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2011年6月30日 (木)

みなもと太郎・大塚英志『まんが学特講』 ('10、角川学芸出版)

 いまだに私はマンガの正体を掴みかねているのである。
 
 分解すればひとコマ、ひとコマにしかならないものが、ある連続性を帯びて繋がっている状態。
 その頁を捲るスピードの中にしか、マンガは存在しないのではないか。
 実体としての絵柄や吹き出し、キャラクターについて幾ら語っても、結局、マンガの本質はわれわれの掌から零れ落ちていくのではあるまいか。

 いわゆる「マンガ論」や「マンガ学」なるものがもどかしいのは、コマ内の絵を語り、キャラクター・台詞を語り、コマの配置や視線の誘導について語っても、マンガの本質はそこにはないような気にさせるからだ。

 パンパカパーーーン。
 そこに、みなもと太郎のお出ましである。

 みなもと先生のグレートさについては、特に説明しない。知らないお前が悪い。
 かつて、私の知人がこっそり聞いてきたことがある。
 「ねぇ、みなもと太郎って知ってる?有名なの?」
 呆れる私に、友人はたまたま読んだ『風雲児たち』の面白さについて語るのだった。

  そういうものだ。


      1.トキワ荘陰謀史観について

 謬説というのはやっかいなもので、藤子が『まんが道』を書いてしまったので、それが多くの子供達の目に触れる位置にあったので、まったくのデタラメであるにも関わらず、広く世間に流布してしまったのが、以下の説である。

 「(近代日本の)マンガは『新寶島』で始まって、トキワ荘で発見した、みたいな。」(本書44ページ) 

 この大塚の発言を受けて、みなもと先生は力強く断言される。

 「全然違う。全部ぶち壊す。」

 素晴らしい。

 過疎部落のような私のページを読まれている読者諸賢には、いまさら申し上げるまでもない自明の理かも知れないが、やはり言い切られると気持ちがいい。
 あの一派はたまたま生き残った変種に過ぎない。
 そんなことは、ちょっとでもマンガに関心があってまともな見識を備えている人間なら、たちどころに判ることだろう。

 みなもと先生は、貸本劇画を自らのルーツに挙げられ、「つねにカオスじゃないとダメなんですよ」とおっしゃる。

 「貸本劇画だけではなくて、あらゆるジャンルで。
 まんがも、なんでも描けるというのが大切なんだよ。もともと何をやってもいいんだ、ということを知っといてもらわんといかん。」

 真摯な提言とはこうしたものだろう。
 一見、野蛮な先祖帰りに見えるものが実は本質に迫っている。マンガの未来が『侵略!イカ娘』になく、後藤友香『正義隊』にあることは、火を見るより明らかだ。
(なぜ、それがわからないのか?)
 しかし、発言を追って読んで行くと、どうも大塚氏より先生の方が過激なのであった。

 「冗談の分からないバカって、必ず居るから。」(本書107ページ)


      2.アニメとマンガの相関

 マンガばっか読んでアニメを見ないやつ。
 アニメばかり観て、紙ベースのマンガを読まないやつ。
 いずれも耳をかっぽじってよく聞いて貰いたいのだが、お前ら両方とも間違いだ。
 我が国の近代マンガを語る上で、マンガとアニメとの相関関係を視野に入れていない議論なんて、とんだお笑い種、紙の城、もっと言うと幻影城である。乱歩責任編集の。
 
 反論?
 あぁ、そうだ。では、映画と云ってやろうか。尻尾を振るお前が見えるようだぜ、ポンコツパパ。この薄汚いゾンビー野郎。
 (※出典、ジェイムズ・ティプトリーJr.「接続された女」浅倉久志訳)
 マンガは動く。
 但し読んでいる人間の頭の中で。
 動画が動いて見える物理現象とは訳が違う。錯覚だ。精神作用だ。
 マンガの動きがどこに位置しているかというと、コマからコマへの視線の誘導である。連続してコマを追っていくことで、マンガは動きを獲得するのだ。
 (※出典、橋本治『花咲く乙女たちのキンピゴボウ』)
 
 表現は現実を模倣する。
 実際に動いて見えることのお手本として、映画やアニメを下敷きに考える。
 我が国ではこれが歴史的に行なわれてきた。
 手塚がディズニーを執拗に模写したのもそれだし、大友が結局アニメ監督に納まった(この人はやはり根本的に物語を考える能力が低かったのが原因だろうと思われる)のも同じ理由に因る。
 
 みなもと先生は「コマを接着する」と凄い表現をなさるのだが、要はカットからカットへの連続性をどのように確保するか。
 その動体視力が世代により異なっている点に着目しているのは、さすが、慧眼である。
 24コマのフルアニメーションを手本とした初期の手塚と、TV登場以降の8コマ、6コマのリミテッドアニメーションを見慣れた世代とではコマに対する感覚が異なって当然だというのだ。
 

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