« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月

2010年12月28日 (火)

ホドロフスキー&メビウス『アンカル』 ('80-'88、レ・ユマノイド・ザソシエ)

[あらすじ]

 超未来。
 宇宙の運命を握る、謎の物体アンカルを手に入れたZ級超人(かなり常人以下)の探偵ジョン・ディフールが上に行ったり、下になったりする。
 その間、世界は何回か破滅を迎えているのだが、物語の進行には特に影響しない。

[解説]

 メビウスとは、いろいろあった。

 俺が若くて今より考えが定まらなかったころ、些細な行き違いで喧嘩になり、泣かせたりもした。
 だが、俺たちはずっと一緒に過ごしていたし、夜通しバカな会話に興じては飲んだくれ、釣り銭も貰わずに店を出たりした。

 その頃、波止場に船はいなかった。

 夜明け前の埠頭はやけに寒く、メビウスは風邪を引いた。
 一晩中月を眺めて吠えていたんだから、当然だ。
 前から変わった女だと思っていたが、あそこまでとは思わなかった。

 俺は徹夜で看病したのだが、彼女は日に日に痩せ衰えて、とうとうある日ポックリ逝っちまった。

 ・・・まったく、バカげた笑い話さ。

 海に落ちるのが趣味の女と、それを笑って眺めていた男。
 どちらがまともか解らないが、俺たちはどちらも同じようにいかれていたのかも知れない。
 彼女が絵を描く人間だと知ったのは、遺品を整理していたときだ。
 ずいぶん、間抜けな野郎だとお思いだろうが、それが真実だからしょうがない。

 絵には、砂漠が描いてあった。

 空気がスカスカに乾いて、歯抜けのじいさんの口みたいになった土地。
 奇妙な飾りを吊るしたナッパ服の男や、天まで届く壮麗な都市。汚れきった掃き溜めに蠢くミュータントや兵隊。
 背後に光輪をまとったエキゾチックな天女。
 宗教、占星術やら魔術に絡む呪的イメージ。
 こう書くとなにやら、おどろおどろしいが、すべては乾いてスカスカで抜けがいいんだ。
 さわったことがない、爬虫類の皮膚をそっと撫でてる感じだ。

 絵には風が吹いていた。

 俺はそれをじっと眺め、風に吹かれながらゆっくりタバコを一本灰にすると、立ち上がり、靴紐を固く結んで道路に出た。

 くそ面白くもねぇ街。
 電線に小便するカラスがとまって、こっちの出かたを窺ってやがる。
 だが、まだまだ時間はある。
 
 日暮れまでには、もう少し遠くまで歩けるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月23日 (木)

フレデリック・ポール「われら被購入者」('74、創元社文庫『究極のSF』収録)

[あらすじ]

  ウェインは被購入者。重刑囚として公共に売りに出され、人権などとうに剥奪された身。
 買ったグルームブリッジ星人はタキオン通信機を使って、銀河系の彼方から彼の身体を操縦し、地球政府との交渉にあたる。
 額に穿たれた金属の円盤から指令の電波を受けると、全身の感覚が取り上げられ、文字通りリモコンによって動くロボットと化してしまうのだ。

 エネルギー学会。貴重な美術品の買い付け。政府との交渉ごと。過酷な任務は数日間ぶっ通しで続き、寝食も忘れて酷使される肉体。操縦者が非人類なので、人間の限界を無視して運転され、思わず、うんこを漏らしてしまうこともある。

 そうした生理的欲求を満たすため、使命を終えると一定時間、行動の自由が与えられる。
 公衆便所で手っ取り早くマスを掻き、メキシコ料理に舌鼓を打ち、コールガールを買うウェインだったが、心に秘めたひとつの希望があった。
 任務先で擦れ違う金髪のかわいいあの娘。
 同じように額に円盤を嵌めて異星人に酷使される身だが、お互い時間の調整ができれば、んーーー、どうかイッパツ、寝てみたい。

 しかし、運命は残酷なもので片方が自由なとき、もう片方が仕事中だったりして、なかなかタイミングが合うときがない。
 悔し涙に暮れながら、今日も仕事に励むウェインであったが、次の任務を終え、解放されると、なんと、目の前に裸のあの娘が立っていた。
 驚き、夢かと疑いつつ、股間が即座に仁王立ちになるウェイン。だが、それは意外とエロに興味しんしんのグルームブリッジ星人の卑劣な罠であった。
 お察しの通り、早速始まるハメハメ実験。
 本人達の意志を無視してずっこん、ぺったん、餅つき大会。

 外宇宙からの訪問者たちのあまりに非道な人権蹂躙ぶりに、断然抗議の娘は舌を噛んで死に、ウェインは強力洗脳により、半気違いと化してしまう。
 なにしろ、ちょっとでも催眠が解けると、すぐ自殺を図ろうとするのだ。これじゃ、手綱を緩める隙もありゃしない。
 連続して過酷な労働に従事する状態になるのだから、どのみち長持ちはしないだろうが、身体が持つあいだはいい仕事をしてくれるだろう。
 さっさとくたばるのが、本人の希望でもあるしね!

[解説]

  1970年代のアメリカSFには、完全な人権無視を模索していた一派というのがあって、ハーラン・エリスン「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」とか、ティプトリーJr.「接続された女」などが有名である。
 (そうそう、ディッシュがいた。もちろん『334』の巨匠だが、「犯ルの惑星」は恐るべき傑作だ!)
 フレデリック・ポールは、その人でなしぶりに定評のある作家で、火星への植民のため合衆国政府が宇宙飛行士をコウモリ人間に改造する『マン・プラス』は、全ては巨大な存在が仕組んだ皮肉なゲームだという、よくあるひねくれたどんでん返しなんかより、改造人間がトイレをひたすら我慢する描写(うかつに放尿すると、電気系統が破壊されるのだ!)が印象に残る、ひたすら下にこだわった作品だった。
 「ゲイトウェイ」なんかも、異常にあせくさい宇宙船の最下層デッキで冴えない男女がひたすらセックスする場面や、あるいは、宇宙的規模の謎を握る少年が、異星人の残した巨大構造物の中で成長するが、毎日することがなくて、やたらオナニーばっかしている暮らしを送っていたもので、地球の宇宙船に偶然拾われて人前に出ても、ついつい習慣で股間を握ってしまい、「キャー!!エッチーィィ!!」と美人科学者に平手打ちされる場面などが印象に残っている。

 あー、ところでこの短編「被購入者」。
 ひさびさに読んだが、主人公への仕打ちにかつて感じた冷酷さはなかった。
 どこの会社でもやってることだし、実際こんなもんだ。

 ウェインは俺やきみですよ。現状をかんがみるに。
 だから、これはもう、SFではないね。
 究極のSFではありませんでしたーーー。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月19日 (日)

カテゴリー「マンガ!マンガ!!マンガ!!!2(セカンド)」増築のお知らせ

【これまでのあらすじ】 
 「マンガ!マンガ!!マンガ!!!」カテゴリーの記事に異変発生!との報を受け、怪獣迎撃チームは怪獣島へ飛んだ。
 そこに待ち受けていたのは、卑劣な敵対星人の罠だった!


 「着きましたよ、長官」
 ご存知スズキくんは、眠そうな声で言った。

 「なんだ、怪獣迎撃チームって、わしらか」
 ウンベル長官はタクシーの後部座席で背伸びした。
 「車で行ける島なんて、たいしたことないよなァー。
 それにしても、きみ、いつも眠そうだが、今日は特に酷いな。本当に運転して大丈夫か?」

 スズキくんは、爆発した頭をガリガリ掻き回す。
 「いやーーー、昨夜も遅くなって、ろくに寝てないんですよ。やばいです、どうも」

 「きみはいつも定時に会社を出て帰ってると思ったがね」

 「最近、めっきり寒いじゃないんですか。起きるの、ホントつらくて。
 そもそもボクは、三年ぐらい寝ないと本来持っているポテンシャルが発揮できないタイプでして」 

 「見事に社会人に向かん性格だなぁー。
 ・・・あッ、あれは一体なんだ?」

 グルグルまわる光の円盤が空中を飛んできて、ふたりの前に静止した。

 「ムムッ、なにやつ・・・?!」

 『・・・ワレワレはココログ星人ダ・・・』

 電気的に変調された声が聞えた。

 『・・・ウンベル長官、それにスズキくん。
 貴様たちの活動の牙城だったカテゴリー“マンガ!マンガ!!マンガ!!!”は、ワレワレが乗っ取っタ・・・』

 「なにッ・・・!!」
 「なんですって・・・?!」

 『HTML言語の構成が不確かな記事の乱立、そもそもの記事容量過剰、記事本数の限界点突破・・・。地球の大自然は泣いているゾ・・・』

 「泣いて、どうなる?」

 『泣いて、泣いて、泣いて、チンピラになりてぇー、そうダ・・・』

 「そうか、なりてぇーのか。仕方あるまい。
 なれ。

 ところで、地球は決してお前らの好きにはさせないぞ!これを見よ!!」

 『アアーッ!!』

 ウンベル長官のかつらを剥いだ頭部に金文字で刻まれていたのは、

 【マンガ!マンガ!!マンガ!!!2(セカンド)】の文字だった。

 「最近の記事はすべてこのカテゴリーに移植済みだ!
 そして、なんだか立ち位置が中途半端な『霧に包まれたハリネズミ』や、明らかに記事作成時に間違えてカテゴライズしてしまったと思われる『オズの魔法使い』はちゃーんと正しい本来あるべき【映画の神秘世界】に移動させた!
 貴様らが何をたくらもうと、この地球にゲッターがある限り、貴様らの好きにはさせんぞ!!」

 『そ、それ、番組違いますから・・・』

 「いくぞ、ゴムゴムのぉーーー!!!」

 『やめろ、佐藤師匠はそれの意味、知らないんだゾーーー!!!』

 そして、吹っ飛ばされていった。

 「やれやれ、勝ったぞ、また」
 ツルツルの頭を撫でて、ウンベル長官が言った。
 「主人公のくせに、今回は活躍なしかね、スズキくん?」

 振り向くと、タクシーの中から、スピースピーという心地よい寝息が聞えてきた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月18日 (土)

なかのゆみ『あっ!私の顔がとけていく』 ('86、ひばり書房)

[あらすじ]

 森 冬子は向かいの豪邸に住む中村夏子が羨ましくて仕方がない。
 金持ち、美人で明るくて、社交的な性格で、イケてる彼氏とバンバンはめまくっているからだ。
 しかし、女同士によくある薄い友情の絆から、本当に思っていることなど到底口に出せず、天体望遠鏡で隣家をストーキングして、悔し涙に暮れる毎日であった。
 そんな冬子の心の闇を察知した怪しい占いババアが、銀座でショッピング中に話しかけてくる。

 「そのイライラした気持ちを私が晴らしてあげましょう」

 唐突に、みっつの願い事をかなえてやる、と古典的な戯れ言を抜かすババア。
 「マジ?」と驚く冬子が入り込んだババアの居室は、漆黒の大宇宙空間が広がっていた!

 やばい!
 この人は、本物のやばい人だ!


 あせって、適当な思いつきをバラベラ喋りまくる冬子。

 「ええと・・・その1、夏子の家が超がつくほど貧乏になりますように・・・!」
 律儀にコクヨのノートに鉛筆でメモをとるババア。
 「その2・・・そうね、私に超能力がついて、夏子にさんざん嫌がらせが出来るようになりたいわ」
 「オッケー」
 ババアはスマイルしながら指で輪っかをつくった。「・・・それから?」
 「えーーと、えーーと・・・」
 どうせ碌な考えも浮かばない冬子のこと、思わず本音がぽろりと出た。
 「夏子の彼氏の谷原章介くん。彼を私にちょうだい」

 パタン、とノートを閉じるババア。
 「いいわよ、すべて即日支払いでかなえましょう。そのかわり・・・」
 ゴクリ、つばを飲む冬子。
 「三年後、あなたのものを半分もらうわよ」

 ??なんじゃ、ソラ??
 ??もしや、たましいとか??

 そんな疑問が湧けばこそ、瞬間天地が逆転し、グルグル渦を巻いて廻り出す宇宙空間。
ギェーーーッ、と魂消る絶叫を残し、次の瞬間、冬子は自宅のベッドに転がっていた。
 「あたし・・・超能力がついた・・・?」

 彼女は銀座のババアのコンパートメントから、自分の家のベッドまで瞬間移動したのだ。
 それどころか、他人の意志はあやつり放題、地面を陥没させて人間を飲み込むなどお手のもの。
 そんな歴史も揺るがす、驚天動地の能力を手に入れた冬子が考えることは、ただひとつ。
 「これで、さんざん、夏子に嫌がらせをしてやる・・・!」

 で、まぁ、夏子の父親が経営するホテルが炎上し死者四十名が出るとか、恋人の顔面がT字型に陥没する幻覚に襲われるとか、いろいろありまして、冬子の常識を軽く凌駕した悪ふざけの嵐に翻弄され、次第に精神に変調をきたした夏子は、練馬の精神病院に入ってしまう。
 ここの描写が秀逸で、ちゃんと取材した、もしくは本当に収容されていた経験のある人でないと出せないリアリティが滲み出ている。
 冬子が様子を見に行き、いざ病棟のドアを開けたときの嫌な感じとか、面会室で差し入れのケーキを取り出すと、おかしなおばさんが乱入してきて、笑顔で会話しながら勝手に食ってしまう展開とか。

 「調布はいいところです。雨が降らないから。
 あそこは本当にいいところです。雨が降らないんです。」


 唖然とする冬子。
 このパートをもっと続けてくれると、ダブルつげ先生(義春&忠男)のテイストに近い傑作が仕上がっていた気がするのだが、なかの先生はさりげなく話をひばりに戻す。
 夏子の収容状況に一通り満足した冬子は、自己アピール活動に専念し、陸上競技会に出ては高校新記録を樹立、新体操をやってはコマネチ、油絵を描いてはゴッホ今泉と持て囃される。
 そしてなぜかなんの前振りもなく作詞・作曲を開始、レコードは全国でミリオンを飛ばすメガヒットに。
 TV、グラビアにもいけしやぁしやぁと登場し、全国民にその不自然なショートカットの魅力を披露する冬子。
 
 わが世の春を謳歌し、本邸を改築、別荘まで購入し恋人谷原とハメ狂う毎日の冬子の耳にふと飛び込んできたのは、憎っくき夏子退院のニュースであった。

 「キーーーッ!!夏子め、この別荘に招待し、いびり抜いてやる!!」

 なぜ、そんなに固執するのか理解できないが、夏子の新恋人、精神科の桑野医師(通称クワまん)にまたも横恋慕し、超能力で横取りしようとするがまったく効果なし。
 焦る冬子に、あの宇宙からの占いババアの非情な声が響く。

 「おまえさんは谷原章介と恋人同士になりたいと望んだではないか。
 ほかの男とは、まったくどうにもならないんじゃよ・・・!」

 (谷原くんはロボットみたいで、アレされても愛されてるという実感がないし、なんとなくむなしいわ)
 勝手なことをほざく冬子。
 その後も、海で泳ぐ夏子の身体に蛇を大量に巻きつかせてみるとか、食べてるシチューに鼠の頭部を投入してみるとか、独自路線の嫌がらせ大会を繰り広げる冬子ではあったが、なにがあってもクワまんとの真剣交際の浄化作用によりプラス方向へ思考をチェンジさせてしまう夏子にはどうあがいてもかなわない。
 思い余って、ムカデに刺されて顔面を腫らして、ミイラみたいな包帯だらけにし、しまいにその下の皮膚を腐らせて溶かしてみたりするが、献身と自己犠牲に駆られ、ふたりの絆は深まるばかり。

 (やっぱり、愛ね。愛がない生活なんて、充実感がないわ)

 そんな無駄なことを考えながら、歩いていた冬子にガードレールをオーバーランした酔っ払い運転のトラックが突っ込み、正中線に沿ってきれいに身体の半分をもぎ取られてあっけなく死んでしまった。

 あれから三年経ったのだ。

[解説]

  100%どうでもいい傑作。

 異様に地味すぎるなかの先生の画力は、読者を投げ遣りな気分にさせ、キャラクターにまったく感情移入させない完璧なものだ。
 全身に蛇を絡みつかせたところで水着の肩紐が切れるなど、こそばゆいエロさをも包括し、ヴィンテージひばりとしてはある種、理想的な仕上がり。
 
 古い甕に汲んだ、新しいワインを飲もうじゃないか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月14日 (火)

竹本健治『匣の中の失楽』 ('78、講談社)

[あらすじ]

 ミステリファンの浮かれた若者たちの集団の中で殺人事件が起き、それが仲間内の人間が書いたプロットをなぞっているらしいというので、ちょっと話題になる。

[解説]

 この本を褒めるような奴は最低だ。

 と書くと、自動的に推薦人の中井紀夫先生を敵に廻すことになるわけだが、なに、構うものか。相手は死んでるんだ。
 断っておくが、私は『虚無への供物』が大好きだ。
 だからこそ、こんなへんちくりんな本を許すわけにはいかないのだ。
  これはもう、神が俺に与えた使命だと勝手に直感。
 しかし、ちんけな使命だな。

 私はこの本を正確に二回読んだ。
 二十代の頃と、四十代のつい先日と。

 一回目、あまりの速読で読み飛ばしたから(さっぱり面白くないので)、ひょっとしてなにか読み違えたのかと思い、捨てずに取ってあったのだ。意外と律儀な性格だ。
 それにしても間で平気で二十年ぐらい経過してますが。
 ある、ある。
 そこのきみ。そんなの、ザラにあるよね。

 随分薄味のオープニングだが、ハテ、いつか本当に面白くなるのだろうか。
 疑心暗鬼にかられながら読み進めていくうち、プロットがどんどん混乱し始め、しかもそれが明らかに作中人物により意図的に操作されたものだとわかり、
 無性に腹立たしくなり、
 そもそもこの小説、キャラクターが無駄に多すぎやしませんか、
 造形も顔も曖昧な連中が何人も出てきて、こりゃ一体誰が誰なんだ、いい加減にしろ、と怒りをつのらせていると、
 突如話が湿っぽくなり、なんか人が死んで、いつの間に幕切れ。

 なんだこりゃ。金かえせ。 

 これが私の二十代の頃の感想だったわけなんだが、いくらんなんでも、そんなバカな。
 さすがにそんなわけはないだろう。
 相当な速読だったせいで、なにか重要な一行でも読み飛ばしたんじゃないのか。
 確かに退屈すぎて、途中寝ながら読んだ気がする。当時は冷房もない部屋で、西日の射す最悪の環境だったしな。
 (風呂なし、共同トイレ)
 だから、いつか暇があったら読み返してみようと考えていた。

 驚いたのは、あれから二十年も経過しているのに、私の感想は以前とまったく同じだったことだ。
 どういうことだ、これは。
 いろいろ事件が起こって、どんでん返し的なものもあって、以前よりは内容を把握したつもりだ。
 しかし、この小説の作中人物たちには、あいかわらず1mmも共感できないのであった。
 栗本薫の『ぼくらの時代』をうっかり読んだときのような嘔吐感を覚えた。
 本当に気持ち悪い人たちが多数出てくるという点では、我が国の若さが抱える典型的な病巣を的確に描写している、と云えなくもあるまい。

 特定の対象を手放しで称揚し、恥もしない厚顔無恥極まる人間が世の中にはたくさんいる。
 そういう連中には、同じような恥知らずな仲間がたくさんいて、こっちは絶対に勝てない、そういう構造になっている。

 だが、俺は決して負けないし、断じて妥協はしない。
 てめえら、全員、真冬の廊下にパンツ一丁で立たせてやる。
 親の小遣いなんか全部取り上げてやるから、そう思え。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月11日 (土)

白石晃士『オカルト』 ('09、クリエィティブ゙アクザ)

[あらすじ]

 どっかの岬で連続殺傷事件が起こり、犯人は海に飛び込み失踪。
 事件に興味を持ったドキュメンタリー作家の白石晃士は、生き延びた被害者の青年に密着取材するうち、数々の怪奇現象を目撃する。
 ポルターガイスト、心霊写真、UFO。
 連鎖する手掛かりを繋ぎ合わせていくにつれ、白石は自分自身、一連の事件に対しある種の役割を背負わされていることに気づく。それは人間の意志など遥かに越える、超常世界からの呼び声だった。
 すべての事象が渋谷スクランブル交差点での自爆テロ決行へとなだれ込み、レポーター役の女優、東美伽の生首が転がる・・・。

[解説]

 いいよね、生首。

 結局、テロの陰惨さを生首一個に象徴させてしまうあたり、予算の限界があるんでしょうけど。
 生首は、非常に信頼できる。
 本当のところ、作者にしてみりゃ、手足バラバラで、死屍累々になった渋谷の繁華街を舐めるように撮りたかった筈なんで、そういう意味では決定的なワンカットを欠いているんでしょうが。
 努力賞。
 がんばれば、生首の出る映画は撮れる!

 
 劇中最後に登場する死後の世界の映像は、タコやイカの泳ぐサイケ調の背景に複数の人間の生首が大回転!
 もちろん、怨詛のうめきや恐怖の悲鳴もブレンド!

 
 たいへんサービスのいい店だと思います。

 ちょっと料金高めですが、愚痴っちゃあいけません。
 酒なんか飲めば消えてしまうわけですし、精子も出したら終わり。
 そこへいくと、厭な気分というのは映画を観終わったあともずっと持続するわけですから。
 明らかに、お得です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 8日 (水)

影丸譲也『悪魔が来たりて笛を吹く』('79、東スポ劇画)

[あらすじ]

 いまさら、こんな有名作品の筋立てを紹介するのも馬鹿げているので適当に書くが、昭和九年。ある町にバカが笛を吹きながらやって来る。(笛はもちろん、リコーダーだ)
 そのバカを巡って陰惨な殺人事件が巻き起こり、隠されていた元貴族の金持ち連中の秘密がひっそり明るみに出る。

 兄と妹がつがって生まれた子供は、甥なの?姪なの?

 伯爵は、事態収拾のため火炎太鼓を叩いて踊る。
 一方で独自の推理で事件を調査していた探偵は、謎の答えを求めて淡路島へ。しかし、事件の鍵を握る尼は既に殺されていてガッカリ。読者も濃厚な尼プレイを期待していただけに、ガッカリ。空ら手で下宿に帰ると、熊が待ちうけていて、強烈な張り手をされた。
 すぽーーーん、と飛んでいく探偵の生首。
 ドブ川に落ちて消えた。
 
[解説] 

 国文学者として有名な金田一ものの一篇。
 影丸譲也のマンガ版は、松竹が映画化したときにタイアップとして出版されたものである。
 ご丁寧に配役写真まで載っていて、松竹特有の泥臭いどんよりした気分が読者の意欲を見事なまでに削いでくれる。
 (具体的には、池波信乃だ。)

 結論を先に述べるが、このマンガ、手堅い。
 原作のイメージに忠実なキャラクター造形、派手ではないが達者な構成。ただし、新聞連載だったせいで、ちょっとコマ割りが平板。
 アラをさがせば、金田一が池中玄太であることか。(そこは似せなくていいのに)

 それよりなにより、この本、紙質が極めて悪く、ちょっと力を入れると、簡単に破ける。
 おまけに変色して、露骨にまっ黄色だ。発行は江戸時代かと思った。

 ということで、電話帳を破くのが趣味だが最近ちょっと体力の衰えを感じている人向け。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 4日 (土)

ハーブ・ロビンズ『ミミズ・バーガー』 ('75、テッド・V・マイクルズ・プ゚ロダクション)

[あらすじ]

 アメリカ西部の平凡な田舎町。
 適当な山林と腐れた湖を擁する、地球から消滅したってどうってことないような退屈な場所だ。
 住民はバカと気違いばかり。終始町じゅうで怒鳴り合い、殴り合い、どつき合って平和に暮らしている。

 こんな町にも環境問題の波は押し寄せ、湖を干拓して大型マンションを建設し、住民を誘致しようという計画が進行中。
 推進派の市長にとって邪魔になるのは、腐れた湖のほとりで腐りきったキャンプ場を営む、びっこのじじいの存在である。
 じじいは一帯の土地権利書を所持しており、かつて利権争いの際に市長一族により父親をダムの底に沈められた、という暗い因果の持ち主だ。
 
 この権利書をめぐり、権力側との隠微な暗闘が繰り広げられるが、そこに持ち込まれるのはエコな問題意識などではなく、ミミズの集団なのであった。

 じじいはミミズを偏愛しており、食卓のテーブルに飼育箱を載せ、一方的な会話を楽しみながら、寝食を共にしている。また、TV横の水を張った水槽にはミミズの集団が飼育されていて、じじいも嬉しそうに餌としてDDTを大量に与えたりしている。
 特にお気に入りの一匹はバーサと名付けて御寵愛。
 彼女が行方不明になると、

 「こっそり繁殖に行ったんだ!!若いから!!」

 と、浮気妻を咎めるアメリカ人の典型的リアクションを披露、ライフル片手に飛び出して行ったりする。
 そして、見事彼女を発見し、手のひらに載せて草原で舞い踊って愛を確かめ合う場面は、定番のスローモーションでファンタスティックに捉えられており、観ているわれわれも思わずほのぼのさせられるのであった。

 さて、この湖周辺に棲息するミミズは他の地方の種類とはちょっと違っていて、人間が食べると下半身がぐにょぐにょのミミズ人間と化す。
 一緒に寝て権利書を巻き上げようと企んだ、ドイツ系の女優気取りのウェイトレス(巨乳、年増)は、じじい特製のミミズ入りパスタを食べさせられ、絶叫。
 
 「ぐぇぇえーーー!!」
 
 ゲロゲロとシェービングクリームを噴き出しながら、下半身がイモ虫になり、ゴロゴロと転がる。
 運悪くキャンプ場へやって来てしまった、18の会社を経営する大金持ち社長の夫人(癇癪持ちの老婆、バニラファッジ中毒)は朝食に出されたスクランブルドエッグを手づかみで頬張った途端、喉元を押さえて横転。
 カット切り替わると、下半身をゴムの被り物に包んだ、ちょっと街頭では見かけないようなタイプの珍しい生き物にメタモルフォーゼを遂げている。

 じじいはこれら犠牲者たちを金網のついた一室(なぜか二階、持ち上げ運ぶだけで大変)に閉じ込め、事態の沈静化を図るが、そんな小細工などランニングタイム89分の映画に通用する筈もなく、唐突に映画巻頭に登場するも、開始四十秒で行方不明となっていた釣り人三名がベテランのミミズ人間として姿を現し、

 「よくもこんな体にしてくれたな!
 だが・・・いい。それよか、われわれに女を寄越せ!!」


 理不尽極まる要求を突きつけてくる。
 根性の曲がり具合なら誰にも負けないクソじじいだが、肉体的ハンディキャップとよる年波には勝てず、人間以外にボコボコに叩きのめされる。
 もはやこれまでかと思われた瞬間、危地を救う妙案が閃いたじじい、

 「おまえたちは三人じゃないか!!
 ミミズ女はふたりしかいないぞ!!」


 真剣な顔で思案するバート・レイノルズ似のミミズ人間リーダー。

 「・・・わかった。
 明日また来るから、それまでに増やしておくように。」

 月夜の戸外へうねうね這いずり去っていくミミズ人間たち。
 ホッ、と額の汗を拭い、これより果たさねばならぬ、おのが責務の重圧に、拡張した尿道に愛するバーサを潜り込ませ、通常とはちょっと違ったオナニーの快楽に耽るじじいであった。

 映画のクライマックスは、うっかりこんな湖へ考古学調査にやって来てしまった、運が悪いにも程があるアフロの黒人女性(超巨乳)がじじいに捕まり、縛り上げられたところから開始される。
 すぐさまこの場で人間イモ虫化レッスンの特別授業を始めるかと思いきや、ミミズの飼育箱片手に町へ繰り出していくじじい。
 (彼女はこの後もずっと柱に縛り付けられたまんまで、映画の展開からは完全に置いてけぼりにされる。)

 街道を砂煙をあげて爆走し、町の中心へ乗り込んでいくじじいの腐れトラック。
 白昼。ハイ・ヌーン。みんなの食事時だ。
 ハンバーガー屋で、ファミレスで、民家の食卓で、どう見ても尻尾から先が飛び出しうにょうにょ蠢いている、一発でわかるミミズ混入食品を不用意に食べて、次々と怪奇人間化していく町の住人たち。
 ベッドの中で待つのがミミズだとも知らず、いそいそと布団の下に潜り込んで、悲鳴を上げる浮気妻。
 町一個、ミミズで壊滅。
 積年の復讐を果たし、さてそれでは柱に縛りつけた超巨乳のアフロに、あんなこともこんなこともしてやろうと鼻歌混じりにご帰還のじじいを待ち受けていたのは、血も凍るミミズ人間たちの狂気の洗礼儀式であった・・・。

 最終的に、じじいが報復にミミズをたらふく食わされ、見事にイモ虫人間となって、泣きながら道路へ這い出したところへトラックが突っ込み、グチャッと潰れて、ジ・エンド。

[解説]

  意外に退屈しない出来栄えだ。

 コメディーというより、映画の格好をした悪ふざけ。
 意図的に根性の悪い、不快な人間ばかりを集め、チープなビザール趣味を開陳。ビザールでござーる。

 ミミズを生で食えない人には我慢ならないだろうが、世の中にはもっと我慢ならないものを喜んで口にする連中がいる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 2日 (木)

まんが専門誌「(だっくす改め)ぱふ」('79・一月号)

[あらすじ]

  月曜日。ウンベルは、スズキくんから一冊の古雑誌を手渡された。

 それこそは、伝説の「特集・諸星大二郎の世界」が掲載されている「(だっくす改め)ぱふ」であった!
 (先生のこの雑誌発行時点での最新作は「徐福伝説」である。)

[解説]

  本編よりも、以下の読者のお便りに意味不明な熱いサムシングを感じたので、引用させて貰う。

「『孔子暗黒伝』は『暗黒神話』に決して劣る作品ではないのに、名前が出ないのは許されない。」 (17才・男子高校生)

 あはは。最高だ。

[評価]

  しかし、この本のインタビュアーは、諸星先生になにを聞いたらいいか、根本的にわかっていない。
 滅多にない貴重な機会を、かなり無駄に使ってしまっている。
 それは、決して許されない。

 あと、手塚先生。
 『暗黒神話』よりも『ど次元物語』を評価した人は、あんただけだ。

 珍しすぎる。完璧に偏った意見だが、それはそれでありだと思う。

 でも、やはり一番凄いのは諸星先生ご本人であって、偉ぶるでもなく、学究をひけらかすでもなく、あくまで淡々とおのれの進むべき方向に邁進しておられる。
 当時の日本SF界からの評価なんて、いまや死ぬほど空しいもんなぁー。
 作家として正しすぎる姿勢だよなぁー。

 2010年も早や暮れんとする現在。
 諸星先生の変わらなさ加減は、ちょっと寒気がするくらいだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »