杉作J太郎『杉作J太郎が考えたこと』('11、青林工藝舎)
(普通にブログを書くのも意外と面白いので、続ける。)
俺の乗っていた電車が誰かを跳ね飛ばし、肉の断片に変えて停止した。大量の血糊がしぶいた。
そこは新宿近くの駅のホームだった。
即座に警察に通報が行き、現場検証が始まり、身元確認の為の情報収集が開始され、一方では手際の良い駅職員たちが運行再開に向けて不断の努力を続けていた。
車窓には人が群れ、撮影の為携帯を取り出す不届き者もいた。時間の無駄をなにより嫌う人種はさっさと路線図を確かめ、乗り換えのために席を立って歩き出した。タクシーを拾うことを思いついた連中もいて、暫くはタクシー乗り場は行列になった。
電車の中には立っている姿もあって、微妙に混んでいる。
空席はまったくなくなり、荷物をかかえた主婦や爆睡しているサラリーマンやなんかがじっと復旧を待っている。
「世の中、ケチくさくなったな」
隣の席に座ったおやじが話しかけてきた。
「フン、そんなに慌てふためくことないじゃないか」
「そうですね」
俺は広げていた本を置き、適当に相槌を打った。
「一部の人間が確実に慌てる。それに便乗して動き出す奴が出る。そいつらがさらに混乱を煽り、人が人を呼び、ますます電車は遅れるってわけだ」
おやじはソフトタッチのスラックスを履いていた。一部ではジャージとも云う。
「そんなに急いで片付けなきゃならない用事が、どれほどあるんだろうか。
例えば、わしより前に、あんたの隣に座ってた女、携帯で慌てて誰かを呼び出していた。繋がると急いで席を立ってどこかへ行ってしまったが、この程度の事態で車持ちの男でも呼び出したんじゃないだろうな?
呼ばれて、ホイホイ来る男も男だが。世の中、そういうたぐいが増えていまいか?」
「どうですかね。
本当に火急の用件でもあったのかも知れませんよ」
おやじは両手をパーッと拡げて見せた。
「アレ、あんた、なんの本、読んでるの?」
「杉作J太郎の最新エッセイ本です。ご存知ですか、『ガロ』出身のマンガ家で、確か昔『トゥナイト2』にも出てました。『タモリ倶楽部』なんか常連でしたね」
「ふーん、タレントか。ファンなの?」
「いえ、J太郎の単行本は初めて買いました」
「じゃ、なんで買ったの?」
「細かい話で恐縮ですが、この本の活字、今どき珍しくオールニ段組なんですよ。私は最初に買ったハードカバーがニ段組だったもんで、そういうのを見かけるとつい買ってしまうんです」
「ふーん。変わった人やなぁー・・・」
会話が途切れた。
運転再開は8時30分ごろを予定、と車輌アナウンスが流れている。
「最近、また多いねー。飛び込み」
ドア口に立った女が、連れの男に話している。
「今週月曜日の朝イチ、あったじゃない。あれはまいったよなぁー。そういや昨日もどっかであって、また今日も。
やっぱ、五月病なのかな?」
「すっげぇー金、取られるらしいよ。電車一回停まっただけで。もー、えらい損害でしょ」
男は女の関心を惹きたいのか、えらく力んでいる。
「一億とか。ありえねー金額」
「ふーん・・・」
隣のおやじが何の気なく呟いた。
「おれに、くれねぇかな、その額・・・一部還元でもいいや」
しばらくして、電車が動きます、とアナウンスが流れ、車掌が乗客に詫びを入れた。
誰もがピタリと黙ると、おとなしく待った。
その時を。
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