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2011年1月

2011年1月26日 (水)

1/26「ウンベル、塗り残す」

 いや、ホンマ、平日こういう作業すると、時間がないのがバレバレですねん。

 トップページ、工事中ということでよろしうに。おおきに。

 

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2011年1月23日 (日)

『雨の午後の降霊祭』 ('65、BeayerFilms)

あなたの妻が交霊術に凝っている気違いだったら、あなたはどうするか?
 気弱な夫は、最後まで彼女に付き合う決心をする。
 妻の狂気の原因がかつて死産で生まれた亡きひとり息子にあったから。ならば、われわれは共犯だ。

 計画は単純で、なんだかヒッチコックの『ファミリー・プロット』はこれの焼き直しみたいに見えてくる。(が、たぶん違う。私の脳が細かい粗筋を記憶していないだけだ)

 中年夫婦が資産家のひとり娘を誘拐し、二万五千ポンドを要求する。
 妻は霊媒師としてその家に乗り込み、見事娘の隠し場所を探し当て、謝礼をせしめる筈だった。それにサイキックとしての名声も。

 ・・・という一応の犯罪計画はあるのだが、この映画の独自性を讃えるなら、これがまったく有効に機能しないの。いや、ホント、面白いくらいにグダグダして、テンションを高める方向へ話が転がっていかない。
 その間、観客は電話の音に怯え、新聞記事に小躍りし、警官の訪問に身を凍らせる中年夫婦の、イヤーな日常と向かい合わなければならない。
 一応、地下鉄やバスを乗り継いでの、身代金強奪劇なんかもちゃんとあって、ふつうならハラハラドキドキ、映画のテンションが高揚する筈なのに、やはりぜんぜんそうならず。
 血圧低い、老婦人の夏が延々続く。

 そういう意味では、リチャード・アッテンボローとキム・スタンレイの夫婦がとてもいい。
 この嫌な、渋く抑えているくせに鼻につく生臭い感じは、なかなか出ない。
 出がらしのお茶に少量にぼしを加えた感じ。って訳分からないよ、そのたとえ。
 
 原作のラストには心霊現象が実体化するオチが用意されていた筈だが、映画はもっと身も蓋もない、即物的な結末を迎える。 
 カタルシス・ゼロ、爽快感まったくなし。
 しかし、この映画は、それでよい。

 『サンセットブルーヴァード』の貧乏版みたいな、妻の狂気が全開になって、それで彼女は幸せになりました、というね。
 このときの苦いアッテンボローの顔は、ちょっとした見ものですよ。いやー、マイッタナァーっていう、いましろたかし顔。 

 普通の感覚ならそこは絶対端折らない筈の、誘拐された娘の生死の問題すら、この映画は不問に終わってしまう。気の早い人なら見過ごしそうな、あっけなさで。
 警官の台詞で説明されるだけなんだ。
 「行方不明の娘を森で発見しました」って。そんだけ。
 生き死に、不明。

 で狂気の向こうに突き抜けちゃった妻と、それを見守る頭の痛い夫。
 呆然とたたずむ警視と警官達。
 
 いいなぁー。
 煮え切らないなぁー。
 中高年のセックスみたいだなぁー、と思いました。

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2011年1月20日 (木)

羽生生純『俺は、生ガンダム』 ('10、角川書店)

 「いやさー。

 『千九人童子ノ件』が面白かったもんで、羽生生純の同時発売の新刊、三冊とも揃えちゃったんだよ」

 古本屋のおやじは、テーブルの上を示した。

 「勢いがあるってのは、大変いいことだネ・・・!
 という訳で、今日は『俺は、生ガンダム』の話をしようかと」
 
 「イヤですよ」

 生まれついての怪奇好き、スズキくんは眉をしかめる。

 「ガンダム・パロってのは、どう見てもありすぎです。
 現代の日本に必要なニーズを明らかに越えていると思われます」

 「うーーーん、確かに・・・」

 「どれも安直な出来で、さっぱり面白くない。我が国の誇る輸出コンテンツであるアニメ産業に対してボクは一貫して批判的な立場を固持してきました。
 特に、エヴァンナントカには我慢がなりません。
 ・・・吐いていいですか?」

 「エ・・・?」

 「いいですか・・・?
 吐きますよ。
 ホント、吐きますよ。

 ゲェェーーーーーーッ!!!」

 「うわわぁッッ!!マジゲロ!!」

 「・・・ガフッ、ガフッ。あー、気持ち悪い。水をくれ」

 「お、おい、大丈夫か。いま、なんか、臓物みたいなものも一緒に吐き出したぞ」

 「それは昨晩食べたモツです。
 あーーー、なんか、本気で気持ち悪いわ。

 ・・・で、なんですか?」

 「♪おまえ、スズキ。店内、メチャメチャ」

 「あ、ラップだ」

 「♪オレは、カタギ。商売、グチャグチャ」

 「一応、韻は踏んでるみたいですね」

 「♪倒産、寸前!父さん、助けて!
   倒産、寸前!かあさんの、がい骨!」


 「はいはい、三智伸太郎先生のひばりマイナー作品『助けてよ!かあさんのがい骨』を入れてみたってことですね。
 しょぼい読者サービスですね!」

 「うるせぇ。
 お前のゲロ、羽生生先生の著作にもちょびっとかかったじゃねーか!
 こうなりゃ、股裂きだ」
 
 「あッ・・・!あッ・・・!あッ・・・!やめて、タムレ」

 「故人のネタを軽々しく使うんじゃねー!
 いいか、暇がないから遊びはやめて、こっから一気に喋るからな!

 DCコミックスがバットマンやらワンダーウーマンやら常連キャラを生活感たっぷりの枯れた絵柄で、『劇画オバQ』みたいな、リアル版の単発コミック出してたの、知ってっか?
 じじいやババアがコスプレして群れてんだよ!
 羽生生先生の『ガンダム』も、基本あれと同じクチだ!
 藤子F先生は、基本的につるんとした絵柄の人だから、描き込みは斜線の含有量が増えた程度だったが、そこは異常に線とベタの占める面積の多い羽生生先生のことだ、無駄な熱さが炸裂しまくっていて素晴らしい!
 ハッキリいって、俺もガンダムのことはよくわからん!
 だから、ここで展開されている見立てがどの程度正鵠を得たものなのか、妥当な判断など出来ん!
 
出来ん・ザビ!」


 「・・・あっ、UFO」

 「だから、これは先生のいつもの路線、異常な顔のキャラクターが過剰な行動に走る、暴走コメディーとして楽しむべきなのだ!
 だいたい、ガンダムに登場するメカの数々をすべて人間の顔面で表現しようという、着想自体が既にファンタスティックじゃないか・・・?!
 お陰で、主要登場人物が奇跡のように異常な顔揃い。こういう連鎖を見せられるのは、本当に楽しい。
 だいたい今時だなぁー、生身の人体の持つ、うざい、汚い、ぐちょぐちょの皮膚感覚を、創作領域の中心に据えようなんて作家は、もって珍重すべしだ。
 どうだ小僧。わかったか!!」


 「あっ・・・あっ・・・あっ・・・」

 「ん、どうした?」

 「イクとき、キュンってなるんです。」

 「なるか!!」

 ゲロの海に、スズキくんを叩き込んだおやじ、意気軒昂と店内を片付け始めた。
 
「それにしても、羽生生先生、最終的に生い立ちにもってく話が多いよなぁー。なんか、それってどっかで見た作劇法だよなぁー・・・」

 「イプセン?」
 スズキくんが顔面を吐瀉物に埋めてドリフ調で叫んだ。

 「イッ、プセン!!」

 

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2011年1月15日 (土)

笠原倫『移動交番175(イナゴ)②』 ('82、双葉社100てんランドコミックス)

 この世には、知られていない事実がたくさんあり、学ばねばならぬことが数多く存在する。
 
たとえ、それが「知ってどうする?」ということであろうと。
 
われわれは真実を知らなくてはならない。

 たとえば、このマンガだ。

 ジャンルコミックという概念はご存知だろう。
 特定の読者層に向けて発信される、かたよった編集方針のマンガ群。あらゆる年齢層に、分散しますます細分化する趣味趣向の持ち主達に向けて。あるいは特定の社会的ニッチに帰属する人々へ。俺から宮本へ。
 そのジャンルが偏向しているほどに、内容は特殊化し扱う対象は狭くなる。
 マンガ家は、一般的な技量よりも専門性、特殊知識を高く買われるようになり、つまりは傘下に集う同好の士と等しく趣味の饗宴を果たすことになるのだ。

 専門誌。一般読者の目にすることのない聖域。
 埒外からの闖入者であるわれわれは、そこに思わぬ秘境を見出すことだろう。
 そして、呟くに違いない。
 「あぁ・・・知らなきゃよかった。」

 ここにひとつのジャンルが存在する。
 ジャリ向け。
 少子化の嘆かれる昨今、勢いも失せたが、かつては近代マンガジャンルにおけるひとつの重要な肥溜めであった。
 うんこ。
 しっこ。
 ハゲ。

 4歳のガキでも理解可能なバカタームを媒介とし、単純な正義とくだらない悪とが熾烈なシーソーゲームに興じる世界。
 しかし、なんとゴージャスかつスカスカで、魅惑に満ちた空間であったことか!
 例えば『風の谷のナントカ』(マンガ版の方)にこんな台詞がある。
 
 「世界を善と悪とに分けて考えていたら、なにもわからないわ!」

 ・・・うるせぇ。

 もっともらしい正論を聞かされると、冷静に判断するより先に条件反射でこぶしを固く握ってしまう、生まれついてのデスペラード(幼児性の抜けない魂、永井豪主義者ともいう)だけに地域限定で情報発信された、いわば雑民党のマニュフェストの如き、一般大衆にはまったく無用な、ゴミ以下の輝ける存在がこれだ。

 さて、このマンガの内容紹介に入るが、まず知っておくべき重要な情報をひとつ。
 交番は、移動しない。
 表題にある「移動交番」とはあくまで、ただのトラックに過ぎない。
 ま、全長25メートル、コンテナ内に巨大マジックハンドを装備し、ヤクザのミサイル攻撃にも平気、シャーシ部を伸ばして空中に浮かび上がることまで可能な、特殊すぎる車輌を指して“ただのトラック”と呼べるか否か、正直微妙だが。
 実際、劇中での呼び名は「パトラック」。「パトカー」と「トラック」を合体させて「パトラック」。
(車体はちゃんと黒と白に塗り分けられ、おまけの如く、サイレンと赤い回転灯も付属しております。)
 なんて子供だましなんだ。まったく、こうした発想にはゾクゾクする戦慄を禁じえない。
 「パト」と「レイバー」を足して「パトレイバー」なんて、甘い、甘い。
 そんなのは所詮、中高生の小ずるい知恵に過ぎない。
 へたれに洗練された世の中だからこそ、直球勝負というのはやはり重要でなのある。

 警視庁所属のパトラック175(イナゴ)チームは、重大事件や緊急警備に対応するために設置された特殊部隊だ。
 スーパーカーの警護や、農協による侵略(!)に絶大なる威力を発揮する。

 リーダーは、ださいツナギに巨大リーゼントを背負って、スネークの如き黒いアイパッチをかました伊達男。
 運転手は、オカマ。お化粧ニューロマンチック系。
 紅一点、ポニーテイルのセクシーちゃん。常にミニスカから白パンツ全開。
 あと、鉤十字のメットを着用したイッてるスポーツバカと、頭の薄い小デブのおっさんにしか見えない小学生。
 (読者の小学生にコイツに感情移入しろ、とはかなり挑戦的な態度だ。)
 
 常識的な社会の規範からはみ出したアナーキーな連中を搭載し、ガキにも理解可能な単純なストーリーは、こうだ。

・東京モーターショーから、トヨタと日産が共同開発した夢のスーパーカーが盗まれた!
    ↓
・イナゴ部隊出動!
    ↓
・敵はヘリコプターを繰り出し、応戦!
    ↓
・マジックハンドで見事に撃破!よかったね!


 どうだ?
 過不足ない面白さだろう?
 弱点を述べるなら、いまきみが想像した内容、それ以上では決してないってことだが。
 
・極東刑務所から、装甲つきロールスロイスで、モーホーのギャングのボスが逃げた!
    ↓
・イナゴ部隊出動!しかし、メンバーのデブ小学生の容体が悪い!
    ↓
・敵は高速を走りながら、キャノン砲で攻撃!デブ小学生、腹に氷嚢を載せ、唸る!
    ↓
・道路壁と車体とで、ロールスをサンドイッチにして撃破!デブの腹いたは、食いすぎ!一同ギャッフン!

 
 ま、このロールスロイスの燃料が(映画『恐怖の報酬』でお馴染み)ニトログリセリンであるとか、細かい突っ込みどころはあるのだが、それはともかく、そろそろ明らかになってきただろう。
 この作品の魅力は、決して筋立てにあるのではない。
 純粋なギャクアクションである、ということだ。
 往年の香港映画のように無意味な会話とだじゃれが垂れ流され、セガールの映画の如く、無意味なアクションが連鎖し、最後まで撃ち合い潰し合いが続く。読んで為するところは微塵もない、と笑顔で断言しよう。

 なに、作画レベル?
 はっきり申し上げるが、ここにあるのは『マカロニほうれん荘』や『すすめ!パイレーツ』のような時代を劃した有名ヒット作の、お子様向け焼き直し版である。
 したがって本家同様、作画クオリティーは決して褒められたものではない。
 山上たつひこから初期の江口、鴨川つばめに連なる、皆様お馴染みのあの絵柄が、いささか脱線気味に、ワイルド感増量に繰り広げられているとお伝えすれば充分だろう。
 しかし、コンテナーに格納され、とどめを刺すのに必須な巨大マジックハンドのデザインは大友朗『日の丸くん』そのものであって、センスはずいぶんいにしえだが。
 (笠原先生は新田たつおのアシスタント出身、と聞くとなにか納得がいく。)

・農協が都会に攻めて来た!
     ↓
・イナゴ部隊、出動!
     ↓
・農協は、税金の無駄使いの道路開発を中止させるため、都会を田んぼにする気だ!改造田植え機の威力は凄まじく、コンクリートがあっという間に、苗床に!
     ↓
・苦戦するイナゴ部隊だったが、なんと、事件の首謀者はイナゴドライバーの実の父親!事態はうやむやになるのであった!


 あー、マンガだ。こりゃ、まさしくマンガだ。
 
 要は、万事それでいいのではないか、と単細胞の私は思うのだ。 

    

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2011年1月 9日 (日)

マイク・ジャッジ『ビーバス&バットヘッド ドゥ・アメリカ』('96、ゲフィン・ピクチャーズ、MTV)

【あらすじ】

 いや、正直申し上げて語るほどの物語はないのだが、意外に構成はしっかりしている。
 間抜けな白人達の奇妙な間合いを捉えるマイク・ジャッジの描写力が優れているお陰だろう。

 “ビーバスとバットヘッドは間抜けな小学生。
 「クソ」とか「ケツ」とか喋りあってはグェフグェフ笑う、いかした奴らだ!(父親はどうやらモトリー・クルーの元ローディ)
 彼らの大事なテレビが盗まれた!
 こいつは一大事だ!
 アメリカを横断してでも探しに行かなくちゃ!”

 かくして始まる地獄の観光旅行がこの映画というわけ。

 そこにからまる細菌兵器テロと、近所のクソじじい夫婦の受難劇がアクセントとなり、フーバーダムの大決壊や尼僧だらけの観光バス、砂漠の放浪、どう考えても無駄なカーチェイスを間に挟んで、意外とすべては納まるべきところに納まる。

【解説】

 放映から15年も経ってから、いまさらあれこれ云っても仕方ないので、作劇術の基本について述べるが、
 純真で無垢な人物というのは主人公に向いている。
 それは明確な目的を持っているからだし、なにかを抱えて陰謀をたくらむような連中は(それが小市民的な悪党でない限りは)読者の支持を得にくいものだからだ。
 物語をどちらへでも転がしていける主役というのは、極力無色透明であることが望ましい。
 例えば、ジェフ・スミスの『ボーン』がそうだ。あいつはうるさい小僧だが、そうでなくては虚構世界の拡がりが生きてこない。問題なのは設定ではなく、語り口である。
 われわれの多くが日々の些事に汲々としているように、彼らは生活する空間の中でなにかに鼻づらを引き廻されて暮らしている。大事なのはこの感覚を共有できるか否かだ。
 だから、成功するファンタジーの長編というのは、こうした馴染みやすい人物が危難に放り込まれ、目的のある旅に出る。そういう構造を持っている。 

 愛用の日用品を奪われ、探しに出るという物語の形式は、なにも聖杯伝説などを引き合いに出すまでもなく、最もうけるタイプのものだ。(あー、例えば『ピーウィーの大冒険』なんかを連想して)
 ちゃんと面白い、それも長編が、というのなら、そこには何かの方程式が働いていることになる。
 だが、理屈や定石が物語を面白くするのではないのだ。そこに乗っかる登場人物や捲き起こる事件に読者がどれだけ共感して手に汗握るか。すべてはそこにかかっている。

 ビーバスもバットヘッドもありえないぐらい最低の登場人物であり、ゆえにリアルなアメリカ人だ。
 だが、それは欲望に忠実な、純粋で聖なる者たちではなかったか。
 徹頭徹尾愚かしい人物、すなわちバカはピュアであり、主役に向いている。これは時流や流行と関係ない、国境すら飛び越えた人類普遍の法則と云えよう。

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2011年1月 3日 (月)

新春スペシャル「1/3 ウンベル、悪魔の咆哮に胴間震い」

 「賀正。迎春。

 ん?どうしたんだね、きみ、入りなさい」
 
 偉そうに葉巻を咥えたウンベル、医者のコスチュームを着て、でかい椅子にふんぞり返っている。
 かなり適当に拵えた病院セットのドアを開けて、ご存知スズキくんが登場。
 コントらしく、警官の格好をしている。

 「はぁ、どうも。新年、おめでとうございます。
 きみの瞳をタイホする。ズキュン」

 「どうも、しまらんなぁー。
 どうせなら、古式ゆかしく、捕縛(ほばく)とか形容して貰いたい」

 「“捕縛しちゃうゾ!!”ですか。それじゃ団鬼六じゃないですか。

 ・・・それよか、どうですか?今回は故郷の地獄の島に帰省したらしいじゃないですか。
 いいお正月を過ごせましたか?
 これ、すなわち、なにか良い収穫はありましたか?」

 「コレクターってのは年末年始を問わず、ソレかい。
 確かに地獄の島にもブックオフ二三店舗くらいはある。かつては腐れかけた古本屋すらなかった不毛の地だがね。
 だがな・・・店舗があっても、それはそれで地方ならではの致命的な問題があるのだ!」
 
 「はァ・・・」

 「店はあっても、えらく遠いんだよ!車がなくちゃとても回れん!」

 「あの・・・(小声で)・・・ドクター、免許の方は・・・?」

 「わしは免許と名のつくものは一切所持しておらんのだ。
 唯一持ってるとすれば、殺しのライセンスかな・・・?(ニヤリ)」

 (二名、合唱)
 ♪殺しのライセンスゥーーー
  殺しのライセンスゥーーー
  殺しまくりだ、うれしいなーーー!!


 「ねぇ、これ、なんか歌詞が違ってませんか・・・?」

 「うるさい、これでいいのだ」

 「その台詞もどっかで聞いたことありますよ。鬼太郎の次は、それが来るかも知れませんね」

 「実写版バカボンかね?フジオプロ以外の誰が喜ぶんだ?長井邦夫か?」

 「マンガの実写化にうまいものなし!
 僕らがどんだけ口を酸っぱく云っても、世間はまったく耳を貸しませんね」

 「しかし、田舎の親は観てたぞ、ゲゲゲの乳房(にゅうぼう)。貸本時代の水木先生の苦闘が朝ドラになるんだから、凄い状況だよな。
 おかげで先生関連の復刻もいくところまでいってしまった感がある。『火星年代記』が新刊として店頭にあったときは、切腹して死のうかと思ったぞ」

 「まったく。
 じゃ、地方からのレアな発掘モノは期待できないとしても、せめてボクが頼んでおいたアレは・・・?」

 「神田森莉の『少女同盟』か・・・」

 「オウム事件がヒントになって描かれた「美々子、神サマになります!」が収録されてるやつです。
 神田先生は発行部数が細いのか、コレクターが抑え込んでいるのか、本当マーケットに出まわらなくて・・・」

 「本当だ。これじゃ普通の読者は名前も知らんだろうし、非常にまずい状況だよな」

 「ということで、ドクターの貴重な蔵書から発掘を依頼したワケですが・・・」

 「・・・ない。
 家中探しまくったのだが、発見できんかったのだ!」


 「ヒエエエーーーッ!!」

 警官姿のスズキくん、恐怖のあまり、両目が伸び切ってひとつながりになっている。

 「ま・・・ま・・・焦るな。
 ということは東京の蔵書に埋もれているのかもしれんのだからして・・・」
 
 スズキくん、ふところから拳銃を取り出し、乱射し始めた。

 「タイホだーーー!!
 タイホだーーー!!
 タイホするゥーーー!!!」


 場の雰囲気を察して、勝ち目なしと見たウンベル、医者の衣裳を脱ぎ捨て、デロリンマンのコスプレをしてコソコソ逃げ出し、退場。

 『ドクトル・ジバコ』のサントラから「ララのテーマ」流れる。

ナレーション》
 「今日はピカピカの新刊本も、一夜明ければ、ハイ、古本。
 この世は無駄の集積場。
 見果てぬ夢を追いかけて、お会計までまっしぐら。
 ちょっと寂しいふところ具合、小銭の山が泣いている。
 飛べ!!
 勝て!!
 脱げ!!

 戦え、怪奇探偵スズキくん!!」


 (つづく)


 ベリッ、と紙が破れ、両名が顔を出す。

 「今年もよろしくねッ!!」

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