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2011年3月21日 (月)

関よしみ『マッドハウス』 ('95、講談社)

 「うーーーん、今回は参った。」

 暖かな春の日。
 小鳥は囀り、花は咲き、降り注ぐうららかな陽光は生命あるものすべてを祝福しているかのようだ。
 陽だまりのベンチに腰を降ろして、古本屋のおやじは重い溜息をついた。

 「極論すれば、マンガの評論なんて、良いか、悪いか。そのマンガのどこが凄いのか。それさえ語りきればお役御免だって思ってる。手法の分析なんて、副次的な産物さ。
 ただ、何を善しとし、何を落とすか。其処の取捨選択に評論の値打ちがあるように思う。
 だって普通の感覚からいけば、川島のりかずのマンガなんて、誰も良しとはしないだろ?」

 マンガ好きの好青年、スズキくんは苦笑した。

 「ボクは中学の時からずっと最高だと信じて来ましたけどね。
 のりかずの評価なんて、時代によって変わるもんでしょ。当時リアルタイムで読んでた連中のうち何%が、他のマンガと違う匂いを嗅ぎ取っていたんだか。怪しいもんです。」

 おやじは、手に入れたばかりの古本の表紙をパンパンと叩いた。

 「・・・で、今回は関よしみを取り上げる訳だが・・・。」

 「'90年代のトラウマ作家として名高い方ですね。実際のデビューは八十年代後半ですけど、ホラー方面にシフトしてからは、凶悪な加速力がかかり、幾多の読者を恐怖のどん底に叩き込んできたという・・・。」

 「時に、きみ、読んだかね・・・?」

 「いや・・・あのいかにも当時の少女マンガ的な絵柄がちょっと・・・。」

 おやじは軽く息を吐いた。
 遠くの芝生を、親子連れが横切っていく。子供は盛んに父親に纏わり付き、何事か熱心に訴えかけている。母親は仕方なさげに後ろをのろのろ歩いている。

 「私自身も、このマンガ家を好きか嫌いか、正直決めかねているんだ。
 そういう意味で微妙な扱いになる。
 ただ、記事として取り上げる価値は充分あると思う。
 その判断の分かれ目は、ズバリ絵柄だな。どうも好きになれん。

  かつて、紡木たく『ホットロード』症候群という病気がティーンの漫画誌に氾濫していた時代があってね。ネームが多くて鬱陶しい、コマ割りが細かくてアヴァンギャルド過ぎる、登場人物の顔をきちんと描き切らない、鼻を省略する、などいちいち我慢ならんかったもんだ。
 あ、念のため云っとく。
 私はリアルタイムで『ホットロード』の第1巻、読んだ男だからな!!」

 「げッ!」
 おやじの突然のカミングアウトにスズキくんは仰け反った。
 「・・・ホント、マンガだったら何でも読むんですか、あんたは・・・。」

 「従って、文句もリアルなのだよ。まったく、あんなクソを掴ませおって。ブツブツ。
 まァ、いい。話を戻す。関よしみ先生の絵柄には、そういう暗黒の時代の刻印が確かに刻まれている。尾瀬あきらが『ホットロード』を描いたみたいな感じというとわかるかな?」

 「尾瀬あきら・・・あぁ、『夏子の酒』・・・。」

 「という訳で、私の嫌いな、誤魔化しの多い絵柄が特徴の関先生ではあるが、作品は奇跡的に面白かったのだ。これが。
 そう、ここがマンガ表現の深奥にして妙なるところだ。わからんもんだ。」 

 「あんたの方が、よっぽど分からないですよ。
 関先生の絵柄って、メジャー感に溢れてますよね。強力に既視観のあるタッチ、明確な画面構成と不自然さのないキャラ立て。
 どう見ても異端とか、反社会とかいった記号が入り込む余地がない筈なんですが・・・?」

 おやじは、ニヤニヤ笑って、

 「いやなに、関先生の作品は、ホラーというより気違い話(笑)。
 通常の少女マンガのお膳立てを逆転させる卓袱台返しが得意技なんだ。
 
例えば、ホレ。これを見たまえ」


【あらすじ】

 真夏の午後。帰宅した少女が窓の外を眺めると、隣家の主婦が夫を刺殺するところだった。包丁が後頭部に入って、息絶える男。助けを求めるように手を泳がせ、主人公と目が合う。
 ピーポー、パーポー。警察が駆けつけると、犯人の妻は自ら喉を切り裂いて絶命しており、夫、それに幼い子供ふたりの亡骸が床に転がっている。
 報道が入り、一家四人無理心中事件の顛末を語る女子アナウンサー。原因は夫の浮気。妻のA子さんは最近ノイローゼ気味だったとのことです。
 「怖いわァー!」
 ボーイフレンドに縋り付く主人公。「なぁに、時間が経てば皆んな忘れちまうだろ。」
 (このふたりは相思相愛、実にうまくいっているので、何をしてもよいと関先生は判断したようだ。)

 BFの言葉どおり、半年後、無人だった家に買い手がつく。
 越して来た黒沢家は、主人公と同年齢の娘一人、両親とおじいちゃんの明るそうな家族だったが、引越しの挨拶に持ってきたのが泥まみれの球根。ご丁寧に菓子箱に泥を詰め、隣近所に配りまくったようだ。
 なんとなく不審なものを感じる主人公。
 それでも、ここん家のパパは小説家なので、サイン本を貰ったりして適度に交流を続ける。その間にも異常な現象は続き、何者かが正月に上がりこんで台所を荒らされたり。
 
 そんなある日、道ですれ違った隣家のおじいさんに「こんにちは」と頭を下げると、じじいの形相が見る間に変わり
 「き・・・きさま、ぶっ殺してやるーッ!!」
と突如ブチ切れ、襲ってきた。
 間一髪、自宅へ逃げ帰った主人公が息も絶え絶えドアを押さえていると、ドアをガツンガツン蹴り飛ばして騒いでいたじじいも、ようやく静かになり、どうやら立ち去ったようだ。
 ホッとした主人公がドアを開けると、玄関先に大人の大便が。
 とりわけおおきな一本糞が。
 泣き崩れる主人公。読者だって泣きたい。
 
 犬が花壇のヒヤシンスを折ったと云っちゃ警察を呼んだり、ご丁寧に報復としてその犬を行方不明にしたり。
 だんだんエスカレートする隣家の奇行に、唖然とする主人公。
 
遂に全裸で真夜中の台所に侵入してきたじじい、生の魚に齧り付く。
 塩気が足りない、と自分の指を卸しがねで擦り落とし、滴る血潮を振りかける反則プレーを披露。
 主人公に咎められると、大小便をケツからひり出しながら、立ち去っていくので迷惑この上なかった。

 隣の一人娘の正体は幼児愛好症で、主人公の八歳の弟を突如誘拐。強制拉致で自分のベッドに連れ込み、裸で愛撫。
 
主人公に見つかり、咎められても「ふたりの愛は永遠なのよ!」と改悛の余地なし。

 小説家のおやじは女装癖のある変態で、勝手に侵入して主人公の日記を盗み読みしていた。あまつさえ、それを小説と称して無許可で出版、世間に大々的に発表。しかもご丁寧にすべて実名入り。

 そして、じじいはさらなる奇策で、主人公の父親の車庫入れに独自に協力。酔っ払って寝込んだまま、車に轢かれて絶命するナイスパフォーマンス。
 ババアはババアで、主人公のボーイフレンドを難癖つけて植木バサミで首チョンパ。地面にこっそり埋めて隠してしまう。
 
 やがて、ショタコン女は完全に発狂、主人公の弟を縄で縊り殺して、自分はリストカットでこの世にバイバイすると、遂にぶち切れた主人公の母親が灯油缶を持ち出し、隣の家に放火に走る。
 悪の根源は根こそぎ絶たねばならぬ。
 慌てて飛び出してきたセーラー服にお下げのおっさんと、見るからに腕力の強い四角いおばさんとがこの期に及んで互いに醜く罵り合い。勝手に互いに刺し違えて自滅。

 遂に事件は官憲の関知するところとなり、主人公の母親は哀れ、逮捕。
 そして厳重な家宅捜索の末、隣家の裏庭からは、主人公のボーイフレンド、飼い犬の他に、白骨化した遺体が9体。屋根裏からはひからびた死体がさらに4体出てきたという。
 事件後空家となっていた隣だが、この春、工事が入って今度は大きなアパートが建つという。気違いの大量生産の予感に読者が暗澹となったところで、終幕。

 「住む人を狂わせる家。さすがは、マッドハウス。」
 主人公が膝を打ったところでおしまい。 


 ・・・以上を語り終えたおやじ、満足げに目配せしながら、
 「アニメ制作会社のマッドハウスというのは、ここから名前をとったそうだよ。」尤もらしい嘘を吐いた。「海外でも影響されて、マッドマックスという気違い連続殺人鬼がシリーズ化されて、映画界で大暴れ!
 関先生も調子に乗って、『マッドパパ』、『マッドクラス』と、マッド連発!
 この夏、マッドが熱い!!」


 呆れたスズキくんが声をかける。

 「しかし、聞きしにまさる酷い話ですね。驚きました。温かみのある優しい絵柄とは似ても似つかぬ修羅場の連続なんですね・・・。」

 「浮かび上がってくるのは、人間の暗黒面というより、関先生の作劇術の確かさだよ。
 少女マンガのクリシェ、強引にハッピーエンドを導く能力を転化させ、強引に不幸をばら撒く。
 ひどい方へ、ひどい方へと草木も靡く。
 類型的なキャラクター造形はこれに味方し、どんどん取り返しのつかない事態に。

 愛や社会正義といった既成概念など、すべてわれわれの一方的な思い込みに過ぎない。
 
風景描写や、天候描写などのディティールは最低限のに抑えられているのだから、物語とセリフ廻しが際立って、ひどい話が一層加速していくんだ・・・。」

 「うむむ。」

 「関先生の作風に似た作家というと、まずジャック・ケッチャムが浮かぶな。読むのが辛くなる感覚もよく似ているから、一度比較してみるといいよ。
 おっと、きみは活字を読む能力が退化しきっているんだっけ?
 では。」

 暖かな春の日。

 親に連れられたちいさい子供が芝生を歩いていく。
 母親も父親も、本当に楽しそうだ。

 「例えば・・・」
 おやじがニヤリと笑った。
 「あの幸せそうな親子連れを見て、どれだけ残酷なことが想像できるか。ひとつ、やってごらん・・・。
 それが関先生の手法に最も近づく道だよ。」

 
 スズキくんの額に、無数の脂汗が浮かんできた。

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