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2011年9月24日 (土)

楳図かずお『漂流教室』 ('07愛蔵版、小学館)

 不可解な空間移動表現。
 
 どうも楳図先生の謎を解く鍵のひとつは、そのへんにありそうな気がする。
 テキスト、『漂流教室』愛蔵版の第二巻138ページを開けて。(少年サンデーコミック版でもいいのだが、何巻だっけ。手元に現存していないのだ。)
 
 ストーリー的には、この場面は、怪虫の危機が終焉し一息ついた途端に、大和小学校をペストが襲う!という怒涛の展開の幕開け箇所だ。
 プールに落ちた男子生徒がいて、まぁ、橋本くんなんだが、高熱を出して唸っている。異変を感じた翔が咲っぺに指示して、医者の息子の柳瀬くんを呼びに行かせる。
 ここだ。
 コマごとに割ってみると、異常さが伝わるだろう。

 ・翔の言葉に立ち止まって、咲っぺのセリフ、
 「そうだわ、柳瀬さんはおとうさんがお医者さんだったわ!!」

 ・俯瞰。走り出す咲っぺ。
 「ちょっと、まってて!!教室へいってくるわ!!」
 
 ・俯瞰。校舎の入り口へ走りこむ咲っぺ。

 ・校舎の階段を登る咲っぺ。流線・無音。

 ・階段の折り返しを回り、さらに階段を登る咲っぺ。流線・無音。

 ・廊下の角を曲がり、疾走する咲っぺ。真剣な表情。流線・無音。

 ・教室の扉をガラリと開けて、クラス全体に響くよう大声をかける咲っぺ。
 「柳瀬さん!!」

 ・鸚鵡返しに問いかけてくる女生徒たち。
 「どうしたの、川田さん?!」
 「また、なにかあったの?!」

※そうそう、忘れていたが咲っぺの本名は川田咲子なのだった。それなりに周囲から尊敬されているらしく、翔以外の人は“川田さん”“咲子さん”と呼ぶ。

 ・身を乗り出してくる柳瀬くん本人。くるくる天パーのおっとり系。
 「どうしたの?!」

 「あっ!!柳瀬さん、はやくきてちょうだい!!」

 ・ここより、咲っぺ、説明セリフ込みの独演会。
 「あなた、たしかこのまえ、将来は医者になりたいといったわね?」
 否定は一切許されない口調に、無言になる柳瀬くん。

 ・「病気のこと、少しはわかるでしょう?!」
 詰問する咲っぺに、柳瀬くん、もっともな返事をする。

 ・「でもぼく、まだこどもだから、よくわからないんだ!!」

 ・有無を言わせず、袖を引っ張り全力疾走を開始する咲っぺ。
 「とにかく、はやくきてっ!!」
 柳瀬くんの回答は完全に無視されたかたちに。

 ・柳瀬くんの手を引っ張り、廊下を疾駆する咲っぺ。流線・無音。

 ・階段を駆け下りるふたりの足。接写。

 ・天井より俯瞰。
 階段を降り切り、曲がると一階の廊下へ走り出す二名。流線・無音。


・・・・・・ハイ、ここまで。
 (次のページを開くと、医務室に到着し、翔が話しかけてくる。)

 いかがだろうか。
 以上2ページ、とてつもない違和感に気づいて、思わずページを捲る手を止めてしまったのだが(既に『漂流教室』を読まれた方なら、途中で手を止めるのがいかに難しいかご理解戴けるだろう)、凡庸なマンガ家なら三分の一以下のスペースで描き切る筈の余分な描写を、なぜか、楳図先生は徹底的にやる。
 私が「流線・無音」と書き込んだコマが、すべて移動カットであり、しかも擬音が一切振られていないことにご注目願いたい。
 この執拗な連続性がもたらすのは、ひとつには建物内での距離感であり、心理的にはなかなか目的物へ辿り着かない焦り・じらしの感覚である。
 ベタの多い真っ黒い校舎の暗闇の中を、読者は咲っぺと共に移動していく。
 例えば、走り出した咲子の、次のコマに柳瀬くんのいる教室を繋げてしまうことは充分に可能なのだが、楳図先生は絶対にそうしない。不自然なくらい、目的地までは間隔があって、たやすく便利にひょいと着いてしまったりはしない。
 なぜなら、現実ってそういうものだからだ。

 マンガという虚構の中では、作者にも読者にも都合がいい省略が幾らでも可能なのだが、楳図先生はここぞというクライマックスの場面以外でも平気で長廻しを多用してくる。
 (盛り上がる場面をスローモーション的に描くのは、サム・ペキンパー→大友「東京チャンポン」の如く、よくある事例だ。)
 実のところ、これに限らず、『まことちゃん』など連鎖するギャグを繋ぐアクションはワンカット的な俯瞰で、執拗な連続性の維持にこだわり抜いて描かれているし、あの『わたしは真悟』での最大級のアクションシーン---揺れる東京タワーからヘリコプターに飛び移る場面や、トラックでの追跡シーンと、機械油を垂らし路地を這いずる真悟(腕だけの工業用ロボット)のしつこいまでの引き伸ばされた描写とは、同質のものとして展開されている。

 時間や空間に関する認識が、他の作家さんとまったく違う。
 そして、楳図先生の考える長廻しの方が実は現実に即しており、われわれの持つ生理感覚をよりよく納得させる効果を持っている。(よりバッドに、とも云えるが。)

 先生がどこでこの手法を見つけたかというと、少年・少女向けの恐怖マンガをどんどん描いているうち偶然になんだろうが、例えば「恐怖の首なし人間」のクライマックス、満潮の場面を思い出してみて欲しい。
 お話は、まぁ、非常にザックリ云いますが、とある島に、首と胴体を生き別れさせる研究を続けているバカ博士がいて、不具者の息子の首を健常者の少年と差し替えしようと企むが失敗!息子は死亡、自分も火事で燃えつきる!が、博士の首から下は、実は別人のムキムキマンボディー!こいつが主人公に襲い掛かった!

 背後から迫る、首のない大男。
 画面の左右から、津波のように押し寄せてくる満ち潮。
 恐怖に絶叫する主人公の顔のアップ。大きく開かれた口。接写。
 流線・無音。

 (これが左右ブチ抜きの大判コマで、4ページに引き伸ばし連続する。)

 この場面の演出は、まるっきり『漂流教室』と同じである。
 だが、さらに進めて日常生活や地味な場面、あるいはギャグ描写に到るまで、この効果を全面的に採用し、推し進めたのは、完全に楳図先生の専売特許であろう。

 こんな真似、凡人にはできません。

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