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2011年5月 4日 (水)

マーヴィン・ルロイ『悪い種子』 ('56、ワーナー)

(※今回の記事には例によってさまざまな小説、映画のネタばらしが含まれている。
 若年層は特に注意されたい。30以上の大人は文句を云う権利などあらかじめ奪われているのでこれまた注意。)
 


 殺人をする子供の存在を知ったのは、(凡庸だが)クィーンの『Yの悲劇』だった。
 それが小学校の図書館で、それは確実に一種のスリラーであって、不快な気持になった理由はこれが悪の遺伝子殺人物というジャンルとの初遭遇だったからだろう。度重なる近親婚により強烈に呪われた血筋。狼男とは違った意味で。非常にまずい。
  たった今迄顧みることはなかったが、映像化に向きそうなこの原作が映画になったのをそういえば観た記憶がない。
 ( ※調べてみたら'78年8chでTVドラマ化しているようだ、あの石坂浩二がドルリー・レーンで!)
 聾唖者の探偵。劣悪遺伝子の生む殺人。
 危険な要素、満載!明らかにまずい。まして兵ちゃんだし。
 
 遺伝子操作に纏わる最大のタブーは、その発想の根幹が人をナチスと同じ立場に立たせるからだろうが(人が神と等しくなる!)、しかし現実に遺伝に優劣を定め、取捨選択を行なって改良を加えようとするとする科学は長きに渡り存在している。われわれは薔薇の品種から、家畜の肉の品質向上に到るまで様々な恩恵に与っているのだ。
 いまさら、知りませんでした、では子供の言い訳にもならないだろう。
 探偵はだから、神にも等しい所業を小説の最後に行なう。事の是非はともかくとして。物語には須らく結論がなくてはならないのだ。
 重要なのはその点だ。
 
 ---と・こ・ろで。

 簡単に関連レビューを検索して気づいたのだが、推理小説業界では犯人をばらすのはいまだに最大のタブーとして君臨しているらしい。
 どのレビューを読んでも、『Y』の犯人が子供だ、などとはあからさまには書いていない。
 『エジプト十字架の秘密』の犯人は小学校の校長であるが、これは伏せておいて差し支えない。あ、今しっかり書いてしまいましたが。
 いくら私がいい加減な人間でも、すべての校長には犯罪者の素質がある、などと超適当な理論をぶちあげる気は毛頭ないから安心して。(それでも多分に校長の性向については疑わしい懸念があるのだが。)
 残念ながら、犯人ばらしが最大の眼目である小説・映画を扱う場合、その犯人に言及しない限り完全なレビューは成立しない。すべての書評家の憂うべきところだろう。
 だが、『サイコ』の犯人がノーマン・ベイツだというのをいまさら伏せてどうするというのだ。
 
 今回の記事はいろんな意味で薄氷を踏んで歩いている。

 『Yの悲劇』の出版は1932年。
 
この作品のスタイルが先行するヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』('28)に多くを負っているのは間違いないが、「いちばん犯人であって欲しくない人物が実は下手人」という図式もしっかり剽窃しており、否、踏襲しており、あちらは若い美人だが、こちらは殺しても飽き足らないクソガキである。 
 われわれは犯人を予想するとき、無意識に特定の人物を除外しようとする。
 この法則を発見したのは実のところ、かのチェスタートン大先生であって、ブラウン神父物の短編「見えない男」の犯人は、単なる郵便配達員(もしくはその仮装をした男)である。
 日本にいるわれわれはピンと来にくいが、厳格な階級社会であるところの黄金時代の大英帝国においては、社会の末端で働く下級労働者など犯人に値しない、という無意識の差別があるわけだ。
 かの“ノックスの十戒”で、「召使・下男、または中国人を犯人にしてはならない」と記述されているのと同じことだ。まして日本人など。

 文学の歴史は、危険の歴史。
 諸君も欧米の犯人像から見えてくる偏見と差別の世界史に興味深甚だとは思うが、話を戻す。
   
 『悪の種子』は、八歳半の可愛い女の子がどうやらクラスメートを殺したらしい、というところからスタートする。
 これは非常にまずい。
 我が子の秘密を知ってしまった母親は当然ながら戦慄する。しかし、殺された生徒から奪ったメダルという歴然たる証拠がある。
 (この解り易さは、この映画の原作が、ブロードウェイの舞台劇であり、しかもご丁寧にオリジナルキャストを使った忠実な映像化である、というところから納得されるだろう。いかにも善男善女が湧きかえる。舞台映えしそう。)
 
 まぁ、そこからの展開は、実は『オーメン』とまったく同じ。
 犠牲者のボディカウントがどんどん増えていって、秘密を知った母親は最終的にある選択を迫られる。(そういや、これも人類史的な極限のタブーですね。) 
 『鬼畜』の緒方拳は経済問題を発端に決断に踏み切ったが、ここでの母親を支えるのは社会倫理による判断。宗教的動因というよりは、この子を生かしておいては世の中的に非常にまずいことになる。ってことでしょ。

 さて、老婆心もたいがいに、ここで一気にネタを割りますが、実はこの娘の祖母が連続殺人鬼なの。つまり、少女の母親はその娘、ね。
 本人はもらわれっ子で、完全に記憶をなくしているが、いろいろ事件が重なるうち、徐々に思い出していく。暗すぎる出生の秘密。呪われた血筋を。

 悪の血は、遺伝により受け継がれる。

 この考え方が危険思想でなくてなんであろうか。
 年端もいかない少女が殺人を犯す、その行為自体よりも遥かに恐ろしい。
 「悪人の子は、生まれついての悪人だ」と云っているのだ!

 もちろん、作中でも医者や犯罪の権威が登場し、「人間の犯罪傾向を決定するのは遺伝ではなく、育った環境だ」なんて常識的な発言をのたまいますが。
 これは周到な作者の用意したエクスキューズだ。
 実際、それも嘘じゃないし。
 ま、ヘンリー・ルーカスでもなんでもいいや、その辺のシリアル・キラーの複雑な事情を解きほぐした書物はご近所のブックストア(もしくはコンビニ)で多々お求め頂けるでありましょうから勝手に探求を深めてもらって差し支えない。
 犯罪に興味を持つのは、悪いことではない。犯罪に興味を持ちすぎるのも。危険だが。
 そうして公序良俗を踏まえた上で、あらためて「悪の血脈は存在する」と考えてみてごらんなさい。
 それから社会改良論者の意見をもっと聞いてみて。

 そんじょそこらのホラーより、よっぽどこわい結論が出ると思いませんか・・・?

 もちろん、そんな考え方には何の根拠もなくて、私の感じた戦慄は一種の譫妄症患者の戯言に過ぎなくて、現実は依然混沌とした底無しの泥沼状態なのであるが、幸いにして、すべての物語には結末がある。
 もちろん、この奇妙な物語にも。
 あぁ、よかった。
 でも。

 この結末が、たちの悪い冗談そのもの。
 完全に、ギャグ。
 それも笑えないタイプの。


 悪いことは云わない、ここだけ伏せるから上映時間・二時間十九分、つきあって下さい。

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