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2011年3月

2011年3月30日 (水)

杉戸光史『怪奇!なめくじ少女』 ('87、ひばり書房)

 出囃子が鳴る。

 原色の派手な羽織を着た数名の噺家たちが袖から入場してきた。
 全員が座布団に座ると、揃って客席に向かい、深々とお辞儀する。
 パチパチと疎らな拍手。

 司会のブルドックに似た顔の男が喋る。

 「びっくりしたなぁ、もう。
 こないだの震災。凄かったですな。
 みなさん、大丈夫でしたか?うちでも甚大な被害がございまして。かみさんのパンツが見事やられました」

 即座に、頭頂部の禿げ上がった狐顔の男が突っ込む。

 「そいつぁ、泥棒さんがお気の毒!」

 微弱な笑い。

 「おいおい、歌さん、そりゃないだろ。何てこと云うんだ。おい、座布団全部とっちまえ」

 爆笑。
 どうやら中途半端なネタの場合、座布団に責任を転嫁させればいいらしい。
 芸人としてはまだまだ道半ばな、二十代の好青年スズキくんは心のメモ帳にすかさず太字で書き付けた。

 「まだまだ、お話は尽きませんが・・・・・・」

 ブルドック顔の男が云う。
 いったい、何の話だ。スズキくんは訝しげに鼻をひくひくする。

 「それでは、本日のお題。
 杉戸光史とかけましてぇーーー」

 スズキくんは我が耳を疑った。
 国民的お茶の間番組だぞ。しかも日曜の夕方。高齢者の視聴も多い。布袋も山下久美子と別れる前、ふたり揃って観ていたという。
 そんな緊張感皆無な、ゆるい時間帯に杉戸を投入?核弾頭、いきなり実戦配備ではないか。

 「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ!」

 横に並んだ先輩の落語家連中が一斉に挙手して騒ぎ出したので、スズキくんはさらに驚愕した。こいつら。いったい、なにを答える気だ。

 「じゃあ、忍者じゃじゃ丸くん」

 指名された猫の着ぐるみの噺家は、不服そうにぼやいた。「オイラ、忍者じゃないんだがにゃー」

 「悪かった、悪かった。飴あげるから。機嫌なおして。
 それじゃ回答をどうぞ!」

 「杉戸光史とかけましてぇーーー」

 「かけまして!」

 「透明人間、と解きます」

 「そのこころは・・・?」

 中味がにゃー!」
 
 あちゃー。
 これは、いきなりやってしまったぞ。
 案の定、司会者は苦りきった表情である。しばし、収拾を思案していたが、今の場面はVTR編集段階でカットしてしまえばよい、と決断したらしい。
 再び、ハイテンションで挙手を求めた。

 「はい、お題、できた人!」

 「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ!」

 
こいつら正気か?
 
スズキくんは思わず、唸った。

 「それでは・・・もがり家どぶ平くん!」

 工場廃液のような滑った皮膚に、醜いこぶを幾つもくっつけた中年男が、苦界奥底から搾り出す低音で返答した。

 「はい・・・・・杉戸光史とかけましてぇー・・・・・・」

 「かけまして!」

 「全身真っ黒の・・・黒い猫と解きます」

 「そのこころはッ?!」

 「尾も・・・しろくない・・・面白くない・・・・・・」

 最悪だ。
 もはやクスリ笑いさえ起こらぬ客席は、さながら深海。音もなく降り積もるマリンスノー(微生物の屍骸)の世界だ。
 しかし、これは彼ら笑いのアスリートたちが悪いのではなく、このような無謀な出題を用意した局側、放送作家、それに無批判にそれを公開放送の場に持ち出してしまった司会のブル男に責任があるのではないのか。
 スズキくんはどこまでも東電の責任を追及していく姿勢を鮮明に打ち出したのだった。


あらすじ】

 少女はある日、学校帰りに道を何かが這った跡を見つける。
 銀色にキラキラ輝く、粘着質の痕跡は道路を横断し森の奥へと消えていた。
 普通、そんなもの積極的に無視するに限る筈だが、のれんに腕押し、強引に話を纏めて突き進む手法は業界随一の杉戸先生、少女をぐいぐい森の奥深くへと誘い込み、満を持して襲いかかるのだった
 草葉の陰に隠れてズズズィっとジャンプし、飛びつく巨大ナメクジ!

 グルグル回転する突き出した目玉!
 ニヤリと笑う口許には何故か牙が!ギャー!

 胸元に粘液の塊り(推定15キロ)のボディアタックを喰らった少女は、哀れ、泡を吹いて失神してしまうのであった。
 
 ・・・それから何があったのか。
 夕焼けの逆光に照らされて黒いシルエットで描かれる、倒れ寝そべった少女と上からのしかかる巨大ナメクジの絡み合いの構図は、どうしたって媾合しているようにしか見えない。
 素晴らしいぞ!杉戸先生!

 場面変わって、深夜。
 自宅二階のでかいベッドで熟睡していた悦子は、不気味な気配に目覚める。
 
 「な・・・なにかいるけはいだわ!」

 思わず、考えたことをそのまま口に出す悦子。
 この分かり易さ最優先の台詞運び、楳図先生もよくやるが、マンガでしかありえない喋りだ。そして、杉戸先生は余りにこれを濫用しまくるので、読者を心底うんざりした気持にさせてくれる名手である。

 暗がりに立つ、怪しいシルエット。
 「だ、誰?そこにいるのは・・・?」
 だんだん顔がはっきりしてくると、例のナメクジに犯された少女だ。うつろな目線で、遠くを見ている。
 「澄子!」
 クラスメイトの澄子であった。思わず駆け寄る悦子。すると。

 「あッ・・・手が冷たい!それに、いやにぬるぬるする!」

 重ねられるふたりの手。ぬるり、というト書き。くどい。
  読者が嫌な予感に捉われたところで、ニヤリと笑い、舌を出す澄子。

 「うッ!!・・・舌じゃない!!!」

 笑った彼女の唇から吐き出されてきたのは、一匹の巨大なナメクジであった!
 見事に、太い。
 立派なものをお持ちだ、と申し上げてよい。苦悶の表情のまま、ゲェーーーッとおのれの喉よりも遥かに極太な粘液の塊りを吐き出す丈夫な澄子に、悦子は問いかける。

 「な、なんなのよ、それは?澄子?!」

 ・・・質問してる場合ではないと思うが。
 その間、床にビチャッと落下する、丸々太った巨大ナメクジ。

 「落ちた!」

 恐怖に絶叫する悦子。実況アナか。
 床にのたくる不気味すぎる物体を見て、云わずもがなのことを言う。

 「な・・・なめくじ・・・!!」

 読者諸君にもそろそろ杉戸先生の恐ろしすぎる実力が認識されてきたと思うが、どう贔屓目に見繕っても単なるページ数稼ぎにしか受け取れない、才能の欠片すら感じさせないような執拗極まる反復技法こそ、先生の余りにあまりに素晴らしすぎるオリジナリティーなのである。
 こんなに気の利かないマンガ家は、そうはいない。

 場面はまだ続く。

 ムックリと床から身を起こした大ナメクジ、ザザザーッとにじり寄ってくる。

 「こ、こっちに来る!!」

 いい加減逃げたらどうだ、悦子。
 指を咥えて見ている間に、ジャンプで胸元にビターーーンと張りつくナメクジ。顔面にのしかかられ、思わず転倒した悦子、またも無駄な台詞を吐く。

 「ああ~~~、くッ、くるしい~~~」

 ほくそ笑む澄子。
 と、そこへ間抜けな騒ぎを聞きつけた悦子の母親が、「今何時だと思ってるのよ、バカ!」と現れた為、フィニッシュも遂げずにナメクジと澄子はほうほうの体で退散する羽目になるのであった。
 
 ここまでの展開で、150ページの本編中、40ページ。
 全編こんな感じで繰り返され、最後まで読み終わる頃には、確実にあなたは「もう、いいよ!」という心境になっている筈だ。

 
【解説】

 しかし、この無駄口の嵐のようなマンガは、伊藤潤二先生との関連においても一際重要な作品である。
 貸本、ひばりに只ならぬ造詣と愛情を注ぐ先生は、傑作長編『うずまき』において、ナメクジ少女の突き出した目玉のビジュアルを、短編「なめくじ少女」において、少女の口角から這い出る極太ナメクジ本体を、忠実にリメイクして見せてくれている。
 特に、人間の顔に、目玉だけ突出して触角状になっている怪少女の造形は本当に素晴らしく、思わずミラノでグッドデザイン賞をあげたくなる。

 なめくじ少女の正体が、火事で全身焼け爛れ芋虫状に変形した人間であるとか、それを屋敷に幽閉し飼っている実の父親の職業がなぜか博士であるとか、小学生の坊やでも気づく「このマンガ、へん」な要素はまだまだ無数に散りばめられているのであるが、ここでは以下の、些細だが読み飛ばすと非常に危険な箇所を指摘するに留めておく。

 深夜なめくじと格闘し寝不足の悦子が学校へ行くと、澄子は何喰わぬ顔で登校して来ており、「あら、何のこと?」と惚けてみせるのだが、悦子が背を向けた途端に地面に這っていたナメクジを口に含んでペロリと食べる。
 気づいて戦慄する悦子が恐る恐る下校時に後を尾けると、既に先読みして待ち構えていた澄子が仕掛けた罠にかかり、ナメクジだらけの肥つぼに落とされる。
 もがき、助けを呼ぶうちに思わずナメクジを二、三匹呑んでしまう悦子。

 「ホホホ・・・これで、あなたも私と同じ、なめくじ少女になるのよ!!」

 勝ち誇り、絶叫する澄子。意識が遠のき、暗闇に飲み込まれ・・・・・・。
  
 場面変わると、自宅のベッドに寝ている悦子。(衣服は肥つぼに落ちた時点と同じ。)
 「はっ、、、」
 不審げに周囲を見廻すが、異常の気配はないようだ。

 「・・・よかった。私は、夢を見ていたのね・・・。」

 瞬間、ゲボッとなめくじの体液を吐く悦子。
 たちまち全身の毛穴からぬめぬめした透明の液体が噴き出してきて、全身ぬるぬるの、グジョグジョの、キラキラてかった液体で濡らされ・・・。

 再び、別の布団で目覚める悦子。
 今度こそ先程までの出来事がすべて夢であることを再確認し、安堵の溜息をつくのだったが、ハテ、どこまでが夢でどこまでが現実だというのか。
 あのとき、悦子が呑んだナメクジは現実か、まぼろしか?

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2011年3月28日 (月)

音楽の無力さについての短い声明

 音楽のピュアな側面というのは確かにあって、人を感動させもするし踊らせたりする。
 だから、危険だ。
 希望を持たせたり、生き延びさせたりする力は。すべからく根絶され、封印されるべきである。それは人を不安にする。全ての心の病の根源。それは絶望ではなく、希望だ。
 退避壕から顔を出し、鉛色に濁った空を見たまえ。われわれは寒空の下、死にかけている。都市は既に廃墟でしかない。顔の見えない幽霊のような観客達。喝采は死へのフィナーレ。
 記憶はいい具合にきみを誤魔化すだろう。偉大な一日を過ごした幸運を恋人達の元へ。
 
 「まったく、俄かには信じがたい
  そこに何もない、だなどと
  かくも興奮に満ちているのに
  かくも喜びに溢れているのに」

      (トーキングヘッズ「ヘヴン」) 

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2011年3月26日 (土)

CG④『グエムル 漢江の怪物』 ('06、Chungeorahm Film)

【あらすじ】

 放射能入りの川の水を飲んだ大男が河川敷で暴れる。
 
【解説】

 「お前、嘘を書くなよな!」

 クラスメートが顔を真っ赤にして怒るので、少年はちょっと困った。
 私立低能小学校。
 春休み期間中は、特別に頭の悪い生徒を集めて、補習授業を繰り返している。なにせ自分の名前も満足に書けないバカ揃いなので、進級させる為にはこうした地道な啓蒙活動が欠かせないのである。

 補修も終わり、下校しようとする少年を呼び止めたのは、知能が低いくせに正義感に溢れた熱血漢として知られるクラスメイトだった。
 (36歳、社会人経験有り。) 

 「だいたい、お前は無責任すぎる。先日も掃除当番、忘れて帰ったじゃないか。」
 「え?」
 
 「それも忘れたってのか?エエ、どんだけ馬鹿なんだ。」
 クラスメイトは苛立たしげに舌打ちした。
 「そんなことだから、映画の記事は嘘だらけになるんだ。
 お前、ちゃんと最後まで『グエムル』観たんだろ?何が印象に残った?」

 「ペ・ドゥナちゃんのジャージの背中が捲くれるのを、おやじ役の人が親切に押し込めてあげるところ。」

 「・・・・・・。」

 「まぁ、悪くない映画でしたよ。最近ありがちのここぞというアクションで、スローモーションを挿入するのはどうかと思いますが。でも、みんなやってますから。『マトリックス』以降の編集の定番ですよねー。」

 「偉そうに。お前、『マトリックス』ちゃんと観てないだろ?」

 「ディスコの黒服が大挙して攻めてくる映画ですよね?地球侵略テーマの新機軸ってことで。いろんなものが人類を滅ぼそうと狙ってるよなー。アイスクリームとか。トマトとか幽霊とか。われわれも油断しちゃいかん、って教訓ですよ。」

 「はぐらかすな!」
 とうとう、切れて絶叫した。

 「現在、日本は大変なことになってるんだよ!
 いまだ事態の収拾が見えない大震災被害。雲行き次第でどんどん拡散する放射性物質。被害が目に見える頃には、俺もお前もこの世に居ないかも知れない。
 あおりで今週は都内で水の買占めが起こり、たばこの出荷停止期間まで決まった。
 街行く女の子が、“これを機会に禁煙すればいいじゃん?”って云ってるくらい、深刻な危機なんだぞ!」


 「まぁまぁ、ヴァン・アレン帯が突然燃え出した訳でもあるまいし。」
 
 下校のチャイムが鳴り出した。
 少年はランドセルを背負いなおしながら、言った。
 
 「今回の危機で、東京に集まってる連中の品性が日本一下劣であることが、諮らずも世界的に知れ渡ったんじゃないですかね?
 地元民のみなさんも相当さもしいけど、あとの大半が自分の生まれ故郷に背を向けて金や欲を満たす為に全国から集まって来てる連中でしょ?
 パニックになると最悪だってことですよ。こりゃ死ぬな、と思ったもの。」


 「・・・生意気なクソ野郎が。お前に何が出来るってんだ。」

 「さぁ?」
 ひらひらと蝶のように手を振った。
 
 「最悪なのは、なにも起こらなかった振りをして以前の日常を取り戻そうとする行為じゃないですか?
 たぶん、またしても歴史は変わってしまったんですよ。決定的に。」

 「なに、すかしたこと抜かしてやがんだ・・・?!くぬやろ!!」 

 クラスメイトはとうとう掴みかかってきた。

 小学生の癖に、下校時間を過ぎても以上のような馬鹿げた会話を続け、しまいに取っ組み合っていたものだから、二名は当番の先生に見つかりこっぴどく叱られ、親まで呼ばれてこってり絞られた。

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2011年3月21日 (月)

関よしみ『マッドハウス』 ('95、講談社)

 「うーーーん、今回は参った。」

 暖かな春の日。
 小鳥は囀り、花は咲き、降り注ぐうららかな陽光は生命あるものすべてを祝福しているかのようだ。
 陽だまりのベンチに腰を降ろして、古本屋のおやじは重い溜息をついた。

 「極論すれば、マンガの評論なんて、良いか、悪いか。そのマンガのどこが凄いのか。それさえ語りきればお役御免だって思ってる。手法の分析なんて、副次的な産物さ。
 ただ、何を善しとし、何を落とすか。其処の取捨選択に評論の値打ちがあるように思う。
 だって普通の感覚からいけば、川島のりかずのマンガなんて、誰も良しとはしないだろ?」

 マンガ好きの好青年、スズキくんは苦笑した。

 「ボクは中学の時からずっと最高だと信じて来ましたけどね。
 のりかずの評価なんて、時代によって変わるもんでしょ。当時リアルタイムで読んでた連中のうち何%が、他のマンガと違う匂いを嗅ぎ取っていたんだか。怪しいもんです。」

 おやじは、手に入れたばかりの古本の表紙をパンパンと叩いた。

 「・・・で、今回は関よしみを取り上げる訳だが・・・。」

 「'90年代のトラウマ作家として名高い方ですね。実際のデビューは八十年代後半ですけど、ホラー方面にシフトしてからは、凶悪な加速力がかかり、幾多の読者を恐怖のどん底に叩き込んできたという・・・。」

 「時に、きみ、読んだかね・・・?」

 「いや・・・あのいかにも当時の少女マンガ的な絵柄がちょっと・・・。」

 おやじは軽く息を吐いた。
 遠くの芝生を、親子連れが横切っていく。子供は盛んに父親に纏わり付き、何事か熱心に訴えかけている。母親は仕方なさげに後ろをのろのろ歩いている。

 「私自身も、このマンガ家を好きか嫌いか、正直決めかねているんだ。
 そういう意味で微妙な扱いになる。
 ただ、記事として取り上げる価値は充分あると思う。
 その判断の分かれ目は、ズバリ絵柄だな。どうも好きになれん。

  かつて、紡木たく『ホットロード』症候群という病気がティーンの漫画誌に氾濫していた時代があってね。ネームが多くて鬱陶しい、コマ割りが細かくてアヴァンギャルド過ぎる、登場人物の顔をきちんと描き切らない、鼻を省略する、などいちいち我慢ならんかったもんだ。
 あ、念のため云っとく。
 私はリアルタイムで『ホットロード』の第1巻、読んだ男だからな!!」

 「げッ!」
 おやじの突然のカミングアウトにスズキくんは仰け反った。
 「・・・ホント、マンガだったら何でも読むんですか、あんたは・・・。」

 「従って、文句もリアルなのだよ。まったく、あんなクソを掴ませおって。ブツブツ。
 まァ、いい。話を戻す。関よしみ先生の絵柄には、そういう暗黒の時代の刻印が確かに刻まれている。尾瀬あきらが『ホットロード』を描いたみたいな感じというとわかるかな?」

 「尾瀬あきら・・・あぁ、『夏子の酒』・・・。」

 「という訳で、私の嫌いな、誤魔化しの多い絵柄が特徴の関先生ではあるが、作品は奇跡的に面白かったのだ。これが。
 そう、ここがマンガ表現の深奥にして妙なるところだ。わからんもんだ。」 

 「あんたの方が、よっぽど分からないですよ。
 関先生の絵柄って、メジャー感に溢れてますよね。強力に既視観のあるタッチ、明確な画面構成と不自然さのないキャラ立て。
 どう見ても異端とか、反社会とかいった記号が入り込む余地がない筈なんですが・・・?」

 おやじは、ニヤニヤ笑って、

 「いやなに、関先生の作品は、ホラーというより気違い話(笑)。
 通常の少女マンガのお膳立てを逆転させる卓袱台返しが得意技なんだ。
 
例えば、ホレ。これを見たまえ」


【あらすじ】

 真夏の午後。帰宅した少女が窓の外を眺めると、隣家の主婦が夫を刺殺するところだった。包丁が後頭部に入って、息絶える男。助けを求めるように手を泳がせ、主人公と目が合う。
 ピーポー、パーポー。警察が駆けつけると、犯人の妻は自ら喉を切り裂いて絶命しており、夫、それに幼い子供ふたりの亡骸が床に転がっている。
 報道が入り、一家四人無理心中事件の顛末を語る女子アナウンサー。原因は夫の浮気。妻のA子さんは最近ノイローゼ気味だったとのことです。
 「怖いわァー!」
 ボーイフレンドに縋り付く主人公。「なぁに、時間が経てば皆んな忘れちまうだろ。」
 (このふたりは相思相愛、実にうまくいっているので、何をしてもよいと関先生は判断したようだ。)

 BFの言葉どおり、半年後、無人だった家に買い手がつく。
 越して来た黒沢家は、主人公と同年齢の娘一人、両親とおじいちゃんの明るそうな家族だったが、引越しの挨拶に持ってきたのが泥まみれの球根。ご丁寧に菓子箱に泥を詰め、隣近所に配りまくったようだ。
 なんとなく不審なものを感じる主人公。
 それでも、ここん家のパパは小説家なので、サイン本を貰ったりして適度に交流を続ける。その間にも異常な現象は続き、何者かが正月に上がりこんで台所を荒らされたり。
 
 そんなある日、道ですれ違った隣家のおじいさんに「こんにちは」と頭を下げると、じじいの形相が見る間に変わり
 「き・・・きさま、ぶっ殺してやるーッ!!」
と突如ブチ切れ、襲ってきた。
 間一髪、自宅へ逃げ帰った主人公が息も絶え絶えドアを押さえていると、ドアをガツンガツン蹴り飛ばして騒いでいたじじいも、ようやく静かになり、どうやら立ち去ったようだ。
 ホッとした主人公がドアを開けると、玄関先に大人の大便が。
 とりわけおおきな一本糞が。
 泣き崩れる主人公。読者だって泣きたい。
 
 犬が花壇のヒヤシンスを折ったと云っちゃ警察を呼んだり、ご丁寧に報復としてその犬を行方不明にしたり。
 だんだんエスカレートする隣家の奇行に、唖然とする主人公。
 
遂に全裸で真夜中の台所に侵入してきたじじい、生の魚に齧り付く。
 塩気が足りない、と自分の指を卸しがねで擦り落とし、滴る血潮を振りかける反則プレーを披露。
 主人公に咎められると、大小便をケツからひり出しながら、立ち去っていくので迷惑この上なかった。

 隣の一人娘の正体は幼児愛好症で、主人公の八歳の弟を突如誘拐。強制拉致で自分のベッドに連れ込み、裸で愛撫。
 
主人公に見つかり、咎められても「ふたりの愛は永遠なのよ!」と改悛の余地なし。

 小説家のおやじは女装癖のある変態で、勝手に侵入して主人公の日記を盗み読みしていた。あまつさえ、それを小説と称して無許可で出版、世間に大々的に発表。しかもご丁寧にすべて実名入り。

 そして、じじいはさらなる奇策で、主人公の父親の車庫入れに独自に協力。酔っ払って寝込んだまま、車に轢かれて絶命するナイスパフォーマンス。
 ババアはババアで、主人公のボーイフレンドを難癖つけて植木バサミで首チョンパ。地面にこっそり埋めて隠してしまう。
 
 やがて、ショタコン女は完全に発狂、主人公の弟を縄で縊り殺して、自分はリストカットでこの世にバイバイすると、遂にぶち切れた主人公の母親が灯油缶を持ち出し、隣の家に放火に走る。
 悪の根源は根こそぎ絶たねばならぬ。
 慌てて飛び出してきたセーラー服にお下げのおっさんと、見るからに腕力の強い四角いおばさんとがこの期に及んで互いに醜く罵り合い。勝手に互いに刺し違えて自滅。

 遂に事件は官憲の関知するところとなり、主人公の母親は哀れ、逮捕。
 そして厳重な家宅捜索の末、隣家の裏庭からは、主人公のボーイフレンド、飼い犬の他に、白骨化した遺体が9体。屋根裏からはひからびた死体がさらに4体出てきたという。
 事件後空家となっていた隣だが、この春、工事が入って今度は大きなアパートが建つという。気違いの大量生産の予感に読者が暗澹となったところで、終幕。

 「住む人を狂わせる家。さすがは、マッドハウス。」
 主人公が膝を打ったところでおしまい。 


 ・・・以上を語り終えたおやじ、満足げに目配せしながら、
 「アニメ制作会社のマッドハウスというのは、ここから名前をとったそうだよ。」尤もらしい嘘を吐いた。「海外でも影響されて、マッドマックスという気違い連続殺人鬼がシリーズ化されて、映画界で大暴れ!
 関先生も調子に乗って、『マッドパパ』、『マッドクラス』と、マッド連発!
 この夏、マッドが熱い!!」


 呆れたスズキくんが声をかける。

 「しかし、聞きしにまさる酷い話ですね。驚きました。温かみのある優しい絵柄とは似ても似つかぬ修羅場の連続なんですね・・・。」

 「浮かび上がってくるのは、人間の暗黒面というより、関先生の作劇術の確かさだよ。
 少女マンガのクリシェ、強引にハッピーエンドを導く能力を転化させ、強引に不幸をばら撒く。
 ひどい方へ、ひどい方へと草木も靡く。
 類型的なキャラクター造形はこれに味方し、どんどん取り返しのつかない事態に。

 愛や社会正義といった既成概念など、すべてわれわれの一方的な思い込みに過ぎない。
 
風景描写や、天候描写などのディティールは最低限のに抑えられているのだから、物語とセリフ廻しが際立って、ひどい話が一層加速していくんだ・・・。」

 「うむむ。」

 「関先生の作風に似た作家というと、まずジャック・ケッチャムが浮かぶな。読むのが辛くなる感覚もよく似ているから、一度比較してみるといいよ。
 おっと、きみは活字を読む能力が退化しきっているんだっけ?
 では。」

 暖かな春の日。

 親に連れられたちいさい子供が芝生を歩いていく。
 母親も父親も、本当に楽しそうだ。

 「例えば・・・」
 おやじがニヤリと笑った。
 「あの幸せそうな親子連れを見て、どれだけ残酷なことが想像できるか。ひとつ、やってごらん・・・。
 それが関先生の手法に最も近づく道だよ。」

 
 スズキくんの額に、無数の脂汗が浮かんできた。

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2011年3月20日 (日)

『恐怖の報酬』 ('53、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー)

 かのクルーゾー警部が撮った映画がカンヌで優勝!の報道を聞いたとき、われわれは一様に耳を疑った。
 助手の中国人に命を狙われながら、よく映画など撮れたものだと感心せざるを得ない。

 主演のイヴ・モンタンといえば、ディナーショーで人気のフランス人歌手であるが、ここでは死んで当然の浮ついた若手として登場し、案の定非業の死を遂げる。その死に被さるB.G.M.が『青き美しきドナウ』であるというのは失念していたが、そういや確かにそうだった。
 モンタンは名曲『枯葉』を歌って銀巴里を沸かした男である。

♪ 枯葉よーーー
  枯葉よーーー
   枯れていなけりゃ、ただの葉っぱだぜーー
   俺は、お前にほの字だぜーー
   気づいているなら、今すぐ城を明け渡せ!


 こんな歌で拍手喝采なのだから、世の中まったくたいしたものでない。

 さて、この映画、いちいち面白いのだが、それは印象的なディテールを細かく積み重ねる警部の悪魔の如き計算力によって成り立っているといって過言ではない。
 冒頭、昆虫をいじめる現地人少年の丸出しのおちんこから、せっせと床を磨く酒場女のいまにも画面にこぼれ出しそうな乳房の描写、骨折したおやじの足が臭いを放つ厳しい年齢表現、爆破した岩に一斉に放尿して勝利を祝賀する男たちの友情、散り際までせっせと髭を剃る金髪男に、ゲーム『スーパーマリオ・ブラザース』にインスパイアされたキャラであるマリオとルイージの登場に到るまで、一切がインパクト過剰だ。
(同時にわれわれは、なぜマリオのコスプレをした男がルイージと呼ばれているのか、その矛盾について真剣に議論を交わさなくてはならないのだが。)
 
 もうひとつの特徴は、とことん本物を使うということだ。
 油田に火を点けたのも本物なら、絶妙な計算で画面上方をフライバイする輸送機のカットも本物。
 クライマックスに到っては、本物のトラックをイヴ・モンタンごと谷底へ突き落としている。
(モンタンはしかし、奇跡的な生還を遂げ、ここに彼の伝説が始まった。その能力はイーヴル・クニーブルを遥かに凌駕していた。)
 馬鹿リアリストであるウィリアム・フリードキン(通称ドキンちゃん)が敬意を込めてこの作品をリメイクしているのも決して故のないことではないのである。

 われわれは、とことん映画的であるということの意味を再度見つめ直してみようじゃないか。
 本当に凄い映画を撮る為なら、今すぐモンタンを谷底へ突き落とすべきであるし、愛染恭子がカメラの前で本番するというのならそれを残さず撮影しようじゃないか。
 『スナッフ』に収録された殺人は、真実だ。
 映画を真剣に面白くしたいのならば、虚実の皮膜の向こう側へ行って、何食わぬ顔でスキップしながら戻って来ればいいのだ。

 そういう意味で、スターウォーズ計画には期待している。

 

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2011年3月19日 (土)

いばら美喜『午前0時の心霊写真』 ('85、立風書房レモンコミックス)[後編]

(承前)

 「予測不能な大規模停電。それが現在首都圏を襲っている。
 節電を心がけない人間は非国民呼ばわりされる、緊迫した状況下でこんなふざけた記事を書いていて本当によいのであろうか。」
 黒い影は妙に内省的になりながら、述懐する。
 「神奈川県在住のAさんは、暗闇で愛用のギターを触っていたそうだ。いい加減飽きたころ、電気の灯りが回復した。
 「あるいは、埼玉のFさん。計画停電地域に住んでいるのに、予定になっても停電しない。準備万端、何時消えるかと待っていたのに、こりゃ逆の意味で辛い。ともかく突然消えても慌てないように、常にスタンバイ状態を維持。蛇に睨まれた蛙のように、脂汗をかき続けて停電予定の時間帯を過ごした。
 終わってから思い出したのは、近所に最近出来た産業廃棄物処理場のことだった。」

 「あなたの記事は無駄が多いな。」
 怪奇探偵スズキくんは冷静に指摘する。
 「肝心の要点をはぐらかそうと懸命なみたいだ。ボクがズバリ指摘してあげましょう。
 あなたは、残酷描写を忌避しようとしている。」

 「ぐぐッ・・・。」
 
 そのとき、また地面が大きく揺れ出した。スズキくんの携帯のエリアメールが警告音を鳴らし続けている。
 二階の畳が波打ってテーブルが向きを変え軋み、コップが震える。
 路地の向こうでゴソッと木戸の開く音が聞こえ、ガヤガヤと人声が闇に聞えた。
 
 「おい、また来たぞ。」
 「あぁ、そうですね。千葉県東方沖が震源となっていますね。このところ、頻発していますね、この地域。
 おや、どうしました?顔色が青いようですが・・・」

 「バカな。俺は黒い影なんだぞ。」
 影は虚勢を張ってみせた。「人類に降りかかる災厄の黒雲を象徴する存在だ。その俺が、地震が怖いなど・・・」
 
 スズキくんは、軽く手を挙げて、影の自問自答を遮った。

 「素直に認めてしまっては、いかがですか。
 次の揺れがきたら、あなたの最後かも知れませんよ。
 今書いている、この当たり障りのない下らない記事が、この世にあなたが最後に残した一条の爪痕ということになるのかも知れません。
 それが不服なら、進むしかないのです。終わりが来ようと、来るまいと。
 行けるところまで行く。
 あの例えようもなく混乱した長い夜を明かしながら、誰もがそんなことを考え続けていたのではないでしょうか?」


※     ※     ※     ※     ※

 菅沼市に到着した麻衣子は、芳恵の実家を訪問し、彼女が既に死亡していることを知る。
 葬式の花輪と、寂しげな遺影。
 引越し直後に交通事故に遭い、意識不明でずっと入院していたが、つい昨日植物人間のまま息を引き取ったのだという。
 それは・・・。

 (・・・あたしが、あの日芳恵ちゃんに出会った時刻!)

 慄然とする麻衣子。だが、同時に妙に腑に落ちるものを感じる。
 生死の境界を軽くオーバーランした芳恵の友情にちょっと感動を覚えつつも、なにもそこまでせんでええやん、ホンマ律儀な子やで、と急に関西弁になりながら戻って来たら、買物に行く宏志の母親に出くわした。
 芳恵のことはもはや誰にも話したくない心境の麻衣子、急遽御所車の伝説について問い質す方面にシフト。

 「行っちゃダメよ!!」
 大仰な身振りで全否定する叔母。
 「御所車を見た人は、八つ裂きにされるのよ!!
 それがどんなものだか解らないのは、見た人が全員殺されたからなのよ!!」


 (エーーー?!
  それって、たたりィ?
  マジで?この科学の現代にィ・・・?)

 麻衣子はちょっと半笑いになっている。

 「絶対に行っちゃダメよ。
 菅沼市に住んでいる家族まで、八つ裂きにされるらしいからね!!!」


 あまりに恐ろしい民間伝承を大声で披露し、いそいそと買物に出掛けていく叔母。
 今の話を電柱の陰で立ち聞きしていた兄は、真剣な顔で麻衣子の前に現れ、ボソッと低い声で告げた。

 「10時半くらいに家を出るぞ。準備しておけ。」

 「えーーー?準備って何よ?」

 「おしっこ済ましとく、とか。」

 この男は一生引きこもりのニートとして女性と縁のない人生を終えるだろう、と麻衣子は深く、深く確信を強めるのであった。

 真夜中、鞄を担ぎ、懐中電灯を持った宏志に先導され、バカ兄妹は町外れへ向かった。
 かなり明るい月夜で、互いの顔もはっきり見える。繁華街なぞ皆無の、地方都市の住宅地であるから、他にぶらぶら出歩く物好きなどまずいない。

 「ん?!どうするんだ、そのカメラ・・・?」
 宏志が肩からぶら下げているコニカの一眼レフに目を留める兄。

 「あ、コレ。」
 得意げにポーズで構え、
 「鬼女が出たら、証拠にスナップ撮ってやろうと思って。もちろん、そのあとは学研の雑誌に投稿し、一躍心霊業界で脚光を浴びる人物に。」
 「・・・そりゃ、すっげえー。」
 「だろ?ヌ、ハハ、ハハハ。」

 こいつら、バカの典型か。麻衣子は既に経験してきた心霊現象を死んでもこいつらに話すまい、と固く決意した。
 バカ話を続けるうち、辺りの景色は俄かに寂しさを増し、気がつくと川べりに柳が揺れる町外れ。灯火はめっきり遠のいて、心なし生暖かい風が吹く。
 「沼が近いな。御所車が通るのは、この一本道でいい筈なんだが・・・。」
 「いま、何時なの?」
 「十一時半。そろそろ、どっか隠れる場所を探そう。」

 荒れ果てたボート小屋に身を潜め、舗装もされていない田舎道を見張ることしばし。
 ピーヒョロロ、と彼方で笛の音が聞こえ。

 (・・・来た!!)

 山の方角から、カラコロと近づく二頭立ての牛車。侍従ひとりが手綱を持ち、ひとりが横咥えの笛を吹き鳴らし、ゆっくりゆっくり近づいてくる。
 その夢の中で見るような動きは、やはりこの世のものでない。
 バカどもの潜むボート小屋の前を通過し、豪奢な見台に穏やかな笑みを浮かべて乗っているのは、平安調の十二単を纏った高貴な婦人。
 
 (・・・あれ、ひょっとして・・・青涼納言・・・?)
 (おい、ぜんぜん鬼女じゃねーじゃん。聞いてないよ。そんな話。)
 (どうすんだよ、こんな狭い覗き穴からじゃ写真撮れないじゃんよ。)
 (いちかばちかだ。飛び出すぞ。)
 (えーーー?!危ないよ、やめときなよ、お兄ちゃん。)
 (平気だ。弱そうじゃん。あいつ。もろに。行くぞ。)

 いっせいに道に飛び出してくる三人。
 宏志がカメラを構えるか否かのタイミングで、平安美人がそれに気づいた。

 「うわわわわわーーーッ!!!」

 
瞬間、彼女の形相が変わり、口は耳まで裂け、両目は吊りあがり。
 額の肉を突き破って、二本の長いツノが宙に伸びた。
 光彩のない瞳がこちらを向いて、視界に彼らを捉え。

 空中を、なにか目に見えないものが電光石火で走り。

 途端、宏志の身体がズタズタに裂けて、どす黒い血しぶきが一面に飛び散った。
 手にしたカメラは辛うじてその瞬間、シャッターを押されたか。ちぎれた腕ごと、地面に叩きつけられた。
 胸は裂け、手足は無惨に千切れ飛び、カッと剥いた白目は死に際の凄まじい激痛を物語る。哀れ、宏志は身を守る術もなく、一瞬で頓死を遂げていた。


 麻衣子と兄は恐怖に身を凍らせ、路肩の茂みに倒れ込んだ。
 声も出せない。
 正体を現した鬼女は、念力を放つ構えを止め、もとの優雅な平安貴族の顔に戻った。
 従者が手綱をさばき、再び動き出す牛車。

 (・・・ひぇぇぇええーーー・・・。)
 (なに。なにが、どうなったの。死んだの、宏ちゃん?そんな・・・。)
 
 しかし、路面に飛び散った宏志の残骸は身動きひとつしない。
 湿気の多い六月の夜に、むせ返るような血臭が濃厚に漂っている。いまにも吐きそうだ。

 「多い日も、安心・・・!!」

 「待て・・・!気でも違ったのか。」
 
 何かに取り憑かれたような表情で無謀に飛び出そうとする麻衣子を慌てて制止し、兄は宏志の遺体の、比較的纏まっている箇所を担ぎ上げた。ちぎれかけた首が、ぶらんと背中にぶら下がる。
 「とにかく、戻ろう。叔母さんに知らせなきゃ・・・」
 妙に細かい性格の麻衣子は、回収可能な四肢の断片をせっせと鞄に詰めようとして、兄に頬を張り飛ばされた。

 かくて、死体を担いだバカ兄妹、誰もいない路地をひた走ってどうにか宏志の実家へ転げ込んだが。

 「ああッ・・・!!」

 家に上がりこみ、襖を開けたその向こうは鮮血の海、また海!!
 テレビのあるごく普通の居間は流血に赤く染め上げられ、全身をバラバラに引き千切られた叔父が、叔母が、床一面に飛び散って足の踏み場もありゃしない。


 「・・・・・・。」
 「・・・・・・。」

 言葉をなくして立ち尽くすふたり。

 「鬼女を見た人は、家族まで八つ裂きにされるって・・・。」
 麻衣子がポツリ呟く。
 「本当のことだったんだわ・・・。」

 「・・・にっちも、さっちもどうにもブルドック、ってか!!」
 大声であらぬことを叫んだ兄は、怒声と共に立ち上がった。

 「唐突にどうしたというの、兄さん?!気でも違ったの?!」
 「かたきを討とう!!今走れば、鬼女に追いつく!!
 俺は、鬼女の心臓にこの怒りの鉄拳をぶち込んでやらねば、気(※)が済まないんだ。
 まさに、鬼(※)女だけに、な!!」


 ウォーーーッ、という野蛮な吠え声を残して全力ダッシュで駆け出す兄。
 追って、履物はサンダルで追いすがる麻衣子。

 (それにしても、あたしたちはなぜ助かったのかしら・・・?)
 走りながら、ふと疑問が胸をかすめる。
 ギュッ、と握り締めた手のひらには、あのファンキーな氏神から貰ったお守りがあった。

 (もしや、このお守りが何か得体の知れないサムシングを・・・??
 ならば、あたし達、ひょっとしてあの鬼女に勝てるかも・・・。
 ・・・うぅん、まぁ、いいわ。いま考えても仕方のないことよ。
 それより、
 あたしを守って、芳恵ちゃん・・・!!)



※     ※     ※     ※     ※


 黒い影は、そこまで書き上げると深い息を吐いた。
 
 「しかし、長いですね、今回も・・・。」
 怪奇探偵スズキくんもつられて長嘆息する。
 「このあと、最後の決戦となり、かなりロウファイな手段で鬼女を葬ろうとするバカ兄妹と、正体不明の超念力を駆使するハイパー怨霊との対決に、スピルバーグもかくやというスペクタクル巨編へと話は雪崩れ込んでいく訳なんですが。

 あれ、どうかしましたか・・・?」

 部屋の真ん中に座り込んで、影が震えている。

 「お前、気づかんのか。おい、また、揺れ出したぞ!!」

 「はァ・・・?
 おぉ、これは大きい。大きいですぞ。あなたも私も、これで最後かも知れませんな・・・。」

 ガタガタと窓ガラスが震え、床に本が散らばった。
 彼方から耳を聾するばかりの地鳴りが轟き、それが天使の喇叭のように鳴り渡り、粉塵が舞い飛び、人の悲鳴が何処かで聞え。

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2011年3月15日 (火)

いばら美喜『午前0時の心霊写真』 ('85、立風書房レモンコミックス)[中編]

(承前)

 室内では不気味な沈黙が続いている。
 真っ向から睨み合った怪奇探偵スズキくんと、黒い影はお互い動かない。
 
 一瞬、遠くで緊急自動車のサイレンが鳴った。

 「それにしても、この世の地獄とはいったいなんであろうか?」

 影が口を開いた。
 「先日からわれわれは報道機関に齧りつき、数々の衝撃映像を目撃し続けているわけだが、起こった出来事の全体像をまだ把握しきれていない。
 “二百人から三百人の遺体が発見され・・・”とか、“宮城県だけで死者は一万名を越える”だとか、垣間見れる映像とを繋ぎ合わせておぼろげに想像しているだけだ。
 あの、放射能汚染危機の件も含めてね。
 瓦解した建物の隙間に、泥まみれの屍骸が無数にごろごろ転がっている眺め。それは確かにこの世の地獄にふさわしい光景であろうけれども、それは此処から離れた場所でまぎれもなく現在進行形で起こっている現実なんだ。
 今まさに地獄にいる人間にとっては、地獄もクソもない。
 生きるか、死ぬか。選択肢はそれだけだ。」


 「それって・・・。」

 「そう、戦争だよ。」
 影はニンマリ笑った。「均衡は破られた。いままさに、この地が戦火の海に呑まれたのだ。」


※     ※     ※     ※     ※

 麻衣子は、ともかく芳恵の引っ越した菅沼市へ行ってみようと決心する。
 ちょうど良いタイミングで、兄も菅沼の親戚宅へ赴くという。どうやら電車で行ける距離のようだ。
 こうなると、ますます麻衣子と芳恵に一年間交流がなかった理由が不自然に思えて仕方がないのだが、それこそが怪奇だ。怪奇現象のなせる業(ワザ)だ。
 
昨晩芳恵と会話するまで、麻衣子は彼女の引越し先すら知らなかった。
 「ここから50キロほど離れた、菅沼市の二丁目」
 説明はかなり具体的だったから、間違いではないだろう。

 さて、兄の出向く理由だが、いとこの宏志から唐突に電話があり、珍しいものを見せてやるから今晩絶対来い、というのだ。
 
 「四年に一度、六月十六日の夜、菅沼の町外れを御所車が通る、という伝説があるらしいんだ。」
 呑気に説明する兄。
 「その噂の真偽を確かめようというわけさ。」

 「バカバカしい。」
 ダンディーな髭の父親は一笑に附した。当然だろう。
 伝承によれば、平安時代、戸隠の鬼女なる者が御所車を見て大層気に入った。鬼女は京都御所近くで乗っていた青涼納言を殺害、従者の魂を抜き取り、従者・もろとも御所車を強奪したという。

 「戸隠の鬼女は嬉しくて、それから御者車に乗って全国を巡って歩いたというんだ。どうだい、面白い話だろう?」
 「まぁ、ずいぶんひょうきんな鬼女ね。」
 「そのうち、廻国のルートも定まり、菅沼市を通るのが四年に一度、午前零時なんだ。」
 「オリンピックでもやってるつもりなのかしら。」
 「鬼女リンピックだな。」

 「まぁ、兄さん、なんだかあたしもそのボケの顔を拝んでやりたくなってきたわ!!」
 興奮するバカ兄妹に、両親は完全に呆れ果て、たしなめることしか出来なかった。

※     ※     ※     ※     ※

 「なんか、無理やり山岸涼子先生の路線を行こうとしている感じですね。」
 スズキくんは、テクニカルな注釈を付ける。
 「きれい系だけど、怖いというよりおっかない方面。サイコ系。鬼女と子供を亡くした母親の怨念が合体すると、精神的に異界へ突き抜けた殺人鬼が主人公を追ってきますね。」
 
 「フフン、そういう話じゃまったくないんだなー。コレが。」
 影はニヤニヤ笑いを止めない。
 「いばら先生の恐怖表現は、常に即物的でストレートなんだよ。
 いつだって、直線距離を最短の速度で駆け抜けることしか考えていない。
 愛すべきロックロール魂の持ち主なのさ!」



※     ※     ※     ※     ※

 翌日。
 半ドンの学校を終えた兄妹は、仲良く電車で出発。
 菅沼市の手前の下高場まで来て、山崩れにより路線が不通となったことを知らされる。
 復旧には五時間以上かかる見込みだという。

 「・・・歩こう!!」
 どこかで聞いたような台詞を吐く兄。
 「え?!」
 「峠を越えて行けば、一時間で着くんだ。さぁ、急ごうぜ!」
 ぶつくさ云いながら、ノリの軽い兄に付き合わされる麻衣子。とはいえ、こんな田舎でボケーーーッと五時間待つ気なんか、ないしィ。
 
 それからえんえん、てくてく、山道をひたすら歩き続けること数刻。チラホラあった筈の民家もまったく途絶え、青葉の眩しい山中を奥へ奥へと分け入っていくふたり。
 とある鄙びた神社の鳥居前、赤子を抱いて何かを待ちわびている風体の巫女さんにバッタリ出会う。

 「ヘイ、ユウ!!」
 左とん平か、GHQの高級将校か、ピンクフロイドのメンバーのような口調で話しかけてくる巫女。
 とはいえ、突出するいばら先生の美女造形能力により描き出された、お姫様みたいな端正かつノーブルな美貌に兄はもう、眼がクラクラ。ハートが、ドッキンコ。
 
しかも、小袖に緋袴を履いて、雰囲気はあくまで本格派。完璧に衣裳が板についている。断じて商売巫女などではない。

 「ミーの抱いてるこのベイビーちゃんを、ジャスト・ア・モメント、しばし、ホールドオンタイト、預かっていてはくれまいか・・・?!」

 「なに、この人?」

 あやしむ麻衣子をよそに、ふらふらと前に進み出て赤ん坊を抱きとってしまう兄。
 余りにも軽率な行動が裏目に出て、かかえ上げた赤子の体重がグワッ、と増した。

 「おわわわっ!!」

 「いいですか、わたしが戻るまでその子を落しちゃ駄目ですよぉぉぉーーー・・・・・・」

 脱兎の如く、山道を全速力で駆け去っていく巫女。

 後に残されたバカ兄妹、ずんずん重みを増す赤ん坊を抱きかかえ、お前が悪い、いやお前が、と互いに罵り合っていたら、あっという間に一刻が過ぎ、太陽は中天へ。
 初めは小学生ぐらいだった体重も、今や大人ひとり分にもなり、とても女子中学生の持ち上げられる重さではなくなり、仕方なく抱き取った兄も早くも青息吐息、精も根も尽き果てて、あわやその場に倒れ臥そうかという、まさにギリギリのそのとき。

 「間に合ったーーーッ!!」

 地面に着く筈の足も高速で擦れて見えなくなるスピードで、山道をカッ飛んで戻ってきた巫女。
 赤子を抱き取ると、勝利のVサインを出した。

 「ユウたち、よくぞこの子を抱いていてくれました。この切り株を!」

 「エエーーーッ?!」

 見ると、兄の抱いていたのは紛れもなく産着に包まれた木の根っこ!!

 「実は私は、巫女ではなく、この神社の氏神なのです!頑張ったみなさんには、特別プレゼントとしてこの、氏神特製お守りを差し上げています!!」

 汚ねぇお守りをそれぞれ、授けられる兄と妹。

 「それじゃ、また来てねん!チャオ!バイならーーー!!」
 

 神の力を誇示するかのように、透明になり社殿の中へ消えていく氏神。
 突然訪れた本格派の民話展開に、顔を見合わせるバカ二名。

 「とりあえず・・・先に進むか・・・」

 成り行きの異様さにそこはかとなく自信を失くした兄を尻目に、麻衣子は心に誓うのでありました。

 「あたし、このお守りを死ぬほど大切にするわ・・・!!」



※     ※     ※     ※     ※


 怪奇探偵スズキくんは、恐る恐る声を掛けた。

 「あの・・・この世の地獄の惨状は・・・どこへ?!」

 黒い影はやけくそで叫んだ。

 「ええい、畜生、またしても記事が肥大化する傾向にあるぞ!!なんということだ!!
 行政には一刻も早い対応をお願いしたいネ!!
 そういった意味で、以下次号だ!!」

(以下次号) 

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2011年3月13日 (日)

いばら美喜『午前0時の心霊写真』 ('85、立風書房レモンコミックス)[前編]

 写真に映ったスズキくんには、首がなかった。

 蒼ざめて背後を覗き込んだが、誰もいない。だが、今まさに怪奇現象は彼ひとりの目の前で起こっているのだ。
 突然、届いた一通の封書。差出人の名前はない。開封すると出てきたのは、一枚の写真で、そこに映っていたのは長崎平和祈念公園でピースサインをする自分の姿だった。
 ただし、首なしの。
 
満面の笑みを湛えた顔が肩先で宙に浮いている。支えとなるものは何もなかった。

 こういう状況は、素直にこわい。
 時刻は折りしも深夜を廻ったばかり。
 家族もすっかり寝てしまい、家の中は水をうったような静けさだ。

 「うーーーむ・・・。」

 腕組みしながら、スズキくんは考える。こいつは、何のトリックだ。
 もっとも、こういう悪質なイタズラを仕掛けてきそうな人間になら、既に充分過ぎるくらい心当たりがあった。
 写真を裏返すと、へたくそな金釘流でマジックの走り書きがある。

 “ガハハ、おまえは、クビだッぴょーーーん!!”

 「ううむ・・・」
 スズキくんが苦りきって重い頭を抱えていると、天井裏でガサゴソ這い回る音がして、業を煮やしたらしい黒い影がスーーーッと滑り降りてきた。
 
 「オラオラどうした、怪奇ハンターさんよ?!さしもの貴様もグウの音も出まい・・・?!」
 
 「・・・あんた、子供か?」
 スズキくんは重金属を擦りつけるような声で言った。

 「先日我が国未曾有の大災害が発生し、一部は明らかに人災。死傷者数は数知れず、被害はなお拡大し続けている。
 余震を告げるエリアメールが連発され、誰もが情報収集に懸命だ。
 ふざけた記事を書き散らしていた連中がこぞって募金を呼びかけ、相手を揶揄することこそ生きがいの掲示板住民たちまでが一切冗談を言わなくなってしまった。
 おそらく経済、国民生活への深刻な影響は、これからじわじわ被災地域以外にお住まいの諸君の喉元をも締め上げてくるだろうが、いずれにせよ、生きてるだけでみっけもの。誰もが今考えているのはこのことだけだ。」

 黒い影は、黙って聞いている。

 「それをなんだ、不謹慎極まるぞ?!
 現在の自分に出来ることを考えろ。電気もガスも満足に得られない暮らしを想像してみろ。
 住む家を津波に押し流され、家族を失くし、そのうえ放射線被爆の危険に晒される人たちが五万といるんだ。のうのうと飯を喰い、安全地帯から対岸の火事を様子見するおのれの傲慢さを少しは恥じたらどうだ・・・?」

 ふところから取り出したタバコに火を点け、影は少し笑った。

 「そいつは、あんた自身の話に聞えるぜ。
 なんだ、ただの一晩帰宅難民になったってだけで、もう宗旨替えか?
 あんたもガソリンやら食糧品やらの買占めに走る連中に便乗してみるかい?自分のケツに火がついた馬が現在この国を走っている。
 その名は、野次馬っていうんだ。」


 再びふところに手を突っ込み、

 「それよか、いい心霊写真があるんだけど、買わない?」


※     ※     ※     ※     ※

 六月十四日。雨。

 「そりゃ降るわよ、梅雨だもの。」
 麻衣子は、仲良しの芳恵が来るのをずっと待っている。一年前、転校で離れ離れになるとき、約束したのだ。
 「ちょうど一年後の今日、きっと逢いましょう」と。

 日時がやけに細かく指定されている時点で、既にして濃厚に呪われた気配がするが、まぁいいじゃないか。気にするな。思春期少女の気まぐれってやつだ。
 しかし、なぜ再会するのに一年待たなくてはならないのか。
 電話・手紙など連絡の手段は幾らでもあるだろうに、何ゆえ彼女達は一切連絡を取り合おうとしないのか。

 怪奇だ。
 既に怪奇への扉は黒ぐろと口を開いていたのだ。


 明日が土曜日なのをいいことに、夜になってもひとり窓辺で待ち続ける麻衣子。落ちてくる雨だれを見つめ続ける澄んだ瞳。短髪、凛々しい眉。若武者のような毅然とした面持ち。
 いばら美喜先生の描く女性像はいつでも美しい。
 クラシカルで現実離れした印象を与えるのは、時代劇を多く手掛けた名残だろう。舞台は現代なのに、なんだかこの世じゃないみたい。
 それはこの作品が現代劇の仮面を被った時代劇に他ならないから。
 ためしに舞台を江戸に設定してごらん。それでも成立するから。

 家族はみんなベッドに引き取った真夜中。十一時五十九分。
 音もなく、家の鋼鉄製の門扉が開いて、彼女はそこに立っていた。

 「芳恵ちゃん・・・!!」
 
 長い黒髪、不自然なフリルのついた白いロングドレス。結い上げた髪をリボンで纏めて背中に垂らし、能面のような不気味な顔には夢見るような笑みが浮かんでいる。
 
 「間に合った・・・。」

 どしゃ降りの雨の中、傘もささずに忽然と空中から湧いて出た友人は、細い声で話しかけてきた。

 「あたしね、一年前に引っ越してすぐ交通事故にあって、手足も口も動かせない身体になってしまったの。それから、今日までずっと病院にいたんだけど、一年前の約束はずっと忘れたことがなかった・・・。
 でも、植物人間になってしまったから、どうしようもなかったの・・・。」

 「まァ・・・でも、こうして来てくれたんだから、直ったのね。よかった」

 とんでもない勘違い発言をかます麻衣子。
 菅首相よりもまだ信頼できない。

 「あなたは頭が良くてスポーツ万能で、あたしはバカでドジでノロマ・・・そんなあたしに、あなたは優しくしてくれたわね。ありがとう。」
 
 「いきなり、なにを言い出すのよ。さぁ、中に入って」

 「麻衣子ちゃん、あなたのことは忘れないわ。
 じゃあ、お元気でね。さようなら!」

 クルリ背を向け、雨降る暗闇の中へ走り去る芳恵。
 驚いた麻衣子が玄関を出て追いかけたが、友人の姿は往来の何処にも見当たらなかった。
 不吉な予感が胸にもたげる麻衣子。

 「芳恵ちゃん・・・。」


※     ※     ※     ※     ※


 「・・・どうだい?いいだろ?最高のオープニングだと思わないか?」

 一気に語り終えた影は能弁に言った。

 「そうですね。ボクもいばら先生の描く女性は大好きですし・・・。」
 スズキくんはペラペラと単行本の頁を捲りながら応える。
 「でも、正直、この後に続く超残酷展開なんかまったく予想できないですよね。
 少女読者諸君なんかは友情にからめた“ちょっといい霊ばなし”を期待して読み進む訳でしょ、そうすると待っているのが・・・」

 「五体バラバラ、八つ裂きにされる地獄だ!!」

 影は胸を張って宣言した。

 「覚悟して首を洗っておきたまえ。次回、諸君はこの世の地獄を目撃する!!」


(以下次号)
 

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2011年3月 7日 (月)

特別企画「映画を泥棒してみる」

 「私は、二本立てが好きだ。

 なんだか意味はわからないが、満腹感があるじゃないか?」
 
 犯罪王は誇らしげに宣言した。
 緑の上着に赤いシャツ、黄色のネクタイ。ジャケットの胸に薔薇の花を一本刺して、現実社会にはちょっといないタイプの人になっている。

 「はァ・・・しかし・・・」

 応え辛い返事をする部下は、定石どおりデブ。
 適当な服を着て、休みなくポップコーンを食い続けている。

  地下のアジトは、排水管の饐えた臭いが立ち籠めている。

 「調子に乗って3本はいかんよ。胃凭れの原因になるから。」

 笑って、続ける。
 「そう、かつて地上波テレビが娯楽の王様だった時代、若くて金もない私は深夜映画、お昼のロードショーなんでも片っ端から全部観まくった。
 重要なことは、差別せずなんでも観る姿勢だ。
 それでも、『フリークス』なんてのはちょっとTVにかかりにくいから、レンタル屋で借りてきてビデオで鑑賞した。『人間の条件』だか『戦争と人間』だか、そういうのも観た。『ベン・ハー』とか、な!“なに考えてるんだ、俺は?!”とか思いながらな!
 映画館だけが映画の記憶の伝承装置ではない。
 必死にトイレを我慢しながら立ち観した『スターウォーズ・帝国の逆襲』以来、映画館にあまりいい想い出がないんだ、私は。
 自宅で、孤独りで観るのが最高。
 映画を泥棒した気分になれて、非常に満足だ。」

 デブが突っ込む。
 
 「しかし、あんた、さっき3本はいかんと云った傍から4本はないデショ!!」

 「しかしソフトも安くなったなァー!買わん奴の気が知れんよ!!という訳で、今週は決して名画座にかからない、一本幾らの安い映画、大特集!!
 映画の甘美な記憶に死を・・・!!」 

 「死を・・・!!」

《一本目》 『ロボコップ2』('90、オリオンピクチャーズ)

 
「悪名高いメナハム・ゴーランとピーター・グルーバースのプロデューサーチームが安い映画をバブリーにかっ飛ばしてた時代の産物!
 この映画、最大の衝撃はエンディング!
 例のロボコップのテーマにあわせて、女性コーラスが高々と“ローーボーーコーーーップ!!”と歌い上げる!!」

 
「TVじゃそんな些細な箇所はカットされてますかね。あれは驚きますね。」

 「お話はまんま一作目のデッドコピーだが、フィル・ティペットのハリーハウゼン魂が超炸裂!!摩天楼を舞台にしたロボコップ2号との肉弾戦は、まさに大熱演である。ノンカットで観たら、『アルゴ探検隊』のタロスに似た動きや、金星竜イミール的な立ち居振舞いが泣かせる!」

 デブが小首を傾げる。

 「しかし、敵がハゲとガキとボディコン女とヒューイ・ルイスってのは、映画として大丈夫な範疇に入るんですかね、ボス?」
 
 「いいんだ。そこが。脚本は、アメコミの革命児フランク・ミラー!」

 「この人、ときどき才能を疑うレベルの勘違いを飛ばしてくれますよね。“ダークナイト・ストライクス・アゲイン”とか・・・」

 「続編に弱い男なんだよ、きっと」

 「監督は、さっき名前の出た『帝国の逆襲』でコアなファンのハートを揺さぶった名匠アーウィン・カシュナー!」

 「『JAWS2』のヤノット・シュワルツと並ぶ大物映画監督だね、俺の中では!とにかく凄いんだよ、カシュナーは!他監督作に『007ネバーセイ・ネバーアゲイン』もあるぞ!」

 「・・・王様ですね、ある意味では・・・。」

《二本目》 『キング・ソロモンの秘宝』('85、キャノンフイルム)

 「シャロン・ストーンが乳みせねェーーー!!」

 「いや、これ、まだデビュー作ですから・・・まァ、すでにビッチ演技の片鱗はありますがね。教授の娘というお姫様役なのにあきらかに下品。シャロンといえば、マニア筋には『トータル・リコール』で見せたシュワルツネッガーへの全力廻し蹴りが印象深い筈」

 「タニヤ・ロバーツの『シーナ』と勘違いしてたのかな?乳、乳・・・」

 「内容は、あれ、ライダー・ハガードってこんな話だったっけ?と我が目を疑いたくなる知能の低さがスパーク!
 最後、洞窟で秘密の仕掛け踏んだら、石膏像の巨大ワニが襲ってきてどうしようか、と本気で悩みました!」

 「あれ、『続・恐竜の島』へのオマージュだから。実は」

《三本目》 『ハロウィーンExtended Edition』('78、ジョン・カーペンター&デブラ・ヒル)

 「根負けして、3本目はちゃんとした奴を観ちゃいましたー!!」

 「ま、製作費の安さだったら今回の4本ではぶっちぎりトップですけどね!」

 「何度観ても素晴らしい。だいたい、殺人鬼マイケル・マイヤーズがリアル・サイコなのか、超自然的怪物なのかさっぱり分からない、という描き方が奇跡的に成功している。カーペンターの優れた演出力の賜物だろ。
 この中途半端な感じ、凡庸な監督がやったらギャグにしかならん。そういう意味でジェイソンもフレディーも、全部ダメ!」

 「雨の真夜中、精神病院の患者が野放しになってる場面とか、追加撮影シーンも面白いんですよねー」

 「ま、J・リー・トンプソンとカーペンターを比較するのも気の毒な感じはするけどな。映画監督に必要なものは、まず才能だろ?
 そういう基本を分からせる映画だ。」

《四本目》 『マダガスカル』('05、ドリームワークス)

 
「・・・最後の最後に、こんな映画を観せられて、私はどうすればいいんだ?誰か、教えてくれ!!」

 「映画の観過ぎには注意ですよ、ボス」


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2011年3月 3日 (木)

諸星大二郎「硬貨を入れてから、ボタンを押してください」('70、ジャイブ゙『ナンセンスギャグマンガ集・珍の巻』収録)

 「・・・あのー、デビュー作“ジュン子・恐喝”のレビューを書いたあと、採り上げるのがこの作品というのは、明らかに間違っているかと・・・」

 風邪薬でラリリながら、鼻声のスズキくんが申し立てる。
 季節は、かなり適当に、春間近。
 休日の好天気に騙されて、愛用のフリースを脱ぎ捨てた直後に、北極から吹き寄せるブリザードに直撃され、最早へろへろの状態になっている。

 「いいんだよ。俺は、明らかに間違っている男だ。」

 
古本屋のおやじが開き直って、見得を切った。こちらは常に腹を空かして、飢えた野良犬のような形相になっている。
 
 「警告しておく。書いてる記事も間違いだらけだ。信用するな。」

 「最近社内での評判もそんな感じですよね。いつ、お辞めになるんですか?」

 「後任には、きみを推薦しておくよ。彼らとうまくやりたまえ!」

 スズキくん、首をすくめて、

 「くわばら、くわばら。そいつはまっぴら、御免でござりやす。」

 「江戸か?」

 おやじは景気づけに読んでいた『黒沢清、21世紀の映画を語る』の表紙をバンと叩くと、立ち上がった。
 古本屋『運減堂』の埃っぽい店内に、午後の燭光が斜めに差し込んでいる。

 おやじは、壁に吊るされた黒板の前に立ち、書かれた行事予定(「町内会清掃」)を大げさな身振りで掻き消すと、チョークを握った。

 「いいか。
 今回採り上げるのは、日本マンガ界唯一無二の巨匠、国宝級マンガ家・諸星大二郎先生が若気の至りで描き飛ばして、かの手塚治虫が主催する同人誌『COM』で佳作をせしめたという、伝説のプレデビュー作“硬貨を入れてから、ボタンを押してください”だ!!
 小難しいことが書いてあるので有名な青土社刊行の雑誌ユリイカが、2009年に発掘掲載しているから、早い子はもう始めているな!」

 「エッ?!そ、それは・・・」

 「俺は無能なクソったれだから、今回初めて読んだんだがな!
 ちなみに、このアメコミ好きには最近お馴染みのジャイブという版元は、なかなか痒いところに手が届く本をつくってくれたな。
 諸星ファンしか喜ばんかも知れん落穂拾い的内容だが、勇気ある試みだ。
 体裁だけ当時のままにして、値段は現代的にバカ高い、コレクター殺しの某社より余程良心的である。
 たかがマンガ本が偉そうにしてはいかん。」

 「その点は同感です。だいたい、ボクのふところは常にツンドラ氷河ですし・・・」
 
 「一冊¥690!なんかおまけっぽい軽い装丁もナイス!マンガ本はこうでなくっちゃ!」

 「そういえば、このブログで記事になる本で、現在も新刊書として店頭に在庫がある本も珍しい・・・」
 
 「うッ・・・うるせぇ!!いくぞ!イクエ・・・モリ!!」

 「ギャッフン!」

 おやじ、ようやくチョ-クで大きく「硬貨」「ボタン」と大書きした。

 「では作品の内容紹介に移るぞ!

 舞台は人類が細菌戦争で滅んだ未来だ。町も電気も健在だが、なぜか人がまったくいないんだ。
 自動化された機械だけが、孤独に働き続けている。
 どうやら人類の大半は生物都市に吸収合併されてしまったらしいな!最近はどんな企業もなにかというと吸収合併だからな!
 俺は、あの未来図がすぐそこまで来ている気がして、空恐ろしくなるよ」

 「あんただけです、あんただけ」

 「そんな町に、ヒゲに帽子の浮浪者がやって来るんだ。ナップサックをかかえて、な!
 この袋の中味については、名作短編“袋の中”を参照にするように。絞め殺した母親の死体を生贄として犯す名場面があるから、その筋の人は必読だ!いわば、リアル・パ×パコママ!」

 「うひゃぁー!」

 「この男が腹を空かして、食糧を探すが、すべて自動化された町ではなにもかもが自動販売機で供給されているんだ。
 うどん、カレーライス、なんとビフテキまである」

 おやじは黒板に「ビフテキ」と書いた。

 「俺の好物だ!」
 ドン、と黒板を叩き、呆れるスズキくんを尻目に続ける。
 
 「ちなみに前述した食べ物はすべて、缶入りのカンズメなんだがね。
 このあとの展開は既にお察しだろうが、さまざまな哀れを誘う事情により、浮浪者は自販機から食事をゲットすることが出来ない。お札ばかりで小銭がない、とか。
 諸星先生お得意のカフカ的状況という奴だな!
 こういう平凡な人が状況に翻弄され、とにかく酷い目に逢う路線は、その後の作品でも繰り返し追求されるモチーフである。

 具体的には、都民のために人柱にされる人、いつまでたっても就職した会社の本社に足を踏み入れることができない人、荒れ果てた惑星に花を植える不毛な業務を一生続けさせられる人・・・などなど。
 
とにかく、「大きな組織など碌なものではない、それも大きければ大きいほど・・・」という諸星先生の哲学が、否、哲学を越えた血の叫びが感じられる実例ばかり。

 視点を変えると、流砂に囲まれた街から出られない若者の話や、アンドロイド狩りで不毛な青春をスパークする傑作“地獄の戦士”や、発表から年輪を重ねれば重ねるほど、その攻撃対象への的確な目配りが浮き彫りになっていく超名作“子供の王国”やら、なんだ、ほとんどすべての作品に当て嵌まる巨大テーマではないか!
 かの大河連載『西遊妖猿伝』だって、状況の不幸に追い立てられ、やむにやまれず天竺を目指す男たちのドラマであるしな・・・。そういや、稗田先生だって・・・」

 「ふーむ。学会を追放され異端の道を歩む男。やはり、妖怪ハンターはそうでなくっちゃいけません・・・。

 しかし、マスター、どんだけ読んでるんですか・・・?」
 スズキくんが呆れて呟いた。

 おやじ、軽くうなずくと、纏めに入った。

 「だが、待て。少年。
 この幻のデビュー作にな、もっと近い作品があったんだよ。」

 「へ?」

 「砂漠に不時着した旅客機に、生き残ったさまざまな国籍の男女。食糧を求めて、砂漠を放浪するうちに、遂に見つけた救いの神は、砂丘に埋もれた超巨大な鯖の水煮のカンズメだった・・・!」

 チョークを横に寝かせると、赤、黄色のカラーチョ-クも交えて黒板に大書きした。

 「こりゃ、傑作短編“鯖イバル”そのものじゃないか?!」

 「うーーーむ、確かに。
 巨大缶切りが見つからず、みんな全滅するんですよね、その話・・・。
 でも、こんな細かい発見、熱心な諸星読者以外、誰が喜ぶんだろう・・・?」

 「どうよ、調子は?!最近?!」
 呆れるスズキくんをよそに、得意満面のおやじが尋ねた。

 「はァ・・・とりあえず、ボクも一冊買ってきます・・・・・・。」

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