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2011年5月22日 (日)

ダン・カーティス『家』 ('76、U.A.)

【あらすじ】

 ひと夏、900ドルの格安物件。深い考えのないオリバー・リード一家は人里離れた森の中に佇む、古びた屋敷を借り受けることにする。
 家族の面々は、12歳の気弱な坊やに、カレン・ブラック、ベティ・ディヴィス!
 
この家には微妙な魔力がゆるく働いており、まず賃貸契約の交渉中に、庭のあずまやで遊んでいた子供が、屋根が壊れて滑り落ち、膝を擦り剥いて怪我をする。赤チンを探しに台所へ向かうママ。・・・エッ?
 
それを見てほくそ笑む大家の兄。車椅子のじいさん。

 大家のババアは、不気味なことを云う。
 「あなたたち、気に入ったわ。この家を貸してもいいけど、ひとつ頼みがある。私達の母親の面倒を見てやって欲しいの」
 94歳にもなる、老兄妹の母親は、居室に籠もって誰とも会わないのだという。
 「三度の食事をドアの外に置いてくれるだけでいいのよ。ほんと、手がかからなくて助かるわ・・・」

 半信半疑で入居してくる一家。
 豪勢なことに、この屋敷は巨大なプール付きなので、せっせと荒れ果てた底面を掃除し、ポンプで注水しようとするオリバー・リード。
 いくら紐を引いてもモーターが始動しない。

 「もう、貸してよ、パパ!」
 子供が引くと、動いた。
 なんとなく、微妙に子供が憎くなる父親。

 かくて、ようやく開設に漕ぎ付けたプールで、坊やと遊びまくるパパだったが、ふざけて水遊びするうち、だんだん憎しみが嵩じてきて、本気で子供を水に浸けて殺そうとする。
 慌てて止めに入る母親役のカレン・ブラック。
 「あなた・・・なに、やってるのよ!!」
 切れた子供に、水中眼鏡で思い切りはたかれ、鼻血ダラダラになった父親は茫然自失で、
 「いや・・・その・・・、大変だ、あれが来たんだ」
 「アレって?」
 「黒メガネの死神運転手だ!」

 オリバー・リードの幼少期の記憶。
 親族の葬儀。牧師の長々とした挨拶に、陰鬱に居並ぶ人影。
 式も終わり肩を抱えられ、車へ向かう少年の前に手を差し伸べる黒服の運転手。長身で痩せこけ、黒メガネで薄気味の悪い笑いを常に浮かべている。
 
 「・・・私はそいつがとっても怖かった。なんか、死そのものって感じで・・・」

 「なに、訳わからないこと、云ってんのよ!!」

 また、頬をはたかれた。(当然である。)
 鼻血を垂らし、前田吟のような渋い表情を浮かべる父親。
 その日はともかくそのまま寝て、翌朝子供に心底詫びを入れて許してもらった。
 
 なんかしら自分が信じられなくなり、軽い鬱状態に陥った父親は、眠れない夜更け、ダブルベッドを抜け出してプールで泳いでいると、気づいた妻が登場。
 彼女、そのまま全裸で高飛び込みし、抱き合うふたり。これはカレン・ブラック史上初の水中ファック登場かと思いきや、「それって本当にニーズあるの?」という監督の常識的判断により、ファックは中止。
 (註・カレン・ブラックは『エアポート'75』で客室乗務員の分際でジェット機を操縦するという暴挙に出たことで有名な女優。顔のパーツが顔面の中央に極端に寄っている、鬼瓦的顔面破壊力の持ち主。)
 気まぐれなカレンは芝生の広い庭へ逃亡するも、それでは股間の暴れん棒将軍が収まらぬマニアックな旦那が追跡し、遂にカレン・ブラック史上初の青姦シーンが実現かと思われたが、あらぬところに幻覚を見て悲鳴を上げ、またしても逃走。
 旦那、しょんぼり。つられて、もしょんぼり。

 94歳の老婆の世話は、カレン・ブラックがひとりで担当しており、最上階の居室には誰も近づけない。
 そんな狂った生活の影響のせいか、だんだん骨董品が好きになり、着る服も髪型もゴシックがかってくるカレン。明らかに最初とは別人。
 しまいに電灯を嫌い、蝋燭の明かりで食事するようになるので、家族は非常に迷惑している。
 そこへ、夫の叔母ベティ・ディヴィスがひと夏のバケーションを満喫するため、アロハで登場。
 すっかり暗い性格となったカレン・ブラックとモダンなバァさんとは、当然の如くいがみ合うが、ある晩心臓発作を起こしてベティさん危篤状態。
 夫は慌てて医者に電話しようとするが、いつまでも話し中。怪しんで他の番号にダイヤルしてみたが、「交換手の番号さえ話し中なんだ!」
 妻が掛けると、普通に通じた。
 落胆し自己嫌悪に陥った夫が、部屋から呆然と外を眺めていると、古式ゆかしいフォード車が到着する。
 往診に訪れた医者が車から降りると、その姿はあの黒メガネの死神運転手に変わっていた! 
 愛する叔母の下へ駆けつけ、必死に名前を呼び、さすっていると、部屋のドアがバンと開いて、台車に載せた棺桶を押して、死神運転手が乱入してきた!
 恐怖に絶叫する二名。

 カット、切り替わると死亡している叔母。
 なすすべなく、床に倒れ伏す夫。
 すべては幻覚だったのか。
 小柄な老人の医者は、聴診器を耳から外すと、「ご臨終です・・・」と言った。

【解説】

 他、死神運転手の登場パターンとしては、運転していると助手席に座って高笑いしている、などがあるが、こいつがなにかのメタファーなのか、それとも本当に実在しているのか、最後まで観てもさっぱり解らなかった。
 「まぁ、死神みたいなもんだろう」と観客に勝手に勘違いして貰えるのではないかという、製作者サイドの人柄の良さが偲ばれる。
 
 それは、恐怖の源泉である筈の、この「家」の存在についても同様だ。
 余りに説明が不足しているため、本気で怖がることなど不可能だ。精神的に不安定な人々が勝手に死期を早めているような印象しか残らない。
 これって。あれに似てる。
 そう、キューブリックの『シャイニング』だ。

 たぶんに誤解を含めて云えば、『シャイニング』とは、理性的で底意地の悪い天才監督が「ホラーってこんなもの」と恐怖の本質を抉り出してみせてくれた解剖学調書のような映画だった。
 幻聴。幻視。
 幽霊の出現。心霊との対話。
 未来視。憑依。テレパシー。
 呪われた館。大量殺戮。
 血の洪水。
 そこでは、あらゆるオカルト現象が説明されている。
 恐怖の本質とは、単なる気のせい。
 純粋に、頭の中だけで起こっているもの。
 説明がつかない現象など本当はどこにも存在しないのだ、という冷徹すぎる認識。

 ジャック・ニコルソンが既にこの世の人ではないウェイターに家族を誅殺するよう教唆される有名な場面も、ニヤニヤ笑う死神運転手も、本質は同じ。病んだ主人公の妄想が創り出した存在である。
 キングの困った悪趣味小説を映画化するにあたり、キューブリックはいろんなピースを仕込んでいたに違いなく、例の双子がダイアン・アーバスのポートレイトにインスパイアされたものだったり、この映画の死亡した家族が骨董品のメモリアル写真立ての中に加わる趣向などはストレートに採用されている。

 最終的に、夫は狂った妻に窓から投げ出されて死亡。
 12歳の子供は、崩れ落ちてくるレンガの煙突をずっと見続けて数秒、さらにその下敷きになって圧死、という手際の悪いやり方で処理される。(ここでのカット繋ぎの絶望的なテンポ悪さには好感が持てる。)
 ラスト、切れたカレン・ブラックのインパクト過剰な顔面大芝居は素晴らしい。

 超自然現象に恐怖するオカルト映画って、冷静な第三者の立場から見れば、バカの集団パニックではないのか。

 それはちっとも愉快なものではない。
 が、確かに興味深いものだ。

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