杉戸光史『怪奇!なめくじ少女』 ('87、ひばり書房)
出囃子が鳴る。
原色の派手な羽織を着た数名の噺家たちが袖から入場してきた。
全員が座布団に座ると、揃って客席に向かい、深々とお辞儀する。
パチパチと疎らな拍手。
司会のブルドックに似た顔の男が喋る。
「びっくりしたなぁ、もう。
こないだの震災。凄かったですな。
みなさん、大丈夫でしたか?うちでも甚大な被害がございまして。かみさんのパンツが見事やられました」
即座に、頭頂部の禿げ上がった狐顔の男が突っ込む。
「そいつぁ、泥棒さんがお気の毒!」
微弱な笑い。
「おいおい、歌さん、そりゃないだろ。何てこと云うんだ。おい、座布団全部とっちまえ」
爆笑。
どうやら中途半端なネタの場合、座布団に責任を転嫁させればいいらしい。
芸人としてはまだまだ道半ばな、二十代の好青年スズキくんは心のメモ帳にすかさず太字で書き付けた。
「まだまだ、お話は尽きませんが・・・・・・」
ブルドック顔の男が云う。
いったい、何の話だ。スズキくんは訝しげに鼻をひくひくする。
「それでは、本日のお題。
杉戸光史とかけましてぇーーー」
スズキくんは我が耳を疑った。
国民的お茶の間番組だぞ。しかも日曜の夕方。高齢者の視聴も多い。布袋も山下久美子と別れる前、ふたり揃って観ていたという。
そんな緊張感皆無な、ゆるい時間帯に杉戸を投入?核弾頭、いきなり実戦配備ではないか。
「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ!」
横に並んだ先輩の落語家連中が一斉に挙手して騒ぎ出したので、スズキくんはさらに驚愕した。こいつら。いったい、なにを答える気だ。
「じゃあ、忍者じゃじゃ丸くん」
指名された猫の着ぐるみの噺家は、不服そうにぼやいた。「オイラ、忍者じゃないんだがにゃー」
「悪かった、悪かった。飴あげるから。機嫌なおして。
それじゃ回答をどうぞ!」
「杉戸光史とかけましてぇーーー」
「かけまして!」
「透明人間、と解きます」
「そのこころは・・・?」
「中味がにゃー!」
あちゃー。
これは、いきなりやってしまったぞ。
案の定、司会者は苦りきった表情である。しばし、収拾を思案していたが、今の場面はVTR編集段階でカットしてしまえばよい、と決断したらしい。
再び、ハイテンションで挙手を求めた。
「はい、お題、できた人!」
「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ!」
こいつら正気か?
スズキくんは思わず、唸った。
「それでは・・・もがり家どぶ平くん!」
工場廃液のような滑った皮膚に、醜いこぶを幾つもくっつけた中年男が、苦界奥底から搾り出す低音で返答した。
「はい・・・・・杉戸光史とかけましてぇー・・・・・・」
「かけまして!」
「全身真っ黒の・・・黒い猫と解きます」
「そのこころはッ?!」
「尾も・・・しろくない・・・面白くない・・・・・・」
最悪だ。
もはやクスリ笑いさえ起こらぬ客席は、さながら深海。音もなく降り積もるマリンスノー(微生物の屍骸)の世界だ。
しかし、これは彼ら笑いのアスリートたちが悪いのではなく、このような無謀な出題を用意した局側、放送作家、それに無批判にそれを公開放送の場に持ち出してしまった司会のブル男に責任があるのではないのか。
スズキくんはどこまでも東電の責任を追及していく姿勢を鮮明に打ち出したのだった。
【あらすじ】
少女はある日、学校帰りに道を何かが這った跡を見つける。
銀色にキラキラ輝く、粘着質の痕跡は道路を横断し森の奥へと消えていた。
普通、そんなもの積極的に無視するに限る筈だが、のれんに腕押し、強引に話を纏めて突き進む手法は業界随一の杉戸先生、少女をぐいぐい森の奥深くへと誘い込み、満を持して襲いかかるのだった。
草葉の陰に隠れてズズズィっとジャンプし、飛びつく巨大ナメクジ!
グルグル回転する突き出した目玉!
ニヤリと笑う口許には何故か牙が!ギャー!
胸元に粘液の塊り(推定15キロ)のボディアタックを喰らった少女は、哀れ、泡を吹いて失神してしまうのであった。
・・・それから何があったのか。
夕焼けの逆光に照らされて黒いシルエットで描かれる、倒れ寝そべった少女と上からのしかかる巨大ナメクジの絡み合いの構図は、どうしたって媾合しているようにしか見えない。
素晴らしいぞ!杉戸先生!
場面変わって、深夜。
自宅二階のでかいベッドで熟睡していた悦子は、不気味な気配に目覚める。
「な・・・なにかいるけはいだわ!」
思わず、考えたことをそのまま口に出す悦子。
この分かり易さ最優先の台詞運び、楳図先生もよくやるが、マンガでしかありえない喋りだ。そして、杉戸先生は余りにこれを濫用しまくるので、読者を心底うんざりした気持にさせてくれる名手である。
暗がりに立つ、怪しいシルエット。
「だ、誰?そこにいるのは・・・?」
だんだん顔がはっきりしてくると、例のナメクジに犯された少女だ。うつろな目線で、遠くを見ている。
「澄子!」
クラスメイトの澄子であった。思わず駆け寄る悦子。すると。
「あッ・・・手が冷たい!それに、いやにぬるぬるする!」
重ねられるふたりの手。ぬるり、というト書き。くどい。
読者が嫌な予感に捉われたところで、ニヤリと笑い、舌を出す澄子。
「うッ!!・・・舌じゃない!!!」
笑った彼女の唇から吐き出されてきたのは、一匹の巨大なナメクジであった!
見事に、太い。
立派なものをお持ちだ、と申し上げてよい。苦悶の表情のまま、ゲェーーーッとおのれの喉よりも遥かに極太な粘液の塊りを吐き出す丈夫な澄子に、悦子は問いかける。
「な、なんなのよ、それは?澄子?!」
・・・質問してる場合ではないと思うが。
その間、床にビチャッと落下する、丸々太った巨大ナメクジ。
「落ちた!」
恐怖に絶叫する悦子。実況アナか。
床にのたくる不気味すぎる物体を見て、云わずもがなのことを言う。
「な・・・なめくじ・・・!!」
読者諸君にもそろそろ杉戸先生の恐ろしすぎる実力が認識されてきたと思うが、どう贔屓目に見繕っても単なるページ数稼ぎにしか受け取れない、才能の欠片すら感じさせないような執拗極まる反復技法こそ、先生の余りにあまりに素晴らしすぎるオリジナリティーなのである。
こんなに気の利かないマンガ家は、そうはいない。
場面はまだ続く。
ムックリと床から身を起こした大ナメクジ、ザザザーッとにじり寄ってくる。
「こ、こっちに来る!!」
いい加減逃げたらどうだ、悦子。
指を咥えて見ている間に、ジャンプで胸元にビターーーンと張りつくナメクジ。顔面にのしかかられ、思わず転倒した悦子、またも無駄な台詞を吐く。
「ああ~~~、くッ、くるしい~~~」
ほくそ笑む澄子。
と、そこへ間抜けな騒ぎを聞きつけた悦子の母親が、「今何時だと思ってるのよ、バカ!」と現れた為、フィニッシュも遂げずにナメクジと澄子はほうほうの体で退散する羽目になるのであった。
ここまでの展開で、150ページの本編中、40ページ。
全編こんな感じで繰り返され、最後まで読み終わる頃には、確実にあなたは「もう、いいよ!」という心境になっている筈だ。
【解説】
しかし、この無駄口の嵐のようなマンガは、伊藤潤二先生との関連においても一際重要な作品である。
貸本、ひばりに只ならぬ造詣と愛情を注ぐ先生は、傑作長編『うずまき』において、ナメクジ少女の突き出した目玉のビジュアルを、短編「なめくじ少女」において、少女の口角から這い出る極太ナメクジ本体を、忠実にリメイクして見せてくれている。
特に、人間の顔に、目玉だけ突出して触角状になっている怪少女の造形は本当に素晴らしく、思わずミラノでグッドデザイン賞をあげたくなる。
なめくじ少女の正体が、火事で全身焼け爛れ芋虫状に変形した人間であるとか、それを屋敷に幽閉し飼っている実の父親の職業がなぜか博士であるとか、小学生の坊やでも気づく「このマンガ、へん」な要素はまだまだ無数に散りばめられているのであるが、ここでは以下の、些細だが読み飛ばすと非常に危険な箇所を指摘するに留めておく。
深夜なめくじと格闘し寝不足の悦子が学校へ行くと、澄子は何喰わぬ顔で登校して来ており、「あら、何のこと?」と惚けてみせるのだが、悦子が背を向けた途端に地面に這っていたナメクジを口に含んでペロリと食べる。
気づいて戦慄する悦子が恐る恐る下校時に後を尾けると、既に先読みして待ち構えていた澄子が仕掛けた罠にかかり、ナメクジだらけの肥つぼに落とされる。
もがき、助けを呼ぶうちに思わずナメクジを二、三匹呑んでしまう悦子。
「ホホホ・・・これで、あなたも私と同じ、なめくじ少女になるのよ!!」
勝ち誇り、絶叫する澄子。意識が遠のき、暗闇に飲み込まれ・・・・・・。
場面変わると、自宅のベッドに寝ている悦子。(衣服は肥つぼに落ちた時点と同じ。)
「はっ、、、」
不審げに周囲を見廻すが、異常の気配はないようだ。
「・・・よかった。私は、夢を見ていたのね・・・。」
瞬間、ゲボッとなめくじの体液を吐く悦子。
たちまち全身の毛穴からぬめぬめした透明の液体が噴き出してきて、全身ぬるぬるの、グジョグジョの、キラキラてかった液体で濡らされ・・・。
再び、別の布団で目覚める悦子。
今度こそ先程までの出来事がすべて夢であることを再確認し、安堵の溜息をつくのだったが、ハテ、どこまでが夢でどこまでが現実だというのか。
あのとき、悦子が呑んだナメクジは現実か、まぼろしか?
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