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2011年11月20日 (日)

川島のりかず『私の影は殺人鬼』 ('88、ひばり書房)

 殺しに迷いがない。鉈包丁がスパッと閃いて、人体がサクッと切れる。

 マンガを成立させるお膳立て、ストーリーや登場人物の設定などをいっさいがっさい不燃ゴミとして焼却処分した上で、川島のりかずは純然たる殺意を描こうとする。
 ここにあるのは、殺しの為の殺し、アート・フォー・アートセイクだ。純粋なものは美しい。ゆえにこれは傑作である。
 確かにかなり呪われているが、それは読者であるわれわれが一般社会の規範にどっぷり首まで浸かっているせいだ。殺してはいけません。そんなこと、当たり前だ。
 社会を成立させているのは、相互理解と規約、調和である。ルールを維持するための交渉と懲罰である。つまりは万事コミニュケーション行動だ。
 前置きもなく、いきなり鉈でザックリ斬ってしまうのは、非常によろしくない。 

 だが、ひとつ、曇りのない目で真実を見据えて欲しい。
 もっともらしい正論が物事を本当の意味で解決したことなど、有史以来一度たりともあったろうか?(「十代しゃべり場」が、と言い換えてもいい。)

 話し合いが事態を紛糾させるばかりで、誰も結局救わないとしたら?
 とことん虐げられた人間が、恨みを晴らす正統な手段をあらかじめ奪われていたなら?
 もっともらしく平等さを押し売りする社会が、最終的に無力で、嘘と欺瞞に満ちたまったく信用するに耐えないシロモノだとしたら?


 この社会の問題の大半は、殺しによって解決できるのだ。死んでしまえば問題ない。

 そんな負の側面に特化した真実の物語を、川島のりかずは超適当に語りかけてくる。われわれは、その事実に戦慄するばかりだ。
  あぁ、おそろしい。かつて、こういう歌が流行った時代があった。

 ♪殺し、殺されて生きるのさ。
 
【あらすじ】

 夜の電車は、都会の雑然たるネオンの洪水から離れ、暗闇の中へ走り出していく。
 小学生岩本典子は、ひとり、一年前住んでいた地方都市へ向かっていた。
 車窓に映る彼女の横顔はフラット過ぎて、到底深いアンニュイを宿しているようには見えないが、彼女が旅に出るのにはつげ義春が放浪するより重たい理由があったりはするのであった。
 (※つげが放浪する本当の理由は、以下の言葉に集約されるように思う。これまた、ひばり書房刊、なかのゆみ『血に染まる月下美人』あとがき、「天才マンガ家つげ義春先生にお会いして」(!)に載っていたつげ先生の発言だ。「不安なんですよ。」)

 ・・・・・・一年前。
 絶望的ないじめられっ子だった典子は、クラスの女子三人組に主に雑巾と掃除にこだわった特殊な種類のいやがらせを受け続けていた。

 掃除当番の身代わりを頼まれる。
 断ると、顔を踏む。
 叩く。
 蹴る。
 雑巾を口に突っ込まれる。
 繰り返し。
 
 「なぜ・・・?!
 なぜ、常に、掃除絡み・・・?!」

 
鼻水とよだれを大量に垂らしながら、典子がこすり続けたもので教室の床は別の意味でワックス掛けが成され、テカテカと光り始める始末。

 「岩本さん。・・・ここ、汚れてる。」
 「ハイ、ハイ。ハイ、ハイ。」
 「ちょっと、あんた、なめてるでしょ?“ハイ”は一回でいいのよ!」
 「ハイ、ハイ。」

 
また、殴られた。

 担任教師は、墓場鬼太郎がマヌカン気取りでワンレングスに伸ばしたような、異様な髪形をしており、異様な髪形の持ち主の典型としていじめの解決にはまったく役に立たない。
 泣いて帰ってきた娘に気づいた母親が幾度陳情しても、いじめた相手すら特定できていない始末。刑事ならとっくにクビだが、教師なら許される。どうも、この辺に我が国の教育現場の抱える深刻な問題の病巣がありそうだ。
 (どの辺かといえば、そう、髪形だ。)

 「いいの・・・あたしが、ちょっと我慢をすれば済むことなんだから・・・」

 同情するクラスメートに対し、けなげに言い放つ典子だったが、既に目が死んでいた。
 
 そんな戦時下ヴェトナムのような悲惨な状況の中、クラスメートの財布が紛失するというお決まりの事件が発生。
 これまたお約束ではあるが、教師は生徒全員の持ち物検査を実施し、盗まれた財布は典子所有のマディソンスクエア・ガーデン・バックから発見される。
 嫌疑は当然、典子にかけられ、濡れ衣だと主張してもまったく聞いて貰えなかった。

 「ヒソ・・・ヒソ・・・」
 「典子が犯人だったなんて・・・」
 「人は見かけによらないわね・・・」


 「ち・が・う!!あたしは、やってない!!」
 
 クラスに蔓延する猜疑心の嵐の中では、どんな抗議も無駄。髪形のおかしい教師の単純過ぎる決めつけに、典子の母親も怒って公式に学校に抗議申し入れをするが、まともに取り合っては貰えなかった。

 ところで、典子の家はプレハブまがいの平屋建築で、土間と叩きのついた長方形の建物だ。
 道路に面した側に愛想のない灰色のブロックを積んだだけの塀が立てられ、舗装のない砂利道と申し訳程度の粗末な庭を分断している。
 昭和50年頃まではこうした長屋まがいの家は、まだあちこちにあった。住宅公団が分譲し庶民に配給したのは、無個性で耐久性に乏しい、屋根がにび色に塗られた木造の粗末な住居だった。区画で数個同時に建てられ、貧しいよく似た家族が入居してきて、やがてもっとましな環境を求めて出て行った。
 日本の経済状態はまだ右肩あがりの成長を続けており、人々の所得が増えるにつれ、こうした貸し住宅は潰され、もう少し見栄えのするモルタル塗りの建売一軒家に変わっていく。

 典子の家族がそんな旧態然とした貸家になお住み続けていたのは、彼女の家が圧倒的に貧乏だからであった。
 父親は、工場勤務。
 母親は主婦業の傍ら、裁縫で内職。
 稼ぎが少ないわりに攻撃的な父親は、口答えばかりする娘をよく殴った。酒に酔って暴れることもあった。
 だが、そんな家は当時ざらにあり、格別彼女の家庭が暗く荒んだものだったわけではなかった。この国の大多数がまだまだ貧しく、苛つきながらも勤勉に働き、日々を送っていたのだ。
 
 そんな家に、ある日突然、ボタ石を満載にしたトラックが突っ込んで来る。

 家屋は半壊、母親は落ちてきた梁の下敷きになり重傷。
 とある建設工事に絡んで、立ち退きを迫られていた典子家族だったが、生来負けん気の強いひねくれ者の父親が応じないと見るや、敵はいきなり強硬手段に打って出たのだ。
 相手は、町の建設成金、大野。
 恰幅のいい、非情な顔つきの典型的な悪党だ。金持ちの悪党の常として、自宅では豪奢なガウンを着用し、ワインを飲む。

 「岩本さんよ、ここらで折れねぇと、すべて失うことになるぜ!」

 先日も大野の使い、黒服・サングラス着用のスジ者が黒塗り乗用車でやって来て、ガラスを割り、憎憎しげにそう言い放って立ち去ったばかりだったのだ。

 「バッカヤロウ!!ウジ虫は死ね!!」

 その時は口先だけは威勢良く、言葉を返した典子の父だったが。
 妻は即刻入院。絶対安静。自身も包帯だらけになってしまった父は、すっかり弱気になり、しょげ返る。
 その傍らで、これまた包帯で腕を吊った典子、
 
 (ちくしょう、大野のヤツめ!ぜったい仕返ししてやる!)

 メラメラと復讐の闘志を燃やすが、なにぶん非力な女子小学生略してHJS、さしたる活躍も出来ぬまま、やがて数ヶ月。
 母親が退院すると、一家揃ってこの町を出て行った。

 ・・・それから一年。
 東京の片隅にようやく落ち着く場所を見つけた家族は、新しい暮らしにも馴れ、多少の明るさを取り戻しつつあるように見えた。
 しかし、理不尽な仕打ちを受けっぱなしだった典子の心は暗く歪み、受けた傷を癒しきれてはいなかった。
 というより、深い水底で澱み続けた感情の激流が迸る大瀑布となって、かつての加害者ひとりひとりの血行を停めに行かんとする、危うい精神状態の絶壁へ追い込まれつつあった。

 (来い・・・。)

 (この場所へ、戻って来い・・・。)


 内面の声に呼び立てられるかのように、夜の電車に乗り、かつて住んでいた町へ。

 この町がどこなのか、のりかずは明確な手掛かりを与えてくれない。
 駅舎の建物は線路上に不自然に張り出している(駅に到着する電車をメインに構図を決めた為だと思われる)し、ポケットに手を突っ込んだ冴えないサラリーマンやOLが散開して帰路に着く駅前は京王線辺りの、急行に飛ばされる駅のよう。
 さらに駅前から見た町の中心部は、4~5階建て程度の丈の低い無個性な雑居ビルが並び、並ぶ商店には歩道幅のアーケードが連なっている。これはご存知の通り、西武線沿線などに特徴的な構造である。
 そこから閑散とした住宅地へ踏み込むと、あっという間に道路の舗装はなくなり、路肩に旧い石碑が残るような田舎道に変貌する。年輪を重ねた樹木、瓦屋根のどっしりした家。
 次カットで突如、が顔を出すが、対岸の黒い山陰はすぐ間近に見えるので、まるで湖のようにも解釈できる。しかし、トーンで暗く塗られた水中には、幾本も海苔養殖の為の杭が打たれ架け棚が渡されているので、やはりこれは海でいいのだろう。中国・広島辺りの風景に酷似して見える。
 そろそろ、「のりかず、手元の資料を適当に繋げて風景描写こなしてるだろ」疑惑が真実味を帯びてきたが、無節操な風景写真の流用はここでピークを迎える。
 闇夜に浮かぶ京都五重の塔。修学旅行か。

 以上のデタラメを一切を無視して、クールに思い詰めた典子は夜の一番深いところへ足を踏み入れていく。

 にゃあ、と路肩で片目の猫が鳴いた。
 不吉だ。
 むしろ、不吉極まる、と云っていい。
 背後に煌々と照りつける満月を背負って、猫の影がくろぐろと地面に落ちており、その向こう側に、かつて馴染んだ風景がそのままあった。 

 廃墟と化しているのに、まだ取り壊されていない、かつて自分の住んだ家。
 あの運命の日、トラックが突っ込んだ大穴もそのままに、その場所でそいつは待ち構えていた。 

 「・・・よく来たわね。あなたは、わたしが呼んだのよ。」

 廃墟と化した家の中で、黒い影が手招きする。
 全身真っ黒で、鋭い双眸と吊り上がって笑う凶悪そうな白い歯しか見えない。身の丈は典子とさして変わらないが、不定形に伸び縮みするようで、壁いっぱいに膨れ上がったりもする。影法師そのものの特性を備えているのだ。

 「・・・あなたは、だぁれ・・・?」

 怯える典子。
 正体は解っているのに、絶対認めたくない。
 
 「フフ、知ってる筈でしょ?あなたが思っている通りの存在よ。
 今日は、あなたに面白いものを見せたくて、来て貰ったの。」

 
 影の声は怜悧で、曖昧さがまったくない。

 「この家がなぜ、事故当時のまま残っているのか。わかる?」

 確かに不自然だ。
 そもそも事の発端は、悪徳土建屋の大野が、マンションでも建てる積りでこの土地一帯に目をつけたのが始まりだった筈だ。
 なぜに工事は着工されていないのか。
 黙って睨みを利かせている典子に、影はフフンと嘲るように鼻を鳴らし、

 「私が呪ったからよ。」

 ズバリ、言った。
 あまりの単刀直入さに突っ込みを入れる余地もない。
 こいつ、できる。
 典子は持ち前の警戒心をさらに強める。

 「下見や測量の段階で、既に原因不明の事故が多発したわ。そして、連中がおっかなびっくり工事を始めたところで、」

 ザ ク リ ッ。

 「大野工務店の社員レベルの奴の片目に、ガラスの破片を突き刺してやったわ。もちろん、大判サイズの切れ端よ。眼底までしっかり届くように、角度はなるべく鋭角にしてね。
 それ以来、この土地に足を踏み入れた者は、皆んな片目を潰されるの。」
 
 典子は先ほど目撃した猫の姿を思い出し、心中凍る想いだった。
 影はまったく意に介さない様子で、

 「さぁ、私についていらっしゃい。ツィッター!」

 「え・・・?ツィッター?」

 「黙ってツィートしてればいいのよ!行くわよ!」

 ふたりは歩き出した。
 まともな道を外れ、藪を掻き分けて細い農道を進む。影は地理を熟知しているようで、夜目では捉えにくい雑草に覆い隠された分岐も躊躇いはしない。
 典子は、自分自身がそうだから、影もきっと同じなのだろう、と思った。

 「・・・あなた、あの事件の真相を知りたくない?」

 「あの事件・・・って?」

 「お財布盗難事件。あなたの名誉が名実共に完膚なきまでに息の根を絶たれた忌まわしい出来事よ。あの日から、あなたはクラスで少数の理解者すら無くし、失意と絶望の日々を送ることになったんじゃないの。
 まさか、忘れたの?」

 忘れたくても、忘れられない。
 だが、典子は気丈にかぶりを振って、

 「いいの。もう、どうだっていいの。」

 「本当に・・・?」

 影は暗がりでニンマリと笑ったようだ。白い歯が三日月状に大きく歪んだ。

 「さぁ、着いた。これが真実の法廷よ。」

 黒々と洞穴が口を開けていた。
 その上はちょっとした崖になっていて、戦時下の農民がこの場所を防空壕に使い、その後も農具や何やの収納場所として重宝されていたのを、典子は瞬時に想起する。

 「あなたは隠れてらっしゃい。良く見える場所にね。フフフ。」

 影はひとり、暗い穴倉へ入っていった。奥で、ヒッという押し殺した叫びが漏れた。
 典子が素早く岩陰に身を隠すと、後ろ手に縄で縛られ、数珠繋ぎになった小学生が三名、影にうながされて洞窟から現れた。
 あいつらだ。
 あたしをいじめて、雑巾を喰わせてた奴らだ。

 典子は思わず、ギュッと手を握り締める。

 影は、隠れている典子の位置が正確に解るらしい。丁度いい場所まで来ると、罪人達を止めた。

 「ホホホ。さぁ、一年前のことを話すのよ。
 クラスで財布が無くなったとき、本当に盗ったのは、あなたね?」


 真ん中に括られたキツネ目の少女が震えだした。

 「ち・・・違うわ!!」

 瞬間、影の平手が少女の頬を張った。パン、と乾いた音が山中にこだまする。
 勢いで少女は地面に跳ね飛ばされ、バランスを崩した仲間達もつられて転がる。地面は冷たく夜気を孕んでいた。

 「嘘をおっしゃい。
 あなたは、お財布を盗った。そして、先生が手荷物検査を始めると知って(そりゃあ、あなたが自首しなけりゃ何処かからお財布が出てくる訳がないわね)、慌てて典子のマディソン・スクエア・バッグの中に隠したのだわ!!」


 少女はキツネ目を潤ませて半泣き。
 残りの二名に顎をしゃくり、

 「それを知ってたあなた達も、共犯よ。罰を受けて貰う。」

 これが裁判ではなく、一方的な処刑であると知って、慌てふためく少女達。尤もらしい申し開きの余地さえ与えられないのか。
 影は唐突に屈み込み、手前の少女の細い足首を捉えた。何をされるかわからない少女が、ヒクッと一瞬動きを止めたとき。

 バキバキ、バキ、バキ。

 力任せに捻りあげて、少女の足首を折り切った。
 おそろしい怪力だ。
 切断するというよりは、捻じ切るに近い動きで、皮膚は無惨に裂けて血が噴き出し、白い骨がびきんと飛び出した。

 「・・・・・・!!」

 襲い来る激痛に呼吸が停まり、のたうつ少女。
 典子自身、驚きで声も出せない。だが、その瞬間脳内で、全裸に葉っぱ一枚の南原清隆が踊り狂うのが見えた。

 (やった・・・!!YATTA・・・!!やったわ・・・!!)

 影はためらいなく正確に処刑を遂行していく。
 次の少女の腕を逆拉ぎに取って、関節の望まない方向へ思い切り、引っ張る。

 「ギ、ギヤァァァァァァーーーッ!!」

 限界を越えた痛みで視界は一面、真っ赤に染まる。
 ブチン、ブチンと内部で腱の弾ける音がして、腕はだらんとぶら下がった。
 仲間達がありえない悲鳴を上げる横を、恐怖に駆られたキツネ目の少女は這いずって逃げようとする。
 影は傍らの石ころを持ち上げると、少女の両膝蓋を叩き割った。
 軟骨の潰れる、嫌な音がした。

 火の付いたように泣きじゃくるいじめっ子達を見ながら、典子は心中快哉を叫んでいた。

 「あんた達・・・」

 処刑を終えた影は、重々しく宣告した。

 「誰かに私のことを話したら、承知しないよ。今度は、生命を貰う。」

 ひくついて動けない三人を残し、影は一直線に典子の隠れている物陰にやって来た。
 息ひとつ乱れていない。
 この程度の刑罰を下すのは朝飯前といった感じだ。

 どう・・・?見た?」
 
 「・・・見たわ・・・・・・。」


 あまりの残虐さに言葉を接げない典子に、影はにこやかに微笑んだようだ。
 
 「じゃ、次行くわよ。ついておいで。ツイッター!!」


 影は先頭に立って歩き出した。

 

 


(つづく)

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