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2011年2月

2011年2月27日 (日)

熊谷蘭冶『嘆きの天使①』 ('08、ホラーM)[後編]

(承前)
 
 「それにしても、このマンガの2巻は存在しとるのかね?」
 おやじは頼んだアルコールを舐めながら訊く。「ホラーMはご存知の通り、廃刊になってしまったしね。」

 ビビ子は分厚いメモ帳を捲る。

 「えーと、Webマガジンとして一応継続はしてるみたいなんですけど、熊谷先生の名前はそこにありませんね。単行本は現在Amazonでもお取り扱いしてません、って」

 「とことん腐った世の中だな。」

 「とことん腐った世の中ですわね・・・。」


 二名は同時に嘆息する。
 夕暮れ時の喫茶「ル・モンジャ」の店内は急速に込み合い始め、サラリーマン、有閑マダム、行き場を失くした学生が3秒おきの間隔で出たり入ったりのリズム運動を繰り返している。地下鉄がホームに入ってくるときにも似た轟音が周囲を構わず鳴り響いているようだ。
 
 「それじゃ、諸君が少しでも興味を持ってくれるように、この傑作の紹介に与ろうかな。
 熊谷先生の歪みきった、いわばジミヘンのギターの狂ったディストーションノイズのような美意識については先に触れたから、次はストーリーの説明だね。
 ビビ子くん、メモ読み上げて。」

 「はい。」
 ビビ子は目深に被ったベレー帽を直す。
 「舞台はヒットラー政権が樹立される直前のドイツです。ということは1933年より前ですわね。
 主人公ジークリンデは、奔放な母親の元を離れ修道院の経営する女子寄宿学校に身を寄せる、絵画とエッチの好きな女の子です。同級生のヘレーネとは、口移しにチョコを与え合うほどの濃厚なレズビアン関係にあります。
 女学校だから、ここは当然、レズですね。」

 「うむ。当然だね。」

 「そんなジークリンデには憧れの修道女がいて、彼女を聖女のように熱烈に思慕しております。勝手に彼女の肖像をスケッチしたり、片想いはつのるばかり。
 修道院だから尼僧。尼僧だから、当然、レズですね。」

 「うん。そうなるしかないね。」 

 「そんなある日、修道院で下働きをする知恵遅れの寺男(美男)が聖女を強制レイプ。無茶な偶然で現場に居合わせたジークリンデは逆上し、園芸用の裁ち切りバサミで下郎を殺害します。
 現場を発見したメガネのサディスティックな修道院長は、死体隠匿を申しつけ、身を穢された聖女を地下の牢獄に幽閉。ジークリンデに彼女の世話を命じます。」

 「ジーン・ウルフの『拷問者の影』冒頭に似た展開。いいよね。
 あぁ、そうそう、重要な情報をひとつ。
 熊谷先生のわがままな画風は、神田森莉先生のデタラメな少女マンガタッチに多大な影響を蒙っているようだ。だからとことん耽美的でありながら、気持ち悪くならない。90年代以降の抜けのいい軽やかさを獲得している。」

 「血みどろですけどね。
 真心込めて御世話するジークリンデ。しかし彼女の精神は衝撃であちらの世界に弾き飛ばされ、もはや無惨な抜け殻も同じ。
 しかも、聖女は既に胎内に子種を宿していた!おそるべし、知恵遅れの命中率!
 産褥の苦痛で彼女はあえなく死亡、両性具有の赤子を産み落とす。生涯の恋を妨げられたジークリンデは絶望に狂乱し、暗澹たる日々を送ることに。
 そんなある夜、女学校内に潜む援交グループに麻薬を嗅がされて校外へ連れ出され、金持ちのハゲの性の生贄にされかかるも、もって生まれた機転ととんちで窮地を脱する彼女に、激しく惹かれるヴィルヘルム・ホルライザー伯爵!」

 「・・・誰、それ?」
 
 「若い美形です(笑)。いま、このブログで初めて美形って言葉が登場しましたね。
 まー、こいつが彼女に絵画の才能も含め完全に魅了され、あれやこれや。伯爵に懸想する隠れホモの青年なんかも登場して、くんずほぐれつ。
 その間にいじめっ娘は手足バラバラ、人間トルソになるわ、踏まれて喜ぶマゾは出るわ。
 かくして、舞台はベルリンへ。ってのが第一巻のあらすじなんですけどね。」

 「にぎやかしい。
 満艦全飾とはこのことか。こりゃ素直な感想なんだが、主要登場人物には全員独自のエロシーンが用意されている趣向に驚いた。
 特にメガネババアの修道院長。」

 「出る人みぃーんな、やりまくりなんですよね。
 ・・・あら、やだ、私ったら下品な表現。はしたない。」
 
 「本当は下賎な女のくせに。」

 瞬間パンチが顔面に炸裂し、おやじは確かにアンドロメダ銀河が数億年かけて崩壊していく過程を垣間見た。

 「・・・じゃッ、あたし、これで。
 この時間なら最終の組版に間に合いそうだわ。先生、次回からは締め切り厳守でお願いしますよ。
 それじゃッ!」

 慌しくお会計を済ませ、脱兎の如く、濃茶のスイングドアを押し開けて夕暮れの喧騒の中へ飛び出して行くビビ子を絨毯の上から眺めながら、おやじはうわ言のように呟いた。

 「・・・ええかー・・・。ええのんかー・・・。」

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熊谷蘭冶『嘆きの天使①』 ('08、ホラーM)[前編]

 『すべての絵画に巧拙は存在しない。
 それは、われわれの醜悪な美意識が垣間見せる一種の幻覚に過ぎない。
 すべての音符が本来自由であるように、描かれる絵画は独自の価値を主張する権利を有している・・・。』


 「・・・以上、ルネ・マグリットの言葉より。か。デュシャンでも、ええで。
 クククッ・・・いや、云うてへん、云うてへん」

 嘘臭い関西弁をあやつるおやじが、人形町界隈の喫茶「ル・モンジャ」の隅に陣取って笑っている。
 ほの暗い灯りが周囲をぼんやり煙らせている。
 雑誌記者ビビ子は、ペン先を舐めておやじを突付いた。

 「先生。締め切りはとっくに過ぎているんですよ。何か今日中に持って帰らないと、あたし、編集長に殺されちゃいます」

 「こ、殺される?!うん、うん、そりゃ・・・いい。ええで」

 「んもぉー!完全にアタマにきた。ビビ子パンチ!」

 「・・・はぐッ!!」

 血へどを吐いて床に転がる先生。

 「今回は熊谷蘭冶先生の耽美ホラーを取り上げるということで、あたくし、期待して参りましたのに、なんですの。その不甲斐ない態度。人倫を侮辱するにも程がありますわ」

 若いウェイターが恐る恐る近づいて来て、コップの水を一杯ひっかける。
 よろよろ立ち上がったおやじ、テーブルで身を支え辛うじて立ち上がり、ハンケチで顔を拭った。

 「おい、きみ。・・・リキュールをくれ」

 適当な注文を投げつけるや、照れくささを跳ね除けるように本題に入った。

 「よし、ビビ子くん。きみがその気なら、ボクも本気モードで語ろうじゃないか。コホン。
 そもそもきみ、熊谷先生とあだち充の共通項が解るかね?」

 「え?」

 「答えは容易い。作中人物が全員、同じ目玉を共有していることさ。
 手塚先生に教えを乞うまでもなく、マンガというのはもちろん記号化された表現だ。純粋絵画とは違う。なかでも作中人物の描き方に、その作家の思想の全てが凝縮されているといっていい。だから、顔面の、特に目の表現は重要なんだよ。
 例えばアニメの描くガラス玉みたいで、何処を見ているのかわからない目玉。
 あれこそは表象と内実が渾然一体となったものであって、あの目は実はどこも見ていないんだ。」

 「そんなバカな・・・」

 「どこも見ないことが表現できるとは大したもんだが、内向的で自閉的なのも当然だよ。最近、いいおっさんになってからあらためて萌えアニメにハマる奴が急増しているらしいんだがね。
 世界の善い側面も悪い側面も見て来た奴らからしたら、もう醜いもの、気持ち悪いものに無理して付き合う必要を感じないんだろうね。
 まったく、嘆かわしい責任放棄だよ。
 あの絵の本質は幼少期の快感原則を敷衍して、記号化したものなんだ。」

 ビビ子は独善的に高速で喋るおやじにいささか翻弄されながらも、持ち前の気風の良さで切り返す。

 「あら。それにしても、、あだち先生と熊谷先生が似てるなんて・・・」

 「作中人物が同じ目玉で描き分けられているマンガの最大の特徴は、彼らが“同じ心理を共有している”ってことのサインさ。
 異様にでかい垂れ気味の楕円または平行四辺形の裂け目、外周部には濃すぎる隈取り。剛毛を連想させる密集した睫毛。その中に極めて小さく描かれる眼球は、中央に光沢のハイライトが常に(!)入っているので、三つに分離して見えたりする。
 熊谷先生の眼球の描き方は、完全に異常といっていい。
 よく見たまえ。あの目の描き方、まんこにそっくりじゃないかね?」

 「まァ、ひどい」

 「しかし、ここは先生、意図してやってるんじゃないかと思うんだが、どうかな?眼窩も性器も人間の持っている開口部の一種だからね。象徴が具象に転ずる表現だ。
 ま、その真偽はともかく、登場する美男美女は誰一人まともな正業に就いている人間には見えまい?退廃。爛惰。エキセントリック。濃厚すぎる美意識は世紀末的というか、性器真っ黒ろというか・・」
 「なにィ?」
 「あ、いや。ははは。元来少女マンガというのはこういう畸形化する要素を孕んでいたんだが、熊谷先生は一頭地彼岸へ飛び出した感があるね。たとえば、森川久美なんか思い出してごらん」

 「あぁ。『蘇州夜曲』とかの人でしたね。懐かしいなァ」

 「あんた、何年組だよ?少女マンガのひとつの大きな要素は美意識の表明だ。絶世の美女、美男やなんかを好きに主人公として描けるんだから当然そうなる筈だが、とんでもない畸形を誕生させてしまうことはよくある。大惨事だね。やり過ぎ。
 でも、そこから改めて解ってくるのは、われわれが本来持っている美意識や美的感覚には根本的におかしな部分が存在しているんじゃないかということなんだ。
 精神の暗礁部、という奴だよ」

 「精神の暗礁・・・」

 「具体的に云おう。人間は経験と情報を摂取することによって知的発達を遂げてきた。だが、与えられた条件は個個に違う。不細工な両親から、玉のような子供が生まれる確率はゼロではないが、必然的に難しくなる。それは遺伝という内在する要因がそれを妨げようと働くからだ。同時にこれは外部から与えられた変えられない与件だよね。
 そして子供は毎日鏡で自分の顔を見て育つ。お年頃になれば、余計にそうしてちょっとは可愛くなっただの、この頃きれいになっただのと世迷い言を繰り返す。
 美醜の判定基準は、常に己自身を軸として成長していく。
 これがなにを意味するかわかるね?
 美的意識は、その人間が受け取った生得の条件に影響を受け、根幹から歪んで育つんだ。」

 「ひっどォーーーい」

 「なにを見て美しいと認識するか。
 まァ、なにを見て勃起するかでもいいんだけど、その人間が獲得した経験則に基づく判断が常に介在しているってことさ。
 つまりね、美は主観が作り出す一種の幻覚、催眠術に過ぎない。」

 「岸田秀先生の唯幻論みたいなお話ね。お話はとても結構ですけどね、あたくし、マンガ雑誌の記者なんですの。
 マンガ論につねづね頭の堅い哲学用語やら心理学タームが氾濫するのを一番嘆かれていたのは先生、あなたではなくって?」

 おやじは少しも悪びれず、呟いた。
 
 「おっさんの嘘つきー。婦女子に言われるとたまらんなぁー!」


   (以下次号)

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2011年2月23日 (水)

スタニフワフ・レム『砂漠の惑星』 ('64、ポーランド)

 あの、レムの『砂漠の惑星』!

 私はこの本を何度も何度も、それこそ酒でも浴びるように繰り返し読んでいるので、いまさら記事に書くのもどうかと思うのだが、実はひとつ、告白がある。
 また、読んでしまいました。

 これは遥か未来、人類の調査隊が遭遇する未知の文明についての物語だ。
 正確には、知的存在は百万年昔に滅んでしまい、その残滓だけが現在も強力な活動を繰り広げている。
 音もなく、人を襲い白痴化する黒雲。
 衰弱しきった太陽に、果てしなく大陸を覆いつくす砂漠が延々と続く風景。
 仕事熱心な男ばかりの探検隊。彼らは消息を絶った先発隊の行方を捜すため、この惑星に降り立ち、人類の理解を絶した未知の知的文明の末路を知ることになる。

 早い話、知的生物はとっくに死に絶え、その活動の名残りである自動機械(オートマトン)だけがいまもこの惑星に生き残っていて、あらゆる外敵を駆逐し続けている。
 微小な金属の結晶体からなる、不定形の黒い雲。
 強大な対抗相手が現れると、結合し、姿を変えて攻撃を加え、撃破する。ただそれだけの存在。

 彼らは知性を持ち、それを行なっているわけではなく、生存の為の本能に基づいてただそうしているだけらしいのだが、先発隊は全滅、あとから来た連中も次々と犠牲になっていく。
 死よりも悪い結末。
 磁場を発生させ、脳の蓄えた記憶や知識を残らず空白化してしまう。
 襲われた人間は赤ん坊同然の状態となり、異質な環境の惑星に放り出され、やがて死ぬしかない。ある意味、残虐度マックス。
 
 こんな、とてつもない敵に対し、人類が何をなしうるのか。
 
 レムが実は泣かせる作家だというのは、そうした人類の頼りなさ、無力さを徹底的に浮き彫りにしたうえで、それでも仕事は放り出さずに続けようとする男達の、馬鹿正直としかいいようがない愚劣さをあえて肯定して描いているからなのだ。
 『プロジェクトX』的な全面肯定ではない。
 確かに彼らには任務がある。生存者を可能な限り救出するという。
 しかし、それは条件が整えばの話だ。ここは地球ではないのだ。さらなる犠牲を生むような危うい決断を船長が下すわけにはいかないのだ。 
 そこで、その危険な任務を徒手徒拳のいち中間管理職の男に託す。
 
 最終章は、彼が素手で敵陣の真っ只中に乗り込み、見事任務を全うするまでの過程を息詰まる無音描写の連続で見せきる、恐るべき地味すぎる大活劇である。
 主人公は単身で突撃するのだから、会話もないし、心理描写も最低限になるよう思慮深く調節されている。
 レム最後の長編『大失敗』も、クライマックスは同じような恐怖のシチュエーションが襲ってきていたが、あっちはしかも失敗するからな!ある意味、最高レベルのショック描写だ。
 
 『砂漠の惑星』でのレムは、まだ人類にかすかな期待をかけていたのかも知れない。
 この、危難に遭遇する宇宙船の名前は『無敵』号という。
 全てを終え、かろうじて生き延びて砂漠を越え戻ってきた男が見るのは、異星の夜空に孤独に聳え立つ宇宙船の細長い船体。
 
 広大な未知を相手にして、人類にはそんな希望しか残されていないのだ。

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2011年2月20日 (日)

川島のりかず『怨みの猫がこわい!』 ('85、ひばり書房)

 「なんでマンガの記事を書かないんですか?」
 
 マドロスパイプを横ぐわえにした、古本好きの好青年スズキくんは言った。
 
 「とっくにお判りでしょうが・・・あんたにはそれしか選択肢がないんですよ

 「うぅッ・・・」

 頭を抱えた古本屋のおやじは呻いた。
 ベーカー街52番地にあるその店の内部は、深甚と紫の煙が立ち籠め、書架に並ぶ無数の蔵書の表題を読み取ることさえ困難だ。

 「近しい立場の人間として云いますが、あなたの記事はいつも偏っている。根本的に人間として大事な何かを穿き違えているのは、まぁ、当然として、そのうえでさらに取り上げるべき内容の選択にまで重大な欠陥があるようだ。
 あなたが、取り上げてしかるべき作品をまだまだ多数隠し持っていることを、ボクは知っているのですよ」

 「むむ。
 ・・・そいつはいったい、なんのことですかい?お代官様?」


 おやじはポケットの中味を両方とも表に拡げて見せた。
 
 「フン、とぼけるな。そこだ」

 スズキくんの投げた和同開寳がおやじの眉間に突き刺さり、悩み顔がハラリと剥げ落ちた。人間そっくりのマスクの下から現れたのは、『孔子暗黒伝』で祈祷師オモイカネが被っていたのと同じ、木製の、目だけ刳り貫いた呪術面だった。

 「・・・ふむ、ちょっとは出来るようだな、小僧」

 暗黒世界の魔術師としての正体を現した古本屋のおやじは、往生際の悪い捨てゼリフを吐きながら、仮面の下から一冊の古書を取り出した。

 「アアァァァッ!!こッ、これは!!!」

 「あの、川島のりかず先生の代表作として知られる!!」

 「まぼろしの怪奇長編『怨みの猫がこわい!』ではないかッッ!!!」


 ドーーーーーーン!!

 「・・・いや、だから、A先生の物真似はやめろって」

 おやじは次にポッキーを取り出すと、ボリボリ喰い始めた。「既に依存症は始まっているな」
 スズキくんは嬉しそうに手垢にまみれた古本をためつ眇めつしている。

 「この本はボクをこの道に誤らせた想い出深い一冊なんですよ。中学の頃だったかな、偶然古本屋でこの作品を手にしまして、衝撃を受けました。なんだこれは、どういうことだ、っていう、それまで読んできたマンガにない新鮮な驚きがありました」

 「キヨシローは中学のときヘッセの『車輪の下』にショックを受けたそうだが・・・同じ下敷きになる話とはいえ、インパクトだけなら、明らかにのりかずが圧勝だよな!」

 「だって、この話・・・まったく意味がわからないでしょ?」

 ポン、とおやじが手を打った。
 スルスルと後方にスクリーンが降りてくる。
 室内灯がふいに落ちて、画面が投影され映画が始まった。

 まったくのサイレントらしく、おやじはすかさずチョビ髭を糊で張り付け、弁士よろしく口上を述べる。

 「さぁ、いらっしゃい、いらっしゃい。
 面白い映画のはじまり、はじまりィ・・・!」

  ※    ※    ※    ※    ※


 チェックのワンピースの女の子が、メガネをかけた友達と連れ立って来る。

 「沙里と圭子は仲良し小学生。今日も今日とて小動物を虐待しております」

 画面、ふたりが投げた大きな石の下敷きになり、息絶える黒猫。
 丸顔の、飼い主の男の子が駆けつけてくるが、慌てて逃げ出すふたり。悔しさに唇を噛み締める少年。

 テロップ「数日後---」

 建築中のビルの下を笑いながら通りかかる二名。そこへ、巨大な鉄骨が落ちてきて、圭子は下敷きになり、即死してしまう。

 「メガネは弾け飛んで行方不明。死に顔は無惨そのもの。このへんの身も蓋もない残虐描写は、のりかず先生のオハコであります」

 全身黒いトーガを纏い、見るからに怪し過ぎる占い師が登場。
 怯えきっている沙里ちゃんに、冷酷極まる宣告を下す。

 「現在進行しているのは、お前達がいたずらで惨殺した黒猫のたたりである。
 とり殺されたくなかったら、あの猫を殺した石を探し出せ。
 猫の無念の霊魂は、あの石に憑依しておるぞ。屍骸を手厚く葬っても無駄じゃ。
 二ヶ月間、心底済まなかったと詫びながら、石を磨け。さもなくば、おぬしは原因不明の高熱でお亡くなりになってしまうぞ」
 
 あまりの恐怖に、うなずくしかない沙里。

 「・・・『リング』シリーズの脚本家がここから着想を得たという事実はまったくないが、結論はよく似かよっている。
 
たたりは人間世界の理屈を越えて襲いかかって来る、超自然的災厄(ディザスター)の一種であり、それから逃れる手段もまた常識を越えたものとならざる得ない。
 邪悪な思い込みに対抗するには、こちらも強力な思い込みを。
 信心VS.信心。精神世界のバトロワ状態であります」

 思い込みの力は恐ろしく、さっそくその日から高熱に侵される沙里。こっそり病床を抜け出し、あの石のところへ向かい、キュッキュと磨き始め、呟く。
 
 「おー、猫ちゃん。可愛いちょーにねー。ごめんね。ごめんね」

 占い師の言葉を妄信し、もはや石と猫の区別もついていない沙里。既に立派に危険な状態になっている。

 
  ※    ※    ※    ※    ※

 「ここで着目したいのは、この石のサイズなんです」

 黙っていられなくなったスズキくんが口を挟む。

 「最初、猫に向けて投げつけたときは両端を少女二名で抱えないと持ち上がらない大石として設定されています。加重もかなりありそうです。
 まぁ、成人した猫一匹を完全に下敷きにしてしまうんですから、そりゃかなりでかい石になりますよ。圧死する瞬間の描写に注目すると、猫は首から先以外はすっぽり石の下に隠れちゃってますから。
 この時点では、石はまだ現実の物体として、質量を有している。まぁ、それでも殺戮シーンを細かく見ると、連携プレイとはいえ、5メートル以上は投げてるんで(笑)、こいつらの体力の方がよっぽど怪奇じみているんですが。まぁ、いいじゃないですか。
 ところが、この先ストーリーが進行するにつれ、石の大きさがまちまちになっていく。頭上にかかげられるサイズになったり、大人が抱え上げられる大きさだったり。最終登場シーンなんか、沙里ちゃんより遥かにでかい」

 仮面のおやじが鼻を鳴らした。
 「それ、立派に説明があるじゃないか。 “ここの石はね、伸び縮みするんだ”(笑)」

 「ボクが入れたいのは、単純な描写力不足への突っ込みではなくて。これは明らかに、のりかず、意識してやってると思うんですが、石が実体を失くしていく過程と、沙里ちゃんの精神が崩壊するプロセスがリンクしているに違いないんですよ。
 特に後半は、『不思議の国のアリス』を倍速ダビングして超劣悪な投射機で逆さまに上映したみたいな異常な展開になりますし」

 「うむ。」
 おやじが再び、チョビ髭を取り出した。
 「さきほどまで語ってきたストーリーは、ありゃ全体の4分の一、50ページほどに過ぎない。
 このマンガの大半を占めているのは、死の幻覚に取り憑かれた少女のエンドレス悪夢描写なんだ」

  ※    ※    ※    ※    ※

 原因不明の病いで床に臥せっている筈の娘が、毎日どこかへ出かけて行く。
 異変に気づいた母親は、こっそり後を尾け、「ごめんね、ごめんね。今日はもっと磨いてあげるわね」と譫妄状態で口走る娘の状態を目の当たりにします。

 メガネにパンチをあててるという、落しどころが一切不明の父親は、「ええぃ、気持ち悪い。正気に戻れ!」とばかり、川原に大事な石を捨ててしまう。
 川原には似たような石がごろごろ。
 焦りまくり、どんどん尋常じゃなくなる沙里。

 「・・・これでもない。・・・これでもない。あぁ、これも違うわ。
 どうすればいいの?
 あの石が見つからないと、あたしはもう生きていられない。どうすればいいの?」

 思考がループ状態で、典型的なおかしい人になっていく。

 と、そこへ現れる、シルクハットと夜会服にステッキ傘を突いた猫の紳士。

  ※    ※    ※    ※    ※

 「この人知ってますよ。ますむらひろしの『アタゴオル物語』でしょ?」

 スズキくんが五月蝿く口を挟む。今回は口数が多いようだ。

 「違います。」
 おやじは冷徹な口調で言い放つ。

 「じゃ、同じますむらがデザインを手掛けた『銀河鉄道の夜』?」

 おやじは激しく首を振る。

 「時間軸が逆行するけど、そういや『耳をすませば』ってのもありましたね?」
 
 「今言ったものは、全部違う。外見に騙されてはいかん。
 こいつは人の心を暖かくしたり、ほのぼのさせたりする機能は一切持ち合わせていない。
 非人間的な冷酷さを持つ怪物。
 すなわち、現実社会の大人そのものなんだ」


  ※    ※    ※    ※    ※

 猫の紳士に導かれ、精神世界へ石を探しに旅立つ沙里。
 そこはファンタジーが本質的に持つチクロにも似た甘さなど皆無の、根本的に思いやりを欠いたグラインドコア世界

 猫の振り回すステッキは、沙里の精神をさらなる混乱へと誘い、それを誘発するかのように猫の首から上まで反対方向へグルグル回転している。
 割れるように頭が痛み出し、苦痛にさいなまれる沙里ちゃん。

 「あーーーれーーーー・・・・」

 身体を宙空に投げ飛ばされ、気がつくと果てしない暗黒の荒野に続く、道いっぽん。
 空中に浮かび、斜めになっている一軒家。
 
 道端には石を担いで、棒立ちになっている鼻の長いおっさん。ロシア風の毛皮帽。

 「わたしは空から降ってくる石を拾う係りなんだ」

 「そ、その石、見せてください!・・・違うわ・・・」

 しょぼくれて歩き出す沙里ちゃんの前方に現れる、腐ったチーズとパンで出来た異常な町。無数の穴ぼこ。暗黒の空中には、ワイシャツ、冷蔵庫、置き時計、ボールペンが静止したまま落ちてこない。

 この町の住人は、白雪姫の小人を目の粗い網で漉して邪悪な要素だけ煮詰めたような連中で、全員がひとりづつ石を抱えております。

 「ねぇ、この町の人はみんな石を持っているの?」

 「そうだよ。持っていないと生きられない者ばかりさ!」

 律儀に一個一個の石を点検して廻る沙里ちゃん。
 すべて違うので落胆していると、鼠にしか見えない男が余計な助け舟を出します。

 「猫の国になら、探している石があるかも知れないよ」

 「・・・猫の国・・・?」

 嗚呼、猫の国!!
 よりにもよって、猫の国!!

 単身、猫の国に乗り込まなくてはいけないなんて!!
 どれだけ不幸な運命が沙里ちゃんを待ち受けていることでありましょうか?!

  ※    ※    ※    ※    ※
 
 「まぁ、最終的には自分の探していた石に押し潰されて奈落の底へ、無限に墜落していくんだけどね」

 一気に語り終えたチョビ髭おやじは、荒い息を吐いた。「これぐらいで充分だろ」

 「エ・・・?!そこで話を切りますか?
 これだけ細かく語っておいて、ちゃんと真のエンディングまでいかないんですか?」

 呪術面のおやじは、その下で薄い唇をニヤリと歪めた。

 「ファンにはお馴染みの、川島オチが待っているよ。それ以上の情報が欲しいなら・・・」

 グイ、と本を突き出した。

 「読め。」

 

 

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2011年2月19日 (土)

『白蛇伝』('58、東映動画)

(けたたましい騒音と共に爆裂するギター)

 DJ(大声で) 「はぃ、はぃ、はぃ、はぃ、歯医者!!廃人!!排泄物規制!!
 全国放送、ラジオォー・ウゥンベルケナァーーーシィッッ!!!」


(ハガキを取り出す音がする。) 

 「板橋区、近藤権蔵さん59歳からのお便り。
 “ウンベル、最近調子に乗って自分の絵をブログのトップに貼ったりしてるが、ありゃなんだ。汚ねぇな!てめぇの絵はゴチャゴチャ汚いし、色のセンスも下品だし、マジ、チョ-最悪なんですけど!いっかい氏ねや。氏ね、氏ね”」

(マイク外から紙を引き裂く音。)

 「近藤さん、いつも応援ありがとねー。
 そういえば、今日渋谷に行ったら、桑田K祐さんの巨大な立て看板がスクランブル交差点を睨んで立ってるのに出くわしましたー。
 なんていうんですか。そしたら、以前カラオケで会社の女性に要求されて歌った桑田さんの『真夏の果実』の出来が最悪で、本気で責められ、所在に困った過去を思い出してしまいました。
 俺、意外とNHK紅白は観る人なんで、桑田さんの新曲の内容は存じております。
 今回もまた、いつに増してひどい出来ですね!
 応援していまーーース!!」

(剃刀を研ぐようなノイズが聞える。)

 「はい、今週の一曲目!!血球で『ヘモグロビン』!!」

♪ ブダダダダ、ダン、ダン!!
  ブダダダダ、ダッダッ!!
 
  ゲーハーーー!!カッパ!!老化が進行中!!
  アメフラシに似てるんだよ、俺の彼女は
  陳腐な未練は、砂漠に捨てて来い
  週休二日で迫るぜ、天国
  肉屋はいつでもー、はだしでやって来る

  純情!感情!テッテイ的に恋愛中!!
  北宋!南宋!国境線を警戒中・・・!!


(カーステのCM、入る。)

 「はいはい、はいはい、今回の血球もイイですねー。いまノリに乗ってますからねー。第二の東方神起って謂われてますよねー。東北演技でしたっけ?
(マイク外、違います、の声。)
 あ、そう。
 アノ、アノ、そういや、東方ってアニメ用語でしたっけ?同人誌業界用語ですか?あぁ、そう。なんだろね。意地でも調べないけどね。
 なんとなく人をカッとさせる絶妙な言葉ですよね?
 なんでだろ?俺なんか、聞いた瞬間、もう殺意が生まれますね!!絶好調!!ということで、今日の二曲目は貴地谷ミニョ子とロモラで、『殺意が生まれた日』!!ゴー!!」

♪ (寂しいピアノに合わせて)
   あたしたちって、別に知り合いじゃないよね?
   街角で出会い、すれ違うだけの
   あんたは駅方向、あたしは住宅地
   アーケードはいつもにぎわい、ワイ、ワイしてるー

   会社の仲間と
   素敵な恋人とー
   つのる想いは、つのだじろうー
   いいよね、いつでも幸せ芝居は上演中
   でも、あたしは関係なーーーいッ、イィィーーー!!

   なんで道をふさぐの?
   なんで歌を歌う?
   踊るな、バカ
   キスすんじゃねぇー
   日本人は酔っ払いに寛容すぎるへんな国民

   蹴倒して、踏みつけてやれ
   大将級の、首だまを獲れーーー・・・・


(エアコンのCM、流れる。マイナスイオンの効果を説明するナレーション。)

 「はぁー、素敵!官能的ですらありますねー!いやん!
 ということで、もう、お別れの時間が来てしまいました!!
 我が国初の長編カラーアニメーション『白蛇伝』の解説はしないのか、って?
 しません!!じゃッ!!」

(脱兎の如く走り去る。彼方でブーイングと破裂音が聞える。)

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2011年2月17日 (木)

盤面不良に遭遇すると人はへこむ。

 なんだかんだ云って、私は結構信じやすいのである。
 
 なにをって、マスプロダクツを、だ。
 そんなの信じちゃいかん、とマルクーハン先生も言ってたような気がする。
 
 何の話かというと、先日中古で買い直したレジデンツのCDだ。ファーストとサード(発売順は二枚目)で、実に素晴らしい充実した内容である。
 特にファーストは「サンタ・ドッグ」のリメイクを三種類収録して、軽く七十分越え。92年版なんて、激しい鬱に襲われたジム・モリソンがドラム缶の中で小声で呟いているような、画期的な一曲十数分である。感動した。
 
 問題はこのディスク、ボーナストラック後半あたりになると、私の安CDウォークマンではときどき勝手に再生を停止してしまうのである。

 停まる。
 再生ボタンを押すと、また動く。

 典型的な読み込み不良だ。
 名曲が台無しである。
 いや、まぁ、さっさとクレームを入れて返品すればいいのだが、私の悪いくせは、そうは問屋が卸さない。
 
 「なに?コイツ、生意気な!
 
だったらもう一枚、買ってやろうじゃねぇか!」


 なぜここでムキになるのか、まったくもって意味不明である。

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2011年2月15日 (火)

キャプテン・ビーフハート&ザ・マジックバンド『DOC AT THE RADER STATION』('80、Virgin)

(通勤電車。スクエアな皆さんが、携帯をいじったり、新聞を読んだり、おねぇちゃんの乳首を摘もうとして逆に自ら摘み出されたりしている。)

 毎度バカバカしいお笑いを一席。
 いや、お笑いじゃないんだ。人生なんて底々でいいのか。談志。金馬。円鏡。われわれに欠けているものはなにか。
 キャプテン・ビーフハートと彼のマジックバンド。鏡の国から来た男たち。
 俺はね、あまた居る追従者のひとりになって彼らの御威光に与ろうという気はサラサラないんだ。ないんだが、やっぱりいいね。美しいよ。
 ってんで、急須を一組さっそく持って参りました。
 さて、八さんよ、熊さんよ、どうする?

 ・・・まぁ、なんだ。ご隠居。
 ついては、マイク・バーンズが書いた評伝『キャプテン・ビーフハート』を読んでくれ。U2の魂のナントカより絶対面白いから。ま、そっちはまったく読んでないんだが。
 事の起こりから、画家になって砂漠に隠棲するまで、明らかに狂ってるおもしろ人生の詳細がこれ一冊でわかる。
 ビーフ本(略称)はこの手のタレント本(だよね?)の中では驚異的に面白い出来栄えだ。
 確かに値段は高い。それは認める。5千円くらい。でも損することは決してない。
 モハベ砂漠で高校の同級生だったフランク・ザッパの自伝より遥かに面白い。あれ退屈だよ。宣伝入ってる。広告塔ですよ。しかも高い。あたしゃ白夜書房版で買ったクチだからね。あれ、翻訳よくないって評判だね。
 でも、同じ本の二度買いはいやだなぁー。

 ビーフハートの本がなぜ面白いのかってーと、まぁ、アレだ。ご本人が面白すぎるからなんですよ。チャンチャン。
 最早説明する気もかなり失せておりますが、俺ごときが薦めてもどうせ読まねぇやつは読まないし、聴かないやつは一生聴かずに過ごすんだろう?
 だったら、面倒な説明なんかは、はしょるに限る。
 で、そんな雪隠詰めの状況下でおもむろに取り出すべきなのが、本の中でビーフの最高傑作じゃないかという疑いをかけられている、このアルバムですよ。
 “ドック・アット・ザ・レイダー・ステーション”。
 ドックってなんやろ?
 かのヒプノシスも、自著『ロックジャケット100選』のなかで同じ質問を繰り延べております。
 ドク・ホリディー?
 それともドク・サヴェッジ?
 そんな人がレイダーステーションで何してはるの?
 (※註・ヒプノシスは関西出身のコント集団です。)

 まぁ、なんでもいいから。いいから聴いて。聴いて。ご隠居。
 なに、トム・ウェイツみたいだ?
 バカいっちゃいけませんぜ。こっちが本家だ。
 全開。なんか知らん、全開でしょ?
 どうです。まともな曲は見事に一曲もないでしょ?てぇしたもんだ。 
 高揚するロックギターがコードをジャンジャン鳴らして、でもドラムレスのまま展開して、なぜか最後メロトロンが鳴る。で、キャプテンが思いつきのように合間で適当にがなる。この“スー・エジプト”なんてのは、もう、最高でしょ。
 このスーってのは、スー・シオミ(志穂美悦子)のことらしいですよ。あたしが今勝手に決めました。てことは、これ、ソング・フォー・ナガブチですよ、きっと。キャプテンからのきついお仕置きみたいな曲ですよ。おそらく。
 だから、シェリフ・オブ・ホンコンが来るんですよ。逮捕に。このホンコンってのは、あのホンコンさんのことですよ・・・。

(通勤電車。相変わらず、スクエアな人々は携帯でゲームしたり、呪いのメールを送ったりしている。)

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2011年2月13日 (日)

『28週後・・・』 ('08、DNA、20世紀FOX)

[あらすじ]

  人間を凶暴にする致死性ウィルスの爆発的流行により、英国は壊滅した。やがて感染者達はすべて餓死。危機的状況は去ったかに思われた。半年以上経て米国主導のNATO軍が上陸し、再建が始まる。
 しかし、まぁ、そうは易々と問屋が卸さないのであった。

[解説]

 この映画の冒頭、夫が妻を見捨てて全力疾走で逃げる場面がある。
 感染者の襲撃が始まっており、決断は一刻を争うのである。に、してもだ。なにもそんなにスタコラ逃げることはないじゃないか。
 ここで観客は一挙に妻の側に同情的になる。だから、ボートを奪っての逃走劇は心底楽しめるものにならない。(まぁ、この映画のアクションカットのチャカチャカしたコマ割りも相当不快なものだが。)
 なんだかんだいって、ゾンビ映画の王様ジョージ・A・ロメロって「ゾンビ事態」に対して享楽的な印象だろうが、それは彼が根本で倫理を外さない男だからである。
 観客の期待を逸らさず仕上げる腕があるってことだ。
 だから、われわれは安心して映画を楽しめばいい。

 しかるに、夫は妻を見捨てて逃げた。
 
 現実には卑小な男もいるだろう。ハリウッド映画がかつてさんざん描いてきたヒーロー像なんて、いまや全然説得力がない。リアリティーを求めるなら、われわれは近所のおっさんを登場させるべきではないか。怠惰で卑屈で、自己言及ばかりくどくど繰り述べている、貧相な中年男を。
 誰が選択したのか知らないが(まぁ、ダニー・ボイルなんだろうけど)、この映画の主役はこのおっさんに決まった。
 途中ヒーロー的な役割で狙撃兵の青年とか出てくるが、彼は実は脇キャラなんだよね。真の主役は、あくまでこのおやじ。

 それで映画が面白くなったのだろうか。
 
 からくも生き延びたおっさんは海外から帰国した娘、息子と再会。妻への仕打ちをなじられると、おどおど弁解する。
 その妻が実は廃墟の町で生き延びていた!焦るおやじ。先に話をつくっておこうと、隔離病棟を訪れ、「女はこれで黙らせろ」の得意技、キス封じの濃厚なやつを一発かまして詫びを入れるも、妻は実は感染者!たちまちウィルスに侵され、血相を変えて暴れ出すクソおやじ!
 なんで妻が平気だったかというと、体内に特殊な抗体を持っていたらしい、というおざなりな説明だが、まぁ、世の中そんなもんでしょ。あまりにデタラメで製作側に好都合な脚本に怒り狂ったおやじは、妻を惨殺。食い殺してしまう。
 彼を先頭に体制に反旗を翻す感染者たち。噛んで、喰ってを繰り返してるだけなんですが。ロンドン・イズ・バーニング。
 その後、融通の利かない軍隊が市民を無差別に撃ち殺すとか、ロンドン市街にナパームを一斉投下し街路ごと生存者を焼き尽くすとか、いろいろと派手な場面があって、最終的におやじは娘の怒りの銃弾を浴びて射殺される。
 こいつがいなけりゃいい人生だったのに。
 そんな娘の怨み節が、夜明けのスタジアムへ響き渡っていった。
 
 愛する家族さえ信用できない9・11以降のすさんだ価値観を代弁?
 笑わせるな。
 なんて適当なんだ。こういうのを行き当たりばったりって云うんだよ。
 最後、生き延びた息子がこれまた母親の血を継ぐ免疫体質で、ウィルスは彼を経由して全世界へ拡大感染しました。ってのは何かの冗談のつもりか。

 モンティ・パイソンのスケッチとしては合格点だが、あっちは5分で終わるからな!
 人を殺すのに、9・11もクソもあるか!!
 ボケ!!

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2011年2月 7日 (月)

1/2 JAPANESE『1/2GENTLEMEN,NOT BEASTS』('80,HAYABUSA LANDINGS)

 これぞ究極のJポップ。
 なにせ、1/2だがジャパニーズなのであるからして。

 故ビーフーハート師匠の『トラウト・マスク・レプリカ』を連想させる、違和感剥き出しのういういしい演奏。
 音楽というのはなにも調弦や律によってのみ成り立つ訳ではないのを証明してくれる。
 落ち着きがないって?
 その通り。だが、われわれは音楽という概念を狭く考えすぎているのではないか。
 なにも安らぎや快感をもたらすものだけが音楽でなくていい訳だ。
 不快感の表明。
 あるいは、突きつけられる異物感。嘔吐。それだけでもいい。

 まるきりロックバンドにしかならない編成を悪意に満ちて流用して、のっぴきならぬところでこれらの音は奏でられている。
 なんでか知らん、ブルース・スプリングスティーン「凍てついた10番街」のカバーがある。なにもこの場でスプリングスティーンの曲でなくてもいいではないか。原型は無惨に破壊され、破片が四方に飛び散って踊っている。高揚感がまるでない。あるいは高揚感しかない。同じことだ。
 「ノーモア・ビートル・マニア」。
 世の中が腐れるほどいるビートルマニアをひとりひとり殴って歩く曲だ。酔っ払いのたわごとと同じ次元から発せられた真摯なメッセージは、「ヨーコ・オノのファンになれ」。
 いったい、どれだけのクソみたいなビートルソングもどきが世に溢れ出したのか。かつて洪水は起こり、丘を飲み込んでしまった。それから、誰もが水面下に生きる隠花植物になり果てた。だから、惨めな過去を清算するため、ここに異議申し立てをする。不等な価値観は是正されなくてはならない。
 「世界の法則を回復せよ」とはこのことか。
 テンプスの「エイント・プラウド・トゥ・ベッグ」はまるでレジデンツのオリジナルを忠実にカバーしたみたい。この倒錯は面白い。名盤『サード・ライヒンロール』がカウンターとしての批評を飛び越え、正統な王位に就く。いまこそ、まがいものを追い払え。鐘を鳴らす刻だ。
 「ジョディ・フォスター」。
 あるいは「パティ・スミス」。
 よくもまぁ、こうアホな曲を次から次へと繰り出せるものだ。正直感心する。適当なことを喚き続けるのにも体力が要る。そう、例えばこのレビューのように。

 嘘か真か、1/2ジャパニーズの名言というのがあって、楽器紹介だ。
 「これがギター」
 ジャド・フェアーは真顔で言う。
 「こっちを押さえると、高い音が出る。こっちは低い音だ」

 かっこいいなぁ。

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2011年2月 6日 (日)

駕籠真太郎『アナモルフォシスの冥獣』 ('10、コアマガジン)

 真空の真っ只中を飛び続ける宇宙船。
 
 ギラギラ輝く星の群れは天空に嵌め込まれた無数のダイヤモンドのよう。
 時折り、流れすぎる流星が真っ赤の炎を尾を引いて、大気圏でもなかろうに音を立てて消滅する。
 この辺りの空間では、時空因果律が不等に干渉を受けていい加減に歪んでいるらしい。

 『こちら、ヒューストン。応答せよ、応答せよ、D』

 「・・・んぁ?!」

 宇宙船の内部では、頭に氷嚢を載せた銀ヘルメットの男が布団に臥せっている。フル装備の宇宙服の上から煎餅布団を一枚掛けて、突っ込むな、というのが無理な状態だ。

 『ひさびさに呼び出してやったのに、なんだD、またもや風邪引いてるのか?』

 「・・・あぁ。昨日も会社を休みましたー」

 『可愛く云うんじゃねぇ!!突然の残業で残された連中は、お前を死ぬほど呪っているぞ!!』

 「・・・」

 『だいたい、昔から思っていたが、お前ほど風邪を引きやすい人間はこの世にいないな。次のギネスに申請しておくわ。カゼカゼの風邪人間ってな!!』

 「・・・じゃ。」

 『寝るな!!
 今回はお前向けのネタを仕入れたんで、せっかくご紹介に上がったってのに、なんだ、そのやる気のない態度は!!
 それでも名のある某大ミステリー研出身者か!!
 ええい、こうしてくれようぞ!!』

 ドバッ、と冷水が天井から落ちてきた。

 「あひぃぃぃぃーーー!!なにすんだ?!」

 さすがのDもガバと跳ね起きた。
 全身濡れ鼠になり、ガタガタ歯の根を震わせている。

 『こちら、ヒューストン。
 本日ご紹介は、駕籠真太郎の書き下ろし新作長編『アナモルフォシスの冥獣』。
 
 ちなみに、貴様の乗ったその宇宙船は完全にわれわれの制御下にある。
 今度任務をサボリやがったら、万物を構成する自然界の四大元素がお前を襲うから、そう思え』 

 「火・・・水・・・風・・・土・・・。
 ヒューストン、もうすでに一個、襲われてる気がするんだが・・・?」

 『気のせいだ。

 さて、駕籠先生のデビューは'88年というから、まァキャリア的には長いお方なのだが、作風が一貫してアレなもので一般への浸透度は殆どあるまい。
 それがどういうものかってーと、早い話がエロとグロだ。
 性器とか内臓とか、切断中の手足の断面とか、生首放りだしたりとか。
 簡単に要約するなら、18歳未満お断りの世界。ボーン・トゥ・ビー成人指定。無期限でアンダーグラウンドへ永住権獲得。
 でも、ロリ、萌え排除の一貫したクールな描写力により、ポルノマンガ方面で大ヒットを飛ばすことなどありえない。
 残酷も、性描写もそうだが、この方、あまりに冷静な体質のため、自分の描いてるエクストリームな描写についついギャグを見てしまう。
 ある意味、プロとして正解。

 初期単行本『喜劇・駅前虐殺』なんかは、さまざまなバリエーションによる人体破壊のオンパレードなのだが、ちっとも陰惨じゃない。
 不思議と明るいの。
 この手の描写に当然ある、嫌な感じは付き纏うけどね。
 大友の水脈を継ぐ、アンチ70年代劇画の硬質な描線の持ち主だからね。残虐行為を描いても妙にカラッとしてるんだ。
 細い線で、神経質に正確なパースを切る。
 理科の解剖図とか人体切断面図みたいな感じよ。あぁいう路線の継承者よ。
 “絵がうまいですね”と他人からは言われるだろうが、作家本人にはそこが逆に悩みどころになってしまう。
 物語を組み立てるってのは、ある意味、読者にお手盛りを食わせるってことなの。手を換え品を換え、飽きさせずに最後まで食べてもらう為には、味付けがいる。感情っていう名の。
 でも自分は、人の涙腺を潤したり、欲情させたりする方向には、明らかに視線が向いていない。
 ハテサテ、どうしたものか?
 そういう意味で、ミステリー方面へのシフトはなかなかに優れた選択であるといえよう』

 「・・・ヒューストンへ、こちらD。
 悪意に犯されて、39度8分。どうぞ」

 『こちら、ヒューストン。

 130P強の長編「アナモルフォシスの冥獣」は、かつての国産怪獣特撮映画へのオマージュだ。
 特撮セットのミニチュアの町で、怪獣の着ぐるみを着て爆殺されたお笑い芸人。
 物好きな金持ちが同じセットを組んで彼の霊を召喚し、事件の真相に迫ろうとする。
 肝試し役として呼ばれた男女六人は果たして生き延びることができるだろうか・・・?

 ペラペラのちゃらいCGが跋扈する昨今の映画状況に対する、ひねった批判も交えつつ、でもこれはあくまでミステリーとして構築されている。
 駕籠先生は、オカルトは一切信じていないと思うよ。

 霊なんていない。
 怪奇現象なんて、すべて説明は可能だ。
 そうでないと、面白くならない。


 さて、野暮なネタばれはしたくないから、ここからは慎重に結末について触れるが。
 たしかに興味深く読み終えたんだが、私の頭には疑問が残った。
 此処に登場するトリックは、殺される作中人物に対して仕掛けられたものではないんだ。
 神の視点、すなわち物語の読者に対してのみ有効に機能するものだ。

 クリスティの「アクロイド殺し」と同じ種類の。
 知的遊戯の一形態としては充分面白いと思うが、物語としてはどうか?説明が説明になってなくないか・・・?』

 「・・・がふゥ。がふゥ。・・・うぅ、ヒューストンへ。
 正直、もう限界だ。
 家に帰って、寝てもいいか・・・?!」


 『・・・なんだ、D』

 ヒューストンは気の抜けた返事を寄越した。

 『おまえ、そこに居たの・・・?』

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2011年2月 5日 (土)

ロジャー・コーマン『金星人地球を征服』 ('56、AIP)

[あらすじ]

リー・ヴァン・クリーフといえばカニのような悪党面で有名だが(代表作『続・夕陽のガンマン』のヘンな顔の人)、彼が天才科学者で金星からカニを呼び寄せる。
 宇宙を越えたカニつながり。
 あまりの壮大なスケールに脱帽だ。
 やって来たカニは(形状はキュウリに似ているのだが)、金星の環境と酷似しているという町外れの洞窟に潜み、コウモリ型の洗脳マシンを操って、小さな田舎町の重要人物8名を次々と侵略の手先にしようとする。
 その重要人物リストとは、町長・保安官・先生・医者・軍人・・それに、ピーター・グレーヴス。
 なんだか人数が足りないようだが、気にするな。奥さんも勘定に入っているから。
 われわれはアメリカ人が常にワイフを大切にし、何処へ行くにも携行して行く事実を目の当たりにすることになる。これは衝撃的だ。ゾンビのはらわたがはみ出していても誰も驚かないが、アメリカ人の妻の扱い方には新鮮なショックがある。
 首筋にいい加減な受信器を埋め込まれ、金星人の手先となった愛妻を、ためらうことなく即射殺。
 普通ならば、洗脳を解除するとか、出来ずに主人公が苦悩するとか、よくある方向に話が転がっていく筈だが、ピーター・グレーヴスは手にした拳銃の引き金を引くのをまったくためらわない。ダーティー・ハリー以上の非情さだ。
 この非人間的所業に感銘を受けたリー・ヴァン・クリーフは、「この人についていこう」と決心し、金星キュウリに反旗を翻し、隠れ家の洞窟へ特攻。
 キュウリの目玉に鉄棒を突き刺して殺害、自らも巨大なはさみに縊られて死亡するのであった。

[クソ解説]

 アメリカB級映画界のゴッドファーザー。低予算映画のキング。ロジャー・コーマンの最大の特徴は、その心のこもっていない作劇術にある。
 展開を早くするため、とにかくバッタバッタと人が死ぬ。死に方もあっさりしている場合が多い。たいていは拳銃一発、倒れておしまいだ。(血糊すら、予算の都合で省略)
 若い、意欲に燃えるスタッフを国民生活水準の限度を越えた低予算で徹底的にこき使い倒し、同じセットや着ぐるみは常に使い廻して、ロケに行こうものなら同時撮影で最低3本は映画を作ってしまう。まったく、まともな神経ではない。
 そういう意味で、真に尊敬に値いする人物だ。

 余談。
 お色気方面も気が効かなくて、例えばこの映画では洗脳されたロケット研究所の男ふたりが、同僚の女科学者を首を絞めて殺害するのだが、この女、路上にスリップ一枚で放り出されるの。死体になって。
 アップが妙に長いから、ここで抜けってサインなんだろうが、無理です。
 だいたい、名前からしてコーマンなんだぜ?
 下品にもほどがあるだろ。

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2011年2月 4日 (金)

華倫変『高速回線は光うさぎの夢を見るか?』 ('02、太田出版)【後編】

(承前)
 おやじの話は続いている。

「華倫変のマンガを評して、精液の薄い山本直樹のようだ、と例えることは可能だろうが、山本だってずいぶん薄いんだよ。
 ふくしま政美に比べたら・・・」

 「ふくしま先生と比較したら、誰だって薄いんじゃないですか?」

 「精子の含有量が違う感じがするね。繁殖力が問題だ。
 あ、いや違う・・・そんなことはどうでもいいんだ。
 ここで話を精虫レベルからもう少し高級な方向に展開させるが、精液の濃さは欲望の濃さだと考えてみてはどうか?」

 「あ、なるほど」

 「なにをしたらいいのかわからない、生命力の希薄な人間が死んだり、生きたり、オナったりするのが華倫変の世界だ。
 たまにセックスも描かれるが、かえって両者の関係の空疎さを強めてしまう。
 スカスカの空間と、スカスカの登場人物。朴訥な描線で表現されるそれは、まるでさそうあきらか、近藤ようこか。
 (実際、顔の描き方はそんな感じだよね?)
 ポーズは直立不動が多用され、アクションどころか表情すら乏しく、簡素な描写に余計な色気はない。
 意志薄弱で、生きる目的も持たない主人公は、よく輪姦されたり、暴行されたりするのだが、だいたい、抵抗の意志なくされるがまま。そこから新たなドラマが始まる可能性は既に絶たれているのだ。
 感情も意志も希薄だから。石井隆以下の不毛地帯。
 これほどの絶望があるだろうか?
 
 「うーーーん、なんかコッチまでヤな気分になってきましたよ。
 ボクも会社じゃ、連日無茶振りする上司に悩まされてますし・・・」

 「表題作『光うさぎ』は、あと100日で自殺するとネットで宣言した女の子のホームページの様子を断片的に綴った、実に困った傑作だが、なにが一番困るってエンタメ性皆無ってところ。
 “おまいら、氏ね”とか、“逝け”とか。
 あー、嫌だ。
 書き写しててすら、心底虫唾が走る不毛のやりとりが延々続く。勘弁して欲しい、悪辣な低知能地獄。でも、待て。こりゃ現実そのものじゃないか(爆)」

 「・・・(爆)」

 「しかもあとがきを読むと、ご丁寧に実在する自殺者のホームページを参照にしたなんて書いてある。
 俺は、なんか、もう・・・落ちたね。このへんで確実にダウンした」

 「・・・・・・」

 「すべてを赦し、解放されるのが死だって認識は別段目新しいもんじゃない。死んだ方がましな人間なんて掃いて捨てるほど居るし、おそらくこの俺もそうだろう。
 そう思わせるのはテクニックじゃないんだ。
 描いてる奴が、どの程度、その考えに固執してるか。つまり、本気か。
 徹頭徹尾、困った人なんだけどね。
 作家としては合格であーーーる。」

 「強引に江田島平八入れても無駄ですよ。
 なんかボクまで調子悪くなってきましたよ・・・」

 翳りのない光の洪水がラウンジに溢れている。
 生活音がまるでしない、奇妙な静謐。世界中の人間が死に絶えてしまったかのような、不可解な沈黙が辺りを覆いつくしている。
 
 彼方を見つめる視線で、スズキくんが云った。

 「・・・でも、ボク、割りとそういうの好きでして。
 例えばこの作品集の中じゃ、冒頭の三重人格の女の子の話とかあるじゃないですか。
 あれ、なんか救われた感じ、しませんか?」

 「あぁ、あぁ、真面目で男装の麗人風の口を利く人格と、超絶淫乱ド変態と、気弱な普通の娘がひとりの中で同居してる話ね。
 物語としてしっかりしてるね。珍しくちゃんと語る気があるみたいだ。
 若くて才能があると、どうしても描き飛ばしたように見える作品が多いもんだが。
 これは、確かにオーソドックス。
 しかし、山本直樹と比べると解るが、とにかくト書きが多い作風だね。それも、縦長」

 「絵的に見せようとすると、損をする画面構成ですね。こなれてない印象はそのへんから来るのか」

 「あれって、普通にいい話だけど、最終的に誰も得をしない。いや、ミレマを抱いて童貞を捨てたんだから、主人公の人生的にはそれでいいのか?」

 「そこに疑問が生じる時点で、やはり間違ってますよ。救われた感じがしただけで、結局何も変わっちゃいないんです。
 みんな、損したんです。たぶん」

 「そう・・・あれも結局、バランスのいい第四の人格を精神科医がつくり出して、彼女は平凡な人生を送れるようになりました、ってオチだしなぁー。
 そりゃ 『失われた私』パターンだよなぁ。
 てことは、他の三人の女の子を殺したな、ってことだろ?」

 「・・・ですねー」

 「落ちるよなー・・・」

 「・・・落ちますねー・・・」


 沈黙がしばらく続いたところで、おやじが突如身を翻した。

 「そんな、アナタに朗報!!」

 「へ・・・?」

 ふところをまさぐり、黒い皮袋に包まれた豆を取り出す。

 「一粒飲めば失われた力(リキ)もたちまち回復!!瀕死の重傷もあっという間に元通り!!世にも不思議なドラゴン・パワー!!」

 「さすが、カリン様」
 

 
 

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2011年2月 2日 (水)

華倫変『高速回線は光うさぎの夢を見るか?』 ('02、太田出版)【前編】

 「うーーーん、落ちるなァ・・・」
 
 柔らかい光線に溢れたラウンジで、古本屋のおやじは溜息をついた。
 周囲は白一色に染まり、でもそれが清潔で華やいだ感じを演出するというよりは、彼我の境界を曖昧にする不吉な効果をあげている。

 「・・・なんですか、その、ダウナーすぎる感想は?
 ボクのお勧めの本、ダメですか?」

 スズキくんは着込んだフリースを喉首まで押し上げて、心底寒そうにしている。
 季節は真冬。こんなに晴れて上天気だというのに、空気は冷たく乾いて、皮膚を刺す。
 そこら中に光が満ち溢れ、視界はこの上なく明るいが、暖かみがまるでない。一切の人間の侵入を拒む無菌室の壁がどこまでも続いているように見える。
 狂気を誘うかのような、白一色の。

 「うむ・・・そう、マンガにはいろんな効能があるじゃないか。温泉みたいにさ。
 明るく楽しい気持ちになるものもあれば、ゾッとして嫌悪感を催す表現だってある。
 思わず噴き出すギャグやら、激しく股間に働きかけるエロやら、なんだっていい。すべては立派なマンガのもたらす効果だよ。
 でも表現は、単に表現だ。それは一種の効能に過ぎない」

 スズキくんは軽くうなずく。

 「危険なマンガというものが存在するとしたら、それは人間の情緒に影響を与えるものだ。
 マンガを読んで、落ちる。
 これほど恐ろしい経験はない。読んだだけで落とされてしまうんだよ。これほどの恐怖がありえるだろうか?」

 「日野日出志先生が読者を地獄に突き落とすのとは訳が違いますか?」

 「あれには明確なカタルシスがあるもの。」
 おやじはちょっと笑って、手を振り否定する。
 「作品内の論理に従って訪れる、当然の結末だ。それを余さず描き切ろうというのは、創作者としていさぎいい態度し、読者だって当然、拍手喝采だろう」
 

 「それは、ちょっと違うと思うなァー・・・」

 「あれは間違いなく優れたエンターティメントだよ。立派なプロ仕事だ。
 そうした、機能としてのマンガを語ることは容易いが、精神に作用するマンガはちょいと扱いが微妙になり、結局“好き””嫌い”の論議にどうしても終始してしまう。」

 「おっしゃること、なんとなく分かります。
 ・・・今回は珍しく、論調が真剣ですね。大丈夫ですか?」

 「私が古本屋という稼業に限界を感じ、煮詰まっている証拠かも知れないな。だが、まぁ、いい。
 書き飛ばすだけが評論ではないんだ。たまにはじっくりやるさ」

 「はぁ・・・」

(以下次号)

 

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