メビウス「落ちる」 (月刊スターログ'83、2月号掲載)
最近書いたショーン・タン『アライバル』の記事が無惨すぎる失敗に終わったため、こうしたマンガをどうやって語ればいいのか、改めて考えなくてはならなくなった。
そこで私は古書店の棚を引っ掻き回し、古い雑誌を一冊拾ってきた。
月刊スターログ、1983年2月号。
石上三登志による大林『転校生』の忘れ難いレビューが載っているこの号に、フランスの漫画家メビウスの台詞のないサイレント漫画が掲載されている。
邦題は「落ちる」。
わずか8ページの短編だ。わざわざ本誌とは別の紙を使い、綴じ込み付録のように中折り部分に添付されていた。
この号は本当無駄に凝っていて、他にも「FOCUS」をもじった「LUCAS」なる『スターウォーズ』関連の情報小冊子まで付いていたが、まぁ、それはどうでもよかった。
小学生の頃、私は封切り間際のスターウォーズに熱中していて、あんまり熱を入れたものだから、ようやく公開された時にはすっかりそれに飽きていた。
(一年以上待たされたのだから当然だろう。)
さて、問題の号の本誌紙面を覗くと、タニア・ロバーツの巻頭グラビアがあり(ヒャッホー!)、カルロ・ランバルディ「私は『E.T.』を観ても全然泣かなかった、家族は号泣していたけどね!」という大裏切り発言に、同席していたスピルバーグが「そりゃねぇだろ!オレは編集中も大泣きしてたぜ!」とマジ切れする面白インタビューも載っているが、そういうのに価値を見出すのは色々物事が分かってからの大人の視点だ。
(※カルロ・ランバルディはE.T.のデザイナー。まったく動かないコンピュータ制御の実物大キングコングを制作したり、業界随一の使えない男として名高い。)
とにかく、メビウス。なにより、メビウス。
刺激の少ない田舎町に住む高校生にとって、「落ちる」は大変な衝撃作だった。
※ ※ ※
・ 密生する巨大な植物の合間を縫って、男がひとり駆けている。
ラフなジャケットにズボン。
年寄りでもなく、若くもない。特徴のない、地味で平凡な男だ。
彼がなぜ走っているのかは明らかでない。
幕府に追われて逃げているのか。
目的地へ急いでいるだけなのか。
視界を遮る巨大な密林。群生。
ポクポクと花粉の煙を吐き出す植物。
無数の葉冠を茂らせた、球根状の堅い仙人掌。
太い葉脈の浮いた、人間よりも大きな葉は明らかにこの世界のものではない。
・突如緑の切れ目から、まっすぐな斜面が現れ、砂のスロープを転げ落ちる男。
揺れる巨大な葉むら。
男は完全に足をとられ、砂を蹴散らし、体勢を崩して滑り落ちていく。
・突如前方に広がる真っ黒い穴。漆黒の陥穽。
存外、奥行きがあるようだ。
行き着く先がまったく見えない。
自ら蹴飛ばした石の欠片と共に、暗闇の中へ一直線に吸い込まれていく男。
・広がる空洞の中を自由落下する。
上方から差し込む陽光で、まだ辛うじて周囲は明るい。
鍾乳石のように、壁は滑らかで太い柱を幾本も生やし、色鮮やかだ。
男はなんとか体勢を立て直そうとする。
・落下は続き、周囲の壁も見る見る変化していく。
切り立った、ざらざらの花崗岩が姿を現し、不思議のトンネルは瞬く間に荒涼とした厳しいものに変わる。
男は両のこぶしを握り締め、前景を睨んで落ちていく姿勢になった。
凄まじい風圧に双眸は眇められ、険しい表情に。
・突然、斜面に着地し、男は「あっ」と叫んだ。
殆ど垂直に近い斜面だ。止まることなどできない。
軟泥のような砂を撒き散らして滑り落ち、たちまち断崖を越え、新たな空洞の中を落ちだした。
細い。
今度は一転、えらく狭いトンネルだ。迫る壁に足掛かりなどない。
下手に接触すれば、骨折どころか肉まで抉られそうだ。
・迫る、幾本もの牙のように屹立する鍾乳石の群れ。
身体を射止められそうになりながら、からくも細い隧道を潜り抜ける。
間一髪だった。
・トンネルの終着点。奇妙なフロアが見えてくる。
床いっぱいに五菱星を重ねたような文様が描かれ、悪魔召喚のペンデュラムを連想させる。
男は苦痛に身を捩じらせ、畏怖に慄き、やがて運命を受け入れると、手足を大きく伸ばした。
殆ど床と平行になる体勢で、男はペンデュラムに接近する。
・突き抜けた。
床は薄い陶器で出来ているかのように砕け散り、バラバラと散らばった。
・落下は続いている。
・トンネルを抜けると、ただっ広い空間が広がる。
それはまるで地下寺院の広壮な伽藍のようにも見える。
アーチ状のきざはしから、星のかたちの顔の男がこっちを見ている。
幾つかあるドア。くぐり抜け通路。
たむろする人たちは車座になり、なにやら話し込んでいる。
彼らは皆、人類以外。楕円や紡錘形のつるつるした頭部を持ち、宗教的なニュアンスのあるローブやトーガを纏っている。
座の中央に立てられた錫状はなにかの権威の象徴か。
星の顔を持つ男は、天井のステンドグラスを突き破り、中空を落下していく者を見ている。
とぼけた顔。
その目前を通過し、広がる真っ黒い大穴へと落下しながら、男は上着のポケットから紙片を引っ張り出す。
・落下体勢で、メモを読む男。
紙片の文字は描写されないが、これがなにかの指示書、行動覚書きであることは、読み終えた男がおのれの運命を受け入れ、迷いのない背筋の伸びた落下姿勢を取ることから分かる。
・宙に舞う紙片。
空気抵抗の都合から、紙片は遅れてヒラヒラ落ちていく。
両足を突っ張り、進行方向を見据える男。
・暗黒が広がり出した。
加速度も増してきているようだ。
・見張り部屋が見える。
縞の海パン一丁の、異星人らしき男がひとり。
つるつるの頭に、小さな目。尖った耳。
彼は落下してくる者を観測し、記録する役目を持っているらしい。
部屋はドアひとつ。数枚のメモが留められたコルクボードひとつ。
空洞の暗黒に向かって壁が刳り貫かれている。
すなわち、その部屋に入った者は自動的に外界の空間に向かい合うように設計されている。
・異星人は落下していく男を確認すると、画板を取り出し、パラメータを大判のノートに書き入れる。
ノートの表題は“ABSOLUTEN CALFEUTRAIL”。
太いペンシル。その側面にも“ABSOLUTEN CALFEUTRAIL”。
部屋の側面には観測用の円形モニターがあり、その照準に遠のいていく男が写っている。
画面の上にも“ABSOLUTEN CALFEUTRAIL”の表示が。
(※フランス語赤点だった私が言うのもなんだが、“ABSOLUTEN CALFEUTRAIL”はどうやら造語らしい。ABSOLUTENは“絶対的な”で間違いないが、 “CALFEUTRAIL”とはなにか。 FEUは“火”、TRAILは“軌跡”。スターログでは直訳して「絶対的熱火軌条」とあてている。)
・異星人がノートにフランス語で記録を続ける間にも、モニターの中を落ち続ける男。
遂には点になり、そして・・・。
・メキシコかどこかの砂漠の町。
地面にまじない師が棒で魔術円を書いている。
背後に、みすぼらしい開拓地風の住居が見える。
並ぶ電柱に電線は張られていなくて、荒廃が始まった地域のようだ。
空中から一直線に落下してくる男。
観念したかのように目を閉じている。
・大爆発。
・グランドメサの向こうに立ち上るキノコ雲を眺めるカウボーイ。
荒れる馬を御しながら、閃光と爆音の彼方を見つめている。
・荒涼たる砂漠に出現した巨大なクレーター。
岩山の上からその姿に息を呑むインディアンの老人と若者。
蒼穹は地平線の彼方まで延びている。
観察者が変わったことで時間の経過と、先のカウボーイが閃光に飲み込まれ消滅したのであろうことが分かる。
(おわり)
※ ※ ※
・・・いかがだろうか。
あまり的確な説明でもないし、台詞のないマンガから読み取れる情報を継ぎ接ぎしながら、多少の無駄もまじえて場面に即して文字に起こしてみたのだが、ともかくこれがやたら内容の濃い8ページであることだけは理解されたかと思う。
このストーリーのブッ飛びかた。
奇妙なすっとぼけ。
定石ってなんですか、と言わんばかりの勢い。
私が考えたのは、こういうことだ。
この世界のどこかに、まだ見ぬマンガが幾多も存在し、驚くべき連続性を語っている。それは絶対に素晴らしいものに違いない。
そのように確信したのだった。
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