いばら美喜『午前0時の心霊写真』 ('85、立風書房レモンコミックス)[後編]
(承前)
「予測不能な大規模停電。それが現在首都圏を襲っている。
節電を心がけない人間は非国民呼ばわりされる、緊迫した状況下でこんなふざけた記事を書いていて本当によいのであろうか。」
黒い影は妙に内省的になりながら、述懐する。
「神奈川県在住のAさんは、暗闇で愛用のギターを触っていたそうだ。いい加減飽きたころ、電気の灯りが回復した。
「あるいは、埼玉のFさん。計画停電地域に住んでいるのに、予定になっても停電しない。準備万端、何時消えるかと待っていたのに、こりゃ逆の意味で辛い。ともかく突然消えても慌てないように、常にスタンバイ状態を維持。蛇に睨まれた蛙のように、脂汗をかき続けて停電予定の時間帯を過ごした。
終わってから思い出したのは、近所に最近出来た産業廃棄物処理場のことだった。」
「あなたの記事は無駄が多いな。」
怪奇探偵スズキくんは冷静に指摘する。
「肝心の要点をはぐらかそうと懸命なみたいだ。ボクがズバリ指摘してあげましょう。
あなたは、残酷描写を忌避しようとしている。」
「ぐぐッ・・・。」
そのとき、また地面が大きく揺れ出した。スズキくんの携帯のエリアメールが警告音を鳴らし続けている。
二階の畳が波打ってテーブルが向きを変え軋み、コップが震える。
路地の向こうでゴソッと木戸の開く音が聞こえ、ガヤガヤと人声が闇に聞えた。
「おい、また来たぞ。」
「あぁ、そうですね。千葉県東方沖が震源となっていますね。このところ、頻発していますね、この地域。
おや、どうしました?顔色が青いようですが・・・」
「バカな。俺は黒い影なんだぞ。」
影は虚勢を張ってみせた。「人類に降りかかる災厄の黒雲を象徴する存在だ。その俺が、地震が怖いなど・・・」
スズキくんは、軽く手を挙げて、影の自問自答を遮った。
「素直に認めてしまっては、いかがですか。
次の揺れがきたら、あなたの最後かも知れませんよ。
今書いている、この当たり障りのない下らない記事が、この世にあなたが最後に残した一条の爪痕ということになるのかも知れません。
それが不服なら、進むしかないのです。終わりが来ようと、来るまいと。
行けるところまで行く。
あの例えようもなく混乱した長い夜を明かしながら、誰もがそんなことを考え続けていたのではないでしょうか?」
※ ※ ※ ※ ※
菅沼市に到着した麻衣子は、芳恵の実家を訪問し、彼女が既に死亡していることを知る。
葬式の花輪と、寂しげな遺影。
引越し直後に交通事故に遭い、意識不明でずっと入院していたが、つい昨日植物人間のまま息を引き取ったのだという。
それは・・・。
(・・・あたしが、あの日芳恵ちゃんに出会った時刻!)
慄然とする麻衣子。だが、同時に妙に腑に落ちるものを感じる。
生死の境界を軽くオーバーランした芳恵の友情にちょっと感動を覚えつつも、なにもそこまでせんでええやん、ホンマ律儀な子やで、と急に関西弁になりながら戻って来たら、買物に行く宏志の母親に出くわした。
芳恵のことはもはや誰にも話したくない心境の麻衣子、急遽御所車の伝説について問い質す方面にシフト。
「行っちゃダメよ!!」
大仰な身振りで全否定する叔母。
「御所車を見た人は、八つ裂きにされるのよ!!
それがどんなものだか解らないのは、見た人が全員殺されたからなのよ!!」
(エーーー?!
それって、たたりィ?
マジで?この科学の現代にィ・・・?)
麻衣子はちょっと半笑いになっている。
「絶対に行っちゃダメよ。
菅沼市に住んでいる家族まで、八つ裂きにされるらしいからね!!!」
あまりに恐ろしい民間伝承を大声で披露し、いそいそと買物に出掛けていく叔母。
今の話を電柱の陰で立ち聞きしていた兄は、真剣な顔で麻衣子の前に現れ、ボソッと低い声で告げた。
「10時半くらいに家を出るぞ。準備しておけ。」
「えーーー?準備って何よ?」
「おしっこ済ましとく、とか。」
この男は一生引きこもりのニートとして女性と縁のない人生を終えるだろう、と麻衣子は深く、深く確信を強めるのであった。
真夜中、鞄を担ぎ、懐中電灯を持った宏志に先導され、バカ兄妹は町外れへ向かった。
かなり明るい月夜で、互いの顔もはっきり見える。繁華街なぞ皆無の、地方都市の住宅地であるから、他にぶらぶら出歩く物好きなどまずいない。
「ん?!どうするんだ、そのカメラ・・・?」
宏志が肩からぶら下げているコニカの一眼レフに目を留める兄。
「あ、コレ。」
得意げにポーズで構え、
「鬼女が出たら、証拠にスナップ撮ってやろうと思って。もちろん、そのあとは学研の雑誌に投稿し、一躍心霊業界で脚光を浴びる人物に。」
「・・・そりゃ、すっげえー。」
「だろ?ヌ、ハハ、ハハハ。」
こいつら、バカの典型か。麻衣子は既に経験してきた心霊現象を死んでもこいつらに話すまい、と固く決意した。
バカ話を続けるうち、辺りの景色は俄かに寂しさを増し、気がつくと川べりに柳が揺れる町外れ。灯火はめっきり遠のいて、心なし生暖かい風が吹く。
「沼が近いな。御所車が通るのは、この一本道でいい筈なんだが・・・。」
「いま、何時なの?」
「十一時半。そろそろ、どっか隠れる場所を探そう。」
荒れ果てたボート小屋に身を潜め、舗装もされていない田舎道を見張ることしばし。
ピーヒョロロ、と彼方で笛の音が聞こえ。
(・・・来た!!)
山の方角から、カラコロと近づく二頭立ての牛車。侍従ひとりが手綱を持ち、ひとりが横咥えの笛を吹き鳴らし、ゆっくりゆっくり近づいてくる。
その夢の中で見るような動きは、やはりこの世のものでない。
バカどもの潜むボート小屋の前を通過し、豪奢な見台に穏やかな笑みを浮かべて乗っているのは、平安調の十二単を纏った高貴な婦人。
(・・・あれ、ひょっとして・・・青涼納言・・・?)
(おい、ぜんぜん鬼女じゃねーじゃん。聞いてないよ。そんな話。)
(どうすんだよ、こんな狭い覗き穴からじゃ写真撮れないじゃんよ。)
(いちかばちかだ。飛び出すぞ。)
(えーーー?!危ないよ、やめときなよ、お兄ちゃん。)
(平気だ。弱そうじゃん。あいつ。もろに。行くぞ。)
いっせいに道に飛び出してくる三人。
宏志がカメラを構えるか否かのタイミングで、平安美人がそれに気づいた。
「うわわわわわーーーッ!!!」
瞬間、彼女の形相が変わり、口は耳まで裂け、両目は吊りあがり。
額の肉を突き破って、二本の長いツノが宙に伸びた。
光彩のない瞳がこちらを向いて、視界に彼らを捉え。
空中を、なにか目に見えないものが電光石火で走り。
途端、宏志の身体がズタズタに裂けて、どす黒い血しぶきが一面に飛び散った。
手にしたカメラは辛うじてその瞬間、シャッターを押されたか。ちぎれた腕ごと、地面に叩きつけられた。
胸は裂け、手足は無惨に千切れ飛び、カッと剥いた白目は死に際の凄まじい激痛を物語る。哀れ、宏志は身を守る術もなく、一瞬で頓死を遂げていた。
麻衣子と兄は恐怖に身を凍らせ、路肩の茂みに倒れ込んだ。
声も出せない。
正体を現した鬼女は、念力を放つ構えを止め、もとの優雅な平安貴族の顔に戻った。
従者が手綱をさばき、再び動き出す牛車。
(・・・ひぇぇぇええーーー・・・。)
(なに。なにが、どうなったの。死んだの、宏ちゃん?そんな・・・。)
しかし、路面に飛び散った宏志の残骸は身動きひとつしない。
湿気の多い六月の夜に、むせ返るような血臭が濃厚に漂っている。いまにも吐きそうだ。
「多い日も、安心・・・!!」
「待て・・・!気でも違ったのか。」
何かに取り憑かれたような表情で無謀に飛び出そうとする麻衣子を慌てて制止し、兄は宏志の遺体の、比較的纏まっている箇所を担ぎ上げた。ちぎれかけた首が、ぶらんと背中にぶら下がる。
「とにかく、戻ろう。叔母さんに知らせなきゃ・・・」
妙に細かい性格の麻衣子は、回収可能な四肢の断片をせっせと鞄に詰めようとして、兄に頬を張り飛ばされた。
かくて、死体を担いだバカ兄妹、誰もいない路地をひた走ってどうにか宏志の実家へ転げ込んだが。
「ああッ・・・!!」
家に上がりこみ、襖を開けたその向こうは鮮血の海、また海!!
テレビのあるごく普通の居間は流血に赤く染め上げられ、全身をバラバラに引き千切られた叔父が、叔母が、床一面に飛び散って足の踏み場もありゃしない。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
言葉をなくして立ち尽くすふたり。
「鬼女を見た人は、家族まで八つ裂きにされるって・・・。」
麻衣子がポツリ呟く。
「本当のことだったんだわ・・・。」
「・・・にっちも、さっちもどうにもブルドック、ってか!!」
大声であらぬことを叫んだ兄は、怒声と共に立ち上がった。
「唐突にどうしたというの、兄さん?!気でも違ったの?!」
「かたきを討とう!!今走れば、鬼女に追いつく!!
俺は、鬼女の心臓にこの怒りの鉄拳をぶち込んでやらねば、気(※)が済まないんだ。
まさに、鬼(※)女だけに、な!!」
ウォーーーッ、という野蛮な吠え声を残して全力ダッシュで駆け出す兄。
追って、履物はサンダルで追いすがる麻衣子。
(それにしても、あたしたちはなぜ助かったのかしら・・・?)
走りながら、ふと疑問が胸をかすめる。
ギュッ、と握り締めた手のひらには、あのファンキーな氏神から貰ったお守りがあった。
(もしや、このお守りが何か得体の知れないサムシングを・・・??
ならば、あたし達、ひょっとしてあの鬼女に勝てるかも・・・。
・・・うぅん、まぁ、いいわ。いま考えても仕方のないことよ。
それより、
あたしを守って、芳恵ちゃん・・・!!)
※ ※ ※ ※ ※
黒い影は、そこまで書き上げると深い息を吐いた。
「しかし、長いですね、今回も・・・。」
怪奇探偵スズキくんもつられて長嘆息する。
「このあと、最後の決戦となり、かなりロウファイな手段で鬼女を葬ろうとするバカ兄妹と、正体不明の超念力を駆使するハイパー怨霊との対決に、スピルバーグもかくやというスペクタクル巨編へと話は雪崩れ込んでいく訳なんですが。
あれ、どうかしましたか・・・?」
部屋の真ん中に座り込んで、影が震えている。
「お前、気づかんのか。おい、また、揺れ出したぞ!!」
「はァ・・・?
おぉ、これは大きい。大きいですぞ。あなたも私も、これで最後かも知れませんな・・・。」
ガタガタと窓ガラスが震え、床に本が散らばった。
彼方から耳を聾するばかりの地鳴りが轟き、それが天使の喇叭のように鳴り渡り、粉塵が舞い飛び、人の悲鳴が何処かで聞え。
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