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2011年9月

2011年9月25日 (日)

メビウス『エデナの世界』 ('83-'01、TO出版)

 まさか、これが出るとは思わなかった。

 長年、海外コミックの棚をうろうろしてきた人間としましては、嬉しいような、拍子抜けしたような。正直、トホホでごじゃる。
 待たされるにしても、長過ぎた。
 でも、フランス語圏のものは本当何が書いてあるやらさっぱりなので、日本語で読めるのはやっぱり嬉しいなぁー。

 お若いきみ、老婆心からひとつ云っておくが、B.D.がドバドバ出版される当世なんてのは、鎌倉時代が二度来ないのと同じくらい、またとないぜ。
 オレなど高校のとき講談社版「アンカル」の一巻を買って、続きが読めたのは二十五年後だったのだ。
 ご利益があるのは保証するから、ひとつ買ってくれ。メビウス先生の長編マンガってのはそもそも存在自体が珍しいのだ。
 \4,800、ウーーーン、確かに高いけどな!
 杉浦先生の「忍術白銀城」は(古書だが)、店頭価格\189,000だ!それに比べりゃ、安い!安い!

 いまさらメビウスの絵があーだ、こーだ云っても進歩がないと思うので、今回は誰も紹介したがらない、その怪しすぎるストーリーについて記事にしようと思う。
 好きなやつだけ、ついて来い!

 「メビウスはやっぱ絵でしょー?」とか、腑抜けたこと抜かしているそこのお前!
 先に断言しとく!
 お前は全面的に正しいぞ!!当たり前だ!!

 だが、オレは当たり前のことは一切やらない主義である。

【あらすじ】

 プロローグ。宇宙の彼方の小惑星基地に、旅の宇宙船アトリス号が立ち寄る。
 乗員は二名、唐変木のフランス人アタンとステルだ。
 彼らは基地を仕切っている旧知の仲間トロロペンから、福島第一原子力発電所で使用されているものと同じ、宇宙船の核燃料棒を分けて貰うつもりで立ち寄ったのだ。
 しかし、基地は裳抜けのカラで、猫の子一匹居やしない。
 乗員達は全員どこかへ出払ってしまったようだ。

 「ムキーーーッ!!もう、頭にきたゾ!!」
 
二名が切れ気味になっていると、突然前振りもなく小惑星が動き出した!
 「エーーーッ、コレ、エンジン附いてたの?!」
 基地はまっしぐらに周回軌道に乗っていた巨大惑星目掛けて落ちていく!助けて、トロロペン!
 

 「待て!エンジンがあるってことは操縦できるってことじゃん!!」
 冷静沈着なアタンが脳波コントロール装置で逆噴射をかけると、小惑星は大気との摩擦に燃えつきることもなく、なんとか地上に不時着した。
 ここの大気は幸い、地球人にも呼吸可能のようだ。
 見渡す限り、平坦な砂漠が続く、山も谷もない異様な風景。
 
 「うわー、ツルツルだー!」
 変なところに感心するステル。
 「うーーーむ、これはツルピカはげ丸惑星である。石原藤夫先生が描くところの“レイリー星”に良く似ておる。」
 「あれは、惑星自体が銀河規模の巨大なレーダー回路の一部だったって話でしょ?メビウス先生にそんなハードな科学知識はないと思うなぁー。」
 「しかし、意表を突くのがメビウスだからな。・・・よし、今夜はここで野宿するぞ!」

 その夜。
 二名がのんきに星など眺めて一杯やっていると、地平線の彼方で怪しい幾何学模様の青い光が輝いた。
 「あれは・・・なんだろう?」

 翌日、ふたりは自分たちの宇宙船に乗せていたシトロエンのおんぼろ車を使って、未知の光源の探索に出発した。
 エッ?・・・なんでそんな旧弊なもの載せてるのかって?
 このマンガがシトロエンの販促パンフに掲載されたものだからです。
 大人の事情なんて、解ってみれば全て他愛もないものである。
 諸君もパパやママに突っ込んでみればいいよ。どうせ、まともに答えられる理由じゃないんだから。
 でも、バカにするなよ。大人も一生懸命やってるんだぜ。

 さて、なにもない砂漠を延々進むこと数時間、地平線に怪しい三角形の突起が見えてきた。やばい。これは、ひょっとして。

 「ピラミッドだ!!」

 出た!ピラミッド!!遠藤賢司の店ワルツがかつて提供していたオリジナルメニューがピラミッドカレーであることを、一体何人の読者が知っているのだろうか?
 「よし、探検してみよう!」
 そうだよな、ピラミッドだったら当然、探検だよなー。その結果、蠍に噛まれたり王家の墓の呪いに倒れたりするのである。
 「あっ!!宇宙人だ!!」
 そうだよな、当然、宇宙人・・・・・・エ?! 

 しかし、落ち着いてよく考えてみると、地球を離れて旅していれば、宇宙人に出くわすなんて当たり前ではないか。いや、逆にこちらが宇宙人の立場か。
 「こんにちはー!」
 二人組のうち、気さくなバカ役担当のステルがいたって気軽に声を掛けると、相手はやや驚いたようだが、同じように挨拶を返してきた。宇宙にいる人、みな兄弟。一日一膳。喰え。
 『・・・どうもー!』
 先方は(宇宙人だけに)宇宙服に身を包んだ、人類よりはちょっと大柄な種族だった。なに、身長3メートル程度だ。
 「あの、現地の方ですか?ボクら、なんかわからないうちに、ここに不時着してしまいまして・・・。」
 相手は少し、含み笑いしたようだ。
 『アァ・・・きみたちも被害に遭われた方ですね。現在、抗議活動中ですが、まだ応答がありません。こちらへどうぞ。』

 案内されるまま、先に進むとピラミッド周辺に無数の宇宙船が不時着している。
 船首から幾つも横断幕が渡され、無数のピケが張られている。強化チタン合金の船体には真っ赤なペンキで抗議文が大書きされていた。

 「宇宙交通妨害、断固反対!」
 「責任者は直ちに謝罪、賠償請求に応じよ!」
 「われわれには、自由にUFOを飛ばす権利がある!」


 「はァ・・・ご盛況で・・・。」
 遵法闘争がどうも苦手なステルが困ってコメントを述べると、相手の宇宙人はハハハと快活に笑った。
 表情はフルフェイスのヘルメットに遮られ見ることができない。
 『われわれは、宇宙船のエンジン故障やら謎の救難信号やらによって強制的にこの地に狩り集められたのです。あのピラミッド・・・』
 間近に見上げると、青い燐光を放つ半透明の物体で出来ているようだ。
 『あの内部から呼びかけられているようで、なんか気になって、私など故郷を離れもう七百万年もここにいるのですが・・・・・・。』
 「七百万年!それ、政権交代どころか、新しい生物の進化始まっちゃってるじゃん!」
 ステルが無礼千万な突っ込みをすると、さしもの宇宙人も少し傷ついたようだったが、
 「ハァ・・・。確かにおっしゃる通り・・・。
 母星に残してきた嫁や息子が今頃どうしているやら、非常に気掛かりではあるのですが・・・。』
 「死んでるよ!ソレ、100%死んでますって!」
 そう云って、ふと事の真相に気づいたステル、
 「そうか、このピラミッドから出ている不思議なピラミッドパワーによって、周囲にいる連中は異常な健康と長命を保っているのだな!
 謂わば、“永遠の若者の町”だ!!」
 
 相手はニヤリと笑ったようで、
 『ホホウ。キャプテン・フューチャーをお読みになっている。宇宙時代になってもあれはいいですなー。
 確か、金星の人里離れたジャングルの奥地に、永遠に年を取らない魔法の銘泉水が湧き出している。そいつを汲み出して麻薬として密売しようという悪党がいて・・・というお話。』
 
 「いいよ!そんな七百万年前の話は!」
 話の進まなさ加減に苛立ったステルが強引に断ち切ったところへ、遠くから名を呼ぶ声が。
 
 「おい、ステル・・・!!ステルじゃないか!!」
 「あっ・・・!!お前は、トロロペン!」

 その名のとおり、小太りの中年おやじが丘を越えてやってくる。
 「なんだ、やはり小惑星基地の連中もここへ呼び寄せられていたのか。
 どうした、トロロペン!無事か?もっと云うと、無病息災か?」
 
 肩で息を切るトロロペン、赤い宇宙服に染み出した汗は拭うことも出来ず、
 「ハァ、ハァ。お前と一緒に来た奴が、とんでもない真似をしようとしているぞ。止めてくれ!」
 「エッ・・・?!アタン?!」
 いつの間に傍らを離れたのか、ピラミッドの謎のパワーに引き寄せられるように、アタンは夢遊病患者のような足取りで墜落した宇宙船の群れを横切り、不気味な燐光を放つ半透明の物体に接近しつつあった。
 宇宙の端々から集められた様々な種族の者たちが、怖れをなしたように、その姿を見守っている。
 
 「待ってろ!アタン、いま行くぞ!」
 全力疾走するステルが駆けつけるのも間に合わず、ピラミッドに触れたアタン、そのままスィーッと内部に全身飲み込まれてしまった。
 「アタン!!!」
 
 続けて飛び込もうとしたステル、謎のパワーに弾き返され砂上に転がった。
 「チ、チキショウ!どうなってるんだ、これは・・・?!」
 
 と、脳内によく知っているアタンの声が響いた。
 「恐れることはありません、ステル。・・・それから、皆さん、聞いてください。」
 振り返ると、周囲の宇宙人たちの頭の中にもアタンの声は響いているようだ。
 「こ、これは・・・テレパシーなのか・・・?!月刊ムーか、お前は?!」

 「このピラミッドは太古に宇宙を支配した種族が建造した、一種の宇宙船なのです。その大いなる存在は現在も意識体となって、この宇宙を守っています。わたしは彼らに使命を受けました。
 これより、皆さんを銀河の中心にある楽園惑星エデナへお連れします。」


 
「えーーーッ?めっちゃやばい方向に話が進んどるやん。」
 ぼやくステルを置き去りにして、巨大なピラミッドは突然空中へ浮上した。
 底面がパカッと開いて四角い穴が出来ると、そこから地上のありとあらゆるものを吸い込み始める。
 「ウワーーーーーーーッ!!」
 「グワァーーーーーーッッ!!」

 人も宇宙人も宇宙船も土砂も何も区別なく、重力を無視した謎のパワーによってピラミッド内部へ取り込まれていく!
 
 「くそーーーッ!なんでやねん!」
 脈絡なく関西人と化したステルも、空中に踊りあがり青い閃光と共に吸い込まれていった。
 「・・・携挙ってコレか・・・?」

 地上のめぼしい全てを飲み込んだピラミッドは青く輝く光の帯となって、空中にシトロエンのロゴマークを描くと、銀河の彼方へ飛翔し始めた。
 楽園は近い。


【解説】 

 以上でプロローグ部分は終わり。
 
 本当はもっと先までストーリーを紹介する予定だったが、長くなるので割愛することにする。メビウスの持ってるオカルト的になんかやばい部分が諸君に伝われば幸いである。
 共通する感覚は例えば、畑は違うが、ジミヘンの歌詞なんかにもあって(細かい説明はカットするが、宇宙の捉え方なんかに妙に共通項がある)、これはもう同じような物質を体内に吸引すると同じような幻覚を見る、という一種の世代的なシンクロニシティーなんではないか、とノンドラッグ・ノンアルコールの私は思うのである。
 (もっとも、メビウスの場合、命が惜しくなったのか、クスリは止めました発言をのちにしている。)
 
 ドラッグ問題の是非を問う気はないのだが、例えば今回の翻訳本の帯と解説に浦沢直樹が登場しているのだが、お前の絵にドラッグは感じられないな、浦沢。
 ディランでもなんでもいいのだが、ドラッギーな作品に憧れるノン・ドラッグの人、という図式は陳腐で滑稽なことだと思う。
 とりあえず、試してみてはいかがだろうか。
 
 それとも、試してみてアレか?

 

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2011年9月24日 (土)

楳図かずお『漂流教室』 ('07愛蔵版、小学館)

 不可解な空間移動表現。
 
 どうも楳図先生の謎を解く鍵のひとつは、そのへんにありそうな気がする。
 テキスト、『漂流教室』愛蔵版の第二巻138ページを開けて。(少年サンデーコミック版でもいいのだが、何巻だっけ。手元に現存していないのだ。)
 
 ストーリー的には、この場面は、怪虫の危機が終焉し一息ついた途端に、大和小学校をペストが襲う!という怒涛の展開の幕開け箇所だ。
 プールに落ちた男子生徒がいて、まぁ、橋本くんなんだが、高熱を出して唸っている。異変を感じた翔が咲っぺに指示して、医者の息子の柳瀬くんを呼びに行かせる。
 ここだ。
 コマごとに割ってみると、異常さが伝わるだろう。

 ・翔の言葉に立ち止まって、咲っぺのセリフ、
 「そうだわ、柳瀬さんはおとうさんがお医者さんだったわ!!」

 ・俯瞰。走り出す咲っぺ。
 「ちょっと、まってて!!教室へいってくるわ!!」
 
 ・俯瞰。校舎の入り口へ走りこむ咲っぺ。

 ・校舎の階段を登る咲っぺ。流線・無音。

 ・階段の折り返しを回り、さらに階段を登る咲っぺ。流線・無音。

 ・廊下の角を曲がり、疾走する咲っぺ。真剣な表情。流線・無音。

 ・教室の扉をガラリと開けて、クラス全体に響くよう大声をかける咲っぺ。
 「柳瀬さん!!」

 ・鸚鵡返しに問いかけてくる女生徒たち。
 「どうしたの、川田さん?!」
 「また、なにかあったの?!」

※そうそう、忘れていたが咲っぺの本名は川田咲子なのだった。それなりに周囲から尊敬されているらしく、翔以外の人は“川田さん”“咲子さん”と呼ぶ。

 ・身を乗り出してくる柳瀬くん本人。くるくる天パーのおっとり系。
 「どうしたの?!」

 「あっ!!柳瀬さん、はやくきてちょうだい!!」

 ・ここより、咲っぺ、説明セリフ込みの独演会。
 「あなた、たしかこのまえ、将来は医者になりたいといったわね?」
 否定は一切許されない口調に、無言になる柳瀬くん。

 ・「病気のこと、少しはわかるでしょう?!」
 詰問する咲っぺに、柳瀬くん、もっともな返事をする。

 ・「でもぼく、まだこどもだから、よくわからないんだ!!」

 ・有無を言わせず、袖を引っ張り全力疾走を開始する咲っぺ。
 「とにかく、はやくきてっ!!」
 柳瀬くんの回答は完全に無視されたかたちに。

 ・柳瀬くんの手を引っ張り、廊下を疾駆する咲っぺ。流線・無音。

 ・階段を駆け下りるふたりの足。接写。

 ・天井より俯瞰。
 階段を降り切り、曲がると一階の廊下へ走り出す二名。流線・無音。


・・・・・・ハイ、ここまで。
 (次のページを開くと、医務室に到着し、翔が話しかけてくる。)

 いかがだろうか。
 以上2ページ、とてつもない違和感に気づいて、思わずページを捲る手を止めてしまったのだが(既に『漂流教室』を読まれた方なら、途中で手を止めるのがいかに難しいかご理解戴けるだろう)、凡庸なマンガ家なら三分の一以下のスペースで描き切る筈の余分な描写を、なぜか、楳図先生は徹底的にやる。
 私が「流線・無音」と書き込んだコマが、すべて移動カットであり、しかも擬音が一切振られていないことにご注目願いたい。
 この執拗な連続性がもたらすのは、ひとつには建物内での距離感であり、心理的にはなかなか目的物へ辿り着かない焦り・じらしの感覚である。
 ベタの多い真っ黒い校舎の暗闇の中を、読者は咲っぺと共に移動していく。
 例えば、走り出した咲子の、次のコマに柳瀬くんのいる教室を繋げてしまうことは充分に可能なのだが、楳図先生は絶対にそうしない。不自然なくらい、目的地までは間隔があって、たやすく便利にひょいと着いてしまったりはしない。
 なぜなら、現実ってそういうものだからだ。

 マンガという虚構の中では、作者にも読者にも都合がいい省略が幾らでも可能なのだが、楳図先生はここぞというクライマックスの場面以外でも平気で長廻しを多用してくる。
 (盛り上がる場面をスローモーション的に描くのは、サム・ペキンパー→大友「東京チャンポン」の如く、よくある事例だ。)
 実のところ、これに限らず、『まことちゃん』など連鎖するギャグを繋ぐアクションはワンカット的な俯瞰で、執拗な連続性の維持にこだわり抜いて描かれているし、あの『わたしは真悟』での最大級のアクションシーン---揺れる東京タワーからヘリコプターに飛び移る場面や、トラックでの追跡シーンと、機械油を垂らし路地を這いずる真悟(腕だけの工業用ロボット)のしつこいまでの引き伸ばされた描写とは、同質のものとして展開されている。

 時間や空間に関する認識が、他の作家さんとまったく違う。
 そして、楳図先生の考える長廻しの方が実は現実に即しており、われわれの持つ生理感覚をよりよく納得させる効果を持っている。(よりバッドに、とも云えるが。)

 先生がどこでこの手法を見つけたかというと、少年・少女向けの恐怖マンガをどんどん描いているうち偶然になんだろうが、例えば「恐怖の首なし人間」のクライマックス、満潮の場面を思い出してみて欲しい。
 お話は、まぁ、非常にザックリ云いますが、とある島に、首と胴体を生き別れさせる研究を続けているバカ博士がいて、不具者の息子の首を健常者の少年と差し替えしようと企むが失敗!息子は死亡、自分も火事で燃えつきる!が、博士の首から下は、実は別人のムキムキマンボディー!こいつが主人公に襲い掛かった!

 背後から迫る、首のない大男。
 画面の左右から、津波のように押し寄せてくる満ち潮。
 恐怖に絶叫する主人公の顔のアップ。大きく開かれた口。接写。
 流線・無音。

 (これが左右ブチ抜きの大判コマで、4ページに引き伸ばし連続する。)

 この場面の演出は、まるっきり『漂流教室』と同じである。
 だが、さらに進めて日常生活や地味な場面、あるいはギャグ描写に到るまで、この効果を全面的に採用し、推し進めたのは、完全に楳図先生の専売特許であろう。

 こんな真似、凡人にはできません。

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2011年9月23日 (金)

エラリー・クイーン『エジプト十字架の秘密』 ('32、ハヤカワ・ポケットミステリー)

 最近の推理小説がつまらない理由のひとつとして、「とんでもない死体が登場しない」ことが挙げられるのは、有名な話である。
 
 人が死ぬことの矮小化。根本的な想像力の欠如。
 いやしくも、マーダー・ミステリーに於いて人が死ぬのである。どうして最大限の派手な舞台立てをセッティングしてあげないのだろうか。そこに何のこだわりも感じず、無造作に死体を放り投げてくる作者には、薄ら寒い感情を禁じえない。
 お前、大量殺人鬼なんだぞ。ま、単なる小説だがね。
 しかし、そんな自覚もしないで、一体なにを書きなぐっているんだ?どれどれ、見せてみなさい。あぁ、こりゃ、ひどいね。最低だ。

 そういう意味で、『エジプト十字架』は私の大好きな本であり続けている。
 米国のとある田舎町。T字路ではりつけにされた、首のない死体。Tの字になっている。被害者の自宅の扉にも血のような赤ペンキで大書きされたTのしるし。あぁ、バカバカしい。
 そこから事件は連続首狩り殺人の様相を呈し、百万長者が、かっこいい海の男が、次々と首を切り取られたはりつけ死体となって発見される。
 そして、事件を彩る最高にくだらない脇役たち。
 山に隠れ住む偏執狂の老人。性格の悪すぎる地方検事。暑さにやられて発狂したエジプト言語学者(御丁寧にも古代エジプト語で悪態をつく)。ヌーディスト村を主催するカルト教団の男。経歴不明の召使、実は改心した泥棒。浮気なマダム。国際指名手配の詐欺師夫婦。顔はいまいちだが、首から下はナイスボディーな富豪のひとり娘。彼女に惚れて勝手な救出劇を演じ、思い切り殴り飛ばされて海に落ちる医者。
 あぁ、おもしろい。
 特筆すべきはこれらが単なるミスリードで、事件の本筋とはまったく関係ないことだが、いいじゃないか。おもしろいんだから。
 もしや、あんた、推理小説を良く出来たパズルだとでも思ってるんじゃないのか。だとしたら、あんたは小説ってものをちっとも解ってないよ。そういうのが好きなら、月刊パズル問題集でも買いに行きなさいよ。

 最後にネタを割っておくが、実はこの事件、エジプトとも十字架とも関係がない。そういう意味でボリス・ヴィアンの『北京の秋』との関係が取り沙汰されている。

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2011年9月19日 (月)

デヴィッド・リンチ『エレファント・マン』 ('80、BROOKSFILMS)

 文部省推薦だったか知らないが「感動の実話」「ヒューマン・ドキュメント」として売られて、なんと大ヒット!(洋画興収年間第一位!)。嫌でも記憶に残る映画である。
 オールドタイムの文芸大作を装った悪趣味映画。
 
指摘されれば確かにその通りなんだが、実のところ、そんな評論家レベルの話はどうでもいい。

 これは、可哀相な人の人生を憐れむ映画ではない。
  われわれは、みんなエレファントマンだ。

 お前たち悪党は、その事実に目を瞑り、納戸の奥に隠蔽したのだ。
 異様に肥大化した頭部を持って産まれ、全身の90%は腫瘍に冒され象の皮膚のように角質化して垂れ下がり、脊髄は不気味に捻じ曲がって、地上にまともに立つことすら出来ない。右手はまったく動かず、肺気腫を患い言語不明瞭で、暴力に怯え、でも性器だけはまったくの健常を保っている二十一歳。

 正常と異常の二極論に立ってみても、事態は何も変わらない。
 ときおり思い出す、呪われた小箱。
 それは、記憶の片隅に封印されているのではなく、実はきみの捕らわれているこの世界そのものなのだ。
 なぜ、気づかないのか。

 私は、血の涙を流しながら諸君に訴えたい。
 われわれは、全員、エレファントマンだ。
 

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2011年9月18日 (日)

大友裕子「死顔」 ('79、YAMAHA)

 真夜中。
 電話口で、Y氏がその名前を思い出したのは偶然だった。

       ※

 『なんか、ガキの頃TVで観たんだよね。確かに。
 “♪死んでもいいと思~っ~た~”って、すげぇ歌い上げる曲があってさ。印象に残ってる。』

 「そんなバカな。やべぇじゃん。放送できないよ、ソレ。」

 私は、この男特有の冗談だろうと一笑に付した。
 深夜の電話で、バカ話はつきものだ。私はタバコに火を点けた。

 『いや、ホント、ホント。子供ごころにも、イヤなものを見た記憶が鮮明に焼き附いたから。
 歌手の名前は、たぶん、大友とかなんとか・・・』

 「オートモ・・・」

 私の脳裏に『ロボコップ3』のメカ忍者が映っていたとしても、誰に責められようか。
 パソコンの前で電話していた私は、そんな訳はないと思い直し、即座にキーボードを叩いた。

 「検索キーワード。“大友”“死んでもいいと思った”・・・あーーーッ!!!」

 『出た?』

 「ホントに、で、出やがった・・・!」

 そこに現れたのは、チリチリにもチリチリ度数が濃すぎるパーマをかけ、冥界から来たような不吉極まる黒い衣裳を纏って、積み木くずしが更に激化したような化粧、デスペレイトなアイラインに濃すぎるルージュを引いた、やさぐれきったおっかない女の肖像だった。

 「完全に伊藤潤二のマンガだな、こりゃ・・・。」

      ※

 大友裕子。
 1959年東北出身。19歳、東北学院大学一年の’78年、ヤマハのポプコンで優秀曲賞。自作自演のシングル「傷心」でメジャーデビュー。
 
 「ま、これが例の“死んでもいい”ソングなワケだが・・・。
 暗い歌ならゴマンとあるけど、この曲の破壊力が妙に強力なのは、大友さんのドス黒い押し出しまくるボーカルスタイルによっているものと推察されるな。」

 『酒焼けか。もっと、ヤバイもんかも。(含み笑い)』

 「でも、この頃の歌い手さんには、こういうパターンってあったでしょ。若い女のキャピキャピ声なんて、'80年代のアイドル歌謡以降の話で。
 それ以前は、決して表沙汰に出来ない御法度だった。」

 『しかし、改めてすげぇ19歳だわ。
 “傷心”のB面、“ワイルド・ガイ”っての、すげー気になる(笑)。』

 「“ガイ”っつー響きが、いいよね。現代じゃ絶滅してるもん、“ガイ”って奴は。
 で、彼女はこの“傷心”で世界歌謡祭にも出場し、最優秀歌唱賞を獲るんだよね。デビューから数ヵ月後。いきなり世界の頂点です。」

 『完璧にシンデレラ。但し、地獄出身。』

 「そこだけ、デーモンと同じなんだ(笑)。
 歌詞だけ読むと、“あなたのためなら死んでもいいと思った”って、本来ならイイ話の筈なんですけどね。なんで、こうドス黒い印象を残すのか。」

 『類似品とは本気度が違う。いわゆる“本気汁”が出てる。本当に包丁で刺しそう、ってことだね。実際、店で買ってきてると思うね。』

 「で、満を持して発表されたセカンドシングルが、“手切れ金”です。」

 『・・・天才!』

 「うむ。この連鎖は凄い。凡人には真似出来ないセンスが感じられますよ。これも、自分で作詞・作曲してるワケだし。
 事務所の押し付けプロデュースじゃないでしょ。何処を狙ってるんだか、最早よく解らんし。
 この時期、太田さんはプリンスを飛び越えてスライの域に到達していたのかも。」

 『おいおい、太田さんじゃねーよ!』

 「(無視して)“手切れ金”はちょいとアップテンポで、R&B色のあるブルージーな感じの曲です。ま、ファンキー色はアレンジャーの仕事でしょうけど。
 歌メロがベタなニッポンというか、フォークのバカども(R)出身なのが節回しの端々から聞き取れます。ただ、この人、歌謡曲の作家ではないので、キャッチーなサビとか出てきません。そこが音楽的には惜しいのですが、女の人生的にはオッケー牧場だったことがのちのち判明します。」
 
 『で、その次が最高傑作として孫子の代まで語り継がれる、問題作、“死顔”だね。』

 「死に顔!!なんて不吉なんだ!!」

 『例によってバラードパターンなんだけど、作詞のスキルがフル活用されてる。
 一番“♪心に映る、あんたの死に顔”、二番“♪鏡に映った、あたいの死に顔”ときて、三番“♪窓に映る、ふたりの死に顔~”だからさ!!』

 「死体の三段活用!!思いっきり心中しとるやないか!!」

 『まさにリアル天国への階段。プラントも号泣。』
 
 「でも、このへんで、たぶん、太田さんの中で何かが終わったんでしょうね。
 案外、気が済んじゃったのかも。
 その後、包丁とか剃刀とかの重要な要素は影を潜めて、次にテレビに出てきたときには、白いドレスとか着ちゃってますからね。しかも黒い喪服の上から着込んだような不自然さ加減がなんともマニアックで。
 アレッ?っと思ってたら、1982年結婚して芸能界を引退です。」

 『よかったよ。旦那に感謝することだね。』

 「受け止めてくれた男の愛に乾杯!素手で核燃料棒を鷲摑みにするような、真に勇気ある行動だ!フランスを代表して敬意を表するぜ!」

 『この記事の恐ろしいところは、簡単にYOUTUBEで検索して確認できちゃうとこだね。』
 
 「とにかく、“傷心”“手切れ金”“死顔”の三曲はマスト!この記事を読んだきみは、ダウンロードして、いますぐデスクトップに保存!
 いつでもいや~な気分になれるゾ!!これぞ、リアル負の遺産だ!!」 
 
 『でも、太田さんじゃねーから、間違えんじゃねーよ!!
 シューーー、ヤッッ!!!』

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2011年9月17日 (土)

楳図かずお『闇のアルバム』 ('75、SONY)

 「うはははは!!!
 最新作『闇のアルバム2』のレビューだと思っただろ?
 ところが、どっこい、今回はデビュー盤『闇のアルバム』のレビューなのだ!!」

 「単なるいやがらせじゃないですか・・・」
 古本好きの好青年、スズキくんはうんざりしてぼやいた。
 「9月半ばを過ぎてもまだ暑い日が続いてるってのに、なんで、あんたはそんなに元気なんですか?」

 古本屋のおやじは、憐れむような目でスズキくんを見た。

 「そう、またしても職場から常勤スタッフ一名が離脱・・・狂ったように定時退社するのが売りだった筈のきみも、遂に慢性的な残業状態に悩まされるようになったという・・・。
 諸行無常、この国には働いてない奴がごまんといるらしいが、そいつらを狩り集めてうちの花壇の草むしりでもさせたいね!
 無論、全員無給で酷使してやるぜ!」

 「ちょっと、ちょっと。あんた、職業、古本屋!」

 「楳図先生が、自ら熱唱するのみならず作詞・作曲まで手掛けた名盤『闇のアルバム』は、マンガ作品的に云えば名作長編『洗礼』の執筆とほぼ同時期、絶頂期の傑作として位置づけられるべきものだ。
 ゆえに、ジャケットは『洗礼』のさくら!
 いたいけな小学生だが、もちろん中味は往年の名女優のババアだ!脳を入れ替えてるからな!これなら、児童福祉法対策もバッチリだ!」

 「さすがに『洗礼』はボクも押さえてますが(確かに傑作です)・・・楳図先生の歌は一度も聴いたことがなくて・・・」

 いきなり、往復ビンタが飛んだ。
 折れた歯を押さえて、スズキくん、うずくまる。

 「イテテテ・・・・・・なにするんですか?!」

 「お前も日本軍人なら今すぐ切腹してお詫びシロ!!
 
このアルバムだが、一曲目のタイトルがいきなり『洗礼』なの!!」

 「え?!」

 「続けて、『イアラ』『へび少女』『蝶の墓』『おろち』『アゲイン』『漂流教室』・・・と来るわな!どうだ、ファン必携・レアグッズ感がひしひしと伝わってくるだろ?」

 「むー。
 なんとなく、デパートの屋上でやってるバッタもんの怪人ショーみたい・・・」

 「近い。近いぞ、スズキくん。非常にいい指摘である。

 楳図先生を偉大な大芸術家のように持て囃す輩が近年絶えないが、そいつらは先生の醸し出す絶妙なインチキ臭さをどう考えているのか。
 石森先生や赤塚先生など自分のマンガの主題歌を作詞した大御所ってのは、沢山いるが、作曲まで披露し、あまつさえ豪華なプロダクション(プロデューサーは山口百恵でお馴染み、ソニーの酒井政利。あのインチキ臭い二枚目だ)で堂々とアルバムデビューしてしまうなんてのは、もう、楳図先生以外にありえない!凄い!古賀先生もノックアウト!杉戸先生も切歯扼腕!」

 「古賀はともかく、杉戸は視野に入っていないでしょ・・・。
 で、どうなんですか、このアルバム?」

 「個人的な思い入れでいえば、『漂流教室』の歌詞が凄いよ。感動するよ。」

 「・・・そんだけ?」

 「いかん、騎馬武者とデートの約束があるんだ。
 以下、『闇のアルバム2』のレビューへ続く!!」

 「最近、多いなー。このパターン。」


(つづく)
 

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2011年9月12日 (月)

ナポレオン14世『狂ったナポレオン、ヒヒ、ハハ・・・』 ('96、RHINO/EAST WEST JAPAN)

 マッドなレコードだって?---買うさ!
  狂ったシングル?---当然、聴くのさ!一晩中!
 
 音楽聴いてアタマがおかしくなりたい。それが、オレの望みだ。
 他に音楽が何の役に立つっていうんだい?
 ・・・お世辞?
 ・・・説教?

 まっぴら、ゴメンだぜ!
 この世は、死へまっしぐらに突っ走るハイウェイ。偉大なロックンロールがそう言った。

 そういう意味では、この「狂ったナポレオン」は最強だな。
 うるさいオヤジのエッセンスを瓶に詰めて、超高速でシェイクしたみたいなレコードだ。蓋を開けると、
プシューーーーーーッ!!!

 おっさんのエキスが噴き出すのさ。
 あんたは、ズブ濡れってわけ。
  
 こんな酷い曲(褒め言葉)がビルボード3位まで上がったってんだから、アメリカ人のノベルティー好きにも相当なもんがあるよな。
 
 ・・・え?その“ノベルティー”って何かって?
 そうさなー、ジミヘンのセカンド『アクシス:ボールド・アズ・ラブ』ってあるじゃない?
 あれの一曲目。ギターエフェクトのUFOが飛ぶ奴。変なサウンド実験みたいな寸劇があるじゃない?あんなの。
 アメリカ人の演奏する、「なめとるんかワレ?!」って言いたくなる、ふざけた音楽全般の総称。多分に芝居がかったバカ音楽。

 詳しくはARF!ARF!が出してる「ONLY IN AMERICA・・・」とかのコンピを聴いてみて。
 間違いなく面白いから。
 (※しかし、Vol.2まで出てやがる。調子に乗りやがって)

 さて、このアルバムは、その他のナポレオン録音を含め様々なバカ録音を集大成したものなんだけど、最終的に「狂ったナポレオン」しか印象に残らないんだよ。
 その辺が良かったね。

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2011年9月11日 (日)

トビー・フーパー『死霊伝説』 ('79、ワーナー)

 世界の怪奇を知る男、トビー・フーパー。
 『死霊伝説』は、初期のスティーヴン・キングの傑作「セイラムズ・ロット(呪われた町)」(私はプレイボーイブックス版を持っている)を、二夜連続TVスペシャルとして映像化した長尺物である。
 なんというか、これはもう、観て楽しい古典怪奇大作であって、アメリカの田舎町が吸血鬼の恐怖に晒されるどうってことない話を、よくぞこれだけ盛り上げてくれるよな、とトビーに感謝状を贈りたい出来栄えになっている。

【あらすじ】

 米国中西部の町、セイラムズ・ロット。
 正式にはジェルーサレムズ・ロットといいまして、rotは腐れ・汚穢溜たら云う意味ですからして、まぁー、縁起でもない名前やなぁー。怖いなぁー。
 
 さて、とある秋口。
 この町出身の作家ベンがぶらりと帰郷してみると、町には骨董屋がオープン寸前。
 「こんなど田舎に、なんで本格アンティークショップやねん?」と、えらい話題に。
 しかも、店のオーナーは外国人で、町内でも有名な心霊スポット「マースティン館」を買い取って住みついたというのだから、ますます怪しい。
 昔その心霊スポットで本物の幽霊を見たのが一生のトラウマになっているベンは、当然訝しんで注意して観察していると、周りでどんどん町の住人が死んでいく。一晩明けたら、5、6人は死んでいる。
 原因は謎の悪性貧血。全部で二千人規模の町だから、一箇月ちょいでゴーストタウンになってしまう計算だ。あぁ、恐ろしい。


 「あの骨董屋、死んだ人間を剥製にして売り捌いているらしいわよ。」

 宿の女将に告げられ、二の句も接げないベン。
 そういえば、そんな映画があった気がするけど、あれはなんだっけ。

 「『肉の蝋人形』よ。原題は“House of WAX"、つまりは“蝋人形の館”ね!・・・おまえも蝋人形にしてやろうかウハハハハ!!!」
 
 結構です。
 現代でそんなエド・ゲイン張りの悪事が成功するものかどうかはともかく、死体芸術にそんなにニーズがあるもんですかね。

 「さぁ?デヴィッド・リンチ以外誰が買うのかしら?
 でも渋谷の女子高生の間じゃ、カバンから人骨を下げるのが流行ってるらしいじゃない?」

 流行ってません。食人族か。
 山姥メイクからの連想でしょうが、大体そんな奴、もう絶滅してるし。
 
 「そりゃそうよね。警官隊が発砲を許可した途端、撃ち殺されてズドンよ。」

 それは『地獄の謝肉祭』という別の映画ですね。
 おかみ、あんた、どんだけ人喰いジャンルに傾倒してるんですか。
 そういや、以前「人喰い映画祭」という本が出てましたけど、『アンデスの聖餐』とか載ってないんですよ。『ゆきゆきて神軍』もね。

 「アレに人喰い描写なんてあったかしら?確かに人を喰ったじじいだったけど・・・」

 いや、確か、上官が食ったんです。仲間の兵隊を食糧にした。そういう疑惑があるの。奥崎がそれを追求していく話。
 そういや、ガストン=ルルーの『恐怖夜話』で、巻頭の「胸像たちの晩餐」ってのは傑作でしたよね。

 「海の上で漂流し人肉の味を覚えた船長が、ひさびさに帰郷し、故郷の味を堪能する話。グルメには堪えられない内容よね。」

 あれと、ジャック・ケッチャムの『オフ・シーズン』は無条件に世界人肉文学ベスト100にランクイン!
 人肉ネタは、実は諸星先生にも多いんですよ。

 「あるある。栞と紙魚子も、ネタに困ると人肉喰ってたよね。」

 喰ってません。
 喰ったのは、鴻鳥さんです。


 「あと、『漂流教室』のイカレポンチどもか。焼いて食ってたね。」
 
 「一種のステーキ感覚ですね。タレとかつけない辺りが王道ですね。
 ・・・って、何の話ですか?!」

 二名が馬鹿げた会話を繰り広げている間に、町は吸血鬼に占領され全滅した。
 ベンは、大事なときには無駄話を慎もう、と心に深く誓い、グァテマラへ旅立つのであった。
 グァテマラ。


【解説】

 驚くほど、怪奇のクラッシックに忠誠を尽くすトビー・フーパーの格調高い演出は、部分的に『悪魔のいけにえ』の美術になっている吸血鬼館を、決して笑い飛ばすことの出来ないドリフのコント以上の物に変えた!
 実際、30年代の古典ホラーを観ているような、古式ゆかしい物語運びは、明らかに異常である。白黒映画でもおかしくない気になる。
 TVだったので、流血や残虐描写を控えめにしなくちゃならなかったのが利いているようだ。
 プロデュースは、かのスターリング・シリファント。
 坊ちゃん、嬢ちゃん誰でも楽しめるホラー映画になってますよ。安心してご覧なさい。

 ま、鹿の角でグッサリ、ってのがありますけどね!
 
(さすが、フーパー。)

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2011年9月 8日 (木)

松本大洋『Sunny(サニー)①』 ('11、小学館)

 孤児園を舞台にした物語だ。たぶん、時代は今よりちょっと前。

 「いまどき、それをやるのか?」というくらい、アナクロなテーマである。
 『ピンキーちゃん』でも『てんとう虫の歌』でも、いや、実は『タイガーマスク』でもなんでもいいのだが、かつて児童養護施設というのは、連続マンガの主人公の出自を語る上で非常に有効なフックとして機能していた。
 酷い話だが、親がいる子より設定が面倒臭くなかったのだ。
 孤児だから、孤独だろう。不幸だろう。いじめや差別。ぐれて非行に走る。愛を知らずに育ったから盗み・人殺しだって平気。挙句の果てに、野垂れ死ぬ。
 そんな馬鹿な。
 
 思うに、そういうステロタイプの、不幸な孤児マンガにとどめを刺したのは、大友の『AKIRA』辺りじゃなかったか、と私は推測する。金田と鉄雄に孤児院出身である必要性はまるでなかった。ただ、説明の都合上そうなっただけのことだ。
 主人公が孤児であることにまったく意味付けがないのだ。この視点は画期的だった。(褒め言葉ではない。)
 非常に薄っぺらい、表面的な人間理解。おそるべき空白。
 単なる設定の道具としての孤児は、それ以降も頻出するのだけれど、特別われわれの印象に残ることはなかった。
 いうまでもなく、印象に残らないマンガなどたいしたマンガではないのだ。

 松本大洋は、その辺りの経緯を不満に思っていた節がある。

 イラストレーターとしての値打ちはともかく、マンガ家としての大洋の真価は、読者を“のっける”能力の高さにある。
 例えば、『ZERO』の不安定で不快な絵柄を思い出してみたまえ。
 「大丈夫か、このマンガ?」というくらい、あやうい描線が頻出するなか、最後のタイトルマッチ戦にかかるころには、それも気にならなくなり、まったく嘘のような盛り上がり。
 これは、ちゃんとしたマンガの作劇術だ。奇を衒ったかにみえて、実は驚くほど正攻法。
 だから、安心して読める。
 一見、「掲載誌『ガロ』か?」というマイナーなタームを扱いながら、ちゃんとメジャー向けのエンターティメントに仕立てて見せる。『花男』『鉄コン筋クリート』は、そういうアクロバティックな立ち位置のマンガだった。
 
 例えば林立するモアイ。UFO。
 ありえない造形に変化させられた街並。
 とうに引退年齢を過ぎた世界チャンピオン。
 飛翔する児童。
 「ゴースト・ハンターズ」とメビウスのハイブリッドである殺し屋。
 
 (つまりは、精神世界。これらは精神世界の具象化である点が重要だ。因果律は恣意的に捻じ曲げられ、再度組み立て直される。)
 
 どう考えてもバランスの悪い、展開に齟齬を来たしかねない素材をギュウギュウに詰め込んで、それでもちゃんと筋の追えるマンガに仕立ててしまう能力。なにより、これがキャラクターの変化や成長をちゃんと把握できる、古典的なニュアンスを持つマンガになっている点が驚異的であった。
 だから、『ピンポン』が混迷するモチーフを整理して、非常にシャープな描線でリアリスティックに描かれたのは、作家の深化として当然の成り行きだった。速度と視線の角度を綿密に計算し、最大限に誇張し、しかもそれが非現実へと逃げていかないこと。内面をガジェットによって単純化するのではなく、複雑な曲面の構成で描き切ること。
 必要なリアリズムとは何か。
 『GO,GO,モンスター』が“子供”というモチーフをリアリスティックに扱った作品なら、『ナンバーファイブ』は、メビウスや石森章太郎に代表されるようなSFタームの再構築である。

 私が途中で読むのを辞めた『竹光侍』を経て(決して内容がレベルダウンしている訳ではないので、この作品の扱いには微妙なものがある)、新作『サニー』はどうやら“家族”というテーマが全面に出た物語になるようだ。
 
 舞台は、関西方面。地方。
 孤児園・星の子学園に、新しい転入生が入って来るところから始まる。
 物語に慎重に配置された非現実的な要素。いつも寝てばかりいる老人の園長。(誰もが好きにならずにいられない)知恵遅れで丸坊主の巨漢。アフロの小学生兄弟。双子の女の子。
 それから、庭に停められた廃車・サニー。
 あぁ、大洋だ。いつもの松本大洋だ。
 

 最大の違和感は、描線がもはやカリカリしたペンではなく、ソフトなパステル系の画材に置き換えられていることだろう。
 昔から読んできた人間からすると、そのへんが辛い。
 近年は『ナンバーファイブ』『竹光』といまひとつの作品が続いているので、ひとつ、ドドンと盛り上がるようお願いします。

 (②へつづく)

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2011年9月 4日 (日)

アレクサンドル・アジャ『ハイ・テンション』 ('03、EUROPA Corp.)

 現在脳がぱんぱんに腫れる病気に罹っており、うまく眠ることができないので、休日の早朝六時半にも関わらずこの文章を書き始めた。病気はつらい。回復の見通しがないので、なおさらだ。
 そんな病人のたわ言だと思って、映画『ハイ・テンション』のオチについて言及することを許されたい。

 オチのある映画。ジャック・オチ。違う。
 あと、そうだ、Dr.ぽちというのがいた気がするが、あれはなんだっけ。ロリコン漫画家か?おー、なんて、ファッキンな名前なんだ。
 それはともかく、映画のくせにオチがある。これは非常に危険なことである。一種の綱渡り。曲芸。映画が芸術ではなく、限りなく芸能に近づく瞬間だ。
 したがって、『ハイ・テンション』は女芸人二名によるどつき漫才として捉えることができる。
 その線に沿って解説してみよう。

【あらすじ】

 フランスの片田舎。女芸人ゆかりは、相方のはるかと共に実家に帰省しようと車を走らせていた。お盆が来たので、家族の顔でも見たくなったのだ。
 パリの寄席で人気の漫才コンビ、ハイ・テンションは暴力的な激しい突っ込みで大人気。時には流血も辞さない強力なステージは、高信太郎も高だけに高評価、懐ろにちょっとはあぶく銭の入る結構なご身分となっていた。
 はるかは、ゆかりに女性としての限度を越えてご執心。
 ゆかりは、そんなはるかに、ちょっと怖いものを感じている。

 (・・・だいたい、なんであんた、うちの実家についてくるねん?)

 ゆかりは、呑気そうに鼻歌を歌う相方を見ながら、内心考えていた。

 そのころ、近くの森外れ。路肩に停めたトラックの中では、怪しいおやじが生首相手にオーラルファックの真っ最中。
 「ウィー・・・ウィー・・・シルブ・プレ・・・」
 どくん、と死人の口内に放出。ハンカチで手を拭く。「・・・ふぅー、メルシー」
 凶悪な面構えのおやじは、トウモロコシ畑に若い美女の生首を放り出し、車を走らせ始める。

 以上のシーンがはるかの見た夢である。

 既に日は暮れ、ハンドルを握るゆかりはちょっと疲れて、出っ歯のサル顔も多少色っぽくなっている。
 助手席でうたたねしていたはるかは、短く刈った自分の髪を撫でながら(あたし、ちょっと髪の毛刈り過ぎやん。、むっちゃブサイクやん。)と思っていた。

 「なぁ。はるか、あんたさぁー」
 ハンドルを握りながら、ゆかりが話しかけてくる。
 「・・・え?」
 「男とか、おらへんの?」
 曖昧に笑うはるか。
 「こないだの打上げで、メアドとか聞かれてたやん。あれ、どうなった?」
 「ハハ、アレかいな。あんなん、あかんよ。それに、ホラあたし、芸一筋やから」
 「ホンマかいな。そうかいな。・・・あ、見えた」

 農道の外れに実家の灯りが見えてくる。
 地平線まで続く畑と、天まで伸び上がる送電鉄塔。それにしても、田舎が過ぎるんじゃないのか。ここまで凄い僻地だと一生誰とも会わずに暮らせそうだ。
 ゆかりの家族は三人。優しいパパとママ、カウボーイの格好をしたがるやんちゃな幼児マイケル。ここは一応フランスなので、パパはVネックのセーターを素肌に着ている。
 
 「いらっしゃい。オーブンに夕飯が入っとるで」
 にこやかに笑う、フランスの石田純一。
 「もう。おかんには、晩御飯食べてくる言うといたのにぃー。ダサイなー。もー。
 二階行こ、はるか」
 
 寝るのが早い田舎の習慣は、ヨーロッパ大陸でも同じらしく、ママもマイケルも既に夢の中へ斉藤由貴。天井裏の部屋を案内され、くつろいだはるかは、煙草が吸いたくなり、独り庭へ出た。
 青く冴えた月の光が降り注ぐ花壇のレンガに座り、母屋を見上げると、窓ガラス越しにシャワーを浴びるゆかりのヌードが目に付いた。
 意外に豊かな乳房、水を弾く若々しい褐色の肌、こんもりした陰毛の密林。
 突然はるかの内部で、危険な何かがむっくり、モッコリ目覚めた。

 このままでは、とても眠れそうにない。
 部屋に戻り、ウォークマンでけだるいレゲエを聴きながら、いきなりオナり出すはるか。
 おいおい、という展開だが、彼女が果てるまでに見た一瞬の幻覚がこの後の映画の展開を決定している。
 邪魔者を全て皆殺しにし、愛しいゆかりを手に入れるのだ。
 
 妄想は現実となり、狭い農道をゆかりの家へ近づく例の怪しいトラック。
 運転するおやじは、刃物をぶら下げ、まずは玄関を開けたゆかりの父を鈍器で一撃。倒れたところで、茶箪笥を動かし軽く首をチョンパしてみせる。
 続けて、ゆかり母の喉首をナイフで切断。ドブドブどす黒い血を吹き上げて床に崩れ落ちる母。警察に電話をかけようと受話器を掴んだ手首も、無惨に切り落とす。
 ハフー、ハフー荒い鼻息を響かせるおやじは、人権意識も道徳概念もまったくない中卒そのものの野蛮さで、逃げる幼い弟マイケルの頭に猟銃を押し当て、引き金を絞る。脳漿をブッ飛ばされ、息絶える少年。

 ゆかりは捕らえられ、猿轡を噛まされ、手足を鎖で縛られて運び出される。
 どこへ行くのか夜の道。地獄へドライブ。
 決死の覚悟で後を追うはるかだったが、助けを求めに行ったガソリンスタンド従業員はあっさり胸倉に斧を叩き込まれて絶命。ここでようやく警察に電話が繋がるが、現在位置の説明が出来ず、まったく役に立たない。
 トイレで軽く用を足したおやじ、再びトラックに乗り込み、アジトのビニールハウスへ。

 「ビニールハウスには、恐怖のイメージがあるだろ?」
 メイキング映像で監督アレクサンドル・アジャは明朗に断言するが、あるかボケ。

 遂に直接対決するはるかとおやじ。ビニールをかけたり、被せたりの窒息系プレイのデスマッチ。
 どうも単なる監督の特殊な趣味が反映して、かくもビニールの扱いが大きくなっただけのようだが、真相はともかく、有刺鉄線を捲きつけた棍棒でおやじの頭をメッタ打ちにし、遂に勝利を勝ち取るはるか。
 息せき切って、ゆかりに駆け寄るも、彼女は恐怖に慄いた表情で、かぶりを振りながら森の中へ逃げ出してしまう。慌てて後を追うはるかの背後で、不死身のおやじが顔面145箇所の刺し傷から血を滴らせながら、立ち上がる。
 とにかく人殺しに使える道具なら多数所持しているおやじは、運転台の下から丸ノコ式の電動カッターを取り出し、奇声を上げて追いかけてくる。その不屈の闘志に乾杯だ。
 
 バカなことばかりやっているうち、いつしか夜は明け、林間道を激走する一台のカローラ。
 その前に立ち塞がる寝巻きに下着の、全身血塗れの女。

 「止まって!助けてぇーな、もう!」
 「どないしたんや?」
 相手のあまりの異常な状態にドギマギしながら、聞き返す近所のあんちゃん。

 途端に、フロントガラスを蹴破って腹部にガツンと突き込まれるフル回転の電ノコ!

 「あががが、がが、がが・・・・・・!!」

 いつもより、多めに廻しております。

 肉片やら、内臓やら、血糊やら、昨夜食べたパスタの切れ端やらが画面いっぱいに飛び交い、全身シシー・スペイセク状態で恐怖の絶叫を上げるゆかり。
 と、そこへ駆けつけたはるか、ナイフ一丁、おやじの延髄を抉り取る!加えて、心臓付近へ軽妙なはさみの一撃!

 「ぐわ・・・ぐわわ、わわ・・・・・・」

 遂に動きを止める殺人マシーン。よかった。
 安堵の表情を浮かべて、こちらも血塗れのまま、ゆかりに近寄ろうとするはるか。
 
 「来ないで!!この人殺し!!」

 「・・・エ?」

 その頃、ようやく事件の場所を特定し急行した間抜けな警察は、ガソリンスタンドの監視カメラの映像から、凄惨な殺害現場の状況を確認していた。
 画面には、店員に斧を叩き込む、冷酷そのものの短髪の女性が映っていた・・・。

【解説】

 要するに、事件はすべて、ゆかりに欲情したはるかの単独犯行であり、怪しいおやじは彼女の分裂した人格が紡ぎ出した妄想に過ぎないのだった。
 
 このオチは一応アリだが、充分に説明出来ているとは言えず、観客は映画の方向性に手のひらを返された気分になる。
 じゃあ、一体どこまでが妄想なんだ。
 おっさんの生首フェラも幻覚でしたってのは、さすがに無理があるんじゃないか。
 この映画に限らずフランス人はさっぱり面白くない逆転オチが大好きな人種だったりするので、この際仕方ないものとして諦めよう。
 大人の余裕が必要だ。なにしろ、この監督、このとき25歳なのだからして。
 
 それよか、血糊業界の大物ジャンニット・デ・ロッシ先生の痛快な特殊メイク、相変わらず人体の切断面からピューピュー水芸の如く噴き出す血しぶきに盛大な拍手を贈ろうではないか。
 あと、ヌードもオナニーも辞さない女優諸君のど根性。

 映画って本当に面白いなぁー、って気になるよ。

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2011年9月 1日 (木)

友部正人「愛について」 ('86、アルバム『六月の雨の夜、チルチル ミチルは』収録)

 この優れた曲については、一言で記事を終わらせることができる。
 
 この歌を聴いて、なにも思わないような奴は、人間ではない。

 
 以上だ。

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