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2011年10月

2011年10月27日 (木)

ロバート・カークマン『ウォーキング・デッド』 ('11、飛鳥新社)

 海外、微妙なゾンビ物。誠実ならいいってもんでもないだろうけど、丁寧にとある警官の家族を中心とした集団ドラマを構築していく。
 序文にもある通り、「“バタリアン”よりロメロの“ゾンビ”」を取るという選択が、すべてを決定している。平たく言えば、ゾンビ物といえども真面目にやろうってことだ。
 そう退屈な作品でもないのだが、例えば、作中いかにもシリアルキラーに見える人物が実際にシリアルキラーである、というのは如何なものか。想像力が欠如していないか。そして、主人公の妻があからさまに身勝手な人間であること、主人公の持つ妙な執念深さ。こいつらがゾンビに喰われてしまえば話が早いのに。

 そもそも原典ジョージ・A・ロメロのゾンビ映画の主人公は、どいつもこいつも、力はあっても周囲からまったく理解されない孤独な人間ばかりではなかったか。
 たとえ軍人といえども、組織に逆らうような反体制の匂いを撒き散らしていた筈だ。
 だから、この警官の主人公はロメロというより、矮小化された『ショーン・オブ・ザ・デッド』に近い。現世に倦み、疲れ切っていないってことだ。
 そういう人物が、ゾンビ発生という異常事態に投げ込まれても、あまり同情は出来ない。これは仕方ないことだろう。

 ところで、BOOK1の画家が妙に泥臭い画風で、いまどきコレは・・・と思っていたら、BOOK2であっさり交代。ミニョーラ風の影をつける人にチェンジされていたのには、笑った。

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2011年10月26日 (水)

細野晴臣『はらいそ』 ('78、アルファ)

 悪い悪い。時間がないんだ。手短にね。

 今週の私のフェイヴァリット、『はらいそ』。繰り返し聴いております。要はパラダイスっちゅーことやね。フィービー・ケイツの。クラウンレコード時代の二作『トロピカル・ダンディー』『泰安洋行』は、ちょっと前に未発表ライブ(映像付き)でボックス発売されたから、大きいお友達は皆仕入れたことと思う。あたしも買ったが、実はあんまり聴かなかった。あの二枚は単品でさんざん聴いてたからね。残念ですがいまさら感がございました。
 可哀相なのは、トロピカル三部作完結篇なのに、(たぶん権利関係だろうけど)未収録となった『はらいそ』の立場である。

 諸君、『はらいそ』を見直そう!

 
ある意味、実はイイぞ!三部作の中でいちばんギャグ寄りだ。ヤケクソのような「フジヤマ・ママ」の歌舞伎調というか相撲甚句的なボーカルは、人を舐め切っていて痛快。無理やりとしか表現できない「ファム・ファタール」の強引なラテンへの落とし込みには盛り上がるしかあるまい。あんな不自然な曲はないよ。一番感動的なのは、ベタな歌謡曲的コミックソングとして演奏される「安里屋ユンタ」である。旋律の強さ、曲の良さが逆光りして見える。
 このアルバム、坂本・高橋が参加しているので、よく“YMOへの前哨戦”と書かれて迷惑しているが、全然関係ないでしょ。書いた奴、全員坊主。
 
 はっきり明言しておくが、『はらいそ』の評価が低いのは、横尾忠則のジャケットの出来が良くないからである。
 
お前に抗弁はさせない。議論は無しだ。ゴチャゴチャしたコラージュ。格好良くない。
 三部作の中で一番スマートでいいのは、断然『トロピカル・ダンディー』のジャケです。

 ・・・って、何の話をしているかだって?
 音楽の値打ちの半分以上はパッケージデザインの良し悪しで決まるんだよ。
 
お前、そんなことも知らないのか。いいジャケットを手に入れたなら、もう名盤への道を歩み出したも同じなのさ。
 なに、iPodにジャケットデザインは関係ない?
 ご愁傷様、「このツールは音楽の聴収形態を根本的に変革するだろう」とほざいたハゲは俺が地獄に案内しておいた。
 お前は、憎んでも、憎んでも、憎んでも、憎みきれない奴だと俺は高く評価している。有り難く思え。

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2011年10月25日 (火)

白石晃士『口裂け女』 ('06、角川映画)

 「・・・あたしを、切れ・・・!」
 

 と、派遣社員のOLが言った。

 「・・・なんでやねん。」と上司は呟き、また仕事に戻った。

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2011年10月23日 (日)

『双頭の殺人鬼』 ('59、ロパート・ピクチャーズ)

 誰が観てもバカげているフィルムに何らかの存在価値はあるのか。
 答えは、たぶん消極的な“イエス”。
 誰もがバカを観たがっている。慢性的にディスカウント化が進行し、効率のよい経済原理への従属が求められる現代社会において、何の為につくられたのかまったく意味不明な存在、「誰に観せたいのか」「この映画のテーマは何か」など数多くの疑問を呈示する正体不明の作品には、細いながらも確固たる需要がある筈だ。それが単なる隙間産業に過ぎないとしても。
 
 この世の主成分は、およそ信じがたい戯言によって出来上がっているのだから。

【あらすじ】

 冒頭ナレーション。
 「これからお話するのは、最近、東京で実際起こった事件の全貌です。」
 「あまりに怪異すぎて、俄かには真実だと信じられないかも知れませんが、私は確かにこの目で見た。」
 「双つ頭を持つ恐怖の殺人鬼の、その顔を!!」

 仕事、また仕事で極東を飛び廻ってきた米国某新聞社の海外特派員ラリー・スタンフォードは、取材で訪れた博士の研究所(富士山の火口壁近くに聳える、単なる山小屋)で謎の注射を打たれて、恐怖のモンスターに変身した!
 
 宇宙線と地熱の平和利用を唱える博士は、趣味の人間改造が嵩じて、既に実の弟ケンジを獣人に、愛する妻エミコを片目が垂れすぎたアバンギャルドな狂女にトランスフォームさせていたのだが、結局いずれも失敗。彼らは最早人間とは呼べない、精神に回復不可能のダメージを負った、社会的にかなりの困ったちゃんに成り変ってしまった。
 博士は彼らを檻に閉じ込め、なお研究を続けていたが、ケンジは鎖を引き千切って脱走。近隣の露天風呂を襲い、湯治に来ていた熱海の芸者衆を全滅させてしまった。
 (無惨にも、お湯に浸かりながら事切れている芸者たち。高く結った髷が痛々しい。って、普通髪は下ろす筈。バカ度アップ。)
 現場へ踏み込み、短い苦悩の末、あっさり銃の引き金を引いて弟ケンジを射殺する鈴木博士。非情である。こいつケンジの兄の癖に、自分はロバートと名乗っていのだから、ふざけている。

 「あいつは完全な失敗作だった!」
 「今度は、紛うことなき傑作を作り出して、奴らに目にもの見せてやるのだ!」
 「なぁ、エミコ!!」


 ウキャラキャラと狂った笑いを響かせる狂女。
 ここで言及される“奴ら”とは何者か。映画は明確な回答を与えてくれないが、まぁ学会だとか、広い意味でのニッポン社会とか、徒党を組んだ組織っぽい感じの連中という理解で間違いないだろう。
 かくて、取材に来たラリーは酒と称しておかしなクスリを飲まされ、寝ている間に右肩に正体不明の病原菌を注射されてしまう。

 異変に気づかず、東京に戻ったラリーは人柄が変わった。
 ニューヨークに残してきた妻を気遣う、真面目で優しい夫だった筈なのに、上司に無断でフレックスタイムで出勤し、ノーネクタイ、ワイシャツの胸元は常にはだけて昼間っから酒を飲む。というか、常に飲んでいる。それもスコッチとかバーボンとかではなくて、S・A・K・E。日本酒。まったくニッポンは最高だね。
 そんなラリーのもとへ、ロバート博士が訪ねて来る。赤坂で芸者を集めてパーティーを催し、接待の限りを尽くす博士。月が出た出た、月が出た。芸者と共に踊り狂うラリー。やっぱニッポン最高。あの変な青いユニフォームだってうっかり勢いで着ちまいそうだぜ。HA-HA-HA!
 にこやかに芸者の膝を撫でていた博士は、ここで最終兵器として自分の愛人タラを投入。同伴・お持ち帰り可。太っ腹過ぎ。すっかり意気投合したラリーとタラは男女混浴の銭湯へ向かうのであった。
 (赤坂にあるこの銭湯、実際行ってみると、混浴とは真っ赤な偽り。男女別れて衝立で仕切られた個人風呂で、ラリーしょんぼり。) 

 一方ラリーとの国際電話で異変に気づいた異様に勘のいい妻は、急遽来日。さすがドル高の強み。しかし、夫は滞在先のホテルに不在。気遣って駆けつけた夫の上司に嫌味を連打で言いまくっていたら、ホロ酔い加減でタラを抱いてホテルへ帰って来た夫ラリーとバッタリ。あちゃー。

 「・・・あーた!なによ、その女は?」
 「ん・・・コレか、コレはなぁ、地元の観光協会の人だよ。親切に名所旧跡を案内してくれて、宿まで送ってくれたんだ。」


 そんなワケはない。
 東シナ海の如く大荒れになる妻。上司の渾身の説得にもまったく耳を貸さない大物過ぎるラリー。怒ったタラちゃんは、イクラちゃんでもないのに「バブー!」と叫びながら鯛子さん宅へ帰っちゃうし。
 面白くないラリーは部屋中のグラス(※ホテルの備品)を叩き割ると、深夜の町へ飛び出して徘徊。当て所なく夜の街を歩いていると、真夜中なのに大声で読経しながら歩いていく怪し過ぎる坊主の大集団と遭遇。フラフラ附いていくと、これが潰れかけの廃寺に入った。
 水木しげるなら今夜この寺で妖怪達の大集会が、となるところだが、そんな捻りの利いた展開はあろう筈もなく、本殿に座った僧侶がひとり、ごく普通に読経を開始。

 「はぁー、むぅーだぁーらーく、さんぼーだーいら、あらくぅーだばぁー・・・」

 日本人にも何を云っているのかわからない。
 しかし、これがラリーのハートに火を点けた。居並ぶ無数の仏像。わけても仁王にズームイン。カッと双眸を見開いた凶悪すぎる仁王のご面相に、苦痛に歪むラリーの顔が下手糞なモンタージュで重なると、アレふしぎ、ラリーは獣の容貌に変わっている。
 寺院(テンプル)。
 呪文。
 変身。

 エキゾチシズムに対する西洋人の理解は、インドだろうがハイチだろうが迷いのない直線道路を描いている。まったく素晴らしい寛容さである。
 唸り声を上げて、土人の如き真っ黒い顔で僧侶を羽交い絞めにし、殺害するラリー。
 ジェリー伊藤の警部が通報を受けパトカーで飛んできたときには、奴の姿は既に闇に溶けている。


(つづく)

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2011年10月19日 (水)

4シーズンズ『シェリー/ビッグガール・ドント・クライ』 ('94、ACE)

 今週の私のフェイヴァリット。フランキー・ヴァリの裏声は冴えまくりだよなぁー。
 「シェリー」といえば彼らの62年のデビューヒットであって、続く大ヒット曲「ビッグガール・ドント・クライ」を含む、二枚のアルバムをカップリングしたのがこのCDだ。

 正しい聴き方がわかると、この人達のサウンドの麻薬性がわかる。
 これは、爆音で聴け。
 ヘッドフォンで大音量。外部は試していない(実は機材がない)のでわからんが、たぶんそれは凄いことになる筈だ。怖いなぁー。
 音楽性は、いわゆるドゥーアップ方面から出てきたポップスね。名曲「ホワイ・ドゥー・フールス・フォーリン・ラブ」のカバーからもお判りの通り、それはもう、由緒正しい正攻法です。
 だと思う。
 実は昔「サウンドストリート」で山下達郎がドゥーアップ特集をやってたのを聞きかじってた程度の知識しかないのだが。フランキー・ヴァリはその場でよくかかってたな。
 (あぁ、この人「きみの瞳をタイホする!」じゃないや、「きみの瞳に恋してる」のオリジナルで有名な人、ね。そういえば。)

 まぁ、そんなこんなで中古屋でこのアルバムと「フランキー・ヴァリ・ソロ/タイムレス」のカップリングを購入したワケですよ。アルバムのカップリングをデュアルで購入。うわ。アルバム4枚分の音源やないかい。
 アイポ(私はiPodをこう呼んでいる)に数千曲のデータを入れて持ち歩いてる諸君、それだけはやめとけ。そのデータ容量は諸君の知覚の許容範囲を越えている。お前ら、全員一休さんじゃないだろ。碌な末路を迎えないよ、きみは。ジョブスだってハゲが嵩じて死んでしまったじゃないか。マックって本当呪われてるよなぁー。

 で、購入当初はソロの方がよく聴くかなと思っていたんですよ。ジャズ寄りの渋めのアレンジが多くて、楽曲もそれ風で。でも予想はあっさり覆された。
 「シェリー」、凄い。
 裏声、エラい。

 歳を喰ってくると、不思議と出なくなるらしいんですよ。裏声。試しに、自分でも今実験してみましたら、本当でした。
 ということで、若い人は頑張って、精子ばかりでなく、裏声も出しまくろう!

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2011年10月18日 (火)

ショーン・タン『遠い国から来た話』 ('11、河出書房新社)

 ショーン・タンの新作。
 なんか調子に乗って、10月に来日までしてくれたみたいよ、こいつ。

 これは絵本みたいな体裁の本であり、絵本みたいな文化を愛好する諸君の推薦図書にうっかりされてしまいそうな、微妙な立ち位置にある本だ。
 というか現行の大型書店の本棚分けでは完全に海外絵本コーナー送りにしかなるまいよ。あきらめたまえ。
 
 だが、しばし、待たれよ。
 絵本みたいな文化全般に嫌悪感を隠しきれない諸君!
 もっともらしい形式ばかりで結局何も重要なことなど云っていないじゃないか、と尤もらしい世に蔓延る高級文化指向に対して唾を吐きかけたくてたまらない、正直かつワイルドかつ単細胞で、この世の幸福に喰いっぱぐれたチンケな慌て者の貧乏人諸君よ!

 これは諸君にこっそり捧ぐララバイである。
 諸君がこの本の狙っている読者対象なのである。
 どうか、この世の隅で、こっそりページを捲ってみて戴きたい。

 これは空想的な絵画を描くことの価値を、再度問い直す本だ。
 空想的な絵画にはもちろん、価値がある。
 だが、世に氾濫する類型的な表現は、その価値を薄めて、薄めて、さらに水で割ってトイレに夜中に流してしまった。あぁ、もったいない。

 ということで、この本はそういう迂闊な連中へのカウンターパンチである。
 口絵を開いて、まぁ、見てやって欲しい。

 暖色系で纏められた巨大なペイヴメントに割烹着で水を撒くおばさんがいて、影が地面に伸びている。長々と這うホース。さらに手前にはポツンと鳥の巣箱。
 道路の向こうには手漕ぎボートが一艘、赤い服の女を載せて宙に浮かんでいる。その舳先には大振りなカモメが一羽留まって、進行方向に頭を向けている。木のボートの舷側には植木鉢が並んでいて、そのすぐ真上に浮かんだ小さい雲からピンポイントで雨が降り、葉っぱを濡らしている。


 私はこの絵を見た時点で、降参だった。してやられた。
 これに続く、巻頭の掌編「水牛」が、これまた完璧である。この水牛のデザインは凄い。これを考えた時点でアイディア勝ちだ。まいった。
 だから、わりと期待通りに落ちる「エリック」(交換留学生の話)には、逆にホッとさせられたくらいだ。

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2011年10月17日 (月)

レニー・ハーリン『ロングキス・グッドナイト』 ('96、カロルコ)

 各国首脳は否定しているが、メガフォースの存在は明らかだ。同様に、『ロングキス・グッドナイト』が傑作であることも。

 レニー・ハーリンの映画はかつてやたらと地上波でオンエアーされていたので、そこのあなたもご覧になっている筈だが、はて、ご記憶かな?
 一番有名な『ダイ・ハード2』を思い出して貰えれば幸いだが、誰が見たって無理がある豪快過ぎるアクションを、ゴリゴリと極太バイブのように押し込んでくる、男らしいにも程があるバカ映画監督である。ビールに目がなくて、胸毛の濃いタイプの。今では絶滅危惧種だろう。
 彼の映画は、知的欲求には一切応えてくれない。ヴァーホーベンのように捻りが利いているわけではない。しかし、その愚直な魂の咆哮は、われわれの脳の眠れる半球に極めて効果的に作用するようだ。
 すなわち------「もっとバカを観せてくれ!」

 そのバカが一種突き抜けて、感動を呼ぶレベルに到達したのが『ロングキス・グッドナイト』である。
 一介の家庭の主婦が(おっと、彼女は学校の先生もやってたな!)実はC.I.A.の凄腕エージェントだった、という間抜け極まりないシナリオをレニー・ハーリンは胸を張って堂々と演出する。
 襲い来る危機また危機!水車に括りつけて拷問!氷上に銃弾を連射して高所落下!機銃掃射で吹っ飛ぶおっさん!出てくるヘリは全部墜落!
 でも、それは単純にジェットコースター・ムービーの派手派手な楽しさとも違っていて、なんていうか、とっても身体を張ってる感じのするものなのだ。
 いじらしい、というか。健気というか。

 クライマックス、銃弾に倒れたジーナ・デイビスに対し、幼い娘が「なに死んでんのよ!」「立ってよ、ママ!!」とキレまくり、叱咤激励する場面は、意外なところで松本大洋『ZERO』とまったく同種の通低構造を持っている。
 だから、続けてサミュエル・ジャクソンが、
 「コン畜生!俺はまだ死んでねーぞ、マザファカ!!」
 と、絶叫しながら、トレーラーのドアを蹴破って突撃してくる、ムチャクチャ過ぎる展開は間違いなく観客に理解を越えたサムシングを届けてくれるだろう。
 これを称して、感動と呼ぶ。

 まさか、レニー・ハーリンの映画でそんな基本を教わるとは思わなかったが、観客を100%のせることが出来たら、その映画は間違いなく成功なのである。
 ヒッチコックを間違って解釈したようなシナリオも、キャメロン『トゥルー・ライズ』への目配せも、なんかやたら五月蝿いオールディーズ曲の濫用も、この際すべてチャラだ。
  
 心の底から感動できる、薄っぺらい映画。
 そういう映画が一番尊いのだ。各国首脳は否定しているが。

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2011年10月16日 (日)

「冗談を本気にとってみる。」

 かつて定番とされ、多くの笑いを捲き起こしてきた有名なギャグが、現在の時間軸に置き換えてみると、まったく面白くないのは何故だろう。
 あの当時、人はなぜ笑ったのだろうか。

 「そこに過剰なものがあったからだ」
 
 ケンブリッジ大学でガスの配管工事を教えるかたわら、あまたの著書で時代を啓蒙し続ける著名な思想家ブルッナーは、このように述べている。
 「笑いとは、例えばある欠落を廻って起こる。そこに欠落がある、という指摘自体が既にして面白い。私の専門分野・ガス漏れに関連していえば、
 『そこ、ガス漏れてますよ!』
 これだけで充分面白いのだ。明らかに、危険だが。
 しかし、その事実を知らない近所の電気屋のおやじが、よりによってこのタイミングでタバコに火をつけるとなるとハラハラ、ドキドキして面白いし、さらに最悪にもたちまち引火し吹っ飛んでしまったとなると、困ったことに、なお面白いのだ」

 「笑いとは、欠落を発見する行為であり、それが埋まりきって補填されるまで持続する。
 欠落をかかえて日常を送っている側から見ると、笑いの対象への指摘は過剰な行為に映る」
 
 以上の文章から私が考えたのは、笑いの発生源となる欠落が埋まりきってしまった後の状況である。
 道を歩いていて、通りすがりのハナ肇から、
 「アッと驚く、為五郎!!」
 と話しかけられたサラリーマンは、そそくさと名刺を取り出し、

 「はー、為五郎さんでいらっしゃいますか。
 わたくし、こういうものでございます。ヨロシクお願いします」
 
 丁寧にお辞儀するのではないだろうか。
 そして、そこに為五郎と民間との暖かい交流が始まるとしたら、微笑ましい光景ではあるまいか。

 あるいは、加藤茶の有名なギャグ、

 「ちょっとだけよ

 ここで定義されるべき「ちょっとだけ」とは、果たしてどこまでだろうか。状況、お客さんと踊り子さんとの関係性、小屋が支払うギャランティーの問題など、考慮しなくてはならない要素は多々ある。難しい。
 指二本まで、というのが慎重に導き出した私の推測なのだが、あなたはどうお思いか。

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2011年10月15日 (土)

《架空洋画劇場》 『オレたち、監禁族!』 ('10、米)

 最低の邦題であるが、原題は『Rage in the Cage』といい、Jガイルズバンドの曲名から採られている。

 冒頭、ミニスカートを履いたヒゲ面のおやじ三人が、手に手に日曜大工道具を持ってホームセンターを襲撃する。
 まず、入り口付近に居た警備員が不審訊問しようと近づいて来るのを、背後に隠し持っていたトンカチで殴りつけ、殺害。脳天に一撃を喰らった警備員は床に倒れ伏せ、だらんと伸びた両足は激しく痙攣して、履いたブーツがフロアを小刻みに叩く。
 背後に、小さく女性の悲鳴。
 ホームセンターは、それなりに客が入っているのだが、敷地面積が大き過ぎるので妙に閑散とした印象がある。幾つも幾つも並ぶ商品の陳列棚を尻目に、ツカツカと急ぎ足に進入して行くおっさん達。
 次の犠牲者は、ショッピングカートを押す初老の女性だ。樽のように肥えていて、首が両肩にめり込んで見える。カートは、缶詰やら冷凍食品やらペットフードやらで満載。彼女は派手な花柄のワンピースだが、安いペラペラのピンクで染めてあるので、裕福そうには見えない。成人男性の親指ほどの乳首が布地を押し上げ、存在を誇示しているが、誰が喜ぶというのだろうか。
 ミニスカートのおやじ三人組は、ここで初めて知能を使った連携プレイを見せる。正面から接近する、一番若いメガネの男が、手にした黒いラバーグリップを弄びながら、話しかける。
 「ヘィ、彼女。友達の家で今夜パーティーがあるんだが、行かない?」
 相手の異様な風体(上半身はモトリークルーのTシャツにジャンパー、ミニスカートに黒のストッキング)にびびる女。カートを盾に後ずさるが、退路は既に、別の熊のような大男(余程毛深いのか、ヒゲの剃り跡からさらに荒いヒゲが飛び出している。チェックのダンガリーシャツにミニスカ。着装したストッキングからも、剛毛が突き出している。)により塞がれていた。
 慌てて向きを変え、悲鳴を上げて逃げ出そうとする女の口を、脇の商品棚に隠れていたスキンヘッド男が押さえる。
 「ハロ~~、ベイビィ~~!」
 デイヴ・リー=ロスの下手な物真似だ。
 髪を掴んで顔を持ち上げ、喉首を露出させる(太った女なので、それは辛うじて見分けられる程度の境界地帯でしかない。)と、大型の狩猟用ナイフで、ざっくりと一文字に掻き切った。溢れる鮮血がカメラにかかると、画面が赤に染まる。
 歓声と共に、手に手に得物を持った男たちが、ホームセンター内へ散らばっていく。
 
 ここでメインタイトル。
 ライヒの下手な引用のような、神経質なシンセ多重奏。 

 色を落した画面には、マウスを使った動物実験の映像がコマ切れに流れる。
 報告書レポートの抜粋。
 「199X年、某国アメリカの開発した新薬は、人間の中枢神経に作用し、怒りの衝動を爆発させる効果を持っていた。
 研究結果の転用を危惧した開発責任者は、実験に関するすべてのデータを破棄し、所員を全員を惨殺後逃亡。生まれ故郷のテキサス州ダラスに潜伏するも、やがて、連邦捜査官により発見され射殺された。
 事件は終結を迎え、平穏な日常が戻ったかに思われたのだが。」


 流れるテロップ。
 「-数週間後-」。

 テキサスの派出所。
 本署から急行して来た署長がにがり切っている。
 「マロイ。ルー。ヴィンセント。
 本当に、こいつら三人だけの犯行だというのかね、ホームセンター虐殺事件は?」
 「間違いありません。」
 地元保安官がおどおど答える。「事件に使用された凶器、日曜大工の道具ばかりですが、すべてマロイ宅にあったものです。妻の証言も取れました。」
 「ショットガンでも何でも、大量殺人に適した銃器など、腐るほど入手できる筈だがな。なんでそっち方面へ行かないかな?」
 「さぁ・・・。」
 モジモジしながら、保安官が返答する。「一種の愉快犯かも・・・。」
 「それにしても異常だ。凶器として効率も悪いし、アシがつく可能性もある。殺人者達の肉体に掛かる運動量も尋常ではないだろう。
 狙って、殺害現場を血まみれにしようとでも思い込まない限り、まず使用されることのない道具だよ。」

 「署長、いいですか。」
 先ほどから黙って話を聞いていたFBI捜査官が口を挟んだ。若い女だ。
 「保安官、容疑者三名の結びつきは?」
 「近所の釣り仲間、といったところですな。リーダー格のマロイが近隣の湖にボート小屋を持っていまして、週末などは泊りがけでキャンプに行ったりしていたようです。」
 「潜伏先として、充分有望ね。」
 「現在、私の助手が近在署の連中と確認に向かっております。おっつけ報告できるでしょう。」
 
 「うーーーん・・・」
 苦りきった署長が呟く。「それにしても解らないな。なぜ、3人はミニスカート姿なんだ?」
 誰もが急に無言になった。

 「それじゃ・・・」
 署長は場を取り繕うように、腰を上げた。「解散。」
 
 そして映画は続いていくのだが、俺は途中で寝た。

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2011年10月12日 (水)

ジャック・ヴァンス『奇跡なす者たち』 ('11、国書刊行会)

 SFを読むのが好きな方、必読。

 ・・・が、しかし。あたしは、最近あんまりSFを読んでいないのだった。
 どっからかって云うと、ウィリアム・ギブスン『ニュー・ロマンサー』以降。む、今となっては、えらい昔だよなぁー。
 『ニューロマ』、本当に嫌いでなぁー。あんなもん褒めるなんて、アタマおかしいんでないの。
 じゃあ、潔く一切読まないかというと、そんな事は無くて、(あぁ、イヤだ)『新しい太陽の書』は当然読んでるし、バラードだってポロポロ読んでる。間違えて『リングワールドの玉座』なんてのも読んじまったなぁー。あれは、しくじった。『リングワールド・エンジニア』が傑作だからといって、そのさらなる続編が面白い訳ではないのだ。いや、積極的に愚作であったと言い切りたい。意味なし。いい加減にしろ。
 とはいえ、今並べたのが一応は新作ではあっても、70年代~80年代から活躍しているベテラン作家の作品であることには変わりない。私が認めた最後の新人作家って、ヴァーリイ?ふ、古い。
 なにせホーガン、大嫌いですから。下手くそ。耐え難い。

 要するに、あたしはあんまり現代のSFを語る資格がないのだ。
 引退した政治家みたいなもんだと思って欲しい。十代の頃、狂ったように読んでいたので、それなりにうるさい。だが、世の中にこれほど貢献しない知識もまたとない。
 世間の害になるので、始末してしまった方がいい。そういう存在だ。

 だから、70年代~80年代の噂のみで実際お目にかかれなかった名作を集めた国書刊行会のラインナップはもちろん大好きであって、作家と題名だけでメシが喰える。三杯はいける。
 そして、とうとう今回はジャック・ヴァンスの日本版ベスト短編集。しかも編集が、かの浅倉先生と聞くと、とても黙っていられない。
 確実に面白いですから、じっくり読んでみてください。と、こう、余計なお勧めをしてしまうのであった。
 ・・・え、ヴァンスって誰かって?
 いやだなぁー、異世界冒険SFの巨匠ですよ。人間と似た、でもちょっと違った種族が暮らす変な世界を描かせたら、右に出る者がないという名人クラスの凄腕ですよ。
 あたし、久保書店QTブックスの『終末期の赤い地球』をリアルタイムで購入した男ですんで。ほら、うるさい。

 まぁ、そんな外野はともかくとして、余計な予備知識とかなくても、しっかり読ませる、ちゃんとしたSF短編というだけで、充分ヴァンスは貴重なんですよ。
 面倒な物理学用語とか、サイバーなガジェットなんかクソ喰らえと思っている文系出身者。コンピュータに支配される現代社会から脱出したいあなたにお勧めです。

 だいたい、原題「Miracle Makers」を「奇跡なす者たち」と訳す、このへんの格の違い。
 このケレン味とセンスを大いに見習っていただきたい。最近のバカは、「ミラクル・メイカース」ってまんま邦題にしちゃうでしょ。
 「Dragon Masters」と書いて、「竜を駆る種族」と読ませる。
 これですよ、コレ。

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2011年10月11日 (火)

『蛇女の脅怖』 ('66、ハマーフィルム)

 シリーズ「変な顔の女がお前を襲う!」その①。
 観ても、サッパリいいことない不憫な映画を大特集。さぁ、みんなで、嫌な気分になろう!

【あらすじ】

 突然、兄が変死した!
 
「ラッキー、こいつは遺産を貰い受けるチャンスだぜ!」ということで欲深な弟は、現職の公務員(近衛兵)を辞して、コーンウォールの田舎の村へやって来る。妻は、家一軒ロハで提供されるというだけで、既にウハウハだ。ロンドンの住宅事情は、千葉に一軒家を持つよりも厳しいローン地獄なのだ。
 だが、鉄路を乗り継ぎ、馬車に揺られて辿り着いた村は、外来者を極端に嫌う、心の狭い人間ばかりのしみったれた貧乏臭いところだった。なにせ、同じ飲み屋に入ってくると、それまで談笑していた連中が全員出て行ってしまう(!)。幾らなんでも、極端過ぎはしまいか。
 「最近、変死体が続々見つかってるもんですからね・・・」
 飲み屋のおやじは、済まなそうに弁解する。「みんな、すっかり、臆病になっちまって」
 
 「そういえば・・・」
 弟は、ようやく思い当たる。
 「俺の兄の死因は、なんだろう?」

 人夫として近所の酔っ払いのジジイを雇い、真夜中に死体を掘り返す弟。さすがに外聞が悪いので、こんな真似をしてはみたが、天知る、神知る、悪を知る。降り出したどしゃ降りの雨にドロドロ、グシャグシャの悲惨な状態に。
 「おー、神よ!ごめんなさい!」
 そのとき雷鳴が閃き、どす黒いコント顔に変貌した兄の顔が棺の隙間から覗く。
 「ギャッ!!」
 思わず死体に土をかけ出すジジイ。こいつ、確実に何か知ってる。
 シャベルを放り出し、墓地の片隅で急に震えながら蹲ったおっさんに、懐中の小瓶からコニャックを振る舞い、苦心して秘密を聞き出そうとする弟。
 ジジイ、震えながら、
 「あ・・・ありゃ、コブラの毒だ。毒にやられたんだ」
 「なんで、こんな場所にコブラがいるんだ?」

 そこで思い当たったのが、隣の家に住む神学博士のフランクリン。あいつ、アジアの宗教が専門だと云っていたが、なにか関連がありはしないか。っていうか、絶対あやしいだろ。
 そこで、シルクハットで正装し杖まで持って隣家の玄関をノックする奇策に出た。これならよもや追い返せまい。作戦は見事図に当たり、フランクリン博士の娘に紹介される。
 「ほほう。美しいお嬢さんですなー。メチャメチャいけてますよ。ロンドン社交界でも、これほどの美女はなかなかお目にかかれまい」
 本場の社交界もたいしたことないようだ。
 「アンナ、一曲演奏してあげなさい」
 簡単に気を良くした博士の音頭で、娘、シタール独奏。
 あきらかにタンブーラのドローンが加わっているが、そんな専門的な突っ込みは佐藤師匠以外しないのであった。パチパチ。盛況のうちに独演は終わった。

 「ところで、変死体の件ですが・・・」
 座も暖まったことだし、別スレを立てて事件の真相に迫ろうとする弟に対し、博士は突如テンション全開でブチ切れる。
 「出て行け!!
 二度とわしの家の敷居は跨ぐなよッ!!」


 ほうほうの態で逃げ出した弟のもとに、深夜、あの墓堀りを手伝ったジジイが駆け込んでくる。
 「だ、旦那・・・やられた、あの女は蛇女だ!!」
 ジジイの顔はどす黒く変色して、呼吸困難に。
 すぐ医者に見せなければ。
 主人公は隣家へ走り、フランクリン博士のドアを叩いた。
 
 「ドクター!夜分すいません!うちで急患が出たんですよ!すぐ来てください!」
 「なんだ、きみは。失礼な。
 私は、ドクターといっても、宗教学が専門なんだぞ」
 
 「でも、ボクよりは確実に頭いいでしょう。さぁ、来てください!」

 強引すぎる理屈で、危篤の患者を診る破目になったドクター・フランクリンの運命や如何に?!
 奇絶!怪絶!また、壮絶!


【解説】

 「あれ、肝心の蛇女が出る前にあらすじ紹介が終わってしまったゾ?」とお嘆きの貴方に、グッドニュース!
 ャーーーン!! 
 実は蛇女の正体は、博士の娘!!

 
 ・・・って、知ってました?
 あ、そう。
 このメイク、当時としては画期的によく出来ていて、後世に多大な影響を与えたと思うんだけど、首から下は若い娘のまんまなんだよねー。
 やれます。
 確実に、やれます。

 やってどうする、という気は確かにするのだけれど、それはやってから考えればいいじゃナイか?!

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2011年10月10日 (月)

スティーブ・マックィーン『ブリット』 ('68、ワーナー)

 マックィーンの恋人がジャクリーン・ビセットだなどとは、まるでトレンディー・ドラマのような薄っぺらいキャスティングだなぁー。
 明らかにうそ臭い。誰か突っ込んでやってくれ。
 だが、「え、これソウル・バスじゃないの?」という派手派手なオープニングにそぐわないことに、この映画、妙に本物志向が売りなのだった。
 
 手術シーンの医者も本物。
 有名なカーチェイスシーンも、マックィーン自らがハンドルを握る。(おぉ、アクションスターだ。)
 ついでに言えば、空港の滑走路を無駄に使った終盤の追いかけっこも本物。
 「ジェット機の下は、超うるさかったよ」
 と、マックィーンは笑う。
 
 手間隙かけて本物を撮ってくると、切るのが惜しくなるじゃないですか。
 だから、この映画はちょっとテンポが悪い。
 が、そこはご愛嬌。なにせ、本物ですんで。
 
 それより、なによりひさびさに観ていちばん驚愕したのは、空港にコート羽織って出てきたマックィーンが、まるっきり北野武に見えたところ。
 タケちゃん、やるなぁー。完コピですよ、コレ。
 そういや、髪形もパクってるぞ。あー、そうか。こっから来てるんだ。
 なぜ、批評家の偉い先生方はそういう重要なポイントを教えてくれないのだろうか。
 
 頑張れば、きみもスティーブ・マックィーンになれる!!
 さぁ、いますぐ、始めてみないか?

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2011年10月 5日 (水)

杉浦茂『冒険ベンちゃん 怪艇魔王』 (’54、中村書店)

 いくらあたしが長生きでも、この本の発行をリアルタイムで知っている訳ではない。
 そんな奴は、亀だ。
 亀さんだけだ。


 鮮明に記憶しているのは、月刊スターログでこの本や『愉快な鉄工所』やなんかが纏めて復刻されたときの紹介記事だ。昭和五十何年の出来ごとである。
 確か、晶文社が大城のぼる『火星探検』を、小松左京(死んだ)や松本零士(ア×ツ疑惑)の推薦文付きでリプリントしてそれなりに話題になり、昭和初期のマンガに適当な脚光が当った時期ではなかったかと思われる。
 その流れで、忘れられていた大昔のマンガに復刻の曙光がちょっとだけ見えたのだ。

 かくて、この『怪艇魔王』を含む杉浦先生の復刻は、その一環として五冊本だか、四冊本だかで、しかも限定だかなんだかで、賑々しくウン万円の値段がついて流通に乗ったのであった。
 (・・・か、買えねーよ・・・)と、地方在住の小学生は唸った。
 それまで見たことのない斬新な絵柄の表紙絵、奇天烈なタイトルに心躍らされながらも、手の届かない夢のまた夢のように思われた。

※現在あたしは、この復刻をバラで三冊所蔵している。『ピストルボーイ』『冒険ベンちゃん 怪艇魔王』『続・冒険ベンちゃん 恐怖塔!』・・・諸君、信じれば夢は叶うのだ。たとえ、それがどんなしょうもない夢でも。

 なんでまた、そんな昔の記事を鮮明に覚えているのかというと、絵柄がたいそう気に入ったからである。
 あたしは、とってもひねくれ者なことに、流行りの絵柄が全部キライで、劇画も手塚もアニメもトキワ荘もぜんぜん好きじゃなかった。致命的なことを暴露しておくが、日本のマンガは全部ダサいんじゃないか、と疑っていた。
 だから、手塚以前の作家の絵や作品の持つモダンさに、ダイレクトに反応しても、何の不思議もないのであった。
 さらに遡れば、あたしの原点は九里洋二が挿絵を描いたコナン・ドイルの『恐竜の世界』(あたしはこの本の学校内貸し出し新記録をつくり、現在に到るまで破られていない)であって、杉浦先生のモダンでユーモラスでナンセンスでとぼけたタッチとは、既に初期段階からして相性はバッチグーだったと見ていい。

※さらに備考。『恐竜の世界』は去年ようやく、傷アリ品を比較的リーズナブルなプライスで入手。大昔の児童書は人気が高いので、それなりに泣きを見る覚悟が要る。
 
 ちなみに、『怪艇魔王』の表紙絵とは、主人公冒険ベンちゃんが猟銃片手にジャングル探検している図柄で、怪奇植物が咲き乱れる草原に槍を持った土人やら、探検帽子の金髪のお嬢さんやら、ハゲタカやら、お猿やら、ゴリラやら、キリマンジャロの山を背景に飛ぶ怪飛行機やなんかが、所狭しと描き込まれている豪華絢爛たるシロモノであって、日本の土壌特有の湿っぽさがまったくない、それでいて外国マンガの無味乾燥とも違う、我が国独特の暖かみを感じさせる、なんとも素晴らしいオリジナリティ溢れるスタイルなのだった。

 そして、そう、そのタイトル。
 『冒険ベンちゃん 怪艇魔王』。
 海底じゃないのだ。
 怪艇なのだ。

 なんなんだ、それは?チクショウ、ワクワクさせてくれるぜ。

 子供は、バカで正直な生き物である。


【あらすじ】 

 あたまにゴーグルを載せた半ズボンの少年、冒険ベンちゃんは、おじの博士に呼ばれて研究所へ駆けつける。
 博士は、自宅でロケット艇を完成させていた。
 ひとりで成し遂げた証拠に、スパナを持ってニコニコしている。

 「わー、はかせ、すごいじゃないですか。」
 「うん、おまえとテスト飛行をしようと思ってね。」

 ふたりは完成したばかりのロケット艇をつかって、いきなり太平洋を乗り越える。雲を切り裂き、青空に浮かび、超高速でニューヨークへ。
 (彼らの出発したあとの研究所に、あやしい黒い影が忍び寄る。)
 ロケットは、高さ千二百メートルのエンパイア・ステート・ビルの外周を螺旋飛行でぐるぐる廻って、セントラルパークへ着陸。
 ふたりは、からしをたっぷり利かせたホットドッグを食べ、ごきげんになるのであった。

 帰宅してみると、室内が荒らされ、なにものかが立ち去った形跡がある。
 あせる博士、秘密の隠し金庫を開けると、案の定、内部は裳抜けのから。

 「うーーーん、しまった。新型エンジンの設計図を盗まれた!」
 「え、えッ?!でも、いったい、誰が・・・?」
 「怪艇魔王という悪ものじゃ。いつも、あやしい飛行艇で飛び回っている、わるい科学者なのだ!」


(つづく) 

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2011年10月 2日 (日)

ジョン・カーペンター『ヴァンパイア最後の聖戦』 ('99、日本ヘラルド)

 実は現在ちょっぴり国内版で入手困難なカーペンンター映画のリストというものがあって、心ある映画ファンを悩ましている。
 
 『パラダイム』。
 『マウス・オブ・マッドネス』。
 『ゼイリブ』。

 特に『ゼイリブ』が出てないのは、まずい。これ、本当に心底くだらない大傑作ですから。
 サングラスをかけると、宇宙からの侵略者が見える!で、「かけろ!」「かけねぇ!」で白人と黒人がドヤ街でゴミ箱倒して延々ど突き合いする、という。
 あたしは、二回テレビで観た。あと、版状態の悪い中古を店頭で二三回ほど。
 『遊星からの物体X』の誰かが作ったリメイク(ノルウェイ基地が舞台のエピソード0!)の公開にあわせて、どこかの会社がドドンと再発してくれないだろうか。

 『ヴァンパイア最後の聖戦』 はそこまでレアではないが、実は意外と時代に置き忘れられた一本である。
 別にたいした内容じゃないよ。ヴァチカンの組織したヴァンパイア討伐隊というのがあって、町内の清掃車みたく地道な掃討活動を繰り広げている。が、ヨーロッパ部隊が全滅!(スチール写真で紹介)ジェームス・ウッズの主人公率いるアメリカ隊も、二名を残し壊滅的な打撃を受ける。ヴァンパイアの親玉、吸血界の大物が昼間も出歩ける通行免除手形を入手しようと遂に姿を現したのだ!
 って、この親玉、実は14世紀の人物なので、600年間もどこで無駄飯喰ってたのか謎ですが。このへんはカーペンターではなく、原作書いた奴に訊いてくれ。どうせ、吸血雑学で誤魔化されちゃうんでしょうけど。

 この映画実は、安岡力也を若くしたようなエルヴィスかぶれのデブと、眉毛のないジェームス・ウッズ(短気な中年)との男の友情を描いた、いつものカーペンター映画なのであります。
 吸血鬼のイメージは、ホレ、あれだ。ハマー・フィルムのドラキュラ。クリストファー・リーの演じた最初の二本『吸血鬼ドラキュラ』『凶人ドラキュラ(この邦題センスあるよなぁー!)』に非常に近い。ま、マントとかネクタイありませんが。
 死人のくせに、やたら強い人。こわい人。ときどき、咬みつく。
 そういう人が本気でガンガン襲ってくるので、たいへん面白いです。
 珍しく、吸血鬼に噛まれた売春婦のネーチャンが全裸でベッドに縛り付けられたりするお色気描写がありますが(ストイック極まるカーペンター映画では、実はコッチの方が生首飛ぶよりショックシーン)、会話が進むと、すぐにシーツかぶせてあげちゃうの。
 そのへんに、ハワード・ホークス的な男の優しさを見ましたね。

 昼間の太陽の下に引き吊り出されると、吸血鬼の身体がボンボン燃えて、しまいに爆発!
 そういう幼稚で無茶な発想が面白いと思える方は必見。発火の初期段階は、かなり仕掛け花火状態ですので、花火をつくっている職人さんも、ぜひ。
 

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2011年10月 1日 (土)

ヴィンシュルス『ピノキオ』 ('08、小学館集英社プロダクション)

 B.D.ジャンルが続いて恐縮だが(一応私もいろいろ気にしてはいるのである)、メビウスよりか、有名作品のストレートなパロディであるこっちが一般の皆さんには受け入れ易いのではないかと思い、急遽紹介の筆を執ることにした。
 メビウスが最高だ、なんてジジイの譫妄幻覚ですよ。おそらく。

 『ピノキオ』ってのはね、イタリアの作家コッローディのね、ってのは完全に割愛していい解説だが、しかし、この作品を読むにあたり、最低限ディズニーのピノキオは押さえておくこと!
 ※帯文に書かれた豊崎由美の文章と真逆のことを言っているのに気づいた。あんた、どっちが正しいと思うかね?答えは、劇場で!

 必要な基礎知識ってのはあるんだよ。残念だが、学問だって金がなきゃ学べないでしょ。あんたが貧しい家に生まれたのは非常に遺憾なことですよ。選択できそうで、実はまったく出来ないのが人生ですから。でもね、著作権消滅によってディズニー版ピノキオはパブリック・ドメイン化してますから。500円。これなら、小学生のきみも大丈夫でしょ?って、この本自体、お世辞にも小学生向け推薦図書とはいえないのだが。

 さて、なんでディズニーなのかというと、この作者、たぶんトラウマになるレベルまでディズニー版が刷り込まれちゃってる。これは絶対間違いない。だいたい、この人、漫画家兼アニメーターだし。
 同じディズニーを愛する者として断言したい。
 
この作品、キャラクターデザインとか、画面構成、アクションに到るまでまるっきり品性下劣なディズニーランドと化している。
 冒頭、猫ちゃんをロシアンルーレットで射殺するところから、悪辣低俗な物語の幕が開く。感情のない大量破壊兵器であるピノキオ、強欲な発明家のゼペットじいさん。同居しているババアはピノキオの鼻でオナろうとして先端から噴き出す火炎放射で焼き殺される!
 さらに、その死体を鋸で細切れにし捨てに行くゼペット、って展開が続くと、あー、こりゃ確かに面白いなぁー!
 サドとか根本敬とか、物語が常に負のベクトルに向かって全速力するジャンルってあるじゃないですか。あれですよ、アレ。イイ話ってやつですよ。少なくとも「キャプテン・アメリカ/ ウィンター・ソルジャー」よりは良心的なんじゃないかしら。
 しかし、キャップの凄いところは、スーパーヒーローのくせして兵隊だってとこですよね。米国の超人兵士製造計画の産物ですから。あの人。あちらも翻訳が現在店頭に並んでまして、読みたいんで、読んだらまたレビューしますけど。あ、同語反復。

 さて、肝心の『ピノキオ』ですが、この作品の第一にいいところは、基本サイレントで進むってところかなぁー。
 サイレントのマンガっていいですよね?吾妻ひでおの「タバコおばけだよ」とかね。あと、アルザックとか、アルザック。他、例としましては、アルザック。
 あれに一個でも吹き出しがあったら、80年代にメビウス・ブームって起こらなかったんじゃないかと思います。高畑勲以外、誰も読めませんから。フランス語。
 という訳で、「なんで外国のマンガって、あぁネームが過剰なんだろ?」と思ってるバカなあなたに朗報です!たぶん、あなたもついていける筈だ!わかりやすい!
 次に、この作品、キモい中にも意外と可愛い描写を織り込んでくる、実は凶悪極まりないディズニーの本質を捉えているのではないか、という細部の描写。
 例えば、鯨(・・・実は放射性物質の領海外不法投棄により巨大化した奇形の鯛)に呑まれるゼペットじいさん(徹夜明けの手塚治虫に酷似した風貌)が、なんでも溶かす鯨の胃液から逃れて難破船によじ登ると、先客としてペンギンがいるんですよ。ペンギン。可愛いですね。
 この直前の場面が南極で、ペンギンの群れにピノキオの居所を聞くゼペット、っていう伏線が既にあるわけですが、骨まで溶けるグロい場面のど真ん中にペンギン。この感覚こそ、まさにディズニー。
 つまりは舞浜ですよ。
 ただの臨海工業用地にシンデレラ城を建てて、しらばっくれるあの感じ。はっきり申し上げておきますが、常人の神経ではございません。
 あすこに行きたがる輩は、全員頭がおかしいんです。すぐ病院で看てもらった方がいい。

 ・・・ってなんの話だかわからなくなってきたんで、強引に纏めますが。

 有り難味ゼロの、妙に親近感の湧くこの本、みなさんどうか読んでください。
 こういうタイプの本がバカスカ売れてこそ、明るい未来の展望が開けるんじゃないでしょうか。社会正義だって実現できる。決して、お涙頂戴の感動作なんかではなくて。
 確かにピノキオが人間になったりはしませんけど、ひとつ、よろしく頼みますよ。 
 ウォルト・ディズニーだって墓の下でそれを望んでいる筈ですよ。少女ヌード写真集を読みながら、ね。

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