ロバート・カークマン『ウォーキング・デッド』 ('11、飛鳥新社)
海外、微妙なゾンビ物。誠実ならいいってもんでもないだろうけど、丁寧にとある警官の家族を中心とした集団ドラマを構築していく。
序文にもある通り、「“バタリアン”よりロメロの“ゾンビ”」を取るという選択が、すべてを決定している。平たく言えば、ゾンビ物といえども真面目にやろうってことだ。
そう退屈な作品でもないのだが、例えば、作中いかにもシリアルキラーに見える人物が実際にシリアルキラーである、というのは如何なものか。想像力が欠如していないか。そして、主人公の妻があからさまに身勝手な人間であること、主人公の持つ妙な執念深さ。こいつらがゾンビに喰われてしまえば話が早いのに。
そもそも原典ジョージ・A・ロメロのゾンビ映画の主人公は、どいつもこいつも、力はあっても周囲からまったく理解されない孤独な人間ばかりではなかったか。
たとえ軍人といえども、組織に逆らうような反体制の匂いを撒き散らしていた筈だ。
だから、この警官の主人公はロメロというより、矮小化された『ショーン・オブ・ザ・デッド』に近い。現世に倦み、疲れ切っていないってことだ。
そういう人物が、ゾンビ発生という異常事態に投げ込まれても、あまり同情は出来ない。これは仕方ないことだろう。
ところで、BOOK1の画家が妙に泥臭い画風で、いまどきコレは・・・と思っていたら、BOOK2であっさり交代。ミニョーラ風の影をつける人にチェンジされていたのには、笑った。
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