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2011年6月

2011年6月30日 (木)

みなもと太郎・大塚英志『まんが学特講』 ('10、角川学芸出版)

 いまだに私はマンガの正体を掴みかねているのである。
 
 分解すればひとコマ、ひとコマにしかならないものが、ある連続性を帯びて繋がっている状態。
 その頁を捲るスピードの中にしか、マンガは存在しないのではないか。
 実体としての絵柄や吹き出し、キャラクターについて幾ら語っても、結局、マンガの本質はわれわれの掌から零れ落ちていくのではあるまいか。

 いわゆる「マンガ論」や「マンガ学」なるものがもどかしいのは、コマ内の絵を語り、キャラクター・台詞を語り、コマの配置や視線の誘導について語っても、マンガの本質はそこにはないような気にさせるからだ。

 パンパカパーーーン。
 そこに、みなもと太郎のお出ましである。

 みなもと先生のグレートさについては、特に説明しない。知らないお前が悪い。
 かつて、私の知人がこっそり聞いてきたことがある。
 「ねぇ、みなもと太郎って知ってる?有名なの?」
 呆れる私に、友人はたまたま読んだ『風雲児たち』の面白さについて語るのだった。

  そういうものだ。


      1.トキワ荘陰謀史観について

 謬説というのはやっかいなもので、藤子が『まんが道』を書いてしまったので、それが多くの子供達の目に触れる位置にあったので、まったくのデタラメであるにも関わらず、広く世間に流布してしまったのが、以下の説である。

 「(近代日本の)マンガは『新寶島』で始まって、トキワ荘で発見した、みたいな。」(本書44ページ) 

 この大塚の発言を受けて、みなもと先生は力強く断言される。

 「全然違う。全部ぶち壊す。」

 素晴らしい。

 過疎部落のような私のページを読まれている読者諸賢には、いまさら申し上げるまでもない自明の理かも知れないが、やはり言い切られると気持ちがいい。
 あの一派はたまたま生き残った変種に過ぎない。
 そんなことは、ちょっとでもマンガに関心があってまともな見識を備えている人間なら、たちどころに判ることだろう。

 みなもと先生は、貸本劇画を自らのルーツに挙げられ、「つねにカオスじゃないとダメなんですよ」とおっしゃる。

 「貸本劇画だけではなくて、あらゆるジャンルで。
 まんがも、なんでも描けるというのが大切なんだよ。もともと何をやってもいいんだ、ということを知っといてもらわんといかん。」

 真摯な提言とはこうしたものだろう。
 一見、野蛮な先祖帰りに見えるものが実は本質に迫っている。マンガの未来が『侵略!イカ娘』になく、後藤友香『正義隊』にあることは、火を見るより明らかだ。
(なぜ、それがわからないのか?)
 しかし、発言を追って読んで行くと、どうも大塚氏より先生の方が過激なのであった。

 「冗談の分からないバカって、必ず居るから。」(本書107ページ)


      2.アニメとマンガの相関

 マンガばっか読んでアニメを見ないやつ。
 アニメばかり観て、紙ベースのマンガを読まないやつ。
 いずれも耳をかっぽじってよく聞いて貰いたいのだが、お前ら両方とも間違いだ。
 我が国の近代マンガを語る上で、マンガとアニメとの相関関係を視野に入れていない議論なんて、とんだお笑い種、紙の城、もっと言うと幻影城である。乱歩責任編集の。
 
 反論?
 あぁ、そうだ。では、映画と云ってやろうか。尻尾を振るお前が見えるようだぜ、ポンコツパパ。この薄汚いゾンビー野郎。
 (※出典、ジェイムズ・ティプトリーJr.「接続された女」浅倉久志訳)
 マンガは動く。
 但し読んでいる人間の頭の中で。
 動画が動いて見える物理現象とは訳が違う。錯覚だ。精神作用だ。
 マンガの動きがどこに位置しているかというと、コマからコマへの視線の誘導である。連続してコマを追っていくことで、マンガは動きを獲得するのだ。
 (※出典、橋本治『花咲く乙女たちのキンピゴボウ』)
 
 表現は現実を模倣する。
 実際に動いて見えることのお手本として、映画やアニメを下敷きに考える。
 我が国ではこれが歴史的に行なわれてきた。
 手塚がディズニーを執拗に模写したのもそれだし、大友が結局アニメ監督に納まった(この人はやはり根本的に物語を考える能力が低かったのが原因だろうと思われる)のも同じ理由に因る。
 
 みなもと先生は「コマを接着する」と凄い表現をなさるのだが、要はカットからカットへの連続性をどのように確保するか。
 その動体視力が世代により異なっている点に着目しているのは、さすが、慧眼である。
 24コマのフルアニメーションを手本とした初期の手塚と、TV登場以降の8コマ、6コマのリミテッドアニメーションを見慣れた世代とではコマに対する感覚が異なって当然だというのだ。
 

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2011年6月28日 (火)

レイ・ハリーハウゼン『恐竜グワンジ』 ('69、ワーナー+セブンアーツ)

 特撮の神様、レイ・ハリーハウゼン(ハゲ)の操る恐竜がやって来た!

 意外と観られていない『恐竜グワンジ』は、神様の恐るべきテクニックをたっぷり堪能できる実にお得な作品だ。
 正直なところ、まったく期待しないで観たのだが、あれよあれよと面白く一気に最後まで観通してしまった。90分という長さも気が効いています。

 ドラマ部分は世評どおりかったるく、『アニーよ、銃をとれ』みたいなサーカス女と超適当な男のどうでもいい恋愛沙汰を軸に進むのだが、イケメンの馬と少年の驢馬と天秤にかけて迷わず少年を選ぶ気違いジジイやら、片目のジプシー老婆の子分が凶悪な小人(本当に登場以降悪事しか働かないので驚いた)など、細かいくすぐりが効いていて、深い考えを持たなければ充分楽しむことが出来るだろう。
 
 物語は1900年頃のメキシコ。
 ジプシーの守る秘密の谷に、とうに絶滅した筈の古代生物がウジャウジャいた!なんでやねん!
 そこから始まる珍騒動!
 恐竜を捕獲して一儲けをたくらむ悪い奴らと、自然の脅威と共に生きる善良なジプシーとの無意味な対立が、西部に生きる別にガンマンじゃないサーカス芸人のマイホーム願望と相俟って、まったく関係ない人達が次々恐竜に喰われる、史上空前の大惨劇へと繋がっていく!
 いっとくが、恐竜に本当に丸齧りにされてますからね!死者の数なら残虐スプラッターを軽く凌駕!
 細部は映さないから、血糊は一切出ませんけどね!逆に、むしろ粋じゃないか!

 レイ先生(ハゲ)の操る登場モンスターは、まずはネコぐらいのサイズしかない、有史以前の可愛い子馬ちゃん!
 驚くほど、よく出来てます!ミニサイズだけど、ちゃんと馬の動きをしてる!
 『シンドバッド七回目の航海』の縮められたお姫様あたりが嚆矢だろうけど、先生、ちっちゃくて可愛いものが好きです。
 例によって、ライブアクションとの絡め方が絶妙。

 撃墜され、人間に頸をひねられ絶命する、弱すぎるランフォリンクス!
 
おっさんが馬乗りになり息の根を止めるので、実物大模型もちゃんとつくった!偉い!
 ちょっと負け犬顔の表情が強調されすぎて気持ち悪いけど、質感はゴムっぽくてなかなか!

 突進するしか能のないステゴサウルス!
 
ロストワールドの定番中の定番!
 こいつが出ない失われた世界は、たいした世界じゃない!

 
そして本命、期待の恐竜グワンジ、なぜか皮膚の色が青い!
 ・・・なぜ?
 合成の都合なのか、神様(ハゲ)のいたずら心なのか?
 口の中だけ、血のように赤い。
 もう、なんというか、きみの考えた悪い恐竜。
 
そのイメージの集大成がこいつだ。誰もそれを越えることなど出来やしない。『ジュラシックパーク』なんてお笑い草さ。
 胸に手をあてて考えてごらん。ね?本当だろう?

 さて、ストーリーに戻るが、拳銃を持たない無理やりなカウボーイたちが、太古の谷に潜り込み、恐竜を投げ縄で捕獲する暴挙に出る。
 モデルアニメの恐竜に、次々と飛んで来るロープ!まさに、これどうやって撮ったんですか、と聞きたくなる大特撮!
 散々前振りして出てきた恋のライバルはあっさりグワンジに喰われ(丸呑み!)、性格の悪すぎる小人も凶悪な牙の餌食に!
 (エーーーッ?!この人達、出てきただけじゃん!)
 
そして舞台はメキシコシティーへ。キングコングの伝統よろしく、見世物にされるグワンジ。もちろん、鎖を切って暴れ出しますよ!当然でしょう?!
 そして前人未到、ラストの大聖堂バトルは、教会、そしてパイプオルガンと恐竜、夢のコラボの実現だ!
 誰も頼んでないのに!無駄に豪華なディナー!
 すごい!
 すごすぎるよ、レイ先生(ハゲ)!!

 ラスト、崩壊する大聖堂に押し潰され最期の刻を迎えるグワンジを見守りながら、少年が涙を流すのは、レイ先生(ハゲ)の過剰すぎる恐竜愛を象徴しているのでありましょうが、

 (大好きな恐竜が死ぬというだけで、もう悲しい・・・)

 
一般の観客は100%置いてけぼり。
 みんな、なんのことやら分からないと思います。
 脚本上の必然性はまったくない。当然だ。

 ・・・で、も、ね。

 
そんな奴らは、今すぐ死んでしまえ!!!
 レイ先生(ハゲ)万歳!あんたはエライ!最高だ!

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2011年6月21日 (火)

メビウス「落ちる」 (月刊スターログ'83、2月号掲載)

 最近書いたショーン・タン『アライバル』の記事が無惨すぎる失敗に終わったため、こうしたマンガをどうやって語ればいいのか、改めて考えなくてはならなくなった。
 
 そこで私は古書店の棚を引っ掻き回し、古い雑誌を一冊拾ってきた。
 月刊スターログ、1983年2月号。
 石上三登志による大林『転校生』の忘れ難いレビューが載っているこの号に、フランスの漫画家メビウスの台詞のないサイレント漫画が掲載されている。
 邦題は「落ちる」。
 わずか8ページの短編だ。わざわざ本誌とは別の紙を使い、綴じ込み付録のように中折り部分に添付されていた。
 この号は本当無駄に凝っていて、他にも「FOCUS」をもじった「LUCAS」なる『スターウォーズ』関連の情報小冊子まで付いていたが、まぁ、それはどうでもよかった。
 小学生の頃、私は封切り間際のスターウォーズに熱中していて、あんまり熱を入れたものだから、ようやく公開された時にはすっかりそれに飽きていた。
 (一年以上待たされたのだから当然だろう。)

 さて、問題の号の本誌紙面を覗くと、タニア・ロバーツの巻頭グラビアがあり(ヒャッホー!)、カルロ・ランバルディ「私は『E.T.』を観ても全然泣かなかった、家族は号泣していたけどね!」という大裏切り発言に、同席していたスピルバーグが「そりゃねぇだろ!オレは編集中も大泣きしてたぜ!」とマジ切れする面白インタビューも載っているが、そういうのに価値を見出すのは色々物事が分かってからの大人の視点だ。
(※カルロ・ランバルディはE.T.のデザイナー。まったく動かないコンピュータ制御の実物大キングコングを制作したり、業界随一の使えない男として名高い。)
 とにかく、メビウス。なにより、メビウス。
 刺激の少ない田舎町に住む高校生にとって、「落ちる」は大変な衝撃作だった。

        ※      ※      ※

・ 密生する巨大な植物の合間を縫って、男がひとり駆けている。
 ラフなジャケットにズボン。
 年寄りでもなく、若くもない。特徴のない、地味で平凡な男だ。

 彼がなぜ走っているのかは明らかでない。
 幕府に追われて逃げているのか。
 目的地へ急いでいるだけなのか。

 視界を遮る巨大な密林。群生。
 ポクポクと花粉の煙を吐き出す植物。
 無数の葉冠を茂らせた、球根状の堅い仙人掌。
 太い葉脈の浮いた、人間よりも大きな葉は明らかにこの世界のものではない。

・突如緑の切れ目から、まっすぐな斜面が現れ、砂のスロープを転げ落ちる男。
 揺れる巨大な葉むら。
 男は完全に足をとられ、砂を蹴散らし、体勢を崩して滑り落ちていく。

・突如前方に広がる真っ黒い穴。漆黒の陥穽。
 存外、奥行きがあるようだ。
 行き着く先がまったく見えない。
 自ら蹴飛ばした石の欠片と共に、暗闇の中へ一直線に吸い込まれていく男。

・広がる空洞の中を自由落下する。
 上方から差し込む陽光で、まだ辛うじて周囲は明るい。
 鍾乳石のように、壁は滑らかで太い柱を幾本も生やし、色鮮やかだ。

 男はなんとか体勢を立て直そうとする。

・落下は続き、周囲の壁も見る見る変化していく。
 切り立った、ざらざらの花崗岩が姿を現し、不思議のトンネルは瞬く間に荒涼とした厳しいものに変わる。
 男は両のこぶしを握り締め、前景を睨んで落ちていく姿勢になった。
 凄まじい風圧に双眸は眇められ、険しい表情に。

・突然、斜面に着地し、男は「あっ」と叫んだ。
 殆ど垂直に近い斜面だ。止まることなどできない。
 軟泥のような砂を撒き散らして滑り落ち、たちまち断崖を越え、新たな空洞の中を落ちだした。
 細い。
 今度は一転、えらく狭いトンネルだ。迫る壁に足掛かりなどない。
 下手に接触すれば、骨折どころか肉まで抉られそうだ。

・迫る、幾本もの牙のように屹立する鍾乳石の群れ。
 身体を射止められそうになりながら、からくも細い隧道を潜り抜ける。
 間一髪だった。

・トンネルの終着点。奇妙なフロアが見えてくる。
 床いっぱいに五菱星を重ねたような文様が描かれ、悪魔召喚のペンデュラムを連想させる。

 男は苦痛に身を捩じらせ、畏怖に慄き、やがて運命を受け入れると、手足を大きく伸ばした。
 殆ど床と平行になる体勢で、男はペンデュラムに接近する。

・突き抜けた。
 床は薄い陶器で出来ているかのように砕け散り、バラバラと散らばった。

・落下は続いている。

・トンネルを抜けると、ただっ広い空間が広がる。
 それはまるで地下寺院の広壮な伽藍のようにも見える。

 アーチ状のきざはしから、星のかたちの顔の男がこっちを見ている。
 幾つかあるドア。くぐり抜け通路。
 たむろする人たちは車座になり、なにやら話し込んでいる。
 彼らは皆、人類以外。楕円や紡錘形のつるつるした頭部を持ち、宗教的なニュアンスのあるローブやトーガを纏っている。
 座の中央に立てられた錫状はなにかの権威の象徴か。

 星の顔を持つ男は、天井のステンドグラスを突き破り、中空を落下していく者を見ている。
 とぼけた顔。
 その目前を通過し、広がる真っ黒い大穴へと落下しながら、男は上着のポケットから紙片を引っ張り出す。

・落下体勢で、メモを読む男。
 紙片の文字は描写されないが、これがなにかの指示書、行動覚書きであることは、読み終えた男がおのれの運命を受け入れ、迷いのない背筋の伸びた落下姿勢を取ることから分かる。

・宙に舞う紙片。
 空気抵抗の都合から、紙片は遅れてヒラヒラ落ちていく。
 両足を突っ張り、進行方向を見据える男。

・暗黒が広がり出した。
 加速度も増してきているようだ。

見張り部屋が見える。
 縞の海パン一丁の、異星人らしき男がひとり。
 つるつるの頭に、小さな目。尖った耳。
 彼は落下してくる者を観測し、記録する役目を持っているらしい。 

 部屋はドアひとつ。数枚のメモが留められたコルクボードひとつ。
 空洞の暗黒に向かって壁が刳り貫かれている。
 すなわち、その部屋に入った者は自動的に外界の空間に向かい合うように設計されている。

・異星人は落下していく男を確認すると、画板を取り出し、パラメータを大判のノートに書き入れる。
 ノートの表題は“ABSOLUTEN CALFEUTRAIL”。
 太いペンシル。その側面にも“ABSOLUTEN CALFEUTRAIL”。
 部屋の側面には観測用の円形モニターがあり、その照準に遠のいていく男が写っている。
 画面の上にも“ABSOLUTEN CALFEUTRAIL”の表示が。

(※フランス語赤点だった私が言うのもなんだが、“ABSOLUTEN CALFEUTRAIL”はどうやら造語らしい。ABSOLUTENは“絶対的な”で間違いないが、 “CALFEUTRAIL”とはなにか。 FEUは“火”、TRAILは“軌跡”。スターログでは直訳して「絶対的熱火軌条」とあてている。)

・異星人がノートにフランス語で記録を続ける間にも、モニターの中を落ち続ける男。

 遂には点になり、そして・・・。

・メキシコかどこかの砂漠の町。

 地面にまじない師が棒で魔術円を書いている。
 背後に、みすぼらしい開拓地風の住居が見える。
 並ぶ電柱に電線は張られていなくて、荒廃が始まった地域のようだ。

 空中から一直線に落下してくる男。
 観念したかのように目を閉じている。

・大爆発。

・グランドメサの向こうに立ち上るキノコ雲を眺めるカウボーイ。
 荒れる馬を御しながら、閃光と爆音の彼方を見つめている。

・荒涼たる砂漠に出現した巨大なクレーター。
 岩山の上からその姿に息を呑むインディアンの老人と若者。
 蒼穹は地平線の彼方まで延びている。
 
 観察者が変わったことで時間の経過と、先のカウボーイが閃光に飲み込まれ消滅したのであろうことが分かる。

 (おわり)

        ※      ※      ※


 ・・・いかがだろうか。

 あまり的確な説明でもないし、台詞のないマンガから読み取れる情報を継ぎ接ぎしながら、多少の無駄もまじえて場面に即して文字に起こしてみたのだが、ともかくこれがやたら内容の濃い8ページであることだけは理解されたかと思う。
 このストーリーのブッ飛びかた。
 奇妙なすっとぼけ。
 定石ってなんですか、と言わんばかりの勢い。

 私が考えたのは、こういうことだ。

 この世界のどこかに、まだ見ぬマンガが幾多も存在し、驚くべき連続性を語っている。それは絶対に素晴らしいものに違いない。
 
 
そのように確信したのだった。

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2011年6月19日 (日)

デヴィッド・フィンチャー『SE7EN』 ('95、NEW LINE CINEMA)

(※以下の記事には露骨な嘘が含まれているので注意。)

 ・・・SE7VEN。
 「テイク・ミー・ウィズ・U2」みたいなものか。
 ディスクのラベル名もこの表記だったので、製作者側は押していたようだが、定着しなかったようで残念なことだ。

 今を去ること十五年前。
 イチロー渡米
のニュースは大いなる衝撃をもって迎えられ、ファンの多大なるブーイングと熱い声援は遥か太平洋を越えてセンセーショナルに報道された。
 日本球界を征した男イチローが、その微妙な角度にシェイヴされた無精髭と濡れた子犬のような瞳を向けた先が、なんとハリウッド映画界だったというのには、常日頃連続殺人者の肖像画を描いて暮らしている私のような人間も目を惹いた。
 その成果が、アメリカの黒いいかりや長介、モーガン・フリーマンとの共演作となるこの『SE7VEN』だったというのは大いなる皮肉だ。
 宗教モチーフに見立てた連続殺人。誰もが諳んじる聖書の七つの大罪、あぁ、そのうちひとつは確か“強姦”だったと思うが、ともかく敬虔な信仰とは無縁のファッキング・ジャパニーズピープルが、斯様な由緒正しい西欧社会の伝統に乗っ取った映画に主演するとは。
 ハリウッド・タイクーンの大いなるいたずら心を感じさせるではないか。燃えるシチュエーションだ。ここ一番、檜舞台だ。いや、欅舞台だったかな。
 イチローよ、迷わずかっ飛ばせ。
 スポーツ中継の大好きな日本国民全員が手に汗握って見守る中、映画は製作され、封切られ、あっという間に忘れ去られた。

 手芸の得意な男がフィルムを細かく刻んで作ったオープニングから、尋常ならざる伝説の幕が開く。
 雨の日、デブが太って殺されたのだ。混迷する捜査陣。
 日本では超一流選手とはいえ、ハリウッドでは新人ルーキー扱いのイチローは、プレイ=演技に於いて重厚さの中に斬新なブチ切れモードを投入し、始終舌打ちを続ける奇特な人物を軽々と演じてオスカーノミネート!
 映画『薔薇の名前』を臆面なくパクった美術スタッフもオスカーへリーチ!最大級のオマージュは解剖台に転がしたデブの死体から、小さいちんちんが飛び出している場面で、公開当時全米の銭湯ではこれを真似して、洗い場を占拠する奴が続出し、ちょっとした社会問題にもなっている。
 で、お話の方だが、いかりやが仕掛けた七つのクイズに全問正解すると、ハゲ(ケビン・スペイシー)が踊りながら出てきて、鳩が飛ぶというもの。
 クイズの正解はすべて死体のどこかにマジックで書いてあるので、イチローは腐乱臭に鼻を摘みながら、この上なく熱心に死者の尊厳を冒涜し続ける。死体のなかには稀に美女も混じるが、決まって鼻が削ぎ落とされて無惨に面相が変わっていたりするので、主人公の新人刑事の舌打ちは益々激しさを増していくのであった。

 この映画の最大の見所は、クライマックス、イチローの元に配達されてくる中井美穂の生首。とても精巧な仕上がりで、ミニチュアとは思えない、最近流行のCG技術が導入されているのではないかと取り沙汰されたが、これがなんと本物。
 「そういえば最近テレビで中井を見ないな」、
と思ったあなたが正しい。
 他人の幸福を羨む人間の小さい奴らが寄って多寡ってスター選手を不幸にする。
 野球発祥の地・米国からの、「球界にスターなんかいらない・・・ひょっとして球界そのものもいらないんじゃないの?」という暖かみに満ちたメッセージが映画のエンドロールに合わせ垂れ流され、主題歌を歌うデビッド・ボウイのやる気の感じられないぼやきと相俟って、人をダルな感覚に誘うのであった。

 「これ、『キャットピープル』じゃないよね?」って思った人、またも正解です。

 エンディングにデビッド・ボウイの主題歌が流れる映画は、すべて『キャットピープル(リメイク)』なのです。

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2011年6月13日 (月)

岬マヤ『恐怖!ゾンビのいけにえ』 ('87、リップウ書房レモンコミックス)

 強制ゾンビ特集第二弾。不自然なマンガであることを怖れてはならない。この作品に登場するゾンビは私達の知るゾンビとは少し異なっているのだが、そこから逆照射される恐るべき真相は、われわれの見識がいかに偏狭で、独り勝手で、悪辣な誤解に満ち満ちているかを明らかにしてくれる。
 なにしろ、岬マヤの定義によれば、ゾンビとは、
 「強突張りで」「ブサイクな」
 「人肉愛好家」

 なのである!
 ヴードゥーも、惑星イオスの爆発も関係ない!
 この態度こそナイスだ。もっともらしい研究家など全員死んでしまえ。われわれは今こそ身を隠すだけのみすぼらしい知識の衣裳などかなぐり捨てて、新しい認識の地平線へと出発すべき時ではないのか。
 貸本マンガに登場するような土俗的な魔物と、適当にモダンな西洋ホラーの上っ面だけ真似た強引極まるハイブリッド。
 まるで誰も望まないのに、産まれてしまった赤子のようだ。
 
 「この銀河とは」
 先鋭的思想家エドモンド・ハミルトンは著作の中で述べている。
 「生命という毒に汚染された、呪われた銀河である。」

【あらすじ】

           1.


 中学生の登山パーティーの遭難。
 まずわれわれが知るべきことは、5名の集団が純粋に中学生の男女により構成されており、彼らが所属するワンダーフォーゲル部は俗に「ワンゲル」と略されている事実である。
 ワンゲルも糞もない中学に育った人間からすれば、これは異様極まりない用語だ。そうか、そうきたか。
 ワンゲル。
 ワンゲル。

 何度繰り返しても馴染まないのが不思議だ。
 (まぁ、ウンベルなどとふざけた筆名を使う者から指摘される筋合いはないのであるが。)

 さてワンゲル部、5名のメンバーの構成比は、男2に対し女3。しかも、男のうち一名は食いしん坊のデブキャラ。これは、おいしい。
 残るリーダー神島は徹底したイケメンとして設定されており、イケメンの常として地理に疎かった。突然の豪雨と落雷に見舞われた一同は道に迷い、下山ルートを大幅に外れてF県鬼神岳の懐奥深く入り込んでしまう。

 「みんなを迷わせるなんて、リーダー失格よ!」

 無策に対する叱責を受ける神島。女ならともかく、デブにまで。
 グッと悔しさを噛み殺して耐えていると、森の樹上よりボタボタと落下してくる黒い塊り。

 「キャアァーッ!!ヒルよ!!」

 ヒルだった。いや、複数いるから、ヒルズだ。
 巨大な赤黒い腹をうねらせ、女性陣の中でも特に濃い容貌のサチコの首筋に齧りつく。

 「アッ!!イ、イタイ!!とってー!!」

 首筋より体内に潜り込み、疣のような腫瘍が次々と膨らむ。首から、顔面から、サチコはぽってりした肉瘤を生やし、ニキビ面の不細工にさらに拍車がかかる。もう、JCとか抜かしてる奴に優先的に高画質で視聴して欲しいレベル。
 
 サチコは涎を噴きこぼし激痛を訴え、ご丁寧に発熱まで。緊急事態だ。どうすりゃいいんだ。
 助けを求めて、かすかに山間に垣間見えた灯りへと、近づく一行。
 あれは山小屋か。
 雨は都合よく上がり、今度は霧が出てきた。一寸先も見えない。

 「おぉーーーい、助けてくださぁーーい!!」

 おっちょこちょいのデブが慌てて駆け出し、予想通り崖から落ちた。

 「・・・あ・・・あわわ・・・」

 残念、寸でのところで草に齧りつき、空中にぶら下がっている。
 イケメン神島は、持ち前の素早い計算能力で、デブを救けておのれの株価を吊り上げる道を選択。かくてデブは何があっても決して逆らえない立場に。

 見渡せば崖の向こうには深い峡谷が横たわり、この世とあの世とを遮断している。

 深い霧でよく見えないが、向こう岸には確かにちらりと人家らしきものが覗いており、灯火が微かに漏れてくる。
 なんとか無事に辿り着く道はないかと探すと、見るからにやばい吊り橋がいっぽん。
 たもとに「落ちます。」とペンキで大書きされている。

 「なによ、これ?
 “この橋、渡るべからず”ってこと・・・?!
 とんち?!
 とんちだというの?!」


 万事に高飛車な、学級委員タイプのメガネ女が噛み付く。
 バカでお調子者のデブがそれを受けて、アームストロング船長並みの偉大な一歩を踏み出した。

 「では、まんなかを渡るでやんすー!」

 踏み抜いた。
 再び、軽々と生命の危険に晒されるデブ。まさに命の軽業師。 

 「あわわ・・・わわ・・・」

 それを助け、顔面全体が腫れ上がってえらい状態になっているサチコを宥めすかしつつ、一行全員が渡り終えると、吊り橋は待ちかねたように崩落。暗黒の断崖奥深くへと没し去ってしまった。
 諸行無常。
 今更悔やんでも遅いので、霧の中、リュックを背負って歩き出し、灯りの見えた方角を目指して前進することしばし。
 地面に無数の盛り土がしてある場所に出た。

 「なんだ、こりゃ?」
 「これって・・・アレに似てる。
 いがらしみきおの短編“ガンジョリ”に出てきた・・・」
 「なんのマニアなんだ、お前は?」
 
 以上の意味深な前振りをまったく聞いていなかった病人サチコ、狂ったように盛られた怪しい土を喰い始める。

 「うわッ!!
  や、やめろサチコ!!絶対やばいって!!」

 四人がかりで引き剥がそうとするが、取り憑かれたかのようなサチコは、土を掬っては飲み込む動作を止めようとしない。
 これは、絶対へんだ。
 
 「モグ、モグ・・・な、なによ!・・・モグ、おいしいわよ、この土!」

 「イヤーーー!!やめて!!」
 「お前、ゼッテーどっかおかしいって!!」
 「マジ、やばいし、アタマ超おかしいって感じ!!」
 「スーパーMMC!!」

 サチコは口の周りを、泥とも汚物ともつかぬもので汚しながら一心不乱に食べ続けている。
 プーーーンと漂う異様な匂い。
 そういえば、心なし銀バエのような影が闇夜に飛び交っている。サチコの闖入に安眠を破られたらしい。

 「これって・・・」
 「・・・うん・・・」
 「マジ、あれじゃないの?」
 「あぁ・・・アレ・・・まさか・・・」
 
 会話の異様なトーン、その恐るべき内容に、普段から気の短いデブが唐突に切れた。

 「・・・う、うアァァァーーーッ!!!」

 
なお口をもごつかせ、抗うサチコを担ぎ上げると、爆走を開始した。

 「おんしは・・・」
 切れたデブは何故か方言だった。汗が微塵に滴り落ちる。
 
 「おんしは、必ずわしが助ける・・・!!」

 「待てーーー!」

 息も絶え絶え、全員が後を追ったがとても追いつかない。
 早い。
 こいつ、早すぎる。

 バカの一念、恐るべし。
 十秒フラットの全速ダッシュで夜の森を駆け抜けたデブは、見るからに怪しい山小屋の扉を無造作に叩いた。

 「トントン!!開けておくんなましーー!!
 ドクター、急患ですよーーー!!」

 ギィ、と戸が開いた。


             2.

 腐臭の漂う、仄暗い部屋。
 ひと気がない。
 脂の焦げる匂いは、吊るされたランプから来るのだろうが、それ以外に絶対なにかある。
 異臭は鼻を抓む勢いだ。
 
 「・・・なんだ・・・これ?」

 間抜けな疑問符が口を突いて出る。

 招かれざる客第1号として、さっさと闖入を果たしたデブが部屋の中央に立っている。
 お陰で、後から息も絶え絶えに追いついた神島たちからは、残念だがデブの不審がっている対象を捉えることが出来ない。これはリーダーとして実に恥ずべき事態だ。
 ゆえに、唐突だが、幅広いにも程があるデブの背中に、神島の履いた卸したて登山ブーツの真新しい切っ先が強力にめり込んだとしても、さして奇異な展開とは言えまい。

 「ぐべべッ・・・!!」

 サチコを抱いてよろけるデブ。
 その巨大過ぎるジェリコの壁の隙間から、神島たちは恐るべきものを見た。

 大皿に盛られた、赤黒い肉のかたまり。
 超ジャンボ盛り。
 レアだ。
 レアすぎるくらい、レアだ。


 それが強力な異臭を放って、彼らの眼前に誘惑するかのように据えられているのであった。        

 「なによ、この肉・・・」
 「ヒーーーッ・・・すごい匂いね」
 「腐ってる。
 こりゃ、腐りきって蛆が湧いてるぞ、ゲン!!」

 そのとき、よろめいて後ずさっていたデブの腕の中で、気味の悪い声がした。

 「なによ・・・あんたたち、このおいしそうなお肉が見えないの・・・?」

 身を乗り出し悪魔の食卓に齧りついたサチコ、腕まくりで無数に蛆虫が白い腹を見せて蠢く、大盛りの腐肉を一心不乱にパクパク食べ始めた。
 当然、手づかみで。

 「うわわわッ・・・!!」
 「キャーーー!!」


 もはや周囲の狂騒は無視して、食の快楽を無心に探求し続けるサチコ。地獄の魯山人状態。
 ぐちゅ、ぐちゅと特別製の薬味を噛み潰しながら、

 「この、うじ虫がまた、格別にジューシー!!堪えられないわ!!」

 「げーーー!!」
 「げぼーーー!!」
 
 残る一同が耐え切れず、ゲーゲーもどしていると、奥の引き戸の陰から、やけに顔色の悪い老人が出てきた。

 「・・・誰じゃな、うちの晩御飯に勝手に舌鼓を打っておるのは・・・?」

 サチコ、悪びれず、

 「アラ!ごめんなさい!
 でも、あんまりにもおいしそうだったもので、つい・・・」


 ペロリ、舌を出した。

 「こ、これは・・・」
 神島が胃液の苦い味をからくも忘れようと試みながら呟く。
 デブが相槌を打った。
 「うむ・・・。
 間違いない。1970年代に一世を風靡し、瞬く間に消費され、歴史の暗闇へと消え去った筈の存在・・・。
 伝説の、ドジっ子演技だ・・・!!
 やはり、恐竜は生きていたんだ!!」

 
           3.

 いい加減レビューではなく小説を書いていることに遅まきながら気づいたので、ピッチを上げるが、老人の説明によれば、ここは人界離れた隠れ里で、電気も水道もガスない不便極まる環境で、それでも物好きな者達が世間の目を逃れるかのようにいじいじと暮らしているというのであった。
 そんな中、誰も止められぬ勢いで腐肉をパクついていたサチコの病状が悪化、小屋の床に倒れてのたうち始めた。

 「オゲッ!!オ、ゲゲッ!!ガゼボ!!」

 「・・・当然よねぇ・・・」
 「あんなもの、食べたから・・・」

 「おお、こりゃ、ヒルに当たりなすったね!」

 また奥の引き戸から、気味の悪いババァが出てきた。片目が醜く潰れている。

 「もしかして、毒ヒルが体内に潜り込んでいるのかも知れないね!
 オスとメスが番って子供の毒ヒルがうじゃうじゃ産まれてくるかも・・・!
 なにしろ、人間の体温は毒ヒルの成育に一番適しているってシートン動物記に書いてあるくらいだからね!」

 「エエーッ・・・!」

 「毒ヒルはお嬢さんの肉を養分にして巨大化し、捨てておけば脳まで入り込んで身体全体が一個の毒ヒルと化してしまうわ!」

 「そ、そんなバカな・・・!!」

 「さ、さ、早く」

 老人が鼻クソを丸めたような粒を手に持って差し出した。

 「このナンチャッテ正露丸を飲ませなさい。意外と、効くかも!!」

 水も使わず、飲み下すサチコ。
 意外なことに、皮膚の下からにょろにょろヒルが這い出て、命が助かった。
 床にのたくる気味の悪い肌色のヒルを、ブチブチ潰しまくる神島とデブ。

 「おーーーし、仇きは討ったべさ!」
 
 「それは善哉。
 表はひどい雨だ。今夜は泊まっていくといい」

 老人が宣言すると、ババァが相槌を打った。

 「そりゃーいい。なにか、おいしいものでも拵えようかねェ?」

 「それだけは勘弁してください」

 サチコ以外、全員が土下座して謝った。


【解説】

 とてつもなく、ボロい傑作の登場だ。
 余りボロいので、家屋決壊になりかねないが、人倫の境界線を敢えて押し広げて通ろうという、岬先生の超野心的な企てには、東大学長も思わず感涙に咽ぶ夜もあるだろう。

 下手すると全編を小説化することになりかねないので、以下ザックリと展開を記述するに留めるが、このあとワンゲル部の5人は人肉入りの鍋をたらふく食わされる。
 (デブの抓んだ箸の先に、人間の指が挟まれている名場面は必見である。)
 そして、就寝にあてがわれた臭い部屋の隅から謎の血染めのレターが発見され、イケメン神島の、山歩きが好きで好きで性がなくて、山に入って消息を絶った父親が、どうやらこの山の何処かに居ることが解る。
 この山は、実は日本ゾンビの総本山であり、そして神島の亡父こそは由緒ある一族の総代を務める、死人の業界の超大物なのであった。
 それを知って、村長に食われるデブ。死人側に完全に寝返ったサチコたちに八つ裂きにされるメガネ。残るイケメン神島は、ワンゲル部基準で最もイケてると推測される尻軽女に誘われ、山小屋の隅で濃厚な一発をキメる。
 そんな混乱の最中に、ゾンビ一族の内紛が勃発。全てをお色気盛りの息子に託した父親は、スコップを顔面に突き立てて頓死してしまう。対抗勢力の村長グループは、日本ゾンビ界の最頂点に君臨する伝説のゾンビ、長老様を擁立し、逃走を図る神島の前に立ちはだかる。
 
 「お前の父親は、助けられた恩義も忘れ、わしに刃向かいおった。
 そんな軟弱な奴は、我らの仲間に必要ない!」


 余りに凶悪な面構えの長老様に、目に見えてビビる神島。

 「おお、うまそうな若者だ!
 さっそく、生で食ってやるぞ・・・!!」


 牙を剥き出し迫られて、キレた神島が夢中でどつくと、あっさり倒れた。
 長老様が悲痛な声で叫んだ。

 「コリャ・・・!!老人に何をする!!」

       

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2011年6月10日 (金)

和知三平『たんけんはかせ』 ('56、小学館)

和知三平が学習雑誌に描いた付録を買ってきた。発売は昭和三十一年、『小学二年生』十一月号。
 ふろく、ふろくと舐めてはいかん。
 厚手の紙で綴じられた絵本風の立派な造本である。
 和知先生といえば、のちのギャグマンガ「火星ちゃん」。さる高貴な身分の方がモデルだという、お笑いなのに下品になりようがない、やんごとなき作品だ。
 「たんけんはかせ」の頃は、もろに「新宝島」の波をかぶって中々にきれいな絵を描いている。
 模写してみよう。
 鉛筆描きなのでわかりにくい。

 Img_00010006_2

 本家初期の手塚先生も勿論そうだが、実は難易度が高いのだ。この絵柄。
 一見単純な線で纏められているように見えて、内包する空間の密度が異様に濃い。
 意外や、これ動かしにくいのである。
 相当練習して、法則性を手に覚え込ませないとダメだ。丸っこい線というのが得意な人もいるけど、私は根っからカクカクのギザギザが好きなので、頑張らないとふんわりした線が引けない。
 ちょっと残念だ。

 Img_00020006_2

 あぁ、ラクチンだ。

 ところで、「たんけんはかせ」の内容ですが、「ほら男爵の冒険」そのものでしたよ。
 はかせが、大砲の弾に乗って戦場を往ったり来たりするので、かなり不自然な翻案になっておりました。

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2011年6月 5日 (日)

ジャック・ターナー『私はゾンビと歩いた!』 ('43、R.K.O.)

 強制ゾンビ特集第一弾。伊東美和氏の名著『ゾンビ映画大事典』以降、ゾンビの社会的地位はさらに向上し、慢性的なセール減退に悩む業界における定番商品となっている憾があるが、あなたも私もやったカプコン「バイオハザード」の大ヒットからもお察しの通り、いわゆるロメロ・メソッドに基づくゾンビの在り様は、少なくともエロゲー並みのポピュラリティーを世界規模で要求できるのではないのか。
 同時に、映画で生きて動くゾンビを目の当たりにする事は最早日常化し、酷い例えで恐縮だがクラスにひとりはいる知恵遅れの子に諸君が接する態度に似通った、幾分後ろめたい感情を表面に出しながらも、それに馴れ、無意識に習俗の一部とする手続きを踏んでいるのではない、などと、どうして言えるのか。

 事態は深刻だ。
 私の文章が相当まどろっこしいのは局面の重大さに足を引っ張られての事と理解されたい。
 なにしろ、全国民的に深刻な危機なのだ。
 なにがって、ゾンビが。

 白と黒とで写し撮られた海岸。寄せる波と続く砂浜。 
 波打ち際を辿りながら近づいてくるふたりの人影。昼日なか。流れ行く雲は水平線を越え蒼穹へと伸びて、コントラストのやけに明瞭な影を地上に投げかけている。
 「私は、ゾンビと歩いた!」
 絶え間なく鳴る波音に被って、女主人公のモノローグ。
 「この仕事に就く前は、そんなものがこの世にあるとも知らなかったのだけれども。案外面白いものね。
 ゾンビは二十八歳、人妻。素敵な出会いを求めています!」

 高まる悲愴な音楽。
 主人公は黒髪の快活そうな女性で、看護婦。ゾンビは金髪。背の高い女。薄物を海風に靡かせて表情なく砂地を踏んで歩いてくる。

 「・・・でも、知ってる?」
 主人公のお茶目過ぎる語りは恐ろしい事実をわれわれに突きつける。
 「彼女は、本当は死んでいるの!」

 死者が歩く。死者に恋する男達が登場する。ブードゥーの太鼓にのって。
 舞台はハイチ。多くの奴隷の呪詛により呪われた土地だ。
 人物の相関関係は『ジェーン・エア』の翻案だというが、要はお勤め先のお屋敷に赴任した主人公が、口髭がトレードマークの厳格な当主に求婚されるも、彼には狂人の妻があった。妻は嘗て主人の弟と姦通し、それに気づいた一家の母親にして天才医師のランド博士に一服盛られて生ける屍と化したものである。以上。
 物語は、彼女が南国の熱病に冒され脊髄を病んだ気の毒な女性などではなく、切っても突いても血が流れない生きた死体そのものであることを明らかにし、終盤の悲劇へと向かう。

 夜の暗がりにジャングルドラムが響き渡り、丈の高い砂糖黍の草叢がうねうねと連なっている。狂える女主人の手を引いて、看護婦は屋敷の門を抜け出でて目印の置かれた十字路を目指す。
 悪魔の跳梁する闇夜。ぶっ違いの骨を組んで石を載せた円環。方向を示すしるし。
 確認した主人公は、畝道を登り、木から吊るされた獣の死体を目にする。毛皮に垂れた血の凝固した色がどす黒く冷たい。
 柔らかい草を踏み、ガンナー・ハンセンでも襲ってきそうな野道を往くと、T字路の突き当たりに突っ立っている大男を目にする。半裸の現地人。突き出た眼窩に飛び出た眼球。その目が微かな光線に反射し、鈍く光る。
 彼はゾンビ。自らの意思を喪失し、現世の人間の測り知れない未知の本能によって動く者。生と死の境界の見張り人だ。その眼は彼女を凝視しているようでもあるし、それでいて遥か彼岸を、この世の果てを覗き込んでいるようでもある。
 太鼓は鳴り続け、人々は踊り狂う。魅せられし者。今こそ、死者を解き放ち自在に野を歩かせしめよ。

 映画の結末は苦い。誰も救われず、ゾンビ女を抱いた義弟は海の藻屑と消える。
 「行こう」
 呪われた屋敷の当主は、ヒロインに呼びかける。
 
 「次のゾンビが待っている。」

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2011年6月 4日 (土)

ニール・マーシャル『ドゥームズデイ』 ('08、パラマウント)

 思い切ったバカ映画。人から尊敬されようという気がまったくない。これは非常に重要なことだ。

 確かにもう少し(特に脚本などは)考えて撮って欲しかった気がするが、それでは勢いが薄れるってもんだろう。
 いいんだよ、これで。
 試験の答案としては明らかに赤点だが。映画は試験じゃねぇんだ。

 おっさんの酒飲みみたく、カーッと飲んで「プハァーーーッ!」って吐いて。勢いだけで、「う・ま・い!」って。重要なのはリアクションですから。
 深く考えていては出来ないこともあるものだ。

 観終わって、目の前に監督がいたら、

 「バカ!
 あんた、バカでしょ?この、バカバカバカ!
 ・・・よかったよ」


 と、褒めてあげたい。
 

【あらすじ】

 南北に分断されたちょっと未来の大ブリテン島。 
 瘡蓋(かさぶた)と疱瘡(ほうそう)だらけになって狂い死ぬ、新型ウィルスが突如爆発的に流行。猛威を揮った結果、数百万の犠牲者が出てしまったのだ。
 政府は感染拡大を防ぐため、巨大な防壁を築き、スコットランドをまるごと隔離するかなり思い切った作戦を堂々と実行。
 中世のペスト患者か、と全世界的に本気でバカにされる。
 かくて見捨てられた壁の向う側では、人間はすべて死滅した筈だった。

 それから二十年。
 国際的評価の低いまま、貧乏暮らしを続ける英国に、再びウィルス流行の危機迫る。
 金融街でゲロ吐いた男が、すかしたハイテックなビルのエントランスに血塗れの腫瘍をずるずる擦りつけて絶命したのだ。感染経路はいっさい不明。
 「あいつが帰ってきた!」と、ギャングの大ボスか、『オーメン2』のダミアンの如く恐れられているだけだ。病気なのに。
 「実は」
 物凄く格好をつけた政府の黒幕から、主人公の女(少佐。やたら少佐、少佐呼ばれて、『功殻ナントカ』みたいでいかん)は衛星写真を見せられる。
 「壁の向うに生存者がいました」
 エーーーッ。
 なるほど、路地を闊歩する人影が写っている。
 「これはワクチンが開発されているからに違いない、なぜなら二十年前ウィルス研究の第一人者が壁の向うで消息を絶ったからだ、あいつは生きていて研究を続け、抗体を作り出したに決まっている。いやもうそう決まった!」
 あまりに憶測だらけの謬説に、二の句も接げない少佐。
 「お前はいますぐ海兵隊を率いて現地へ飛び、ワクチンを掻っ攫って来い!タイムリミットは48時間!それ以上待つと、ロンドンは死滅する!」

 ドーーーーーーン!!

 
ひさびさに藤子Aしてしまうくらい盛り上がる設定だが、なんか根本的に大きく間違っている気がする。
 アッティラ軍が迫っているとか、火星人が攻めて来たならともかく、相手はウィルスだしな。何か、対処の原則が根幹から違うような。いや、気のせいだろう。
 地球滅亡まで、三百と六十五日。

 そこからはもう、ノンストップアクションのつるべ打ち。勢い余って、牛の群れに突っ込んだり。大間違いのサービスてんこ盛り。
 どっかで見たような巨大装甲車が炎上し、食人族と化した近未来の暴走族がおっさんを丸ごとバーベキューにし、拷問、鼻ピアス引き千切り、駅のホームで全力疾走。蒸気機関車、ゴーーーッ。
 
その間どんどん死んでく海兵隊員に科学者二名!
 遂に、ワクチンを開発したと目される天才医師マルコム・マクドゥエルの居城に辿り着くが、相変わらずのチンピラ顔の老人は身も蓋もない驚愕の真相を打ち明ける。
 
 「ワクチン・・・?
 そんなもの、初めっからねぇよ!
 ありゃ、自然に発生した免疫力だよ!」


 ドーーーーーーン!

 ドリフの「あたしゃ、神様だよ!」クラスの衝撃に、全員どん引きになるが、常に冷静沈着な少佐だけはニヤリ笑った。

 「・・・ってことは、誰を連れて帰ってもオッケーなのか!南乃花!穂花!それは、ほのか!」

 闘技場での装甲巨人とのバトル、マッドマックスをビデオニ倍速で観ているようなカーチェイス(フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド「トゥー・トライブス」がバカ丸出しで流れるのが感動的)があって、政府の黒幕とのランデヴーポイントへ無事到着。
 会社の近所で捕まえたねぇちゃんを引き渡す。

 「こいつ、免疫あるわよ!」

 (彼女は本当はマルコム・マクドゥエルの娘なのだが、そんな設定に意味などない。この映画の登場人物は心理的葛藤をいっさいしない。例えば、主人公は二十年前壁が築かれるとき、暴動の中で母と生き別れ、軍隊の発砲によって片目を失った暗い過去を持っているが、さして深く考えず現在は職業軍人として生きている。)
 喜んで、人を人と思わない、悪すぎる考えを滔々と述べ出す悪役。その一部始終は、少佐の片方の義眼に仕込まれた超精密度カメラによってしっかり録画されていた・・・。


【解説】


 「片目がカメラになっている」設定だけは、ちゃんと考えて撮った節はあるが、他はもう純然たる勢い重視というか、とにかく大好物だけ詰め込んだオレ様流オリジナル弁当。
 だが、大丈夫だ、ニール・マーシャル。
 ゼリーに、いくらに、半熟タマゴでも、ちゃんと最後まで食える。
 アメリカじゃ映画は大コケだというが、あいつらにはちょっと高尚すぎたのかも知れないね!

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2011年6月 1日 (水)

ショーン・タン『アライバル』 ('06、河出書房新社)

 いろんな人が絶賛してるので、いまさらあたしが尻馬に乗っかる必要はまったくないんだけど、これはちょいとすごい。
 最近の海外コミックスの出版は結構勢いがあって、やはりみんな国内のコミックスの出版状況に絶望していることの証明なんだろうけど、こういうのも出るんだねぇー。
 あぁ、いちおう断っておくが2006年というのは原著が刊行された年。
 日本版は今年の5月、出たばかり。
 ま、台詞の一切ない絵本的な作品なんで、日本語版もなにもないんだけどね。まぁ、いいじゃないか。
 今回のあたしは、馴れ馴れしげだ。

 いい本なので、読め。

 以上で紹介は終わり。
 あとは、よそがあんまりやらない下衆な方向に話を持っていくが、松本大洋は悔しがっているんじゃないのか。
 オレ、いいとこまでいった筈なんだけど、コッチにはいかなかったな、って。
 『竹光侍』やるんじゃなかった、って。
 あ、これ、憶測だけど。
 (でも実際、あれ、つまんないよね?)
 
 筋に凭れた話をやるのって、おのずと限界はある。絵は制限を受けるし。
 そこで、『アライヴァル』では台詞やト書きをすべてカットして、場面に語らせるという方法。これはもう、知り合いに何枚も写真を見せてもらってる感覚に近い。
 妙にリアルだ。
 でも、ここに取り入れられてる手法はそれだけじゃない。
 無声映画のように連続性で見せたり、古典的な絵画の一枚絵のカットがあったり。
 見せる、という技法に凝りに凝ってる。
 変な動物とか、変形した建物だとか、ついついなにが映っているかに興味がいきがちだけど、それよかどうやって見せてるかに注目していただきたい。
 物語を語るってのは、そういうことなんだよ。実は。 

 この本を見てあたしがまっさきに連想したのは、逆柱いみりの作品群だった。
 ('90年代『ガロ』の作家ね。
 単行本、最初の二冊だけ持ってました。)

 いみり、これ、やっときゃよかったんだよ。
 いみり、これだよ、って。

 ま、いみり、いみりって、面白がって言ってますが。
 国籍不明なアジアンテイスト、奇妙な小動物とか共通点は多い。
 が、あれは物語性を極力回避しようという方向だったからな。それはそれで、愛すべき作家性だったんじゃないかと思う。マイナーですが。
 より、イメージ重視ってことになるのか。
 あ、夢(無意識)をそのまま描いた、とか本人があとがきで述べてた記憶があるな。
 と来ると、つげ先生。そっちか。
 (ひとりで納得している。)

 夢は、現実の裏焼きである。

 ショ-ン・タンが楽してこの作品を描いたのかっていうと、そんな筈はまったくなくって、たぶん膨大な資料と首っ引きになってやってる。
 リアリズムそうで、リアリズムでない。
 ノスタルジア、つまりは過去の記憶の集積。
 同じように過去を素材にした、吾妻ひでお先生の傑作『地を這う魚』ってのがあったけど、あれですら、言葉で筋を補完してたもんな。
 そうしないと、我が国のマンガとしては出版困難なのか。
 うーん。
 ちょっと、困った。

 また、出直してきます。

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