『雨の午後の降霊祭』 ('65、BeayerFilms)
あなたの妻が交霊術に凝っている気違いだったら、あなたはどうするか?
気弱な夫は、最後まで彼女に付き合う決心をする。
妻の狂気の原因がかつて死産で生まれた亡きひとり息子にあったから。ならば、われわれは共犯だ。
計画は単純で、なんだかヒッチコックの『ファミリー・プロット』はこれの焼き直しみたいに見えてくる。(が、たぶん違う。私の脳が細かい粗筋を記憶していないだけだ)
中年夫婦が資産家のひとり娘を誘拐し、二万五千ポンドを要求する。
妻は霊媒師としてその家に乗り込み、見事娘の隠し場所を探し当て、謝礼をせしめる筈だった。それにサイキックとしての名声も。
・・・という一応の犯罪計画はあるのだが、この映画の独自性を讃えるなら、これがまったく有効に機能しないの。いや、ホント、面白いくらいにグダグダして、テンションを高める方向へ話が転がっていかない。
その間、観客は電話の音に怯え、新聞記事に小躍りし、警官の訪問に身を凍らせる中年夫婦の、イヤーな日常と向かい合わなければならない。
一応、地下鉄やバスを乗り継いでの、身代金強奪劇なんかもちゃんとあって、ふつうならハラハラドキドキ、映画のテンションが高揚する筈なのに、やはりぜんぜんそうならず。
血圧低い、老婦人の夏が延々続く。
そういう意味では、リチャード・アッテンボローとキム・スタンレイの夫婦がとてもいい。
この嫌な、渋く抑えているくせに鼻につく生臭い感じは、なかなか出ない。
出がらしのお茶に少量にぼしを加えた感じ。って訳分からないよ、そのたとえ。
原作のラストには心霊現象が実体化するオチが用意されていた筈だが、映画はもっと身も蓋もない、即物的な結末を迎える。
カタルシス・ゼロ、爽快感まったくなし。
しかし、この映画は、それでよい。
『サンセットブルーヴァード』の貧乏版みたいな、妻の狂気が全開になって、それで彼女は幸せになりました、というね。
このときの苦いアッテンボローの顔は、ちょっとした見ものですよ。いやー、マイッタナァーっていう、いましろたかし顔。
普通の感覚ならそこは絶対端折らない筈の、誘拐された娘の生死の問題すら、この映画は不問に終わってしまう。気の早い人なら見過ごしそうな、あっけなさで。
警官の台詞で説明されるだけなんだ。
「行方不明の娘を森で発見しました」って。そんだけ。
生き死に、不明。
で狂気の向こうに突き抜けちゃった妻と、それを見守る頭の痛い夫。
呆然とたたずむ警視と警官達。
いいなぁー。
煮え切らないなぁー。
中高年のセックスみたいだなぁー、と思いました。
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