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2011年2月27日 (日)

熊谷蘭冶『嘆きの天使①』 ('08、ホラーM)[前編]

 『すべての絵画に巧拙は存在しない。
 それは、われわれの醜悪な美意識が垣間見せる一種の幻覚に過ぎない。
 すべての音符が本来自由であるように、描かれる絵画は独自の価値を主張する権利を有している・・・。』


 「・・・以上、ルネ・マグリットの言葉より。か。デュシャンでも、ええで。
 クククッ・・・いや、云うてへん、云うてへん」

 嘘臭い関西弁をあやつるおやじが、人形町界隈の喫茶「ル・モンジャ」の隅に陣取って笑っている。
 ほの暗い灯りが周囲をぼんやり煙らせている。
 雑誌記者ビビ子は、ペン先を舐めておやじを突付いた。

 「先生。締め切りはとっくに過ぎているんですよ。何か今日中に持って帰らないと、あたし、編集長に殺されちゃいます」

 「こ、殺される?!うん、うん、そりゃ・・・いい。ええで」

 「んもぉー!完全にアタマにきた。ビビ子パンチ!」

 「・・・はぐッ!!」

 血へどを吐いて床に転がる先生。

 「今回は熊谷蘭冶先生の耽美ホラーを取り上げるということで、あたくし、期待して参りましたのに、なんですの。その不甲斐ない態度。人倫を侮辱するにも程がありますわ」

 若いウェイターが恐る恐る近づいて来て、コップの水を一杯ひっかける。
 よろよろ立ち上がったおやじ、テーブルで身を支え辛うじて立ち上がり、ハンケチで顔を拭った。

 「おい、きみ。・・・リキュールをくれ」

 適当な注文を投げつけるや、照れくささを跳ね除けるように本題に入った。

 「よし、ビビ子くん。きみがその気なら、ボクも本気モードで語ろうじゃないか。コホン。
 そもそもきみ、熊谷先生とあだち充の共通項が解るかね?」

 「え?」

 「答えは容易い。作中人物が全員、同じ目玉を共有していることさ。
 手塚先生に教えを乞うまでもなく、マンガというのはもちろん記号化された表現だ。純粋絵画とは違う。なかでも作中人物の描き方に、その作家の思想の全てが凝縮されているといっていい。だから、顔面の、特に目の表現は重要なんだよ。
 例えばアニメの描くガラス玉みたいで、何処を見ているのかわからない目玉。
 あれこそは表象と内実が渾然一体となったものであって、あの目は実はどこも見ていないんだ。」

 「そんなバカな・・・」

 「どこも見ないことが表現できるとは大したもんだが、内向的で自閉的なのも当然だよ。最近、いいおっさんになってからあらためて萌えアニメにハマる奴が急増しているらしいんだがね。
 世界の善い側面も悪い側面も見て来た奴らからしたら、もう醜いもの、気持ち悪いものに無理して付き合う必要を感じないんだろうね。
 まったく、嘆かわしい責任放棄だよ。
 あの絵の本質は幼少期の快感原則を敷衍して、記号化したものなんだ。」

 ビビ子は独善的に高速で喋るおやじにいささか翻弄されながらも、持ち前の気風の良さで切り返す。

 「あら。それにしても、、あだち先生と熊谷先生が似てるなんて・・・」

 「作中人物が同じ目玉で描き分けられているマンガの最大の特徴は、彼らが“同じ心理を共有している”ってことのサインさ。
 異様にでかい垂れ気味の楕円または平行四辺形の裂け目、外周部には濃すぎる隈取り。剛毛を連想させる密集した睫毛。その中に極めて小さく描かれる眼球は、中央に光沢のハイライトが常に(!)入っているので、三つに分離して見えたりする。
 熊谷先生の眼球の描き方は、完全に異常といっていい。
 よく見たまえ。あの目の描き方、まんこにそっくりじゃないかね?」

 「まァ、ひどい」

 「しかし、ここは先生、意図してやってるんじゃないかと思うんだが、どうかな?眼窩も性器も人間の持っている開口部の一種だからね。象徴が具象に転ずる表現だ。
 ま、その真偽はともかく、登場する美男美女は誰一人まともな正業に就いている人間には見えまい?退廃。爛惰。エキセントリック。濃厚すぎる美意識は世紀末的というか、性器真っ黒ろというか・・」
 「なにィ?」
 「あ、いや。ははは。元来少女マンガというのはこういう畸形化する要素を孕んでいたんだが、熊谷先生は一頭地彼岸へ飛び出した感があるね。たとえば、森川久美なんか思い出してごらん」

 「あぁ。『蘇州夜曲』とかの人でしたね。懐かしいなァ」

 「あんた、何年組だよ?少女マンガのひとつの大きな要素は美意識の表明だ。絶世の美女、美男やなんかを好きに主人公として描けるんだから当然そうなる筈だが、とんでもない畸形を誕生させてしまうことはよくある。大惨事だね。やり過ぎ。
 でも、そこから改めて解ってくるのは、われわれが本来持っている美意識や美的感覚には根本的におかしな部分が存在しているんじゃないかということなんだ。
 精神の暗礁部、という奴だよ」

 「精神の暗礁・・・」

 「具体的に云おう。人間は経験と情報を摂取することによって知的発達を遂げてきた。だが、与えられた条件は個個に違う。不細工な両親から、玉のような子供が生まれる確率はゼロではないが、必然的に難しくなる。それは遺伝という内在する要因がそれを妨げようと働くからだ。同時にこれは外部から与えられた変えられない与件だよね。
 そして子供は毎日鏡で自分の顔を見て育つ。お年頃になれば、余計にそうしてちょっとは可愛くなっただの、この頃きれいになっただのと世迷い言を繰り返す。
 美醜の判定基準は、常に己自身を軸として成長していく。
 これがなにを意味するかわかるね?
 美的意識は、その人間が受け取った生得の条件に影響を受け、根幹から歪んで育つんだ。」

 「ひっどォーーーい」

 「なにを見て美しいと認識するか。
 まァ、なにを見て勃起するかでもいいんだけど、その人間が獲得した経験則に基づく判断が常に介在しているってことさ。
 つまりね、美は主観が作り出す一種の幻覚、催眠術に過ぎない。」

 「岸田秀先生の唯幻論みたいなお話ね。お話はとても結構ですけどね、あたくし、マンガ雑誌の記者なんですの。
 マンガ論につねづね頭の堅い哲学用語やら心理学タームが氾濫するのを一番嘆かれていたのは先生、あなたではなくって?」

 おやじは少しも悪びれず、呟いた。
 
 「おっさんの嘘つきー。婦女子に言われるとたまらんなぁー!」


   (以下次号)

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