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2011年8月17日 (水)

デヴィッド・リンチ『ブルー・ベルベット』 ('86、ディ・ラウレンティス・エンタティメント)

【あらすじ】
 

 原作・熱血硬派くにおくん。
 アメリカの地方都市。くにおくんが、親父が倒れたというので大学から帰郷すると、故郷の町は、喘息持ちのヤクザが支配する悪の町となっていた。
 優しいおばあちゃんの忠告も聞かず、悪の蔓延るリンカーン通りへ出向いたくにおくんは、地元の不良どもと激しいバトルを繰り広げる。
 マブい彼女を救い出し、タイムアタックで車一台、完全にオシャカにしたくにおくんは、ボーナスポイントを手に入れ、次の面に行く。

【解説】

 偶然か。はたまた、必然か。
 計画しても決してうまくいかないような方向で、かろうじて折り合った微妙な産物。
 低予算のクライム・サスペンスとして企画された筈のこの映画は、最終的になんだかよくわからないものに化ける。
 物語の骨子が、ノワール物の輪郭を忠実になぞろうとする(クラブ歌手との恋愛!悪すぎる悪党!)だけに、リンチの、実にしょうもない趣味趣向は一層怪しく輝く。虫が好きとか。

 この映画のストーリー的な辻褄合わせは、すべていんちき臭く見えるように入念な工夫が施されている。
 早い話、ラストシーン。つくりもののコマドリが飛んで来る場面を見たまえ。
 あれは愛の使者。訪れた平穏な日々の象徴。オールド・ハリウッド的クリシェ。
 それが、人工の剥製だというのだ。すべては書き割りだ、と作者は丁寧にネタばらししているではないか。

 冒頭と、最後に繰り返される、きこりの町ランバートンの美しい風景。
 青空に映える、赤い薔薇。白いフェンス。
 通過する消防車に、スローで手を振る笑顔のおっさん。傍らには、置物のような犬。
 これは観光客誘致の看板そのもの。
 どこにもこんな町はない、と大声で宣言しているのも同じだ。

 続くカットで、緑の芝生に撒かれるスプリンクラー。
 撒水中に脳溢血で倒れる、主人公の父親。駆け寄り顔を舐める愛犬。実にわざとらしく、向こうから可愛いよちよち歩きで近づいてくる赤ん坊。
 すべてが、完璧に胡散臭い。
 芝生は緑。だが、その美しい表層の下では、地中でおぞましい昆虫が幾匹も絡み合い、熾烈な生存競争を繰り返している。リンチの本来得意な映像はこっち。
 虫とか、屍骸とか、切り取られた耳とか、いいよねー。
 リンチは、爽やかな笑顔で断言する。
 そこに乗れるかどうかで、この人の評価はまるで違ってしまう。 

 そして、アレ。
 アレの重要性を指摘しておきたい。
 ミステリーとして、物語上重要なトリックである筈のフランクの変装。
 おめん。

 「舐めとるんか」というぐらい、プラスチック製の、本当におめん。

 さすがに陳腐になり過ぎるので、アップは巧妙に避けているが、こんなにおめんが場面を攫った映画はないのではないか。
 『ハロウィン』のマイク・マイヤーズも、『現金に体を張れ』の強盗たちの仮装も、『オペラ座の怪人』だって、本質的にはミル・マスカラスのマスクと変わりない。生きた人が仮装している。中に人が入っているのだ。
 そんな常識が蔓延る中に、あんな粗末なつくりのおめんを白昼出してきて、「この人は生きた人間です」と堂々と言い張る強引な奴など、テキヤのおやじとデヴィッド・リンチぐらいしかいない。普通にはありえない。
 しかし結果として、見事、生気の失せた世にも不気味な人物(そりゃ、そうだ!おめんだぜ!)が出来上がり、物語の象徴性を高めるのに貢献。圧勝。

 これは、デブの刑事が着ている黄色いジャケットと同じ役割だ。飲み屋のオカママスターが使う、ライト内蔵のヴィンテージマイクも同様。
 だが、なかでも、おめんの存在は輝いている。
 あんな奴に狙われたら、絶対殺されるって思いますもの。
 不吉すぎ。

  
 

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