« 川島のりかず『怨みの猫がこわい!』 ('85、ひばり書房) | トップページ | 熊谷蘭冶『嘆きの天使①』 ('08、ホラーM)[前編] »

2011年2月23日 (水)

スタニフワフ・レム『砂漠の惑星』 ('64、ポーランド)

 あの、レムの『砂漠の惑星』!

 私はこの本を何度も何度も、それこそ酒でも浴びるように繰り返し読んでいるので、いまさら記事に書くのもどうかと思うのだが、実はひとつ、告白がある。
 また、読んでしまいました。

 これは遥か未来、人類の調査隊が遭遇する未知の文明についての物語だ。
 正確には、知的存在は百万年昔に滅んでしまい、その残滓だけが現在も強力な活動を繰り広げている。
 音もなく、人を襲い白痴化する黒雲。
 衰弱しきった太陽に、果てしなく大陸を覆いつくす砂漠が延々と続く風景。
 仕事熱心な男ばかりの探検隊。彼らは消息を絶った先発隊の行方を捜すため、この惑星に降り立ち、人類の理解を絶した未知の知的文明の末路を知ることになる。

 早い話、知的生物はとっくに死に絶え、その活動の名残りである自動機械(オートマトン)だけがいまもこの惑星に生き残っていて、あらゆる外敵を駆逐し続けている。
 微小な金属の結晶体からなる、不定形の黒い雲。
 強大な対抗相手が現れると、結合し、姿を変えて攻撃を加え、撃破する。ただそれだけの存在。

 彼らは知性を持ち、それを行なっているわけではなく、生存の為の本能に基づいてただそうしているだけらしいのだが、先発隊は全滅、あとから来た連中も次々と犠牲になっていく。
 死よりも悪い結末。
 磁場を発生させ、脳の蓄えた記憶や知識を残らず空白化してしまう。
 襲われた人間は赤ん坊同然の状態となり、異質な環境の惑星に放り出され、やがて死ぬしかない。ある意味、残虐度マックス。
 
 こんな、とてつもない敵に対し、人類が何をなしうるのか。
 
 レムが実は泣かせる作家だというのは、そうした人類の頼りなさ、無力さを徹底的に浮き彫りにしたうえで、それでも仕事は放り出さずに続けようとする男達の、馬鹿正直としかいいようがない愚劣さをあえて肯定して描いているからなのだ。
 『プロジェクトX』的な全面肯定ではない。
 確かに彼らには任務がある。生存者を可能な限り救出するという。
 しかし、それは条件が整えばの話だ。ここは地球ではないのだ。さらなる犠牲を生むような危うい決断を船長が下すわけにはいかないのだ。 
 そこで、その危険な任務を徒手徒拳のいち中間管理職の男に託す。
 
 最終章は、彼が素手で敵陣の真っ只中に乗り込み、見事任務を全うするまでの過程を息詰まる無音描写の連続で見せきる、恐るべき地味すぎる大活劇である。
 主人公は単身で突撃するのだから、会話もないし、心理描写も最低限になるよう思慮深く調節されている。
 レム最後の長編『大失敗』も、クライマックスは同じような恐怖のシチュエーションが襲ってきていたが、あっちはしかも失敗するからな!ある意味、最高レベルのショック描写だ。
 
 『砂漠の惑星』でのレムは、まだ人類にかすかな期待をかけていたのかも知れない。
 この、危難に遭遇する宇宙船の名前は『無敵』号という。
 全てを終え、かろうじて生き延びて砂漠を越え戻ってきた男が見るのは、異星の夜空に孤独に聳え立つ宇宙船の細長い船体。
 
 広大な未知を相手にして、人類にはそんな希望しか残されていないのだ。

|

« 川島のりかず『怨みの猫がこわい!』 ('85、ひばり書房) | トップページ | 熊谷蘭冶『嘆きの天使①』 ('08、ホラーM)[前編] »

かたよった本棚」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: スタニフワフ・レム『砂漠の惑星』 ('64、ポーランド):

« 川島のりかず『怨みの猫がこわい!』 ('85、ひばり書房) | トップページ | 熊谷蘭冶『嘆きの天使①』 ('08、ホラーM)[前編] »