物に声も限りと絶叫する。

 「カモン・・・!!カモン・・・!!」

 その悲痛な叫び声に答えるように霧の中から現れたのは、なんと米軍の戦車とトラックだった。
 呆然と見守る主人公を置き去りに、次々と通り過ぎていく救援部隊。ヘリも飛んでいる。火炎放射器が炎を噴き上げ、路上に残る異生物の残滓を焼き払っていく。
 いつの間に、晴れていく霧。
 主人公は呆然とし、表情をなくして路上に膝折り、固まっている。
 不審そうに近づくガスマスクの兵士ふたり。終幕。

 ・・・さて、事ここに到る重要な伏線は2箇所。
 
 オープニング、霧の発生時点で登場する主婦が居て、家に残した幼い子供が心配だから無理やりにでも帰る、と言い張る。当然、みんな反対する訳だか、彼女は無謀にも単身飛び出して行ってしまう。
 この女が子供連れで、救援トラックの荷台に乗っているのがハッキリ映し出される。
 主人公はその直前、自らの手で幼い息子を射殺している訳だから、この演出は見事な明暗のつけかた、というか究極にタチの悪い嫌味である。
 
 もうひとつの伏線は、脱出前夜、息子が「パパにお願い」する場面だ。
 高まる異様な緊迫感に寝つかれない主人公に、息子が寝床で話しかけてくる。

 「パパ。お願いがあるんだけど・・・。」
 「ん?」
 「どんなことがあっても、怪物にボクを殺させないで。お願い。」
 
 主人公の答えは当然決まっている。

 「あぁ・・・もちろんだとも。
 絶対、お前を殺させたりはしないよ!!」


 周到すぎる計算で、主人公は追い込まれていくのである。
 この映画に於いては、必然の成り行きとして、父親が息子を自ら射殺する。そして、自分は結局死ぬことが出来ない。

 同様の嫌味な演出としては、美人のパートの女の子が美貌を見せつけるおいしいラブシーンを演じた直後、昆虫の毒針に刺され、顔が倍以上に醜く膨らんで死ぬ、というのがあったが、総じてダラボン、嫌なやつ。

 私としてはこの映画の方向性に賛同するものであるが、最大の問題点は子供殺して以降、ズーーーーーーッと延々流れ続けるケルトの賛美歌みたいな曲である。

 これが、もう、最低!最悪!!
 

  変な余韻なしであっさり終わってくれりゃいいものを、もう、引っ張る。引っ張る。長すぎ。
 ダラボン、脚本家として優秀なのは解ったからさ、あの音楽だけはなんとかしてくれ。頼む。
 ピーター・ジャクソンの『ロード・オブ・ザ・リング』にもあんな演出、あったよな。

 映画のエンディングで、ケルトとかアイリッシュ流すのは、法律で禁止することを提言するものである。
 エンヤ、だめ!ゼッタイ!

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