ジャック・ターナー『私はゾンビと歩いた!』 ('43、R.K.O.)
強制ゾンビ特集第一弾。伊東美和氏の名著『ゾンビ映画大事典』以降、ゾンビの社会的地位はさらに向上し、慢性的なセール減退に悩む業界における定番商品となっている憾があるが、あなたも私もやったカプコン「バイオハザード」の大ヒットからもお察しの通り、いわゆるロメロ・メソッドに基づくゾンビの在り様は、少なくともエロゲー並みのポピュラリティーを世界規模で要求できるのではないのか。
同時に、映画で生きて動くゾンビを目の当たりにする事は最早日常化し、酷い例えで恐縮だがクラスにひとりはいる知恵遅れの子に諸君が接する態度に似通った、幾分後ろめたい感情を表面に出しながらも、それに馴れ、無意識に習俗の一部とする手続きを踏んでいるのではない、などと、どうして言えるのか。
事態は深刻だ。
私の文章が相当まどろっこしいのは局面の重大さに足を引っ張られての事と理解されたい。
なにしろ、全国民的に深刻な危機なのだ。
なにがって、ゾンビが。
白と黒とで写し撮られた海岸。寄せる波と続く砂浜。
波打ち際を辿りながら近づいてくるふたりの人影。昼日なか。流れ行く雲は水平線を越え蒼穹へと伸びて、コントラストのやけに明瞭な影を地上に投げかけている。
「私は、ゾンビと歩いた!」
絶え間なく鳴る波音に被って、女主人公のモノローグ。
「この仕事に就く前は、そんなものがこの世にあるとも知らなかったのだけれども。案外面白いものね。
ゾンビは二十八歳、人妻。素敵な出会いを求めています!」
高まる悲愴な音楽。
主人公は黒髪の快活そうな女性で、看護婦。ゾンビは金髪。背の高い女。薄物を海風に靡かせて表情なく砂地を踏んで歩いてくる。
「・・・でも、知ってる?」
主人公のお茶目過ぎる語りは恐ろしい事実をわれわれに突きつける。
「彼女は、本当は死んでいるの!」
死者が歩く。死者に恋する男達が登場する。ブードゥーの太鼓にのって。
舞台はハイチ。多くの奴隷の呪詛により呪われた土地だ。
人物の相関関係は『ジェーン・エア』の翻案だというが、要はお勤め先のお屋敷に赴任した主人公が、口髭がトレードマークの厳格な当主に求婚されるも、彼には狂人の妻があった。妻は嘗て主人の弟と姦通し、それに気づいた一家の母親にして天才医師のランド博士に一服盛られて生ける屍と化したものである。以上。
物語は、彼女が南国の熱病に冒され脊髄を病んだ気の毒な女性などではなく、切っても突いても血が流れない生きた死体そのものであることを明らかにし、終盤の悲劇へと向かう。
夜の暗がりにジャングルドラムが響き渡り、丈の高い砂糖黍の草叢がうねうねと連なっている。狂える女主人の手を引いて、看護婦は屋敷の門を抜け出でて目印の置かれた十字路を目指す。
悪魔の跳梁する闇夜。ぶっ違いの骨を組んで石を載せた円環。方向を示すしるし。
確認した主人公は、畝道を登り、木から吊るされた獣の死体を目にする。毛皮に垂れた血の凝固した色がどす黒く冷たい。
柔らかい草を踏み、ガンナー・ハンセンでも襲ってきそうな野道を往くと、T字路の突き当たりに突っ立っている大男を目にする。半裸の現地人。突き出た眼窩に飛び出た眼球。その目が微かな光線に反射し、鈍く光る。
彼はゾンビ。自らの意思を喪失し、現世の人間の測り知れない未知の本能によって動く者。生と死の境界の見張り人だ。その眼は彼女を凝視しているようでもあるし、それでいて遥か彼岸を、この世の果てを覗き込んでいるようでもある。
太鼓は鳴り続け、人々は踊り狂う。魅せられし者。今こそ、死者を解き放ち自在に野を歩かせしめよ。
映画の結末は苦い。誰も救われず、ゾンビ女を抱いた義弟は海の藻屑と消える。
「行こう」
呪われた屋敷の当主は、ヒロインに呼びかける。
「次のゾンビが待っている。」
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